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二つの頂点―『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』『予備校の英語―伊藤和夫という小宇宙―(入不/山口大学助教授・哲学)
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投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 06 日 09:40:24:YTmYN2QYOSlOI
 


http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~irifuji/hutatsunochouten.html


『現代英語教育』5月号・特集「伊藤和夫」の業績、所収

二つの頂点 

―『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』―


          入不二基義

          

序 知性と暗闇

 伊藤和夫先生が他界する一週間前、お茶の水・杏雲堂病院の一室で、「死について、今はどんなふうに考えていますか」という私の問いに、先生は「死は凝固だと思う」と語った。近づく死の足音に耳をかたむけている先生に対してこそ、死についての考えや心境を私はたずねてみたかったのである。もちろん、先生と私がともに哲学徒であるからこそ、こういう会話が成立したのだと思う。「凝固」ということばによって先生が考えていたのは、ふわふわした意識や解釈が、どうしてもそこから跳ね返されてしまう「存在 X」のことのようだった。そして、1997年1月21日、先生は凝固し「存在 X」へと帰還した。

 オウム真理教の事件が起こった時のことだが、飲み屋で先生と話しているおり、周囲の人たちは、テレビ報道を聞きながら、「オウムの人たち」を揶揄し罵倒し、それを「楽しんで」いた。先生は、周囲の酔いの混じった喧噪を嫌悪しながら、自分の中にも「オウムの人たち」と同様の「暗闇」が住んでいることについて、そして自分は幸運にもそれを抑え終えていることについて語った。

 もちろん、「暗闇」を制御することができたのは、いくつもの著作を通して、それを転形し浄化することにある程度成功していたからである。「書く」ことができる境遇を、先生は「幸運」と言ったのである。

 伊藤先生の著作群は、結果としては「受験参考書」という形を取ったのだが、おそらく先生自身にとっては、それは自らの「知性」の証明であり、同時に「暗闇」を封じ込める作業に他ならなかっただろう。

 先生は自らの「怒り」についてよく語った。「新たに怒るたびに、次の仕事が生まれる」という言い方をしていた。先生の授業も本も、その緻密な論理性を特徴としていることは、よく知られているが、その知性を動かしていたのが、「怒り」という情念であったことは、舞台裏に属することがらなのかもしれない。

 

I 前期・伊藤和夫

 すぐれた仕事をする人は多いが、二つの「頂点」を享受できる人はそう多くはない。さらに、第二の頂点が第一の頂点への批判によって生まれることは、もっと少ないだろう。伊藤先生には、そのような「二つの頂点」があった。『英文解釈教室』(研究社出版)と『ビジュアル英文解釈』(駿台文庫)である。先生自身のことばを借りれば、そこには二つの異なる「怒り」があったことになるだろう。それはどのようなものだったのだろうか?

 『英文解釈教室』が、受験英語の参考書の歴史の「一等星」であることは間違いない。しかし、その何が画期的であり、またどこに限界があったのかが、冷静かつ正当に評価されることは驚くほど少ない。おそらく、「受験参考書」が、ほんとうの批評眼を持つにはまだ幼すぎる「青春期」にのみ消費されることや、大人の側も「受験に役立つ」という功利的な観点以外の視点から参考書を見ることが少ないこと等が、その原因だろう。

 『英文解釈教室』、そして、それに先行する『新英文解釈体系』(有隣堂)においても、当然のことながら、伊藤先生には「仮想敵」があった。さらにまた、その「仮想敵」との闘いを通して、先生は、もう一つ別のレベルの闘いも闘っていたのである。

 まず、「仮想敵」とは、次の者たちである。

1. 分析や方法についての自覚を持たない者

2. 論理や体系性についての自覚を持たない者

 1.の「仮想敵」とは、時制・不定詞・関係詞などを項目とする従来の「学校文法」によりかかるだけで、それらの項目と英文を実際に読むこととの間に空いた「懸隔」をどのように埋めるのかについて、独自の分析と方法を持たない者たちである。おそらく、当時の英語教師たちや「学校文法」をただ精密にしただけの参考書などを念頭においていたはずである。

 多くの教師や参考書は、自分がかつて習ったように教え、あるいは一般に認められた仕方で教えるだけで、それを「根本的な懐疑」にさらすことがない。そして、その「懐疑」をへた上で、英文を読むときに「どのように自分の頭が動いているのか」を自力で意識化し、提示しようとする教師や参考書は、「伊藤以前」には存在しなかったようである。『英文解釈教室』のことばを借りれば、「だれでも歩くことはできるが、歩くときの筋肉の動きを説明できる人は少ない」のである。『英文解釈教室』は、そういう「伊藤以前」の教師や参考書を「仮想敵」として、英文を読むときの無意識的な思考回路を意識化することを目指した。

 2.の「仮想敵」とは、「熟語 - 公式派」と呼んでもよい。それは、no more ... than ..., hardly ... before... などの、日本人にとっては読みにくい・訳しにくい特殊表現を集めて、それに「公式」的な日本語訳を与えた参考書群のことである。この方向の参考書は、英文を読むための「論理」が、「訳す」というレベルとは異なることに気づいていない。つまり、「熟語 - 公式派」は、「英語→事柄(→日本語)」という順序であるべき手順を、「英語→日本語(→事柄)」に転倒してしまっている。「熟語 - 公式派」はまた、英語という言語=ロゴスの全体がどのような仕組みを持っているかに無自覚であり、ことばをシステムとして教えるという発想をまったく欠いていた。

 それに対して、『英文解釈教室』は、「受験」という限定された世界の中でではあるが、広大なことばの領域について、ある必然性を持った「構図」を描くことに成功した(詳しくは、拙稿「『英文解釈教室』というミクロコスモス」、『高校英語研究』1995年3月号所収、参照)。さらに、伊藤英語は、独特のシステムという点で他の参考書群と異なっていただけではなく、個々の熟語や特殊表現の「解説」についても、画期的であった。例えば、no more [...] than を「訳し方」としてではなく、その論理から解説する試み、may/might as well ... as をmay wellから出発して、表現の移行と視点の転換から理路整然と把握する試みなどは、少なくとも当時の参考書や教壇では、「革命的」だったはずである。ただし、伊藤英語のこの側面は、『英文解釈教室』よりも、『英語構文詳解』(駿台文庫)を始めとする他の著作や生の授業において、顕著な特徴であるが。

 確かに、『英文解釈教室』を中心とする前期の著作は、世の凡庸な参考書や教師を仮想敵にして、それへの「怒り」を養分として生み出された。しかし、その「怒り」は半ば仮構されたものなのであって、情念の深層/真相は、もう少し違った所にあった。それは、先生が私に繰り返し語っていたことなのだが、「知性の不遇」に対するやり場のない「怒り」あるいは「哀しみ」とでも言うべきものであった。

 先生は、旧制一高・東大と進んだ当時の「超エリート」であり、しかも哲学を志す者に特有の「過激な知的野望」(存在の根拠を把握したい!!等々)を抱いた青年であった。そのような若者が、外的な事情等により、「裏街道」の受験業界に自分を閉じこめることになったのである。そこには、見果てぬ夢と、その夢を受験英語の世界の中へと「転形」していくエネルギー、そしてそのエネルギーの大きさと質の高さに対する自負、また同時に、その自負から来る自らの不遇への苛立ち ... 等々がアマルガムとなって渦巻いていたのである。ここにこそ、もう一つ別のレベルの闘いがあったのである。

 『英文解釈教室』を出版しようとした当時(1977年)、予備校のノウハウを予備校外の大手出版社から「公開」することを危惧し反対する声が、予備校内にあったと聞いている。しかし、伊藤先生は、予備校の全国戦略・拡大のためにも、予備校講師の著作物の「全国公開」は有効であるという見解によって、その反対意見を論破したと誇らしげに語っていた。その判断が正しかったことは、予備校講師の著作物が、参考書売場のかなりのシェアを占める現在から振り返れば、あまりにも明かである。ただ、伊藤先生の「判断」が、「戦略的判断」に形を借りた、自己拡大の欲望であったこともまた、明らかであろう。山手英学院当時の『新英文解釈体系』も、そして駿台移籍後の『英文解釈教室』も、あの情念のアマルガムが、一予備校講師という役割に満足することができずに、もっと大きな「世間」へと流れ出した姿に他ならなかった。

 一見矛盾するように見える「小さな世界へと自己を込めること」と「自己拡大の欲望」とは、伊藤和夫という生を織りなす縦糸と横糸だったのかもしれない。この生の形は、参考書という書物の領域にとどまらず、駿台英語科主任としての組織運営の領域でも、独特の軌跡を描くことになる。そして、そこには経営者との対立という宿命もまた書き込まれている。しかし、それについて言及することは、著作の話から逸れることになるので別の機会に譲ることにしよう。

 

II 後期・伊藤和夫

 伊藤先生は、1991年に行った大島保彦氏(駿台予備学校英語科講師)と私との鼎談の中でこう語っている(Ascent, 1991年11月号, 駿台文庫, 所収)。

 「個人的にはね、今になってみると『解釈教室』は好きになれない所があるんだよ。『解釈教室』は網羅的で、全ての形を拾い尽くして体系的に並べてあるのね。それはあの本の意義でもあるんだけど、今は大切なのは網羅することじゃないと思っているよ。しっりした基本姿勢だけを教えておけばいいのであって、体系を教えるより、言語という一本の線を辿る時の、素直な頭の働きを展開する方が学生のためになるんだっていうふうに『ビジュアル』では転換したんだよ。」

 1987年の『ビジュアル英文解釈』公刊後、伊藤先生は色々な場面で、『英文解釈教室』批判を口にしている。しかし、同僚の予備校講師からも、その真意はあまり理解されていなかったようである。せいぜい、難しい『英文解釈教室』を平易化・簡素化したのが『ビジュアル英文解釈』という程度の理解が大半であった。ある酒席でのことだが、『英文解釈教室』を絶賛する若い講師を前に、伊藤先生が苦笑している姿を目にしたことがある。ほめられて嬉しくない人はいないだろうが、同時に「君は何にも分かってないな。」と言いたげな先生の口元が印象的だった。

 『ビジュアル英文解釈』における転換とは、つきつめて言えば、次の点にあった。

1. 「体系」を隠すこと

2. 「構造」よりも「流れ」を重視すること

3. 「現場性」の取り込み

 

 『英文解釈教室』は、そして『新英文解釈体系』はそれ以上に、「体系」が前面に出ていた。Chapterをどのような順序に配列するかということ、Chapterの全体がどのようなシステムを映し出すかということに、最大限の関心が払われていた。例えば、『英文解釈教室』では、倒置形や同格構文が、Chapter 5とChapter 6という前半部に位置している。通常は、例外・特殊事項として後ろにまわされがちな事項が、「そこ」にあることは、伊藤英語のある強烈な自己主張を表現している。また、S+V+[X+X]とH(主要要素)+M(修飾要素)という二つの「枠組み」と、節の構造による文の重層化とによって、全体は統一的に編み上げられている。

 しかし、そのような「マニアックな」体系は、読者=学生たちに、ことさら「見せる」必要はなかったのである。読者の方は、一冊の参考書を学んで行く中で、無意識のうちに全体をらせん状にたどり、結果的に「建築物全体」を体験していればいいのである。体系を厳密に美しく提示しようとすることは、教師の側のナルシシズムに陥りがちであるし、それは、学生が抱える現実の困難を、教師の目から覆い隠してしまうことにさえなりかねない。したがって、自己主張としての「体系」は、教える側がプログラムとして隠し持っているだけで十分なのであって、読者の方は、体系の順序によってではなく、実際に出会う英文にぴったりより沿って学ぶべきなのである。そのような考えの下に、『ビジュアル英文解釈』は書かれている。

 伊藤先生は、『英文解釈教室』の不十分さについて自らこう指摘している。

 「... この本のより根本的な欠陥は、言語が面ではなく線であることをその本質とすると言っても、それは眼前に全体が展開している静止した線ではなく、時間の線上で次々に現れては消えてゆく、方向を持った動的な線であることの自覚が足りなかった点にあると思う。」(『現代英語教育』1993年9月号「受験の英語時評」p.29)

 もちろん、『英文解釈教室』にも、「線上を流れゆく思考」への着目は萌芽的に現れてはいる。例えば、To master English ... と始まった英文を読む時の、思考の流れ方の説明や、The house stands ... とIn the house stands ... という始まり方の違いへの着目は、それを表している。しかし、『英文解釈教室』ではまだ、構文を統一的・体系的に説明しようとする「本質」重視の姿勢がまさってしまって、読むことに密着した「思考の流れ」を捉える「現象の文法」の可能性が抑圧されている。『ビジュアル英文解釈』は、この「構造から流れへ」「本質から現象へ」という転換を明確にする作業でもあったのである。

 伊藤先生の授業の特徴の一つに、「一人対話」とでも呼ぶべきものがあった。それは、先生の説明の中に、誤読をする架空の学生が登場して、その学生と先生の対話が、弁証法的に展開するというものであった。『ビジュアル英文解釈』では、この点が、Home Roomでの、R君(浪人君?)・G君(現役君?)・Wさん(Womanさん?)との対話になって結実している。参考書の世界にも、この種の「対話篇」の試みは少なくないが、『ビジュアル英文解釈』―さらに『英語学習法』や『英文和訳の十番勝負』(ともに駿台文庫)―ほど見事に、学生たちの人格が独立化して、生き生きとしている例は他に見あたらない。この事実は何を表しているのか? それは、学生たちと共有する「現場」=「教室という現実」を、伊藤先生が他の誰よりも血肉化していたことの証明であろう。大げさに言えば、伊藤先生は、『英文解釈教室』においては、まだ「学者」への未練を残した者であったが、『ビジュアル英文解釈』では、見事な「教師」になり果せている。こうして、『ビジュアル英文解釈』は、「現場性」を本の中に取り込むことに成功した。

 さて、『英文解釈教室』の仮想敵は、当時の凡庸な参考書や教師たちであったと書いたが、それでは、『ビジュアル英文解釈』の仮想敵とは誰だったのだろうか。もちろん、一つの答えは、『英文解釈教室』の筆者、すなわち伊藤和夫自身である。しかし、それは事柄の半面にすぎない。前掲の鼎談で、伊藤先生はこう語っている。

「... 僕が構文ってことを言い出して理屈っぽく教え始めると、それが成功した。今では私の考えを受け継いでいる人が、駿台に限らず予備校界でシェアを持っていることも事実だよ。ただ、さっきの大学の先生たちとは違ったおかしな所が、そういう人達にはあるんだよな。」

 これは、端的に言えば、同僚あるいは同業界の「予備校講師批判」である。鼎談では、主に三通りのタイプの予備校講師が批判されていた。

1. 抽象的な理屈ばかりを言って、学生をケムに巻く者

2. 学校文法から逸脱した文法用語等を詐術として使う者

3. 英文の一字一句を過度に「意識化」して、教授法の「幼稚化」を行なう者

 例えば、英文解釈の授業なのに「ことばとは何か」「社会とは何か」という抽象論に時間を費やして、自分は「本質的なこと」を教えているのだと悦に入る講師、自らの思想を表明しアジテイトし、学生を興奮させる講師、専門家が使うような術語を多用して擬似高級感を漂わせ、学生に「催眠術」をかける講師、あくまで分かり易さを追求する結果、その「分かり易さ」が低俗化・幼稚化してしまう講師 ... 。

 私自身も、かつてオーバー・ドクター時代に予備校で教えた経験があるので、ここで言及されている実態をよく知っている。予備校の講義空間は、高度資本主義の小さな実験場と言ってもいいほどに、教え方が「差異の戯れ」と化しやすい。言い換えれば、予備校講師は、「凡庸な教師」でありえないための「不幸」を背負っている。
 1.〜3.で批判されている予備校講師とは、ある意味では伊藤先生自身が生み出したとも言える。『英文解釈教室』の中に、1.〜3.の萌芽がまったくなかったとは言えないのであり、その各要素を肥大化することで、「伊藤以後」の講師たちは人気講師となっていくのである。『英文解釈教室』が、予備校業界にこのような「副作用」を及ぼすとは(もちろん「時代」というファクターの方が大きいのだが)、さすがに伊藤先生も予測できなかったのではないだろうか。

 『ビジュアル英文解釈』は、彼ら「伊藤以後」の人気講師たちを仮想敵として、「中道」を歩いて見せたと言えるだろう。「体系」を隠し、「構造」より「流れ」を重視し、「現場性」を取り込むことは、彼ら「過剰な者たち」へのアンチテーゼでもあったのである。この「抑制」こそが、『ビジュアル英文解釈』のよさであると同時に、『英文解釈教室』の刺激性と比べた時に、地味な印象を与えてしまう原因にもなっている。

 

 伊藤先生は、確かに「彼ら」に「怒り」を感じ、そして『ビジュアル英文解釈』を生み出した。しかし、その「怒り」は、結局は「英語の教え方」とは別の場所から生じたものだった。いわば、別のレベルに位置する「人間的なあまりに人間的な」怒りを、「英語の教え方」のレベルの問題へと「変形」していたと言うことができる。例えば、自己拡大の欲望の実現の一つであった、「駿台英語科」という組織―いや「伊藤帝国」と言った方がいいかもしれない―の中での「栄光と挫折」、そのことと「怒り」とは切り離すことができないだろう。

 一つだけ小さな「証拠」を記しておこう。『ビジュアル英文解釈』の最後に付けられている「文法篇」は、「英文法教本B」という教材の形でかつて駿台予備学校の教壇で教えられていた。伊藤先生にとっては特別な思い入れのある教材だった。しかし、その教材は、講師からも学生からも敬遠されて消え去り、そして『ビジュアル英文解釈』の中に保存されたのである。

 

 しかし、「怒り」が生み出した新たな名著によってこそ、その怒り自身が深く癒されることになるというのも、また事実であった。人間的な「怒り」ならば、それはまた昇華し鎮めることも可能である。伊藤先生は、仮想敵たちを自分の生み落とした「子供たち」として、自らの小宇宙の中に解消しようとしていたのである。ただ、それでもなお消えない別のレベルの「怒り」があっただろう。それはもう、人間には不可能な「絶対」を手に入れることができないことへの苛立ちに等しい。伊藤先生は、自分をとりまく人達の中に、「絶対感情」を求めた。しかし当然のことながら、それは得られなかった。そこにあるのは、「私たちは畢竟一人でしかない」というあたりまえの真実に他ならない。

 

III そして最後に

 教室で教えることから離れ、「一人」へと戻った最晩年の伊藤先生は、もう一度『英文解釈教室』を愛しなおし始めていた。それは、自己批判を経由した後の、「小宇宙」の最後の仕上げであり、自分との「和解」でもあったのだろう。あるいは「一人へと戻ること」と「自分の出発点に戻ること」とはどこかで重ねっていたかもしれない。『英文解釈教室』を「見取り図」、『ビジュアル英文解釈』を「工場」という形で位置づけなおすと同時に、『英文解釈教室』を、入門編・基礎編、そしてこれから公刊される改訂版正編へと「細胞分裂」させることで、生命を再度吹き込もうとしていた。それはまた、伊藤先生自身の生命力の強さの表れでもあった。病室のベッドの上で最後まで執筆し続けた姿には、誰もが驚き、そして敬意を表した。私自身もまた、伊藤和夫という生の形と、その著作群をこれからも愛し続けるだろう。

 伊藤先生が残していった仕事が一つだけある。それは、『予備校の英語―伊藤和夫という小宇宙―』(仮称)という本の出版である。その編集作業は、私の手へと受け渡された。先生の残された「思い」を何とか実現したいと思っている。

(いりふじ・もとよし/山口大学助教授・哲学)

 

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