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「タルムードの中のイエス?」[魔女の鎚 第五撃]
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/167.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 09 日 06:23:54:YTmYN2QYOSlOI
 

(回答先: 「タルムードにおけるイエスへの言及(なんてものはない)」[魔女の鎚 第四撃] 投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 09 日 06:20:25)

http://members.at.infoseek.co.jp/WATCHMAN_ENDTIMES/talmud_jesus2.html

 


 










魔女の鎚 第五撃


終末時代の監視者からの警告


 


「タルムードの中のイエス?」


ジル・ステューデント


http://www.angelfire.com/mt/talmud/jesus.html


 






告発の内容


サンヒドリン106aにおいて、聖母マリアを冒涜している。イエスの母を売春婦と呼んでいる:「マリアは諸王及び統治者の子孫だったが、娼婦であり、大工たちを相手に寝た。」 シャバット104bの脚注2には、こう言われている。「タルムードの非検閲版には『ミリアムは美容師であり』多くの男と性的関係を持ったと記されている。」


「イエスは姦通の結果生まれた私生児である。」(イェバモート19b,p.324)


「マリアは売春婦だった。イエス(バラム)は悪人だった。」(サンヒドリン106a,

p.725)


「イエスは魔術師であり、馬鹿だった。マリアは姦通者だった。」(シャバット104b,p.504)







シャバット104bの記述については、「タルムードにおけるイエスへの言及」で取扱うこととする。







該当する本文


ミシュナー、イェバモート4:18



ラビ・シモン・ベン・アッザイはこう言った。「わたしはエルサレムで家系図を発見した。それにこう書いてあった。『プロニィという男は、私生児である。』」







ここにイエスへの言及がある、とされている。しかし、そうした主張は明かに馬鹿げている。ミシュナーは著名人について言及するのが常であるが、ミシュナー編纂者による選別作業に手抜かりがあり、プロニィの名前が残ったものであろう。プロニィは、「凡人」を意味する聖書の用語である(参照:ルツ記4:1)。タルムード時代においては、普通のユダヤ人は、聖書が禁じている私生児との結婚を避けるために、家系図の保存を広く行っていた(参照:申命記23:3)。家系図の調査の結果、私生児であると宣告されることは、まれなことではなかった(参照:ネヘミヤ記7:5。タルムード、キドゥッシン70b-71a)。この箇所をイエスへの言及と見る根拠は何もない。


グスタフ・ダルマンは、この箇所がイエスへの言及だとする主張に反駁している(参照:ダルマン『イエスの言葉』ライプチヒ、ヒンリッヒ書店刊、1898年、4ページ、註2)。同じく、R・T・ハーフォードも「疑わしく、おそらく根拠がない」としている(ハーフォード「ラビ文書におけるイエス」『世界ユダヤ教事典』第六巻、87-88ページ)。ヨハン・マイアーは「奇抜な思いつきである」としている(マイアー『タルムード伝承におけるナザレのイエス』50ページ)。上記はいずれも、ジョン・P・マイヤーによる、高い評価を受けている『辺境のユダヤ人』第一巻、108 ページ、註53において引用されているものである。同じく、アヴラハム・コルマン『ゼルミーム・ヴェキトート・ヴェヤハウドゥト』348-349ページ所載の論考も参照のこと。







該当する本文


サンヒドリン106a



ラビ・ヨハナンは(バラムについて)こう言った。「彼は最初は預言者だったが、最後は魔術師となった。」


ラヴ・パパはこう言った。「人々はこう言っている。『彼女は諸王及び統治者の子孫だったが、売春婦であり、大工たちを相手に寝た。』」







タルムードに出て来るバラムは、イエスを指す隠語であるとする、広く行われている歪曲である。以下に見る通り、バラムは、イエスを指すためのタルムードの暗号ではない。それゆえ、上記の言及は、バラムについてのものであって、イエスとは関係ない。これに加え、この個所を注意深く読んでわかるのは、ラヴ・パパはラビ・ヨハナンの言ったことを説明するために、ひとつのたとえ話しをしている、ということである。ラビ・ヨハナンの言葉がイエスへの言及である、とするのも、ラヴ・パパの言葉がマリアへの言及である、とするのも、無理がある。


ラビ・ヨハナンの言明では、バラムは素晴らしい素質に恵まれ、最初は神の真の預言者として始めた、ということである。ところが、バラムは悪の道へと外れ、最後は魔術師として生涯を終えた(黒魔術を行っていた)。バラムの堕落についての伝説は、タフマ(バラク5)及び、ヤルクト・シモニ(申命記771)にも記載されている。


ラヴ・パパは、これを説明するために、ひとつのたとえ話をした。ひとりの女性がいた。彼女は戦いに秀でた強い王と結婚した。強い男との結婚生活に慣れて、剣を巧みに操り、敵を打ち倒すのが、あたりまえの男の姿だと思うようになった。もしその夫が死んだなら、彼女は同じような強い力と地位を持つ男と結婚したいと思うだろう。彼女が寡婦となって、求婚した男たちすべてに断られたとしたら、仕方なく大工と結婚するかもしれないが、それでも、戦いに秀でていなくても、巧みに道具を扱う大工を選ぶに違いない。なぜなら、その巧みなわざが、彼女が失った過去の栄光を思い出させてくれるからであり、たとえ遠くかけ離れているにせよ、少しでも高い地位を得たいと努めるに違いない。


同様に、バラムは最初は預言者であった(王や権力者のようなものである)。彼は未来を予知する能力を持ち、祝福や呪いの言葉を唱えることにより、未来を動かすことすら出来た。しかし、神が預言の賜物をバラムから取り去ったとき、それでもなおバラムは未来を予知したいと願った。それで、預言とはとても比べ物にならない占いや黒魔術に手を染めて行ったのである(大工のようなものである)。


この箇所は、イエスとは何の関係もなく、また、言われているようなマリアに対する冒涜とも関係がない。


参照:マイアー・ハレヴィ・アブラフィア『ヤド・ラマ』サンヒドリンの該当箇所。エフライム・ウアバッハ「異邦の預言者及びバラムの箇所に見るラビの解釈」、所収『タブリッツ』第25号、1956年刊、284ページ、註56。


 






告発の内容


サンヒドリン106aにおいて、イエスが若くして死んだことを、喜ばしげに述べている。

「『バラム(イエス)が何歳だったか聞いているか?』 こう答えた。『はっきり言われているわけではないが、こう書いてある。人を惑わす、血に飢えた男は、人生の半分も生きられない。彼は33歳か34歳で死んだ。』」







該当する本文


サンヒドリン106a



分派の信者がラビ・ハニナにこう言った。「バラムが何歳だったか知っているか?」 (ラビ・ハニナは)答えた。「記録はない。しかし、こう言われている(詩編55:24)。『人を惑わし、血を流す者は、おのが日の半分も生きられない。』 彼は、33歳か34歳で死んだ。」 

(異端者は)言った。「正しい答えだ。わたしもバラムの年代記を読んだが、こう書いてあった。『不具者バラムは33歳のとき、強盗ピネハス(フィネアス)に殺された』と。」







ここもバラムはイエスを指す暗号だとの前提に立っている。この箇所では、イエスが33歳で死んだことと、バラムが同じ年齢で死んだことが、共通点である。また、ピネハスもポンティオ・ピラトも、共に頭文字がPで始まる。もし仮にこの個所がイエスを指しているとしても、イエスの死を喜んでいるようには決して見えない。


しかし、歴史学者は一様に、この箇所とイエスとの関連性を否定している。以下は『ユダヤ教百科事典』第十巻、16ページの「イエス」の項目からの引用である(ヘブル語から英語への移記について、若干手を加えた)。

しかし、キリスト教徒がユダヤ人にイエスの年齢をたずねる、というのは想像しにくいし、さらにまた、福音書を『バラムの年代記』と呼んだり、ポンティオ・ピラトを強盗ピネハスと呼ぶのも、考えられない。ラビ文書には、ポンティオ・ピラトという名前は一度も登場しない。ここで言及されている「分派の信者」とは、 グノーシス派であり、ラビ・ハニナがトーラーに書かれていないことを答えられるかどうか、試したものと思われる。『バラムの年代記』とは、『バラムの黙示録』である。こうした黙示的文書は、大祭司や預言者を軽んずる傾向があったので、聖書の人物ピネハスを、強盗ピネハスと呼んだ可能性がある。

参照:ウアバッハ、前掲書、284ページ。W・バッハー『ユダヤ教四季報』O.S.456-457ページ。ハノフ・ズンデル・ベン・ヨセフ『エイツ・ヨセフからエイン・ヤーコヴへ』ソーター11aのバラムに関する箇所。


この問題をさらに明かにするために、バラムはイエスを指すタルムードの暗号であるとする主張を、詳しく見ることにしよう。


 


 






バラムについて


ラビ文書におけるバラムは、典型的な悪者の原型とされている。すでに見たように、彼は神に近く歩み、預言することが出来、大きな力をもって、多くの善をなすことが出来たはずだった。しかし、彼は与えられた賜物を悪のために使ってしまった。神から与えられた賜物が悪用されたとき、それが大きな力であったゆえに、全く邪悪なものとなった。こうして彼は、腐敗の典型例とされた。


学者の中には、バラムはイエスを指すためのタルムードの暗号だと見る者もいる。しかし、バラムはいずれも悪の典型例として言及されていて、それをイエスに結び付けるのは困難である。また、類似の箇所を読んでも、それを是が非でもイエスと結び付けなければならないような理由は、見当たらない。また、バラムの箇所をイエスへの言及と取るような読み方は、確立されたタルムードの研究法を損なうものである。







申命記34:10についてのシフレイ



「イスラエルでは、モーセのような預言者は二度と現れなかった。しかし、他の国では現われた。誰であるか? ベオルの子バラムである。しかし、モーセの預言とバラムの預言には違いがあった。


モーセは自分に語る者が誰かを知らなかったが、バラムは誰かを知っていた。こう書いてあるからである(民数記24:16) 『神の言葉を聞く者の言葉…。』


モーセは、神が語りかけたとき、それが神だということを知らなかった。しかし、バラムは、神が語りかけたとき、神だと知っていた。『いと高き方の知識を持つ者』(同上)とある通りである。


モーセの場合は、彼が立つまで、神は語りかけなかった(申命記5:28)『あなたに言う。私のそばに立ちなさい。』 しかし、バラムの場合は、彼が倒れ伏しているのに、神は語りかけた(民数記24:4)『神の言葉を聞く者、全能者の幻を見る者、倒れ伏して、目の開かれた者の言葉。』」







これは、聖書に出て来るバラムについての明確な言及である。彼のおそるべき預言の力について述べられており、モーセより力があった、とされている。この箇所がイエスまたはイェシュを指すとみなすことは不可能である。







アヴォット・デラッビ・ナタン2:5



なぜヨブは「全く、かつ、正しい人」(ヨブ1:8)と呼ばれているのか? 彼が割礼のある者として生まれたことを、教えるためである。アダムも割礼のある者として生まれた。「神は、神のかたちにかたどって、人を創造された」(創世記1:27)とあるからである。セツも割礼のある者として生まれた。「自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生んだ」(創世記5:2)とあるからである。ノアも割礼のある者として生まれた。セムも割礼のある者として生まれた。ヤコブも割礼のある者として生まれた。ヨセフも割礼のある者として生まれた。モーセも割礼のある者として生まれた。邪悪なバラムすらも、割礼のある者として生まれた。サムエルも割礼のある者として生まれた。ダビデも割礼のある者として生まれた。エレミヤも割礼のある者として生まれた。ゼルバベルも割礼のある者として生まれた。







ここで、タルムードは、人間が創造された際に、最後の仕上げに割礼が施されたとことを論じている。割礼のない人間は、不完全であり、神は人間に割礼を施すことによって、作品を完全なものに仕上げた。しかし、生まれながらにしてすでに割礼がある、完全で偉大な能力の持ち主たちもいた。完全な人たるべく定められた人々である。そうした英雄、義人、聖なる指導者たちの中に、バラムの名も挙げられている。バラムは偉大な人物たるべく定めを受けて生まれたが、残念なことに、 自由意志をもって悪の道を選んでしまった。


このリストは、年代順に配置されているので、ここで言及されているバラムがイエスやイェシュでないことは、明かである。イエスもイェシュも、年代的には、ダビデ、エレミヤ、ゼルバベルの後に配置されるはずだからである。







タルムード、サンヒドリン106a



民数記 (24:14) に言われている。「来なさい。あなたに助言をしよう」 ラビ・アッバ・バル・カハンはこう言った。「(バラムは)言った:イスラエルの神は乱婚を憎んでいるが、イスラエルの民は亜麻布を欲している。あなたに助言をしよう。天幕を張り、入り口に年老いた娼婦を置き、中には若い娼婦を置きなさい。ユダヤ人の男が市場にやって来たら、年老いた女は市場の価格で布を売り、若い女は安い価格で売りなさい。女が二三度声をかけたならば、男は機嫌が良くなり、自分の欲しい方を選ぶであろう。女のそばには常にアモン製のぶどう酒の白い瓶を置いておきなさい。 女はぶどう酒のグラスを男に差し出す。男が飲み干すと、刺激されて、性交渉を求めて来るだろう。そうしたら、女はまず自分の拝んでいる偶像を取りだし、それに礼拝をささげる。男は、自分はユダヤ人だと言うだろうから、女にはちょっと用便しているだけだ、と答えさせなさい(そうすれば、男は、偶像礼拝に気づかない)。女にはまた、男がモーセのトーラーを捨てなければ、性交渉を持たない、と言わせなさい。







この箇所は、聖書に記されているバラムの預言(民数記24章)から派生した、驚くべき物語を論じている。直接的には、「イスラエルはシッテムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらな事をし始めた」という箇所に関わる(民数記25:1)。タルムードの説明によれば、モアブ人に助言者として雇われたバラムは(民数記22章参照)娼婦を使ってユダヤ人の男性を誘惑する方法を教唆した。


この箇所は、明確にバラムについて述べており、バラムのずる賢さを描いている。この他にもタルムードには、バラムの偉大な能力と極度の邪悪さの両方を述べた箇所がたくさんあり、これにより、最も憎むべき悪人という称号を得た。







ミシュナー・アヴォート5:19



次の三つの資質を備えた者は、誰でも父祖アブラハムの弟子である。すなわち、寛容な目、へりくだった心、砕けた魂である。しかし、これと反対の三つの資質、すなわち、邪悪な目、高ぶった心、傲慢な魂を持つ者は、誰でも邪悪なバラムの弟子である。


アブラハムの弟子とバラムの弟子の違いは何か? アブラハムの弟子は、この世でも楽しみを得、来る世をも相続する。こうある通りである(箴言8:21)「わたしを愛する者に宝を得させ、またその倉を満ちさせる。」 バラムの弟子は、地獄がその嗣業であり、滅びの穴に下って行く。こうある通りである(詩篇55:23)「しかし主よ、あなたは彼らを滅びの穴に投げ入れられる。血を流す者と欺く者とは、おのが日の半ばも生きながらえることはできない。しかし、わたしはあなたに寄り頼む。」







ここでもまた、バラムが悪の典型とされている。旧約聖書だけを用いて、ミシュナーは人がその人生において取るべき正しい態度を提示しようとしている。


以上の例はすべて、ラビ文書においてバラムは究極の悪人として描かれていることを示している。聖書のバラムはイエスでもイェシュでもないことは、議論の余地なく明白である。バラムは常に、偉大な定めを受けていたのに、その賜物を悪しき目的に用いた人物として、 描かれている。現代的に表現すれば、聖書上のダースベーダー(スターウォーズの悪役)のようなものである。それゆえ、歴史学者がタルムードに、バラムを中傷する記述を多く見出しても、何ら不思議ではない。しかし、それらすべての箇所において言及されているのは、実際のバラムであって、イエスやイェシュのことではないのは、確かである。


バラムはイエスを指すタルムードの暗号だと信じる歴史学者もいる。しかし、その主張は、学究的かつ厳格なタルムード研究によっては証明され得なかったし、歴史学者によっても退けられて来た。







ルイ・ギンズバーグ教授は「終末論的・黙示的文書に対するシナゴーグの態度についての考察」『聖書文書論叢』(1922年)121ページ、註18において、こう述べている。


「タルムード及びミドラシュの全文書には、イエスとその弟子についてのいかなる隠語もないことは、絶対的な確実性をもって言えることである。」







ジョン・P・マイヤーは、『辺境のユダヤ人』(1991年)第一巻、95ページにおいて、こう述べている。


「たとえば、ヨハン・マイアーに代表されるような急進的立場では、ミシュナーだけでなく、タルムードにも、ナザレのイエスについての信じ得る直接の言及が存在しないとされる。」(41)


「わたしの考えでは、ミシュナー及び初期のラビ文書についてのマイアーの議論は特に説得力があると思われる。その時期から引用された本文には、イエスへの言及は存在しない。」 このようにマイヤーは述べて、これまでの議論を補強している。


(41)ヨハン・マイアー『タルムード伝承におけるナザレのイエス』 (ダルムシュタット、学術書刊行会刊、1978年)。この書全体で詳細に論じられている彼の見解について、要約が263-275ページに記載されている。







ラビ学についての高名な歴史学者、エフライム・E・ウアバッハは、バラムについてのラビの見方を説明する論文において、バラムはイエスを指すタルムードの暗号だとする説の虚偽を暴いている。参照:ウアバッハ「異邦の預言者及びバラムの箇所に見るラビの解釈」、所収『タブリッツ』第25号、1956年刊、272-289ページ。


 






告発の内容


ギッティン57aで、イエスは地獄に居り、「煮えたぎる大便」の中でゆでられている、と言われている。







該当する本文


タルムード、ギッティン56b-57a



(オンケロス・バル・カロニクスは)死者の中からバラムを呼び出した。(オンケロスは)尋ねた。「来世で栄誉を受けるのはだれか?」(バラムは)答えた。「イスラエルだ。」(オンケロスは)尋ねた。「どうしたら来世に行けるか?」 (バラムは)答えた。「あなたは生涯いつまでも彼らの繁栄や幸福を求めてはならない。」(申命記23:7) (オンケロスは)尋ねた。「おまえの受けている罰は何か?」 (バラムは答えた)「煮えたぎる精液に入れられている。」


(オンケロスは)死者の中からイェシュを呼び出した。(オンケロスは)尋ねた。「来世で栄誉を受けるのはだれか?」 (イェシュは)答えた。「イスラエルだ。」(オンケロスは)尋ねた。「どうしたら来世に行けるか?」 (イェシュは)答えた。「イスラエルの幸いを求めよ。その不幸を願うな。イスラエルに触れようとするのは、神の瞳に触れることである。」 (オンケロスは)尋ねた。「おまえの受けている罰は何か?」(イェシュは答えた)「煮えたぎる大便に入れられている。こう言われている通りである。誰でも賢人をあざける者は、煮えたぎる大便に入れられ、罰を受ける。」







ここには有名な回心者オンケロスの物語が出て来る。オンケロスは回心する前に、黒魔術を使って死者の中から歴史上名の知れた悪人たちを呼び出し、邪悪な人間が来世で救われるかどうかを尋ねた。そのうち二つは、罪人が死後恐るべき罰を受けるが、イスラエルは栄誉を受けることを示している(三番目に出て来るティトゥスも同様である)。おそらくこれがきっかけとなり、オンケロスはユダヤ教に回心することになったのであろう。


「タルムードにおけるイエスへの言及」で説明してあるように、イェシュは新約聖書のイエスではない。イェシュは、紀元前1世紀前半における極端な分派主義者であり、ラビたちの伝統から逸脱し、ギリシャの異教とユダヤ教を混合した、独自の宗教を創始した。イェシュはイエスの元型となり、初代教会に何らかの影響を与えたとする歴史学者もいるが、しかし、イェシュは紀元33年にエルサレムで十字架につけられたイエスとは全くの別人である。


おもしろいことだが、もし上記の物語中のイェシュがイエスであるとするならば、同じ文中にイェシュとバラムが出て来るので、バラムはイエスを指すとは言えなくなってしまう。さらにまた、これまで述べた、バラムの母が娼婦であったとか、若くして死んだとかいうことをイエスに結び付け、さらに、地獄で罰を受けているイェシュもイエスだとしてしまうと、相互に矛盾を来してしまう。両方成り立つことは、不可能なのである。


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