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カルトとまでは呼べないが 「中村天風」 どうも怪しい
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投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 4 月 20 日 16:05:29: Ll6.QZOjNOr.w
 

天風は1876年(明治九年)東京に由緒ある家柄(彼の祖父は柳川藩主で伯爵)に中村三郎として生まれました。
幼少時に英国人夫妻に可愛がられ、日常英会話を身に付ける。

30歳にして当時は死の病であった結核にかかり、死病を直すために世界を放浪、
病状悪化して帰国の途上、ヨガの聖人カリアッパと運命的に出会いインドへ。
2年数カ月ヒマラヤ山麗でヨガの修行、結核をも完治し日本人初のヨガ直伝者となる。
37歳、インドから帰国すぐ実業界に進出し、東京実業貯蔵銀行頭取はじめ、
大日本製粉(いまの日清製粉)など数社の重役として活躍。43歳のとき突然すべてを
投げ打って、日比谷公園で大道説法をはじめる。

1968年(昭和43年)92歳で逝去。

オラピンダ中村天風先生略伝
○明治九年(1876)七月三十日、大蔵省紙幣寮初代抄紙部長王子工場長、中村祐興と母テウの三男として生まれ、本名を三郎という。父の祐興は旧柳川藩主の立花家に生まれ中村家に養子となったものである。
 三郎少年は性格が強烈で、小学校を卒業すると、父の郷里福岡県へ預けられ、修猷館中学(現修猷館高校)に入学する。
○明治二十五年(1892)修猷館中学を中退して、玄洋社に入り頭山満翁の薫陶を受ける。同年陸軍中佐で軍事探偵の河野金吉の鞄持ちとして、満州、遼東半島の偵察、調査に従い大陸を見聞する。
 六歳の時より家伝の抜刀術隋変流を修業し達人となる。隋変流は立花宗茂を流祖とし、戦国時代そのままの形を伝えるといわれ、先生の号である天風は最も得意な形、天風(あまつかぜ)からとられたものである。
○明治二十七年(1894)学習院に入学、直ぐに退学。
○明治三十五年(1902)大本営陸軍情報部員(軍事探偵)となり、特殊訓練を受けたのち満蒙の奥地に潜入する。
○明治三十七年(1904)日露戦争勃発。軍事探偵として目覚ましい活躍をする。この間コサック騎兵に捕えられ銃殺となる寸前、同僚の投じた手榴弾の爆発により吹き飛ばされ九死に一生を得る等、日夜死生一如の境地で過ごした。
○明治三十八年(1905)戦争が終わり本郷の自宅に帰宅する。選抜された軍事探偵百十三名のうち帰還した者は、僅か九名に過ぎなかった。
○明治三十九年(1906)或る日突然大喀血し軍医より奔馬性肺結核と宣告される。奔馬性肺結核とは、文字どうり駈ける馬のように早く、病状が進む肺結核で、当時としては、全く助かる見込みの無い病であった。この時、軍事探偵として数々の死戦を超えて、国家の為死ぬ事を誇りに思う程強いはずの自分の心が、突然死の恐怖に襲われる。
 当時結核に関する最高権威といわれた北里博士の治療を受ける。病は好転せず、死の恐怖がますま強くなり、先生は再び元の強い心を取り戻したい一心から、心の探求に没頭し、医学、宗教、哲学、心理学の書を読みあさる。
○明治四十二年(1909)スエッドマーデンの著書[如何にして希望を達すべきか(How to get what you want)]に惹かれて病をおし、身分を偽ってアメリカに渡り、同氏に会うが得るものがなかった。
 コロンビヤ大学で医学を修め、更に哲学者、有名識者を尋ねてヨーロッパへ渡り生きる道を探求する。
 ロンドンに渡り、H.アデントン・ブリュース博士の講座[精神活動と神経系統]に参加する。
 フランスに渡り、オペら女優のサラ・ベルナール女史の紹介で、リヨン大学のリンドラー博士に会う。
 再びサラ女史の紹介でドイツに行き、哲学者ハンス・ドリュース博士に会う。求める答えは得られず、死期の迫るを感じ死ぬならば故国でと思い、五月、マルセイユで乗船して帰国の途につく。
 スエズ運河が、イタリア砲艦座礁の為通行不能となり、一時上陸したエジプトのカイロで、インド・ヨーガ哲学の聖者カリアッパ師とめぐり合う。師に導かれてヒマラヤ第三の高峰カンチンジャンガの山麓ゴークの里に入り、ヨーガ哲学の行の指導を受ける。
 二年数ヵ月の修行で難病は治り、悟りを得て、カリアッパ師より帰国の許しを得る。
 オラピンダはこの時師より与えられたヨギ(ヨーガ行者)名である。
 帰国の途次、上海で竹馬の友で当時の支那公使であった山座円次郎氏と会い、旧友孫文の決起を知り辛亥革命に参加、中華民国最高政務顧問となり北京の紫禁城に入るも革命は挫折し帰国する。

[1913 チベット独立宣言]
[1914 シムラ条約 英清通商条約を撤廃]
英は清の宗主権を認める 清はチベットの自治権を認めるマクマホン・ラインの確定
1914/01/23   シーメンス事件発覚 (島田三郎、国会で海軍高官の収賄を追及)
1914/05/11   海軍人事大異動発令 (山本前首相・斉藤前海相を予備役に編入)
1914/05/29   海軍軍法会議、シーメンス事件に有罪判決
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
1914/05/11   海軍人事大異動発令 (山本前首相・斉藤前海相を予備役に編入)

1914?) 実業界に入り数年にして、東京実業貯蔵銀行頭取,大日本製粉重役を始め、幾つかの会社の役員となる。


1919/01/18   パリ講和会議開催 (〜06/28/首席全権:西園寺公望)
http://www.c20.jp/1919/01paris.html
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
http://www.c20.jp/1919/06versa.html
○大正八年(1919)六月八日、突如感じるところあって、その一切の社会的地位を放棄し、救世済民の悲願を立て、単身、統一協会(後に統一哲医学会)を創設し、毎日芝公園、上野公園の路傍に立ち、大衆に呼び掛けては、心身統一法の弘布を始める。
やがて先生の熱意と教義の真価は、広く各界に認められ、次第に門弟の数を増し、各地に支部もつくられる。
 会員の中には、東郷平八郎(海軍元帥)、杉浦重剛(教育家)、石川素童(鶴見総持寺禅師)、原敬(元首相)、尾崎行雄(政治家)、山本英輔(海軍大将)、山本五十六(海軍元帥)、三島徳七(文化勲章受賞、東大名誉教授)、双葉山定次(横綱)等、有名な人も多く、皇族、芸術家、科学者、実業家から学生まで、あらゆる階層の人に


○昭和四十三年(1968)十二月一日、天風先生は九十三歳の天寿を全うされた。天風先生のお墓は東京音羽護国寺にある。

カリアッパ師 (カイロで天風と出会い、導いてくれた最大の恩人)

カリアッパ師は天風をインドと東ネパールの国境に位置するカンチェンジュンガの山麓のコーグ村に連れていかれたそうです。
清水榮一氏の著書によると1993年にゴーク(ゴルケ)村を見つけ出して訪問したとの記述があります。これによるとゴーク村は天風が去った後に大洪水に見舞われ寺を失ったカリアッパ師は隣村のマネバンジャンに移りそこを拠点にしたとのこと。カリアッパ師は村人たちに心から慕われ、遺徳を偲んで実物大の極彩色の木製座像を作り、今もその寺に祀っているそうです。
この村でいうカリアッパ師は「カルマッパ」と発音されており、この人物が同一人物であるとすれば、カリアッパ師の正式の名前は「カルマッパ・カキャブ・ドルジェ」(1871〜1922)でラマ教カルマ・カギュ派の第十五世管長であるとのことです。カルマ・カギュ派はラマ教の中でも名門の宗派で、しかもチベット最高詩人と言われヨーガの大行者と言われたミラレパの流れをくむものだそうです。(カリアッパ=カルマッパ説については詳細を調査中)
オーラビンダはカリアッパ師が天風に与えた名前で悟りを開いた人の意味とのこと。

単なる詐欺師という声も聞こえるが・・・・いかなるものか?
時代的には「大本」の出口王仁三郎に近い人物。
阿修羅内検索でも色々とでてくるのだが・・・。

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