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第二章 「記者クラブ」というギルド社会[メディアの裏側/国会TVマガジン]
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投稿者 なるほど 日時 2005 年 1 月 28 日 10:02:33:dfhdU2/i2Qkk2

国会TVマガジン 号外 1/13
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メディアの裏側(第四回)

 序章 「裏支配」の崩壊

 私が見てきたメディアの世界
 私がC―SPANと出会ったのは一九八九年の事である。当時
TBS(東京放送)の報道番組「報道特集」でディレクターをし
ていた私は、C―SPANを取材して「密室国会を開け!」とい
う番組を作った。以来、そのテレビ哲学に共鳴し、日本にもC―
SPANのようなテレビ放送を実現しようと努力している。
 私は一九六九年にTBSに入社以来、一貫して報道の仕事をし
てきた。TBSに在籍した二十年間のうち十年は、テレビドキュ
メンタリーのディレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や
「報道特集」を担当した。残り十年は社会部、政治部の記者とし
て東京地検、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、
郵政省などの記者クラブに配属され、ロッキード事件、成田闘争、
竹下政権の誕生など様々な取材に当たってきた。TBSを退社し
てからの十五年間は、C―SPANの配給会社シー・ネットの代
表として、アメリカのテレビ界の動向をにらみながら、CS放送
やインターネット放送など新しい放送の世界に関わってきた。
 この三十五年間でメディアの世界は大きく変わった。私がTB
Sに入社した頃のテレビはまだ新興勢力であった。今では信じら
れないだろうが、インタビューのためマイクを持って街頭に出る
と人々は雲の子を散らすように逃げていった。報道機関の中心は
新聞であり、記者クラブでテレビは新参者扱いされた。官庁の広
報体制も新聞が優先でテレビは後回しだった。局内では報道は金
を稼げない地味な存在で、上司からは視聴率を追求するよりも質
の高い番組を作れと言われた。しかしそれらの全てが変わった。
街頭ではテレビカメラに群がる群衆を整理しなければならなくな
った。国民の新聞離れが言われるようになり、新聞社はテレビ局
を系列化した。官庁の広報体制もテレビを意識するようになり、
努力して取材をしなくとも原稿が書けるほどのサービスを受ける
ようになった。かつてはゴールデンアワーだけだった視聴率競争
が全ての番組に及び、ニュースのワイドショー化が始まった。視
聴率の取れそうなニュースだけが時間を増やして繰り返し放送さ
れる。情報の一極集中化である。そうした変化の中でテレビは国
民への影響力を強めた。
 そのテレビ界の体質が問われるような不祥事がここにきて相次
いでいる。日本テレビ職員による視聴率「買収」事件や相次ぐN
HK職員の制作費着服事件など、かつてならありえない事件が次
々に明るみに出てきている。それらの事件が頻発している事を見
れば明らかに特殊な個人の問題ではなく、そうした事件を生み出
す構造・体質がテレビ界に存在していると考えるべきなのだが、
新聞も含めた当のメディアはその構造・体質を充分に解明するこ
となく過ぎていこうとしている。追及しているのは出版社系のジ
ャーナリズムばかりだ。

メディアの裏側 
 国民にメディアの実像を知らせなければならない時が来たと思
う。
 かつてアメリカン・ニュー・ジャーナリズムの旗手デイビッド
・ハルバースタム氏が著した「メディアの権力」(サイマル出版
会)は、アメリカの新聞とテレビの歴史をたどりながら、政治権
力を作りだし、政治権力に利用され、政治権力を追い込んでいく
マスメディアの姿を見事に描き出した。そこには新聞とテレビの
確執、視聴率に支配されていくテレビ報道、メディアを巧妙に利
用する政治の世界、利益追求とジャーナリズムのはざまで苦悩す
るマスメディアの姿が生々しく描かれていた。
 「メディアの権力」には遠く及ばないが、私もこの三十五年間
の体験を基に私が見てきたメディアの裏側をここに記そうと思う。
国民に決定的な影響を与えるメディアがどのような素顔を持って
いるのか、国民には全く知らされていない。わが国の良識あるジ
ヤーナリストたちが必ず指摘する「記者クラブ制度の弊害」につ
いても、記者クラブの中で何が起きているのか具体的な事例を挙
げて言及した人はいない。触れてはならないタブーがそこにはあ
るようだ。タブーを解き明かすことこそがジャーナリズムの使命
である筈だが、わが国のメディアは自らを国民の目に触れないタ
ブーにしてしまっている。そのタブーに挑戦してみようと思う。
 本書の目的はメディアを俎上に乗せて批判する事ではない。私
自身も記者クラブに在籍し、特定の政治家と親密な関係を築き、
権力の内側に入り込んで取材を行ってきた。そうした事のあるが
ままを記そうと思う。
 本書は日本のメディアを包括的に論ずるものではない。たかだ
か一人の人間が体験してきた事例を紹介するだけだ。しかし今必
要なのはメディアを論ずる事よりも、「正しい情報」を押しつけ
てくるメディアの裏側を国民に知らせ、メディアとどう向き合う
か、「正しい情報」をどう読み解くかを考えてもらう事ではない
だろうか。本書がその一助になれればと思う。


第二章 「記者クラブ」というギルド社会

 我が国のメディアを語る時、独特の制度として内外から批判さ
れている「記者クラブ」の実像から話を始めなければならないと
思う。
 我が国の新聞の歴史は明治初期に始まり、議会開設を求める自
由民権運動の高まりと共に全国に広まった。一八九O(明治二十
三)年十一月二十五日、東京・日比谷の仮議事堂で初の帝国議会
が開かれ、日本に議会制民主主義が始まった時、時事新報記者ら
が組織した「議会出入記者団」が当局に対して議会の取材を要求
した。これが我が国の記者クラブの始まりとされる。弱い立場に
ある新聞が団結して秘密主義の政府に取材を要求し、情報を得る
ために出来たのが記者クラブであった。それから百年余、我が国
の記者クラブがどのような素顔を持つようになったのか、私が見
てきた記者クラブの実像を紹介する。(続く)

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国会TVマガジン No.1500 1/18
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メディアの裏側(第五回)

第二章 「記者クラブ」というギルド社会

 司法記者クラブ(1)

 一九七六年四月、私は初めて「記者クラブ」に配属され、ロッキ
ード事件を捜査する東京地検特捜部の動きを取材することになった。
TBS入社七年目の事である。それまではテレビドキュメンタリー
のディレクターをしていたため、記者クラブとは無縁だった。
 この時私が配属された司法記者クラブは、法務省、検察庁、裁判
所などを担当する記者クラブだが、私はロッキード事件の取材のた
めに配属された応援部隊で、本来の司法記者とは異なる存在だった。
 この年の二月五日(木)、戦後最大の疑獄事件と言われるロッキ
ード事件が海の向こうから飛び込んできた。アメリカ上院外交委員
会多国籍企業小委員会(フランク・チャーチ委員長)の公聴会で、
大手航空機メーカーであるロッキード社が新たに開発したエアバス
「トライスター」の売り込みのため西ドイツ、フランス、イタリア
などに巨額の賄賂工作を行い、日本でも右翼の大物として知られる
児玉誉士夫を通して政府高官に巨額の資金が渡された事が明らかに
された。児玉誉士夫は自民党の前身である自由党に結党資金を提供
した事で保守政界に影響力を有していたが、右翼のみならず我が国
の暴力団の元締め的な存在でもあり、それまで取材はタブーであっ
た。その児玉誉士夫がロッキード社の秘密代理人である事が明らか
になった。
 テレビドキュメンタリーのディレクターからテレビニュースの社
会部に異動したばかりの私は、事件発覚と同時に社内に作られた
「ロッキード取材班」に組み込まれ、児玉誉士夫の人脈と戦後史の
暗部を探ることになった。GHQ占領下の日本には厳しい言論統制
が敷かれ、日本の戦後史には闇の部分が数多くあった。私はそうし
た闇の部分を解明する作業に没頭していたが、四月十日(土)、ア
メリカ証券取引委員会(SEC)がロッキード社の対日工作を調べ
上げた極秘資料が日本の検察当局にもたらされると、取材の様相は
一変した。新聞・テレビ各社とも、東京地検特捜部の取材に全力を
傾けるようになった。そのため若い私は応援要員として司法記者ク
ラブに配属されたのである。
 当時の司法記者クラブは、法務省とも、検察庁とも別棟の裁判所
構内にある二階建ての建物の中にあった。一階には裁判所に訪れる
人のための食堂などがあり、記者クラブは二階だった。階段を登っ
てクラブに入ると部屋の中央に記者会見用のスペースがあり、テー
ブルとソファ、椅子などが並んでいた。その記者会見用のスペース
をコの字型に囲むようにロッカーで仕切られた新聞・テレビ各社の
ブースがあった。ロッカーで仕切られただけだからドアもなく天井
部分は筒抜けである。常駐記者が二名のTBSの場合は机二つ分の
広さで、机の横には資料、書籍、それに切り抜き用の大学ノートな
どを並べる書棚があり、机の前の窓からは裁判所の建物が見えた。
隣はロッカーを隔てて日本経済新聞社のプースだった。各社とも広
いスペースを取れる余裕はなく、あふれた記者達は記者会見用の椅
子やソファに座るしかなかった。ロッキード事件の捜査が山場を迎
えていた時期だけに、クラブには私のような応援の記者も多く、狭
いクラブは人で溢れていた。
 司法記者クラブの日常は、午前に東京地検の検事正、夕方に次席
検事の記者会見があり、その都度記者達はクラブを出て検察庁舎に
出かけていった。先輩記者から、一日に二度も記者会見があるのは、
幹部以外の検事に取材をする事を検察庁が禁じているからだと教え
られた。実際に取り調べを行っている検事に直接取材をしたいのだ
が、それをやると検察の逆鱗に触れてクラブから除名されることに
なる、取調室があるフロアーに立入る事も禁止されているとも言わ
れた。記者達は検察幹部を取材する以外には、裁判を傍聴して原稿
を書くか、クラブ内で行われる会見を聞いて原稿を書くか、あるい
は将来の裁判に備えてひたすら事件関係の新聞の切り抜きをしてい
た。

 夜回り取材
 六月二十二日(火)、突然逮捕が始まった。警視庁が全日空専務
・沢雄次、経理部長・青木久頼、業務部長植木忠夫を外為法違反で、
東京地検が丸紅専務の大久保利春を議員証言法違反で逮捕した。こ
の逮捕を受けてクラブ内の緊張は一気に高まった。その夜から全社
による「夜回り」が始まった。夜回りとは、夜自宅を訪れて取材を
する事で、新聞には欠かせない朝刊用の取材である。しかしこの夜
回りも取材対象は検察幹部に限られていた。結局、司法記者クラブ
においては、メディアは生の情報に触れることはなく、幹部によっ
て整理され管理された情報しか得ることが出来ないのであった。
 私は高瀬礼二検事正と川島興特捜部長の夜回りを担当することに
なった。高瀬検事正の官舎は渋谷区東山の閑静な住宅街にあった。
各社がバラバラに取材に訪れては相手に迷惑がかかるという事で、
幹事社が夜回りの開始時間など一応のルールを決めた。毎夜八時、
十五、六人の記者が検事正宅に集まる。応接間には検事正夫人がウ
ィスキーの水割りとつまみを人数分用意していた。検事正は風呂上
がりの浴衣姿で我々に対応した。昼間の記者会見とは違って、極め
てプライベートな雰囲気の中で夜回り取材は行われた。それにして
も毎晩水割りとつまみを用意するのは大変なことだと思った。人数
が人数だけに一晩でウィスキー一本は空になる。この費用は誰の負
担になるのか、検事正個人の負担なのか、役所に請求できるものな
のか、記者クラブも夜回りも初めての私はそんなことを考えていた。
しばらく経ってから幹事社が呼びかけて、記者たちから金を集め、
サントリー・オールドを一ケース検事正宅に届けることにした。し
かしそれでも夜回りというのは取材される側には大変な負担だと思
った。
 夜回りでの記者と検事正とのやりとりは、ほとんどが禅問答に近
いものであった。「セミはいつ鳴きますかねえ」、「東京ではまだ
てしょう」、「横浜では鳴いたようですよ」という具合である。
事件関係の話が何もなく、ただ水割りをみんなですすり、雑談だけ
に終わる時もあった。
 そんなある日、古手の記者が検事正にこんな事を言った。「売春
汚職の話を教えて下さいよ。逮捕状は本当は三人分あったんでしょ。
でも逮捕する前に読売が抜いて(スクープして)しまったから、検
察はわざと一人しか逮捕しなかったんじゃないですか。おかげでそ
の記者は名誉毀損で訴えられ、情報源を秘匿したため有罪になり、
最後はヒロポン中毒になって自殺してしまった。あの記事は逮捕状
を見て書いたとしか思えないですよ。本当は逮捕状三人分あったん
でしょ」。
 それは一九五七年、「嵐を呼ぶ男」で石原裕次郎が一躍国民的ス
ターとなった年の話である。この年の四月、赤線廃止を決めた売春
防止法が施行された。罰則を伴う取り締まりの全面実施を遅らせる
ために赤線業者が自民党国会議員に贈賄工作を行った事が明かとな
り、東京地検特捜部が捜査に乗り出した。当時、読売新聞に疑獄事
件で数々のスクープをものにした名物記者がいた。十月十八日付の
朝刊で読売新聞は自民党の宇都宮徳馬、福田篤泰、真鍋儀十の三人
の国会議員が収賄容疑で検察に召喚されると社会面のトップで報じ
た。見出しには「宇都宮、福田両代議士収賄の容疑濃くなる」とあ
り、二人の顔写真も掲載された。この記事に対して宇都宮徳馬代議
士は名誉毀損の訴えを起こし、記事を書いた立松和博記者が逮捕さ
れた。その後、報道された三人の政治家の中で検察が逮捕したのは
真鍋儀十代議士だけであった。逮捕されても最後まで情報源を秘匿
し続けた立松記者は有罪とされ、読売新聞は「誤報」を認めて立松
記者を左遷した。花形記者の地位を追われて支局詰めとなった立松
記者は失意のうちに一九六二年に自殺した。
 「あの人の父親は祖父の代からの裁判官だから司法関係者に人脈
があった。検察内部の派閥抗争に巻き込まれて逮捕されたんじゃな
いんですか。名誉毀損で逮捕というのはひどいですよ。もう今なら
話してくれても良いじゃないですか」と古手の記者は検事正に詰め
寄る。私はじっと高瀬検事正の顔を見つめた。検事正は水割りを口
にしながら何も答えず、ただ静かに微笑んでいた。決して表情を変
えず、言葉も発しなかった。「これが権力なんだ」とその時思った。
 この時高瀬検事正は黙して語らなかったが、その後しばらくして
事実関係を知ることが出来た。読売新聞の社会部記者として立松記
者の後輩だったノンフィクション作家本田靖春氏が、一九八三年に
出版した「不当逮捕」(講談社)で検察内部の派閥抗争の犠牲とな
った立松記者の悲劇を痛恨の思いを込めて描いた。さらに一九八八
年に出版された故伊藤栄樹検事総長の著書「秋霜烈日」(朝日新聞
社)には驚くべき記述があった。検察内部からの情報漏れを特定す
るために売春汚職事件でわざとガセネタを流したというのである。
立松記者は検察内部から特ダネ情報を得ていたが、その情報源をあ
ぶり出して追い落とそうとする検察内部の派閥抗争によって嘘の情
報をつかまされたのである。検察という所は社会の公器である新聞
を利用して嘘の情報を流すこともあるのだ。それによって二人の代
議士は名誉を傷つけられ、記事を書いた記者は命を絶った。(続く)

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メディアの裏側(第六回)

第二章 「記者クラブ」というギルド社会

 司法記者クラブ(2)

  検察捜査
 ある日、「取調室のあるフロアーに立入禁止というのは、取材
規制が過ぎるんじゃないですか。戦後すぐの頃は記者が取調室の
前で待ちかまえていて、被疑者と検事が出てくると取り囲んで取
材したというじゃないですか。なんでそれが駄目なんですか。
検察には事件現場がないんだから、我々は取り調べの内容を取材
するしかないんですよ」と検事正に詰め寄った事もある。その時
も検事正はただ静かに微笑んで答えなかった。
 私は記者の立ち入りが禁止されている検察庁舎の取調室を自分
の目で確かめたいと思った。翌日、人の出入りの少ない時間帯を
選んで検察庁舎のエレベーターに乗った。エレベーターは取調室
のある階で止まりドアが開いた。一歩外に出ると左右に広がる廊
下は全くの無人で物音一つなかった。取調室らしき部屋のドアも
全て閉まっているのが見通せた。歩きかけると遠くに衛視の姿が
見えた。その瞬間足が止まってしまった。無人の空間に衛視と私
だけという状況がプレッシャーとなった。私は廊下を少し歩いて
階段を見つけ、急いで階段を下りた。「これが権力なんだ」と再
び思った。
 先輩記者はクラブに来たばかりの私に基本的な知識を色々と教
えてくれた。
「検察と警察はどう違うか。捜査をするのは警察、警察が逮捕し
た被疑者を拘留するか釈放するか、起訴するか不起訴にするかを
決め、起訴した者を裁判で有罪にするのが検察の仕事だ。しかし
検察が独自に捜査を行う場合がある。政治家を逮捕するような大
事件は警察にはやらせない。特捜部が独自に捜査する。政治家を
相手にする捜査だから政治的な判断が必要になる。検察は極めて
政治的だ。法に照らして悪い人を捕まえるのが警察、検察は悪い
人でも捕まえない場合がある。検察が捕まえるのは国家の安寧秩
序にとって障害になる人物だ。選挙結果に影響が出るような逮捕
はやらない。必ずバランスをとる。与党からも野党からも逮捕者
が出るようにする。検察のマスコミ対策はすごい。記事がどれほ
どの大きさになるかを常に計算しながら発表のタイミングを決め
る。他に大ニュースが予定されている時には逮捕はしない。記事
の扱いが小さくなるから。事前に各社のキャップを呼んで、明日
の一面を空けておけと言った事もある。政治権力を相手にする訳
だから、マスコミに情報が漏れることを極度に嫌がる。だから現
場の検事がマスコミと接触しないようにする。事件捜査が始まる
と検事達は外で酒を飲むことも禁じられる。酔ってしゃべってし
まわないようにするためだ」。

 田中逮捕
 ロッキード事件の捜査は初めから片肺飛行を余儀なくされてい
た。ロッキード社からの金の流れには「児玉ルート」、「丸紅ル
ート」、「全日空ルート」の三つがあったが、ロッキード社の秘
密代理人であり事件の中心人物である児玉誉士夫は、事件発覚と
同時に重病に陥り逮捕することが出来なくなった。ロッキード社
との交渉の通訳を務めた福田太郎も六月には肝硬変が悪化して死
亡した。トライスターの売り込み工作資金が三十億円、防衛庁が
購入する対潜哨戒機P3Cオライオンに関わる売り込み工作資金
が二十五億円、合わせて五十五億円の賄賂が我が国の政界に流れ
込んだとされる疑惑は、最初から疑惑の中心人物を欠く捜査とな
った。そのため東京地検の捜査は丸紅から政界に流れたとされる
六億円の行方に絞られていった。六月二十二日から始まった逮捕
は、七月に入ると全日空社長若狭徳治、丸紅前会長桧山広にも及
び、贈賄側の逮捕者は揃った。残るは賄賂を受け取った政治家が
いつ逮捕されるか、そこに注目が集まっていた。
 七月二十六日(月)の夜、高瀬検事正宅にはいつものように夜
回りの記者が詰めかけ、応接間は熱気にあふれていた。高瀬検事
正はいつもと同じ静かな口調で「まだセミは鳴きませんね」と言
った。記者から「明日は何もないですよね。早く出なくてもいい
ですよね」と聞かれると、表情を変えずに「どうぞご自由に」と
言った。
 高瀬検事正の夜回りが終わると、私はいつものように川島興特
捜部長の官舎がある恵比寿に向かった。川島特捜部長は「口なし
のコーチャン」と呼ばれ、口が堅いので有名だった。夜回りに行
っても「おまえらマスコミは本当のバカだ」を繰り返すばかりで
全く取材にならなかった。初めの頃は夜回りに訪れていた社も次
第にいなくなり、この頃は毎日新聞、共同通信、TBSの三社だ
けになっていた。官舎の外で待っているといつも通り午後十時半
に川島特捜部長が帰宅した。いつもは外での立ち話なのに、この
日は珍しく「中に入れよ」と言った。ところが家に入って応接間
で向かい合った途端、特捜部長はくるりと後ろ向きになり我々に
背中を向けてしまった。気まずい空気が流れた。毎日新聞記者が
「フダ(逮捕状)は取りましたか」と質問すると、「おまえらは
本当にバカだ」といつもの答えが返ってきて、そのまま黙ってし
まった。十五分ほどで我々は退散した。外に出ながら「おかしい」
と思った。家に入れて何もしゃべらない。どういう意味だ。公衆
電話からキャップに電話を入れた。「川島がおかしい。滅多に家
に入れないのに家に入れて、すぐ後ろ向きになってしまった」。
キャップは「明日、政治家逮捕かも知れない。早朝から地検前に
見張りを置こう」と言った。
 逮捕劇が始まってから司法記者クラブのメンバーは各社ともホ
テル暮らしだった。いつ何があるか分からない。いつでも地検に
駆けつけられるように司法記者達は都心のホテルに泊まっていた。
TBSの場合は後に火災で死傷者を出した赤坂見附駅前のホテル
・ニュージャパンが宿舎だった。深夜ホテルに戻り、午前一時頃
ベッドに入った。午前五時すぎ、キャップからの電話でたたき起
こされた。「地検前の張り番から連絡があった。検事が続々出勤
している」。すぐに飛び起きて地検に向かった。地検の玄関前に
は数社の記者とカメラマンがいた。まだ気がついていないのか記
者のいない社もあった。午前七時半、黒塗りの車が東京地検の玄
関前に止まり、中から日焼けした田中角栄前総理(当時)が降り
てきた。二年前まで日本の最高権力者であった人物が逮捕される
瞬間である。私は無線機に向かって大声で社のデスクを呼び出し
ていた。
 この日、NHKは地検の玄関前に記者がいなかった。警視庁ク
ラブの泊まり勤務者が土田国保警視総監(当時)に確認をとろう
としたが、警視総監は田中逮捕を知らなかった。このためNHK
は特番を組むのが我々より一時間以上も遅れた。日本経済新聞の
記者は通常通りに出勤し、クラブ内の異様な雰囲気に慌てた。
しかし新聞であるため夕刊の締め切りには間に合って事なきを得
た。(続く)
 
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