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日本国憲法再読―憲法第9条を持つ国家[public-peace/ブナ林便り]
http://www.asyura2.com/0403/war54/msg/483.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 03 日 05:01:37:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 憲法改正:米国は日本の軍事的役割の拡大を期待 [The Japan Times] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 03 日 04:45:38)

○shigemitsu hisamatsu p.p> 皆様 小林先生はじめ皆様、29日の「平和への結集」本当に有難うございました。惜しむらくは、第3部で、もう少し会場の皆さんとの議論の時間が取れれば、よかったと思いますが、これはまた別の機会を楽しみにしています。ともあれ「平和への結集」が一歩踏み出せて、皆さんから元気を貰って、山梨でもこれからもアクションをおこしていこうと思っています。ところで、5月3日は憲法記念日で、素人の独り言のように、第9条への想いを綴って見ました。お時間があるとき、ご照覧くだされば、嬉しいです。
日本国憲法再読―憲法第9条を持つ国家―
「9条を変えてしまうというのは戦争のない世界を求める全人類の希望を踏みにじるものだと思う。何とか食い止めてほしいが、私にはどうすべきかという提案はできない。9条をかえようという動きを止めることができるのは日本の人々だけだ。」
        「第9条の会・USA」 チャールズ・オーバービー
日本国憲法では、第1章の1条から8条までがいわゆる天皇条項で、第2章の9条で戦争放棄の条項が来ています。この二つの条項は、実に折り合いが悪く、戦後常に論争の種になってきました。かたや天皇制批判とかたや第9条押し付け論が、がっぷり四つに組んで、停滞してしまっているように感じるのは、僕の政治音痴のせいでしょうか。最近では、小森陽一氏の「天皇の玉音放送」は、天皇はじめ戦後政治を操ってきた保守政治家たちの前大戦への反省の欠如が、今日のような反動化の状況を招来させたとする歴史的考察は、その通りに思われ、その限りで氏の主張に反対する理由は全くないのですが、氏は、第9条の世界史的意味を貶めるつもりはない、と但し書きをつけつつ、第9条が、天皇制維持のために、天皇条項と引き換えに生まれた歴史的経緯を、縷説しています。歴史の批判的継承が、きわめて重要であることは、論を俟たないと思うのですが、こうした歴史的考察から、教えられるところは多々あったとはいえ、第9条押し付け論の次元とあまり変わりなく、現時点では僕には「水掛け論」を誘発するだけで、あまり有効な論の展開には思えませんでした。それよりも第9条の世界史的意味を、もっと強調してほしかったと思いました。僕は、憲法第9条成立の政治史的経緯が、如何なるものであれ、第9条の成立は、天皇条項の成立とは、異なった次元に立っている、と思っています。第9条は、天皇条項の対立項ではなく、それよりも上位に来るべき条項であると思っています。その意味では本当は、第9条ではなく、第1条に来るべきものだ、と思いますが、べートーベンにも第9シンフォニーがありますから、この際第9条でもいいことにしておきます。そこで第9条についての私見を、いま少し詳述したく思います。
まずは、いつも対立項として、捉らえられる国家と個人の関係です。国家を動かす権力を握ったものは、個人の生殺与奪権をほしいままにしてきました。今でもそうです。現在イラクで行われている侵略戦争を見れば、それは明らかです。国家と個人の関係は、社会主義国家においても、資本主義国家においても、等しく該当するものであったことは、この何十年かの歴史が、証明してしまいました。 そこからは、「汝殺すなかれ」という個人の倫理は国家に帰属するものではなく、むしろもし国家が倫理性を帯びてきたとすれば、先駆的な個人の倫理の止揚があっての結果である、と思っています。そして日本国憲法第9条もそうした先賢たちの叡智の結晶であった、と思っています。
 既に1795年にカントは、その『永遠平和のために』の第1章、第3条項、第5条において次のように言っています。
『第3条項 常備軍は、時とともに全廃させなければならない。なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、他の諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。常備軍が、刺激となって、たがいに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが、先制攻撃の原因となるのである。そのうえ、人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう。』『第五条 いかなる国家も、他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。』
カントは、つとに軍備の拡大は、先制攻撃の原因になることを看破していますが、第9条は、こうしたカントの提言に齟齬しないばかりか、それをも凌駕しています。今日、第9条押し付け論が声高に喧伝されていますが、(本当は第9条が押し付けか否かなんていう政治史的次元は、第9条の内容そのものの重要性をなんら損なうものではないと僕は思っていますが)、もし押し付け論の立場に立って言うならば、アメリカから押し付けられたのではなく、人類の何千年かの叡智(具体的には第9条の起草に関わったアメリカ人と日本人の心に宿った叡智)が、アジアにおける死者、2000万人の加害者であると共に世界初の原爆の被害者でもある日本という『国家』に、押し付けたものと思っています。言葉を換えれば、非道なる国家に向かって、どうか『国家』よ、倫理を持ってくれ、という人類の叡智的な意志が、あまたの死者たちも含めて人類の悲願を、加害者であり同時に原爆の被害者でもある日本という島国に委託したのではないでしょうか
思い起こせば、アジアの片隅から突然近代化を遂げ、西欧列強に伍して戦争に明け暮れ、そして人類絶滅の究極的兵器である原爆を投下され、その後これまた人類の究極的悲願であった『戦争放棄』の憲法を持つに至った、ちっぽけな島国にすぎない日本の運命は、やはり数奇なものといえないでしょうか。僕は、そこに世界を凝縮した象徴的意味あいを感じます。僕は、憲法9条は、原爆投下と表裏一体になっている、と思っています。もし原爆投下がなかったら、憲法9条も生まれなかっただろうと考えていましたところ、先日、知人から借りた「国際法から世界を見る」という本の中の「国際法における日本国憲法」という節で、日本国憲法は、悲惨な被爆体験を踏まえて起草されたものであると説明され、当時の憲法改正案委員会委員長を務められていた芦田均の次のような言葉が引用されていました。
『我が新憲法の如く、全面的に軍備を撤去し、総ての戦争を否認するとこを規定した憲法は、恐らく世界に於て之を嚆矢とするでありませう。近代科学が原子爆弾を生んだ結果、将来万一にも大国の間に戦争が開かれる場合には、人類の受ける惨禍は測り知るべからざるものがあることは、何人も一致する所でありませう。我らが進んで戦争の否認を提唱するのは、単り過去の依つて戦争の忌むべきことを痛感したと云う理由ばかりではなく、世界を文明の壊滅から救はんとする理想に発足することは云うまでもありませぬ。』
経験則によらない純粋理性の行使の結果生じた原爆によって今や人類絶滅が実現可能となった現実に直面した衝撃から、物質の法則に対峙しうるもう一つの霊性(精神とはいいません、なぜなら精神は今やニヒリズムに陥っていると思われますので)の法則として、第9条が、生まれたことがここでは明確に述べられています。そして芦田均は、世界を文明の壊滅から救はんとするという第9条の持つ能動的平和主義を明確に自覚していました。ということは、起草者が意識していたかどうかは分かりませんが、第9条は、物質からエネルギーを解放してしまった近代科学的理性をも包みこむより大いなる理性=霊性を要求しているように思えてなりません。そしてその成立の契機も、これまで権力装置であった国家に付与しようと思っても、どうしても付与できなった条項が、原爆投下のリアクションとしていわば奇跡のように与えられた、と思っています。第9条は、日本にとってばかりでなく、人類にとって途方もなく獲得困難なものであった、と思います。その証拠に、1999年のハーグ・平和アピール世界市民会議は、その「公正な世界秩序のための10原則」の中で、『全ての国の議会は、日本国憲法第9条にならって、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである。』と謳っています。
誤解を恐れず言えば、第9条によって、史上初めて国家に『聖性』が付与された、と言いたいくらいです。言葉を変えれば、公正と平和を求める個人の永年の願いが始めて国家に反映されたのが、第9条だと言いたいのです。日本国民でありながら、世界市民へと通じる回路をこの第9条は、開いていると言いたいのです。他の国家では、最終的に国家の暴力装置である軍隊を、容認しているわけですから、軍隊を否定した日本は、この時点で、従来の「国家」像から抜け出し、国家の新たな実存形態を模索しなければならなかったはずなのです。憲法第9条は、究極の条項であるため、僕たちの日常の功利主義的意識との対決を迫ると同時に人類に新たなリアルを提示している、と思います。しかし第9条を生かすこともしない内に今やこのリアルを見失い、現実主義という名の非リアルに退行しようとしています。(今日言われている現実とは、仏教では餓鬼道の現実であり、イスラームの神秘思想では、ナフス・アンマーラという最も意識の表層の現実に過ぎません。第9条は、もっと深いリアルに通じています。それに意識の深まりを要求する法律の条文なんてめったにあるものではない、と思っています。)そしていつの間にやら核兵器も日常性の中に埋没してしまい、徐々に第9条に疑いの目が向けられるようになってしまいました。僕には第9条は、霊性を抜きにしては保持できない、と思われるのですが、それを保持できない日本の悲劇の一因は、次のところにあるのではないでしょうか。
1)戦前のファナティックな精神主義に懲りた日本人は、今度は科学主義(科学とは別物)という別の信仰に転向した。
2)戦後すぐに過去の亡霊たちが、帰り咲きその後ずーと政権を維持し、旧来の権力はこの第9条がどうしても邪魔なため、これを骨抜きにした。 
3)、僕たち民衆は、戦前の体験から国家を忌み嫌い、また第9条に敵対する政権のもとで、益々第9条と現実の乖離が進むなかで、政府=国家という、図式から逃れられず、新しい国家像について思考することを、禁忌にしてきた。
政府(勿論そうした政府を追放できない私たち)が、第9条の有名無実化を推し進めた結果、今日「普通の国」に戻りたい、という風潮を政界や御用学者、そしてマスコミが挙って喧伝していますが、例えてみれば、誰も手に入れることができない貴重なダイヤモンドを持っている人が、他のみんなが持っている石炭の方が、どうも役に立ちそうに見えるので、ダイヤモンドと石炭を交換しようとしている姿に、似ています。ダイヤモンドの価値を知っている人は、止めろ、止めろ、というのですが、そのひとは、どうしても石炭がほしいらしい。なんと無欲なことか。ところでダイヤモンドは、価値の分らない人に持っていてもらっても、しょうがないから次の逗留地を捜すでしょう。さてダイヤモンドと石炭を交換した人は、もしダイヤモンドを手放してから、それが途方もない価値があったことに気づいたとしたら、悔恨の情に苛まれることになるでしょう。もしちっとも気づかないならば、それはそれで、そもそもダイヤモンドなどもともと縁がなかった、猫に小判ということでしょう。
さて日本は、憲法第9条を放棄して、より幸福になれるでしょうか。曲がりなりにも僕たちは、58年間平和憲法の庇護のうちに生きてきました。きっと無くなってしまったら、その有り難味に気づくことになるでしょう。それだけではなく人類の叡智と何千万もの死者たち、そして未来からの委託を果たせず、「良い」ものを「悪い」ものと交換した者は、もはや何の羅針盤もなく、空虚の中を彷徨し、必ずや内側から崩壊していく、と僕は思っています。
ところで日本は、立憲主義に依拠しているはずです。立憲主義の根拠が、個人と国家との契約であって、その根本原則が、「権力を、縛り、市民が国家に責任を果たさせ、政府に法を守らせる」のであるならば、今こそ自由な市民に備わっているこの権利を行使する時と、思われます。平和主義に立つ憲法は、『平和運動』の側にあります。如何に憲法と現実が乖離しようとも明文改憲されない限りは、憲法第9条は生きています。
先日、公共哲学で千葉真教授は、ワイマール憲法が瓦解して、ナチスが出現してきた状況を、現在と比較して、嘗てはならず者は、街頭のデモの方にいたが、今は、法の中にいる、逆ファシズムの状況にある、と言っておられました。たとえ裁判所が、私たちの訴えを門前払いしようと、法の番人であるはずの者が、法を守らないのであって、私たちの訴えの正当性は、法的にみても決して失うことはないでしょう。
そして憲法そのものが、僕たちにそうした「積極的な平和主義」を要請しているのではないでしょうか。だからこの『違憲訴訟』は、僕にとっては、第9条の思想内容の体験となる、と思っています。
追記:これは、僕個人の観点からみた第9条に対する思い入れで、我ながら第9条原理主義と呼ばれても、しょうがないなー、と思います。でも僕は、複雑な人間性の矛盾を無視するかのように言い放たれた未来社会の戒律のごときこの第9条の文言が、好きでなりません。この原理主義は、戦争に至るようなあらゆる原理主義の超克の上に成り立っている原理主義であると思っています。でも原理主義は、やっぱり嫌ですので、今度は、如何にして原理主義を乗り越えるかを考えてみたく思っています。

http://members.jcom.home.ne.jp/pinuskoraie/0305.htm



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