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我々とは何者か。
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投稿者 如往 日時 2005 年 1 月 24 日 20:05:08:yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 我々の物語 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 1 月 23 日 21:44:27)


 ワヤクチャさん、レスをありがとうございます。
 愚民党さん宛のレスでは、2年間ほどの交信を踏まえて話しを進めていますので、これまでの経過をご存知ではない方には不明な部分が多々あるのは否めないと想われますが、どうかご容赦いただきたく考えます。
 愚民党さんについてはgoogleを“愚民党”で検索するとご自身のHPにアクセスできると思います。HPに開示されているその生き様に触れることによって、私は愚民党さんと“68−70”の時代性を共有できるのではないかという確信に近い感覚を得ました。私の文書手習いなどが到底敵うはずもない愚民党さんの豊かな表現力や迫真の躍動感にはおそらくワヤクチャさんも圧倒されるかも知れません。
 私自身に関しては、共通基盤設営や互いの理解促進のためにも、また一種の礼儀としてその都度必要に応じて、ご覧いただくのもお恥かしい限りの拙い身の上を吐露して来ています。


 >我々の物語を書いていきたいですね。

 現在我々が棲む世界は弱者と強者の対立関係や、あるいは労働者や資本家といった対立軸を基調とする文脈では最早叙述できない状況に到っているのかも知れません。その中で、我々が我々自身の物語を紡いでいくためには、先ず我々とは何者か、すなわち、民衆なのか、人民なのか、市民なのか、地球市民なのか、互いに自己確認する必要があるでしょう。また、新たな枠組みを設営するためのシミュレーションにおいても、我々とは何者かと問い続けることは重要な心得であると思います。

 >SENKIとは、共産主義者同盟戦旗派の機関紙ですか?

 愚民党さんが転載された田原牧氏へのインタヴュー記事はSENKI紙上に掲載されたものです。他にもブントのシンパでなくとも興味がひかれるコラムがあります。

 >>さて、私は、ユダヤ教やキリスト教の一神教的Contextにも、バラモン教や仏教の多神教的Contextにも、人類の物語を紡ぐ縦糸の源泉を求めてその在り様を叙述することは不可能ではないかと考えています。
 >人類の物語の出発点になれないという感じですか?

 それ等が結局は神話という横糸的性質を克服できていないからです。神話においてはそれ以上起源に遡行しないという点では思考停止の産物に外なりません。

 >>無論、世界には一神教的Contextがメイン・ストリームであるとの主張や、また日本にはそれを凌駕しようと模索する皇国史観等の思潮があることは十分承知しています。けれども、この論拠を一言で述べるのは大へんな困難さを覚えています。
 >「この論拠」とは「一神教が人類の物語の源泉にはなれない」という事の論拠の事でしょうか?

 「一神教や多神教や皇国史観等の宗教観は人類の物語の淵源(縦糸)を正確に把捉するものではない」と判断するに至った経緯及び根拠を詳述するために現状は準備する時間が不足していることの言い訳です。(申し訳ない。)

 >>どこに当事者能力を有する者達がいて、またどのように当事者意識を喚起すべきか、答えはなかなか見つ かりません。
 >我々がなっていくしかないのではありませんか?そういう問題意識を持つ者がなるしかないでしょう。

 我々とは何者かを措定し検証し確認していくことによって当事者意識を共有することが可能になるのではないでしょうか。同時に、我々は問題解決の当事者能力を獲得していくための契機を得ることになると考えます。

 >疎外論は大事でしょうね。労働が「疎外された労働」になっている事が一番問題だと思います。即ち商品生産(利潤追求)としての労働という事が一番問題でしょう。

 それ以前に、特に日本の多くの労働者が疎外の状況を自覚していないこと、したがって労働者自身が「疎外された労働」という問題を解決していく当事者であるのにも拘わらず、当事者意識が総体的に希薄になりつつある実情があります。また、労働者が労働者意識を抜け切れないことは、商品生産(利潤追求)に完全に組み込まれていることを物語るものであると思います。

 「我々とは何者か」の問いは私にとって「変革を推進すべきDriving forceとは何か」とイコールの関係にあります。『我々』を構成するものが、歴史的・追想的には、つまり狭義では同時代性と言ってもよいかも知れませんが、それでは我々の末来(地球像)に向かっての問題解決の主体を見い出せないでしょう。
 日本人である特徴は私の属性の一部分を表わしているものですが、何ら私の本質を規定するものではありません。「私が人間に生まれたのは必然である。しかしフランス人に生まれたのは偶然に過ぎない。」と、ロマン・ロランは語っています。これを私流に変換しますと、「私が人間に生まれたのは一つの宿命である。しかし日本人に生まれたのはある種運命に過ぎない。」となります。人類がそれぞれの運命(歴史過程)が相違するという理由によって、地球という Matrix において引き受けるべき宿命を分別することなどできない、そうした時代が到来していると思うのです。

 また、会いましょう。

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