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本土初空襲(ドゥリットル空襲)(たむたむページ)----イラク報道の虚実:大本営発表と新聞
http://www.asyura2.com/0411/war62/msg/1100.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 11 月 13 日 00:28:04:0iYhrg5rK5QpI
 

たむたむページ
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/index.html

本土初空襲(ドゥリットル空襲)極秘の奇襲計画
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hatukuusyuu.htm


(写真:「空母ホーネット」から出撃するドゥリットル中佐が乗った「B−25」)

1941(昭和16)年12月8日未明の日本軍による真珠湾奇襲攻撃以来、敗北続きのアメリカ軍部は、国独立以来、アメリカ本土での戦争経験がない(南北戦争は内戦)米国民の戦意高揚を目的に、早い時期における日本の首都東京空襲戦略を企画した。

42(昭和17)年の年明けから戦術化された東京空襲戦略は、航続距離の長い陸軍陸上機の中型爆撃機ノースアメリカン「B−25」を空母に搭載、日本本土の哨戒線間際の900キロ地点から空母から発進させ、東京を夜間空襲し、約2,000キロ離れた中国大陸東部へ着陸させる計画であった。

攻撃指揮をとるドゥリットル陸軍中佐をはじめ隊員たちは、わずか1カ月の猛訓練の後、42年4月2日、空母ホーネットに16機の「B−25」を搭載してサンフランシスコ湾を出港する。

空母ホーネットは、4月13日に北太平洋上でハルゼー中将率いる第16機動部隊と合流、一路東京をめざした。

元来、4月18日夜間攻撃だった米軍の計画は、同日朝、米・機動部隊が太平洋沿岸で日本の哨戒船に発見されたため、急きょ計画を変更、攻撃時間を10時間早め、東京から1,200キロ、着陸地点中国大陸までの航続限界地点からB−25を発進させた。

米軍による日本本土、しかも、日本軍隊の最高指揮官天皇(統帥権は天皇に属した=明治憲法第4条)が住む首都初空襲が決行された18日の東京では、早朝から大規模な防空訓練が行われていた。その最中の午後0時10分、「B−25」は焼夷弾を投下した。爆弾が投下され、住宅が炎上して、高射砲が撃ちあげられても本物の空襲だと気づかない人が多かった。それもそのはず、空襲警報が出されたのは、その15分後の0時25分だったのである。

勝利に次ぐ勝利という戦果を上げていた日本の軍部は、空母が爆撃機を搭載して日本本土を攻撃してくるとの思考を持ち合わせていなかったため、哨戒船から、米・機動部隊発見の報を受けていたが、空襲があるとしても翌朝と判断した。完全な読み違である。まさに米軍の奇襲攻撃の成功を意味した。

ドゥリットル隊16機のうち、13機は東京、川崎、横須賀を、3機は名古屋、神戸などを攻撃した。この空襲に東京では死者39人(5都市で50人)、家屋損害262戸などの被害をだした。奇襲に成功したドゥリットル隊は、ほとんど日本軍の反撃を受けることなく(当然損失もなく)、中国大陸に着陸する。

だが、首都防衛にあたる東部軍司令部は、空襲直後、「敵9機を撃墜、我方の損害は軽微なる模様」と発表した。真実を国民に知らせないばかりか、戦果を誇大する大本営発表(虚偽の発表)ある。

本土初空襲で国民の動揺を怖れた政府・軍部は、「空襲何ら恐るべきでない、」「焼夷弾恐れるに足らず」と盛んに宣伝、軍部に無批判的に追従(盲従)した新聞も、たとえば1942(昭和17)年4月19日付『朝日新聞』朝刊は、「初空襲に1億沸(たぎ)る闘魂 敵機は燃え、墜ち退散 “必消”の民防空に凱歌(がいか)」「バケツ、火叩きの殊勲 我家をまもる女手 街々に健気(けなげ)な隣組群」「鬼畜の敵、校庭を掃射(そうしゃ) 避難中の学童1名は死亡」の見出しで、また同日付同紙夕刊は、「きょう帝都に敵機来襲 9機を撃墜、わが損害軽微」との見出しで、以下のような報道した。

【東部軍司令部発表(18日午後2時)】

1、午後零時30分ごろ、敵機、数方向より京浜地方に来襲せるも、わが空地上両航空部隊の反撃を受け、逐次退散中なり。現在までに判明せる敵機撃墜数は9機にして、我が方の損害、軽微なる模様。皇室は御安泰でわたらせらる。

また、19日付『読売新聞』も、「国土防衛に士気極めて旺盛」「焼夷弾微力な2キロ」とか「病床蹴って隣家へ 手掴みで焼夷弾捨て」との見だしで報道した。

東京日日(現・毎日)新聞も同様で、19日付朝刊は「敵機来襲に国土防衛全し」「敵機が何だ・帝都は泰然」と、同日付夕刊は「京浜に敵機来襲 9機を撃墜撃退する 皇室御安泰に渡せらる」と、さらに22日付夕刊は18日の空襲激撃詳細として「陸鷲、遁走の米2機を急迫 千葉沖と大島(伊豆)附近で撃墜」と、そして28日付朝刊は「はずむ五百の爆音 我らは見たり鉄壁の帝都」と勇ましく報道した。

でっち上げの虚偽の報道は、その後も続く。

20日付朝日新聞は、「本土空襲米機の悪虐(あくぎゃく)非道(ひどう) 軍律に照し厳重処分 人道無視 死又は重罰」と、22日付同紙夕刊は、「かくて敵機を撃墜せり 千葉、大島沖で猛追撃」と、26日付朝刊は、「見よ残虐さらす 来襲米機」と靖国神社で公開された撃墜米機を写真入りで掲載し、国民を欺いたのである。

同様に読売新聞も「見よ空襲の米機残骸 靖国神社境内に醜態さらす」と報道、もとより東京日日(現・毎日)新聞も大同小異であった。

この米機スクラップ、実は、中国の日本占領地区に不時着したものを本土に移送して展示した代物であった。

「うそがうそ生む」、大局を誤らせる構造である。

この東京初空襲成功は、アメリカ国民の戦争に対する士気を大いに鼓舞した反面、折から大政翼賛会による翼賛選挙(42年4月30日「第21回総選挙」)を推しすすめていた政府や陸・海軍当局は、いとも簡単に敵機の侵入を許してしまった日本の防衛体制の甘さに大衝撃を受けた。だがほとんどの国民には、報道規制で空襲の実情が知らせられなかったため、(爆撃を受けた人を除けば)空襲の影響は全くといってよいほどなかった(影響のしようがなかった)。

しかし、空母からの本土攻撃を眼のあたりにした大本営は、空母を主体とする米艦隊制圧を主張していた海軍戦略のミッドウェー・アリューシャン作戦の決行を決断せざるを得なくなった。その結果のミッドウェー海戦の致命的な敗北である。

まさにドゥリットル空襲は、アメリカ軍による本格的な反攻の端緒として重要な戦略的意味を持つ、歴史の転換を促した戦略であったといえる。

そして、この年の翌々年の44(昭和19)年6月16日、北九州・八幡の初空襲、11月24日の東京空襲を皮切りに、「B―29」による本土無差別攻撃が開始され、広島・長崎への原爆投下に繋がるのである。


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民 防 空

「軍防空」に対する言葉で、空襲に際して陸海軍以外が行う灯火官制、消防をいい(防空法)、警察・消防など民間防空従事者と隣組による訓練が主で、その基本的思想は、空襲があっても逃げないで、消火に当たることにあった。

そのため、『逃げるな!!消せ!!』などのスローガンが町々に張り出せれ、以下のような精神論が盛んに宣伝された。しかし、B―29による米軍の大規模の攻撃には全く無力でしかなかった。

爆弾は炸裂した瞬間しか爆弾ではない。あとは、唯の火事ではないか。唯の火事を、君は消そうとせず逃げ出す手はあるまい。

召集を受けた勇士を、死奉公立派に働いてくれと君は励ました。

一旦風雲急となった時、この都市を、護るのは今度は君の番なのだ。英霊は君の奮闘を待ってゐる。

参考文献

l 『昭和史の事典』佐々木隆爾/編東京堂出版(1995.6)

l 『昭和―2万日の記録E太平洋戦争』講談社(1990.1)

l 『アメリカの日本空襲にモラルはあったか−戦略爆撃の道義的問題』 ロナルド・シェイファー/著 草思社 (1996.4)

l 『恐怖の焼夷弾−福岡空襲の証言集 [戦争を知らない世代へ]』 創価学会青年部反戦出版委員会/編 第三文明社 (1978.6)

l 『空襲!!』 保科貞次/著 千倉書房 (1931.12) 第三文明社 (1984.7)

l 『昭和史−決定版 (第12巻) <空襲・敗戦・占領>』 毎日新聞社 (1983.9)

l 『新聞集成昭和史の証言 (第16巻) <昭和十七年 東京初空襲・戦況下降線>』 本邦書籍 (1987.6)

l 『帝都炎上−空襲下の150日 [シリ―ズ・戦争の証言]』 茂原照作/著 太平出版社 (1974.2)

l 『天皇裕仁と東京大空襲』 松浦総三/著 大月書店 (1994.3)

l 『東京大空襲−昭和20年3月10日の記録 [岩波新書(青版)]』 早乙女勝元/著 岩波書店 (1971.1)

l 『米軍が記録した日本空襲』 平塚柾緒/編著 草思社 (1995.6)

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アメリカ南北戦争をメジャーの新聞がどう報道したかは今は知らない。
だが少年時代にエジソン伝を読んだことを思い出した。発明王の卵トマス・アルバート・エジソン少年は自分で眼前の南北戦争を見て新聞を刷った。
飛ぶように売れたという。

今日本の大手メディアは、ネットを見るかぎり、一日に二回も更新すればよいほうだ。沈黙に等しい。しかもアメリカ大本営発表記事をそのまま垂れ流す。それしか能力がない。ファルージャに捨て身で取材に出向く記者は居ない。

そんな大手をあざ笑うがごとく、多くのネット記事があふれているが、こちらは大手が出さないプロセスを、抵抗勢力の戦う側から報告しているし真実味がある。

「「テロリスト」の大半はファルージャを脱出した」と報道されたけれども、抵抗勢力側から言わせれば「懐深くおびき寄せた」ということだ。そして米軍を一点に集め満を持した奇襲攻撃をかけている。

旧サダムの親衛隊(フェダーイン)や旧イラク軍が忽然と姿を消した理由がこのことにあるのではないか。
彼らは武装組織と結びつきその勢力はファルージャだけでもかなりの数に上るのだろう。


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