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『家族私有財産及び国家の起源』を巡る民族学史
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投稿者 乃依 日時 2005 年 2 月 19 日 05:52:15: YTmYN2QYOSlOI
 

(回答先: モルガン=エンゲルス説の周辺 にようこそ -BUMsatは佐藤文明のホームページです 投稿者 乃依 日時 2005 年 2 月 19 日 05:49:55)

『家族私有財産及び国家の起源』を巡る民族学史

 性と家族、この問題が民俗学的な視点からとらえられ、政治理論、歴史理論と交流を持つようになって久しい。異なった二つの文化がそれぞれに異なる性制度と家族制度を持つとき、われわれはその両文化の関係を問うことができる。数々の文化圏が持つ制度的側面の単なる描写発掘の段階から民族学、あるいは民族史学が離脱したのは1861年バッフォーヘンの『母権論』からであるいえる。彼はこの書の中で、これまで好事家や物知り連中の興味深い異国の奇風として知られていた母系家族や一妻多夫制などを母権制の残存として整理し、これに歴史理論与えた。すなわちわれわれは日常生活しているところのいわゆる父権制社会の前に世界は母権制の時代を通過した、と。

 しかし『母権論』はなぜ初期の人類がまず母系=母権制を生み出すことになったかを具体的事実からではなく論理的概念的な見地から辛うじて説明してみせはしたが、なぜ歴史が母権制から父権制へと移行する必要があったのか、移行せねばならなかったのかを証明することはできなかった。

 この歴史理論に進化論的な体系を与えたのがほかならぬ『古代社会』におけるルイス・モルガン(1877年)である。彼は、出自の確定という生物学的条件から母系制を導いたバッフォーヘンの母権論に対して、親族名称という社会学的事実をもって親族体系=家族制度に迫り、群婚の可能性を提示。族外婚、族内婚が「種族」の文化的経済的発展段階に応じて群婚の規制として登場してくると説明した。乱交(集団婚)→血縁家族→プラヌア家族→対偶婚家族→一夫多妻制家族。これがモルガンの家族発展図式である。父権制なるものはこのような家族制度の過渡形態たる一夫多妻制家族の成立、および私有財産制度の確立、氏族国家の誕生に対応して形成されてくる。モルガンのこの認識は国家=氏族=家族=性の制度的な連鎖を初めて提示したと同時に、その形成過程が経済的発展段階と対応しているために、まさしく政治理論との接点に立たされることとなったのである。ことに市民法が制定され、私有財産の守護者としての市民国家が登場することによって完成するとする単婚制家族の認識は、一夫一婦制を厳格に遵守させようとする教会権力、家族に資本主義的生産関係における安定した役割を押しつけようと企てる国家権力と衝突。市民革命以降高まりつつあった婚姻制度への批判に理論的な武装を与えた。

 モルガンの持つ、こうした革命的な理論に注目したのはほかでもなくマルクスとエンゲルスである。エンゲルスによれば『古代社会』に魅せられたマルクスは「私が彼のまことに詳細な抜き書きから見るところでは、彼自身その著作をドイツ人に紹介しようと思っていたほど」(1884。2.16カウッキーへの手紙)だそうで、エンゲルスが『家族私有財産及び国家の起源』を書いたのも「ある程度まで(マルクスの)遺言の執行をなすものである(1884初版の序文)という。その後、唯物論者の間で物議をかもし出す結果となった「ある特定の歴史的時代及びある特定の国土の人間の生活が営まれている社会的諸制度は、二種類の生産によってすなわち一方では労働の、他方では家族の発展段階によって制約される」(1884初版の序文)という史的唯物論にとって自己矛盾を起こしかねない重大な発言をあえてしていることが示す通り、エンゲルスもまた『古代社会』に魅せられた一人であった。

 1891年第四版の序文では「このように、文化諸民族の父権氏族の前段階をなすものとして、原始的な母権氏族が再発見されたことは、ダーウィンの進化論が生物学に対し、マルクス剰余価値学説が経済学に対するのと同一の意義を原始史学に対して持つものである」(大月版p23)とまで断言。「彼が原始史に与えた秩序は、その大綱においては今日でもなお妥当である」(同p26)として、原始的な母権氏族の発展段階の物質的基礎として、種族内的な(氏)族外婚、すなわち氏族内での厳格な婚姻禁止の存在を挙げている。類別的親族呼称名の研究によってモルガンが発見したプラヌア家族とは、このような兄弟姉妹間での婚姻の禁止の結果として、すなわちインセスト・タブー(近親相姦禁制)を基礎としてのみ形成された氏族=家族(今日の家族とおよそ異なった形態で、夫婦を単位としておらず、まさしく氏族=ホルドそのものである)なのである。

 モルガンが想定した家族制度の単系的進化図式、その基礎としての近親相姦規制の発生拡大についての進化論的説明、そして類別的親族呼称による家族形態の分類など『古代社会』の背骨全体を「これをもって原始史研究の新紀元が始まる」(p24)として受け入れたエンゲルスは『家族私有財産……』においてモルガン=エンゲルス説といわれる家族=政治理論を打ち出すことなるのである。こうして、性と家族の問題は壮大なイデオロギー闘争の渦中に投げ込まれるわけだが、今、そのすべてを記すわけにはいかない。後の民俗学が必ず通過しなければならないモルガン=エンゲルス説の骨子というべき点に対する特徴的な批判、修正理論について、以下、簡単に触れておこう。

 

 何よりもまず、モルガンとエンゲルスの同一視を批判する構造主義民族学の立場について触れておかなければならない。レヴィ=ストロースの登場で近年急速な発展を見せているこの学派の立場は、学問の中にイデオロギーが混入する恐れを排除するために、歴史主義的方法論を捨て、構造主義的方法論を採用する。構造主義者から見れば、発展の前後に格差を設け、この未開=文明スケールによって現実を測ろうとする一切の進化論的(人間を霊長類と呼び、最も進化した類とみなして価値付けるなどの)見方は観察者側を絶対視したイデオロギーなのである。未開は何の名によって未開と呼ばれるのか、未開は必然的に今日文明と呼ばれているわれわれの資本制社会に遅かれ早かれ到達しなければならないのか。こうした問いを単系的進化説に投じてみるとき、われわれはサルが人間の前身で、遅れた人間に過ぎないという単純な進化主義を思い出す。構造的見方からすれば、人間とミツバチの間での進歩度の比較が不可能であるのと同様、人間とサルの間でもそうした比較や前後関係の位置づけは無意味なである。植民地政策が人種差別、さらには昨今の「文化の灯火を開発途上国へ」といった資本の経済侵略イデオロギーを考えるとき、構造主義が持つ歴史理性に関する鋭い批判忘れてはならない。

 彼らの指摘によれば、モルガンには『人類の血族及び姻族体系』(1870年)に見られる構造主義的な見解と、『古代社会』(1877年)における進化論的な立論との二つの顔があるという。前者のモルガンに対してレヴィ=ストロースは「社会構造研究の偉大なる先駆者」(『構造人類学』p282)として最大級の賛辞を与えているが、後者には厳しい。ポール・メルシェにいたっては『古代社会』のモルガンを「現存する未開諸社会の成員である人びとが『現代人の祖先』としてわれわれの前に姿を現すとき、その現存する未開社会の複雑な過去は絶対的に否定されてしまう。……方法論の領域においては、進化論を体系的に適用するのが不利であることは自明のこととなってきている。モルガンが諸事実を曲解していた点については既に言及してあるが、さらに諸資料が欠けている場合にはモルガンは性急な外挿法さえもあえてとった」(『人類学の歴史』)として非難。進化論の持つ性急な結論(むしろそれが前提となっている)の方法論的な限界をも批判している。

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 ところで、モルガンに魅せられたエンゲルスが彼から受け継いだものが『古代社会』の進化学説であったことは重要である。『人類の血族および姻族体系』についてエンゲルスはわずかに「モルガンが1871年にはまだぼんやりと予感していただけのものが、ここでは(『古代社会』)十分な意識をもって展開されている」(p23)と言及しているにすぎないない。

 もちろん、これだけでエンゲルスが進化論に組みしたと断定できるものは何もない。それどころか彼もまたマルクス同様、進化論的な見方は慎重に排していると言ったほうが正しかろう。歴史主義と構造主義とのいわゆる構造主義の唯物化、唯物論の構造化論争など、方法論上の問題をここで展開するつもりはないが、少なくとも、両者のアプローチの違いは結論のニュアンスの違いをもたらすことは見落とせない。民族学が他の学問とともに何らかの人類解放に向けての力となるとすればである。われわれが、今ここで押さえておくべき点は、モルガンとエンゲルスが必ずしもイコールで結びえないこと。原始共産制→奴隷制→封建性といった歴史理解を持つエンゲルスにとって、モルガンが定式化した構造的連鎖と発展段階図式の二側面のうち、後者の方をより強く受け入れたこと。前者については家族制度と経済発展の連鎖の重要性を抽出、強調したこと。近親姦禁制の拡大原因としての進化主義を受け入れたこと。単系的進化説を受け入れたことで、歴史の絶対化、進歩主義イデオロギーをニュアンスとして受け入れてしまったこと、これである。その結果として、例えば今日の西洋社会を律するアーリア=セム文化を「アーリアとセムの二人種は、他人種との混淆、生活資料の優越、位置の有利さにより、そしておそらくそれら総体によって、未開状態を脱した最初ものであった。彼らは実質的に文明の創生者であった」(『古代社会』p63)として、文明の創生者=生存闘争の勝利者とみるモルガンのイデオロギーを無意識裡に受け入れてしまうことなる。未開からの離脱をエンゲルスはアーリア=セムの文化のうちにみる。「東大陸では、未開の中段階は乳肉動物の馴致をもってはじまった。……家畜の馴致と飼育、比較的大きな家畜群の形成が、アーリア人とセム人を他の未開人の群れから分離させる機縁となったらしい」(p32)というわけだ。だが考古学的事実は文明、文化の発祥をむしろ別ところにみている。いわゆる新大陸の農耕文明(インカ,マヤ、アステカ)や東大陸の農耕文明(世界四代文明)がそれで、アーリア・セム両民族は遊牧という移動生活からくる限界の中で巨大な文明文化を持っていなかったことは明らかである。たかだか文明の略奪者としての技術に長けていたというのが実相であろう(これにしても浸入当初の文明の格差は大きく、文化的な吸収、敗北を繰り返したのは歴史的事実である)。歴史の勝利者を文明の創生者とすることは、歴史の方向性を権力者に売り渡すことにつながる。家父長制の勝利は家父長制の文化的優位を意味するものではないし、歴史の方向が必ずしもその延長線上に展開されるわけでもない。

 だから一夫多妻制(家父長制)家族から、一夫一妻制(単婚)家族への移行における最大の道徳的進歩、すなわち個人的な性愛が「男の支配をやや緩和な形態で包み……はるかに自由な地位を女にゆだねた」(p88)というアーリア、セム文化の延長線上には想定しえない進歩については、これまで単系的進化あるいは生存闘争的原則を棄て、民族混合という偶然的要因を導入しなければならなくなる。しかもその偶然的要因が「当時のドイツ人の間では、……まだ対偶婚から単婚への発達が完全になされていなかったから」(p87)であり、「たんに彼らの未開性、彼らの氏族制度だったのである」(p204)とすれば、西洋はまた別な姿(エンゲルスのニュアンスからすればもっと悲惨な姿)をも採り得たこととなり、未開性が文明性に影響を与えることがある限り、これは単系的進化と矛盾する。また、アーリア・セム支配の行き詰まりの打開としての近代的性愛の登場を、別の起源を持つ文化的発展とみなす傾向の中で、まさに将来の発展を約すいまだ完璧ならざる歴史の救世主と位置づけるニュアンスを全編にわたって持ち込むこととなる。これは近代的性愛が西洋世界に発明され受け入れられた背景として、それがより有効な支配手段としての機能を果たし得たからである、といった歴史的事実の西洋文化構造内部の考察から目をそらす。おそらく、これら両文化の影響関係を把握するには、単系的進化の前後関係といった歴史主義的な見方は適当ではない。両文化の固有の構造の内部にわけ入り、両文化の出会いによって両構造がこうむった構造内外の矛盾をあまさず拾いあげ、それを構造主義的に説明しなければなるまい。

 もっとも、未開とか進歩とかという用語が与える表面的な意味作用とは異なり、モルガンもエンゲルスも実は別のこと言おうとしていたのだという『モルガン・エンゲルスと現代人類学』におけるエマニュエル・テリーのような解釈も成り立つ。また他方で、民族学における多大の貢献にもかかわらず、政治的には文化相対主義に陥らざるを得ぬ方法論を至宝化する構造主義に対するマルクス主義陣営の側からの正当な批判も存在する。この批判を裏付けるごとく、構造人類学の創始者レヴィ=ストロースの最新作『裸の人間』(1973年)の最終章は深いペシミズムに彩られ「人間の黄昏」について語っている。構造主義の鋭い批判者H・ルフェーブルの不均等発展説、水準に穿たれた社会的空白(穴)の理解を借りなければ歴史が出口を失うのは目に見えているのだ。ルフェーブルはいう。「水準の概念に対する理論的蔑視が、クロード・レヴィ=ストロースに歴史の理解を禁じさせている。このことが彼をして歴史を均等化させているのである。交換やコミュニケーションのあらゆる形式を一つの範疇、すなわち、交換一般、コミュニケーション一般、要するに十八世紀の意味での《交流》の中に回収させるかれの命題(テーゼ)は、天真爛漫さ(手練手管でないとすれば)によって説明する以外にどのように説明できるだろうか」(『ひとつの立場』p177)と。そうなのである。経済下部構造説に安眠し、他を顧みることを怠った(前出1884年初版の序文に対する物議はこの結果起こったものだ)多角的視野を持てない唯物論者達は、エンゲルスの抱えた矛盾の前で立ちつくしてしまい、新たな展開を見出せなかった。彼らの戸惑い、停滞をやすやす突破し、〈系の系〉の概念により、経済学=言語学=民族学=性心理学の連鎖を明らかにして見せたレヴィ=ストロースの「すべての社会はメッセージの交換、財貨交換、女性の交換という最低三つの伝達形式を前提にしている。これらの水準の各々の研究は同じ方法によっている」(『構造人類学』)という伝達の科学に対する認識は、その長所において限界を持っていた。親族体系内部における女性の役割を交換の客体、記号的対象とみなすことは、われわれに家父長制社会に対する多くの新しい認識を与えた。しかし、交換過程、流通過程を本質的に支える価値形態の質的変遷(第一形態から第四形態へ)……といった水準を不問にしたら、女性は歴史を越え、永遠に一般的交換対象であることを運命づけられる。この認識からだけでは、女性の解放はおろか、われわれの私的所有の廃止も幻になってしまう。民族学においても、唯物論の構造化か、構造主義の歴史化(史的唯物論)か、の検討を迫られるのである。

 ところで、全く新しい資料と方法論とを携えて登場した構造主義がどこへ向かっていくのかは今後の問題である。構造主義そのものは唯物的方法論(どのような方法論でも、それが自己目的化すれば観念的であるが)を目的意識的に追及している学として、マルクス主義に同調的であるし、ルフェーブルの批判も根源的なものではない(別な構造主義がありうる、という点で)。構造主義は自己自身の方法によってこの批判を超える可能性を持っている。通時構造の把握(それには空白を矛盾要因として動的な構造に組み込む必要、及び水準間矛盾の意味を通時的に問う必要があろう)がこれである。

 

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 次にモルガン=エンゲルス説の骨子に対する個々の批判を一瞥しよう。民俗学的な立場から、現存する家族制度を批判した『家族私有財産……』(1884年)は当然の結果として政治的イデオロギーの場に引きずり出されることとなった。その焦点は当然その当時の道徳的観念と社会的支配形態(これは今でも変わりなく、常に再生される批判だが)に鋭く対立する部分。すなわち、原始乱交=集団婚説、及び、原始母権制説をめぐる批判である。

 当初、エンゲルスによって「イギリス先史学派のいわば官命の創始者兼指導者」(p25)とまで罵倒されたマクレナンをはじめとして、当時の有力学者フレーザー、タイラーなどほとんどの学説はモルガン=エンゲルス説に傾いた。ところが1891年、類人猿の研究を引っ下げ、また男の嫉妬心は女の共有を許すものではないという論点から原始乱交=集団婚説を批判するウェスターマークの著作が現れ(『人類婚姻史』)イデオロギー論争に火をつけた。その急先鋒はなんと自称マルクス主義者、カウッキーやクノーであった。クノーはモルガンの類別的親族呼称に注目。親族の呼称を単に世代階層を表すものであり親族制度を象徴するものではない、としてマレー式=血族家族、ツラン式=プラヌア家族の連関を否定。集団婚説を排撃した。これに対するエンゲルスの反批判は概念的図式的だが確信に満ちている。すなわち「土地であろうが、妻であろうが、他のなにかであろうが、共有制が存在するところでは、それは必然的に原始的で、動物界からひきつがれたものである。……私は、この命題はまったくくつがえすことのできない、普遍妥当的なものと考えるので、たとえ新たな例外を……しめすことができても、私は、それを共有制に対する反証とはみなさず、なお解決されなければならない問題点とみなすであろう」(188332、カウッキーへの手紙p250)と。この確信はもちろん何らかの証明ではない。解決はわれわれの手に残されている。

 まず、ウェスターマークの生物学的研究からの批判に答えておこう。もしエンゲルスのいう共有制を制度としてのそれとみるなら、それは必ずしも動物界から受け継がれたものとは言いがたい。また、単に共有現象とみるなら、そのような活動現象を呈さぬ動物も存在することは確か(ニホンザル、ゴリラなど)である。しかし、ニホンザルはもちろんのことゴリラのそれを単婚と呼ぶことはできない。われわれは親族制度を扱っているのであって人類の生態学を論じているのではないのである。制度の形成の要因として生態の研究は重要だが、単婚制度などという高度に抽象的な禁止規定が自然状態から(単婚的活動が一般的であればなおさら)突然生まれるはずはない。問題なのは原始乱交=集団婚に対する「禁制の障壁が、かつてはおこなわれていなかった」(p45)ということであり、そうした制度的禁止の不在状態を無規律性交と呼んでいるのであって、男の嫉妬心ともども「女郎屋の眼鏡をとおして」(p46)集団婚を見てはならないのである。嫉妬心は特定の欲求の禁止の結果であって原因ではない。したがって単婚が人間の本能なら、嫉妬心を生むような禁止規定を、ある欲求の上に設けなければならない理由は存在しない。われわれにとって大切なのはどのような欲求を何のためにどう禁止したのか、あるいはいかなる状態がどのような規制によってどう変じたのか、という点にある。制度とは常にこのような機能を持つものである。したがってまたわれわれはエンゲルスのいう《動物界》から受けつがれた共有《制》という自然進化論的に飛躍している二つの用語の溝を埋めていかなければならないのである。

 次の親族名称に対するクノーの批判についてはモルガン=エンゲルスの集団婚説の重要な根拠でもあるので、少々説明を加えておく必要がある。ただ残念なことには、この批判に対するモルガン=エンゲルスの反批判をわれわれは、手にしていないのである。

 1884年初版の序文でエンゲルスは「モルガンは、四十年前にマルクスが発見した

唯物史観をアメリカで自己流にあらためて発見」(p7)したと書いている。この唯物史観の基礎こそ具体的事実の分析として類別的親族名称と、これを根拠とした血族家族とプナルア家族の人類史における進化的な位置付け、すなわち原始的な母権氏族の再発見であったことは間違いない。

 モルガンは未開社会で行われている親族に対する呼称が、われわれの社会で常識なっている単婚双系的な呼称(記述式体系)と異なっていることに注目、これを類別式体系と名づけた。そのひとつ、マレー式親族名称は本人の直系とは無関係に、世代と性を区別する呼称しか持っていない。つまり、一世代前の男性はすべて父であり、女性は母であり、同世代の異性は妻であり夫である。またツラン式(またはガノワニア式)親族名称においては、これに父方であるか母方であるか、その兄弟であるか姉妹であるかの区別が加わる。すなわち本人が男であれば、父と呼べるのは本来の父とその兄弟、父の父(祖父)の息子たちだけであり、母の系あるいは父の母の系など、いわゆる性別の交差する系譜はたどられない。また、自分の息子あるいは娘と呼べるのは、本来の子、および兄弟の子、父の兄弟の息子の子、父の姉妹の息子(本人から見ればいとこ)の子だけであり、近親でも自分の姉妹の子は甥・姪である。さらに、男の姉妹は父の父の兄弟の娘にも及び、当然ここには近親相姦の禁制が働く。本人が女の場合には以上の関係がそっくり裏返される。こうしたハワイ諸島のマレー式、北アメリカのツラン式親族名称は世界に広く分布しているが、この事実をモルガンは出生関係の社会的認知を表すものとみなして、マレー式にあって自分の兄弟姉妹の子を一様に子と呼ぶのは兄弟たち、あるいは姉妹たちがそれぞれに妻と夫を共有しており、したがってその子がだれの子か区別され得ないからであると解釈。ここに異世代間の婚姻を禁じただけの血族家族の遺制を読み取り、血族家族をして人類最初の家族形態と結論したのである。同様に、ツラン式の場合、妻と夫の共有は変わりないが兄弟と姉妹との間での通婚は禁じられており、それゆえ兄弟の子と姉妹の子は区別されるが、同性の兄弟姉妹間の子は区別できず、一様に子と呼ばれるのだと説明。兄弟姉妹間に近親姦禁制が拡張された家族をプラヌア家族と名付けたのである。

 そして、この近親姦禁制の兄弟姉妹間への拡張こそ親族の間に初めて父系と母系をたどらせることを可能にするとともに、家族形成を血縁以外のグループに頼らざるを得ない、いわゆる外婚制を生み出す決定的要因となったとし、外婚制の発生を内婚制血族家族内部の氏族分化から説明することとなる。ここに人類史は外婚制に枠づけられた下位単位としての氏族=家族と、これを統括する原則的に内婚的な上位単位である種族とを持つことになり、この氏族こそが、後の家族、国家を導きだす重要な生活単位となるのである。

 ところで、これに対する『オーストラリアニグロの親族組織』(1894年)におけるのクノーの批判によれば、類別式親族名称において父と呼ぶのは、その男が子を産むことができる、あるいは子を持っている階層を示しているのであり、むしろその社会の父子関係が明確であることを意味している。したがって出生関係が明瞭であることを意味している。したがって出生関係が不明であることから導かれた集団婚は存在しない、と説き、原始単婚説を主張。グロッセらの追認を受けた。この段階ではしかし、クノーも父という名称を生物学的名称と考えていた点でモルガンと同様の誤謬を犯していた。親族名称がもし出生関係の社会的認知から導かれたものなら、原始といえども認知されうる母子関係が名称に反映しないはずはない。とすれば、親族名称とは生物学的区分によってではなく、純社会学的区分によって決せられるのではないか。それは自然の反映ではなく制度の反映なのだ。

 こうしたモルガン=エンゲルス説の骨子に対する決定的批判が続出するに及んで、世界の民族学会は反進化主義隆盛の時代を迎え、モルガンら進化主義学派の内部でも原始乱交=集団婚説を見限り始める。クノーは1912年『婚姻および家族の歴史』において、原始民族の世代層、血族共同体的編成、およびこれと関連する結婚秩序の反映である、とし、モルガン=エンゲルス説にダメを押す。しかし、ここから社会学的家族説に立った新しい原始乱交=集団婚説が登場するのである。

 リバースはすでに1907年『類別的親族体系の起源について』という論文で、これが社会学的関係であることを察知。実母と実子の相互呼称が他の姉妹たちとその子らに対する呼称と同じなのは、その子らに対する母たちの社会的な役割が同一だからであるとして、集団的母性の概念を導入した。すなわち、この「文化の初期の段階では授乳の義務が他の婦人たちによって共同に負担され、離乳期には、子供は自分の母親と他の産婦たちを区別しうる立場ではなかったであろう」というわけだ。事実、世界の諸民族の中には集団的母性の事例が溢れていた。

 1922年マリノフスキーを中心とする機能主義民俗学の登場で一時陰を潜めることになる原始乱交=集団婚説の最後の砦として論陣を張ったブリフォールトはリバースの集団的母性を受け継ぎさらに「社会組織が親族関係の上に基礎付けられるという考え方はすべて誤りである。真理はその正反対……すなわち親族関係こそが、社会組織の上に基礎づけられているのだ」と断じ、モルガンを否認したうえで、母の保護が社会的機能と感情に対応して類別化されているように「《妻》や《夫》の語は、性的接近の権利を意味することなしには用いられることがあり得ず、そして実際にも用いられはしないのだ。性的接近の権利こそが、それらの語の意味の精髄をなすものである」(『母性論』)と論じて、奇しくもエンゲルスの性的禁制の障壁が、かつては行われていなかったとする見方を追認した。問題は制度として何が禁じられているのかに返っていく。すなわち、近親姦禁制の発生拡大の原因と範囲、その意味などの問題に、である。この観点からモルガンは再び構造主義の側から脚光を浴びることになる。すなわち初期の親族関係は近親姦禁制の上に基礎づけられている。いや、親族制度とは他の制度と同様に複雑に細分化された社会的禁止の総体である以上、その上に展開された関係は意識的であれ無意識的であれ制度的なのである。

 

 さて、以上は主として原始乱交=集団婚説に対する批判であった。これに対して母権制先行説、単系的進化説の批判は1920年代以降、機能主義民俗学を中心として現れた。この一派には婚姻が与える当事者に対する機能は普遍だ、として集団婚説を否定する学者が多く、反歴史主義、石化主義民族学としてマルクス主義陣営から常に批判されてきた。この一派は、その理論的支えをアメリカ、プラグマティズムの中に持っている。しかしながら彼らの多くは母権制の存在を否定しないばかりか、農耕民族に限って母権→父権の歴史的転換を認めるものが少なくない。

 機能主義に先行する1910年、文化史学派のシュミットは『人類発展史におけるピグミー諸族の地位』を書き、原始一夫一妻制説と、双系制先行説を唱え、双系制はその後、父系と母系に分化、母系制はその後、父系制と接触することで父系制に転化したとして内的発展説を捨て、伝播説を採用。今日の主要なイデオロギー的対立面をことごとく提出した。

 もちろん1891年の段階ですでに「われわれの資料は非常に豊富になった。……モルガンの個々の仮説のなかには、その結果揺るがせられ、また棄てられさえしたものも少なくない」(p26)と書かなければならなかった『家族私有財産……』の記述からしても、シュミットを論破できるだけの裏づけが、この本から手に入る可能性は少ない。しかもシュミットが提出した論点はモルガン=エンゲルス理論の主要観点に関わるものだった。

 乱交→血族家族、血族家族→プラヌア家族への移行を、類別体系によって区分された類型に整理。それを近親姦禁制の自然拡張と解し、「この進歩によって……諸種族よりも、急速にまた完全に発達したに違いない」(p49)という理由にならない理由、歴史にゲタを預けた説明。出自の自明性(それは生物学的であって、すでに制度を持つ民族に対して説得的でない)を唯一の論拠とする氏族の母系制説。プラヌア家族→対偶家族の移行に対する婚姻禁止の複雑化による説明と、単純な弱肉強食主義。母権→父権の転化における対偶家族(略奪婚、売買婚、居住制などの唐突な導入)の位置づけの不鮮明。対偶婚→家父長制への移行の内的説明の放棄とアーリア=セムの突然の導入。そしてその社会的原動力の結果的説明……等々。単系的進化説のこの程度の論証では当時の民族学に対してとても通用するシロモノではない。

 われわれはここで反歴史主義的方法論とフィールドワークという学問的形態を携えて登場した機能主義民族学の祖・マリノフスキーに言及しなければならない。機能主義の側からの歴史主義=進化主義に対する批判はモルガン批判の急先鋒、ロウィーに任せるとして、機能主義の方法とは「文化や社会の現象を、その起源や発展の過程から理解するのではなく、生きてたがいに働きあっている機能の構造として描きだそうとする立場」(『マリノフスキー』p15)ということができる。この限りでは歴史的理解と直接対立するものではなく、構造主義と通ずる歴史の共時的な断面の研究といえなくもない。この意味で、ある特定の文化を「道具、消費財、種種の社会集団の憲章、観念や技術、信念、慣習からなる総合的全体」(マリノフスキー『マイルーの原住民』)ととらえ、フィールドワークによりその社会に奥深く入り込み、社会の諸制度と、その中で生きる個人の意識、そこから制度が果たす機能とその個人的反映としての意味などを抽出する、というトロブリアンド島における彼の研究と実践は高く評価してよい。ことに彼は「人間は、一群の物質的所有物を用い、社会組織の型の範囲内で生活し、言語によって伝達し、精神的な価値体系によって動かされる」(『未開社会における性と抑圧』p182)として、社会の研究に心理学を導入したことは(われわれにとって幸いだったことに、当時、機能主義心理学は未明の時代で、彼の適用したのはフロイドの精神分析学だったことだ)母権制社会の内的構造の解明という素晴らしい結果をもたらした。

 にもかかわらず機能主義は文化相対主義的な結果をもたらす。というのも、いかに異質の社会を調査しようとも、その機能の説明は常に主観的になされるからだ。しかもこの主観とは機能的社会の機能そのものである。彼らにとって社会的機能の目的は常に一つである。超歴史的、超構造的な文化の目的――それは人類の調和と幸福である。しかし、個々の文化は常にそのような目的、現実と過程を抜きにした目的など所持していないのだ。しかし、一見科学的でありヒューマニスティックであり、しかもフィールドワークという学究的ならざる冒険までそろっているとあればこの学風が受けるのは必然であった。ここに至って民族学的資料は山となり、新しい事実は整理しようもないほどにふくれあがった。シュミットのいう双系→父権という社会の存在も発見された。文化は内的発展と伝播の両方から複雑な過程として説明が加えられた。さらに集団婚説は多様な実態の前で吹き飛び、出自の問題は婚姻の問題や居住制の問題の前で影を薄くした。民俗学は他の学問との連関の中で文化人類学に発展。文化人類学者にとってもはやモルガン=エンゲルス説は過去の遺物として忘れ去られた。1931年のイギリスBBC放送を通じてのマリノフスキー対ブリフォールトの論戦は原始乱交=母権先行説の最後の抵抗となった。

 しかし、この間に精神分析学会に全く新しい事態が起こっていることを忘れてはならない。文化人類学界内部にあって、母権→父権への移行の論証を見つけ出すには1949年マードックの『社会組織』1956年シュレジャーの『氏族形成の基礎』を待たなければならなかった。このあまりにも悠長な学界の現実に対し、彼らの先取りともいえる理論が、こともあろうマリノフスキーの研究を足場に出現するのである。これがウィルヘルム・ライヒの『性道徳の出現』(1932年)である。しかも前二者がモルガン=エンゲルスの理論との接点をほとんど持たず新歴史理論を展開しているのに対して、ライヒはモルガン=エンゲルスの修正から出発している。そこで、本論考をマリノフスキーとライヒとの関係に触れることで終了したい。

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 われわれは今、マリノフスキーがトロブリアンドの母権社会を調査し、母権社会の生活実態の素晴らしさを記録したにもかかわらず、結局はこの成果も「母権制は、おのおのある利点をもつ親族関係認知の二つの方法のうちのひとつである。母権制の利点の方が、全体としては父権制のそれよりも大きいだろう。それらの利点としては……母権制が父親に対する情操から強い抑圧を除き(彼の論法では、この抑圧の役割を果たしているのは叔父である)、共同体内部の性的禁制の構造内で母親により矛盾のない、よりよく適合した位置を与えるという点である」(『未開社会における性と抑圧』p261)といった相対的結論に陥ることを指摘した。しかし一方、彼は民族学(正確には民族主義的観察)に心理学を導入したことで、これまでの民族学な記述的な性格を持つ制度そのもの、すなわち、H・ルフェーブルの用語を使えば、その社会の理想化された部分、整合化された部分といった最高位水準の分析と理論化に留まっていたものを、一挙に日常的水準に引き降ろし、マリノフスキーが実生活の付可量部分と呼ぶ「平日のありふれた出来事……、人びとの間の強い敵意や友情を、共感や嫌悪、個人的な虚栄と野心……などの細々したこと」(『西太平洋の遠洋航海者』世界の名著p87)の記録に成功(同様に心理学的視点を導入した。レヴィ=ストロースの場合には神話の研究という最高位水準への適用だったために、このような日常性の構造解明には見るべきものがなかった)。彼が意図したしないにかかわらず、その社会の共時的構造が有する矛盾し、日常性の水準間に開いた社会的空白としてその社会が運動する可能性、すなわちマルクス主義歴史理論の基礎たる矛盾の根源を、そこにおいて提出する結果となったのである。マルクス主義と精神分析学の統一を志向していたライヒは、この点を見逃さなかった。

 ところで、マリノフスキーとライヒのフロイト理解は完全に違う。文化を抑圧の結果と見るフロイトの理論を、マリノフスキーはそのまま踏襲。トロブリアンド島の素晴らしい母権制文化を目の当たりにしていながらエディプス・コンプレクスの適用が通じなくなると、これを中核コンプレクスと置き直し、母権制を抑圧の上手な配分ととらえた。この抑圧の基本たる近親相姦の禁忌についてのフロイトの理論がまとめられたのは『トーテムとタブー』(1891年)。『未開社会の性と抑圧』をマリノフスキーが書いたのが1927年である。このほかライヒの論敵、ローハイムがフロイト理論を引っさげオーストラリアとニューギニアを調査し『未開文明の精神分析』を書いたことが、ライヒの民族学への関心を煽ったのかもしれない。

 ライヒの『性道徳の出現』ハローハイムの前掲書と同じ1932年に書かれている。フロイト=ローハイムが強い家父長制心理の固定主義路線を突っ走ったのに対し、ライヒは徹底した進化主義を唱えた。文化は必ずしも抑圧と軌を一にしない。たまたま、この家父長制社会が強力な性の抑圧を基礎とした文化を持っているにすぎない。こう考えるライヒはトロブリアンド島社会を抑圧の小さな社会とみなす。それゆえに絢爛たる母権制文化が開花し得たのだ、と。

 それではマリノフスキーの指摘する中核コンプレクス(ここでは叔父=子コンプレクスを指す)をどう考えればいいのだろうか。実は、この点の経済制度に根ざした精神分析的解釈こそ『性道徳の出現』のポイントなのである。ライヒはこの社会を父権制に移りつつある段階としてとらえた。叔父=子コンプレクスは、性的抑圧の完成形態たる父=子(いわゆるエディプス)コンプレクスへと至る抑圧機構の中間段階と見たのである。ライヒにとって抑圧は質を持っているのであり、両コンプレクスの質の差は、まさしくマリノフスキーの記述の中に表現されている。すなわち性的自由の広さ、肛門性愛期の不在、葛藤の少なさ、性倒錯の不在、そして何よりも重要なのは、性的抑圧の結果としての神経症の不在という事実である。

 ライヒのこうした心理学的視点についてはこのくらいで留めておいて、彼の進化主義とモルガン=エンゲルスのそれについて比較してみよう。マリノフスキーの資料を「モルガン=エンゲルスの研究を直接にうけつぐものとして驚嘆をそそる」(『性道徳の出現』p16)とするライヒは 『家族私有財産……』からいったい何を受け継ぎ、何を切り捨てたのだろうか。さらには一体何をマリノフスキーから発見し自らの理論としたのか、それは民族学の(歴史主義、進化主義)において、どんな意味を持っていたのだろうか。

 

 トロブリアンド社会のマリノフスキーの記述の中でライヒが注目したのは前述のとおり、叔父=子コンプレックスの存在であったが、これには父方交叉イトコ婚こという制度的側面と婚資という経済的側面がぴったり貼りついていることをライヒは見逃していない。もうひとつ、この社会の重要なファクターとして見逃してはならないのは、完全な母系性を一般的理念としているトロブリアンドで、上述のような制度的経済的側面を存分に生かしているのは分解し始めた特権階級、とりわけ一夫多妻制の特権や居住規制の破壊を許可し得る権力などをもった酋長であることである。

 つまり、婚資や父方交叉イトコ婚は居住規制(ライヒはこの点を重視していないが)と並んで、調和技術としての永遠の制度などではなく、出自規制によって土地・部落的所有物の相続を母系的に行う従来の制度の上に、動産(裁園作物、カヌーなど)の男性共有を成し遂げ、経済的優位(この社会の経済組織におけるクラ――海上交易で男性の仕事とされる――の持つ比重の増大は重要)を次第に遂げつつあった一部の男たちが、酋長権をも含めた動産の実質的父系相続を行おうとして持ち込んできた新規の制度だと考えられるのである。例えば父方交叉イトコ婚はもうすでにこの社会の一般的イデオロギーとして理念的には完成しているが、実際的にこれを重視しているのは酋長を持つ親族だし、居住規制の破壊(子の成長に伴う母方居住→父方居住)に熱心な酋長の父方居住イデオロギーはまだ一般的なそれとは認められていない(これを認めると母系制氏族は必然的に崩壊する)。以上はまさに不均等発展の段階的矛盾の局面を示しているが、こうした新しい推移に対しマイナスの利害関係を持つ者こそ妻の叔父なのである。そしてこの対立の心理的反映こそ、かの叔父=子コンプレクスなのである。

 ライヒはこのような性=経済の矛盾を父方交叉イトコ婚と婚資の制度の上に見て取った。しかもこれを明確に母系→父権理論の上に位置づけたのである。

 ライヒは結論する。「この発展過程は、母系―父権理論にしか照応しない。……(モルガン=エンゲルス)の発見と考察は、マリノフスキーによって……見事に裏づけられた」(『性道徳の出現』p123)それも「マリノフスキーは、彼の発見の帰結と、モルガンのそれとの一致について、みようともしない」(同p124)にもかかわらず、である。

 モルガンとエンゲルスが依拠した民族誌的事実は、その後の反証によってほとんど見る影もなくくつがえされた。だが、その単系的進化説は、マリノフスキーの調査したより厳密な事実的資料を深読みすることで、ライヒの手によって再びよみがえったのである。モルガン=エンゲルスの単系的進化説を、ライヒはほぼ全面的に受け入れ、発展させる。ライヒにとって、トロブリアンド社会は対偶婚家族が家父長制家族にとって代わる接点として、性的=経済的矛盾を露呈した格好の事例だったのである。しかも彼は、エンゲルスによって対偶婚以前の家族形態への発展に関しては自然淘汰が「作用してきた」(p68)といわれていたまさにその地点に経済関係(単に発展段階に照応した経済関係に限らず、それは生産形態をも含むものである)の要因が働いているのを見いだす。

 それはまた、より徹底したマルクス主義の適用でもあった。したがって、ライヒがエンゲルスの近親婚禁忌の自然的進化説を批反するのもこの線に沿ってである。その当否は今後の問題に残されているものの、ライヒはここにも経済関係上の要因を見つけ出そうとしてモルガン=エンゲルスの部族の分化の結果としての外婚制氏族説を排除する。インセストの禁忌は、異部族(血族)の敵対的関係の合理的調整の結果発明されたものである、と。

 確かに、ライヒのこの理論は母系→父権への移行が萌芽としての階級対立、経済関係の変動に負っていることを証明しはしたが、この母系先行的単系進化が普遍的なものであるのか、さらにこの進化が経済発展段階に厳密に対応したものであるのかを論証してはいない。しかし、ライヒの民族誌的資料に対する扱いは、今日の新歴史主義文化人類学者のそれと比べて一歩もひけをとらないものである。

 事実、今日の文化人類学においても、彼が提出した婚資や交叉イトコ婚の問題は母系―父権移行期の重要概念として用いられている。われわれにはさらに複雑化した事実の、より確実な組み立てが残されている。


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