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日本の神道は、来るべき帝国の世界宗教たりうる。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/138.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 6 月 06 日 02:53:15:SjhUwzSd1dsNg
 

いちおうこの部分(↓)へのレスなのですが、こちらで新しいスレッドを建てます。

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やはり日本民族は「神の国」の住人? こころの道としてのタオ (千葉邦雄氏 No.37)
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/870.html
投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 05 日 21:16:37:YTmYN2QYOSlOI

やはり日本民族は「神の国」の住人?

どう考えてみても、日本人の感受性は、ネオコンのようには決してなれないと私は思う。一般的には日本人は無神論者が多いと言われているが、「自然」や「祭り」を通してほとんど無意識に古来から神を崇めてしまっているし、天皇やお上を奉る習慣もバッチリ身についてしまっているし、なかなかどうしてイスラム民族に負けず劣らずの信仰心があるというか、日本民族は、やはり「神の国」なのである(笑)。

ところで私はいったい何を言いたいのか。最初に結論を先に言ってしまうなら、基本的には、日本は今のままでいい、と私は思っている。私たち日本人が、エゴが創り上げた虚構の「罠」からさえ解放されれば、日本民族らしい「和」の精神を生かした古来の生き方が、訪れつつある「アジアの未来」のなかに必ず見つかるはずである。
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日本の神道は、来るべき帝国の世界宗教たりうる。

(1)まず誤解して欲しくないのは、「靖国神社は神道ではない」ということ。陰陽道(道教系)の憑依の呪術に過ぎない(※1)。靖国神社はこのままでは駄目だ(靖国和魂神社を別に作るべきだろう)。

(2)たけ(tk)が言うところの世界宗教としての神道とは「征服者が被征服者を祭る」というというタイプの宗教のこと(※2)。
神道は魂鎮(たましずめ)の宗教であり、戦争においては敗者となった敵の魂を鎮めることのほうに力点が置かれていた。

なぜこれ(征服者が被征服者を祭る神道)が世界宗教たりうるか、というのの説明が難しいのですが、少なくとも、弥生の戦乱を経た後の日本列島の統一においては、出雲系の魂鎮(たましずめ)の宗教が非常に有効に機能し、かなり早い時期に「同一民族」という自覚を生じさせることに成功したと思われる。

『満州の神社興亡史』(嵯峨井建著/芙蓉書房出版刊)だと思うのだが(本屋で立ち読みしただけで買いそびれてしまった)、その中に、軍部が占領地に神社を作る政策を提案したときに、神社側の人が「必ず地元の神を祭れ」と言ったらしい。それにもかかわらず、神道を知らない軍部側はそれを拒否して日本の神だけを祭る神社を作っていった、らしい。

で、「海外の神社訪問記」というページを見ると、地元神を祭った神社が2社残っているという(※3)。

「五族の英霊」を祀る「満州国の靖国神社」である建国忠霊廟と桃園神社が現存しているという。桃園神社については「国民党が桃園の人々に神社の取り壊しを指令したところ、学界及び民衆の反対にあったため、指令の撤回をした」とのこと。この二つの神社は建国忠霊廟は「五族の英霊」、桃園神社は大國魂命(台湾国土の神霊)大己貴命・少彦名命(国土民人の開拓神)というように、建前・言い換えに過ぎないかもしれないが、地元の神を祭っていたことになる。そのような神社は、征服者と非征服者との精神的な融和に貢献していたはずであり、また、簡単には壊せないものなのです。

桃園神社は虎頭山忠烈祠と名前を変えて、鄭成功、劉永福、丘逢甲と「全国抗戦陣亡烈士」、つまり抗日戦で亡くなった人たちも合わせて祀っているらしい。最初からこのようは人々を祭っても良かったし、そのような祭りがえか可能なような神が祭られていたのだ。

(3)もう一つの神道の要素は「魂鎮め」の宗教であるということ。荒ぶる魂、すなわち戦争をもたらすような人々の精神状態を鎮めることを目的とし、それが可能な宗教であるということ。この魂鎮めには理念がなく方法だけがある。理念がないので、理論的には、どんな神であっても鎮めることができる。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という絶対神の荒ぶる魂を鎮める力があるかどうかは未知数だが、頑張れば可能なような気がする。体系的には天御中主という不活性の神にあたるのだが、活性度が正反対なので、そういう体系上の類似を指摘するだけでは力不足だろう。

(4)具体的に何をやるかというと、まずは宮中で「国引き」を行うべきだろう(※3)。国引きというのは、世界各地の土地のイメージを取り込むことを意味する。地球上のすべての人々への想像力を維持することを意味する。ジョン・レノンのイマジンの世界だ。

(5)次に、可能な範囲で、世界各地の神や人を、勝手に祭ってしまうことだ。可能であればそのような神社を立ててしまうことだ。ビンラディン神社とかネオコン神社も建ててしまえばよい。脇社でもよい。ご利益があるはずだ。

(6)そして、世界帝国の盟主になりそうな国の指導者に、その政治的効果を売り込むことだ。大和に破れた出雲の神官たちはそのようにして、大和の人々を宗教的に支配・統一していったのだ(※4)。

(7)世界帝国が避けられないものであり、世界帝国には世界宗教が必要なのだとするなら、無慈悲な奴隷主の人格で擬人化した絶対神を信じる者たちの宗教に対抗するために、日本の神道をグローバル化させる必要があると思う。

* ビル・トッテンも似たようなことを言っているのではないか?(※5)

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※1:「靖国神社は神道ではない」

招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/514.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 4 月 05 日 15:29:24:SjhUwzSd1dsNg

※2:征服者が被征服者の神を祭る

征服者が被征服者の神を祭る
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/252.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 3 月 22 日 16:41:51:SjhUwzSd1dsNg

※3:海外の神社訪問記
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http://fresheye.oem.melma.com/mag/18/m00075118/
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★ 第4回 海外の神社訪問記
・・
太平洋戦争終戦時、満州国(現在の中国東北部に、1932〜45年に存在した日本の傀儡
国家)には少なくとも345社、台湾には198社に及ぶ日本人が建立した神社が存在した
という事実。
調べきれていないけれど、朝鮮半島や東南アジア諸国にも多数の神社が存在していた
ことは、想像に難くありません。
この事実を前にすると、「ムムム…これはどうも、ただごとではないぞ」と思わざる
をえません。

「でもそれって、中国や台湾に住んでいる人を無理矢理支配するために昔の日本人が
やったことなんでしょ?聞いたもん、歴史の授業とかで」
と言う人がいるかもしれません。

勿論そういった面もあるけれど、別の見方もできるようなのです。

「むろん異民族を精神的に統一するため、その効果が意図された例もある」と断った
うえで、
「わずか24人で入植の翌年に神社をつくった例すらある。しかもそれは、布教のため
に教会をつくるキリスト教とは全く異なる。実は海外神社の大半は日本人による日本
人のためのものであった。まったく自足的な存在である。…ワンパターン化した『侵
略論』の線上ではとらえきれない内容と実態があり、必ずしも『宗教侵略』ばかりで
はない」
『満州の神社興亡史』嵯峨井建著/芙蓉書房出版刊

たしかに、ブラジル移民など侵略とは関係ない事象でも、日本人による神社建立は事
実としてあるのだし(先住民を祀った「ボーグレ神社」など)、「皇民化政策」とか
「宗教侵略」とかで片付けるだけでは済まないことのように思えます。
・・
●建国忠霊廟(中国吉林省・長春)○
1998年10月、中国東北部吉林省にある長春という都市を訪れました。
・・
…と、ある商店で聞き込みを行ったところ
「建国廟の中では、何人もの中国人が日本人に処刑されて捨てられていたんだぞ。お
前は、それをわかっているのか?」
と、店主に怒られました。
・・
建国忠霊廟とは、満州国の精神的中心として、満州国および関東軍によって創建され
た「国家的神社」である「建国神廟」と「建国忠霊廟」のうちのひとつ。
建国忠霊廟は1939年竣工、1940年鎮座祭が行なわれ、「五族の英霊」を祀る「満州国
の靖国神社」としての役割を担っていました。
・・
●桃園神社(台湾・桃園)○
2000年のゴールデンウィークに、台湾へ行ったときのこと。
・・
鬱蒼と茂る木々が目に鮮やかな、こんもりとした丘陵に到着。
入り口には「桃園縣忠烈祠」と彫られた石が立っています。
・・
しかし、今はそこに御神体はありません。
代わりに、鄭成功を中央にして、右に劉永福、左に丘逢甲という人物を祀っています。
また、「全国抗戦陣亡烈士」、つまり抗日戦で亡くなった人たちも合わせて祀ってい
ます。
・・
「能久親王を、大國魂命(台湾国土の神霊)大己貴命・少彦名命(国土民人の開拓神)
と共に祀ったのは、親王が、台湾開拓の尊き犠牲者であるからである。」
『海外の神社』小笠原省三著/神道評論社刊

大國魂命が「台湾国土の神霊」とは言い過ぎだと思うけれど、開拓系の神様と台湾に
ゆかりのある皇族ってとこでしょうか?
ちなみに、豊受大神は食物神です。
飢えないよう、滞りなく食べることができるように…との祈りをこめているのでしょ
うか?

ほぼ完全な姿を留めているこの桃園神社も、多くの海外の神社と同様に破壊の危機に
見舞われたことがあります。
1985年のことです。
国民党が桃園の人々に神社の取り壊しを指令したところ、学界及び民衆の反対にあっ
たため、指令の撤回をしたということです。
学界の反対は神社の学術的価値を考慮してのことだろうけれど、何故民衆まで反対し
たのか…わかりません。
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※3:国引き
http://www.pref.shimane.jp/section/fudoki/fudokif/fudo03.html
『出雲国風土記』の最初、「意宇郡(おうぐん)」の冒頭に、出雲国の成り立ちが書かれています。いわゆる、「国引き神話」です。これは、『古事記』や『日本書紀』には書かれていない、出雲独自の神話です。

http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/kunibiki.html
国引き詞章
『出雲国風土記』意宇郡条
 意宇と号くる所以は、国引きましし八束水臣津野命、詔りたまひしく、「八雲立つ出雲の国は、狭布の稚国なるかも。初国小さく作らせり。故、作り縫はむ」と詔りたまひて、・・

※4:大和に破れた出雲の神官たちは大和の支配者に神道の効用を売り込んだ。

http://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/shingashi1.html
出雲国造神賀詞全文と口語訳

※5:ビル・トッテンも似たようなことを言っている。
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http://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/tisin0302.html
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自然神道の復活必要
 結局、人間は自然の中で生かされている。自然を支配することはできず、限りある自然にあわせて人間は生きていかなければならないということだ。そして、この考え方こそ日本の自然神道であり、西洋の唯一絶対の創造神との違いだと思う。

 日本には山、海、木や川といった自然の中に神がいた。人々はその自然の恩恵に畏敬(いけい)を、怒りに畏怖(いふ)を感じ、自然を支配するのでなく自然にあわせて生きてきた。自然神道は日本固有の自然信仰であると思う。厳しい自然の変化にあわせて農耕を営み、共同体のなかで人々は協力しあって暮らしてきた。

 神道というと戦争と結びつけて排除しなければいけないものという人がいる。十一日の建国記念日、私の家の近所で日の丸を掲げていたのは唯一わが家だけだった。日本人は先の戦争によって日の丸も、そして千年以上もの間、日本人の心を結束してきた自然神道も捨て去ってしまった。

 しかし政治基盤として明治政府がつくり変えた国家神道は、その本質からしてまったく異なるものである。そして日本の将来にとって、この自然神道の復活が私はなによりも必要であると考える。

 一方の西洋の歴史を振り返れば、日本とはまったく異なる背景をもつ。神が自然を含む天地万物を創造した西洋では、人々は長い歴史を通して常に他者の資源を使ってきた。金やゴム、木材、香辛料、綿花、さらにはアフリカ人の労働者まであらゆるものを略奪し、従って常にそれは拡大が可能だった。一つの場所でとるものがなくなれば、ただ単に別の場所へ移ればよかったのである。しかし技術の発展によってその活動範囲がすでに地球全体に及んでしまった今、もはやそれも限界にきている。
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