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君が代の受け意味
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投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 28 日 09:57:30: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 根本的な質問ですが 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 6 月 28 日 03:20:40)

歌詞

「君が代」の楽譜歌詞
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
読み
きみがよはちよにやちよにさざれいしのいわおとなりてこけのむすまで
一般的な漢字かな交じり表記
君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の生すまで
現代語訳
君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。
註:
歌詞・読みは、国旗国歌法の表記を採用(歴史的仮名遣いでは「いはほ」とする)。
「君が代」は平安時代の用法としては「わが君の御代が」とすることが多いが、時には「こちらさまの(あなたさまの)御寿命が」という意味の場合もある。歌詞についての公式の解釈がないので両方とも可能であることを注記しておく。(次章「解説」を参照)

【ワヤクチャ】
天皇(天皇制)の世が千年と八千年も長く続きますように。
という意味に解釈するのが普通なのではありませんかね?
この君が天皇で無い他の意味だったとしたら、千年も八千年もという何世代も続きますようにという意味は分かりにくいと思います。

解釈
 「わが君は」とする場合、考えられうる解釈は(1)「わたしの恋しいあなたは……」と恋人の長生を祈る歌、(2)「こちらのだんなさまは……」と祝言を専門とする芸能者が門付けによってその家の主の繁栄と長生を祈る歌、またはそうした態度をまねてある人がある人の長寿を祝う歌、(3)「わが大君は……」と天子の千秋万歳を祈る歌、の三つがある。古今集にかぎって考えるならば、読人しらずの民謡的な歌であること、四首つづけての読人しらずの後に仁和天皇が僧正遍昭の長寿を祈る歌が掲げられていることなどから、(3)の解釈を取るにはやや無理がある。もともと古今集の賀歌には聖代を寿ぐ意識よりも、長寿を祝い、祈る意識のほうがつよく、特に天子の宝算を祝祷する意識はあまりつよくないことはその詞書を見ても瞭然としているからである。ただし(1)の説を特に強調することも、古今集の解釈としてはやや無理があり、当時の人々の賀歌に対する態度からしてもっとも穏当と思われるのは(2)の解釈ということになるのではないだろうか(ちなみに以上はあくまで古今集採録の歌としての考察であり、それ以前に、あるいはその発生時において「わが君は」の歌がどのように解釈されていたかについてはまったく見当がつかないというのが正確なところである)。

 元来民謡的性格の歌であったために、そのテクストに異文があることは特に奇異とするに足りない。古今集採録のかたちが古形である可能性はかならずしも否定できないが、ある時期以降「わが君は」と「君が代は」の両様が行われ、一方が古今集に採られたと見るべきであろう。「君が代は」とした場合、解釈としてはやはり上掲(1)〜(3)の三説がありうるが、妥当性としては(1)の線がうすくなる。「君が代」は祝、賀の歌によく用いられる語であるから、単に長生を祈るというだけではなく、公式の場で堂々と祝いを述べるという性格がつよくなるためである。ちなみに和漢朗詠集での配列を閲するかぎりは、「君が代」はあきらかに(3)の解釈を与えられている(祝の部の漢詩は、たとえば「嘉辰令月歓無極、万歳千秋楽未央」などといったものである)。

 ただしここで誤ってならないのは、マスコミュニケーションの発達していないこの当時の民衆にとって、君主とは手の届かない、想像も付かない、雲の上の神や大昔の伝説、おとぎ話に近い概念であり、『君が代』における「君の長生」を祈る歌詞は、忠誠心や尊王とは切り離された「この治世の平安が続きますように」といった「祝福」に近い意味でとらえられていたことであろう。

 なお、「千代に八千代に」の部分であるが、中世期の古今集解釈には二様があり、現行のように「千代に八千代に」とする説(冷泉家系統)と、「千代にや、千代に」と「千代に」の反復であるとする説(二条家系統)がともに行われたが、現在では前者で落ちついている。学問的な通説としても前者とする人が多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3#.E8.A7.A3.E9.87.88

和歌・朗詠と引用
 また、和歌、朗詠の常識として、本文は同じであってもそれが引用され、朗詠される場によってその解釈は折々に変る。折に合うということが重んぜられた王朝の風俗としてはこれは当然のことであって、その変動する解釈のなかに文学としての生命があったことを忘れてはならない。あくまでも場の芸術、場の芸能であった『君が代』に、一元的な解釈を付与すること自体が、当時の人々の意識とは大きな乖離をはらんでいるのである。すなわち上記(1)〜(3)の解釈は、すべて可能であるし、それを決定するためには『君が代』自体の考察だけでは不十分であって、それがどんな場(あるいは撰集における配列)においてどのように行われたかを知る必要がある。そしてその「決定」も、あくまで相対的なものであって、絶対的なものではないことに注意を要するのである。

国歌としての君が代
大山らが登場させて後は専ら国歌として知られるようになった『君が代』だが、それまでの賀歌としての位置付けや、天皇が「國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」していた(明治憲法による)という時代背景から、戦前にはごく自然な国家平安の歌として親しまれていた。

戦後の君が代
戦後には各方面から君が代に対する批判が主張されるようになる。軍国主義の体制化に利用された象徴や思想・風潮、戦意高揚、選民主義、アジア太平洋地域における侵略と植民地支配に繋がったものであるとして君が代が批判された。天皇制自体に批判的な層らは、『君が代』から天皇讃美の意味を読みとり批判の対象とした。また国歌に対して肯定的な立場をとる層の間にも国歌の強制については、本質的な愛国心には繋がらず思想の弾圧だとする主張が相継いだ。

平成8年(1996年)頃から、教育現場において、当時の文部省の指導で、日章旗(日の丸)の掲揚と同時に『君が代』の斉唱の通達が強化される。反対派は思想・良心の自由に反すると主張だとして強制に反対した。平成11年(1999年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に、君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する教職員と文部省の通達との板挟みになっていた校長が自殺。これを一つのきっかけとして『国旗及び国歌に関する法律』が成立した。法律は国旗国歌の強制にはならないとした政府だったが、現在でも、事実上の強制だとする革新派と、それによって国を愛する教育を施す必要があるとする保守派との対立は続いている。(君が代に対する意見対立について詳しくは、国旗及び国歌に関する法律を参照)

平成16年(2004年)秋の園遊会に招待された東京都教育委員会委員を務める米長邦雄が「日本の学校において国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」という発言に対して天皇(明仁)が「強制になるということでないことが望ましいですね」と返答している。

【ワヤクチャ】
天皇の意見に反して強制している実態をどう捉えるべきだろうか?

主な対立する意見
肯定的立場からは、事実上の国歌として歌われてきた明治以来の伝統を重視するリベラル寄りの意見もあれば、国民には愛国心を持つ義務があるから『君が代』を歌うことでその意識を高めなければならないとする主張や、天皇への忠誠心を涵養する目的をはっきり表明する国粋的な意見もある。

反対の立場からは、歌詞には軍国主義を象徴しており、天皇崇拝の意味合いが強く、君主制ではない日本にはふさわしくないという意見がある。これに対して立憲君主制の国歌(たとえばイギリスの『女王陛下万歳』など。)と比較しても極端な天皇賛美の意味はなく、天皇象徴制の国歌ではごく普通の国歌だと考える意見もある。

また、小さな石が大きな岩になるという内容が非科学的であるという批判もわずかにある。これに対して細石(さざれ石の項目を参照)についての詳細など、先に述べた歌詞の正確な内容がほとんど知られていない事による誤解が広まっている。小さな砂粒が大きな石になる例には、細石やストロマトライトなどが知られており、またチャート(SiO2)や石灰質岩により他の岩石破砕物を固結する例もよく見られることである。堆積岩、水成岩である砂岩や礫岩などは、砂の粒子が大きな岩体に固結する仕組みとも言える。しかし、それら「科学的反証」とは別に、そもそも国歌とはいえ、「詩」という文学的、比喩的表現の中に厳密な「科学性」を求めること自体に矛盾があるという意見がある。

国際競技大会でスポーツ選手の応援として自発的に『君が代』が歌われる光景に関して一方は、このように日本人が国際的に評価されることで自発的に歌われており強制するべきではないと主張し、もう一方は、より積極的に君が代を歌うことによって愛国心を根付かせることが望ましいと主張している。

他の反対意見にはメロディが稚拙で、歌いづらい。雰囲気が陰鬱などがある。

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コメント
 
1. 中川隆[-11286] koaQ7Jey 2018年4月25日 09:37:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-12250]

「君が代」

君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで


一方、これが「君が代」の元になった歌

古今和歌集第七 賀歌 343 題知らず 讀人知らず

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで


この歌は古今和歌集の賀歌(がのうた)の先頭にあり、他の歌(343ー347)と共に、我が君の長寿を願って儀式で歌われたものです。

【我が君】というのは天皇や偉い人を指しているものではありません


わが‐きみ【我が君】 の意味

1 私の主君。あがきみ。「―判官殿は、頼朝のおん代官として」〈謡・舟弁慶〉

2 相手を親しみ敬っていう語。あなたさま。あがきみ。
「我が君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」〈古今・賀〉


つまり、「君が代」の歌詞の本来の意味は

70歳、80歳になってもう明日明後日に死ぬかも しれない よぼよぼの老人に対して、

あと何年も健康に生きて下さいね

と願う歌なんですね

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理


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