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非婚・晩婚・少子化の時代に 「産まない私」の生きる道  【管野いちこ】
http://www.asyura2.com/0502/social1/msg/494.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 6 月 29 日 03:51:12: ogcGl0q1DMbpk

非婚・晩婚・少子化の時代に

「産まない私」の生きる道

http://www.bund.org/culture/20050705-2.htm


管野いちこ


「負け犬」から「オニババ」へ

 酒井順子氏『負け犬の遠吠え』と、三砂ちづる氏『オニババ化する女たち』が話題になって、本紙にも池田暁子さんの論評が掲載された。「負け犬」―「オニババ」論争は、現在の晩婚・少子化の原因の中心世代ともいえる30代女性がターゲットになっている。バブル期に学生時代をおくり、バブル崩壊前後に滑り込みセーフで正社員雇用された女たちだ。団塊の世代のジュニアとして、人数が圧倒的に多く受験戦争で競争にさらされてきた世代でもある。ポスト均等法世代で、学校教育のなかで培った男女平等意識を当たり前のようにもっていたが、現実の企業社会はまだまだ男社会。そこに不況と雇用の柔軟化が追い打ちをかける。そんな圧迫感と先細り感に満たされた時代背景のもと生きてきた30代の女性の3割弱、男性の4割が独身でいることが背景にある。

生きにくさを抱える世代

 この世代の女性はバブル期の繁栄を身をもって体験し、不況とはいえ親元にパラサイトしているひとは可処分所得が多く、消費性向が高い傾向がある。一方出産のタイムリミットは刻々と迫り、女性としての「賞味期限切れ」も間近い。太いすねを持っていた親もあと10年もすれば介護が必要になる人もでてくる。結婚してもしなくても、親の介護からは逃れられない…と、社会学者の上野千鶴子氏はカウンセラー信田さよ子氏との共著『結婚帝国 女の岐れ道』のまえがきで辛らつに述べている。そして「この世代の動向が、近い将来の日本社会の方向を決める」とまで言いきっている。同時に、このような世代は一過性のもので2度とあらわれない、日本社会が根底から変化する過渡期の世代だとも。  

 上野氏が社会学者として30代の女性をマクロな視点から「非婚化・少子化の先駆けの世代」と見ている一方で、信田氏はカウンセラーとしてクライアント一人ひとりと向き合ったミクロの視点から「摂食障害と呼ばれる奇妙な食行動が広がり始めた世代」と見る。そしてほかの世代にはない、あの独特の苦しみはいったい何だろう、と問いかける。  

 彼女たちの母親は両立不能な期待を娘によせる。「成績をあげて、やりたいことを見つけなさい」という男並みの人生と、「やっぱり結婚・出産してこそ女」という人生。引裂かれるような期待にこたえようとしてこたえきれない、苦悩が彼女たちを異常な食行動にかりたてるのか、と信田氏は問いをたてる。  

 母親との関係のみが原因とは思わないが、やはりせちがらい現代の生きにくさ、居場所のなさ、言葉にできないやりきれなさ、思い通りにならない現実への無力感などから、自分の食欲や体重をコントロールしたい、またはその逆に無鉄砲にまかせたいという衝動にかられるのではないかな、と私は想像する。おそらく苦しくつらい経験をしている本人にとってはそんなことをふと思い巡らしてみる余裕すらなく、もっと切実な衝動に突き動かされて、よくないと頭ではわかっていながら繰り返してしまうのだろう。そして罪悪感や自己嫌悪感に陥りつつやめられない、周りからは理解されない生き地獄で苦しんでいるのだろう。  

 そしてそのような不安感や焦燥感は程度の差はあれ私も含め、不透明なこの時代に生きる人間なら誰しも抱えている問題なのではないかと思う。依存する対象が食べ物なのか、お酒なのか、パチンコ、または暴力、セックス、買い物なのか、等など、ひとによっての違いはあれ。  

 依存自体は悪いことではなく、ストレス発散やこころの拠り所として有効な手段でもある。依存しすぎて本人や周りの人がどうしようもないほど困った事態にならなければ問題はない。抜き差しならない状態になったときにそれがはじめて摂食障害やアルコール依存、ドメスティック・バイオレンスやカード破産などのショッピング依存と名づけられ問題視されるようになるだけだ。  

 信田氏のいうように、この苦しみが「ほかの世代にはない、独特の苦しみ」なのだとしたら、それはいったい何が原因で、どこから生まれてくるのだろう。そんな素朴な疑問がわく。そして女性の人生にとってターニングポイントである「結婚・出産」観の変化がなにか関係をもつのではないか。そういううっすらとした予感だけがあった。

結婚の条件にあらわれる晩婚化の兆し

 そもそも「結婚・出産」問題を考えようと思ったきっかけは、おととしの年末から巷で「負け犬」論争が起こった時に感じた微妙な感覚だ。私は既婚者だが、バツイチ再婚で30代のはじめには負け犬気分を味わっている。不況のあおりをうけて勤めていた会社は倒産、30過ぎてとりわけ資格もなく技能もない私は再就職の面接で落ちつづけ、半ば軽いうつ状態でなしくずし的に「主婦」となった。「勝ち犬、といわれても勝った気がしないなあ」というのが本を読む前の当初の率直な感想だ。  

 酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』では「企業社会や女性性資源では勝ち組(平たくいえば、高収入で美人)でも、結婚していなければ気分的には負け犬、またはその逆もアリ」という、女性の二重基準を明確にしたことに意義があるとおもう。私が感じた違和感は経済的な格差である「負け組」と「負け犬」を混同したことからくるものだった。勝ち犬、負け犬といっても便宜的にわけているだけで上下関係ではないのだ。勝ち負け、という序列的でかなり衝撃的なネーミングなので誤解が生じているだけらしい。もっとも、ひとは序列に敏感なもの。だからこそここまで広まったのかもしれない。  

 ということは「勝ち組―勝ち犬」三砂ちづるタイプと、「勝ち組―負け犬」酒井順子タイプ、「負け組―勝ち犬」団地妻タイプ、「負け組―負け犬」タイプの4つのカテゴリーにわけることもできる。男性は高収入でイケメンの勝ち組なら勝ち犬である確率が高いが、女性はそうでもなく、現実にねじれがある。この現象は一般に男性が女性に「年・学歴・年収・身長」で自分より低い女性を好むからで、このことを「低方婚」と呼ぶそうだ。女性が親の代わりに経済的に庇護してくれる男性に「三高」を求めるように、男性は自分の自尊心のお守をしてくれる「四低」(ただし容姿は別)の女性を求める、というのだ。そうなると「四高の女性」と「三低の男性」があぶれることになる。あぶれたもの同士が出会う機会はほとんどないのが現実のようだ。  

 格差社会での女の勝ち組は、収入面でめぐまれ、自立しているが故に結婚による生活保障がなくても生きていける。前世代のように親や親戚が結婚をせかすわけではない。べつに勝ち組でなくても、贅沢しなければ自分ひとり食べていく分には困らない。ひとには様々な事情があり、一概には言えないが「何がなんでも結婚したくない」「興味ない」というひともいる一方、「いいひとがいればそのうち…」と先送りしているうちになんとなく結婚しないで生きてきた、とか「求めてはいるが出会いがない」という30代女性はけっこういるのだろう。  

 そういうまじめに仕事をしてきた女性がいきなりブームで「負け犬」とレッテル貼りされて戸惑ったり、不必要に自己否定感を持たされて焦ったりしているひとも多いのではないか。もともと酒井氏は皮肉なユーモアたっぷりに「負けてないと我をはるのはイタイ」「負け犬の自分を認めて楽になろう」「こんな人生もアリだし結構充実してる」と自分の生き方を肯定するためにあの本を書いていると思うのだが、言葉が一人歩きして立場の違う女性を分断し、序列意識を植え付けているようなのが残念だ。  

 「負け犬」という言葉がブームになり市民権を得たように、なぜ晩婚化・非婚化は進んでいるのか。独身の女性が結婚相手に求める条件は何なのか。心理学者の小倉千加子氏は著書『結婚の条件』のなかで、階級によって結婚の条件が「生存―依存―保存」とわかれる、とあざやかに現実をきりとってみせた。建前上は階級がないことになっている日本社会で、25歳から35歳までの独身女性に学歴と年収別に結婚意識を聞き取り調査したのだ。大学院をでて自宅でパラサイトしている女性と、高校をでて派遣社員をしながら母子家庭の母親を支えている女性の結婚しない理由を同列に論じても意味が無い、というのだ。  

 高卒の女性にとって結婚は生活財であり、結婚してはじめて食べられる。派遣社員で転職を繰り返すうち年とともに給料は下がっていく。このまま雇われて労働条件が悪くなるより、パートナーと店を持ちたい。「母親と小料理屋を」「美容師なので美容院を」など自分で独立したいと思っている人にとっての結婚は死活問題で、共同経営者を探す「生存を賭けた結婚」志向だ。  

 短大や中堅以下の四大卒は専業主婦意識が強い傾向がある。短大をでて現在30代のひとは一流企業の一般職に就職していてそこそこの給料をもらっている。その給料を手放して結婚するのだから、自分の年収の倍以上稼いでくれるひとじゃないと意味がない、と年収700万以上のホワイトカラーを探している。保育園ママじゃなく幼稚園ママになりたい。自分を専業主婦にしてくれる「依存できる結婚」志向だ。  

 ブランド四大卒で専門職についている女性は「相手に経済力は求めない。ただ私が一生仕事を続けることを尊重して家事を半分してくれる人」を求める。結婚によって自分の境遇が変わらないことを望む「自己保存のための結婚」志向だ。  

 そしてどの階層でも求める男性が見つからない。生存を賭けられる人は店をもつまでの貯金がない。依存を賭けられる人はそこまでの年収はない。自己保存を賭けられる人は家事をそこまで分担しない。だからますます晩婚化はすすむ、というのが小倉氏の見解だ。  

 このような事情で30代の独身は増えているが、いまの若い子は晩婚にならないのではないかと小倉氏はいう。不況が当たり前になった現代の短大生は自分が専業主婦にはなれないことを知っている。「一緒にいて楽なひと。癒してくれるひと」という癒し系結婚を望み、フリーター同士で若くして「出来ちゃった結婚」をする。低収入なので子供はひとり。婚姻率はあがるが婚姻内の出生率が下がるので、本格的な少子化になるだろうことが予測される。  

 現在の30代の総晩婚化は、満額退職金と年金をもらった親世代のインフラと、バブル期の正社員雇用による恩恵を背景にした一過性の現象で、「年収300万の時代」の20代は早婚化する、というのが定説のようだ。パラサイトも負け犬という言葉も時代のあだ花なのかも知れない。

勝ち犬、負け犬、それぞれの不安

 『負け犬…』は女性の勝ち負けのダブルスタンダードを明確にしたうえで、あえてわかりやすく「結婚」の一点で女性の立場を二分化した。わかりやすいからこそここまで世間に定着したのだろう。テレビでも女性タレントなどが負け犬であることを売りにしたり、杉田かおるが「一発逆転セレブ婚」ともてはやされたりしている。負け犬の悲哀が強調され、その人の魅力にかかわりなく「結婚できない人」とまるでいじめのように有無を言わさず価値づけ、結婚しているだけであたかも勝者のようにみなされる風潮が安易に垂れ流されているが、少なくとも言えることは「勝ち=幸せ」「負け=不幸せ」と単純にはいえない、ということだ。  

 上野氏は主婦であることのきつさは以前より強まっているという。現在の30代から40代前半の女性は結婚する自由としない自由をもった初めての世代だ。だが、結婚する自由を行使したはずの女たちが仕事を続ける同期の女たちを自分と比較したとき、「自分はただの夫の影にすぎない。ナントカさんの妻、ナントカちゃんのお母さんでしかない」ことに愕然とする。自分の名前で勝負し、社会的承認を受けている同級生に劣等感を覚える、そういう状況を「相対的剥奪」と呼ぶそうだ。周囲がすべて主婦なら比べる相手もいなくていいが、選択の自由が与えられると同時に「選ばなかった人生への未練」が生まれる、ということだろうか。まさに「選ぶも地獄」である。  

 柏木惠子氏の『家族心理学 社会変動・発達・ジェンダーの視点』のデータによると、中高年夫婦に「もう一度結婚するとすれば?」と問うと、男性の7割強は「いまの妻と」と答えるのに対し、女性は「いまの夫と」が4割、「ほかの人と」が4割、「結婚しない」が2割となっている。妻の夫への隠れた不満が透けて見える。この意識のズレが最近増えてきた熟年離婚の理由になっているのかもしれない。また「孤独感を感じるのはどういうときか」という問いには、回答の1位は夫も妻も「一人でいるとき」5割前後だが、夫の2位が「職場にいるとき」2割なのに対して妻の2位は「夫といるとき」3割、となっている。家庭のなかで「理解してくれない夫」がいると逆に孤独感が強まる、といっているのだ。  

 また勝ち犬には嫁姑問題、夫の浮気、「お子さんは?」とか「孫の顔をみたい」という子供を生まなきゃいけないプレッシャー、不妊の悩み、ママ友達のいじめ、子供の不登校など、別のストレスがかかってくる。皇太子妃雅子の最近の病状をみても「勝ち犬の不幸は逃げ場がない」ということがわかるだろう。結婚=幸せなゴールなのではなく、新たなプレッシャーのスタート地点でもあるのだ。  

 負け犬は「誰にも選ばれていない不安」「将来への不安」をもち、「一人でいる孤独」をもてあましている。勝ち犬は「社会的に承認されていない不安」「この位置から転げ落ちる不安」をもち、「二人でいる孤独」に身をよじる。お互い、自分のつらさや苦労は身をもって切実に感じているが、相手の不安には考えが及ばず、相手が持っている「自分が持っていないもの」に嫉妬し、焦燥している。「他人の庭の芝生は青い」といってしまえばそれまでなのだが。  

 『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』で上野千鶴子氏は「結婚は趣味の問題」と歯切れよく言いきっている。当人が納得しているならそれでいい。「家族になることや子供をもつことは趣味としてはあっていいが、規範であってはおかしい」のだ。少子化対策を必死に考えている厚生労働省の官僚や保守派の政治家が聞いたらぶっとびそうな意見だが、現実はそうなってきている。  

 また、結婚していても女性の平均寿命が6〜7年長く、夫婦の年齢差が平均2〜3歳あることを考えると、老後8〜10年は女性ひとりで生きていくことになる。子供がいてもいなくても最後はひとりになるのだから、「シングルの問題は、いまや選択の問題でさえなくて、どう受け入れるかの段階」だという。そういう認識から現在の世帯単位の年金・税制を、結婚・離婚に関係ないポータブルな年金・税制に変更することを上野氏は提案している。  

 家族や会社だけが主要な人間関係だと、それを「卒業」してしまうと同時に人間関係そのものを失う。上野氏は確信犯的シングルとして、脱血縁・脱地縁・脱社縁の加入脱退自由である人間関係「選択縁」を提唱している。ひとつの縁での失敗が全人格の否定にならずにすむ「アイデンティティの危機管理方式」として。具体的には趣味やボランティアや社会活動のたぐいなど、人間関係を複数もつということになるのだろう。人間関係のリスク分散というとなんだか銀行のペイオフ対策みたいだなあ、と思ってしまうが、ちがう世界をいくつも持っているほうが人間的にも人生の質としても豊かといえるかもしれない。  

 先行き不透明なこの時代、結婚していてもしていなくても、子供がいてもいなくても、悩み戸惑いながら生きていくことには変わりはない。女性の生き方は多様化し、結婚・出産は義務であり「女の幸せ」だった時代から、個人の自由・女の幸せのひとつになった。選択肢が増えるがゆえの迷いが女を苦しめているが、「選べないつらさ」よりは「選ばなくてはいけないつらさ」のほうがいい。やむをえない事情や困難がいろいろあったとしても、偶然にあるいはなしくずし的に「なんとなくこうなった」場合でも、誰かに強制されたわけでもないのだから最終的にはいまの状況は「自分で選んだのだ」という納得感をもつこと。もし自分で納得がいかなかったり、「誰かにやらされてる感」があるのなら別の道を探す一歩を踏み出すこと。自分ではどうしようもない力に規定され、とても変えることはできないと感じるのならそれを受けいれる「明るい諦念」を持つこと。それが自分の人生に落とし前をつけるということなのかな、という気がする。とはいっても迷いや不安や嫉妬心はこの世をいきる煩悩、いくつになっても逃れられぬものかもしれないが、少なくとも境遇の異なる他人の苦悩に思いを馳せ、共感する想像力があれば自分も他人も楽に、生きやすくなるのではないか。


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