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名前で呼んだとたんそれは呪になってしまう
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/818.html
投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 6 月 11 日 05:30:44:Ll6.QZOjNOr.w
 

(回答先: 『呪』の『この世で一番短いもの』は『名前』 投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 6 月 11 日 05:24:31)

風のトポスノート202
呪   http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/siso/toposnote/toposnote21.html

2000.3.19

 

「これを見ると、言葉が呪であるなら、その言葉を記す呪もまた呪である

ということがよくわかります」

「あなたの言い方をするなら、雨も泡(うたかた)も、本然は同じ水。見

た目の違いは、ただかけられた呪の違いにすぎぬということですね」

「ええ」

晴明がうなずいた。

(・・・)

「この世は、事物の本性たる仏と、そして泡のような呪とによってできあ

がっていると、そういうことでしょうかな」

謎をかけるように、寛朝が晴明に問うてきた。

「仏という存在もまた、一種の呪ではありませんか?」

(夢枕獏「陰陽師 生成り姫」朝日新聞社/P10-12)

 

言葉は数だという。数霊。言葉は呪であり、名も呪であるとすれば、呪とは数霊の魔術だということになる。

世界はマーヤであるというのも、世界は呪であるということをいうのかもしれない。世界はすべて数霊魔術の舞台そのものだということだ。

宇宙というのは時空のこと。時間と空間はほんらい別のものではないのだけれど、時間と空間という呪によって宇宙は展開されることになる。

古代においては、本当の名前は隠されていた。ほんとうの名前を知られてしまえば、その名前という呪を操ることができるからだ。呪術は呪という存在=認識の魔術なのだから。

式を使うというのも、事物に対してその呪を用い、それを存在化させるということにほかならないのだろう。

石が何かの形に似ている、植物の根っこが何かの形に似ている。そうした似ているということも、呪という観点からいえば、大きな意味をもってくる。

さて、「HNハンドルネーム」というのも、ひとつの呪であり、もちろん「HNハンドルネーム」の本名というのもまたひとつの呪である。「私」そのものではなく、ひとつの呪なのだ。「私」は名づけられない。名づけられないということによって、呪を免れる。名づけられるということは、呪にほかならないのだから。

私の名を呼んではならない。私はありてあるものなのだ。というのは、私の名を呼ぶなというのではなく、私は名前をもたない。私を偶像化してはならないということ。名前で呼んだとたんそれは呪になってしまうのだから。

そういう意味で、仏というのも「一種の呪」であり、アントロポゾフィー、アントロポゾーフというのも「一種の呪」である。そう呼ばれることで、「呪」となってしまう。シュタイナーはアントロポゾフィーという名称は毎日でも変えたい、といっていたということだが、おそらくはそういうことなのかもしれない。

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