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第四章 神道 3 秀真伝にみる皇道大本 秀真伝にみる男子の節句/秀真伝にみる女子の節句/秀真伝にみる琴(大本教・民間信仰
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:15:24:Bat5keDwZxjsQ
 

(回答先: 第四章 神道 1 言霊とフトマニ 言霊 -その1 神=ことば/スエーデン・ボルグ氏の伝える霊界の言語/秀真伝の言霊考/フ 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:07:26)

*秀真伝にみる皇道大本*

*秀真伝にみる男子の節句*
 
 
 
 秀真伝には、五月五日に対応する祭りとして、以下の歌が残っています(原文は無論神代文字にて記されています)
 
 
 
五月五日の頃 受精して、       五ヶ月と五日経った頃

一巡り、サツサ腹帯           一巡りの節目となって、サッサ腹帯の

岩田なす、中管通る           岩田をなして、中管を通って

天の火(ほ)と、両親(たらちね)の  火と 天の火と、両親のの火と

陰を招き、睦の因みの          陰を招いて、睦び因みの

露溢れ                   露が溢れるのです

-『秀真伝』十四紋「世継ぎ法る祝詞の紋」十二項より-
 
 
 
 胎児は受精してから、五ヶ月五日目に節目となり、八股大蛇やハタレと呼ばれる汚穢に狙われやすい、その為にサッサ腹帯で、大蛇から防御するという風習が上古時代にはあったようです。

 秀真伝で描かれる、大蛇からの防御法として、鈴明(すずあか)之道を守る、夫婦和合をする等がありますが、その一つにサッサ腹帯を巻いて、大蛇から胎児を守るという風習があったようで、実際に胎児の受精の時期がまちまちなのですが、季節として五月五日には、菖蒲と粽の祭りというのを執り行なって居たようです。

 ちなみに「天の火と、両親の火云と陰を招き、睦の因み」という個所は、カタカムナでの生命の誕生条件である、陰陽の配偶と僭称界と現象界の正反の融合とする思想と比べると、「陰陽を母父」「僭称界と現象界の正反の融合を天の火」と替えてみた場合に、極近いものがあるのではと思います。

 秀真伝の別の個所(八綾四鈴)に「ハタレの者の、うぐめきて、五月蝿(さばえ)の声の、恐ろしく」という歌がありますが、大蛇やハタレとは「人の妬み煩う胸の火ぞ、大蛇となりて、子種噛む」と人の妬み煩いが、大蛇を生み出すのであるとしています。

 因みに、変性男子、出口直子氏の筆先には「大蛇が何時も付け狙っているから、腹帯しっかり締めて云々」と、幾つか「腹帯」という文が有り、又「五月蝿(さばえ)なす云々」も、他の神典著書等に見られる事から、何か関係があるのかも知れません。
 
 
 
*秀真伝にみる女子の節句*
 
 
   
 古事記、日本書紀のプロトタイプと言われている秀真伝では、御世継ぎの男神ウヒジニノ尊と、女神スヒジニノ尊の間に産まれた皇子が、手に木の実を持って産まれてきて、その実を植えたところ、丁度三年目の三月三日に、花も実も百個に成るまで成長したので、その実を百(桃)の木と名付け、二伸も桃雛木尊、桃雛実尊と名前を変えられた。

 二伸はやがて雛から成人され、或る年の三月三日に神酒(みき)を献上する者が居り、桃の花のもとで「みき」の何にちなんで、女神が先ず飲まれ、次に男神が飲まれました。桃の花が開いたのが、三年目の三月三日だったので、三三九度に飲み交わしました。

 という話しが残っています。上古の頃から桃の節句の原形があった事を忍ばせる話しですが、二伸の名前が桃雛木尊、桃雛実尊という事からも、雛祭りの原形があったと思われます。昔の雛祭りなどでは、祓いに使用する型代(かたしろ)と呼ばれる人間の形をした紙を使っていたようです。

 変性女子、王仁三郎氏の行動は、雛形或いは型を行ったという点で、何かしら共通点が在るのかもしれません。大勢の人を巻き込んでの行動が、実際には、その後に起きる出来事の雛形であったとすれば、雛人形ではなく人を使った神芝居というのも、肯けます。
 
 
 
*秀真伝にみる琴*
 
 
 
 元来琴とは、祭事の際に奏でられる、雅楽として使用される楽器で有ったようで、その琴の音自体が、言霊と成り身体・精神の強壮と、大蛇を和(やわ)す効果があるとしています。
 
 

アワの歌、葛垣琴(かだがき)打ちて    アワの歌を、三弦琴に合わせて

弾き歌ふ、自ずと声も             弾き歌えば、自ずと声も

明かに、五臓六腑緒(ゐくらむわたを)    明らかになって、五臓六腑も

音声わけ                      整って来るのです

-『秀真伝』一紋三項より-

 上記の歌で思い出されるのが、王仁三郎氏の『霊界物語』にも、身魂の磨かれていない人物の描写に「言霊に濁りが在る」という表現を取ったりする所や、琴=言の葉という概念がある事です。

 ちなみに八雲琴の創始者「中山弾正琴主」という人物の著書『出雲琴考』には、以下の様な逸話が載せられていて、素盞嗚尊との関係など興味深い点があります。

 私が文政年間に、大己貴命を拝もうと、出雲大社へ参拝にでむいた所、国造佐草美清なる御方が話されるには

「大己貴命のものされた天の沼琴がこの国の琴引山に伝わっていて、この国が琴曲のもととなる国である」

と話された。この時は神有月(十月)の望の頃で、毎年海神の使いとして、龍蛇が陸へ上がって来る。その夜、八雲が立って神風が轟き、夜もすがら柴の庵の竹を荒く編んだマガキにその音が触れ、草ぐさの音色を聴いた。

 これはきっと、大己貴命の大神が、自然の風をして私に琴の音をお告げになられたのであると思い立って、風が竹垣に触れた事から、八雲山の竹を切り、龍蛇に象って、甲乙の風の音を二筋の糸に写して、素盞嗚尊の八雲の御製をそれに合わせて歌ったり等して、この「八雲琴」は産まれた。

 こうして見ると、上古時代の思想体系である、秀真伝と大本系の思想は似ている事が伺え、又何かしら糸が絡むような因縁めいた繋がりも感じます。天明氏の『日月神示』に書かれた神代文字も、秀真伝と同一の物があります。秀真伝に限らず、他の古代文献の研究も行ってみると、案外色々な事が発見されるのかも知れません。

 また王仁三郎氏は、中村孝道氏、大石凝真澄美氏、本田親徳氏等の先駆的な神道学者に教わる機会(中村孝道氏の場合、妹のウノ氏に継がれた訳ですが)があった為、古神道の知識も多かったと思われますが、出口直子氏の場合、先ずこの様な書物の存在自体、知らなかった可能性が強いと思われます。

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