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映画『日本心中――針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。』天皇コラ
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/968.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 11 月 19 日 03:05:23:HcDLIonJaW4jM
 

【イントロダクション―――手ポリオ独白】
♪『心中日本』という歌が「放送禁止歌」で出てきたので調べていたら、『日本心中』という映画が出て来た。調べてみたら、これがすごい!天皇制のタブーを突く、命がけの問題であった!まさに日本と心中!。こういうことを触れなくさせ封印するこの風土!これでは戦争責任どころか、いつまでたっても戦争・軍事構造に無言の追認を、“世間”が自ら、してしまっているばかりだ。つまり、戦争構造はずっと日常の中で続いている。こういうところを追求していかなければ、何も変わらない。反戦運動は何をやっていたのだ?反戦団体自体が知らないか・知らないふりをするか・知っていても避けようとする。反戦運動は、きれいごとのピース・パレードや、建て前の集会を開いて能書きを言ってんじゃねえよ。お前も実践してみろよ、バカヤロー。反戦団体とその個人がこれでは“世間”や“マスコミ”は、さらにひどい。だから、うわべのラブ&ピースじゃダメだと言うのだ。私の心の中は自由だから、なんでも思っちゃおう。書いちゃおう。

なお、長谷川きよしの♪『心中日本』については下記参照。
■沖縄国際大学ラジオゼミFMたまん「放送禁止歌」プロテスト・ソング(社会抗議唄)
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/900.html
「心中」という忌まわしい言葉と、畏れ多くも「日本」という神聖な言葉を組み合わせること、そんなことダメだと、放送禁止歌に指定された。ならば、映画『日本心中』も当然××××。それとも、また「日本ノ心ノ中」か?
・・・長谷川きよし「盲目のプロテスト・フォーク・シンガー」ってことで、これはこれで、ひとつのテーマにはなるが、障害者福祉問題もすべて反戦・反優生思想に結び付けねば意味がないと思っているので、取り上げない。それより今は、針生一郎・大浦信行・山下菊二・森達也・小倉利丸、脳性マヒの遠藤滋さん、そして、太陽肛門スパパーンだ!それと、ヴェラ・リンもね♪
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【本文】   ★禁断のポスト・アバンギャルド映画★
『日本心中――針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男。』2001年 製作・国立工房 106分 Nippon Suicide Pact
---針生一郎(はりゅう いちろう)・異端の批評家が痛魂の言葉で日本を切り裂くドキュメンタリー。---
       “わたし針生一郎は、日本と心中する覚悟で生きてきました。”
ホームページ http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.nihon.html
禁断のポスト・アバンギャルド http://www.acic.kyoto-art.ac.jp/event/nihon/nihon.html
      ・推薦のお言葉…港千尋「山口百恵とベンヤミンが一緒に出てくる唯一の映画。」
              若松孝二「この映画には”怒り”が溢れている。」 ほか。 
DVDやVHSも出ていないみたい。??

■監督・脚本=大浦信行=美術家。1949年富山県生まれ。
昭和天皇と骸骨や裸婦や原爆などを組み合わせた版画(コラージュ)シリーズ「遠近を抱えて」を製作。略して「天皇コラ」。展示禁止され、裁判となる。
http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.seisakuito.htm
★ビデオ「遠近を抱えて」(1995年・87分)
http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.kanntoku.htm
★大浦信行「天皇版画シリーズ『遠近を抱えて』」作品ページ(全14点)→ http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.oourahannga.htm  

■大浦信行 監督メッセージ http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.kanntoku.htm
 近代日本の闇を突き抜けて、改めて立ち表われてくるもの。圧殺され、否定され、周縁に追いやられた果てに、忘れ去られてしまった遠い民衆のエネルギーの発露をここに具現化する。日本――夢の果てまで。…
 それらの事柄を、天皇制に支えられた戦後日本の50数年を、美術・文芸・社会評論を通して闘い抜いてきた現在(2002年)77才の批評家・針生一郎の言論、対談をたどりながら見つめ直したいと考えた。
 それらの考察を通して、近代日本が抱え込んでしまっているねじれと歪みを伴った“近代の二重構造”、すなわち天皇制を軸とした権力が造り出す制度としての「生者の歴史」と、それにあらがうかのようにして、この社会と制度の底辺に脈々と流れ続ける民衆の血の色をしたもう一つの歴史、すなわち、打ち捨てられた歴史の断片・断片を拾い集め、やがてそれらが織り合わされ、「星座」を構成する中から生まれる民衆の「哀しみ」が造り出す「死者の歴史」。…
 この日本のアイデンティティについて問い直すと同時に、韓国・朝鮮、中国、シベリアを含む「東アジアの原型」を浮かび上がらせたいと願った。130年前、国家によって移植された制度としての西欧近代合理主義の名のもと、今日までやみくもに突き進んできたこの日本が今、その従来の機能を失い、疲弊したかに見える現状の中で、私たちを取り巻く社会の体系や制度、歴史に対して再検討をせまられている。
 …このドキュメンタリーは、…「血の色をした針生一郎」を通しての、「触覚日本論」である。

■インターネットテレビニュース KNB北日本放送(富山) 2001年1月13日18:00のニュース
大浦信行「昭和天皇コラージュ訴訟で2000年10月に最高裁で敗訴した元原告団が10年におよぶ活動をふりかえる集会の報告」大浦監督の出身地での展示拒否事件。
http://www2.knb.ne.jp/news/20010113_04.htm ←このニュースは、パソコンで今でも見れる。

■CINEMA TOPICS ONLINE http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=3175
監督の大浦信行は、1970年代滞米中、ニューヨークにおいて天皇を主題とした版画シリーズ「遠近を抱えて」(14点連作)を製作した。1986年、富山県立近代美術館は、3点を購入、4点の寄贈を作者に要請し、7点を収蔵。同年3月から4月にかけて、「86富山の美術展」に展示、同年6月富山県議会で、自民・社会両党議員、さらに県内外の右翼が作品を「不快」であると批判。この批判を受けて、当時の館長は作品の非公開、カタログの販売停止を決定。1993年4月、富山県は突如、作品を匿名の個人に売却し、カタログ470冊を全て裁断・焼却する。1994年、作品の買い戻しとカタログの再版を求めて提訴。96年10月16日の証人尋問で、楠顕秀氏(非公開時にも長年、富山県教育長をつとめ、その後売却・焼却時には富山県立美術館長だった)は、戦前的な価値観を反省もせず公務の現場に持ち込んでいる人物、つまり右翼だと判明。 http://www3.toyama-u.ac.jp/~ogura/another_world/toyakin/kusunoki.html (教科書問題、日の丸・君が代問題などにも通じることだ!)…しかし、裁判は美術館側には過失はなかったとして…全面敗訴。
そして今回、大浦がそれへの返答として、近・現代のねじれと歪みを己の痛みとして抱え込んで苦闘する針生一郎を通し、『マンダラ映像宇宙』を彫り上げた。
日本の地霊と化した舞踏家・大野一雄・慶人親子。封印され今だに公開されない山下菊二の天皇制批判絵画。韓国の民衆抵抗画家・洪成譚。キーファーの廃虚の像。女体に掘り刻まれる太夫の刺青。そしてアングラの女王・中山ラビが奏でる鎮魂歌・・・
■富山県立近代美術館検閲訴訟HP http://www3.toyama-u.ac.jp/~ogura/another_world/toyakin/toyakin_intro.html (報告者・小倉利丸さん)
■天皇の尊厳を押しつける自治体との闘い―富山県立近代美術館裁判一審判決をふまえて―小倉利丸(富山大学教員)
〜(大浦信行と山下菊二)「aala:alternative autonomous lane No.13」(1999.2.20)
http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_13.html#Anchor124818
・・・富山県は、戦前の天皇制の継承関係を容認し、その尊厳の絶対性を主張する・・・戦後、不敬罪は刑法から削除されたが、そのかわりに、公的な権力は自己努力として、不敬罪的状況の徹底した排除を巧みに実行してきた。・・・美術館は、あいかわらず天皇をタブー視し続けるだろうし、図書館の選書に目に見えないバイアスがかかることも日常的にありうるだろう。学校教育や社会教育に関しては、言うに及ばない。こうした、行政の文化政策に込められた見えざる検閲との闘いが、裁判闘争以外に重要になっている。

【主な出演者】 http://www.interq.or.jp/leo/lgallery/default.syutuen.htm
■針生一郎(はりゅう いちろう)美術、文芸、社会評論家。1925年(大正14年)仙台市に生まれる。戦前、学生時に「日本浪漫派」の保田與重郎に強い影響を受け、戦後は一転、左翼思想に転向し1953年(28才)日本共産党入党、同時に戦後美術批判を展開するが、1960年(35才)安保闘争では共産党指導部を批判し除名される。1962年〜ベンヤミンへの傾倒のもと、ダダイズム、シュールレアリズムの理論を手がかりに、権力が造り上げた構造的暴力としての「生者の歴史」ではない、もう一つの「神話性」と「古代性」、「呪術性」に裏打ちされた民衆のエネルギーの結集によって造り上げられる歴史の概念による、横の拡がりをもった「死者の歴史」の視点に立って、この日本社会の制度を変革しようと試み続ける。(後略)(昭和と年齢が同じ。)丸木美術館館長。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4874153356/qid=1098176735/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-2276401-7280230
■大野一雄(おおの かずお)舞踏家。1906年北海道函館生まれ。現在98才。暗黒舞踏派の第一人者。その舞踏世界は、肉体の動作を虚空に放射しながら、そこから生まれる純粋無垢な世界の表出によって、魂のドラマを爆発させる。
■大野慶人(おおの よしと)舞踏家。1938年横浜生まれ。父は大野一雄。人間の心の奥深くに潜む暗黒の「闇」と「混沌」を、舞踏を通してこの現実世界に確実なものとして提出し、白昼の真っただ中に突きつける。
[★「身障者の劇団・態変」を主宰する在日コリアン女性・両手両足背中ポリオ障害者・金満里(キム・マンリ)のひとり舞台『ウリ・オモニ』(私のおかあさん)1998年の、監修・大野一雄、振付・大野慶人]
http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/omoni/omoni.htm  http://www2.osk.3web.ne.jp/~akamev/

【参考】
■ヴァルター・ベンヤミン(1892−1940)Walter Benjamin ドイツの文学・哲学・社会科学者。ベルリンのユダヤ系。アメリカへのがれる途上、フランス・スペイン国境のスペイン側の町ポル・ボウで死んだ。自殺と推定される。
ベンヤミン著『複製技術時代の芸術作品』(1936年)ポストモダン論の嚆矢。(岩波現代文庫・2000年・945円) http://www.kcn.ne.jp/~tkia/monogusa/mmh-09.html 〜オリジナルとミメーシス、デジタル時代、著作権の瀕死、ポストモダンへの跳躍。巨大なMS(マイクロソフト)のOS(オペレーション・システム)帝国の牙城に、いまや迫ろうとしているLinux―OSには著作権を主張するような「作者」はいない。著作の共同性・・・。
■保田與重郎(1910−81)(やすだ よじゅろう)日本浪漫派。日本帝国主義のアジア侵略における思想的支柱として援用されもした。

★『日本心中』続編 撮影続行中!
そこでは9・11同時テロを、人間の根源的な魂の希求する「自由」の問題として見つめ、そこからフィードバックされた地平に浮かび上がってくる日本の戦争記録画へと到る映画が構想されている。針生一郎の言説・対談と、大浦信行のイマジネーションとがどのような衝突と融合を果たし得るのか、新作の完成が待たれる。
(金満里も出るといいな?出ないけど…)
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【追加資料ほか、ご参考】

■「大浦信行と森達也(映画監督)のトークライブ(タブーと自主規制)」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~artnorth/subkatono.html

■富山県立近代美術館・図書館事件裁判の成りゆきの本
『ず・ぼん』1(図書館とメディアの本)特集:ある自画像の受難1ある自画像の受難 1994/07(ポット出版2000円+悪税)(このごろの出版流通(1)『週刊金曜日』の流通、なんてのも載っている。 http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-939015-04-1.html

■「丸木美術館」1967年創立 埼玉県東松山市下唐子1401  http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
丸木位里(夫)1995年10月19日没、94歳。
丸木俊(妻)2000年1月13日没、87歳。   
《日本のゲルニカ》「原爆の図」「焼津とビキニの図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣の図」「(日独伊)三国同盟から三里塚までの図」「沖縄戦の図」「足尾鉱毒の図」「天安門事件の図」「原発の図」「チェルノブイリの図」・・・
「企画展」現在開催中のものと、2005年のご案内→ http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/kikaku.htm

■丸木美術館−企画−「“Piece For Peace2003”展―戦争をこえるために―大浦信行・嶋田美子・鷲見純子」2004.1.6.〜3.6.(2.11 作家トーク3人+司会:針生一郎) http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2003/pfp.htm

         3人の出品作家について   針生一郎(美術評論家・丸木美術館館長)

大浦信行は1970年代滞米中、自己のアイデンティティを自画像ではとらえきれず、昭和天皇、仏像、浮世絵、レオナルドの人体解剖図、ミケランゼロの群像彫刻など、既成写真をモンタージュした版画《遠近を抱えて》14点を制作した。
これが富山県立近代美術館の〈'86富山の美術〉展に一部展示され、3点が美術館買い上げ、4点が作者寄贈となった。
ところが会期後、富山県議会で「昭和天皇を裸体などとならべて不快な作品」と論議がおこると、右翼が大挙富山に集まり、「大浦作品追放」「美術館長罷免」を叫んだ。

美術館としては大浦作品の評価を堅持して、県議会から右翼まで説得するほかなかったのに、「大浦作品を資料として収蔵するが、当分公開しない」と曖昧な線で妥協をはかり、その後も右翼の県庁知事室へのなぐりこみ、〈'86富山の美術〉カタログの破りすてが続いた。
結局89年春、美術館は大浦作品を民間の匿名個人に払い下げ、〈'86富山の美術〉カタログ残部を裁断した旨、新聞社の追及に追認した。

わたし自身は、中国人捕虜と昭和天皇や軍部首脳を対照した山下菊二の連作にくらべて、《遠近を抱えて》は天皇制批判はあやふやだが、天皇を自己の外部ではなく内部に見た点が新しいと見る。
しかも、天皇制批判を含む言論表現の自由は、占領軍指令から新憲法に至って全面保証されたのに、天皇制批判だけは右翼とのトラブルを避けるため、マス・メディアも公共施設も実質上タブーとしている現状はみのがせない。
そこで大浦らとともに原告に加わり、富山県と美術館を告訴したが、一審判決は「非公開」を美術館の宰領としながら、特別許可を得て別室での観覧を拒むのは不当と、県側にわずかな罰金を科するものだった。
だが、これを不服として上告すると、高裁、最高裁とも県側全面勝訴となった。

大浦自身はこの裁判中に、自分の性慾史を例によってモンタージュして、映画《遠近を抱えて》を製作した。
そして裁判に敗訴後、戦争中は右翼で天皇絶対、戦後は左翼で天皇制廃棄論となったわたしに貫流するものを認め、映画《日本心中―針生一郎 日本をかかえこんだ男》を製作した。
とはいえ、伝記映画のつもりはなく、わたしの言説を日韓の文化風俗とモンタージュして、観客に自由に物語を紡ぎ出させるのが大浦の意図で、「圧巻は大野一雄・慶人親子のわずかな舞踏だ」、あそこに戦後思想の肉体化がある、という鶴見俊輔の指摘もある。

嶋田美子は・・・戦争中の女を従軍慰安婦と軍国の母、被害者と加害者にわけるだけでなく、どちらにも加害・被害の二重性が含まれていることに気づいた。すると、支配体制は変わっても、今日まで女は変わらず面従腹背のヴェイルを、戦略的にかぶりつづけてきたこともみえてきただろう。だがそういうヴェイルが国家戦略に組みこまれるまで強化されるのは、やはり民族対立が激化・深化するときである。・・・(以下略)

鷲見純子は・・・一貫して反戦平和の主題を、感覚と経験のなかで深め、もともと描ける作家だけに、急速に宗教や神話の世界に近づいてゆく。・・・(中略)・・・個人にかぎらず民族や宗教も、個別性と差異を徹底的に自覚してこそ、和解と協同の道をみいだすことができる。そういう目標は遠くかかげて、まず鷲見純子に個別状況を調べる芸術家へと転身してほしい。
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■山下菊二(1919-86)徳島県三好郡辻町(現在の井川町)生まれ。1937年香川県立工芸学佼鋳金科を卒業、翌年上京して福沢絵画研究所に学んだ。1939年12月から2年間台湾、中国で兵役に服し、1945年に再度召集を受けた。・・・はじめ福沢一郎についてシュルレアリスムの表現法を学んだ山下は、戦争体験を通して政治への関心を深めた。彼の画業の基調になっているのは、日本人の生活や意識にひそんでいる封建的なものや非合理的なもの、それと結びついている政治体制への批判的、風刺的告発である。1953年「第一回ニッポン展」開催。同展に山下菊二の「あけぼの村物語」が発表され、日本のシュルルポルタージュ絵画がひとつの到達点に達する。1970年日本画廊では「叛軍コラージュ」、1976年ギャラリー・ヤエスでは「戦争と狭山差別裁判」と題する個展などを開いている。
山下によると、1939年に召集され従軍した中国南部の戦線で筆舌に尽くし難い残虐行為を目撃し、山下自身も加担することを強いられたといいます。(中国の戦場で捕虜をむりやり銃殺させられた。)戦地では上官の命令に逆らえるはずもなかったのです。しかし戦後になって、ごくわずかながら命令を拒否した兵士がいたことを知り、なぜ自分にそれができなかったのかと問い詰めていきました。そして戦争という極限状況に人間を追いやった背景には、古い因襲や伝統に秩序立てられた日本社会の前近代的な性質があり、戦場で異議を唱えられなかった自分も、本心とは裏はらに「万歳」という言葉で息子を戦地に送り出した両親も、そのような前近代的な社会の精神に支配されていたのだと考えるようになりました。
その後、山下は戦争の問題を皮切りに、従軍慰安婦や部落差別などの問題に関心を広げ、作品を通じて問題を訴え続けていきました。戦争の問題と同様に、その背景には日本社会の前近代的な性格が横たわっていると考えたのです。そしてそこには、日本社会の性質を象徴するものとして、幼い頃に見聞きした伝承や因襲に連なるイメージが登場しています。
http://www.momat.go.jp/search/sakka_kaisetsu.php?i=AYA032&n=1 東京国立近代美術館HP『1960年代 現代美術の転換期』1981 と http://www.art.comet.go.jp/text/yomi/1100312_1.htm 徳島県立近代美術館HP『徳島県立近代美術館ニュースNo.49』江川佳秀 2004年3月 より。 http://www.comet.go.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=TBM_kinb_Opus_Info&WIT_oid=tbmCF::Opus::29306
■山下菊二…1919年徳島県に生まれる。38年、上京して、福沢絵画研究所に入る。49年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。52年、小河内村へ行き、ダム反対闘争。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに加担。75年、筋萎縮症と判断される。86年、死去。権力や差別、天皇制や庶民意識の問題と向かい合い、渾沌たる現実をシュルレアリスムの方法で戯画化したり、ルポルタージュ絵画を創案して、事件を紙芝居化するなど、その絵画は、戦後史の証言ともなる重要なものである。代表作に《あけぼの村物語》(53)《不気味な手》(59)松川事件題材、《見られぬ祭》(65)《葬列》(67)《転化期》(68)など。 http://correlative.org/exhibition/hani/kanojyo.html  

■山下菊二の天皇制批判絵画【アートマガジンLR(エルアール)(Live and Review)24号(2001年3月)】より。
――針生一郎(丸木美術館館長)「―「芸術と人権」展をめぐって―名古屋 覚の一知半解への反論」の中から一部。http://www2a.biglobe.ne.jp/~yamaiku/honhon/lr/lr.hariu.htm

わたしが『美術評論家連盟会報』第一号に書いた反論をここに要約しておこう。 ・・・
わたしは一九七〇年代以降の日本の美術が、社会的主題をほとんど喪失したことを不健全だと思うが、社会的主題のない作品を批評の対象からしめだす態度をとったことは一度もない。(中略)
たとえば、中国の戦場で捕虜をむりやり銃殺させられて以来、その元凶としての天皇制批判を企図していた山下菊二は、シルクスクリーンによる写真の転写とモンタージュの方法によって、中国人捕虜と昭和天皇、菊の紋つきの馬車、東条以下の将軍と重臣たちを出会わせ、現実にはありえないその直接性によって、かえって名古屋の指摘とは逆に多義的な想像力をかきたてる。
従軍慰安婦の主題を南方戦場を舞台に幻想的に描いていた富山妙子は、狐を天皇制の象徴とすることによって、朝鮮人慰安婦をメールヘン風に表現しえた。これらの表現上の工夫を、わたしは何よりも重視したのだ。

(※この針生一郎さんの文章は、とても鋭く深いことが、たくさん書いてある。たとえば・・・)

本誌前号にのった、名古屋覚の光州ビエンナーレ批評を一読して、あきれた。わたしは特別展示「芸術と人権」の企画にあたり、ある意味で、この種の反応を標的として想定したが、それは主として日本政府筋、あるいはその手先として「自虐史観」を排撃し、問題の歴史教科書までつくった「新自由主義」陣営から出るだろうと思われたので、比較的若い「美術ジャーナリスト」がこんなことを書くのは予想外だった。言い換えれば、筆者は自分の意見を述べているつもりで、その実、つくられ操作された偏見の構造に乗っかっていることを、全然自覚していないのに、わたしはあきれたのだ。友人のうちには、あまりにお粗末な論文だから黙殺したら、というものもいるが、「針生一郎氏への質問」と副題にある以上、答えないわけにはいかない。
彼の偏見が典型的にあらわれているのは、丸木位里・俊の《南京大虐殺の図》にふれた部分である。
「この作品は、日本では現在も事実かどうかを巡って議論が続いている。『南京大虐殺』という〈仮説(ママ、正しくは仮設―針生)〉を、あたかも自明のことのように主題として描いたものだ。つまり、現時点ではフィクションとして表現されるべき主題を、事実として表しているところが非常にいかがわしい」
だが、ここを読んだだけでも、名古屋覚が南京大虐殺をめぐるこれまでの「論争」の内容を全然知らないことがわかる。  
・・・
中国の「南京大虐殺記念館」などの資料・証言収集や元日本軍将兵の手記・回想の出版続出、・・・以前から調査研究をつづけてきた洞富雄、藤原彰、本多勝一その他の人びとが提出した多くの反証によって、虐殺でっちあげ=まぼろし説は完全に破産した。・・・福島県いわき市に住む小野賢二が、南京攻撃に参加した厖大な日本軍中、大部分三十代の後備兵や補充兵を東北南部と新潟県から仙台に召集した特設師団、第十三師団山田旅団の兵士や下級将校の生き残りと遺族と交渉して、入手した十九篇の陣中日記をそのまま列挙した、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)で、最大の虐殺現場とされる幕府山に関して捕虜総数を防衛庁本が一万四千余、そのうち非戦闘員を釈放し、反乱逃亡者もいて射殺約千名、偕行社本では捕虜六千名中処刑三千名とするのに対し、捕虜総数二万名近く、食糧供給も不可能だから非戦闘員もふくめ全員射殺の方針で、じじつ釈放・反乱・逃亡は一人もなく、三日がかりで全員虐殺し、死体処理だけでなお二日かかったことを明らかにした。
つまり現在では、南京での虐殺の事実を全面 否定する論はなくなり、犠牲者の数だけが争点となっている。にもかかわらず、明らかに自民党筋を黒幕とする「新自由主義」陣営の歴史教科書だけが、検定による修正後も南京大虐殺の事実性そのものについてなお論争がつづいているかのように記述したのだ。
なお当時南京に滞在した欧米人の証言は、いずれも客観的で貴重だが、近年翻訳されたジーメンス社員でナチ党員だったジョン・ラーベの『南京の真実』(講談社)には、南京市街地で殺された民間人はおよそ五、六万人以上という、ヒトラーへの上申書が収録されている。これに中国軍将兵を加えて十数万人とすれば、上海戦以後南京周辺までの犠牲者総数三十万人という南京大虐殺記念館入口の表示も、ほぼ妥当だとわたしは推定する。
「そもそも私は歴史学者ではないから、『南京大虐殺』の真否そのものを論じる立場にない」
名古屋覚はそうも書いているが、そんな安全中立の高見の見物をきめこむつもりなら、丸木夫妻の絵が事実を描いたか、フィクションとして表現されたかなど、口を出すべきではない。
・・・
丸木夫妻の《原爆の図》とは、死に行く被爆者の幽霊に似た群像の地獄絵風表現からはじまるが、ビキニ島水爆実験の放射能をあびた漁船を迎える焼津漁民の怒りを経て、広島被爆者中にいた米兵捕虜の死体や、引きとり手がないまま放置された朝鮮人被爆者の死体を鳥の群れがついばむ光景へと発展する。
さらに広島、長崎への原爆投下は、東アジア全域にわたる日本軍の侵略殺戮、抑圧に対する当然の報復だ、という諸外国の声に応えて日本国家の加害者の側面をみつめるため、夫妻は《南京大虐殺の図》《アウシュビッツの図》《(日独伊)三国同盟から三里塚まで》の三部作にとりくんだ。
ただ《南京大虐殺の図》はほとんど丸木俊ひとりの手に成るらしく、軍刀で捕虜の首を斬る日本将校が無理な姿勢で、全体に説明的、通俗的なところがある。それでもその後の《水俣の図》《沖縄戦の図》《足尾鉱毒の図》《天安門事件》《原発》《チェルノブイリ》まで含めて、通観すれば戦後日本の美術家が大部分回避してきた重要な社会的主題を、丸木夫妻だけが共同制作でとりあげてきたことをみとめざるをえない。  
ついでにもう少しこの主題について述べると、十年ほど前、日本に滞在中の中国人美術家・郭培由が、中国では教科書にも出ているから南京大虐殺をだれでも知っているのに、日本では丸木夫妻以外それを扱った美術作品がないのはおかしいといって、いくつかの都市でその主題による個展をひらいたのち、日本人女性と結婚して、東京の王子駅近くに喫茶店兼南京大虐殺美術館を開設した。だが、そこを訪れてみると、二階の部屋いっぱいに陶製白塗りで眼をくりぬいた犠牲者のマスクがならんでいるだけで、わたしが「なぜもっと虐殺の光景そのものを表現しないのか」とたずねると、「それは自分にはできない」という答えだった。そこでわたしが日本の美術家に虐殺場面を担当させて彼のデス・マスクとの共同発表を提案し、彼も賛成した。だが、有志美術家が十数人集まって話し合ってみると、敗戦後の日本政府は戦争の残虐面をできるだけ忘れさせて、戦前の天皇制国家の体制をそのまま引き継ごうとし、近年は「南京大虐殺は幻だった」以下のキャンペーンまであいついだため、南京大虐殺を事実として受け入れているわたしたちにも、まだ集団的記憶のなかに刻印されておらず、イメージを描くこともできない状態であることがわかった。
それから半年ほど、わたしたちは中国の南京大虐殺記念館から図録をとり寄せ、日本で多くの写真やフィルムを合成した映画『侵略』を上映し、何冊かの研究書を読んで学習した。おかげで一九九四年ごろ、ニューヨーク在住の中国人美術家たちが南京大虐殺を想像して描いた絵を送ってきて「南京一九三七年」展が神戸、京都、名古屋、東京と巡回したとき、東京展にだけ日本の美術家十人ほどと郭培由、それに中国帰還者連盟の元日本兵数人が賛助出品することができた。だが、そこにならんだのはいずれも小品で、ずっと前にひとりで困難な主題にとりくみ、やや通俗的にしろあの大作をしあげた丸木俊の勇気と力量に、あらためて感嘆せざるをえなかった。  

わたしはまた昨年五月、『戦争と罪責』(岩波書店)という著書に感銘をうけて、京都の精神病医野田正彰と「新日本文学」で対談した。この本は、主に中国で将兵のほか女子供も殺したため、敗戦後戦犯抑留所に入れられて自分自身の罪と認める告白書を書けば釈放され、帰国後も戦犯と公言して日中平和友好運動を担ってきた七十代、八十代の人びとを歴訪すると、一様に罪の自責が抽象的すぎるので、その何人かを中国の殺人現場につれていき、遺族や近隣の人びとから犠牲者の生活ぶりを聞いて、ようやく罪の意識が具体的になる経過を書いたものだ。
著者は、ベトナム戦争や湾岸戦争、ボスニア、コソボ、チェチェン、ルワンダなどの民族紛争も現地調査して、加害者の側に後遺症としての精神病が多くあらわれるのに、元日本兵だけが残虐行為を家族にも語らず、精神病にもならずに大半死んでいったという。なぜそうなるかとたずねると、野田は、日本では精神病医にかかることを恥とする空気が強いせいもあるが、それよりも軍隊では人間的感情があるうちは一人前の兵士ではない、鬼になれといわれた。要するに中世の軍隊だったのではないかと示唆した。  
だが、その対談以後わたしは考えつづけて、上官の命令も「鬼になれ」もきっかけや口実にすぎず、追いつめられたどたん場で露出するのは、自分が生き残るために邪魔になるものは、みな殺しでもかまわないという、「動物的」エゴイズムだろうと思い至った。
その伏線として、わたしは光州ビエンナーレ「芸術と人権」展のカタログ序文に、十九歳で敗戦を迎えて「滅私奉公」の合い言葉のまま侵略戦争に荷担してきた自分を深く恥じ、私的欲望にもとづく私的コミュニケーションのなかから、「おかみ」の意味の「公」ではなく、民衆の内的規律としての「公共性」の論理を形成するため、文学芸術の批評を仕事としてきたが、未形成の公共性の論理は高度資本主義の商品の論理にたえず圧倒され、多くの芸術家は「アイデンティティさがし」の袋小路におちいって、抑圧され、しめだされた他者の人権などに眼をむけなくなった、と書いたことがある。
そういう文学芸術の戦後史を重ね合わせると、「日本人が敗戦後、戦争の罪に苦悩する能力を養わなかったから、自分さえよければ他人のことはほったらかしという、今日の無責任官僚、汚職社員、すぐキレて人を刺す少年ばかりの状態になった」という、野田正彰の『戦争と罪責』での指摘がいっそうよくわかる。
だから、半世紀おくれても戦争の罪悪を発掘・調査・表現することは、アジア諸国の日本批判に迎合するためではなく、政治・経済・文化のあらゆる面で制度疲労のどんづまりに達した日本が、敗戦の原点にたち帰って内的再生をはかるため、不可避の作業だとわたしは信ずる。  
・・・
だが、そのカント哲学でも「美」と「芸術」は完全には重ならず、むしろ両者の矛盾相剋をとおして「美」の概念も「芸術」も変転してきたのが実情である。まして十九世紀末までにすでに「滑稽」や「醜」のカテゴリーすら「美」の概念に包摂された以上、多くの人が眼をそむけるような事態にメスを入れる芸術を、「美」の名目で非難する権利は誰にもない。  
「芸術と人権」展は政治的メッセージのせいで日本のマス・メディアでは一般に敬遠され、NHK新日曜美術館も朝日新聞学芸欄も第三回光州ビエンナーレではアジア・セクションを重点的に紹介した上で、「針生一郎企画の特別展示『芸術と人権』もあるとか、それもアジア中心だったとか、一言ふれただけだ。
そのなかでは千葉成夫が二つの新聞で「芸術と人権」展に言及した上で、光州ビエンナーレ・アジア部門・をそのまま新潟と宇都宮に巡回させた「見えない境界」展でもっともくわしく論評した。(後略)

【※手ポリオ、割り込み】(なお、 http://www2a.biglobe.ne.jp/~yamaiku/honhon.htm の「LR(エルアール)」の中に、その名古屋覚の再反論が載っているが、まるで国家主義か優生思想で、いちおう「社会から見捨てられ、あるいは虐げられた人々」とか「人権」とかを語っていても、ちっとも心に響いて来るものがない。自己保身や体裁を取り繕うことばかりが目立って、とても「芸術」を語る資格もない人間のひどい文だ!!!「芸術」とは、そういう人間の愚かしさ・醜さを抉り出すものであって、見た目や感覚的な「美」の表現ではないと言っているのに・・・と思った。しかし、今のインテリ、エリートや庶民にも、こういう手合いが多い。若いほうが保守的・体制権力迎合的になっている。不気味でならない。針生さんは、こんなのにかまってなくて、自分の仕事をして、その本性をさらけだしてくれていればよい。私は、そういう感性はよくわかる。眉目秀麗、愛と正義、健常・健康・健全、明るく楽しく朗らかに、法と秩序、戦争とテロ、安心安全、正常・まとも・常識・世間、公共の福祉・・・そういうものに含まれる欺瞞のことだ!「青い芝の会」が30数年前に見抜いていたこと・・・。)

■映画『えんとこ』(1999年)のポスター等の絵/山下菊二(晩年、筋萎縮症)。 http://www.abeno-hdff.jp/enntoko.htm
・・・遠藤滋(51才)脳性マヒの寝たきりの障害者と介助のネットワーク「えんとこ」に係わった若者達との日々の交流を、3年間にわたって記録した青春ドキュメン夕リーです。遠藤滋・・・1947年5月静岡県に生れる。1974年立教大学文学部卒業。「都立光明養護学校」に、教員として採用され、職場での差別と闘いながら、小田急梅ヶ丘駅に車椅子用スロープをつける運動に関わったり、世田谷区に対して、介護人派遣制度の改善を求める運動を始めるなど、地域の障害者活動に積極的に参加する。1991年まったく寝たきりの状態となる。 http://www.entoko-net.com/another/eiga_ent/pres.html■羽仁進監督・劇映画『彼女と彼』(1963年)「岩波映画を観る1 羽仁進の方法」http://correlative.org/exhibition/hani/kanojyo.html  http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/daily/content/200401010001/ 
山下菊二演じるバタヤ伊古奈。直子(左幸子)の世話でバタヤから転業させようとした伊古奈は、社会から拘束されない今の自由さから離れられず、あいかわらず犬と盲目の少女を連れて楽しそうに歩いていた。そんな伊古奈をみる直子の心は、単調な、コンクリートの中で他人の目を気にする自分達夫婦の生活に深い疑問をもち、夫との間に次第に距離を感じてゆくのだった。 http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=21231
■ビデオ販売『くずれる沼―画家山下菊二』ドキュメンタリー映画/1976年/45分/VHS/白黒 制作・構成・編集:野田 眞吉\25000(税抜価格・送料別)潟Iフィスエムエイピー  http://www.office-map.jp/hanbai05.htm 〜少年のような純粋な、自由の魂をそのまま持って大人になったといえる画家、山下菊二の生活と意見、その受難と反抗の人間記録。
■『ある映画作家―フィルモグラフィ的自伝風な覚え書』野田真吉(ドキュメンタリー映画作家)【著】泰流社 (1988-06-10)\1,680(悪税込)〜映画『くずれる沼―画家山下菊二』完成のこと;『これがベトナム戦争だ』に対する日共(日本共産党)党員の製作妨害を告発したこと;『日本ドキュメンタリー映画全史』出版;ほか。
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9880266633
■『ANARCHISM』Vol.4(アナキズム誌編集委員会)\1,000 特集:直接行動 「『権力』を俯瞰する場所‐<べ反委>という暗渠」久保隆、「山下菊二‐絵画表現に見る『直接行動』」川田功、ほか http://acclaim.nomasters.com/distro/index3.html  http://otd4.jbbs.livedoor.jp/saluton/bbs_plain
■愛知県豊橋市美術博物館 平成15年度第U期常設展 山下菊二
http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/KIRU-HARU-KASANERU.htm
コラージュとはのりではりつけるという意味(いみ)ですが、山下の作品では報道写真(ほうどうしゃしん)をきりぬき、色をぬった紙のうえにはりつけています。それらの作品にこめられたメッセージは戦争(せんそう)や権力(けんりょく)への抵抗(ていこう)であり、なかでもベイルート・シリーズは1982年9月にレバノンの首都(しゅと)ベイルートでおこったイスラエル兵とレバノン軍によるパレスチナ難民(なんみん)キャンプの虐殺(ぎゃくさつ)がテーマとなっています。犠牲(ぎせい)となったのはほとんどがこどもや女性(じょせい)、老人(ろうじん)であったとされますが、山下のコラージュ作品でもそうしたひとびとが画面(がめん)の主役(しゅやく)となっています。
・サブラ・シャティーラの大虐殺 http://smile.poosan.net/mangamegamondo/annex/fisk/massacre.html など多数。
・公式訴状:サブラ・シャティーラでの虐殺に対するアリエル・シャロンの関係責任
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1123/annex/sharon/
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1123/annex/sharon/1_a.html 
・人道に対する罪に関するアリエル・[ブルドーザー]・シャロン裁判について国際調査委員会
http://smile.poosan.net/mangamegamondo/annex/accuse_sharon.html ほか多数。
■針生一郎+椹木野衣(さわらぎのい)1〜5 日本のアニメ・特撮怪獣
〜加害と被害の暴力が隠蔽された戦後の「均質な日本」という場。円谷プロ高山良策や宮崎駿の絵の、戦中の戦争画との共通性と戦後の山下菊二らとの対比。 http://www.kirin.co.jp/active/art/news-letter/002/taidan/index.html
■[山下菊二] 画像検索結果 -goo ブロードバンド検索結果(7件中1〜6件を表示) http://bsearch.goo.ne.jp/image.jsp?MT=%BB%B3%B2%BC%B5%C6%C6%F3&type=GEM
――ほか多数、省略。
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【戦後アバンギャルド芸術家の反戦運動・など】
■画家たちの間でも池田龍雄、山下菊二、桂川寛などのルポルタージュ絵画運動が展開され協同作業が行われた。それはアヴァンギャルド芸術をルポルタージュ、ドキュメンタリーの方向に超えようとする試みであった。・・・(朝鮮戦争中)旧ソ連作家同盟の受け売りであった日本共産党の文化方針にしたがって「形式主義」「近代主義」として批判された。山下菊二、桂川寛、尾藤豊たちは東京奥多摩の小河内ダム建設反対の「山村工作隊」に「自己改造」のために参加させられた。ところが山下菊二が描いたのは「形式主義」の克服どころか、より一層シュールレアリズムの方法による「現実」の深化された表現であり、それ以後の全仕事の方向を決定したといえる『あけぼの村物語』であった。同様に新日本文学会の編集長花田清輝が1954年7月に解任されたのも、公的には宮本顕治の原稿掲載の可否をめぐる意見対立による解任採決の結果であるが、当時、会外にいた私には、解任採決はアヴァンギャルドの仕掛人花田清輝への意趣返し、体質的にアヴァンギャルド・アレルギー患者たちの茶番劇と見えた。・・・「はっきりしていることは、ただ、夜がますます深まっているということだけだ。この真っ黒い夜の底で、われわれは彼らの屍をたべなければならぬ。・・・」と1960年2月25日に書いて、上野英信は『追われゆく坑夫たち』(岩波新書)の結語としている。それは戦後労働運動の分岐点といわれる「三池闘争」のただ中であった。・・・柾木恭介の「てれすこ通信」168号(2000.9.15)−上野英信 http://www.dwell-info.com/bnt/t168b.html
――※小河内ダム建設反対「山村工作隊」→『独り歩きした「軍事闘争」』 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/masuyama.htm#m3
■下山事件1949/7 三鷹事件49/7 松川事件49/8、それは、戦争中に増大した10万人の国鉄労働者の整理、それに続くのは、朝鮮戦争50/6であり、再軍備への道であり、反対運動を弾圧するための破壊活動防止法案52/4であった。広津和郎の松川事件の克明な調査と追及、小河内ダム建設反対52/夏、石川県内灘米軍射撃場反対闘争53/5、立川基地拡張・砂川闘争55/9、などには多くの文学者、画家が参加した。真鍋呉夫のルポルタージュ『内灘』、池田龍雄の一連の『内灘』シリーズの絵、あるいは日本共産党の「山村工作隊」として奥多摩小河内ダム建設現場に入った山下菊二の『救出提携』、それに桂川寛、尾藤豊などが「ルポルタージュ絵画」といわれた作品を送り出した。・・・1940年豊田四郎監督の映画『小島の春』長島愛生園・・・癩はほんとうに隔離しなければならない病気であったのか?木下昌明の映画評論『病気もの映画の落し穴』(「中央評論」)は藤野豊『日本ファシズムと医療』(岩波書店)を引用しながら、国策として「癩患者にたいする隔離予防策が推し進められた過程は、日本が富国強兵策をとり、軍国主義へ傾斜していったことと呼応している」「またこのころ、同じ枢軸国のドイツ・ナチズムの優生主義の影響をうけて、民族の浄化ー血統の純化が叫ばれ・・・光田健輔が音頭をとって隔離場所がつぎつぎに設けられていった。そして、この浄化と隔離のイデオロギーを絶対化するのに役立ったのが、光明皇后が癩者の体を洗ったとされる故事や貞明皇后による寄付金などの<皇恩>の強調であった」「つまり、この映画は、そのポスターの宣伝文句に大きく<崇高なるこの人類愛に泣け!>とかかれていたように、一見ファシズムとは対立するヒューマニズムの世界を描いているようにみえながら、隔離政策の内実や癩者の人権を無視していることによって、反ヒューマニズムのファシズムとむすびついた非人道的な医療体制の片棒をかついでいたのである」。・・・丸山真男風に言うなら、これは、その時その場では本心であっても、全体としては「無責任の体系」となる歴史の弁証法の悲喜劇なのか。あるローリングストーンの物語である。――柾木恭介の「びっくり通信」第118号(1996.10.15) http://www.dwell-info.com/bnt/t118b.html
■中村宏・・・1966年、山下菊二、立石紘一と3人の日本人展。戦後の反米軍基地闘争を主題にした作品などで、つとに知られた画家。その立場をあえて「アナクロニズム」と称し、本書中にも「すでに死んだもの、見すてられたものを蘇生(そせい)させることに、エロティシズムを感じる私は、それ故に『タブロー』(油彩画)に対して、フランケンシュタイン博士でなければならないであろう」という有名な一節を残している。(毎日新聞2003年9月14日東京朝刊から) http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~shakti/nakamurah.html
■本『絵画者―1957‐2002』中村宏・著 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4568201721.html
■[上映会『 アンダーグラウンド・アーカイブス 』2001/9/17―9/24][2001/5/12― 6/29シネマ下北沢]
〜戦後日本アヴァンギャルドでアンデパンダンなアンダーグラウンド映画(地下映画)、自主製作映画、学生映画〜
http://www.thought.ne.jp/forum/wwwforum.cgi?id=6&az=reply&parent=6"e=auto http://www1.jca.apc.org/aml/200105/21932.html
と[Re:「アンダーグラウンド・アーカイブス」開催その3]より。
映画『くずれる沼─画家・山下菊二』1976/45min/白黒(VTR上映)監督・野田真吉、ほか多数上映。
〜アンダーグラウンド映画は、技術的にも多くの制約を受けながらも「映像作家」が、ある「覚悟」をもって製作・上映し、作品に圧倒的な「強度」と「政治や社会への挑発」といった現代において忘れ去られた力を持っています。
http://pan-kyoto.com/ac1928/info2001/UGA/uga_r.html
■本『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』平沢剛(編集)河出書房新社 2001/7/20 2000円(悪税込)
〜和光晴生―我が前段階「赤軍‐PFLP・世界戦争宣言」とパレスチナ戦場でのその後、ほか。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309264867/qid%3D1100716537/249-7647952-3686754
■「現代美術を考える会」アート・クロニクル(年表)1901―2003
http://www.artandcritic.net/tca_morioka/chronicle/chronicle_01j.html
(たとえば・・・)1969年6月、告陰、ゼロ次元ほか万博破壊共闘と京大全共闘による共闘イベント開催。1970年3月、大阪で万博開催。刀根康尚、彦坂尚嘉、堀浩哉らが「美共闘REVOLUTION委員会」結成。などなど。
http://www.artandcritic.net/tca_morioka/chronicle/chronicle_1961-1970j.html
■ドキュメンタリー映画監督・布川徹郎の代表作のひとつ 
今や幻となったアングラ劇団・曲馬館の『風ッ喰らい時逆しま』(1979・88分・カラー)
ビデオVHSリリース 好評ゲリラ販売中!!個人用5,000円(悪税込)
大阪市 プラネット映画資料図書館 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/planet1/nunokawa/nunokawa.html
布川徹郎ドキュメンタリー映画『沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー』('71)『倭奴へ・在韓被爆者無告の26年』('71)『アジアはひとつ』('73)『太平洋戦争草稿』('74)『bastard on the border 幻の混民族共和国』('76)『パレスチナ76-83・パレスチナ革命からわれわれが学んだもの』('83)など、国境をテーマとした作品群。
――などなど多数、省略。
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■小倉利丸さんは、こういうサイトもやっておられる。
「インターネットの検閲に反対するページ」 http://clinamen.ff.tku.ac.jp/CENSORSHIP/Censorship.html
その他、住基ネット反対や盗聴法反対や有事法反対や自衛隊イラク派兵反対など、いろんなことをしておられ、各種集会や国会近辺や参考資料の文章などでも、よく見る人だ。
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【クロージング――アメリカ心中】
それにしても、今は、「日本心中」だけでなく、「アメリカ心中」てな感じ。「ブッシュ心中」?「ネオコン心中」「ネオリベ心中」「シオニスト心中」・・・いや、「ユージェニックス(優生思想)心中」だ?。「地球心中」・・・
テロか心中か??   
世界は本当に、アメリカと共に心中させられてしまうのか?それとも、膨大なる物言えぬ死者と、黙殺・沈黙させられている生者がついに沈黙を破り、その怒りと恨みと悲しみの声がよみがえり、世界から見捨てられ虐げられてきた者たちの本音・本心をむき出しに出来る世の中が来るのか?それはテロか?心中か?テロでもなく心中でもないそれは、一人一人の日常の身近な価値観を再考していただくところから始まる。
愛と正義の欺瞞!人道や道徳や公共の福祉や法律や文明などの偽善性!
常識と思い込んでいることの中にあるタブーへの挑戦!
レッセ・フェール優生思想の新自由主義による弱肉強食社会の日常生活の世間の空気に蔓延する戦争・軍事構造を見抜くこと。社会的または政治的または経済的などの理由により、弱者とされてきた者たち、それは弱者ではない。また、強者となっている者たちは、強者ではない!弱・強とは何か?正・悪とは何か?基準そのものに疑念を抱き、すべての人間を何らかの価値観で、強/弱、優/劣、勝ち組/負け組などと分け、支配と屈服を強いることに、いったい何の意味があるというのか!!それが人間のあるべき姿か!!聞け!我らが雄叫び!天地轟きて!屍(かばね)越ゆる我が旗!行く手を守る!!!・・・。
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でも、こういう若い世代もいる!「太陽肛門スパパーン」。下記のCDは、ミュージカル仕立てのライブ・イベント風で、全17曲(17項目)。2001.9.20のブッシュの演説から始まり、1曲目VIVA!USA、そこから第二次大戦中1941年のアメリカ日系人収容所内のジャズコンサートの風景へ。会津藩の末裔が多くいた《wakamatsu colony》で♪日の丸、ワシントンに旗めく白虎隊〜などと歌う。話は2001年のロサンゼルスに飛び、街角で花を売る日系統一教会員、裏切り者パウエル、竹中平蔵、新自由主義アメリカの悲惨と混迷、ホワイトハウスに片山潜らを先頭に赤旗を掲げ進撃する世界人民と白虎隊の末裔たち!。以下、the axis of evel、東京都千代田区丸の内1-1-1で人民の怨みが物象化した呪いの毒を持つ蝶々が皇居の中を飛び回る、東京都町田市立つくしの中学2年B組午前2時・千恵子嫌いみんな仲良し、東チモールPKO自衛隊の腐敗した心象風景のジャングルラブの歌、自殺・輪廻転生、小林よしのり・大人の国=戦争のできる国と、おこちゃまの自虐史観の二極分化を告発、幕張、河内、東中野/パレスチナ/雨のち晴れ、などと続き、最後に、テロリストブッシュと人間、そのあとVIVA!USAのrefrain・乳児の声で終わる。壮大な音楽曼陀羅、感動の大巨遍!詳しくは、ライブにGO!パンツ一丁の社会派ビッグ・バンド、太陽肛門スパパーン! http://www.asyura2.com/0403/ishihara8/msg/491.html

CD♪『テロリストブッシュと人間』2003年4月10日より。
TERROLIST GEORGE.W.BUSH VS ALL OF HUMAN BEINGS  
WANTED DEAD OR ALIVE GEORGE.W.BUSH For Mass Murder All Over The World
太陽肛門スパパーン+ザ・ヒメジョオン by いぬん堂
http://members.at.infoseek.co.jp/hanasaki0114/index-5.html
無料視聴サイト→ http://meet.neonotes.jp/rainbow/portal/alias__Rainbow/lang__ja-JP/tabID__3331/DesktopDefault.aspx?alias=Rainbow&lang=ja-JP&tabID=3331

「VIVA!USA」 作詞・作編曲:花咲政乃輔、村山同志  バンジョーとフィドル:高田漣(高田渡の息子)
(みんなで手拍子、にぎやかに、大音量!)(カントリーウェスタンでテキサスな感じで!)
♪アメリカ〜 アメリカ〜 アメリカ〜 ナンバー・ワ〜ン (ヘーイ)
♪アメリカ〜 アメリカ〜 アメリカ〜 ナンバー・ワ〜ン (イエーイ)
♪ブッシュ!出番が来た ブッシュ!世界の仲間集め テロと殺しのお祭りだ〜
♪ブッシュ!ジョギングした ブッシュ!シャロンと電話 早く始末つけろよ〜 ぶっ・こ・ろ・せ! 
♪(USA)アメリカ人が死ねば (USA)ラッキー ビッグチャンス (USA)どんどん殺せシャロン〜
♪(USA USA USA)
♪(USA)アラファト首にしたら (USA)フセインぶっ殺して (USA)俺様は保安官〜〜 
  ・・・(2番略)・・・
♪U!(U) S!(S) A!(A)……U!(U) S!(S) A!(A)イエーイ♪
 [振り付けはYMCAと同様。Let's Dance Together!]
♪やっちゃいな やっちゃいな やりたくなったら やっちゃいな
♪USA USA……(繰り返し)……[米兵無線交信の声、爆撃機発進音]USA USA…… 
♪アメリカ〜 アメリカ〜 アメリカ〜 ナンバー・ワ〜ン……(繰り返し)(手拍子・合唱・演奏・最高潮!)…… 
♪アメリカ〜 アメリカ〜 アメリカ〜 ナンバー・ワ〜ン……(しだいにフェイド・アウト)

【※手ポリオ、割り込み・・・どうせ明るく楽しくなら、このくらい皮肉を逆噴射してぶっ放せばいいのに、それは過激だの、刺激や挑発をするなだのと言って、あいも変わらず♪お花畑で青い空のもと想像しましょうねってな、骨抜き・腰抜けしかやらない反戦運動では、まさに寝た子をさらに眠らせて、自粛・自制・肝心なことに触れさせず、戦争・軍事・優生思想の構造をそのままにして、結局応援しているようなもの。・・・「新・小国民の時間」2004年 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/929.html 】
   
「テロリストブッシュと人間」 作詞:花咲政乃輔 作編曲:花咲政乃輔、村山同志 
3♪私達にははっきりと見えている 穴の向こうでへらへら笑ってるおまえ
  醜い鼻毛のその奥で 蠢いているの 父ちゃんの腕
  穴の上から見えていた空が今日は見えない ここほれ 空がある
  嘘だらけの言葉には ざらざらした俺達の痛みを送るぜ
  テロリストジョージ.W.ブッシュ
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【以前の投稿への追加・1】
▼沖縄国際大学ラジオゼミFMたまん「放送禁止歌」プロテスト・ソング(社会抗議唄)
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/900.html 【――への追加】
■「ポット出版・読者の声」欄より。 http://www.pot.co.jp/pub_list/voice.html 
(部落差別、障害者、沖縄、恣意的に消そうとすること・・・)
那覇市 多和田さん(♀)[2002.11.23]
今日、沖縄県女性総合センターの図書館から借りて読みました(雑誌最新号では図書館は悪くないという話題だそうですね)。
私は(といって、自分自身のプロフィールを書いて、自分が差別を経験したって書き出すこと自体、なんだか胡散臭いし、いんちきっぽいですが)生まれも育ちも沖縄。父が幼少の頃から私に向かって「川崎に行ったら、食べ物屋の店先に沖縄人お断りって書いあったんだよ」とか、ジャズボーカリストをずっと続けている母を指して小学校のクラスメートから「アメリカーの歌を歌うのか?」とか「売れない歌手のむすめぇ〜(でもレコードとか出してるわけでもないから、売れる売れないは関係無いんじゃないか、と幼い心ながら疑問に思ってたんですが)」、とか、それでも2級(ぐらいだったはず)障害者で働く母とかを見てきて、障害とか差別とか興味津々、大好きな1時の母です。で、興味をそそられて読んでみました。
 私の友達に…、とか当事者近辺ぶって弱者ぶって本文を続けるつもりじゃありません。
 私が投稿した理由は、ぜひここ沖縄でも差別についての言葉を考える議論の場かなんかをできたらいいな、と思いまして。
 「ばかちょんかめら」。むかーしはみんな使ってた気がするけど、朝鮮人をばかにするという意味で、使っちゃダメらしいよ、と幼少のとき父からそっと教わりました。そして初めて朝鮮人が「差別」にあっているんだと知りました。そんな感じで、消えていく、いや恣意的に消していく言葉のその恣意の部分に差別が有るような気がします。そこで…、
『部落』。実は沖縄では、日常茶飯事に使われています。なぜなら、私達は、部落が差別にあたることばだという認識がありません。田舎のおばあちゃんがインタビューに答えて「うちの部落の年間行事になってますよ〜」とか平気で答えちゃったりしています。普通に暮らしている沖縄の人の中でも、部落という言葉自体に敏感な人はあまりいないと思います。でも、都市化、そして沖縄のマスコミ自体もその言葉を本土に真似て消そうとしています。私自身、恣意的に消そうとしている、育児休暇中のローカル局のディレクターをしています。実際、事前に収録してその言葉が出てきたら消しちゃいます。でも、そうやって過敏に反応すること自体、改めて部落は差別されていることを上塗りしているような気がして止みません。ここで部落という言葉を消してくのは、いったいどうなんだろう、という漠然とした気持ちでおります。差別についての議論、沖縄でもできたらいいなあ、と思いメールしました。あと、『「沖縄」は差別されているのか』、とか。
―――上記は、ポット出版のサイトの中のこの本の関連、
■本『「オカマ」は差別か『週刊金曜日』の差別表現事件―反差別論の再構築へ〈VOL.1〉』著◎伏見憲明・野口勝三・及川健二・松沢呉一・黒川宣之・山中登志子・春日亮二・志田陽子・下村健一・taka・田亀源五郎・平野広朗・浩史・本多勝一・宮崎留美子 ポット出版 2002/02/28 1500円+悪税  http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/ISBN4-939015-40-8.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4939015408/qid=1100674696/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7647952-3686754
株式会社スタジオ・ポット Phone 03-3478-1774 〒150-0001 渋谷区神宮前2-33-18 #303 http://www.pot.co.jp/index.html
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【以前の投稿への追加・2】
▼ミニスカ右翼ギャル→アナーキー・ゴシックロリータ娘?雨宮処凛・記録映画『新しい神様』 
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/545.html 【――への追加】こんな本が出てた!
■『パンタとレイニンの反戦放浪記』PANTA、椎野礼仁・著 彩流社 2003-09-18 \1575
「頭脳警察世代」からのメッセージ。伝説のロッカー・パンタと同世代人レイニン(と雨宮処凛や塩見孝也ら)が、戦争直前2003年2月のイラクに行って、考えた。イラク戦争の「深層」、ベトナム反戦・新左翼、ストッパーのはずれたアメリカと思考停止の日本……善人面しない「反戦・平和」とは何か?・・・
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882028220/qid%3D1100725172/249-7647952-3686754
http://www.sairyuusha.co.jp/ 彩流社HP 森達也の書評
「……二人とも年齢は僕より一回り上だ。…安田講堂陥落やよど号ハイジャック事件、浅間山荘の生中継などをテレビで眺めながら、思春期を迎えた僕は昂揚していた。…青臭い中学生は、しばらくはすっかり運動の闘士になりきっていた。…しかしキャンパスに通い始めた僕は、自分が遅れてきたことにやっと気づく。政治の季節は終わっていた。かつての闘士たちのほとんどはあっさりと挫折して、下の世代は「新人類」などと呼称されていた。そりゃないぜと思いながら、二十代を過ごしたという感覚がある。…今は違う。それほど時代は急速に変質している。左は居場所を失い右もさすがに困惑するほどに。だからこそ彼らはイラクに向かった。思い込みかもしれないが、遅れてきたからこそ僕はそう思いたい。 ……(以下略)」
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【クリフハンガー・エンディング?】
ヴェラ・リン♪『また会いましょう』We'll Meet Again(Vera Lynn)1940年(1954年ヴァージョン)
演奏はマントヴァーニー・オーケストラ(英国のグレン・ミラー)
その曲をプレイ→ http://www.coara.or.jp/~otsu/strangelove.htm

また会いましょう、どことも知らず、いつとも分からないけれど
でもいつかまた晴れた日に会いましょう

いつものあなたのように笑顔を絶やさないで
青空が暗い雲を吹き飛ばしてくれるまで

知ってる人に会ったら、ハローと言って
もうじき私に会えると伝えてちょうだい
私がこの歌を歌っていたと知れば
きっとみんな嬉しがるでしょう

また会いましょう、どことも知らず、いつとも分からないけれど
でもいつかまた晴れた日に会いましょう

“Dr. Strangelove :or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb”(1964)
http://www.asahi-net.or.jp/~KZ3T-SZK/kub_wel.htm

                【タイトルロール】
われわれの銀河から遠く離れたゆえに知られざる太陽系のかつて第3惑星であった緑したたる小さな美しい「地球」と呼ばれた死の惑星は、今日の我々の学術的な興味をそそっている。本日は『滅亡した古代文明シリーズ』としてこの前史の風変わりな喜劇をおとどけしました。
−終わり− ?

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