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Re: なるほど・・・。
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投稿者 暇ラヤ山脈 日時 2005 年 5 月 07 日 06:27:36: Hn3yCzz1vJiyc

(回答先: <輪廻転生>みもふたもないチベット仏教の歴史【飲茶教】 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 5 月 05 日 22:55:26)

私も、輪廻転生思想というのはマユツバ視している方です。

今のダライラマを見ても、ちっとも神秘的な感じがしませんし、むしろ色々な
教育を受けた「俗な政治家」、又は一種の「平和使節的外交官」という感じですね。

実際、結局は現地でもそういう扱いになっているようです。

以前チベットの仏教と結びついたシャーマニズムの伝統に興味をもって少し
かじってみたことがあるのですが(それ自体の中には、結構優れたものや目から
ウロコのものがありました。ユングも採用していたし、占術や呪術と密接に
結びついた仏教というのは、他に例がないと思います)。

それで昔、チベットの死者の書という本を読んだのですが、正直言ってダライラマ
のことを考えるとちょっと苦笑してしまいました。

チベットで、鳥葬や水葬などを行うとき読み上げて死者の魂を清め、光の次元へと
導くとされている書(ニアデス体験的で、結構サイケデリックなイメージを伴って
います)なのですが、その中では、一定の如来の光と一体になるため、いくつかの
チェックを通過するというような設定になっているのですが、実は、もう一度肉体
をもつ女性の体内に入って人生をやり直す、というのは、とても例外的な扱いで、
地獄界にすら行けないほど意識のレベルが低い(もしかして、読経の内容が全然
分からないほどに無明ってこと?)とされる人に、仕方なく用意されたみたいな、
ある意味でとってつけたオプションのようになっているわけです。

一発で、あるいは、憤怒仏の試練をパスして透明な光や、輝く各スペクトルの色
の光の世界(如来のバイブ)と融合できなかった人は、いくつかの別のコースに
送られていきます。
ある人々は、自分から誘われて畜生界や地獄界や天上界という輪廻サイクル(と
いっても肉体をもっての「転生」を意味しない・・・意識波動のレベルというか、
霊界や冥界みたいなもの)に堕ちていきます。
ところが、最後の方で、ラストオプションとして、それまでの流れと少し整合性
がないような形で、「肉体をもった女性の胎内に行って全てをやり直し」コース
が用意されている感じなのです(英語のも含めて、何冊か別の人が訳したバージ
ョンを読んでみましたが、どれもそこに行くパターンや経緯はちょっと異なった
内容になっていて、しかもどれも最も曖昧で、どうしてそうなってしまうのかが
はっきりしない妙な記述になっていました)。

いわば、「このぼんくらな魂は、49日たっても自分がどこにいるのかもさっぱり
わからずうろうろするばかりでさっぱり駄目だわな。色々見せてやっても死んだ
ことすら理解してないらしい。人生でいったい何を経験してきたんだか。まあ、
そういう者にはもういちど人生をやり直すチャンスをくれてやるか」みたいな
感じです(自分なりに無理矢理結論すると)。

どう考えても、チベットで最もポピュラーであると聞かされたこの葬儀に用いら
れる文献は、光と融合できなかったし、自我(執着)の波動が惹きつける六道
(阿修羅界もありますよん)のコースにも入れなかった、つまり恐らくは
自我すらも確立できていない、生きているうちから、生きてるんだか死んでるん
だかわからないような生活をしてきたどうしようもない者のために、「後付け」
で加えられた別コース、みたいな気がしてしまうわけです。

少なくとも、高貴で優れた魂が行くようなコースでないことは確かですね。

て、ことは、わざわざ何度も「転生」するダライラマって・・・・
(よっぽど懲りない意識レベルの低いぼんくら・・・なんて言い方ちょっとヒドイ
けど、つまりはそういうことになってしまうのでは・・・と)。

そうでなければ、ダライラマには、更なる「特例」的な解釈があるのかもしれませ
んが、私が読んだ多分10冊そこそこの(中沢某氏を含む、あまり難解すぎないの
が殆ど)チベット密教関連の本の中には、そのあたりが明確に記されたものは全く
見当たりませんでした。というか、秘境歴史(観光?)ガイドみたいなもの以外、
ダライラマについて具体的に触れたものすら読んだ記憶がありません。誰か、知って
いる人がいたら、教えてほしいですが・・・(あ、そうそう、もっと昔に流し読み
した「神智学」関連の本には、ダライラマについて触れた記述が結構あった気が
します。どういう内容だったかは覚えていませんが)。

私は、輪廻転生思想のようなものは、「カルマ」思想とセットで、仏教以前から
インドにあったと読んだ覚えがありますが、なんだか、カーストを形成する過程
で人を納得させ層の分断支配をしやすくするために、神秘めかして作ったような、
支配層にとってご都合主義の思想なんじゃないかと思っている程ですが・・・。

悪く言えば憑依(又は抑圧された潜在意識の突き上げ)、良く言えば、過去からの
サイクルが合致した「シンクロニシティ(その人にとって大きな意味を持つ過去の
歴史or人物との縁)」のような現象が、その後輪廻転生の証拠として解釈されて
きたのではないでしょうか。

仏教と言っても、禅宗などの中には、輪廻転生をきっぱり否定している分野もある
ようです。

必ずしも、今主にそう思われているように、輪廻転生論=仏教思想の根幹をなす思想
ということではないのではないでしょうか。


ついでに、ちょっとおまけですが・・・。

チベットや東南アジアなどの仏教国の、あまり教育を受ける機会のない庶民(比較的
貧しい)層というのは、我々日本人および他の先進国の人々の想像を絶するくらい純
粋な素朴さが今でもあるようです。

数年前にミャンマーに行った友人の話では、こんな光景が見られて唖然としてしまった
そうです。

あるお寺の前通りかかると、人が集まっていて、熱心に祈りながら不思議な儀式を
行っていたそうです。
何でも、鳥かごに囚われている鳥を、鳥かごの入り口を開けて、わざわざ逃がして
いたのだそうです。

しかし、次の人の番になると、また(同じ鳥だったか別の鳥だったかは忘れましたが)
鳥が鳥かごに入れられて、同じことを繰り返すのだそうです。

友人がなんでこういうことをしているのか?と聞くと、「生き物に哀れみを与えて
自由にすることを通して、功徳を積むためです」と答えたそうなんですが、思わず
(だったらなんでわざわざ何度も鳥を捕まえて鳥かごに突っ込むようなことをする
んだろ。むしろかわいそうだし、完全にマッチポンプじゃない)とツッコミを入れ
たくなるような光景だったようです。なんとも、滑稽やらもの哀しいやら、と。

それにしても、彼らはなんの疑いも持たずに本当に功徳を積めると信じて、こんな
(ある意味ばかげた儀式を)続けているんだなあ・・・とむしろ彼らのその純粋さ
に胸を打たれてしまった、と友人は言うんですね。

私もなんだか、その感じが分かるような気がしました。

こういう、ちょっと残酷なところもあるけれど、純粋で子供のような庶民を平気でだ
まくらかして苦しめるような為政者や僧侶みたない人がいるとするなら、むしろ真っ
先に六道に堕ちていくんじゃないかと思った位です。

「人格者」なんて呼ばれるなにがしになるというのも、なんだか気がひけてしまいま
す(私はまず言われることはありませんが・・・笑)。

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