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散歩・周遊のついでに:「対面通行の発想」を教わらない中高生
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 7 月 26 日 06:52:30: SO0fHq1bYvRzo
 

(回答先: 「絵画的思考法」の重要性について 付加的な随想・・・ 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 7 月 25 日 23:26:10)

散歩・周遊のついでに:「対面通行の発想」を教わらない中高生


周遊に興じたついでに、もう一つだけ。多少愚痴っぽい話が続きますが。

私もこちらで在住の日本人中学生(日本人学校、英米系の国際学校)や高校生(英米系の国際学校)と接する機会があるのですが、特に日本の数学教育で「コリャ、ダメだ」と慨嘆することが多くあります。特にひどいのが上でODA ウォッチャーズさんもおっしゃっている「あの当たりに答えがある」という想定を行って、そこから逆に問題で与えられている「事実」を検証していく、という発想が全く育てられていない、ということです。


小学校教科書レベルの計算問題なら『上から下に順を追って』作業を進めていけば「答」が出てきてしまうのですが(上級の私立中学入試問題レベルはそうはいきませんが)、本来なら中学で「数学」と名前が変わったときに、『上から下に順を追って』という発想の仕方から卒業しなければいけないのですね。

ところが教科書にその発想がまるでなく、教師のほうももちろんそんなことは考えてもみず、生徒はいつまでたっても小学校の計算練習の続きをやってしまうものだから、最も大切な「ヴィジョンの広がり」がいつまでたっても身に付かない。特にいわゆる「ゆとり教育」以後はひどい状態です。これは数学の問題という以上に教育目的の問題でしょうね。何を次の世代を支える者達に伝えなければならないのか、という、教育の本質的なテーマが壊滅的な状態になっている、ということでしょう。

例えば、図形の証明などでは、与えられた条件(ただし日本の教科書では「仮定」という言葉を使っています。英国の教科書ではgivenという正確な言い方になっていますが、「仮定」というと何だか無いものを仮定するような空虚なイメージになってしまいます。これは単なる「言葉の問題」ではなく、イメージ能力の発達を阻害する重大なミスだと思います。)と証明すべき事柄(これも日本の教科書では「結論」となっており、これもトンチンカンです。英国の教科書ではto proveという本来の表現を使っています。)があり、「前提となる条件(事実)」から出発して「証明すべき事柄」に達する道と、逆に「証明すべき事柄」から戻って「前提となる条件」に行き着く道の二つを同時並行的に歩いていく発想の仕方、言ってみれば『対面通行の発想』が、本来ならば数学を通して鍛えられなければならないわけです。

ところがもちろん教科書にはそんなことは書いていないし、教師も全く教えない(というか教師自身がそんな発想ができない)ため、生徒たちはいつまでたっても「仮定→結論」という一方通行の頭脳ばかりを働かせてしまい、ちょっと複雑な問題になると手も足も出なくなります。これを解消するために問題数を多く当たって「パターンを覚える」方向に走ってしまうか、あるいは「図形はダメだ」と初めから投げ出すか、のどちらかになってしまいます。


行き着く先がわかっている証明問題ですらこれです。まして他の問題など、「大体この辺に正解がありそうだ」と見当をつけて問題に書かれている「事実」と照合していく、という発想が全くできなくなっています。かわいそうなことに熱心な子ほどそれがひどい。決して子供たちに能力が無いのではなく、そのような発想の仕方を教えていない、さらには、数学教育自体がそのような発想を育てることを意図していないように感じます。きちんと指導してやればほとんどができるようになるんですよね。

だから例えば中学生が2次式の平方完成を行う場合でも、一歩先の目標である「平方された形」をイメージしながら進めていくのではなく、教科書でも「xの係数の半分を2乗したものを加える」と『上から下に順を追って』計算する方法ばかりが強調され、「目標がこれだから今この作業をするのだ」という、目的地からの逆方向の発想が育たない。「ゆとり教育」のせいで因数分解の種類が大幅に削られたことも、これに拍車をかけているように思います。

実はこの点は米国の教科書ではもっとひどく、個々に公式的に覚えることばかりやらせるようです。先生がしっかりしている場合にはきちんとその点をフォローするのですが、どこの国でも、若い世代に『対面通行の発想』(これは後に帰納と演繹の関係を理解するための基本になると思いますが)を育てようとしないのか、とがっかりします。

結局、「一方通行の公式」を覚え込んで、前提で与えられた個々の事実をそれに当てはめて物事を解決しようとするような発想パターンだけが肥大化していきます。あるいはそれがイヤになった者は逆に、前提で与えられた事実関係を無視して勝手に「想定された解答」からしか見ることができなくなる、という「両極端」に別れてしまう。私のような「陰謀論者」は「これは誰かの企みじゃないのか」などと邪推したくなってしまうのですね(笑)。


さらに、日本の場合、イコールの正確な意味を徹底させてないものだから、「移項」などという技術ばかり振りかざすことになり、結局「+と−を間違えた」というミスを連発する者が多いです。比例式でも「内項×内項=外項×外項」という算数の計算技術しか知らず(それも「ゆとり教育」でほとんど訓練を受けていない)、分数化して考えるという発想が出来ない。こんなこともきちんと教えてやればできるのですね。


高校生の三角比から三角関数についての教え方などもひどいもので(これは万国共通)、直角三角形から入るのは当然なのですが、その次を見越して指導しないものだから、ほとんどの生徒が「sinやcosは直角三角形の性質だ」と思い込んでしまう。そのうえで鈍角から一般角、さらにはラジアンを使ったものにまで進むものだから、大概の者が混乱してしまい、一部の敏い者たちは「まあこれはこんなものだから」と頭を切り替えて方法を覚えてこなしていくのですが、多くは決定的に数学嫌いになってしまいます。これも初めから「sinやcosは三角形の性質じゃなくて角が持っている『個性』なのだ」と教えてやると、後々でも何の引っ掛かりも無くスムーズにつながっていくのですが、

微積分でもなぜ区分求積法をきちんと最初から教えないのか、首をひねります。でないとdxの意味が解らないはずで、単なる「微分の逆算」の形式丸暗記になります。これは日本だけでなく英国の教科書でもそうです。(ただし英国では理系用にAdvance Mathがありそこではきちんと原理から教えています。)米国の教科書では区分求積法から入ります。絶対にこの方が具体的(絵画的)なイメージが沸くはずです。


ただ米国の教科書で感心するのは、現実にある経済の現象や社会統計、物理・化学の現象などを使った文章題をかなり豊富に載せていることです。日本の数学のように「これが世の中で何の役に立つのか」という疑問を感じさせないようにしているのです。英国でも同様で、これはさすがにシティの国だけあって、中学の教科書からちゃんと株の配当や銀行利息、購入物資の原価償却などがからんだ文章題が出されます。日本じゃ「教科書でそんな話題を出すなんて」と顔をしかめられそうですが、欧州では初めから「経済学は数学の一種」で、どちらかというと理科系に近いのですね。根本的な発想が違います。

話はガラリと変わりますが(笑)、ピカソが立体と空間の構成を恐ろしいくらいに正確に捉えたのは、やはり具象をとことん突き詰めているからでしょう。よくピカソの描いた人間の顔が「横から見たものと正面から見たものを組み合わせた」というように紹介されるのですが、そうかな?と思うときがあります。欧州人の顔は、結構平べったいのもいますが、両目を含む顔の平面から鼻の部分の高まりまでの距離が大きく、顔が細くて目の横から鋭く後ろに回りこんでいる、要するに「掘りが深い」ですから、斜めから眺めた場合光の当たり方によっては、それだけで「ピカソが描いた顔」のように見えてくるときがあります。

むしろ彼は「立体派」というような流派の理屈ではなくて、実際の人間の顔(平面的なアジア人の顔じゃないですが)の立体構造を正しく捉えているのではないのか、という気がするときがあります。もちろん造形のヒントになったのがアフリカの彫刻であることは有名です。

またカタルーニャの中世の陶器を見ていると、面白いことに、ピカソの顔の表現にかなり近いものが見られます。彼はこのようなスペインの伝統の造形からも学んでいるのではないのか、と思うこともあります。

またベラスケスの絵でも細部を見ていると、ひょっとして後の印象派にも共通するのではないのか、と思えるような光り方の表現が見られます。ゴヤは別の意味で偉大ですね。あの人間の内面まで見通した具象に対する観察力はまさに超人的です。彼らの具象に対する眼の鋭さはちょっと次元が違いますね。

マドリッドのプラド美術館に行くとゴヤの部屋が延々と続くのですが、2階の一部にヒエロニムス・ボッシュの部屋があります。ゴヤがボッシュの絵を見たかどうか知りませんが、ボッシュには単にキリスト教的な罪悪感を超えた人間の持つ救いようの無さに対する非常に鋭い観察があります。これを何十倍にも敏感に感じ取ったのがゴヤでしょう。それもただ単なる絶望感ではなく、それを徹底したところで光るような何かがあると感じます。これは私の個人的な感想ですが、スペインで最大の芸術家は、と聞かれると、私はゴヤと答えます。

緑豊かなカタルーニャの田舎から、ゴヤの生まれたアラゴン州に一歩入った瞬間に風景がまるで変わってしまう。真夏の太陽に照らされた山が月面の世界のような灰色になるんです。これは冗談も誇張も抜きに。所々に枯れ果てた草むらが固まっているのですが、こんなところで生まれて育ったのか、と、息が詰まりそうになります。


延々と観念の散歩・回遊をしてきて、ちょっと疲れました。でも戦争板でギスギスしてしまった心が少し回復してきたような気がします。長々と付き合わせてしまって申し訳ありません。

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