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バーゼル・クラブ
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投稿者 外野 日時 2005 年 2 月 16 日 22:12:03: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: ホロコーストの定義が曖昧なのですね。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 2 月 16 日 19:12:23)

ご意見ありがとうございます。
僕のほうもいろいろ勉強になります。

ワヤクチャさんの書かれていることに関連するものが『億万長者はハリウッドを殺す』にありますので以下に紹介しておきます。

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 『億万長者はハリウッドを殺す』広瀬隆著(1986年刊)より

 バーゼル・クラブ

 バーゼル・クラブの真相は、あまりに複雑であるため、読者に手際よく説明できるという自信はない。この当時のドイツとアメリカの関係は、イギリス、ベルギー、カナダ、スイス、アフリカを加えた七ヵ所にまたがる陰謀が混然一体となって、利権を追求するシンジケートに支配されていたからである。
 スイスのバーゼル・クラブの経済顧問としてすべての実作業を指揮した謎のスウェーデン人、ペル・ヤコブソンは、郷里スウェーデンの銀行家「ウォレンブルグ兄弟」と密盟を結んでいた。実はこのウォレンブルグ兄弟は、ダレス兄弟の仲間だった。すでに述べたように、アメリカに進出したドイツの産業は、戦争がはじまって財産が没収されないようジョン・フォスター・ダレスに株を信託することを事前に画策したが、その仲介役をつとめたのがこのスウェーデンの兄弟だった。したがってユダヤ女を買った「IGファルベン」などドイツ産業の代理人ウォレンブルグ兄弟が、バーゼル・クラブにヤコブソンを送り込んだのである。
 さらに、このペル・ヤコブソンの上に立つ指令者としてバーゼル・クラブの総裁をつとめていたトマス・マッキトリックは、モルガンが所有するニューヨークの「ファースト・ナショナル銀行」の取締役であった。
 バーゼル.クラブの重役陣には、ヒットラーを首相にした「ナチス党員」クルト・シュレーダー男爵と、「IGファルベン」の社長ヘルマン・シュミッツと、チェコの強奪金塊の受け取り先となった「ライヒス銀行」の総裁ヴァルター・フンクが名前を連ねていた。
 ライヒス銀行とは、ドイツ語でナショナル銀行の意味だが、当時は”ナチス銀行”の意味をこめてこう呼ばれていた。フンクの前総裁はヤルマール・シャハトだったが、彼はすでにヒットラー政権のなかで経済相の地位を占め、ユダヤ女に値段をつけていた。このシャハトは、金鉱採掘師のハーバート・フーヴァー大統領、ジョン・フォスター・ダレス、さらにロックフェラーの盟友でユニオン・パシフィック鉄道の会長W・アヴェレル・ハリマンたちと密議のうえ、ドイツ賠償を御破算にした人物である。
 また、ライヒス銀行の副総裁エミール・プールは、バーゼル・クラブのペル・ヤコブソンと、日常的に交際する仲だった。
 これで分るように、敵味方入り乱れて、スイスの「国際決済銀行(バーゼル・クラブ)」、スウェーデンの「ウォレンブルグ兄弟銀行」、ドイツの「ライヒス銀行」と「シュレーダー銀行」、アメリカの「モルガン商会」と「ファースト・ナシヨナル銀行」が、共同でひとつの作業に打ち込んでいたのである。
 彼らは一体、何をしていたのか。
 ナチスの資金源を取りまとめた「シュレーダー銀行」の流れを追ってみよう。
 シュレーダー銀行は、敵国アメリカに支店を持ってロックフェラーとダレスに事業を任せていたばかりでなく、もうひとつの敵国イギリスの首都ロンドンにも支店を構え、「南アフリカ・アングロ・アメリカン投資会社」の取引きを引き受けていた。この社名は、”イギリスとアメリカによる南アフリカヘの投資”を意味する。
 今日まで国際問題の火種となっている南アフリカヘの投資とは、金・銀・銅・ウラン・ニッケルそしてダイアモンドの採掘をめぐる利権だった。戦争と言えば、戦闘機からガソリンに至るまで、これらの資源を際限なく使い果たし、投機業者に莫大な利益をもたらす。彼らがこの戦争にどれほど熱中したかは想像に難くない。
 ロックフェラーが石油を掘り当てようとすれば、ダイアモンドというこの世で最も硬い鉱物があればこそ、岩石を打ち砕く油田のボーリングが可能になる。銅は電線になり、ニッケルはありとあらゆる高性能合金の成分としてきわめて高価なものである。金銀は、電信機器の接点材料として、腐蝕しない高性能を誇っている。ウランは……いま新しい用途が発見されたばかりだった。
 筆者の手許にある戦時中の一セント銅貨は、リンカーンの顔が腐ってしまっている。これは当時の銅が、コインとしてより戦争資源として貴重であったため、コインが粗悪な合金で鋳造されたことを物語っている。
 そしてこれら金銀銅、ウラン、ニッケル、ダイアモンドが、南アフリカのローデシア一帯に無尽蔵に存在していたのだ。銀行家の資金は、一挙にこの地帯に投入され、ドイツ、アメリカ、イギリス、ベルギー、カナダ、スイスの財閥が一斉に動きはじめた。
 その代表格として活動したのが、この「シュレーダー銀行」の顧客である「南アフリカ・アングロ・アメリカン投資会社」であった。
 この会社はひとつの世界的シンジケートを作りあげていた。過半数に近い株を持っていたのが、ほかならぬ「モルガン商会」だったが、重役には、すでに聞き覚えのあるエドワード・ステッティニアスの名前がある。彼は一九一五年にモルガン商会が買収した会社、その名も「《ダイアモンド》・マッチ」の社長としてこの事業に没頭していた。この息子は、USスチールの副社長で、前述のアメリカ上官リストに「戦時《資源》局長」として登場した人物、エドワード・ステッティニアス・Jrである。あるいは、ファシスト団体”SM秘密会”のリーダーとして登場している。
 この「アングロ・アメリカン投資会社」と採掘協定を結んでいたのは、ベルギーの「ジェネラール社」と、ドイツの「メタルゲゼルシャフト」(”金属会社”を意味する)と、イギリスの「アマルガメイテッド金属」だったが、この三社を調べてみると興味深いことが明らかになる。
 一番目の、ベルギーの「ジェネラール社」は、マンハッタン計画で原爆用のウランをロックフェラーに調達したコンゴの支配者であった。
 二番目の、ドイツの「メタルゲゼルシャフト」のほとんどの株を持っていたのは、ヒットラーの最大の資金源だった「IGファルベン」である。あるいは、「スタンダード石油」および「デュポン社」とカルテル協定を結んでいた「IGファルベン」と言ってもよい。
 三番目の、イギリスの「アマルガメイテッド金属」を設立したのは、同国の「ヘンリー・ガードナー社」だが、その最大の株主は、カナダの「インターナショナル・ニッケル社」である。このニッケル社が、マンハッタン原爆のカナダ・ウランを調達しているのである。そしてこのニッケル社の重役リストには、ジョン・Dの孫ローランス・ロックフェラーとジョン・フォスター・ダレスの名前がある。また、オスカーのトロフィーを作る「フェルプス・ダッジ」の重役ジェームズ・ダグラスの息子ルイス・ダグラスも、「モルガン商会」の使者として重役会に名前を連ねていた。
 このシンジケートのメンバーは、戦争中の敵味方であるため公然と会合することが許されなかった。密談することができる唯一の場所こそ、治外法権に守られたスイスのバーゼル・クラブだったのである。
 総裁マッキトリックと経済顧問ヤコブソンが使用した二人の人物は、「連合国側の代表者」がアレン・ダレスで、「枢軸国側の代表者」がアメリカから日本へ渡った謎の人物ゲルハルト・ヴェストリッヒ博士だった。彼がここに登場することを記憶されたい。
 こうして名目上はベルン情報網の本部長として派遣されたアレン・ダレスが、実は七十キロ先のバーゼル・クラブに絶えず出入りしていた、という歴史上の記録は、きわめて理由のはっきりした行動だった。
 ダレスとヴェストリッヒは、この銀行で毎日のように顔を合わせ、ルーズヴェルトとヒットラーの作戦について情報を交換していた。
 これは、半ば戦争の情報という性格を持っていたが、今日では、ダレスがワシントンに送った情報はどれもこれも周知の事実だったことが明らかにされている。ダレスは、連合軍の情報官ではなく、シンジケートの情報係と呼ばれるべきであった。そのために彼はよく働き、戦火は日増しに大きく燃えあがり、シンジケートの金庫はみるみるふくれ上がって行った。
 しかし一九四三年二月六日から、バーゼル・シンジケートにとって思いがけない事態が持ちあがった。イギリスとアメリカの爆撃機が、ドイツの都市に空襲を開始したのである。ここでシンジケートにとって戦争の性格が変ったことは言うまでもない。
 アメリカとドイツの投機業者が仕組んだシナリオ通りには、戦争は推移しなかった。いまやクルト・シュレーダー男爵自身の体が危険にさらされているばかりか、ライヒス銀行、IGファルベン、アダム・オペル、クルップ製鋼、ポルシェといったシンジケートのドイツ同胞が爆撃されるようになっていた。ここまで火をつけてしまった以上、いずれかの政府が”参った”と宣言するまで、殺し合いを続けなければならなかった。
 ヒットラーとルーズヴェルトは、いずれも相手の絶減を国民に約束して戦闘に踏み切っていた。
 ダレスに関する書物によれば、ちょうどこのドイツ空爆からわずか一週間ほどあとに、ナチス突撃隊の秘密工作員二名が、シューデコッフ博士とホッヘンローエ皇太子の偽名を使ってスイスに潜入し、アレン・ダレスと会談している。
 このときのダレスが伝えた結論は、「ヒットラーに退いてもらい、ドイツ帝国を別の人間が継承する」というものだった。しかしこれはナチス突撃隊向けの、やわらかい表現である。
 実際には、シンジケートの意向は、もはやヒットラーを利用する時期は終った、できる限り早く奴を抹殺し、ドイツの工業界が破減するのを食い止めるべきだ、というものだった。
 一九四四年五月十二日には、アメリカの第八空軍機が九百三十五機ドイツ上空に現われると、この一千機近い爆撃機がドイツの中央部と東部にある重油工場を壊滅させ、ドイツ軍需産業の終りを決定づけた。
 モルガンとロックフェラーが手を組んだのは、初めからヒットラーではなかったのである。彼らはドイツの銀行家や工業家と手を組み、全員で寄ってたかってヒットラーを利用し、ファシズム旋風を巻きあげ、いまそれが行き過ぎだったと気づいた。盟友のクルップ鉄鋼は工場の三分の一が爆撃で破壊されていた。このシンジケート団はファシストでなく、投機業者である。ファシストを利用する時もあれば、逆の力を利用する時もある。
 だがヒットラーは、自分を神だと感じはじめていた。
 ムッソリーニがたちまち逮捕され、ヒットラー批判がいよいよドイツ上層部で火を噴きはじめても、ベルリン空襲のなかで独裁者はその地位をおりなかった。
 一九四四年六月十六日、ドイツがロンドンにV1ロケットを発射したとき、自分の支店をロンドンに構えていたツュレーダー男爵の驚きは、いかばかりだったろう。
「あのヒットラーという奴は何も分かっていないのだ!」
 ヒットラー暗殺未遂事件が起こったのは、その一ヵ月後のことである。
 ドイツの絶減を譲らなかったルーズヴェルト大統領が、一九四五年四月十二日に急死したのは、本当に病死であろうか。頭痛に襲われ、心臓病の薬を注射されたが効なく、ウォーム・スプリングで世を去った。最も重要な勝利を目前にして、このような最高指導者の地位にある人間が病死するということは、人間の精神力と生理から考えて、なかなか起こり得ない現象に思われる。
 その死に方は、ヤルタ会談の旅からはじまった急激な憔悴に見られるごとく、ハーディング大統領のアラスカ旅行後の急死と、きわめて似たパターンである。
 ドイツの無条件降伏を主張し続けたルーズヴェルト大統領の急死…

 ルーズヴェルト大統領が消えると、謎の副大統領トルーマンが昇格した。
 どこから見ても風采のあがらないこの人物が、どこからやって来て、なぜ副大統領という重要な地位についたか、その理由をしっかりと説明できる人間はいなかった。
 かつて若い頃には、モルガン商会が支配するナショナル商業銀行に勤務し、次いでユニオン・ナショナル銀行で帳簿をつけていた経歴はあるが、それは平社員の時代だからモルガンやロックフェラーと結びつく話ではない。
 その後、彼が投機業に進出して一財産を作ったあと、一九二〇年代にビジネスの失敗から二万ドルの借金を作った記録が残されている。これは、今日の金額にして七千三百万円、一億円近い巨大な借金だった。しかもこのほかに、ほぼ同額の財産を失っている。
 ところが、しばらく経つと、この借金がきれいに清算されているのである。果たしてトルーマンは、どこから一億の大金を調達したのか。
 彼が副大統領に指名されるとき、ふたりの人物が強力に支援活動をおこなった。
 一人目がジョージ・E・アレンという男で、彼は絶えずエマニュエル銀行の重役室に姿を現わし、そこの総裁ヴィクター・エマニュエルと密談を重ねていた。この銀行が支配していた最大の会社は、ロックフェラーの「スタンダード・ガス」で、この銀行の最大の取引き先はドイツの「IGファルベン」だった。
 二人目が、エドウィン・W・ポーレーという人物で、彼は「カリフォルニア市民銀行」のオーナーだった。この銀行は、カリフォルニア州一帯の石油利権を支配し、ロックフェラーと共同事業をおこなっていたのである。
 トルーマンが一体どこから現われたのか、誰にも分らなかったが、このふたりの支援者の素姓が、何ごとかを示唆していた。
 この”結果”を説明する”原因”が、トルーマンの経歴のなかに発見される。彼は、ファシスト在郷軍人同盟「アメリカン・リージョン」の幹部をつとめ、モルガン商会の重役グレイソン・マーフィーから資金を受けながら、KKK団と手を組んでナチス礼讃活動をおこなってきた……
 ナチスに敵意を燃やすフラソクリン・ルーズヴェルトが一九四五年四月十二日に急死すると、このハリー・S・トルーマンが大統領に昇格した。
 このわずか三ヵ月前、一月二十日までの副大統領はヘソリー・A・ウォーレスだったが、その日から新内閣が発足し、トルーマンの副大統領就任から八十二日後に大統領が急死しているのである。
 それからわずか十六日後の二十八日、ムッソリーニがゲリラに捕えられて銃殺される。
 さらにわずか二日後の三十日、ヒットラーが銃弾を口のなかに射ち込んで自殺。傍には、毒を飲んだ愛人エヴァ・ブラウンの死体が転がっていた。ふたりの死体は、ただちにナチス親衛隊の手で首相官邸の庭に運び出され、ガソリンをかけて焼かれた。このガソリンは、自殺の三時間前にあらかじめ官邸に届けられていた。
 ヒットラーの遺骨がその後どこで処分されたか、誰ひとり知る者なく、今日まで深い謎に包まれている。
 仮にこの三人の急死が、何者かに仕組まれたものであれば……

 その答を知っている人物は、J・R・ディーン少将であろう。彼は、死亡二ヵ月前のルーズヴェルト大統領がヤルタ会談に臨んだとき、ヤルタ島に同行し、連合国の首脳会談に立ち会った。次いでトルーマン新大統領が七月十七日にポツダム会談に臨んだときにも同行し、またしても首脳会談に立ち会った。このふたつの最重要会談で顧問役をつとめ、この両会談の中間でルーズヴェルト、ムッソリーニ、ヒットラーが死亡し、ドイツが降伏した。
 J・R・ディーン少将は、大戦後の東京軍事法廷の証言台に立ち、大日本帝国の軍人を弁護する雄弁をふるった。
「ロシアが日本を侵略したのだ。そのロシアを日本が攻撃したのは当然の結果である」と。
 枢軸国側に立つこの異様なアメリカ人の正体は、経歴が明らかではない。どこから派遣された使者か。トルーマンの支援者ジョージ・アレンがナチスに結びつき、もうひとりのエドウィン・ポーレーがダレスに結びつく事実は、スイスのバーゼル・クラブを思い起こさせずにはおかない。
 謎の新大統領トルーマンの手勢は、ざっと以上のような人間たちだった。
 このとき彼らが熱に浮かされたように魅せられていたものが、マソハッタン計画の原爆製造である。トルーマンがJ・R・ディーン少将と共にポツダム会談に出発する《前日》、七月十六日にアラモ砦の砂漠の真ん中で、ついに世界最初の原爆実験を成功させた。
 ”原爆の父”オッペンハイマーは、その閃光を目にした瞬間、「この世の終りだ」と感じた。この記念すべき場所は、三位一体と名づけられた。

 それからちょうど三週間後である。
 ポール・ティベッツ大佐は、夜になるとそっとB29に近づき、その爆撃機の機体に自分の母親の”エノラ・ゲイ”という名前をペンキで書いた。翌朝になって同乗のパイロット、ボブ・ルイスがこれに気づいて怒り狂ったが、すでに後の祭だった。
 彼らはこの飛行機に乗り込むと、操縦席に貼ってあるリタ・ヘイワースのピンナップ写真にウィンクをしてから、コダック社のポラロイド・サングラスを掛け、広島へ向かって飛び立って行った。この機体が抱いていたのは、オークリッジ場のウランを使った原爆だった。
 三日後には、長崎へ向けて別の機が飛び立って行った。こちらはハンフォード工場のプルトニウムを使った原爆だった。しかし彼らは、原爆を本当に使う必要があったのか。これが最大の疑問である。
 トルーマンはオッパンハイマーが興奮する様子を観察しながら、連れの者にこう言った。
「あいつの顔を二度と見たくない。いいか、奴は原爆を作っただけだ。しかしそれを爆発させた人間は、この俺なんだ」
 原爆が広島・長崎で大量の人間を焼き殺す前に、スイスのバーゼル・クラブでは、ペル・ヤコブソンとアレン・ダレスが日本から和平工作の仲立ちを頼まれていたのである。
 さらに時の国防長官ジェームズ・フォレスタルの日記には、日本がすでに全面的敗北を認め、講和を申入れたことが、一九四五年七月十五日のぺージに記されている。初の実験の前日である。だが、日本のファシストの暴走と、巨大なアメリカ原爆産業の誕生は、モルガン=ロックフェラー連合に別の結論を選ばせた。原爆投下に先立つ二ヵ月前、六月一日の委員会では、日本に対して原爆をできる限り速やかに使用すべきこと、爆弾の性質については予告せずに使用すべきこと、が全会一致の勧告として採用されていたのである。
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