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Re: ノアの箱舟を露研究団が現地調査 潜水艦説も浮上
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/1039.html
投稿者 ほっくん 日時 2004 年 9 月 14 日 14:44:52:6f17C7oeuUdXU
 

(回答先: ノアの箱舟を露研究団が現地調査 潜水艦説も浮上【X51:2003年11月02日】 投稿者 ほっくん 日時 2004 年 9 月 14 日 14:38:18)

「宇宙の真相」の下記ページからの転載です。
http://www31.tok2.com/home2/slicer21/0-r-space-2882.html

******
★太陽のコメントNO1

アテネ・オリンピックが終わったと思ったら、台風・地震・飛行機の爆破・テロなどな どと騒がしくなってきました。

ひふみ風に云えば、風の神・岩の神・荒れの神などなどの5神が現れ出はじめた とも思える今日この頃です。

ミロクは これらの5神をともなって現れる出るとか!いかがあいなりますやら・・・・・・

これで、トルコ・アメリカのアララト山のノアの箱船の再確認の報告でもあれ ば、こりや〜本物とでも云わざるをえなくなりそうです。

(ロシア隊が昨年、それらしき物を発見しているわけですから・・・・)

アメリカとトルコの「アララト山のノアの箱船」の合同調査隊の調査報告がないかと 探していましたら、注目の調査隊の報告は 見つかりませんでしたが、下記のようなものが見つかりまし た。

下記の報告がらは 既に昨年2003年にロシア隊がノアの箱船の遺跡を発見してい ることになります。

そして、今回のアメリカ・トルコ隊は その追確認のような性格をもっていることに なります。

ロシア隊の報告から、 「ノアの箱船」は 潜水艦のように外部から水が内部へ入ら ないような構造になっていることが分かったと説明しています。

これは 当然のことで、大洪水の波が内部に侵入しないようにするには、どうしても 密閉構造になっていないと、内部の食料なども含めて保護できないからです。

また、ノアの箱船は、アララト山でなくて、アララト山脈・アララト山から約30k mくらい離れたいただきに漂着したようです。

それと、発見のヒントが石の碇(いかり)の遺跡であるという説明も説得性がありま す。 


★太陽のコメントNO2

昨年2003年にロシア隊がノアの箱船の遺跡を発見していることになります。

の記事について少し検討してその可能性を考えてみました。

{-まず私達のチームは、アララトに登る前に、ノアの箱舟伝説と関係したいくつか の麓を訪れました。これにはまず理由があるんですが、まず、ある興味深い事実とし て、古代アルメニア人は通常では考えられないような巨大な石を墓石として使い、そ こに十字架を刻む風習があったんですね。そしてこれがどうしてこれが重要かといえ ば、何故ならこれらの石は元々数世紀前に船の錘(おもり)として使われたものが使 われているんです。現に考古学者は地中海からこうした石をたくさん発見していま す。しかし、アララト山麓付近の石は非常に大きくて、大体通常の錘石の1.5倍から2 倍はあるんですね。この事実から麓において使われているその石が使われていた船は 普通の船よりも大分大きいという事を物語っているわけです。}

の記事の中に、碇(いかり)用の重石の石を使って墓石にしている。

それが、山麓に沢山あるという内容でした。

ここで、疑問が出てくるのです。

どうして、墓石に出来るほど沢山の重石が山麓にあるのだろうか?

どうして、高度の高い位置のノアの箱船は 残って、それ以下の山麓の船は 重石だ けを残しているのだろうか?

ということです。

この事実で、思い当たることがあります。

ノアが箱船を作る時代に、それ以外の魚業用などの船は無かったのであろうか。

また、ノア一人だけが箱船で離脱したのであろうかと考えると、ノア以外にも、多くの 漁業用・貿易の船も多数あったと考えるのが順当です。

そうであれば、これらの船もノアの箱船と同様に、離陸して・離岸して・地中海から 離れたと考えるのも当然になります。

その結果、多くの船がアララト山脈(その時は 島になっていた)に漂着した、と考える のも自然なことと思います。

諸世紀の預言には、今回のノアの大洪水を逃れるために、ペリシャ湾などの中東海域に 多くの船が集結している様子のものもありますし、事実、そのようになるでしょう。

そうすると、同じようにして前回の大洪水の時にも集結したかどうかは 別にして も、これらの海域にいた漁業・交易などの船舶は 生き延びたと考えられます。

それらの船の碇の重石がアララト山脈の山麓に多数漂着した船の遺物として見つかる のも当然とも考えられます。

ただ、不思議なのは、高度の高い所にある「ノアの箱船」は さておいて、他の山麓 にある船は 「どうなったのか?」「碇の重石だけ残して」ということです。

このことについて、私は「ノアの箱船は、残るように高い高度」になるように漂流 するよに誘導されたが、他の船は、そうではなかったのでは、と思っています。

ノアの大洪水は、加速モ−ドと減速モ−ドの二度あると私は分析しています。

最初の加速モ−ドの大洪水の時には、ノアの箱船は、アララト山脈に漂着しないよう に誘導されていたが、ほかの船はアララト山脈に誘導されたと思えます。

そうすると、最初にアララト山脈に誘導された多数の船舶は 漂着して、乗組員は  アララト島に上陸したと考えられます。

少しすると、最初の大洪水の水は退きますので、多くの乗組員は、大洪水が終わっ たと誤解してアララト山脈か低地へ降りていったと思われます。

なにせ、高地ですから寒いですし、食料なども含めていろいろとあると思われます。

ところが、数十日すると、第二の減速モ−ドの大洪水が発生します。

それに気がついたときは 全ての乗組員は、津波に飲み込まれて、海の藻屑となったと考え ると、その伝説が残らない理由も分かります。

当然ですが、これらの船は、高地ですから薪(食事・暖をとるマキとして燃やされ た)となったものもあるでしようし、第二の大洪水で流されて無くなったとなりま す。

そうであれば、アララト山脈の山麓に墓石に出来るほどの多数の碇用の重石だけが 残ったことも、その悲劇の伝説・神話も残らなかったこともうなずけます。

以上のように考えますと、ロシア隊の調査報告のなかに意外な情報があるものです。


★太陽のコメントNO3

ノアの箱船関連で調べていたら、【The Deluge】ノアの大洪水は実在したのか?
http://www.johos.com/joho/report/0015.htm

というペ−ジを見つけました。

面白い切り口からの記述ですが、最初から「数千メ−トルの大洪水など、存在しな い」という観点からの内容ですから結論は普通の内容です。


下記は 過去のノアの箱船の調査の記録です。(NO1)
http://newscience.air-nifty.com/blog/2004/06/post_9.html

ノアの箱舟は実在する

 旧約聖書によると、ノアの箱舟はアララト山に漂着したという。トルコのアララト 山でノアの箱舟を見たという証言が多数報告されている。ノアの箱舟は実在したので ある。

 アララト山は、標高5,165mで、夏でも溶けない万年雪と氷河で覆われており、氷河 の中に箱舟は埋もれている。

トルコ政府の調査隊(1883年)

 英国大使館員も含めたトルコ政府の調査隊は、地震による被害調査が目的だった。 アララト山は活火山で年に何度も大きな地震が発生する。彼らは氷河の割れ目、すな わちクレバスの底に巨大な木片のようなものを発見した。アララト山は非常に高い山 であり、木が生えるようなところではなく、巨大な木が存在するのは不自然である。 クレバスがいつ崩れ落ちるか分からない状態だったため、それ以上の調査を断念し た。

懐疑論者たちが見た箱舟(1850年)

 無神論者であった3人のイギリス人たちは、箱舟が存在しないことを証明するため に、箱舟を目撃したというアルメニア人のイアラムを案内人としてアララト山へ登っ た。イアラムは、巨大な船の一部が見えるクレバスへ案内した。巨大な船の一部を目 の当たりにして無神論者たちは息を呑んだ。無神論者たちはイアラムに、「われわれ が箱舟を目撃したことを誰にも言ってはならない。もし、漏らしたら、お前の命はな いと思え。」と口止めした。イアラムは、移住先のアメリカで死ぬまで、彼らとの約 束を守り通した。

 しかし、この事実を知る人物がもう一人いた。彼の息子のイアラムである。彼はま だ子供であったが、彼も口止めされていた。彼は、晩年になって死期が近いことを悟 ると、カリフォルニアの自宅においてくれたウィリアムス夫妻に事件の全貌を告白し た。ウィリアムス夫妻は、イアラムの話をどこまで信じてよいか分からなかったが、 ある日、イギリス人科学者が亡くなる前に語った新聞記事を目にして信じざるを得な くなった。その新聞記事によると、科学者は、仲間二人とアララト山に登り、地元の アルメニア人の案内によって、巨大な箱舟に遭遇した。恐ろしくなった3人は、アル メニア人に口止めしたという内容だった。

帝政ロシアの箱舟調査(1916年)

 帝政ロシアの軍人ロスコヴスキー中尉は、偵察機でアララト山上空を飛行中、北東 40kmの地点の氷河湖に巨大な船のような黒い物体が沈んでいるのを発見した。敵国ド イツの特殊潜水艦ではないかと考え、急いで基地へ戻り、クルバトフ大尉に報告し た。もう一度二人で確認に行くと、それは潜水艦ではなく、短く太い2本のマストを 持つ古代の巨船だった。大尉は、報告書をロシア政府に送り、調査を依頼した。これ を受けた皇帝ニコライ2世は、約150人からなる工兵部隊を組織し、大規模な調査を開 始させた。 調査隊は、巨船を発見し、巨船の正確な測量を行い、詳細な図面を作成した。写真 もあらゆる角度から撮影された。船体は長さ1ブロック(約200m)もあり、1/4は水面の 下に隠れていたが、舳先(へさき)の反対側には巨大な戸口が開いていた。巨船の内部 は何百室もの小部屋に分かれており、なかには巨大な恐竜を収容できるほど、異様に 天井の高い部屋もあった。本体はイトスギ科の夾竹桃(きょうちくとう)が使われ、そ の全面の隙間に天然樹脂が厚く塗り込められていた。この報告書は、すべてサンクト ペテルブルク(旧レニングラード)に送られた。 1917年2月、突如革命が起き、ニコライ2世は退位させられ、家族全員とともに銃殺 された。ロシア帝国は、共産主義のソ連となり、貴重な箱舟調査の報告書は行方不明 となった。

(「月の謎とノアの大洪水」学習研究社)
月の謎とノアの大洪水
著者:あすかあきお / 三神たける
出版社:学習研究社
本体価格:850円
参考記事:進化論は間違っていた
参考記事:ノアの箱舟は2つ存在する?
June 06, 2004 in 進化論と創造論 | 固定

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