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「家族と国家社会」そしてフェミニズム
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投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 30 日 17:39:41:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: Re: フェミニズムはマルクス主義と同じで「危ない思想」だと思っています(笑) 投稿者 律 日時 2004 年 6 月 30 日 08:40:16)


律さん、どうもです。


● 家族と国家社会


【律さん】
「もちろん家族が開いた状態になるということは、他からの無尽蔵な介入を引き入れてしまう危険性が大いにあるわけです。そして、確かに国家や社会は個々人が生きていくための補助システムとして存在しているにすぎず、本体は家族・個人にあるのが本筋でしょう。
しかし、社会・国家が成立してしまい、存続し続ける以上、家族・個人はその制度上に取り込まれてしまっているというのも確かで、それを否定することはできないという意味です。これを無視して個別で解決するのは困難ですから、いかに監視社会的でない形でそのジレンマを解決するのか、ということです。個々の家族・個人が孤立した状態になるのではなく、いきなり国家レベルの集合体に直結してしまうのではなく、地域共同体など中間集団が媒介する必要はあるのではないかということです。家族・個人の自律性を保つことは重要だけれど、個々バラバラである状態はまた組みされやすく危険ではないかと考えているのですが・・・。」

私が言ってきたのは、家族の孤立化や閉塞ではありません。
国家や社会といった言葉は、基本単位である家族(個人ではない)を確固たる実体とした連合の在り様を指す抽象概念でしかないことを“常識”にすることが重要だという主張です。

国家や社会を家族や人々と同じように実体視することは大きな錯誤であり、そのような錯誤は、家族や人々に大きな災厄をもたらす危険なものだと考えています。

家族(家族を形成する人々)が、他の家族(人々)との相互依存関係性をきちんと理解し、それをできるだけうまく機能させる制度として国家があると考えることで、現実の諸問題は解決に向かうと考えています。

逆に言えば、「家族・個人はその制度上に取り込まれてしまっている」と考え、「これを無視して個別で解決するのは困難」と判断すると、人々を支配することに意義や意味を感じている人たちの支配強化に無自覚的に協力することになり、現在よりも深刻な問題を生み出すことになります。

【律さん】
「要するに、私の考えは、家族を過度に閉じたカプセルのように考えないで、家族同士・個人同士が互いに交流を持ち合う(むろん、容易に監視しあう状態になりうるわけではありますが)状況をもつように皆が行動するようになったら良いのではないか、と思っているということです。そうであれば、幼児虐待を行わざるを得ないような状況にある保護者のケアが可能になる可能性が高いのではないかということです。他の家族だから、介入してはいけない、といって保護者による幼児虐待を疑いながらみすみす見逃しているのは、社会の在り方に問題があるのではないか、という意味です。
ただし、現状を鑑みると、現実的には、あっしらさんのいうように、政府の介入が呼び込まれてしまう可能性が高く、簡単にどうしろはいえません。」


他者が自己(家族)が生存するためやより良く生きていけるための“手段”や“客体”に見えたり、自己を家族のために他者の“手段”や“客体”として差し出すしかないとあきらめざるを得ない人たちで満ちている現状では、お考えの内容は旧軍のような精神論を超えるものではありません。

この間の経済状況は、自己(家族)がそこそこの生活を維持できるだけで身も心もすり減らすといった人々を増やしています。それは同時に将来の不安を増幅していますから、子どもの将来も心配の大きなネタになり、こうすべきということをしない子どもにイラツク機会も増加させます。

良い悪いではなく、言葉では可能であっても、現実行動としてよその家族を気にかける余裕がある人はそれほどいないというのが現実です。

それで幼児虐待が絶滅できるとは考えていませんが、人々の生存様式が変わる、すなわちひとを“手段”や“客体”と見ずに相互依存的な存在と考えるほうが自分のためになると確信する社会になれば、幼児虐待も大きく減少すると考えています。

そこに至る道は短くはないので、就業(お金を稼ぐ機会)や老後の経済的生活に不安を抱かなくてもよい国策に転換することが急務だと思っています。
これだけでも、幼児虐待はけっこう減少するはずです。


【律さん】
「おそらく、改善不可能なケースもあるでしょうが、すべてのケースがそのような状況ではないはずなので、できる限り虐待者のケアにより重点をおく必要があると思っています。他者とのコミュニケーション不全の状態にある人だとおもわれます。家族という形態はとっていても、いわゆる「家族」の内実を欠いている状態にあることが考えられるということです。それを、個別に解決しろといってもおそらく無理です。よけいに悪循環に陥るだけです。介入しなければならないこともあると思っています。介入の仕方にはよほど慎重にならなければならないことも確かですが。」

生きていくことにさえ不安を感じる人がけっこういてその数が増加している経済状況こそをまず解決すべきです。

「他者とのコミュニケーション不全の状態」は、他者を“手段”や“客体”と見ることや自己を“手段”や“客体”と差し出しことを強いる社会経済構造においては当たり前とも言えることです。

まずは、「他者とのコミュニケーション不全の状態」が“悪化”して幼児虐待や犯罪につながるような経済状況を改善することです。

たぶんですが、幼児虐待のある割合は、何もしなくても月々無条件に50万円の収入が保証される家族になればなくなるはずです。

“病的”な幼児虐待については、どのレベルで子どもから強制的に引き離してもいいかを極めて慎重に判断し、その合意を形成すべきだと思っています。


とにかく、うっとうしい、経済的に負担、むしゃくしゃした気分を弱い我が子にぶつけてしまう、といった理由で、子育ての責務を放棄することを許容するような政策には同意できません。
メンタル・ケアは一時的には効果があると思っていますが、生活条件が変わらないままであれば元の木阿弥になるケースがほとんどだ見ています。(そのために公費を使って対応人員を増やすのは建設的ではありません。試しに、カウンセラーと幼児虐待者が生活条件を入れ替えて見れば、カウンセラーもつい幼児に手が出てしまうかもしれませんね)


● フェミニズムやジェンダー


【律さん】
「経済的な問題のこともありますが、そうではなくて、ドメスティック・バイオレンスに陥っている夫婦・家庭では、「離婚すれば問題は解決」というような合理的な判断に至ることができない状況に陥りやすいということを言っています。「妻は夫に従うべきである」「男性は女性を支配する側である」「夫が暴力をふるうのは自分が至らないからだ」「夫はわたしがいないとだめな人だから」など、暴力がふるわれる状況を正当化しようとする作用が働いているということです。離婚したところで元の鞘に収まろうとするケースもあると聞きます。これは、現在の社会の中にある社会的性差がもたらす部分がおおいにあるでしょう。子どももまた、虐待した親をかばう傾向があるようです。」


「これは、現在の社会の中にある社会的性差がもたらす部分がおおいにある」はたぶんに思い込みです。
お金が“絶対的な力”をもち、お金が支配の源泉であり「自由」の支えである現実では、男どもが抱えている願望を乗り越えて、社会的性差は縮小しています。(その縮小の成果は、フェミニズムが男性的なものと考えている今風価値観の横溢です)

世界支配層(国際金融家)は、自分たちの(金融)利得が増えるのなら、性差や人種などはどうでもいいのです。

(米国の実状は、かつて夫がひとりで稼いでいた実質所得を夫婦共稼ぎで得ているというものです。性差や人種を強調したほうが支配が安定化すると判断すれば、そうすることを選択するだけです。男が外で稼ぎ女は家事や子育てに専念するほうが社会秩序も保たれ経済活動もスムーズだと判断すれば、それを「善」として喧伝するのです。そして、それを現実的なものとするため、女性の就業機会を少なくします。社会的性差はそのようなものです。日本でも、結婚退職するケースもある女性を雇用調整の安全弁と考えたり、家計の補助者として働きたい女性を低賃金労働力や雇用調整の安全弁と考え、巧妙に利用しています)

このあたりの理解をきちんとしないで、問題が社会的性差にあると判断したり、男たちの考え方がおかしいと言い募ることに傾くのなら、被支配層の対立と分断―人々のアトム化と利害対立意識―こそが自分たちに矢が飛ぶことなく安定的に支配できると考えている支配層に“協力”するだけになります。

「妻は夫に従うべきである」や「男性は女性を支配する側である」はそのような“観念”の理非はともかく、離婚によって、従わないから受ける暴力や支配をまっとうするための強制力として暴力から逃れられるのではないですか?

「夫が暴力をふるうのは自分が至らないからだ」や「夫はわたしがいないとだめな人だから」と判断する女性は、暴力を受けることで生じる苦痛や屈辱とそれらの判断との比較考量でどうすべきかを決すればいいんじゃないですか?


家族内の出来事であっても刑法は適用できるものと考えていますので、それ以上を国家機構や他人があれこれ介入すべきではないと考えています。


【律さん】
「うーん。その「人としての生き様」がですね、以前のご指摘にあった通りに、宗教やら思想やらなにやらで性差によって不自然にゆがめられているとは思いませんか?あくまで社会的性差ですよ。個々人の差ではないのです。社会的・文化的な性差です。
不均衡に男性から女性への暴力が多いことはご存じだと思います(言葉の暴力も含めて)。女性にうまれついたのならそのリスクくらい甘んじて受け入れろよという主張でおられるのなら、お考えを改めるべきです。」

歪められていると思っていますが、歪められたものが“正しい”と信じられるためには、なにがしかの現実的根拠が必要です。(とことん考えた結果なのか、なんとなくなのかは別として、そう考えるのはもっともだと信じるわけがあるということです)

男性に生まれつこうが、女性に生まれつこうが、気に入らない現実を甘んじて受け容れる必要なぞありません。

私がいろいろ書いているものは、“正しい”と信じられているものが歪められたものでしかないことや、歪められたものが“正しい”と信じられる現実の在り様を現実に生きている人々の力で変えることができるということに他なりません。


【律さん】
「「カスの女性」というのが何を指すのかわかりませんが(私もその一人か)、男女平等を求める男性も「カスの男性」なのでしょうか?
本来はおっしゃるとおりに、性差なぞ、性的関係にだけ(ごくごく個人的な関係の中だけで)気にすればいいことなのでしょう。私も心底そう思います。しかし、現実としてそうはなっていないということです。あらゆる場面で性差を気にせざるを得ないのです。性差を捨象した「人」として「支配−被支配」だけを問題にしても足りないのではないかと思います。」

支配層から流れてきた理念や抽象的な理論を“正義”だと振りかざして、自分や他者にその現実化を迫る人たちを「カスの男性」や「カスの女性」だと思っています。

まずは、「支配−被支配関係構造」やそれから導かれる他者を“手段”や“客体”と考える意識(「世界観」)を社会構造の変容を通じて変えるべきです。

それで、あなたの言われる“性差問題”はほとんど解消されると考えていますが、そうでない場合は、それに一点集中して問題を解消すればいいのです。

「支配−被支配関係構造」を残したまま“性差問題”が解決できると判断するのは夢想です。
すべての男性を幼児期から青年期までフェミニズム教育過程に置くのですか?
(世界支配層がそれを「得」だち判断すればそうなるでしょう(笑))


【律さん】
「しかし、どうしても社会的性差のもたらす問題は残ってしまうと思います。私もよく、「ジェンダーなんかよりもっと深刻な問題がある」などというような言われ方をされることがあります。しかし、現在の社会構成の在り方の根っこには「男性性」「女性性」などという二分法を下敷きにして「支配−被支配」構造を正当化づけようとしている作用があるのではないかと疑っています。確かに、私は知識も読解力も思考力も全く劣った者ではありますが、性差など関係なく政治的社会的構造問題がほとんどすべて解決できる、という考えは受け入れられません。説明は大局的には可能でしょうけれども、解決は個別に日常的な作用の中でしか行われないからです。そして、その日常的世界はかなりの部分が「性差」の影響下にあるからです。性差など関係なく問題が説明・解決できるようになればいいとは思っていますが、現段階はそのような状況ではないと思います。」


「男性性」や「女性性」を具体的に列挙していただければ幸いです。

それが何に由来しているかを考える(議論する)のは意義があると思っています。

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【律さん】
「ぷち熟女さんがいらだちを感じている部分に共通する側面もあると思うのですが(わたしの理解はずれたところがある可能性がありますが)、あっしらさんのお考えがいかに正当であっても、その周囲を取り巻く人がその考えを受け入れないのであれば、その考えのみを推進するだけでは足りないだろうということです。相手の、他者の意をくまなければならないということです。しかし、あっしらさんはあまりそういうことをされないように見受けられます。」

男と女の関係は各個人の趣味趣向の問題だと思っていますので、周囲の人に私の趣味趣向を受け容れて欲しいから書いているわけではありません。
そういう考え方をしている人もいるということを知って何かを感じたり何かを考えてもらえれば望外の喜びです。

私の趣味趣向を持つ「私」を好ましい男と感じ人生をともにしてくれる人(妻)がいれば十分なのです。

「相手の、他者の意」を汲んでいるつもりです。しかし、男と女の関係については、ブルーが好きかイエローが好きかとか、レースのパンティが好きか苺プリントのパンティが好きかと似た好みの問題ですから、そういう考え方をしている人もいるということを知って何かを感じたり何かを考えるだけです。


【律さん】
「個別の関係の話に落とせば、「夫の浮気は許せない。嫌悪を感じる。悲しくなる」と考えている女性を妻にすることを選択したならば、そのルールをある程度引き受けなければならないはずだと思っています。そうではなくて、自分はそのルールは生きていない、それは妻のルールだから関係ないなどとは云えないはずです。
どことなくあっしらさんの論にはそのようなところがあるように思います。」

「夫の浮気は許せない。嫌悪を感じる。悲しくなる」妻をパートナーとしているなら、浮気をしないか、我慢ができずしたときはその事実を悟られないようにするという考えをしています。

妻には、私が知らないところで浮気をしたときはそれを私が悟ることがないようにして欲しいと思っています。
その浮気が感動的なものであれば、妻に変化が必ず起きるはずですから、変化した妻をどう感じるかは変化の内容次第です(笑:詮索はしません)

【律さん】
「それなので、おそらくあっしらさんは「男性である自分」に疑いを持ったりしたことはおありでないのだろうとも推測しています(あれだけのことを考えておられる方が、そうであるというのは、驚くべきことで信じがたいのですが。私が質問をしてみた理由もここにあります)。疑いを持たずにおれることは幸福なことかもしれませんが・・・・。」

男である「私」として数十年も生き、まわりも「私」を男として接してくるわけですから、当然のように、「男性としての自分」に疑いをもつこともありますよ。

男としても人としても「私」に疑いを持ちつつ生きています。
(そうでなければ、このようなテーマであれ国家社会や世界に関するテーマであれ、あれこれ書くようなことはなかったと思っています)

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