★阿修羅♪ 現在地 HOME > 戦争68 > 431.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
中近東の変容 「9.11を予告しワシントン在住シオニストの王者ザヘイムの論文」 [アラブの声ML]
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/431.html
投稿者 white 日時 2005 年 3 月 16 日 10:09:05: QYBiAyr6jr5Ac

□中近東の変容 「9.11を予告しワシントン在住シオニストの王者ザヘイムの論文」 [アラブの声ML]

 http://groups.yahoo.co.jp/group/voiceofarab/message/467

中近東の変容  Dov S. Zakheim   2005年2月17日

これは、2005年1月28日に国際事情評議会全国大会において述べられたDov S.
Zakheim氏発言の文章である。元国防次官のDr. Zakheimは、海外政策研究所評議員である。

とりわけ私がかつて勤務してた役所、国防省において、今や「変容」が大流行だ。国防省において、この言葉は、軍事政策を実行するための方法、制度や概念といった、根本的に異なる方式を取り込むことを意味している。けれども、中近東における変容とは、それとは何か全く違ったものだ。人によっては、イスラエルを除き、実際には民主的な制度が全く存在していない地域に、民主的な制度をうち立てることを意味する。他の多くの人々にとっては、イスラエル、パレスチナとアラブ世界において永続的な和平を達成することが、第一番かつ主要なことだ。アリエル・シャロン首相とマフムード・アッバス(アブ・マゼン)大統領のリーダーシップのおかげで、イスラエルとパレスチナ政府間関係がささやかながら再開したことは、こうした形の変容の見込みに対する、少なくとも、ささやかな楽観主義の根拠となろう。

今日これからの午後、私が述べた第一の形の変容に焦点を当てたいと思う。デモクラシーの意味するところが、投票の自由、政治目的での集会の自由、個人の信仰の主義に従って礼拝する自由、口頭及びマスメディアの両方で、個人的な政治信条を発言する自由ということであれば、この地域の様々な地域におけるデモクラシーには、諸要素があるというのは事実だ。しかしながら、こうした自由が制限されない、或いは国民全てが享受している国は、アラブ世界には皆無だ。

特に今月、デモクラシーは、全国規模の選挙で、自由に投票できる権利を意味するようになっている。 今月始め、パレスチナ人は大統領選挙を行ったが、これは、過
激なイスラム教集団の反対にもかかわらず、彼ら自身の国家を持たないにもかかわらず、政治的成熟の模範だった。日曜日、1月30日、イラクは、大いに異なる状況の下、大変な危険が自分の身に及ぶのを目の前にして、アメリカと同盟軍の用心深い監視の元で選挙を行う。[編集部注:このスピーチは2005年1月28日に行われたものである。]

この二つの選挙が新たな傾向の始まりで、デモクラシーがまだもの珍しいままでいる世界の残された地域に、デモクラシーを行き渡らせるものだと見る人々がいる。けれども、アメリカがどういうわけか、デモクラシーを行き渡らせる為の最善の媒介物であるとか、或いは、アメリカの利益に沿っているとか、中近東が政治的に近い未来に変容すると考えるネオ-ウイルソン的認識は、非現実的かも知れず、そして実際、およそ百年ほど前のウッドロー・ウイルソン自身のビジョンがそうであったように、逆効果かも知れないのだ。

我々が、あの地域におけるデモクラシーのチャンピオンとして、頭から真っ逆様に飛び込む前に、いくつかの要素を考慮に入れることが大切だ。あの地域自身の政治的、社会文化的、更には、民主化をしようとした過去の試みをも我々は考慮しなければならない。デモクラシーが、他の形態の政府よりも必ず優れているのかどうか、我々は考えるべきなのだ。デモクラシーが、常に和平指向なのかどうか、我々は考えるべきなのだ。そしてその中で、アメリカという有利な位置から見て、恐らく最も重要なものは、民主的に選ばれた政府が、アメリカの利害を支持してくれることに確信を持てるかどうか考慮しなければならないということだ。なぜなら、本当の所、我々が支援したいと望んでいるのが単なるデモクラシーではなく、より遙かに重要なのは、アメリカに対し友好的なデモクラシーであるからだ。この二つは同じものではない。そしてまた、友好的でない、或いは敵対的でさえあるデモクラシーと、友好的なデモクラシー、或いは更にアメリカを支持してくれる権威主義的政権のうちからどれを選かという選択は、デモクラシーを優先するがゆえの既定の結論というわけではない。

デモクラシーと中近東社会

イスラエルだけが、中近東で唯一のデモクラシーだったわけではない。イスラエルという国家が、まだテオドール・ヘルツルの閃き段階でしかなかった頃、ペルシャは進歩的な憲法(1905年から-1911)と、それに見合った議会を持っていた。およそ四分の一世紀の間、レバノンは様々な民族的及び宗教的集団の全てが、国家統治においていくらかの分け前を得られるデモクラシーであった。

ペルシャの実験は、しかしながら短命に終わり、レバノンの制度は、最初はシリアによる、やがてはシリアとイスラエル両国による、そして現在もいまだにシリアによる外国の占領に終わった内戦で崩壊した。デモクラシーへと向かう他の試みもあったが、いずれも時を経て崩壊した。最も良く知られているものにクウェート議会の創設があるが、首長(アミール)が、そのやかましい批判にもはや我慢ができないと判断した際に、二度停止された。議会は一度再建されたが、男性のみが投票権を持ち、立候補できるものだ。サイモン・ヘンダーソンが書いているように、「本当の代表の程度は、民主的というより、封建的だ」[1]

なぜこの地域でデモクラシーが定着しなかったのだろう? 理由の一つは、中近東は、イランを注目すべき例外として、何世紀もオスマン・トルコ支配の元にあり、それゆえに存続可能な政治形態を生み出せなかったのだ。オスマン支配の否定的な影響はアラブ世界に限定されない、ということは、実際注目に値する。ロバート・カプランが、紀行文「Eastward to Tartary(東方
のタタール地域に向かって)」で指摘したように、オスマンは南東ヨーロッパにおける民主主義的発展をも鈍らせた[2]。興味深いことに、トルコそのものも、ムスタファ・ケマル・アタチュルクの、自国を現代化するのだという容赦ない決断のおかげで、オスマンの遺産の大きな影響を受けた。けれども、トルコのかつての県は、そのような改革の恩恵を受けることは決してなかった。

デモクラシーが中近東で根付かないもう一つの理由は、イスラム教文化にとって、権威が重要であることだ。しかも、イスラム教は、キリスト教やユダヤ教とは違い、これまで宗教的権威に対して挑戦した、永続的、組織的な、広域にわたる形の改革過程を受けたことがない。たとえある種イスラム教「改革」の一派があった、とスンニ派が言うにせよ、主流派シーア派であれ、イエメンのザイディー派やイスマーイール派のようなシーア派分派、スンニ派でもシーア派でもないオマーンのイバード派であれ、説明すべきシーア派の様々な分派もあろうが。事実、キリスト教とユダヤ教のような改革は、それぞれの分派内に限られている。改革はカトリック教には影響したが、東方正教には影響しなかった。ユダヤ教改革は、ヨーロッパのアシュケナージ・ユダヤ人には影響したが、「東洋」のセファルディには影響しなかった。従って、東方正教の支配が優勢だった諸国では、デモクラシーは容易には繁栄しなかったが、ロシアはその最も重要な例だということは注目に値する。同様に、イスラエルのセファルディは、アシュケナージ・ユダヤ人よりも反民主的な傾向を表すということもしばしば言われてきた。

少なくとも、イスラム教のある種の分派は、西欧の人々が、他派より穏健、と表現する類のものでしかない。それゆえ、その改革が、この場合西欧人が好むような方向とは全く反対の方向に向かっている点を除いて、ワッハーブ主義がスンニ派における改革運動だというのは皮肉なことだ。

上記のいずれも、中近東の社会が民主的になれないということを意図しようとしたものではない。事実、この地域の支配的な君主達の何人かは、アメリカの対話者達とデモクラシーを論じるにあたって、決して悲観的ではない。彼らには範とすべきものがある。スペインのホアン・カルロス国王、或いは、タイのプミポン国王だ。これらの元首は政治には関与しないとはいえ、積極的に国家の諸問題に介入してきており、タイのプミポーン国王の場合、タイの軍事独裁者スチンダ将軍の打倒を積極的に支援した。

とはいえ、同じ中近東の君主達は、少数派保護という理由やら、彼らの社会が他の価値により重きを置いているように見える為、変化は比較的ゆっくりと起こるに違いない、という認識だ。宗教的価値や、政治権力への代表権(デイワニヤ制度)、中近東諸国の平均的な市民達にとっては、デモクラシーよりも経済的安全性の方が、重要なもののように見える。彼らの価値体系のヒエラルキーが、我々のそれを反映したものであるべきだなどと思いこむことは、彼らが将来いずれかの時点で民主的になることはできない、と論じるのと同様、キプリング的なことだ。

政府の理想形態としてのデモクラシー

「デモクラシーは、あらゆる欠陥があるにせよ、事実上、人類が利用できる最良の制度だ」というチャーチルの有名な格言は、デモクラシーが優勢なあらゆる場面で、必ずしもあてはまるとは限らない。ラルフ・ピーターズはある最近の評論でこう言った。「パキスタンにおけるデモクラシーは、軍政よりひどい腐敗に至った」[3]。彼は、そうしたデモクラシーに、ドイツの選挙で選ばれたアドルフ・ヒットラーを付け加えることもできたろう。

しかも、中近東におけるデモクラシーは、得てして専制政治に堕落しがちだ。イスラム教過激派は「一人、一票、一度だけ」を支持している、というジョークは、イスラム法学者が牛耳るイランや、失敗したアルジェリアの選挙という現実に根ざす物だ。大いに部族的であり続ける民主社会において、少数派がよりよく暮らせるかどうかはまったく定かではない。オスマン支配の恩恵の一つは、彼ら自身を守りながらも多数派を尊重することによって、少数派が社会を牛耳れるということだ。例えば、バーレーン或いはヨルダンにおける多数派による支配が、必ずしも、より開かれた、民主的政権になるとは限らない。

アラブのデモクラシーと、アメリカ

デモクラシーがいずれもそっくりというわけはない。更に、どれもがアメリカの好みそうな政策をとるというわけではない。何年もの間、アメリカと、世界最大のデモクラシー国家インドの間にはかなりの緊張関係があった。この二つの国家の本当の友情は、まだまだ日の浅いものだ。インドは1961年にゴアに侵略し、占領し、併合したが、とうてい平和を愛するデモクラシーとは言い難い。
インドは1974年に核実験を行い、不拡散条約の無意味さを明らかにしてしまい、パキスタンが自分で核開発計画に乗り出す口実を与えてしまった。インドが1998年に核兵器を爆破させると、パキスタンは間もなくそれに続いた。

決してインドだけがアメリカと、時には非常に厳しく、対立した、唯一のデモクラシーと言うわけではない。

ワシントンは、チリのサルバドール・アジエンデが選ばれた選挙、或いはより最近では、ベネズエラのウーゴ・チャベスが選ばれた選挙を快くは思わなかった。ルーラ・ダ・シルヴァ大統領の元、民主的ブラジルの野望は、アメリカとラテン・アメリカに対する影響力を競うことだというのは、ワシントンの政策決定者達を苛立たせることが多い。実際の所、西欧デモクラシーでさえ、常に我々が望むような方向に振る舞ってくれるわけではない。彼らの政治形態が、我々のものとは相反する政策を推し進めることを、確実に止めてくれているわけではない。

本当のアラブのデモクラシーは、西洋全体にとってみならず、特にアメリカにとって、敵対的である可能性がある。多くの敬虔なイスラム教徒にとって、アメリカ社会は、イスラム教が忌み嫌うであろうと信じるもの全ての象徴だ。一般に、アラブ人達は、イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、イスラエルとパレスチナの間での合意がないところで、アメリカがイスラエルを支持していることが、彼らの中に深く根ざす怨恨を引き起こしている。現在ワシントンに対して友好的な姿勢をとっているアラブ諸国も、万一彼らが本当に庶民の感情を代表するようになれば、アメリカに反対するかも知れない。

我々はデモクラシーを中近東に持ち込めるだろうか?

私としては、これまで述べたことが、デモクラシーを中近東にもたらすのが単純な話ではないことを明らかにしてくれたことを願っている。イラクはデモクラシーとはほど遠く、一回の選挙でデモクラシーが作れるわけではない。イラクは以前にも、君主制崩壊直後の時期に選挙はあった。だが1958以後の歴史の大半で、イラクは次々に、手に負えない独裁者によって支配されてきており、サダム・フセインは、その最後で、最悪の独裁者だ。

イラクにおける日曜日の選挙を支援するためにできるあらゆることを我々はすべきであり、イラク国民が、民主的な価値に対して専心するような政治家達を選ぶよう願うべきだ。だが、たとえ我々がイラクにもとめている結果を実現したにせよ、デモクラシーがイラクなり、中近東で現実化するということは、長年の間には、権力はある政党から他の政党に移行することを認識すべきだ。そうなるだろうという証拠は無く、現時点では、いかなる証拠も手元にはない。

およそ15万人の同盟国軍隊が存在し、独裁的な支配階級を追放したにもかかわらず、イラクがしかるべく変身するのは確実だと予言できないのであれば、この地域の他の国家にデモクラシーを作り出せると、本気で期待することができようか? たとえそうできたとして、我々はその結果に満足できるだろうか? そうし
た諸国は、アメリカの権益に対して友好的に振る舞うだろうか? 或いは、我々の関心事を支援するだろうか? そして、中近東イスラエルとその近隣諸国との間の和平を求め
ている我々の仲間に対してはどうか?

デモクラシーは素晴らしい理想だ。まともな人間社会の基盤として、また人々にとって、平和に、自由に暮らし、個人的な熱望を達成するための最善の希望として、アメリカが民主主義的な価値を指し示していることは正しい。我々が選挙プロセスを促進し、そうしたプロセスを必ずや補強する、存続可能な市民社会の創生を支援することが大切だ。一般のアラブ人達に対して、中近東に対するアメリカの狙いは本当に好意的なものであることを示す、イスラエル-パレスチナ和平交渉の復活を、ワシントンが、励まし育むことが同様に大切だ。

けれどもデモクラシーを急激に周囲の地域に広げるという大計画には注意が必要だ。フランスの革命軍は、1790年代中、諸国を次々侵略する際に、「自由、平等、友愛」という約束を携えていた。何年も戦争が続き、これまでの中で最高の将軍に率いられていたにもかかわらず、この軍隊は完璧に敗北し、連中の夢は専制政治の復帰によって砕かれ、ヨーロッパは解放されなかった。

我々はデモクラシーの夢には中近東の現実を加味しなければならない。我々が願いの実現に十分配慮しなければ、夢はあっという間に悪夢にかわりかねない。そしてその悪夢は長年に渡って消えるまい。

注記


1. Simon Henderson, メConservative Arab Gulf States and U.S. Strategyモ
Policy Paper No. 58 (Washington, DC: Washington Institute for Near
East Policy, 2003), p. 62. [戻る]
2. ロバート D. カプラン, Eastward to Tartary: Travels in the Balkans,
中近東とカフカス山脈 (New York: Random House, 2000) pp. 58, 61. [戻る]
3. Ralph Peters, 「デモクラシーが失敗する時」 USA Today (January 10,
2005). [戻る]

本電子メールは、このメールがForeign Policy Research Instituteに帰属することを明示し、メール全文を送信し、我々のwebアドレス(www.fpri.org)を記載する限り自由に頒布できる。メーリング・リストに投稿する場合には、FPRIにメーリング・リスト名称、場所、目的、及び受信者数を連絡すべきこと。

この記事を転送で受信し、直接我々のメーリング・リストで受信したいと思う場合、FPRI@f...宛にメールを送信すべきこと。メールには、氏名、アドレス、及び、所属を明記のこと。より詳細情報については、Alan Luxenberg 電
話(215) 732-3774 内線105に連絡のこと。
----
よけいなコメント
「本当の民主主義の実現など望んではおらず、中近東の国々を皆日本の様な『属国』にしたいというアメリカ首脳の本音がある」という一点だけが、この文章の価値でしょうか。先に訳したロンドン市長発言と、この発言はまっすぐにつながっています。
****
上記は goose さんによる訳文とコメントです。著者は9.11を予告したワシントン在住シオニストの王者ザヘイム、原文は
http://www.fpri.org/enotes/20050217.middleeast.zakheim.transformingmiddleeast.html
【真に民主的で自由な選挙が実施されたら大方の中東、イスラム諸国は反米国家となることは間違いない】
****
【短報】
*シリアの情報機関もベイルートから撤退開始 イスラエル軍無人偵察機MKが南レバノン上空を侵犯 「エジプトのアル・ワフド」

*米国のテレビ局はブッシュ政権が作成したビデオテープを「政府作成」と明かさずに放映している クリントン時代にも行われていたがブッシュ政権1期目には政府ビデオ作成予算が18800万ユーロと倍増 「スペインのペリオデコ紙」 【テレビ局は番組作成費が減らせ、米政府は都合の良い映像を流せるから一石二鳥の名案か】

*イラク駐留米軍の負傷兵は、情報隠蔽政策のため夜間にのみ米国に到着する 「デモクラシー・ナウのサイト」

*イラク警察筋:武装勢力5人が中火器でバグダード西方に拘留中のサダム元大統領の刑務所の番人のジャーシム・マナーティーを殺害 「im」 【殺害場所は記されていないが、事実とすればサダムが収容されている場所の番人まで名前も行動も筒抜けになっている】

*国際ユダヤ機関「エイド・ファシム」が世界の同性愛者の支持を得るためにホロコーストの同性愛犠牲者を追悼 同機関:ユダヤ人はナチによる唯一の犠牲者ではなく、完全に抹殺された唯一のグループである 「ハアーレツ」
【最近ホロコーストの嘘が崩れつつあるための措置か?】

*ニュージーランド、イスラエル軍副参謀総長の入国禁止 モサドによるスパイ行為が原因 「ビッグ・ニューズ・ネットワーク」

*バルザーニ、クルド民兵組織のペシュメルガの解体を拒否 「モヒート」

*バグダード空港への道路上で15日に襲われた占領軍の車列 軍の発表では死者は全員イラク人民間人としているが、以下の写真を見れば軍救急隊が死体を軍のヘリで運んでおり、イラクの民間人でないことは明らか。
http://www.iraqpatrol.com/php/index.php?showtopic=8441

アラブの声ML 齊藤力二朗
http://groups.yahoo.co.jp/group/voiceofarab/

関連記事

問題はイスラエルなのであり、反ユダヤ主義なのではない 「ロンドン市長」 [アラブの声ML]
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/264.html
投稿者 white 日時 2005 年 3 月 10 日 11:03:19: QYBiAyr6jr5Ac

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 戦争68掲示板



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。