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オプス・デイ創始者はユダヤ系か?(フランコも?カストロも?)
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 10 月 16 日 07:38:40: SO0fHq1bYvRzo
 

(写真はバチカンにあるオプス・デイ創始者の彫像)

オプス・デイ創始者はユダヤ系か?(フランコも?カストロも?)


どこの国にでも、誰もが知りながら、あえて誰もが口にしようとしないことがあるはずです。もちろんスペインも例外ではなく、心の底ではピンと来ても公衆の面前ではそれだけで済ませてしまい、それ以上は決して触れないようなことをいくつか持っています。

その一つに各人の苗字(姓)の由来があるでしょう。

スペイン系の苗字には面白いものがいくつかあり、たとえばマタモロス(Matamoros)です。この姓の中のmataは「殺す」の意味のmatarという動詞の変化形であり、morosというのはモーロ人、つまり15世紀までイベリア半島にいた北アフリカ系のイスラム教徒を指します。つまりこの姓は「モーロ人殺し」とでも訳せるでしょう。何とも物騒で人種主義丸出しの苗字です。なおメキシコにマタモロスという都市があるのですが、おそらくこの姓を持った人物から採られたものでしょう。

日本を意味するJapón(ハポン)という姓もあります。なぜこんな姓が生まれたのか、そのご先祖様が日本人だったということでも無いようで、ちょっと見当が付かないのですが、祖先が日本から来た珍しいものでも持っていたのかもしれません。南部のアンダルシアにまれに見られる姓といい、今はもう引退しましたが、何年か前までスペインのサッカー1部リーグにJapón-Sevilla(ハポン・セビージャ)という姓を持つ審判がいました。ちょうど日本人選手の城がバジャドリッドというチームでプレーしていたときに、ある試合でこの審判が笛を吹いて、スポーツ紙に「Japón vs Japón(日本対ハポン)」などと書かれてありました。

マタモロスはともかくハポンくらいならさほど問題にはなりません。しかしある苗字がユダヤ起源となると、そうもいかないようです。それも相当に有名な、と言うよりも普段でも気軽に口にすることがはばかられる人物となると、少々話が面倒になります。

この文章では、オプス・デイの創始者ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲーの名前の秘密から、この教団に最初からまつわる重大な疑惑に関して、様々な資料を通して検討してみたいと思います。なお、これは「超巨大カルト、バチカン」シリーズに含めようかとも思いましたが、直接にバチカンに関わるものでもないので、その付属資料として書いてみました。


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『オプス・デイ創始者はユダヤ系か?』


■カトリック系の教団であるオプス・デイがマドリッドで誕生したのは1928年である。その創始者は、今現在では、ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲー・イ・アルバス(Josemaría Escrivá de Balaguer y Albás)とされている。

「今現在では・・・されている」と断ったのには理由がある。

彼の名には『ペラルタ公爵』という爵位が冠されていた時期がある。この爵位は1968年に勝手に名乗り始めて、後年になって有耶無耶のうちに取り消されたものである。カトリックの僧職にある者が貴族の爵位を授かることについての是非は問わないにしても、この爵位は教団のカネと独裁者フランコの力を借りて捏造した何の由緒も無いものだ、という議論が初めからあったのである。

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http://www.opuslibros.org/prensa/marques_delacierva.htm
LA FALSIFICACIÓN DEL MARQUESADO DE PERALTA
LOS AÑOS MENTIDOS. Autor: Ricardo de la Cierva
リカルド・デ・ラ・シエルバ著「嘘の時代」より、
『ペラルタ公爵の捏造』
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もっともスペインでは、何の由緒も無い爵位の捏造は以前から盛んだった。たとえばあのガウディのパトロンとして有名なグエル(Guell:カタルーニャ語ではグエイュに近い発音)公爵を見てみよう。親父が中南米の奴隷貿易とキューバで奴隷をこき使って得た資金を王室につぎ込んでカネで買った爵位なのだ。グエル家はその資本を元にして大陸欧州では最も早い時期にカタルーニャに産業革命を起こした資本家の一人に成り上がっていたのである。こんなやつらが19世紀のスペイン(特にカタルーニャ)にはゴロゴロいた。


■しかしそれはさておいて、ここでこのオプス・デイ創始者の名前について詳しく調べていこう。主に使う資料は次である。

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http://www.opuslibros.org/libros/Carandell/estetica_apellido.htm
VIDA Y MILAGROS DE MONSEÑOR ESCRIVÁ, FUNDADOR DEL OPUS DEI
LA ESTETICA DEL APELLIDO:Luis Carandell
『オプス・デイ創始者、エスクリバー師の生涯と奇跡:姓の改変』
ルイス・カランデイュ著
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彼が生まれたのは1902年、スペイン北部のピレネー山脈に近いアラゴン州の小都市バルバストロ(Barbastro)であった。このときの洗礼名はJosé María Escriba y Albás(ホセ・マリア・エスクリーバ・イ・アルバス)である。現在言われている名前Josemaría Escrivá de Balaguer y Albásと比較されたし。

これはこの教区の公式記録に残っている。父親の姓がEscriba(エスクリーバ)、母親の姓がAlbás(アルバス)である。ホセ・マリアは13歳のときにアラゴンの西側にあるラ・リオハ州の中学校に入るのだが、この時代にはJosé María Escrivá(ホセ・マリア・エスクリバー)と署名している。しかし学校の公式記録にはやはり本名のJosé María Escribaが書かれてある。

その後1928年にマドリッドで教団を作り、1941年(スペイン内戦がフランコの勝利に終わって2年後)には正式にJosé María Escrivá de Balaguer(ホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲー)と改名した。これも故郷のバルバストロの教区に記録が残っている。ただ正式な改名の前からもすでに実際にはJosé María Escriváという名前を使用していた。

彼がローマに居住を移したのは第2次大戦後の1946年だったが、1960年には現在使われているJosemaría Escrivá de Balaguer y Albás(ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲー・イ・アルバス)を名乗る。

そして実は、彼の本来の姓であるEscriba(エスクリーバ:父親の姓)は『ユダヤ教の律法学士(ユダヤの経典を研究し解説する学者)』という意味を持っている言葉なのである。これは日本で市販されているスペイン語辞典にも書かれてある。現在でこそスペイン社会にはユダヤ人が安心してシナゴーグを持ちエスクリーバたちも堂々と活動できるのだが、以前はそうではなかったはずだ。

スペインには15世紀まで20万人以上と言われるセファラディ・ユダヤ人が住んでいて、各地の経済を支える重要な働きをしていた。ところが1492年(奇しくもコロンブスが西インド諸島に着いた年)、最後のイスラム王国グラナダが滅びた直後に追放令が出される。単に宗教的な理由だけでなく、スペインを統一したイザベルとフェルナンドのカトリック両王が、彼らの豊かな財産を巻き上げることで逼迫していた国家財政を立て直そうとした、ともいわれている。

このとき約16万人のユダヤ人が財産を捨てて着の身着のまま国外に逃れ、約5万人がカトリックに改宗してスペインに残った。その10年後に今度はイスラム教徒たちも同様の仕打ちを受けることになる。そしてそれ以降、無残の極みを尽くす異端審問の歴史が続くのである。なお、このユダヤ人追放から500年後の1992年にバルセロナ・オリンピックが開かれた。これも単なる偶然とは思えない。

一般的な意味の改宗者である「converso(コンベルソ)」と言う言葉もあるのだが、スペインでは伝統的に改宗ユダヤ人のことを「marrano(マラノ)」と呼んだ。この「マラノ」は本来『不潔なもの』『汚い豚』の意味である。そしてちょうど日本の江戸時代にいた隠れキリシタン同様に、表向きは改宗しても密かにユダヤ教の伝統を守る隠れユダヤ教徒が多かったと言われているが、これについては現在、セファラディ・ユダヤ人の学者による優秀な研究が多く作られている。


■さて、ホセ・マリアの父親ホセは服地商を営んでいた。服地を扱う店にはヨーロッパのどこ国でもユダヤ人が多いと言われる。父親はホセ・マリアが中学校に入る前に店の経営に失敗し借金を抱えて夜逃げし、隣のラ・リオハ州に移り住んだ。先の資料の著者カランデイュによれば、当時の彼らを知るバルバストロの住民はこの「エスクリーバの店」のことをよく覚えている、という。

この「エスクリーバ」という姓に関して、上の資料の著者であるカランデイュは、イベリア半島におけるユダヤ教徒とイスラム教徒の歴史研究の権威であるJulio Caro Baroja(フリオ・カロ・バロハ)に尋ねたところ、次のように一蹴されたという。
「君ィ、改宗ユダヤ人たちはいつも『隠れユダヤではないか』という疑いをかけられることを恐れていたのだよ。だからそんな明らかにヘブライ起源の言葉を姓として改宗ユダヤ人が何百年も保っているはずは無いだろう。このエスクリーバという姓は何を意味しているわけでもないんだよ。」

偉い学者といわれる人には緻密な理論と豊富な知識の割には間の抜けた人が多い。このバロハ教授も例外ではないようだ。なるほど、改宗ユダヤ人はユダヤ起源の名前を嫌ってとうの昔に改名していたはずだから、エスクリーバという姓がユダヤ人とは無関係なはずだ、という理屈は一見筋が通っているように見える。では、元々からのキリスト教徒がわざわざ「ユダヤの律法学士」という姓を選んで名乗り続けるのだろうか。新約聖書を読んだことのある人は知っているだろうが、イエス・キリストは、パリサイ派と並んで律法学士を最大の非難の対象にしているのだ。

そもそもスペイン語の姓の中には明らかにユダヤ起源のものがいくつかあり、生粋のスペイン人ならすぐにピンと来る、という。

ここでセファラディ・ユダヤ人の研究家たちが自分たちの歴史・文化を研究を公表するために作っているSEPHARDIM.comというサイトを訪問して、その一部を読んでみよう。

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http://www.sephardim.com/
SEPHARDIM.com(英語)

【前略、訳出開始】

このサイトに並べられている名前は国と宗教関係の記録、そして信頼できる著者によって、セファラディのものとして突き止められているものである。これらの名前はスペインとポルトガルのユダヤ人によって使用され、その多くは今日でも世界中のスペイン語圏やセファラディの社会とその関連するところに見られる。いくつかの名前はすでに昔の形をとどめてはいない。一方で姓名学の専門家ではなくても、いくつかの姓、たとえばアブラバネル(ABRAVANEL)などは迷いようも無くヘブライ起源である。他には、たとえばイブン・ヤヒア(IBN YAHIA)などはアラブ起源に思える。ところが他に、カストロ(CASTRO)やフランコ(FRANCO)などはスペイン語起源のように見えるが、この姓の圧倒的多数が追放の時にはユダヤ人のものだったのだ。その他の名前(変更した姓やクリスチャン・ネーム)では、デ・セビージャ(DE SEVILLA)やサンタ・マリア(SANTA MARIA)のようなものがあてがわれた。これらの多くがキリスト教徒の「保護者」の姓だった。

【後略。引用、翻訳、終り】
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何? カストロ? フランコ? はて、どこかで聞いたような・・・。

スペイン語圏では、元スペインの独裁者フランコやキューバ首相カストロの悪口を言う際に(ただし表立って、ではないが)、あのユダヤ人め!という感情が込められるようである。中南米の、日本で言う2chanにあたるようなサイトでは「カストロはキューバ人じゃない。あれはユダヤ人だ!」などの本音が見られる。(フランコ将軍については後で再び採り上げよう。)

つまり、一部のセファラディ・ユダヤ人の子孫たちはスペイン社会の中で、このようなユダヤ起源と誰にでも分かる姓を先祖代々守り続けているのだ。「隠れユダヤではないかと疑われることを恐れていた」割には、その姓を変えなかった例が結構多くある、ということになる。先ほどの「学界の権威」大先生の間抜けぶりがよく分かるだろう。


■ホセ・マリアはラ・リオハ州ログローニョ市の中学校に入ってから、自分の姓をEscriba(エスクリーバ)ではなくEscrivá (エスクリバー)とサインした。ちょうどそのころ父親のホセ・エスクリーバが亡くなり、彼は一家の貧しさを軽減させるためにカトリック修道院に身を預ける決心をしていたのだ。

破産して夜逃げした一家の子供である上にユダヤ起源の姓を持っていることに劣等感を感じていたのだろうか、あるいはカトリック修道院の中でキリストから一番嫌われた「律法学士」の姓を名乗るわけにもいかないと感じていたのだろうか、そのへんは分からないが、自分を別の姓で名乗りたがっていたことだけは明らかである。

さて、このEscrivá (エスクリバー)という姓なのだが、実はこれもスペイン語の響きではない。これは、現在カタルーニャやバレンシア、バレアレス諸島、アンドラなどで使用されているカタルーニャ語の感触を持っている。実際にエスクリバーという姓は、あまり多くは無いがカタルーニャとバレンシアに存在する。しかも後にそれに貼り付けることになるde Balaguer(デ・バラゲー:「バラゲー出身の」という意味)のBalaguerはカタルーニャに実際にある地方都市の名前である。

このBalaguerをバラゲルと読む人が多いが、これはカスティーリャ語(いわゆるスペイン語)風の発音であり、カタルーニャ語の発音法則では最後のrは発音せずにその前にアクセントを置く。そして実際に存在する地名であるので、私はバラゲーとカタルーニャ語風の発音で書くことにする。

バラゲーはピレネー山脈のふもとにある人口1万3千人余りの小さいが美しい町である。ここは11世紀から12世紀にかけて、ピレネー山脈に立てこもるキリスト教徒たちがフランスの庇護を受けてイスラム教徒を撃退する闘い(レコンキスタ)を行った初期に拠点の一つとなった、キリスト教徒にとってみれば由緒ある土地柄、いわゆる「格の高い地名」なのである。

ホセ・マリアの父方の祖父はこのバラゲーとは比較的近いカタルーニャ州リェイダ市付近の出身だが、しかしバラゲーの出身者は親族にはいない。このde Balaguerは明らかに虚偽である。それにしてもホセ・マリアはどうしてここまでカタルーニャにこだわったのか。

中世のカタルーニャはアラゴン王国を事実上併合し(ただし国の名称はアラゴンを使用した)、国王は15世紀にその血筋が途絶えるまでバルセロナ伯家が継いでいた。カタルーニャはその商業力や海軍力を使って、南のバレンシアとバレアレス諸島(最大の島はマジョルカ島)を征服し、14世紀から15世紀にかけてサルジニアとナポリ王国を手中に収めて西地中海を制覇し、ギリシャやエジプトの一部にも進出する海洋帝国を築き上げた。19世紀にはマドリッド中央政府の力を借りずに独自の産業革命を成し遂げた。

さらに、スペインのカトリック教会の中で最も権威の高いのがカタルーニャにあるタラゴナ司教区なのである。これはタラゴナが古代ローマの時代にタラコと呼ばれ、イベリア半島から南フランスにかけて存在したタラコネンシス州の首都であったことによる。マドリッドなど、たかだか16世紀になって大きくなった新興都市に過ぎない。スペインの中でカタルーニャは単なる一地方ではないのだ。

先ほどエスクリバーが僧職の身でありながら貴族の称号を名乗ったことを書いたが、彼は異常なほどに権威や栄達に執着する性癖を持っていたようである。これはフランコ政権の中でオプス・デイ会員の閣僚が誕生したときローマにいた彼が「我々の大臣が誕生した」と手放しで喜んでいた、という話や、1940年代にオプス・デイが中心になって当時亡命していたスペイン王家に接触し王政復古の原動力となったことからもうかがえる。少年時代のコンプレックスの裏返しなのかもしれないが、エスクリバー・デ・バラゲーという彼のカタルーニャ語風の名前は、その「権威の高さ」「格の高さ」に対するあこがれをよく現しているように思える。

最後の改名であるJosé María(ホセ・マリア)からJosemaría(ホセマリア)への変化はどうだろうか。これは、後ろに元々は無かったデ・バラゲーを引っ付けてしまったため「途中での区切りを少なくして見易くした」という以外に、特に何という意味も無いだろう。なおこのJoséは聖母マリアの夫とされるヨゼフのことであり、ホセ・マリアは男性に、マリア・ホセは女性につける名前である。


■では彼の一家は「隠れユダヤ教徒」だったのだろうか。これについては何の証拠も無いし、またそもそも「隠れユダヤ教徒」がその証拠を残すはずも無い。次のサイト

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http://www.resistenciaria.org/judaismo/cripto2.htm
LAS RAÍCES JUDAICAS DE ESCRlVÁ DE BALAGUER
エスクリバー・デ・バラゲーのユダヤの根
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ではこのようなことが紹介されている。
『高名なユダヤ人の歴史家Cecíl Rothの「マラノの歴史」によると、バルセロナのマラノたちは秘密のシナゴーグに通う際に「la Iglesia de la Santa Cruz(聖十字架教会)に行ってくる」という言葉を交わした。オプス・デイの本来の名称は"Sociedad Sacerdotal de la Santa Cruz y el Opus Dei"「聖十字架と神の御業の修道士会」であり、このマラノたちの合言葉を連想させる・・・。』
またエスクリバー・デ・バラゲーの母方の姓であるAlbás(アルバス)もまたこのアラゴンの地区にあるユダヤ起源のものであるそうだ。ただla Santa Cruzを使用した他の団体や教会などは特別に珍しいものでもなく、これだけでは何とも言えない。

今の資料には次のような逸話が書かれている。

『1975年2月に、ベネズエラのカラカス付近で、ホセマリア・エスクリバーは一人の若者に出会った。彼はエスクリバーにこう言った。
「神父様、私はユダヤ人なのです。」
エスクリバーは答えた。
「私はユダヤ人を愛しています。なぜなら、私が生涯をかけて愛しており今も生きておられるイエズス・キリストは、あなたと同じユダヤ人であり、聖母マリアもそうなのです。」』

この話から、私は昨年(2004年)に封切られ様々な問題を引き起こしたメル・ギブソンの映画「キリストのパッション」のことを連想する。あの映画で、オプス・デイ関係者と噂されるメル・ギブソンが表現したかったことは、聖母マリアもイエス・キリストもユダヤ人であり、そしてその彼が全人類を救うために十字架にかかった、ということではなかったのだろうか。そのために当時パレスチナで使われていたアラム語を忠実に再現した、と言われる。またこの映画の製作には明らかにオプス・デイが関与していた。さらに、ADLなどのシオニスト主流派が「アンチ・セミティズムだ」と大騒ぎした一方で、この映画に賛辞を贈るユダヤ人たちもいたのだ。

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(参照)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/913.html
メル・ギブソンの映画をめぐるバチカンのドタバタ劇
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/868.html
ユダヤ人脚本家がメル・ギブソンを熱烈弁護していた
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さらにエスクリバーはいたるところで教団員に対して次のように強調している。
「我々はイスラエルの民の末裔、神の民として残されているものなのだ。」
「我々はイスラエルの民である。」
ただし、こういった表現は特にオプス・デイだけのものではなく、伝統的なカトリックではキリスト教徒は『神秘的な意味で』イスラエルの民の末裔である、とされていたはずである。だからこれらの表現だけを見てエスクリバーがカトリックの中にユダヤ教を持ち込んだ、とするのは早計だろう。

しかし旧来のカトリックではその『神秘的な意味で』イスラエルの民であることが実現されるのはあくまでも天国において、あるいは『霊的に』ということであり、ユダヤ教徒たちはキリスト教に改宗して初めて救済される、というのが当時のカトリックの一貫した姿勢だった。

しかし、オプス・デイ自身が「その先駆者」と誇る第2バチカン公会議の後で、ユダヤ人たちはイエス・キリストへの信仰が無くても救済される、というのがバチカンの基本的な姿勢となった。特にエスクリバー・デ・バラゲーの崇拝者であったカロル・ヴォイティーワ(ヨハネ・パウロ2世:同様にユダヤ系の可能性がある)の態度は明確だった。言ってみれば、この公会議でバチカンはユダヤ(具体的にはシオニスト)とその『下半身』でつながったのである。

エスクリバーの家系が「隠れユダヤ教徒」であり彼自身もそれを自覚していたかどうか、という問に対しては、いずれにせよ決定的な物証を求めることはほぼ無理だろう。しかし少なくとも、エスクリバーがその活動の初めから、第2バチカン公会議で起こったようなカトリックの変質を願っていた、ということだけは明らかである。それが単に彼個人の中から出てきたものなのか、何かのネットワークの中で指示あるいは示唆を受けたものなのか、今のところは判然としない。

この教団が持つ最も大きな教義上の特徴である「日常生活と職業を通して人間が聖化される」は、極めて巧妙なカモフラージュであるように思える。また先の資料によると、エスクリバーの著作でオプス・デイの『聖書』とも言える「道(El Camino)」を書き上げる際に、彼は改宗ユダヤ人たちの著作をずいぶんと参考にしたようだ。自分たちが受け継いでいる感覚をそれと気付かれないように反映させる技術を学んでいたのかもしれない。

もちろん私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、むしろ世界の支配者たろうとするキリスト教徒の中で「隠れ」としてしか存在できなかった近世のユダヤ教徒たちのほうにより同情を感じる。しかし、もしもそれが現在、キリスト教の姿を借りキリスト教に取って代わって世界を支配する方向を持つものであれば、話は別である。


■ところで、1936年に共和国政府(人民戦線内閣)に対するクーデターを起こし、ヒトラーやムッソリーニの協力を仰いで内戦を勝ち抜いたフランシスコ・フランコだが、先ほども言ったように、その姓は彼がユダヤの起源を持つことを強く物語っている。また有名なスパイであるベラスコは明らかにフランコをユダヤ系として扱っている。ベラスコ自身が自分をユダヤ人であると認識しており、そのうえでナチSSと協力してヒトラーに仕えていたのだ。

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(参照)
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/_floorA6F_hc.html
ヘブライの館2:ベラスコの告白(ずっと下のほうに「入り口」がある)
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このフランコは若いころ、豪胆で優秀な軍人だが女気が無くミサにも行かない変人、ということで有名だった。後に50年以上にも渡る結婚生活を無事に送っているから別にホモというわけでもなかったろう。要するに性的な乱れや麻薬などの感覚の放漫に対して非常に厳しい人だったようである。しかし「ミサに行かない」というのは? これは彼自身がユダヤ系であることを自覚していたとしたら納得がいく。

しかし1923年に貴族の家柄の女性であるカルメン夫人と結婚してから夫人の影響でカトリックへの傾斜を強めた、といわれる。規律、自己犠牲、義務、責任、忍耐などをモットーとする彼の軍人魂とカトリックの道徳観が響き渡ったのかもしれない。(以上は若松隆著「スペイン現代史」を参照。)

オプス・デイの創始者エスクリバー・デ・バラゲーがフランコに出会ったのは、内戦中にブルゴス市にあったフランコ軍総司令部の中であったといわれる。引き合わせたのはフランコの腹心の部下で後にフランコ政権の事実上のナンバー・ワンになるカレロ・ブランコであった。ブランコはエスクリバーの親友でオプス・デイに心酔していた。

そこでどんな会話があったのか分からない。しかし、たとえばこうだったら、
「フランコ将軍、私の本当の名前はEscriba(エスクリーバ)と申します。」
「そうか。そうだったのか。」
もうこれだけですべてが了解されたことだろう。

カトリック教会保守派の持つ道徳観、熱烈な反共主義のうえに、単なる「坊主の空論」ではない現実的な人間の働きを重視するオプス・デイの方針がフランコの心を捉えたことは十分に想像できるが、それ以前に理屈抜きの信頼感があったはずである。その上に、これは想像だが、当時ムッソリーニから黒シャツ隊として派遣されていたリーチョ・ジェッリや、ひょっとするとナチから派遣された人物もいただろうが、欧州の「もう一つの社会」に通じた人間のつながりがそこにあったのかもしれない。

フランコは第2次大戦中にヒトラーに追われた6万人とも言われる大勢のユダヤ人たちを救った。下の阿修羅投稿を参照してもらいたい。

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http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/220.html
フランコ将軍はユダヤ人の救い主だった?
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この中で、Jane and Burt Boyarが著したHitler Stopped by Francoの中に次のような文がある。
『さらには1945年初頭にフランコは、英国の希望に逆らい、ユダヤ機関を助けて生き残りたち【スペインに逃げたユダヤ人を指す】をパレスチナの収容所に送り込んだのである。』

フランコは1940年以来ヒトラーを無視して大勢のユダヤ人を救ったばかりでなく、シオニスト・ユダヤに協力していたのである。

もう一つ面白い資料がある。北アフリカにあるスペイン領の町メリージャの案内用サイトに、そこに住む一人のユダヤ人の言葉が載せられてある。

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http://www.travel-watch.com/Melilla.htm
The Jews of Melilla
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『「ユダヤ人たちはフランコには感謝しなければならない。」このようにレオン・ベンフミンは語った。彼は何年も前にメリージャのユダヤ・コミュニティの文化教育課長を務めていた。「ヒトラーはアレクサンドリアから北アフリカの海岸一体のあらゆる町でユダヤ人を殺しながら軍を進めようとしたが、しかしフランコはそれを許さなかった。このファシストの独裁者が非常に多くのユダヤ人を救う力となったことは歴史の皮肉だ。」』


■フランコが軍事独裁者、熱心な反共主義者であったと同時に、シオニストに通じる一群のユダヤ人の一人だった可能性は極めて高い。そしてオプス・デイの創始者も同様だったのだろう。エスクリバー・デ・バラゲーが単なるカルトの教祖で無いことは、その後の軌跡を見ても明らかである。

彼は、おそらくはスペインの田舎町の「マラノ」の一員として、貧困と劣等感と周囲の蔑視の中から這い上がり、「聖人」にまで上り詰めた。その教団はスペインを支配し、バチカンを支配し、欧州と南北アメリカ大陸を動かし、世界に影響力を及ぼしている。

誰が彼を見出して『抜擢』したのだろうか。マドリッドに創設されてわずか数十年の間にここまでの不自然な急成長を遂げた裏には、確かに『神のご加護』『神の知的計画』があったに相違ない。しかしこの点はもう少し調査を続けてみたい。

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