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鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(10)【少年Aは異邦人である】
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投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 29 日 10:40:12:0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: 鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(9)【親友はサイコパス?】 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 29 日 10:36:05)

鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(10)【少年Aは異邦人である】
http://www.sweet-cupcake.com/sakaki_stranger.html


■「人間の命は、蟻やゴキブリと同じやないですか」――少年Cを殴った少年Aが、諭す教師に言い返した言葉です。何て恐ろしいことを言う子だと先生は思ったのでしょう、少年Aの怪物ぶりを表すエピソードとして、どの関連本にも頻繁に引用されている話です。

しかしですねえ。私は、この一言こそ、少年Aが淳くん事件の真犯人でないことを物語っていると思うんですよ。第一、こういうことを言う子は、まず「懲役 13年」の作者ではありえません。それに、いかにも世間ズレしていないというか、本質的に世間がその身に染み込むことはないのではないかと思えるほどの、少年Aのどうしようもない不器用さを、このエピソードは示していると思うのです。

「少年A」この子を生んでには、このAの言葉を教師から聞かされた時の母親の動揺が、以下のように記されています。

「人間の命なんか蟻やゴキブリの命と同じや」
Aが職員室で同級生を殴ったことで先生方に説教されていたとき、Aがそう言い返してきた、と先生から聞かされたのです。私は呆然としてしまいました。
「えーっ、『ゴキブリも人間と同じ一つの命や』言うてませんでしたか?」
「違います。そうじゃありません、お母さん」
「……」
Aは、家と学校ではまるで逆のことを言っていたのです。
以前から、炊事場でチョロチョロしているゴキブリを私が叩くのを見て、Aは、
「母さん、そのゴキブリにも一つの命があるんやで」
よくそう言ったものでした。
「分かってるけど、ゴキブリが外におったら、お母さんもむげに叩いたりせえへんよ。けど、家の中やったら、あんたらの食べ物とかにバイキンが入って支障が出るやろ。人間に害を及ぼすやんか。矛盾してるかもしれへんけど、家の中で見つけたら、お母さんも叩かんとしょうがないやろ」
Aはその後、何度かゴキブリについて食い下がってきました。
「でも、ゴキブリ一匹にも命がある」
半ば、私をからかっているような調子で、そう言い張りました。

1)人間の命はゴキブリと同じ。
2)ゴキブリの命は人間と同じ。

少年Aの中では要するに、1)と2)は同じことを意味していたわけですね。しかし世間ではそうではない。1)のように言う者はとんでもない悪人で、2)のように言えばシュバイツァー博士か聖人か、です。1)と2)は、果たして同じことなのか違うことなのか――この差が何から生じるかというと、それはひとえに「ゴキブリとは、いれば殺すものである」という意識を、その人が持っているかどうかです。

私たち一般は、ゴキブリとは見れば殺すものだと思い込んでいるから「人間もゴキブリと同じ」とは「人間も見れば殺すべきものだ、殺してもいいものだ」と述べていることになって、それで「何て恐ろしいことを言うんだ!」と、まるでモンスターにで会ったかのように戦慄するのです。

しかし「ゴキブリがいても別に殺さない」という人にとっては、殺さないという点においては、ゴキブリも人間も同じです。いつか死ぬという点でも同じ。だから、ゴキブリも人間も、命という点では同じだと言って、何ら差し支えはないだろう。少年Aは、そういうふうに考えていたのではないかと思います。別に殺人を正当化するために考え出されたことではないんですよ。事実、少年Cによる供述を注意深く除いてゆけば、少年Aの言動に殺人志向を感じさせるものは何一つありません。不登校の間には「絵の学校に行こうかな」などと、将来の希望を語っていたほどでした。

ゴキブリも一つの命だと、母親に何度も食い下がったことからして、少年Aはそうしたことを考えるのが好きだったのでしょう。人が「命を大切に」とお題目のように唱えながら、なぜ平気でゴキブリを殺せるのかがわからなかった。Aが友人を殴ったとき、おそらく教師は「友だちを大事に、命を大事に」みたいなことを言ったのだと思われます。そしたら、このテーマはAにとってはまさにツボでありますので、友人を殴ったこととはまったく関係なく「人間の命もゴキブリの命も同じではないか」と、偽悪を気取りながら議論を吹っかけてみた、そんな感じだったのではないでしょうか。

残念ながらというか、当然のことながらというべきなのか、そういう議論は「ゴキブリとは殺すものだ」と思い込んでいる教師には通じませんで、冷酷で恐ろしい子どもだという印象を与えただけで終わってしまいました。「ゴキブリは殺すものだ」とあたりまえのように受け入れる人々のほうが、そうでない少年Aよりも、私などから見れば、その分冷酷にも思えるのですが、それはさて置き。

問題は「人間の命もゴキブリと同じだ」と口に出すとき、世間の人がその言葉をどう思うのかを、少年Aが少しも理解していないところにあるのです。


■「ゴキブリとは殺すものだ」という世間の常識を共有せず「人間とゴキブリの命は同じ」と言い放ち、そのことで冷酷非情と思われて、猟奇殺人犯とまで見なされてしまうんだけれども、いったい自分の何が悪いのかは遂に理解しない――これはカミュの異邦人のテーマとまったく同じです。

「異邦人」の主人公ムルソーは「母親の葬式では泣くものだ」という世間の常識を共有せず、喪が明ける前に女と海で遊んだりして、そのことで冷酷非情と思われて、死刑判決まで受けてしまうんだけれども、いったい自分の何が悪いのかは遂に理解しなかったと。ほんとにまるきり、少年Aの場合と同じです。こんなことが、現実にほんとうにあるんですね。ひゃー。

そのように、少年Aが世間にとっての異邦人であることは、取りも直さず、彼が「懲役13年」の作者なんかではないことを意味します。少年Aの国語の力で書けるかどうかという話は別にしても「懲役13年」を作った人は、まあ、引用だらけといえばそうなんですけど、一応自分の書いてることがちゃんと分かっていたのだとすれば「モンスターは世間の人と同じ顔をしている」、つまり「真犯人である自分は、世間の人と同じ顔をしている」と述べているわけです。

世間の人と同じ顔をしているとは、世間的な価値観をよく理解している、ということです。真犯人は、世間の価値観を、本心ではバカにしているかもしれないけれども、少なくともそれがどういうものであるかはよく理解し、世間的な顔を被って生きているわけです。そういう人間は、まかり間違っても「人間の命はゴキブリと同じ」などと言ったりはしません。「人間の命はゴキブリと同じ」なんて、自分は世間の価値を共有せず、世間から浮いてます、という告白に他ならないではありませんか。

ですので「懲役13年」を、挑戦状を書いた犯人の作であると見なすことと、その犯人として「人間の命はゴキブリと同じ」などと言って平気な少年Aを持ってくることは、まったく整合性のない話だなあと思います。要するに、誰でもいいから捕まえてしまえば、平凡であっても非凡であっても「やっぱりモンスターとはそういうものだ」ということになってしまうのでしょう。ずいぶんいいかげんな話ですけれど、一般に事件が凶悪であればあるほど、スッキリとした道理は通らなくなってしまうというか、理性が事件の大きさに負けてしまうような気がします。


■結局ムルソーは、後悔の涙を流せば助かったんだけれど、そうすることの意味が理解できず、諾々と死刑になることを選びます。ここら辺も、少年Aが自白し、事実関係を争わないことに決めたこととダブります。「自分がやった」と警察で自白したときには、少年Aはまだ「人を殺したら死刑になるのだ」と信じていました。自分はこのまま死刑になろう。そんなふうな思いが、自白したときにはあったのだと思います。実際には、もっと混乱してたでしょうけど。

この自白の誘導は、実は違法でありまして、物証は何一つなく、筆跡鑑定でも同一人物であるとの判定は困難だという結果だったのに、警察が「筆跡鑑定でオマエがやったとわかった」と騙して自白させたのです(違法なので、この自白部分は、家裁では証拠物から取り除かれています)。後で弁護士から、筆跡鑑定の嘘を聞かされたとき、少年Aは「騙された、許せない」と怒ったそうです。

で、実際に審判の第一回目と二回目には、少年Aは罪状認否を留保するのですが、Aの絶望は、ここで終わるわけではありませんでした。弁護士の対応がスゴイんですよ。「これが大人なら無罪を主張して頑張るんだけれど、少年の場合は、そういうことで争うよりも、静かに反省させたほうが…」なんてね。頭から「やっている」と決めつけてるわけです。ちょっと資料を調べれば、Aがやったんでないかもしれないくらいの疑問は出てきそうなものなのにねえ。そのうち少年Aのほうで「もう疲れたから全部認めます」と言い出して、それで今に至っています。

「騙された」というのも、弁護士としては「少年Aは、直線文字を使って筆跡を変えて書いたのに、それでも警察は見破った、そうした警察の力量を尊敬していたのに、その尊敬の理由が嘘だった、だから少年Aは怒った」みたいに、Aがあくまで警察に挑戦したかのように受け止めているようです。そうじゃないだろと。筆跡鑑定でわかっていると言われて自白したのは、少年Aがなぜか、筆跡鑑定の結果を非常に動かしがたい、DNA鑑定みたいなものだと思い込んでいたからでしょう。だから、それで同一人物だと言われると、もう逃げ場はないと思った。それでやってもないのに、死を覚悟して自白したんだと思います。

そうして「騙された」と訴えても、弁護士からは「でもやってることはやってるんでしょ」という態度しか得られない。恐ろしい話です。たとえば、自分とは何の関係もない殺人事件なのに、自分の周囲の人が全員「アンタがやったんだ」と、スゴイ確信を持って迫ってきたら。「やったんじゃない?」なんていう疑問ではなく「やったに決まっている」という主観的な思い込みでもなく「やったんだ」っていう客観的事実でもって迫ってくるのですよ。「証拠だってあるんだ」といって。そうなったらもう、絶望に身を任せるしかないんではないかと思います。

猟奇事件をやったとされることは、頭がおかしい、ビョーキだ、と言われることでもあります。「カッコーの巣の上で」の主人公みたいに、おかしくないのに、おかしいとされてしまうのです。その人自身を素直な目で見るのではなく、病院という場にいるんだからおかしいに決まっている、という論理。少年Aもまた「現に捕まってるじゃないか」という理由だけで「やってるに決まっている、おかしいに決まっている」とされてしまいました。

少年Aが犯行をやったのだとなると、幾つもの矛盾が噴き出してしまうのに、にもかかわらず、そんなものはすべて無視して、とにかく最初に目についたからといって犯人に仕立て上げてしまうのです。理性が事件の大きさに負けると書きましたけれども、核爆弾の光が一瞬にしてすべてを焼き尽くすみたいに、人の首を切って晒すという想像を絶する暴力が、裁く者、裁かれる者、すべての人間性を、どこまでもボロボロに滅ぼし去ってしまったかのような感があります。


■精神病院といえば「カッコーの巣の上で」に加えて、もう一つ思い出すのが「エンジェル・アット・マイ・テーブル」です。ニュージーランドの作家ジャネット・フレイムの自伝物語なのですが、私が見たのはケリー・フォックス主演の映画でした。

このジャネットさん、先生にラブレターを書いたら「頭がおかしい」と思われて、精神病院に8年間も入れられてしまうのですね。で、いよいよ明日はロボトミー手術というときに、出した本が賞を取って無事退院。その後も人間関係がうまく結べないなどと悩んで、あちこちのカウンセラーをハシゴしたりしてるのですが、どのカウンセラーの頭も「人とはうまく付き合うべきである」という常識から離れることがありません。

そんな中、最後に辿り着いた精神科医が「人とうまく付き合えない? だったら付き合わんでよろしい!」と断言します。この一言でジャネットさんは解放され、安んじて作家としての道を歩むことになるのです。

このエピソードを思い出すたびに、私は、精神科医とかカウンセラーにとっての、世間的な常識の意味について考えてしまいます。「人の命はゴキブリと同じです」と聞けば、即座に「何て恐ろしい独我論なんだ! その考えは改めなければならない。人間の命は、ゴキブリなんかよりもずっとずっと大事にされなければならないんだよ」などと反応する、そんなことでいいんだろうかと思うんですね。

人間の命は何よりも尊いとは、人間が勝手に決めたことで、見方によっては、それこそ独我論だと言われても仕方がないでしょう。精神科医のみならず、私たち一人一人に、世間の常識を世間の外から眺める視線があったならば、14歳の少年を寄ってたかって無実の罪に陥れるような過ちは、あるいは回避できたのではないかと思うのです。

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