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Re: フェミニズムはマルクス主義と同じで「危ない思想」だと思っています(笑)
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投稿者 律 日時 2004 年 6 月 30 日 08:40:16:yVvnimQRLLslo
 

(回答先: フェミニズムはマルクス主義と同じで「危ない思想」だと思っています(笑) 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 30 日 03:37:20)

あっしらさま。ありがとうございます。
まあ、フェミニズムは諸刃の剣というところがあり、危険思想でないとは言いませんが・・・・

あっしら氏****************
家族(個人家族を含む)の連合が社会であり国家だと考えています。
それぞれの家族がそこそこのレベルで安全に生きていけるように相互依存的関係を形成するのが国家社会であり、社会や国家という得体の知れない存在性のなかに息づいている家族が位置づけられるという考え方は“倒錯した危険思想”だと思っています。
刑法や民法の規定は家族内にも及ぶものですが、それは、どういうものであるかが明示されるとともに誰にでも平等に適用されるものであることでなんとか許容できます。
しかし、個別家族の具体的な問題に、求められもしないまま、公権力や他人が立ち入ることは認めることはできません。
あることだったらら一歩踏み込んでもいいとなれば、べき論や「善」で理屈付けてあれやこれにも立ち入るようになるはずです。
**********************

もちろん家族が開いた状態になるということは、他からの無尽蔵な介入を引き入れてしまう危険性が大いにあるわけです。そして、確かに国家や社会は個々人が生きていくための補助システムとして存在しているにすぎず、本体は家族・個人にあるのが本筋でしょう。
しかし、社会・国家が成立してしまい、存続し続ける以上、家族・個人はその制度上に取り込まれてしまっているというのも確かで、それを否定することはできないという意味です。これを無視して個別で解決するのは困難ですから、いかに監視社会的でない形でそのジレンマを解決するのか、ということです。個々の家族・個人が孤立した状態になるのではなく、いきなり国家レベルの集合体に直結してしまうのではなく、地域共同体など中間集団が媒介する必要はあるのではないかということです。家族・個人の自律性を保つことは重要だけれど、個々バラバラである状態はまた組みされやすく危険ではないかと考えているのですが・・・。

あっしら氏******
家族から求められる外的サポートを整備することと、家族の内に入り込むというのは次元が違う話です。(この違いを曖昧にしてしまうと家族が政治支配層の管理下に入ることも善だとなってしまいます)
ご近所の方々も、相手(ある家族)が望んでいる“境界線”を気にしながら、お付き合いをしなければならないと思っています。
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これは当然ですね。一般人を管理下に置こうとしている政治支配勢力に抗することはたしかに必要です。ただ、「境界線」も必要だけれども、介入というのは言い過ぎですかもしれませんが、互いに関心を持っていることを表明しあうことも必要かと思うのです。

あっしら氏*****************
社会的に恵まれない形で生まれてきた子どもをみすみす死なせてしまうような国家制度にはなっていないはずです。(生活扶助もあれば、両親をなくした子供たちの面倒をみる仕組みもあります。これらは私たちの責任(負担)で行われています)
問題になっている幼児虐待は、それとは異質のものです。
病院にやってきた子どもの様子や身体がおかしいということで介入することは認めますが、それも慎重になされるべきだと思っています。(叩いた痕があったら、すぐ警察や児童相談所というのは異常だということです)
一軒一軒の家庭に虐待監視カメラを設置することは望まないでしょ?
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いきなり警察・児童相談所にいかないような社会状況がのぞましいと思ってはいます。もちろん、虐待監視カメラは言語道断です。同意します。
要するに、私の考えは、家族を過度に閉じたカプセルのように考えないで、家族同士・個人同士が互いに交流を持ち合う(むろん、容易に監視しあう状態になりうるわけではありますが)状況をもつように皆が行動するようになったら良いのではないか、と思っているということです。そうであれば、幼児虐待を行わざるを得ないような状況にある保護者のケアが可能になる可能性が高いのではないかということです。他の家族だから、介入してはいけない、といって保護者による幼児虐待を疑いながらみすみす見逃しているのは、社会の在り方に問題があるのではないか、という意味です。
ただし、現状を鑑みると、現実的には、あっしらさんのいうように、政府の介入が呼び込まれてしまう可能性が高く、簡単にどうしろはいえません。


あっしら氏****************
里親制度や養子縁組で、明示された生んだ親が育てられない子を引き取ることはできます。
しかし、幼児虐待問題は、それとは異質です。(虐待をしている親の多くは我が子をひとの手に渡したくないと思っているはずです)
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ぷち熟女さんへのレスで、他人の子どもを育てるなどしたくはないとおっしゃっていたので、この件について書きました。幼児虐待の件とは直接関係はありませんでした。

わたしは虐待されている子どもの保護、ケアももちろん非常に大切ですが、それよりも虐待をしてしまう状態になっている保護者のケアがよりスムーズにできる体制にならないのか、と考えています。虐待する親から子どもを親から引き離したり、子どもが虐待されないように監視するというのではなく、また児童相談所などの人手の足りない公的機関ではなく、日常的に接する人々がそれをできるようにならないものか、ということです。危険性があるのは承知です。

あっしら氏****************
配偶者による暴力問題は離婚すればいちおう解決します。
「男性と女性の不均衡な社会的配置がすでに存在している」なら、将来の話はともかく現実論としては、離婚で失うものと暴力の痛みを秤にかけて判断するしかありません。
虐待する親から離すために一方の親が離婚したのなら、虐待されていた子どもにも意味があるのではないですか?
律さんは、だからどうすればいいと考えておられるのですか?
* **********************

経済的な問題のこともありますが、そうではなくて、ドメスティック・バイオレンスに陥っている夫婦・家庭では、「離婚すれば問題は解決」というような合理的な判断に至ることができない状況に陥りやすいということを言っています。「妻は夫に従うべきである」「男性は女性を支配する側である」「夫が暴力をふるうのは自分が至らないからだ」「夫はわたしがいないとだめな人だから」など、暴力がふるわれる状況を正当化しようとする作用が働いているということです。離婚したところで元の鞘に収まろうとするケースもあると聞きます。これは、現在の社会の中にある社会的性差がもたらす部分がおおいにあるでしょう。子どももまた、虐待した親をかばう傾向があるようです。

おそらく、改善不可能なケースもあるでしょうが、すべてのケースがそのような状況ではないはずなので、できる限り虐待者のケアにより重点をおく必要があると思っています。他者とのコミュニケーション不全の状態にある人だとおもわれます。家族という形態はとっていても、いわゆる「家族」の内実を欠いている状態にあることが考えられるということです。それを、個別に解決しろといってもおそらく無理です。よけいに悪循環に陥るだけです。介入しなければならないこともあると思っています。介入の仕方にはよほど慎重にならなければならないことも確かですが。

あっしら氏******************
人としての生き様のあり方が大きく関係していると思っているので、性差のあり方でドメスティック・バイオレンスが大きく減少するとは考えていません。
今後増えるのは、女性が行使する言葉を含む暴力だと思っています。
カスの女性を増やしたのがフェミニズムや「家庭における男女平等キャンペーン」だと思っています。
性差なぞ男と女の関係のときだけ気にすればいいのです。
政治や社会構造に関しては、性差を捨象した“人”として「支配−被支配関係」を中心に問題を提示すべきです。
* **************************

うーん。その「人としての生き様」がですね、以前のご指摘にあった通りに、宗教やら思想やらなにやらで性差によって不自然にゆがめられているとは思いませんか?あくまで社会的性差ですよ。個々人の差ではないのです。社会的・文化的な性差です。
不均衡に男性から女性への暴力が多いことはご存じだと思います(言葉の暴力も含めて)。女性にうまれついたのならそのリスクくらい甘んじて受け入れろよという主張でおられるのなら、お考えを改めるべきです。

「カスの女性」というのが何を指すのかわかりませんが(私もその一人か)、男女平等を求める男性も「カスの男性」なのでしょうか?
本来はおっしゃるとおりに、性差なぞ、性的関係にだけ(ごくごく個人的な関係の中だけで)気にすればいいことなのでしょう。私も心底そう思います。しかし、現実としてそうはなっていないということです。あらゆる場面で性差を気にせざるを得ないのです。性差を捨象した「人」として「支配−被支配」だけを問題にしても足りないのではないかと思います。

ぷち熟女さんがいらだちを感じている部分に共通する側面もあると思うのですが(わたしの理解はずれたところがある可能性がありますが)、あっしらさんのお考えがいかに正当であっても、その周囲を取り巻く人がその考えを受け入れないのであれば、その考えのみを推進するだけでは足りないだろうということです。相手の、他者の意をくまなければならないということです。しかし、あっしらさんはあまりそういうことをされないように見受けられます。

個別の関係の話に落とせば、「夫の浮気は許せない。嫌悪を感じる。悲しくなる」と考えている女性を妻にすることを選択したならば、そのルールをある程度引き受けなければならないはずだと思っています。そうではなくて、自分はそのルールは生きていない、それは妻のルールだから関係ないなどとは云えないはずです。
どことなくあっしらさんの論にはそのようなところがあるように思います。

それなので、おそらくあっしらさんは「男性である自分」に疑いを持ったりしたことはおありでないのだろうとも推測しています(あれだけのことを考えておられる方が、そうであるというのは、驚くべきことで信じがたいのですが。私が質問をしてみた理由もここにあります)。疑いを持たずにおれることは幸福なことかもしれませんが・・・・。

あっしら氏***************
念のため、言いたいことはご理解いただけますよね?
政治的社会構造的問題は、女性だ男性だと性差を持ち込まなくとも、説明できるし解決もできることがほとんど(産休など生殖絡みのみ性差)です。
それをなんでも性差に結びける連中は、支配層の分断・対立による効率的な支配に貢献しているだけです。
* ********************

あほなのでちゃんと理解できてないかもしれませんが、基本的には同意しています。本来は、性差を持ち込まずに説明・解決できるべきです。そしてなんでも性差に結びつけることは得策ではないのも、その通りと思っています。そしてできるかぎり性差の話を持ち込まずに説明する必要があると思っています。

しかし、どうしても社会的性差のもたらす問題は残ってしまうと思います。私もよく、「ジェンダーなんかよりもっと深刻な問題がある」などというような言われ方をされることがあります。しかし、現在の社会構成の在り方の根っこには「男性性」「女性性」などという二分法を下敷きにして「支配−被支配」構造を正当化づけようとしている作用があるのではないかと疑っています。確かに、私は知識も読解力も思考力も全く劣った者ではありますが、性差など関係なく政治的社会的構造問題がほとんどすべて解決できる、という考えは受け入れられません。説明は大局的には可能でしょうけれども、解決は個別に日常的な作用の中でしか行われないからです。そして、その日常的世界はかなりの部分が「性差」の影響下にあるからです。性差など関係なく問題が説明・解決できるようになればいいとは思っていますが、現段階はそのような状況ではないと思います。

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