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Re: 白村江の戦いが日本史に占める位置
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投稿者 処方箋 日時 2004 年 3 月 30 日 19:05:48:lkpL4Fj8ypCy2
 

(回答先: 白村江の戦いが日本史に占める位置 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 29 日 20:28:30)

あっしらさん、始めまして。レス頂き、有難うございます。

紹介して頂いたご投稿を拝見しました。
文章の一行一行が説得力のあるもので、しかも、全体が一つの構造として把握できるように書かれており、大変感激しました。

以下は、私の取り留めのない感想ですが、取り分け印象に残った箇所を列挙します。


北朝から、南朝になったのか「“自称”南朝」になったのかはわかりませんが(笑)

> 明治憲法のように「万世一系」を謳うという愚を犯していない現在の天皇制では、血統問題はどうでもいいことですが、明治維新以降に確立した近代日本の価値観が今なお生き続けていることに照らせば、「万世一系」ではないということが明確になることが大きな意味があると思っています。

  確かに、戦後派の我々はともかく、旧世代の呪縛を解けば、仕組みを土台から再考する意欲が湧くかもしれないと思います。ひとつ間違えば、とんでもない方向(USAの州になりたいとか)に走る危険もありますが。

> また、公家や朝廷の使用人も、自分たちの身分や生活が保証されるのならそれはそれでいいと判断したはずです。そうではなく、主や義に生きるのではあれば、それまでの日本史も違っていたでしょう。

  日本社会は、前回の敗戦時も含め、一神教(国家神道も含む)の呪縛から開放された時は、このセオリーで動いてきたような気がします。


北朝も南朝もしょせん藤原氏の御輿に乗ったもの!?

> 藤原氏の始祖とされる中臣鎌足は、白村江の敗北以後に渡来した百済の高級貴族(の祖先の可能性も)で、政治的実権及び律令制に関する知識で抜きん出ていたファミリーの主だったろうと見ています。

  本来の中臣氏は土着の物部氏の流で神官の家柄ですが、半島を追われた百済の王子(百済王・豊璋)が人質として631年に来日し、伝統的な中臣姓を名乗って鎌子(鎌足)となり、更には、中臣氏の中で鎌足とその直系だけが藤原姓を名乗るようになった、との説があります。


新羅の朝鮮半島統一と“九州王朝”の参戦が与えた日本史への影響

> 天智と天武は、どちらかが“九州王朝”でどちらかが百済王朝だろうと思っていますが、今のところその比定ができません。(なんとなく、天武朝が“九州王朝”ではないかと思っています。滅亡した百済からの渡来者が近江に住みついたことと天智近江朝のつながりや神武東遷記述からの推測です)

  この時代、倭地に存在した二つの王朝は、武力抗争により互いに第一政権を交代しながら、壬申の乱により終結しますが、これは、半島諸国の分列抗争を反映したものと言う説があります。
  一方は、環日本海系(新羅、出雲、物部氏、蘇我氏、継体天皇、天武天皇)の倭国政権(飛鳥板蓋宮を拠点)、
  他方は、九州系(百済、九州、天智天皇、現天皇系)の百済政権(難波豊碕宮、大津京を拠点)、
  結果は環日本海系が勝利して、天智天皇(中大兄皇子、百済王子・翹岐)を殺し、天武天皇(大海人皇子、蘇我入鹿の子)朝を建てたということです。
  蘇我氏は、5世紀後半、百済の高官・木満致(もくまち)が高句麗との争いに敗れて来日した蘇我満智(まち)を祖とし、蘇我馬子はその五代目という説があります。
  (以上は、あくまでも、要検討の一説です。)
  

「東西対立」の基軸は、西の中央集権志向・東の地域主義という国家統合の違いにあると考えています。

> その後ほどなく鎌倉幕府が政治権力を握ったことでわかるように、軍事的には東国優勢で決着が付きます。しかし、国家統合のもう一つの基礎である権威は朝廷にそのまま保持されました。そうなったのは、朝廷貴族の政治手腕や政治思想などの優位性、そして、むやみに戦いを激化させたり長期化させるのは愚だ考える智恵によるのだろうと推測しています。

  統治手段の側面から宗教を見る時、中央集権志向と地域主義の対立は、日本の場合、仏教と神道の対立として現れて来ますが、明治の廃仏毀釈までは、二転三転しながらも、その都度、神仏混交に落ち着いています。
  例えば、平安仏教の雄・空海が高野山に金剛峰寺を開くにあたり、中腹の丹生都比女神社は、空海に高野山を譲りながらも高野山の守護神としての地位を得ています。


「東西対立」の基底と表層そして中央集権国家=明治国家の“必然性”

> その統治構造を揺るがし、かつて西国がめざした律令制国家(中央集権国家)を想起させたのが海を障害としない欧米列強の“侵略”です。
「陰謀論」を脇におけば、強力な中央集権国家が必要と大勢に思われるようになったから、明治国家が誕生したとも言えます。
(明治維新で敗北した公武合体派も、強力な中央集権国家が必要と考えたことにおいては同じです)

  [中央集権→拡張主義→戦争]でスパイラルに陥ると、世界統一国家樹立へ向けての傭兵提供植民地になりそうで、今後とも、舵取りは難しいですね。

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