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「産業資本主義の終焉」=「停止状態」を悲観せず「始まり」として待望した“平等私有財産制共産主義者”J・S・ミル
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/454.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 29 日 20:35:28:Mo7ApAlflbQ6s
 


自由主義の権化と受け止められているJ・S・ミルだが、産業資本主義の終焉を予測し、そこから自由主義を基礎とした共産制を始めることができると考え、終焉を悲観するではなく待望した共産主義者と言ったほうがいいようだ。

もちろん、ミルのそれは、ヘーゲル観念論を逆立ちさせたマルクス唯物史観的歴史決定論でもなければ、マルクス−レーニン主義的共産主義でもない。

ミルは、1806〜73年のあいだを生きた人で、『女性の解放』という著作も公刊している。

(ミルの父親は、ジェームス・ミルで、リカードの親友でありリカード派経済学とベンサム的功利主義の信奉者であった)


『私は、経済学をどう読んできたか』(ロバート・L・ハイルブローナー著:中村達也/阿部司訳:ちくま学芸文庫:1500円)のジョン・スチュアート・ミルの項より:

まずは、世界で最も成功した産業国家である日本の人々に心して読んでいただきたい箇所を引用する。


【ミル『経済学原理』】
「すでに必要以上に富裕になっている人たちが、裕福さを表示するという以外にほとんど、あるいはまったく快楽を生むことがないところのもろもろの物を消費する資力を倍加するということが、あるいは多数の個人が毎年毎年中産階級から富裕階級へ成り上がり、あるいは有業の富裕者から無職の富裕者に成り上がるということが、なにゆえに慶ぶべき事柄であるか、私には理解できないのである。生産の増加が引き続き重要な目的になるのは、ひとり世界の後進国の場合のみである。最も進歩した国々では、経済的に必要とされるのはより良き分配であり、そしてよりいっそう厳重な人口の制限が、これがための唯一の欠くべからざる手段となっているのである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.244)


(金融主義を賛美し「無職の富裕者」に成り上がることを美としたり、出生率の低下におののいている財務省官僚や政治家たちの愚かさ加減がわかるはずの一文であり、日本が為すべきこともわかるはずだ)


【ミル『経済学原理』】
「労働者層の給与が高く、かつ生活の裕かなこと、ひとりの人の生涯のあいだに獲得蓄積されたもの以外には、莫大な財産というものがないこと、しかし一方、ひとり荒々しい労苦を免れているばかりでなく、また機械的な煩雑な事柄からも―しかも身心ともに十分な余裕をもって―免れて、そのために人生の美点美質を自由に探求し、またより不利な事情のもとにある諸階級に対し、その成長のために、その美点美質を見せることができるような人々の群れが、現在よりもはるかに大きくなっていること。このような、今日の社会状態よりもはるかにすぐれた社会状態は、ただ停止状態と完全に両立しうるというばかりでなく、また他のいかなる状態とよりも、まさにこの停止状態ともっとも自然的に相伴うようである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.245)


(世界で最も成功した産業国家日本は、このような社会に向けて歩み始めることができる条件を有している。いや、歩み始めなければ、停止状態は、人々に困窮と大災厄をもたらす怪物に変身することなる。くだらんレベルで「年金問題」をあれこれ言うことで政治をやっている気分になってもらっては困るのである)

【ミル『経済学原理』】
「資本および人口の停止状態なるものが、必ずしも人間的進歩の停止状態を意味するものでないことは、ほとんど改めて言う必要はないだろう。停止状態においても、あらゆる種類の精神的文化や道徳的社会進歩のための余地があることは従来と変わることがなく、また「人間的技術」を改善する余地も従来と変わることがないであろう。そして、技術が改善される可能性は、人間の心が立身栄達の術のために奪われることをやめるために、はるかに大きくなるであろう。産業上の技術でさえも、従来と同じように熱心に、かつ成功的に研究され、その場合における唯一の相違といえば、産業上の改良がひとり富の増大という目的のみに奉仕することをやめて、労働を節約させるという、その本来の効果を生むようになる、ということだけになるであろう。今日までは、従来行われたすべての機械的発明が果たしてどの人間かの日々の労苦を軽減したかどうか、はなはだ疑わしい。それは、たしかに従来よりもより大きな人口が従来と同じ苦しい作業と幽囚の生活を送ることを可能ならしめ、またより多数の工業家やその他の人たちが財産をつくることを可能ならしめた。それは中産階級の生活上の余裕を増大した。けれども、それは、人間の運命がその本性上、またその将来においてなし遂げるべきもろもろの偉大な変革については、まだそれを実現しはじめてもいないのである。ただ公正な制度に加えて、人類の増加が賢明な先見の思慮ある指導のもとに行われるようになったとき―ただこのようなときにのみ、科学的発見者たちの知力とエネルギーとによって自然諸力から獲得した戦利品は、人類の共有財産となり、万人の分け前を改善増加させる手段となることが得るのである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.245)

● 産業資本主義の終焉を予測していたJ・S・ミル

「ミルは、いくつかの―現代の用語を使えば―「モデル」を検討して、人口や資本、技術が相互の地位を変化させた時に何が起きるかを類推し、また最終的に、人口と資本の量が増え続け、技術水準が上昇し続けた場合、どういう可能性が最も強いか、結論を出している。
 このため、一見リカードウ風のシナリオによく似た結果になる。(略)
リカードウと同様、これは停止状態に近づくという見方であり、「商業上の激変」や予想外の新技術、あるいは安価な機械の輸入によってその動きは一時的に停止はするが、結局は、成長するだけの十分な利潤を生み出せない、資本主義制度の避けられぬ宿命に苦しむというのである。
 では、リカードウとの違いは何だろうか。ミルは、こうした状態に達することを、終わりではなく始まりと見る。それは、資本主義のダイナミクスが生み出す労働者の協同への出発点となるだろうし、またなりうると彼が考えるからである。」(P.238)

【ミル『経済学原理』】
「人間の精神は、単にその運動の法則を探究するだけでは満足しないものである。それは、さらに「どのような終点へ」という、いまひとつ立ち入った問題を提出せざるをえない。一体、社会は、その産業的進歩によって、どのような究極点へ向かっているか。この進歩が停止した場合、それは人類をどのような状態に置くと、私たちは予期すべきであるか。(略)
最も富裕な、最も繁栄せる国々は、もしも今後生産技術における改良がなされず、かつこれらの国々からいまだ開墾されていない、あるいは耕作が粗末である地球上の諸地方への資本の流出が停止したならば、たちまちのうちにこの停止状態に達するであろう。
 このような、停止状態を終極的に避けるということが不可能であること―このような、人間の勤労の流れは終極は明らかな停滞の海へ不可抗的にそそがなければならないということ―、このことは、最近六十年ほどの経済学者たちにとって、たしかにはなはだ愉快でない、かつ希望を失わしめる、前途の見通しとなっていたのであった。けだしこれらの人たちの思索の調子と傾向とは、経済的に望ましいことのすべては、進歩的状態とまったくイクォールであり、かつこれとのみイクォールであると見るということであったからである。(略)
あの、絶えざる苦闘によってわれわれの宿命の日をどれほど遠い時期に延期することができたとしても、社会の進歩というものは「結局は浅瀬におわり、苦難におわる」ことを避けることができないものであるという学説は、多くの人々はいまもなおマルサス氏の悪意にみちた発明品だと信じているけれども、実際はそれどころではなく、氏の最もすぐれた先輩たちによって陰に陽主張されていたものであり、また氏の原理にもとづいてはじめて成功裡にそれに反対して戦いうるものである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.241)


【ミル『経済学原理』】
「私は、資本および富の停止状態を、かの旧学派に属する経済学者たちがあのように一般的にそれに対して示していたところの、あのあらわな嫌悪の情をもって、見ることをえないものである。私はむしろ、それは大体において、今日のわれわれの状態よりも非常に大きな進歩となるであろう、と信じたいくらいである。自らの地位を改善しようと苦闘している状態こそ人間の正常的状態である、今日の社会生活の様式となっているものは、互いにひとを踏みつけ、押し倒し、押し退け、追いせまることであるが、これこそ最も望ましい人類の運命であって、決して産業的進歩の諸段階中の一つがそなえている忌むべき特質ではない、と考える人々がいだいている、あの人生の理想には、正直にいって私は魅惑を観じないものである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.243)


【ミル『経済学原理』】
「 このような変化(引用者注:労働者が経済活動を管理するようになること)が進行するにつれて、資本を所有する者たちにとっては、漸次、ただ最も劣悪な労働者だけを相手とする古い体制の苦闘をつづけて行くよりも、共同組合組織に対してその資本を貸し付ける方が、有利となるであろう。しかもそれを貸し付けるにあたってはその利子率を引き下げることが有利になり、ついにはその資本を期限付きの年金に変えることすらが有利になるであろう。このような方法により、あるいはこれと似た何らかの方法によって、現存の資本の蓄積は、正当な方法において、かつ一種の自然発生的な過程によって、結局においてその資本の生産的充用に参加するすべての人々の共有財産となるであろう。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.244)


(国際金融家も、産業資本主義の終焉後には、ここに書かれている資本所有者と類似的な選択をするはずである)


「彼(引用者注:ミル)は「私的企業」が存在せず、したがって政府がその事業を引き受けなければならない実例を検討している。」(P.264)


(ミルは、停止状態において誰もが事業をやらなくなることも考慮し、その場合国家が責任をもって事業を進めることの妥当性を説明している)


● J・S・ミルの社会観

「快楽には高度なものと低級なものの両方があり、結局は正義と結びつく快楽の見方が良心からの承認をかち得ると主張した。良心の承認というのは、アダム・スミスが拠り所にした「魂の住人」による承認をミル流に述べた言葉である。」(P.216)


【ミル『自由論』】
「人類が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は、自己防衛だということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、政党に権力を行使しうる唯一の目的は、他人にたいする危害の防止である。彼自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない。そうするほうが彼のためによいだろうとか、彼をもっとしあわせにするだろうとか、他の人々の意見によれば、そうすることが賢明であり正しくさえあるからといって、彼になんらかの行動や抑制を強制することは、正当ではありえない。これらは彼をいさめたり、彼と議論して納得させたり、彼を説得したり、彼に嘆願したりする十分な理由にはなるが、彼に強制したり、そうしない場合に彼になんらかの罰を加えたりする理由にはならない。それが正当とされるためには、彼の思いとどまることが望まれる行為が、だれか他の人に対して害を生み出すことが予測されていなければならない。人間の行為の中で、社会にしたがわなければならない部分は、他人に関係する部分だけである。自分自身にだけ関係する行為においては、彼の独立は、当然、絶対的である。彼自身に対しては、彼自身の身体と精神に対しては、個人は主権者である。」(ミル『自由論』からの引用:P.216)


【ミル『経済学原理』】
「そもそも富の「生産」に関する法則や条件は、物理的真理の性格をもち、そこには人間の意のままに動かしうるものは何もないのである。およそ人間が生産するところの物は、いずれも外物の構成と人間自身の肉体的精神的な構造の内在的諸性質とによって定められた方法により、またそのような条件のもとに生産されなければならない。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.223)

(近代経済システムの特性と労働の自然規定性を述べたものと理解する)


【ミル『経済学原理』】
「私有財産制は、旧い諸社会においてこの原理の有益な作用を妨げているところの、あの出発点における不平等と不公正とを伴っていないと見なければならない。またこの場合には、成人した男女は誰でもその身心の能力を妨げられることなく使用しうるし、また生産要具―土地および道具―は彼らの間に公平に分配され、外部的手段からいえばすべての人が均等の条件でスタートすることができるようにされるであろう、と仮定しなければならない。また、最初このように分配するに当たっては、自然が与えた損害に対しては補償を行ったであろう。身体の弱い成員には他の人々とつり合うように分配上の優先権を与えることによって均衡を図ったであろう、と想像することもできる。
 がしかし、この分配がひとたび実施されると、それはもはやふたたび干渉を受けることはない。各個人はそれぞれ自由に努力をなし、また通常の運命のもとにおかれて、各自配当を受けたものの利用をはかるわけである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.227)

(当時の近代的私有財産制ではなく、平等主義私有財産制への共感を示したものである。これに続いて共産主義を語る)


● J・S・ミルの共産主義論

【ミル『経済学原理』】
「しかし、これと反対に私有財産制が排除された場合、このときにとるべき制度は、土地とすべての生産要具とを社会の共有の財産とし、各種の産業的作業を共同の計算で営むということであろう。社会の労働の指揮は、一名ないし数名の長官にゆだねられるであろう。そしてこの長官は社会の選挙によって任命されると想像することができ、また社会はこの長官に自発的に服従すると考えなければならない。生産物の分配も、やはり同じように公共的な行為である。分配の原則は、完全な平等という原則か、そうでなければその社会で支配的に行われている正義の観念または政策の観念に合致する何らかの方法により、人々の必要または功績に応じて配分するという原則か、そのいずれかとなるだろう。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.228)

(平等主義私有財産制と共産主義の違いを概略的に述べたものである)


【ミル『経済学原理』】
「共産主義の検討

 これらの種々さまざまな企画はそれぞれ長所もあれば短所もあるのであるが、しかしその長所や短所がどういうものであるかはともかくとして、それが実行不可能なことであることは、誤りである。ここに一つの村落共同体があって、数千の住民から成り、今日これだけの数の人々を養うのに必要とされる土地と同じ広さの土地を共有の土地として耕作し、必要な工業製品を協業ともっとも進歩した工程とをもって生産しているとすれば、この村落共同体は、村民に余裕のある生活を楽しませるに足りるだけの生産物の量をつくることができ、またこの目的のために必要な労働量は、これをその集団の成員にして労働能力をもっているすべての者から獲得しうる(必要があれば強要しうる)手段をもつであろう。このことは思慮のある人の疑い得ないことである。・・・
 この制度がもつところのもっと現実的な困難は、社会の労働を各成員に公平に割り当てることの困難である。(略)
このような困難は、実際に存在することは存在するであろうが、それにしても必ずしも打ち勝ちがたいものではない。各個人の体力と能力とに応じて仕事の割り当てをなし、一般原則が極端な作用をする場合にそなえてこれを加減するということは、人間の知性の―それが正義感によって導かれる場合―よく解き得ない問題ではない。そもそも平等を念願とする右のような制度において、この点についてなされる施設は、そのもっとも拙劣にしてもっとも不公正なものでさえも、今日における労働の割り当て(報酬の割り当てのことはいうに及ばない)の不均等と不公正に、ほとんど比較してみる価値もないほど些細なものであろう。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.229)


(当時の労働の割り当てに較べれば、平等と公正の観点を重視するのなら、共産主義社会のぎくしゃくなど問題にならないという見方である)


【ミル『経済学原理』】
「またわれわれはこういうことを忘れてはならない。すなわち一の社会制度としての「共産主義」は今日ただ観念上に存在するに過ぎず、今のところその能力よりもその困難の方がはるかによくわかっており、また人間の知能はいまようやくこれを組織する方法の細目を構想し、その一方を克服して、他方から最大の利益を引き出そうとしはじめたばかりだということ、これである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.230)


(端的に言えば、まだ共産主義をめざすべきではなく、産業資本主義的私有財産制のメリットを活かすべきという言明である)


【ミル『経済学原理』】
「働いて生活必需品を得ることすら確実に期待することができない―もしもこのような私有財産の制度と「共産制」と、そのいずれを採るかということであれば、「共産制」の難点は、大小すべてのものを合しても、なお衡器の上に落ちた羽毛に過ぎないであろう。
 しかしながら正当な比較を試みるには、最善の状態における「共産制」と、現状のごときではなくて、理想的な形における私有財産制とを比較しなければならない。そもそも私有財産の原理というものは、どこの国においても、いまだかって正しい試験を受けたことがないものである。おそらく他のいずれの国よりもわが国において特にそうである。近代ヨーロッパの社会制度は、公正な配分の結果である、あるいは勤労による獲得の結果である財産の分配をもってではなくして、征服と暴力の結果としての財産の分配からはじまったのである。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.231)


【ミル『経済学原理』】
「そもそも私有財産制弁護論にして正当なるものは、私有財産は報酬と努力との間に均衡があるという公平の原則に基づいていると前提しているのであるが、私有財産制の最後の結着について判断を下すには、われわれはまずこの制度をして右の公平の原則にそむくような作用をなさしめるすべての事柄が是正されてあると仮定しなければならない。
 われわれはまた二つの条件―この二条件がそなわっていなければ、「共産主義」にせよ、その他どのような法規あるいは制度にせよ、必ずや人類の大衆の生活を零落し窮乏化した生活となさざるを得ないであろう―が実現されてあると仮定しなければならない。この二条件の一が教育の普及であり、いまひとつは、社会の人口の適度なる制限である。これらの条件がそなわっていれば、現在の社会制度のもとですらも、貧困というものは存在し得ないであろう。またこのように仮定すれば、「社会主義」の問題は、社会主義者たちが一般にいうような、今日人類を圧倒している各種の弊害を免れる唯一の避難所に飛んでゆくという問題ではなくなって、ただどちらがすぐれているかを比較するという問題、したがって将来がこれを解決すべき問題となってしまう。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.233)


【ミル『経済学原理』】
「問題になるのは次のような事柄である。すなわち共産制には個性のために避難所が残されるか、輿論が暴君的桎梏とならないかどうか、各人が社会全体に絶対的に隷属し、社会全体によって監督される結果、すべての人の思想と感情と行動とが凡庸なる均一的なものになされてしまいはしないか―これらのことが問題である。社会の現状においては、「共産主義」的制度の場合よりも、教育および職業ははるかに多種多様であり、全体に対する個人の絶対的隷属の度ははるかに低いが、その社会の現状においてさえ、輿論の力や個人の隷属はその著しい弊害のひとつとなっている。平凡人の軌道を逸していることが非難される社会は、決して有益な社会とはいえない。「共産主義」の企画は、果たして人性の多辺的発展、種々さまざまな不等性、趣味や才能の種々相、見地の多様性―これらのものは単に人生の関心事の最大部分を成すばかりでなく、人々の知能を互いに衝突させて刺激し、各人に対しひとりでは思いつかなかったであろう見解を数多く示すことによって、精神的道徳的進歩の根本動力となるものである―と両立するかどうか、なお将来においてこの点が確かめられなければならない。」(ミル『経済学原理』からの引用:P.233)


(マルクス−レーニン主義の結末を彷彿させる疑念である)

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