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世界的平和に対する提言。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/192.html
投稿者 調和人 日時 2004 年 6 月 13 日 23:45:32:YeUEew8g6.9hA
 

戦争・紛争の原因となる国の信念を探るため、禅門答のような形式でまずは核心に迫ってみたいと思います。

なぜ戦争が起こるのか?
それは、国が互いに起こる色々な誤解を解決する為に、殺しあう事が最も適切な方法であるとした考え方に基づくものであります。
では、なぜ殺しあうことが最も適切な方法になるか?
それは、国の中には他より優れているものが存在することが望まれると考えているからです。つまり国と国との間には優劣の関係が存在しているからです。
では、なぜ国と国との間には優劣の関係が存在しているのか?
それは、資源・財等を獲得する為に互いに競いあい、奪い合わなければならないからです。
では、なぜ資源・財等を競争し、奪い合うのか?
それは、資源・財等を獲得することで国は豊かになり幸福になれるからです。またこの世界にはすべての国に行き渡るほどの資源・財等が不足しているからです。
では、なぜ資源・財等は不足しているのか?
それは、この世界には国がひとつだけのものではなく、多くの国があり、分け合うことができないからです。
では、なぜひとつのものではないのか?


つまり、我々は互いに一つではなく、それぞれが別々の独立したものであり、それが紛争・戦争の原因の基になっているということは、理解できます。
国というものは、もともと人の集合体でありますから、世界的にひとつのものを確立させるということは物理的には可能な概念です。
ですから、「戦争へ導くそれぞれの国の信念」のみを考えた場合、これらの禅問答におけるそれぞれの回答、つまりそれぞれの信念を変えて行く必要があり、そのためには世界的にひとつのものを確立させる、つまりひとつの国になることが根本的に求められるということになります。
それぞれの国の防御的軍備を高度にする・核を配備させる等が唯一の平和への道と我々は考えております。その考え方はそれこそ何千年も過去から同じような信念によるものあり、全く進歩を見せておりません。しかし、それにはもう無理・矛盾が生じてきているのではないでしょうか。地球の母体に対する破壊的問題も現在には出てきております。
(余談ですが、いまのままでは私は地球よりも先に人類がと考えております。)
私は、戦争を無くすには世界的にひとつになること、つまりひとつの国のような形になること以外には方法は皆無と思っております。
ただ、現在の国の文化・宗教等の多面性は必要だと考えます。
世界的にひとつになることが、それらの多面性をそこなうものではないと考えております。
つまり「ひとつ」=「同じもの」ではないとした考え方です。

以上のこと(世界がひとつになること)を言うと必ず帰ってくる言葉があります。それは「理想論」「空想論」だとした回答です。それに対する答えは(http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/186.html)を読んで下さい。

では、人間はどうかという問題もついでにしておきます。上記問答を国から人に置き換えてください。

そして、人間の問題もやはり個々独立していることが問題です。しかし人間全てが合体する(ひとつになる)ことは物理的に不可能です。

なぜ地球上に多くの人間が存在し、それは個々ばらばらなのでしょうか。どうしてばらばらな状態では資源・財等を分け与えることができない、つまり不足していると感じるのでしょうか。

私は人間というものは無数的・多角的に自分を知る為に存在していると考えております。
ただ、これも現実的に把握することができることではなく空想論であります。(参考として空想論で語るとするならば【(http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/550.html)全体と個の定義】から考えれば容易でしょう。)
ただ、現実的に個々分裂しているのは事実であります。
そもそもなぜ我々は分裂していると感じることができたのでしょうか。
それは人類がはじめてこの地上で意識を獲得した時に、自分以外の大きなもの、つまり海や雲や雨や大地や山や木などがあることに驚き、そしてそのものが繰り広げる生命現象、つまり地球・太陽・星も含めて宇宙すべてに於ける自然(生命)に恐怖をしたことから始まったと考えます。自然(生命)を「神」と置き換えてもらっても結構です。
そして人間は地震を大地の怒り、火事を山の怒り、風の怒り・・・。
人間は生きていくには、自然(生命)の赦しを得なくてはいけないと考えました。自然(生命)は何を必要としているのだろうか。そこではじめて必要性という概念、つまり自然(生命)は何かを必要としていると考えたのではないでしょうか。
しかし、この出発点からそもそも間違えておりました。自然(生命)は何も必要とはしておりません。それは存在することがすべてであり、何も必要ではなく何も欲してはおりません。
しかし、人間はありとあらゆる方法(生贄等)で、自然(生命)の期待を得ようとしましたが、成功するものもあれば失敗するものもありました。何故失敗するのだろうか?と人間は悩みました。
そこで人間はこの自然(生命)とは意志が通じ合えないもの、分裂しているものだと感じたのだと思います。
つまり、生命すべてとは分裂しており個々独立したものであり、我々も皆分裂しており個々独立したものだと考えたのではないでしょうか。

つまり我々は、相手に何かを期待し必要とすることで、それがうまく達せられないとき意志が通じず、分裂をしているのだと考えるようになるのではないでしょうか。
つまり、人間単位においては「必要とする」という概念を極力抑えるべきことであると考えております。
ではどうすればいいのでしょうか。
まずは「所有」という概念を無くすことだと思います。
また幸福ということに対する思念的認識も改めなければならないと思います。


とりあえず今回はこれだけにさせて頂きます。

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