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イラク復興と自衛隊 第132回琉球フォーラム [酒井啓子氏]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 4 月 28 日 23:34:05:dfhdU2/i2Qkk2
 

第132回琉球フォーラム
■日時 2004年3月10日(水)12:00〜14:00
■場所 沖縄都ホテル2階「綾羽の間」
■講師 酒井啓子氏(アジア経済研究所参事)
■演題 「イラク復興と自衛隊」
■講師紹介

イラク、カイロ駐在体験をもとにした中東専門家としてイラク戦争後、近著「イラク戦争と占領」(岩波新書)を著すなど、論壇、テレビへの登場機会も多い。

1959年生まれ。82年に東京大学教養学部卒業し、日本貿易振興機構(JETRO)のアジア経済研究所に入所。86年から89年の間、在イラク日本大使館に専門調査員として派遣された。また95年から97年にはカイロ調査員としてカイロ・アメリカン大学に派遣された。

著書は「イラクとアメリカ」(岩波新書)、「イラク・フセイン政権の支配構造」(岩波書店)のほか、共著「対テロ戦争とイスラム世界」(板垣雄二編、岩波新書)などがある。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/

ただいまご紹介にあずかりましたアジア経済研究所の酒井でございます。本日はお呼びいただき、また、たくさんの方々にお集まりいただきましてどうもありがとうございます。私にとって沖縄は昔からの憧れの地で、沖縄というと一も二もなくついついご招待をお受けしてしまいました。

昨日お昼に沖縄に着きまして、こういう機会でございますので簡単ですが那覇の街、嘉手納、コザなどぐるっと見せていただきました。こういう表現が適切なのかどうなのか分かりませんが、なんとなく見ていて懐かしいという印象を受けました。私が沖縄出身でもないのに懐かしいと申し上げたのは、調査や出張で中東地域、あるいは私の勤務しておりますアジア経済研究所が研究対象にしておりますアジア、中東、アフリカといった、私達がよく行っているエリアに沖縄は繋がっているということを、ものすごく強く感じたからです。市場でいろいろと買い物をさせていただきましたが、その市場の雰囲気といい(中東ですと豚の代わりに羊がぶら下がっておりますが…)原色の華やかなところといい、活気に溢れた社会全体が、どこか他人任せではなく自分の足でしっかり立っているというタフな雰囲気が「アジア社会や中東社会のタフな人達と通じるものがあるんだ」と感じました。良い意味でおとりいただけるのか、悪い意味でおとりいただけるのか分かりませんけれども、私は大変親しみをもって拝見させていただきました。

2つの誤解
そういうことを考えると、やはり沖縄は日本の開かれた窓だと、一番の国境といいますか、国際社会に開かれた場所だと、ここまで来てしみじみ感じさせられたという気がいたします。それに引き換え、私どもが常々生活しております東京を振り返ると、国際貢献とか、国際化とか、グローバリゼーションとかと言う割には、東京にいて、国際社会というものを肌身に感じる機会は本当にないように思えて仕方がないのです。しかもその中で、グローバリゼーション、国際貢献という言葉が踊ってはいるけれども、その背景になるような地に足の着いた国際感覚というものが、どうも東京にはないような気がします。その東京で、いろいろな政策を決めている日本の政府も、どうなんだろうとちょっと考えざるを得ないような気がします。

国際化、国際化と言っておりますと、何か日本も海外へ向けて発信しなければいけないと、追い詰められたような空気があるんだろうと思います。今朝もニュースを見ておりましたら『日本政府が、中東、とりわけイラクにいかに貢献しようとしているかというアピール・コマーシャルを作りました』というニュースをやっておりました。一生懸命日本がやっていることを理解して欲しいという表れだと思います。

ただテレビを見ていて気になりましたのは、テレビのコメンテーターが「今はとにかく中東、アラブ、イラクの人達には、どうも日本に対する誤解がある。その誤解を解いてもらわないといけないので、こういうコマーシャル・ビデオを作ったわけですね」というような解説をされているのです。どういう誤解があるかとコメンテーターが言っていたのは「日本がイラクに自衛隊を派遣しているが、イラク国内では自衛隊が雇用を作ってくれるのではないかという誤解があります。それからもうひとつは、イラク人やアラブの人達に、日本は占領軍と同じではないかという誤解があります」ということでした。つまり、日本の自衛隊が雇用を作ってくれるという誤解と、日本は占領軍ではないかという誤解を解こうとして、このコマーシャルビデオができたと解説をしていました。

私はテレビを見ていて「これは別に誤解ではないんじゃないか。今のコメントは変だ」と思って聞いていました。そもそも雇用を作ってくれればいいなというのは、ある意味では当然です。イラクの人達の今一番切羽詰ったニーズは、職をくれということだと思います。アメリカの占領下で仕事がない、失業してもう1年近くもなるという人達に、何かをしてくれることが人道支援で、貢献なんだとイラク人は言っているのですが、それを誤解だと言われるとイラク人も困るだろうと思います。

さらに「日本は占領軍だ」というのが誤解だと言われると、これも自衛隊は武装して行っているわけですね。また日本が単独でイラクの人達がかわいそうだからと、日本が単独で他の誰に頼ることなくイラクに自衛隊を派遣したのかというと、そうではないのです。なんだかんだと言っても、この間までオランダ軍にお世話になっていました。現地サマワではオランダ軍もそうですけれども、CPA(連合国暫定当局)―昔の日本でいうGHQ(連合軍司令部)―があり、基本的にはそこと調整をしながら、そこを窓口にしてサマワで活動をしているわけです。

イラク人が求めていること
イラクで何が起こっていて、イラク人が何を考えていて、イラク人に応えるために何が求められていて、その活動自体がどういう枠組みで、どういう制度の中で行われているのか。自衛隊がどういうポジションでイラクに行っているのかということを、現地のイラクの人達はよく分かっているけれども、逆に一番それがわかっていないのは日本人ではないかという気がして仕方がないのです。

それがただテレビを見ている人達だけの誤解であればいいのですが、もしそういった大いなる誤解といいますか、よく分かっていない状況での自衛隊派遣、さらに言えばそれがイラクの戦後復興に関与していくという日本の政策の前提にそうした誤解があるとすれば、これは大変やっかいな話になりかねないわけです。自衛隊を出して「これは人道貢献ですよ。占領軍ではないですよ。良いことをしに行ったんですよ、イラク人のためになるでしょう」と、現場の自衛隊の人達がそう思っているのは構わないのですが、送り出す側がちゃんと理解しているのでしょうか。本当にそういうことを計画的にきちっと分かっていて派遣されているかというと、どうもそこが危なっかしいと思います。そんな状況で自衛隊がイラクで活動をしていて、本当にイラクの人達に評価されるのだろうかと。あるいは本当にイラクの治安の安定に貢献できるのだろうか。もっと言えば、それこそ「日本が来てくれたって、ロクなことをしてくれなかった」と追い出されるか、攻撃されるようなことになりはしないのだろうかというところが、不安になってくるのではないでしょうか。

前置きが長くなりましたけれども、今日は自衛隊が行っているイラクの現状というのは、本当はどういうところにあって、何が一番問題なのかということについてお話を進めていきたいと思います。

一週間前にはカルバラで大規模な自爆テロがありました。だいたい一カ月に一回のペースで100人単位の人が死ぬようなテロ事件が起こっています。そういう意味では治安が改善されるようなメドは、なかなかつきません。よくイラクは反米意識で凝り固まっているから、いつまでたってもアメリカ憎しで反米デモをやっていると理解されがちです。しかし、本当にイラク人みんながアメリカ大嫌いといって大暴れしているという話なのかという疑問を投げかけてみたいと思います。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture01.html
まずイラクの治安状況ですが、なぜ人々はテロを行うのか、あるいはなぜ人々はアメリカに対して攻撃をし続けるのかという話です。

第一に日本人の誤解をあげたいのです。日本人の間では「イスラム教徒は昔からアメリカが嫌いだから、反米意識が強いから、イスラムとキリスト教、あるいはイスラムと西欧は昔から仲が悪いから、あれは文明の衝突だよね」という言い方がよくされます。本当にそうかと考えると、決してそんなことはないわけです。これは、いろいろな文明の接点があった沖縄の方でしたらお分かりいただけるかと思います。文明が違おうが、文化が違おうが、言葉が違おうが民族が違おうが、接点としてうまくやっていこうと思えばいくらだってできるわけです。中東の歴史も、実はヨーロッパとうまくやりつつ、でも喧嘩しながらという繋がりできたわけです。アメリカに対してもそうなのです。イラクに関して言えば、今回の戦争が起こるまで、イラク人全員がこぞってアメリカを嫌っていたかというと、決してそんなことはないのです。

前のフセイン政権の時は、湾岸戦争やいろいろなことがあって、政府として政治として反米プロパガンダを前面に掲げて、かなり厳しいことを言っていたことは確かです。しかし人々がみんなそれを信じ込んで、フセインが言うのだから反米一色でいいと考えていたかというと、そんなことは決してなかったわけです。イスラム教徒の多く、あるいはイラク人の多くはマクドナルドのハンバーガーは大好きですし、コカ・コーラも大好きですし、アメリカの古い映画も大好きです。個人としてのアメリカ人には友達も多く、英語もうまい人達も多いのです。

結局、今回の戦争があっても、最終的にアメリカがその後を戦後統治することについて、必ずしも最初から反対を続けてきたわけではないのです。これは実は、いま非常に深刻になっているアメリカ人に対するイラクで起こっているテロの数を見るとはっきり分かります。アメリカ人がイラクで狙われて狙撃されたり、爆弾でやられたりする数が増えたのは、昨年6月後半からです。戦争が正式に終わった5月1日から一ヵ月半の間は、ほとんどアメリカ人は殺されておりません。むしろ戦争で昨日まで戦っていて、うちの家族がやられたとか、そんな一番戦争の傷跡が残っている時期に、アメリカ人はほとんど攻撃を受けていません。むしろ一ヵ月半経ってから殺されるようになっているのです。

「民主的アメリカ」に期待
これはどういうことを意味するかというと、むしろ戦争が終わった後は、なんだかんだ言っても、これで戦争は終わったので、これからは復興だ、と希望を持っていた。イラク人としては、将来に目を向けていかなければいけないと思っていた時期なのです。そして目の前でアメリカ人が占領軍としていようが、とりあえず外国軍がイラクにいようが、負けたのだからしょうがないと思っていたわけです。そういう状況の中で、これから復興ということになれば、嫌がおうでもアメリカ人と付き合って国作りをしていかなければいかないだろうという意識の方が強かったと思います。またイラク人は、もともとフセインが好きでフセイン政権を掲げてきたわけではありません。これもある意味ではフセインとその周りのギャング達に政権を乗っ取られてという不満はありました。フセイン政権が終わったことで、イラク人達はみんな清々していたのです。

その清々していた気持ちの中で「これからはアメリカ主導で民主的な、自由で良い国ができるぞ」というふうに期待していました。ところが戦後一ヵ月半の間に何が起こったかというと、実際にはアメリカは民主主義を進めたわけではなかったのです。むしろ力任せの占領政策が前面に出てきました。とりわけよく問題になったのが、イラク軍は、戦前40万人の兵士を抱えていたわけですけれども、そのイラク軍でさえ、兵隊さんレベルで考えれば別に好き好んでフセインにくっついていって、軍で戦いをやっていたわけではなかったのです。イラク戦争途中でも、大半の部隊は途中で「こんな勝てない戦争やっていてもしょうがない」と言ってみんな投降したり、「フセインを守るよりも自分の家族を守った方がましだ」といって、家まで攻めてこられたら頑張るみたいなことで家に帰ってしまったのです。

ですから、そういった人達にしてみれば、フセイン政権がやってきた悪いことに連帯責任を取らされるなんてことは、あまり考えてもいなかったのです。ところがアメリカ軍がやったのは、そうした兵隊さんレベルまで含めて、イラク軍は一切解体といって全員首を切ってしまったのです。しかも軍人だけではなく、フセイン政権の主要な与党幹部も一斉に首を切ってしまいました。

次々期待を裏切られ…
そういうふうに、どうもアメリカがやっていることは、何の考えもなしにやっているのではないかと思われるところです。戦後の民主化をするとか、改革をするという時には、ある意味では軍を解体し、旧体制を壊してということも必要です。しかし、そういった軍にしても、与党にしても、旧政権にしても、働いているのは普通の人々です。そういう人達に対して、アメリカは何か保障措置をしたかというと、全く何もしなかったわけです。失業手当もなし、恩給もなし、明日からどう生活していったらいいのだ、という声に耳を傾けないまま、一斉に旧体制の人々の首を切ってしまったのです。それでも、首を切られたからといって、すぐさまアメリカけしからんといって銃を持ってアメリカ人を撃ちにいくというほど、イラク人も単純な人達ではないわけです。

戦争が終わって一ヵ月半の間、どちらかというとイラク人はデモをしていたのです。アメリカに対して、失業者達が仕事をくれと普通の抗議デモをしていたのです。特に軍人さん達にしてみれば、軍を解体するのなら失業保険をくれとか、年金をきちんと支払えとか、そういう要求をしていたのです。ところが、それに対して、戦後の民主化といいながら、アメリカ軍がどういう対応をとったかというと、まさに力で押さえつけるというやり方に終始してしまったのです。

イラク国境から西部方向、バグダッドからヨルダンの国境の方にいったところにラマディとファルージャという町があり、スンニー派が多く住んでいます。このラマディやファルージャという町は、今ではある意味、イラクで一番の反米活動が激しい地域です。あそこにアメリカ軍が一歩でも入ろうものなら、よってたかってやっつけられるほど、大変厳しい反米的な町になってしまっています。

なぜラマディやファルージャがここまで激しく反米になったかというと、原因は非常にはっきりしています。戦争が正式に終わる一日前、つまり4月30日にファルージャで、住民と米軍の間で交渉が行われました。その当時、まだ戦争はやっていましたから、米軍は行くところ行くところで土地と施設を接収して、そこを拠点にして占領支配を始めていました。このファルージャの町でアメリカ軍がやったことは、地元の小学校に武器弾薬を置いて、そこを拠点にして、この町をコントロールしていました。戦争が激しい時には、地元住民も学校に行こうなんて思いもしませんし、みんな家で防空壕に隠れているわけです。そろそろ4月頃も終りになってきて戦争も下火になってくると――ちなみにイラクの学校は欧米式ですから5月に学校が終わる――新学期は9月に始まるというスケジュールです。これは大変卑近な話ですが、戦争があった3月・4月は、イラク人の子供達にとってみれば期末試験の時期、あるいは卒業する学生にとっては進学の時期で入試戦争の真っ只中です。受験勉強を一生懸命しなければいけない時期なのです。それで戦争当時は爆撃の音がうるさくて勉強ができない、というような文句がいっぱい出ていた時期だったのです。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture02.html

無防備の民間人を射殺

さて、このファルージャの町では戦争も下火になってきたことだし、学年も終わり一番重要な時期だから早く学校を再開したいというので、住民達の何人かが集まって米軍に学校の再開を要請しに行ったのです。「少なくとも学校を駐屯地にするのをやめてほしい。どこか別のところに行ってやって欲しい」というふうに言いに行ったのですが、どこでどういうふうに話がこじれたか分かりませんが、ただその学校からどいて欲しいと抗議しに行っただけなのに、結果は13人という住民がアメリカ軍の攻撃を受けて亡くなりました。それで一気に(反米感情に)火がついてしまいました。

つまりアメリカ軍は、当時イラクを解放しに来たと言っていましたが、実際問題、住民に何をしているかというと、もう戦争が終わるか終わらないうちに、素手で無防備の民間人が、ただ抗議しに行っただけなのに(その民間人を)撃って殺すということがアメリカ軍の実態なんだと、ファルージャという町が真っ先に分かってしまったのです。

さらに言えば、イラクという国は部族社会です。部族社会はいろいろとあって、誤解も受けますけれども、昔の日本の家、名家のようなものです。親族郎党が集まって家を維持していきます。本家があって分家があって、親族関係があって、家を大きく捉えて、子孫を何代も何代も遡っていくと数万から数十万という親族郎党ができあがります。そういった大きなものが部族というものです。いわばファミリーで、イタリアでマフィアのファミリーとは結構近いものがあります。

ファミリーの掟というのは、どこの世界でも自分達のファミリーのメンバーが他所のファミリーにやられたらやり返すというものです。こういう仕打ちをうけると、やり返さないとファミリーの面子が保てないという意識を持った社会です。ですから、今申し上げたようなアメリカ軍の不用意な発砲によって民間人に被害が出るとなると、やられた方が泣き寝入りをすることは、それこそ男がすたるということになるのです。イラクの部族社会のプライドを考えると、これは仇を討ってしかるべきと皆思うわけです。アメリカ軍が発砲をして被害を出したというこの事件が、報復に及んで、さらにそれを鎮圧するというふうにどんどん話が広がっていって、もう今やファルージャという町全体が一致団結してアメリカを敵討ちするという社会になってしまいました。

ピリピリ緊張した米兵
これがファルージャだけではないのです。いま一番典型的な例としてファルージャを挙げましたけれども、他の地域、それこそあちらこちらでこういうことが起こっています。先日も、まさに自衛隊が派遣されているサマワのちょっと北の方で、やはり同じように米軍車両がたまたまパンクして目の前で停まってしまった車に、『スワッ!テロか』と確認もせずに撃って、死者を出したという事件がありました。そんなことが日常茶飯事で起こっているわけです。

バグダッドに住んでいる私の友人が言っていたことですが、都会に住んでいて、アメリカ軍の何が一番嫌かというと、とにかくむやみやたらに家宅捜索をしていることだそうです。テロリストがどこに潜伏しているか分からない、どこからアメリカ兵が狙われているか分からないという怖さがあるからだと思いますが、あそこの家は怪しいということになると有無を言わさず家宅捜索をし、真夜中でも屋根上でゴトゴト音がするそうです。最初は泥棒かなと思い、何とかしないといけないと思い護身用の銃を持って構えて様子をうかがっていたら、どうも泥棒ではないようだと。アメリカ兵が革靴で裏のドアをガンガン蹴っている。友達は、このままだとドアを壊されて大変だと判断し―たまたまその友人は英語が流暢だったものですから―「今ドアを開けるから手荒なことはしないでくれ。何か要求があったら聞くから」とホールド・アップ状態で出ていったそうです。すると、出ていくなり家族の男性は頭に紙袋を被せられて見えなくし、後ろ手に縛られて壁に並ばされたそうです。夜中の1時2時ですよ。寝ている女性達はみんなベッドから叩き起こされ一ヵ所に集められ、家捜しをしているそうです。

この知り合いは英語が分かるものですから、米兵達が何を喋っているのが分かるわけです。それで話を聞いていると、どこかから通報があって、この家で何人かイラク人でない外国人のような人達が集まっている。ひっきりなしに人が訪れていて、テロリストが来ているのではという通報があってやって来たというのです。実はこの被害にあった家のお父さんは、CPAの責任者であるポール・ブレマーさんから呼ばれてアドバイスをしに行くような人なのです。まさに占領軍がアドバイザーとして使っているような家でも、末端の兵隊さん達は訳も分からず家宅捜索をしてしまうのです。最後には誤解が解けてお引取りいただいたようですが、兵隊さん達は喉が渇いていたらしく、冷蔵庫のミネラルウォーターを飲んで帰ってしまって、私の知り合いは一週間分の買い置きのミネラルウォーターを全部飲まれたと文句を言っていました。そういったことがしょっちゅうあります。

結局、イラク国内で散発的に起こっている反米行動は、根っこを探ればそういったことから来ていることが大半なのです。先ほども申し上げましたように、カルバラやクルド地域でいっぺんに数百名の方が命を落とすというような大規模なテロは、これはまた別物としてあります。これはよく言われるように、外国のテロ組織が入り込んでいるなどという要素があります。しかしベースにあるのは、今のアメリカの統治政策がおかしいということ。住民の為になるどころか、住民の神経を逆撫ですることしかやっていないということがベースにあって、その中でキレた人達は米軍を狙うし、あるいはそうでなくても、国際テロリスト達が入って来た時に、国際テロリストの協力をするか米軍の協力をするのか、どっちかを選べといわれた時に、米軍憎しという気持ちから国際テロリストに情報を受け渡すとか、あるいは場所を提供するとか、米軍の居場所を教えるとか、そういった協力者がでないとは限らないわけです。そういう環境が、今の治安の悪さの背景にあるわけです。

戦後1年、進まぬ復興
こうした治安状況の中で「なんだかんだ言ってもアメリカはイラクの経済復興はやっているでしょう。確かに時間はかかるかも知れないが、時間が経てばイラクの経済状況も良くなるし、失業者が溢れているといっても仕事も増えるから何とかなるでしょう」と思う方もいらっしゃるかも知れません。しかし、これがおそらく日本で出まわっている誤解のひとつで、実は思ったほどイラクの経済復興は進んでいないということを前提に考えていただきたいのです。

日本もイラク復興のために、自衛隊を出して何かしないといけない、何かお手伝いをしなくてはと、それこそ国際貢献で、国際社会がイラク復興のために一生懸命やっているのに、日本だけ何もしないわけにはいかないと追い詰められた状態になるのは分かります。では、外国の他の国々、アメリカをはじめイラク国内に軍を派遣している国々が、どこまでイラクの復興に成果を上げているかというと、実はほとんどできていないのです。

私は昨年の7月にイラクに入りました。この時は戦争が終わってまだ2ヵ月半ぐらいでしたから、電力供給は一日の3分の1もあれば良い方でした。ちなみにイラクは産油国ですから、電力とか上水道の完備、あるいは通信網などは田舎でなければほとんど行き渡っています。都会では、ほとんどの家庭がスイッチを入れれば電気が点くし、蛇口をひねれば水が出るという普通の生活を享受してきたのです。そういう人々が戦後になって、一日のうちに3分の1しか電気が供給されないという環境にありました。それでもまだイラク人の間でも「なんだかんだ言っても、あれだけの戦争があって3ヵ月で全部が全部普及はしない。あともう少し我慢すれば何とかなる」というぐらいの待ちのモードになっていました。

ところがその後、いろいろ話を聞いている限りでは、半年経って、あるいはこの冬の間、未だに電力は半分も供給されていないそうです。冬になると、夏のようにクーラーをガンガンつけないと暮らしていけないという状況からはだいぶ改善されますので、電力消費は多少減るということはあります。しかし、それでも一日の半分程度しか供給されていないのです。そもそもイラク国内の発電所が直ったかというと、全然直っていないわけです。イラクは産油国ですから、石油、ガソリンなどの燃料も豊富にあるし、発電所だって火力発電所に使う燃料は豊富にあるはずなのに、どうして発電所が稼動していないのかと考えますと、精油所自体が動いていないのです。

今、イラクの石油産出は戦前のレベルを超えて、より多く産出できるまで達しています。時々パイプラインが爆破されたりしておりますが、少なくともイラク戦争前ぐらいまでのレベルまで石油が採れる状況になっています。にもかかわらず国内の精油所はどうなっているかというと、まったく直ってないのです。

戦争からもう一年が経ちますが、一年も経って発電所や精油所が直っていないということは何事だという話になるわけです。フセイン政権の時でも、湾岸戦争があって、戦争後にさまざまなインフラ設備が壊れたこともありましたけれども、その時でも3〜4ヵ月でおおざっぱに直りました。しかもイラク人の自力での修復でした。では今は誰がその責任を負ってやっているかと言えば、それはアメリカ企業なのです。イラク人はむしろ、復興事業に関わらせてもらえないんですね。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture03.html

統治評議会の内実

先日、基本法が調印された時に、ズラッと壇上に並んでいた統治評議会という組織がありますが、確かに彼らはイラク人です。今後、彼らを中心にこれからどうやって暫定政権を選ぶのか、憲法はどうやって決めるか、アメリカではないイラク人がやっていくという話になっています。ところが、この統治評議会のメンバーはどういう人達かというと、25人のうちの3分の2が亡命イラク人なのです。イラクにこれまで住んでいたわけではなく、20年も30年もアメリカやイギリスにいたというような人達です。彼らが戦争前からアメリカ政府といろいろやり取りをして、結局イラクでイラク人の政府を作らなければというふうになった時に、アメリカは亡命イラク人を連れて来て、イラク国内に据えようというふうに考えているわけです。ですから、そういう意味では、確かに生まれはイラクかも知れないけれでも、育ちということを考えれば、本当にこの人達は国内にいるイラク人の気持ちを分かってくれる人達なのかと言われれば、決してそうではないのです。

それでは、今のイラクの気持ちを一番代弁できる人達は誰かという話になると、まさに最近よく言われるイスラム勢力、イスラムの宗教界の人達です。これはある意味では大変単純な話です。イスラムというと、やはり中東諸国は宗教の力は強いからと思うかも知れません。しかし考えてみると、どこの国でも戦後は政府がしっかりしていません。行政機構がない、省庁が機能していないという時に、人々の日常のニーズに応えられる組織というのは、宗教的な慈善団体になるわけです。あるいは、今で言えばボランティアグループとか、NGO等があるわけです。結局、今は戦後で、先ほど言いましたように、職がない、食べるものがない、病院に行ってもロクに治療も受けられないという人々がおり、政府がないわけですから厚生省に行ったって市役所や区役所に行ったって、彼らはどちらに行っても誰も対応できないわけです。でもモスクのお坊さん達のところへ行けば、少なくとも仕事がない人達には口コミで「あそこで仕事があるらしいから話をつけてやるよ」みたいなことをやってくれるのです。あるいは食べるものに困っていると言えば、一日二日は食事を賄ってくれます。そういう日常的な互助団体として、どうしても宗教は強いわけです。

結局、頼りになるのは…
結局、いまイラク国内にいる人々が一番頼りにしているのは、そういう宗教的なネットワークです。ところが、実際に暫定政権づくりとして進んでいるのは、先ほどいった亡命イラク人ばかりです。彼らは、やはりアメリカを後ろ盾にしていますから、アメリカの意向に沿ってどうやってやっていこうか、ということしか考えないのです。そこに、国内のイスラム勢力のように親身になっては考えてくれないというギャップがあるわけです。そういったことから、統治評議会の亡命イラク人のグループと、実際にイラク国内で一番力を持っている宗教勢力とのギャップが、ここのところ少しづつ広がってきているという感じがいたします。

先日、基本法が調印された時、統治評議会の何人かの人達が調印式ギリギリになって「こんな調印はしない」と言って放り投げていなくなってしまったという事件がありました。あれも、実は統治評議会の中でも、このままイラク国内の意見を聞かないで突っ走ってしまうとまずいことになるのではということを敏感に感じ、そういう意味で宗教勢力の圧力を肌身に染みて感じているような人達が「ちょっと待て」という形でストップをかけた事件だったのです。

では、国内のイラク人達は何を求めているかというと、確かに、いま言いましたように宗教勢力に依存しているというのもあります。しかし、必ずしもイスラムの国を作りたい、イスラム教義に基づいた厳格なイスラム教の国を作りたいと言っているわけではないのです。彼らは、ただ日常的な社会的なニーズに応えてくれるのがお坊さん達だったから彼らを信頼するというふうに言っているだけで、決してイランのように、お坊さんが大統領になって厳密なイスラム教のルールに従って国を運営していかなければと、みんな思っているわけではないのです。

早期の選挙望む国民
面白いことに、むしろイラク国内の人達が今一番何を望んでいるかというと、直接選挙です。フセイン政権の下でも、あるいはその前の政権の下でも、イラク人はずっと独裁に悩まされてきました。ようやく独裁の頚木から逃れたということになれば、当然これからは自分達の指導者は自分達で選んでいくのだ、という期待に溢れているわけです。そして、これからは自分達で政府や憲法を選ぶことが大事なんだ、ということを代弁しているのが宗教勢力、イスラム勢力なのです。民衆の意見を大事にしなさいというのが、イスラムのお坊さん達の言っていることです。そういう意味では、別にイスラムのお坊さんが言おうが言うまいが、「なるほど、もっともね」というような議論なのです。

ところが直接選挙で行こうという人々の声に対して、今のアメリカがどういうふうに反応しているかと言うと、これも不思議な話ですけれども「いやいや、まだ選挙は早いよ」と、選挙を棚上げにしています。今の予定では今年の終わりか来年の初めには総選挙をやると言っていますけれども、むしろイラク国民の大半の声は「いや、もうその時まで待てない。来月、再来月でもいいから選挙をやってしまえ」というほど期待を持っています。

そう考えてみると、最初の話に戻りますが、結局、アメリカはイラクを解放しに来たと言っていますが、経済復興も駐留もうまくいっていません。政治的にはどうかというと、フセイン政権を倒してイラクを民主主義の良い国にすると言っていた割には、民主的な選挙はあと延ばしにされて、結局アメリカの言うような政権しか認めてくれないじゃないかというふうに、だんだんなってきています。

これまでは、前半で申し上げましたようにアメリカ軍に発砲されたとか、アメリカ軍に家宅捜索されたとか、そういう人達が中心になって「アメリカけしからん」と不平・不満を言っていたのです。それが、最近は選挙をやれとか、イスラム勢力を中心に政治に押し上げて行こうとか、だんだんそういう新しい要求が国民の間からどんどん出されていくようになっています。それが出る度にアメリカは「まあ、待て」と言って、(イラクの人々を)なだめすかしにかかるのです。しかし、なだめすかされても自分たちの権利を認めてくれという要求がだんだん高まってきて、これまでそんなにアメリカに刃向かったことがないような地域、特に南部のシーア派と呼ばれる人々にしてみれば、これまでアメリカの占領にそれほど文句を言ったことがないわけですが、今年に入って、1月2月は急速にイラクの南部でも反米デモが頻繁に行われております。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture04.html

自衛隊の派遣地

そういう意味では、日本政府が自衛隊を派遣するにあたって、サマワという地域を選んだのは「これまで反米行動がなかったところだから、まず安全でしょう」と言って判断をしたわけです。昨年の時点では確かに安全だったのかも知れませんが、今年に入ってからの状況を見る限りでは、決して南部地域だからといって安全だとは限りません。むしろ、これからは南部の人達、シーア派の人達は特に宗教勢力の強い人達ですから、宗教勢力を核にしてアメリカに対する要求を強めていくという可能性が出てきます。

そういった中で、最後に日本の自衛隊が、果たしてサマワでどこまで貢献ができるのか、あるいは自衛隊だけでなく、日本がこの状況の中で何をすることができて、何をすべきなのかということを指摘して終わりたいと思います。

いま申し上げましたように、サマワというところも決してこれから安全でいられるというわけではありません。では、安全でない状況を安全に保つためには何が必要かというと、これまで申し上げてきたように、通常治安が悪化する原因となるのは、戦後の復興から排除されたイラク人、経済的にも政治的にも自分達は蚊帳の外に置かれていると思っているイラク人です。その彼らを、どうやって中に巻き込んでいくか、「戦後復興、イラク復興というのはあなた達が主役なんですよ」ということを、どれだけ分からせるか、実感させてあげるかというところに尽きると思います。

では、自衛隊がそういったことをどこまでできるのかということを考えると、大体想像つくと思いますが「いや、それはちょっと期待過剰だぞ」というふうにしか返答できないと思います。冒頭に申し上げましたように、政治的にというよりも、まず経済的にイラク人が主役になっていくためには、まず仕事がないといけない、経済発展がないといけない、産業の活性化をしなければいけないということになるわけです。自衛隊は地元に雇用を作りにいくわけではないので、多少下働きで人を雇い入れることはあっても、これには限度があるわけです。自衛隊の活動が、地元経済の活性化につながる方へ持っていけるかというと、これもかなり期待薄です。

サマワは砂漠の過疎地
サマワというところは、イラク国内でも一番の偏狭地で、貧しいと申しますか、人口の少ない地域で過疎地になります。イラクには18の県がありますが、その中でサマワは人口が2番目に少ない県です。県自体は砂漠地帯が広がる非常に大きな県ですが、人口は大変少ないです。私は3年間イラクに住んでいました。その当時、イラクに住んでいた人達ともいろいろ話をしますが、3年の間、サマワというところに行った経験がないです。日本企業の方で、何度かイラクに行かれている方に「サマワに行ったことがありますか。どんな町ですか」と聞いても「いや、ほとんど覚えていないんだよね」と皆さんおっしゃいます。

サマワは南部の大都会のバスラと首都バグダッドを結ぶ幹線道路に位置していますから、いつも通ることはあっても、ついぞ止まって何かをしたという記憶がないのです。つまり通過地点です。それだけ用事のない町でした。基本的にイラク南部地方は広大なティグリス河、ユーフラテス河流域沿いに農地が広がる農業地帯です。サマワは若干そうした農業があるぐらいで、他に主だった産業というのはほとんどありません。セメント工場がひとつありますが、これも地元の建設業を支えるぐらいの程度しかないのです。

そういうことを考えると、何かサマワの地元の産業を支えて興していけば、南部一帯が経済的に活性化して底上げされるというような県では決してないわけです。それどころか、今サマワで問題になっているのは、水の供給とか学校の修復など、自衛隊ができることはいろいろあると言っていますが、例えば水がない、給水ができないということも、元を正せば電気の問題です。

ご存知のように、浄水の必要はありますが、ティグリス河、ユーフラテス河があるので水は大量にあるわけです。どこの地域でも川から水を汲んでくるということをしています。これまでのパターンだと電力でポンプアップして浄水施設に配水して各家庭へと行き渡るという水道システムだったのです。ところが、先ほど言いましたように、電気がまだきていないものですから、水のポンプアップすらできないのです。こういっては失礼ですが、給水車で回るよりも電気をまず直して、電力を回復させてポンプアップができれば、浄水施設へつないで電力を使って水道システムを修復するという方が根本的な解決になるのです。

ところでサマワで電力を回復するにはどうすればいいのかというと、県としては石油が出るわけでもないし、精油所があるわけでもないのです。実はイラクで製油所や発電所が集中している地域は南部で言えばバスラです。港もあるイラク第二の都市バスラに、まさに石油コンビナートから発展施設、鉄鋼所など、何から何まで一大コンビナートとしてあります。南部の電力や燃料関係のほとんどが、バスラの製油所や発電所に頼っています。そういうことを考えれば、サマワでいくら頑張っていても、結局、バスラの精油所が直らない以上は限界があるということです。

期待とのギャップ
そこで今、サマワの人達は、日本が来るのだったら日本は発電所を直したり、精油所を直したりするのもお得意中のお得意だと考えているのです。これは、ただ夢見ているわけでもなく経験に基づいた話です。どういうことかと言うと、イラクは70年代〜80年代にかけて、それこそ三菱さんや丸紅さんだの大手商社がひっきりなしに入って、イラク国内中で産業インフラを建てた経験がありますから、そういう意味では発電所が壊れて、精油所が壊れたという状況の時に、日本が来るという話になると、住民にとっては直しに来てくれたと思うわけです。

ところが、現実にはイラクに来たのは自衛隊で、しかも場所がサマワであって製油所や発電所があるバスラではないとなると、これは確実に日本がやれることと住民が期待していることとのギャップは大きなものがあります。結局のところ、そのギャップを埋めるためにどうしなければいけないかということになります。そういう意味では、イラク人が今一番求めているのはバスラの産業コンビナートを直してくれれば、それだけでイラクの経済復興はおそらく3分の1から半分は終わったようなものです。南部地域については、それだけでかなり改善されるはずなのです。ですから、行ける行けないにかかわらず、イラク人が一番期待しているのは日本の経済力のある民間企業が、産業施設にやってきて直してくれるということなのです。

そうは言っても、今の治安情勢では行けないという議論はあると思います。それではと一歩引いて考えて、別に日本企業が行かなくても、人(技術者が)が行かなくても、壊れた精油所や発電所にパーツを輸出することはできます。70年代から80年代にかけて日本企業が大量にイラクに入っていた時に、日本人の技術者がいちいち全部作っていたわけではなく、イラク人の技術者を使って直していたのです。ですからそういう意味では、昔の話になってしまうかも知れませんが、そうした人脈を活かして、少なくともイラク人に対して技術支援をすることはできます。これは日本人が現地へ行って何かをするということよりも、むしろ何でもかんでも学びたいと思っているイラク人を呼んだり、あるいは他の地域で技術研修をさせて、スペアパーツを持たせて直させて、復興に役立てるということも十分できると思います。

確かにいくらイラク人を呼んでも、派手に新聞一面に載るようなニュースではなく、国際的には目立たないかも知れませんが、本当に喜ばれることといえば、おそらくその方がニーズは高いと思います。

実はこうしたやり方で一番ネックになるのは何かと言いますと、それはアメリカです。先ほど言いましたように、発電所や製油所が直らない。アメリカが一年も前から受注を受けておきながら、今だ復興ができていないのは何事かというと、結局、そういったところをアメリカ企業が全部請け負ってしまっているのに仕事を進めないからです。アメリカ企業が請け負って、ただ仕事をやっていないというところに、日本がこれを直して、あれを直してと横槍を入れると、アメリカから「これはうちがやることになっているから、あなた達はほっといてください」と言われておしまい、というようなことになる問題があると思います。

「やらせて!」米へ要求を
そういうこともあって、経済復興の実際は、根幹に関わる本当にイラク人のためになる部分は、はっきり言うと、アメリカやイギリスが牛耳っていて、日本はやらせてもらえない状況にあります。そこが一番頭の痛い問題ではないのかと思います。やらせてもらえる範囲で出来ることというのが、自衛隊をサマワに送るということで、本当はもっとやらなければいけないこと、やるべきことがあるけれどもやらせてもらえない環境に日本があるということです。

これを、これからどう改善していくかということですが、イラク人の間ではどんどん日本に対する期待は高まるばかりで、しかもアメリカには充分やってもらえないけれども、日本だったらあれだけの技術力があってやってくれるに違いないと思われています。

その中で何が一番重要かというと、日本は(アメリカに対して)もっとやらせてくれと言うべきではないかと思います。つまり、バスラや産業の中心部分の石油産業はアメリカが握っているから出る幕はないと言っているだけでは、きちんとした成果を期待することはできません。ここは、イラク人もこういうところを早くやって欲しいと言っているので、アメリカが独り占めするのではなく、日本や、追い出されましたけれどもフランスやドイツとか、ヨーロッパ企業や国連も絡めて、それこそ国際社会全体で、どうやればイラクの復興が効率的にやっていけるのかということを、きちんと話そうというところから進めていくのが一番重要なことではないかと思います。

それがない状態で「サマワでしかできませんでした」と、一生懸命やったところで限界はあります。限界があるだけではなく、冒頭の話のように「結局は日本だって人道支援だの何だのと言っても、自衛隊で武装して、占領軍の一部で、アメリカやイギリスがやっていることと大して変わらないね」というふうに終わってしまうと、日本もこれから大変やりにくくなると思います。

これからはアメリカに対しても堂々と発言していくぐらい胸を張ってもいいと思った次第です。若干、長くなってしまいました。以上で、私の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture05.html

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