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「3.11捜査」の鍵を握る16歳の少年:怪しげな「重要証言」(エル・ムンドより)
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 6 月 19 日 09:10:45:SO0fHq1bYvRzo
 

「3.11捜査」の鍵を握る16歳の少年:怪しげな「重要証言」(エル・ムンドより)


6月17日付のエル・ムンド紙(電子版)の記事です。この記事はエル・ムンド紙が6月13日に逮捕された16歳のスペイン人少年の<証言>に基づいて、爆発物の準備の様子を<具体的に構成>したものです。この新聞が(つまり当局が)事件をどのようなものとして報道し世論に定着させたいのか、よくわかる重要な資料です。非常な長文ですが全訳します。


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●『警察に内通の元鉱山労働者、3.11テロリストにダイナマイトだけでなく散弾も融通』

少年「G.M.V.」は、スアレス・トレスオラスは「エル・チノ」に「お前達が釘とネジ釘を手に入れたことを忘れないでくれ」と言うのを聞いた、と判事に告げた。
【ここで言う「散弾」は爆発の際に殺傷力を強めるためにダイナマイトの周囲に詰めた釘やネジ釘のことを指している:訳注】

FERNANDO MÚGICA (マドリッド)

16才の少年「G.M.V.」V.別名「ジプシー少年」は、昨日判事から留置を命じられたが、「アビレス細胞」【アビレスはスペイン北部アストゥリアスにある町の名:訳註】の陰謀の重大は部分を告白した。エル・ムンド紙の調査によると、元鉱山労働者であり警察の内通者エミリオ・スアレス・トラスオラスは、3.11のテロリストたちに、ダイナマイトばかりでなく同時に爆弾を製造する際に使われた「散弾」も渡していたのである。

この話は、「ジプシー少年」にとっていまだ記憶に新しく忘れていないため、その口からごく自然に出てきた。大法院の少年部判事ハビエル・ゴメス・ベルムデスは水曜日にこの少年に3ヶ月ないし6ヶ月までの留置を命じた。少年は彼が住んでいるアビレスの情況に精通している。

判事フアン・デル・オルモは水曜日に同様に「アビレス細胞」に関連して今週アストゥリアスで逮捕された5名の逮捕者を期限を定めずに収監することを命じた。エミリオ・スアレス・トラスオラスの妻カルメン・トロ、その兄弟アントニオ・トロ、イバン・グラナドス、ラウル・ゴンサレス、およびコンチータ鉱山の従業員エミリオ・リャノの5名である。

彼らはすべて爆弾製造に協力した罪を問われており、リャノは爆発物の運搬に携わった容疑である。

少年「G.M.V.」は、水曜日に法院の聴聞で、判事エンマ・サンチェス・ゴメスと弁護士ホセ・ベアサ・マルティネスの前で、3.11の殺戮で使われたと思われる爆薬をどうやって入手したのか、誰が盗みどうやってマドリッドまで運んだのか、そしてどのようにイスラム過激派の手に渡ったのか、非常に詳しい点まで説明した。

このようにして192名の命を奪った攻撃が準備された重要な部分が明らかになる。読者にとっておそらく最も驚くべきことは、この爆発物がアストゥリアスからマドリッドまで運ばれ始めたのは、今まで信じられていたように2月の終りではなく、2004年の最初の週だった、という点であろう。

警察の内通者エミリオ・スアレス・トラスオラスをトップとした通称「アビレス細胞」が準備した「死の道」を通って、何十人もの乗客を乗せた長距離バスに、各回ごとに15キロから20キロの死を運ぶ物体を乗せて、運んだのである。

[準備された釘]

最高の仰天は、「ジプシー少年」が直接に証言したことによると、殺戮の主犯の一人である「エル・チノ【中国人の意味だが、モロッコ人でレガネス市のアパート爆破で死亡したジャマル・アーミダンの別称:訳注】」に対してスアレス・トラスオラスが、爆薬に加えてコンチータ鉱山から手に入れたダイナマイトと共に準備していた釘類にこだわっていた、という点である。それらは爆破された列車の中での苦しみと破壊をもたらす散弾として使用されたものである。そしてまたバリェカスの警察署で不発弾の中から発見されたものでもある。

ダイナマイトの移送は少なくとも4回、そして二つの異なった方法を使って実行された。最初の3回の運搬は、1月始めの週から2月第3週にかけて、アビレスの強盗の仲間である3人の若者をラバのように使って行なわれた。

その中の一人は、「ジプシー少年」がセルヒオ・アルバレス(別名アモカチ)であると同定した。彼はすでに逮捕されており、市場では1000ユーロ以上にあたる200グラムのハッシシの塊を手に入れるためにそれを行なった。

その旅は、セルヒオが後日認めたことだが、非常に恐ろしいもので、長距離バスの旅客として行なった。同様のことを「ジミー」の名で知られる若者が行なったが、捜査当局は彼を現在追跡中である。これもまたアルサの長距離バス【アルサはスペインのバス会社:訳注】を使って行なわれ、「ジミー」は一つの荷物を『モロッコ野郎たち』と手にした金のために運んだ。そしてマドリッドで待っていた者たちとその金をめぐって喧嘩が起こったのだ。

第3の旅はエミリオ・スアレスの注文で「G.M.V.」自身が行なった。彼は、1月の始め頃にスアレスがこの仕事をどのように与えたのか、詳しく告白した。

[カバンをバスの貨物スペースの中に]

アビレスのビドゥリエラ通りにあるエミリオの車庫の中にカバンがあるとエミリオは少年に言った。それらはエミリオの車であるトヨタ・カローラに積んであり、オビエドのバス乗り場までそれで運んだ。そして爆発物の入ったカバンを他の乗客の荷物と一緒にバスの貨物スペースに入れて、アルサの高級バスに乗り込んだ。

マドリッドのメンデス・アルバロの駅に着き、ビレイという喫茶店を探してその前から、エミリオに『モロッコ人の友達』のものと教えられた(665040605)の番号に電話した。

その番号に電話して自分を『アストゥリアスの者だ』と紹介すると、30分ほど待つように言われた。その「モロッコ人」はしばらくして電話をかけてきて、通りを横切って2列に駐車してある車のところまで来るように言った。彼はカバンを黒っぽいオペル・アストラの中にいる男に渡した。

その男は、後で2月の終りに彼がアビレスで黒いフォルクスワーゲンに乗っているのを見た「モロッコ人」自身であった。駅に戻りその日にオビエドに帰るバスの切符を買った。「ジプシー少年」によると、カバンは15キロから20キロの重さであり、南京錠がかけてあった。カバンは黒く取っ手は非常に大きく、スポーツ用の衣類を運ぶために用いるようなものであった。

以前にイバン・グラナドス・ペニャ、通称「ピラニア」が言っていたので、彼はそれが爆薬であることを知っていた。「ピラニア」は少年に、エミリオ・スアレスといっしょに彼が働いていたコンチータ鉱山に爆発物を手に入れるために行き、ペニャが見張り役をしてエミリオが盗んだことを語ったのだ。

「ジプシー少年」の話によると、それを可能にした仕組みは簡単であった。エミリオの知り合いの鉱山労働者が、鉱山で実際に使用されるよりも多くの爆薬を消費していたように登録していたのだ。その労働者は余りをエミリオに渡していた。最初は付近に隠しておきそして後でエミリオが人気の無いときにそれを見つけていたのだ。

少年「G.M.V.」は、モロッコ人たち――ジャマル・アーミダン(通称エル・チノ)、モハメド・オウラド、アブデンナビ・コウンジャア――が、爆発物の主要な積荷を受け取るために、2月28日と29日にアビレスに行った際の例外的な証人であった。「ジプシー少年」自身が彼らがダイナマイトを運ぶのを手伝った。これらはその計画実行の詳細である。

『モロッコ人が来る』前に、エミリオは、自分が2002年まで働いていたコンチータ鉱山までのプラビアの道に爆発物を運んでいた。それを車の中に置いておき、午後の4時まで二人の鉱山労働者と話をするために出かけた。戻る際に『やり遂げた。うまくいった』と話した。

[「ネジ釘を忘れないようにしろ」]

2月28日の2日前、午後5時前後、エミリオは自分の住む地区にトヨタ・カローラで現れた。黒いゴルフに乗った『2人のモロッコ人【後の文脈から「3人」の間違いではないか、と思われる:訳注】』が一緒だったが、うち一人は『マドリッドの駅で見た男』だった。それが「エル・チノ」だった。

『モロッコ人』のためのブーツをとりにアビレスのエミリオの家に行き、そして鉱山へ出かけた。エミリオと「エル・チノ」は山の方まで歩いていき、一方「ジプシー少年」と他の2名のモロッコ人はトヨタの中で待った。

45分後に彼らは戻ってきた。「ジプシー少年」は証言する。エミリオが何かを恐れているように一つの言葉――それは後になって何のことか分かったのだが――を発した。『釘とネジ釘を持っていくのを忘れるな。』それはさらに15分後のことである。

モロッコ人たちはいくつかのカバンを買った。エミリオは少年を家まで送ったが、後になって、夜10時半ごろマグダレナのパン屋に来るように電話をかけてきた。そこで彼らはルベン・イグレシアスと、「ダイナマイト男」ことハビエル・ゴンサレスに会った。彼らはモロッコ人が持ってきたハッシシのことを話した。


そしてその夜、エミリオは「ジプシー少年」を3人のモロッコ人といっしょに2台の車で鉱山まで行かせた。1台は「エル・チノ」のゴルフで、もう1台はエミリオが運転するフォード・エスコートだった。一つの橋を過ぎたところで街道沿いの喫茶店の付近でゴルフを乗り捨てた。そして彼らはゴルフに積んであったカバンをエスコートの荷物置きに入れ、全員がエスコートに乗り移った。

カバンはアビレスのショッピングセンターで買ったものだった。そしてそれは登山用のタイプのものだった。夜中過ぎに彼らは鉱山の塀のところまで来た。真っ暗だった。モロッコ人たちは非常に小さな懐中電灯を持って歩いた。

少年はエミリオが教えたとおりに、もし警察が来たら「パーティーを開いていたのだがいま一休みしている」と言う積もりで、付近に車を止めていた。4、5時間たってモロッコ人たちがカバンを担いでやって来た。一つは「エル・チノ」が、他もそれぞれ担いでいた。それらを荷物入れにほうりこみ、そして他の車を探しに行った。

[車庫の中での取引]

アビレスまで運転するとき、自分のトヨタに乗ったエミリオと出会った。そして彼らはある駐車場でトラックに積み替えた。エミリオは少年に車を乗り換えるように命じ、そして5分間ほどモロッコ人たちと話した。次に3台の車でアビレスにあるエミリオの車庫まで走った。

そこで、だいたい夜明け頃に、カバンの中のものを出し青いゴミ袋に入れて、再び以前のゴルフに乗せた。「ジプシー少年」は次のようにその中身を描く。プラスティック入りの30センチほどの大きさの包みで、その一つ一つは20センチ位の円筒形のものに分かれていた。

彼らは明るいうちに再び鉱山に行った。30分で休憩するために作業を止めた。3人のモロッコ人たちは、一晩中やっていたように、何度も出かけてはカバンを運んで荷台に積んだ。1時間とちょっとで5つのいっぱいになったカバンを山から下ろした。そしてその後アビレスのエミリオの車庫まで運転した。

今回は少年には外に出ているように命令した。それが終わったのは昼の12時ごろであり、彼らはカサ・ティトで朝食を取りに出かけた。そこでエミリオはルベン・イグレシアスと会い、再びハッシシについて話した。

エミリオは少年に、運んだのは宝石屋のショーケースやマドリッドの頑丈な金庫を爆破するための爆薬だ、と説明した。エミリオは、もし他人にばらしたら彼とその父親を殺す、と急いで彼に念を押した。

奇妙なことに、ガレージにいる間に一人に人物が現れた、と少年は告げた。それは誰か分からないが、カバンを持っている者達を見て彼らにプエルタ・デ・サン・イシドロ【マドリッドの地名か?:訳者】に関する何かを質問した。

少年「G.M.V.」は、その夜エミリオとさらに話したと証言する。それは3月1日に、マドリッドの工業地域を襲撃するための500キログラムの爆薬が摘発されたときだった。エミリオは彼にそれがあのモロッコ人たちかもしれないと言ったが、後にETAであることがわかって、そのことを忘れてしまった。

3月11日にマドリッドで悲劇が起こったとき、エミリオは次の通りに語った。『しばしばモウグリは武器を持っていた』。アビレスでは「エル・チノ」はモウグリというあだ名で知られていたのだ。そのとき以来、「ジプシー少年」は何かが起こるのではないかと恐れエミリオの周辺から離れた。

[トヨタの事故]

その2月末の仕事で、モウグリは200ユーロを渡すと言っていたのだが、少年は全く支払ってもらえなかった。

ゴルフとトヨタの二つの車でマドリッドに爆薬を運ぶのに付いていきたいと望んだが、認められなかった。エミリオは5日後にトヨタを引き取りに彼をマドリッドによこした。再びバスの切符を買ったのは彼自身だった。

メンデス・アルバロの駅に着いたのは夜の11時過ぎであった。そこで「二人のモロッコ人」が彼を待っていた。一人はすでに知っておりもう一人は彼には初顔だった。3.11襲撃までわずか6日を残すだけだった。

少年は彼らにトレドに寄っていいか尋ねた。なぜなら彼はそこに住んでいるおじたちのキャラバンまで行きたかったからだ。【ジプシーは通常キャラバンで移動している:訳注】当のモロッコ人たちはマドリッドではトヨタに乗ってしばらく彼と付き合った。その後彼らは少年に行くべき方向を示した。そのすぐ後だった。一台のパトカーが停止を命じた。彼は緊張し事故を起こしてしまった。そして意識不明になり、どこだか知らないが、病院に運ばれた。そこから国家防衛隊の駐屯所【スペインでは幹線道路での事件は国家防衛隊が担当する:訳注】に連れて行かれそしてグラン・ビア付近の少年院に送られた。

ハビエル・ゴンサレスと「ダイナマイト男」とイバンが「ジプシー少年」の姉タマラと一緒に、エミリオが彼を連れ帰るために調達したランチアに乗ってやってきた。しかしトレドの彼のおじたちが現れた。そこで「ダイナマイト男」はその日中に怒りながらアビレスまで戻らねばならなかった。少年は数日間トレドのおじのところにいた。エミリオは、彼自身の証言によると、その事故以来「ジプシー少年」から遠ざかった。

[ワルネル地区の別荘]

マドリッドの「二人のモロッコ人」の居所について、少年「G.M.V.」は、モウグリは『ワルネル地区』に別荘を作っており、そして彼とその妻が2月26日に新婚旅行から戻ってそこで食事をしていた、とエミリオが彼に教えたことを示した。

「ジプシー少年」はエミリオが一度に多くの携帯電話を使っていた、と主張する。それには彼の妻とイバンのものも含む。また「ダイナマイト男」とエミリオの間は非常に良好な関係であり、二人はモウグリとハッシシの取引をするためにマドリッドに行っていた。

少年はラファー・ゾウヘイル【エル・ムンド紙によって「警察との内通者」と報道されたモロッコ人:訳注】を知らないと言う。ゾウヘイルは、アストゥリアスのビリャボナ刑務所でアントニオ・トロと一緒になってから後、イスラム過激派とアビレスの男たちとを結び付けたモロッコ人である、と国家防衛隊は確信する。しかし少年は、エミリオが『モロッコ人』ラファーについて、彼と刑務所で知り合ったこと、彼はオビエド近くのプリンシパド公園にある宝石屋に強盗に入った、ということを話していた、と言う。

あらゆる新聞の調査の中で、情報はもつれあっており、すべての情況での人物たちの何百もの会話の中から嘘と本当を見分けるための辛抱強さが必要だ。3.11のブラックホールのより入り組んだ各章の一つを暴き出すことができる人物の、それが一人であっても、証言と出会うことはほとんど奇跡に等しい。

ほとんど子供に過ぎない16歳の少年が、この事件を解明するために巨大な貢献をしている。爆発物、釘類、輸送手段に関与する能力を持っていた「スペイン・コネクション」が我々にちらりと姿を見せるが、しかし、その深層はますます薄暗くなるように思える。

http://www.elmundo.es/elmundo/2004/06/17/espana/1087440996.html

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