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自己責任論はメディアと官邸の共同合作作業だったのか?
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投稿者 もうたくさんだ 日時 2005 年 9 月 15 日 14:07:48: etp7nA41bLgmo
 

「イラクで日本人3人が人質になった」との一報が小泉に伝えられたとき小泉は、4匹の大メディア記者と飯を食っていた。
一匹目は読売新聞の橋本●郎、二匹目は朝日の早野●、三、四匹目は毎日の岩見●夫、松田●和などの記者と一緒の席にいた。その間、どういう話が小泉と4匹の記者との間で話し合われたのか未だに不明。メディアと政治家の自己責任論を一緒に練り上げたのがこのときだったら笑える。どうなんだ政府PR大メディアの皆さんよ。

■おかしな「自己責任論」

 メディアの問題という以前に、この日本には国民、いや人間に対する愛情というものがないのだろういか。そう思わせた事件が、イラクで起きた一連の「人質」バッシングだった。
 外国人記者たちの目から見て何より驚きだったのは、まるで鬼の首でも取ったかのような、日本のメディアの攻撃的な論調である。残念なことに、彼らは弱い立場にある人間、情報を持たない人間に対してのみ、厳しい姿勢で追求する傾向がある。この元気さのほんの一部を、官邸記者クラブに持っていけば、日本はいまごろ格段にすばらしい国になっているはずだ。

 まず、はっきりと言えることは、生きて帰国できた人質に対する、日本人のあの冷たい視線というのは、世界中のどんな国においても見られない異様な反応ということだ。彼らが「イラクの三馬鹿」などと呼ばれているのを聞いたときには心底びっくりした。メディアは同じ日本人を「自己責任」と攻撃し、政府筋から流された「自作自演」説を書き立てて、チャーターした飛行機代を早く払えと催促する。なぜそんな仕打ちを受けるのかといえば、彼らが「イラクへ行くな」という政府の方針に逆らったからである。

 確かに、人質になった3人の見通しの甘さ、不注意に対する批判はあるかもしれない。だからといって、自己責任といって彼らを社会から追放する理由はない。日本では、無償の善意というものがほとんど信じられなくなっているようだ。イラクでストリート・チルドレンを救うと言えば、それだけで不審な目で見られ、偽善者のような扱いを受けてしまう。
 イラクでは03年11月にも、日本人外交官2名が何者かによって射殺されている。彼らは不幸にも命を落としたが、このときイラクの危険地帯に入ったことで非難する人間はいなかった。それを、死者に鞭打つ遠慮もあっただろうが、彼らが外務省の人間でなければ、何を言われていたか分からない。

 自由な民主主義国家において、自分の意思でイラクに行くということ自体をバッシングするのはおかしいというのが、国際常識である。日本で人質バッシングが拡大した時期、見かねたパウエル国務長官が世界の常識を代弁する形でJNNのインタビューに対して、こう話した。
「誰もリスクを引き受けなければ、我々は前進することができない。危険を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを、日本人は誇りに思うべきだ」。
 外国の、しかもアメリカの政治家に指摘されること自体かなり情けないことだが、本来、これは小泉が真っ先に言う言葉だったはずだ。ところが、政府がやったことは正反対で、人質とその家族のネガティブ情報を非公式にメディアにリークすることだった。自民党の柏村武昭議員に至っては、「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を、持たざるを得ない」とまで公言した。正直言って、このような発言が大した問題にならないのだとすれば、日本国民は相当になめられている。意見を持つことすら許さないとは、日本はいつから北朝鮮並みの独裁国家になったのだろうか。

■テレビは権力側の飼い犬

 一連の人質バッシングの引き金になったものは、人質家族たちの「自衛隊撤退要求」だった。2004年4月8日、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」の報道により、3人の日本人(今井紀明氏、高遠菜穂子氏、郡山総一郎氏)がイラクで人質になったことが判明した。犯人の要求は自衛隊の即時撤退。そして、いまにも首を切断されそうなビデオが送りつけられてくる。この場合、家族が必死になって人質の命を乞うのは当然で仕方のないことである。彼らはパニックに陥り、少々感情的に自衛隊の撤退と小泉首相への面会を政府に対して要求した。だが結果的に、この映像は、情報操作に長けた官邸サイドに政治利用されてしまう。

 あるとき、家族が泣きながら自衛隊撤退を要求するシーンは、朝から晩まであらゆる放送局で放映された。そもそも、この人質事件において、日本政府はほとんどまともな情報収集はできていなかった。いつも「お上」の情報頼みのテレビに独自のニュースがあるはずもない。彼らにできることといえば、「アルジャジーラ」を24時間モニタリングすることと、人質家族の泣き叫ぶ映像を集めることくらいしかなかったのである。
 そして、いつもは情報隠蔽に熱心な政府と外務省が、今回ばかりはテレビカメラの取材を最大限許可した。エキセントリックな人質家族の映像を存分に撮影させるためである。テレビがそれに飛びついた結果、たちまちのうちに「勝手にイラクへ行ったくせに、大きな態度の人質家族」という世論ができあがり、思惑通り、政府と外務省の責任論はかき消された。これは権力側が仕掛けたダーティー・トリックスにテレビが最大限利用されていることを意味する。

 いくら集団意識の発達した日本社会とはいえ、家族の命が差し迫ったあの局面で、「国に迷惑をかけてはなりませんから、子供は死んでもいいです」という親がいたら、もはや人間社会は成り立たないだろう。そうした人間として致し方ない感情すらも許されることはなく、逆に政府が巨額の身代金を犯人グループに支払ったのではないかという疑惑については、一切調査報道はなし。テレビは、権力側の世論操作の片棒を担いでいるという認識をいったいどれほど持っているのだろうか。

■異様な記者会見

 人質が解放される前の4月14日、外国人特派員協会で開かれた家族たちの記者会見は、これも異様だった。世間からバッシングを受けた彼らは一様にショックを受け、外国人記者が何を質問しても「感謝と謝罪」そして「ノーコメント」を繰り返した。それは「感謝と謝罪」を「謝罪と感謝」といい直すほど、謝罪が強調された会見だった。まだ人質は解放されていないにもかかわらず、明らかに様子が変化し、自衛隊の撤退や政府を批判するようなコメントは一切なかった。
 外国のプレスはそれを「不自然で異様な記者会見」と報道した。家族たちの萎縮した様子の裏には、明らかに何らかのプレッシャーが働いているように見えたからである。このあたりから、外国メディアの関心は、人質の安否そのものよりむしろ、人質をめぐる日本人の異様な反応に移っていた。記事の論調のほとんどは、家族の様子の「不自然さ」と、政府が与えるプレッシャーを問題視するものだった。何らかの理由によって自由な発言ができない状況が明らかなのにもかかわらず、どうしてそのような変化が起きたのか、日本のメディアが検証することはあまりなかった。

 人質の帰国後、『ロサンゼルス・タイムス』は「Japanese Hostages Return From Iraq to Hostility ,Not Hero Status」(人質に敵意の出迎え)『ニューヨーク・タイムス』は「Free From Captivity in Iraq, Japanese Return to More Pain」(帰国後のさらなる痛み)といった記事を掲載した。なにも欧米のメディアがいつも正しく、日本がおかしいというつもりはない。ただこのケースでは、あまりにも日本が異常だった。
 日本の読売新聞は、4月13日付の社説で「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係諸機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」と書いたが、ひどい社説だ。国民に対し、お上に負担をかけるなと説教している。これではまるで「政府や関係諸機関」のPR紙ではないか。読売の記者は、政府に迷惑をかける可能性のある戦争報道からは手を引いたほうがいいだろう。日本最大部数の新聞が、政府にとってはまったくありがたいメディアなのだ。

■リスクは「アウトソーシング」

 人質事件のあとの5月には、フリーランスのジャーナリスト、橋田信介と小川功太郎も、ゲリラの襲撃を受け、帰らぬ人となった。彼らは、組織の方針で、安全な動きしか許されない大手メディアの記者たちに代わり、リスクをとって本当に意味のある映像を撮っていたジャーナリストである。04年7月、『ニューズウィーク日本版』は、日本のマスコミに関する特集記事を組んだが、英ガーディアン紙東京特派員のジャスティン・マッカリーのコメントは、そのまま、世界が日本メディアをどう見ているのかを代弁している。

 サマワに派遣された自衛隊の報道をみても、日本のジャーナリズムの欠点がよくわかる。
 出だしは好調で、メディアは防衛庁の取材自粛の要請を毅然としてはねつけた。ところが、すぐにいつものようにスクラムを組み、自衛隊の車両の後を車でぞろぞろ追いかけはじめた。
 だが、それも4月に民間人の人質事件が起きるまでのこと。政府の勧告に従って、報道陣はサマワを完全撤退。政府のチャーター機でクェートに出国した記者もいた。自衛隊の海外派兵は歴史的な事件なのに、今やその活動を伝えるのは少数のフリージャーナリストや小さな通信社しかない。
「橋田のような人々が空白部分を埋めていた」と、マッカリーは言う。「重大なニュースなのに、ほとんど伝わってこない。私たちも市内で不穏な動きがあるかどうかを知るのに、(オランダ軍に同行している)オランダ人記者の提供する情報に頼っていた」
(『ニューズウィーク日本版』04年8月4日号)

 大手メディアの記者に同情できるところは、たとえ本人にその気があっても、会社が危険を冒す取材を決して認めないところである。しかし、文字通り命がけで任務に当たっている、立場の弱いフリージャーナリストやボランティアの気持ちは、彼らが組織に守られ安全地帯にとどまる限り、理解できないだろう。

 あれだけ大騒ぎした自衛隊派兵問題も、いまはもうほとんど報道されることはなく、国民の関心もなくなっている。結局のところ、自衛隊がイラクでなにをして、どんな貢献をしているのか、分かっている日本人はほとんどいない。
 自衛隊派兵問題が日本国内で議論されていた時期、私はいくつかのメディアの取材を受けた。その際、この問題について世界ではどのような世論があるのか、インターネットで英語メディアを検索したが、ヒット件数は極めて少なかった。つまりこれは、日本にいる外国人記者が、そのニュース価値をほとんど認めていないということを意味しており、国際的には誰も注目していない議論だったということである。

 世界第2位の軍事費がかけられている「自衛隊」が、「非戦闘地域」で「人道支援」だけを行うという、矛盾だらけのストーリーは、そっと箱の中にしまわれようとしている。自衛隊は軍隊であり、イラクは戦闘地域という客観的事実に目を閉じた日本は、フィクション国家に終止符を打つ大きなチャンスをまたしても逃してしまった。かわいそうなのは、自衛隊員である。これからも、彼らはピエロであり続けるのだ。

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