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Re: 形而上から形而下へと円環する考察
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/504.html
投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 12 日 22:37:22: dcAX/x0KhXeNE
 

(回答先: 形而上から形而下へと円環する考察 投稿者 如往 日時 2005 年 8 月 12 日 17:59:16)

>  馬場英治さん、こんにちは。

如往さん,こんにちは.

>  ぷち熟女さんとの会話が佳境に入りつつあるも暫しの休憩が訪れたものと察し、
> 刺身の具(つま)にでもしていただければと少しばかり鯱張った標題の雑談で恐縮です

新聞小説という感じになってきましたが,読んで頂いているようでありがとうございます.

> が、御つき合い願えれば幸いです。尚、ぷち熟女さんとの会話の中で馬場さんが全共
> 闘世代であると吐露されていたことに接して、ある種の同時代性とその後の思想遍歴
> に興味を覚えたのが今回のスレを立てる動機になっていることを申し添えておきたい
> と思います。

ブック・ナビの(雄)氏は三浦雅士の「青春の終焉」の書評の中で,「この世代はやがて
60歳を迎え、社会関係から半ば放逐される(あるいは解放される)。そのとき、彼らの炎
は発火するのか。しないのか。するとしたら、どのような姿でなのか。それがこの集団に
対する僕の興味であり、自身よく分からない自分に対する興味でもある。」と書いていま
す.また,ある人はこの我らが世代を「最後のロマン主義者」と形容しました.このような
文脈において,如往さんと私は多分同じ問題意識を共有していると言えるでしょう.

>  さて、今から丁度2年前に雑談板2にて馬場さんが『共同的資本主義論』を提示さ
> れていたとき、その付近で私は吉本隆明の『共同幻想論』を主題にマルハナバチ氏、
> すみちゃん氏、愚民党氏等と遣り取りをしていました。けれども、馬場さんの展開と
> うまくジョイントできずに瞬くの間にスレッドが流れて2年が経ってしまいました。

私も吉本の本には大きな影響を受けていますが,吉本の思想そのものより,むしろ吉
本の「功罪」という視点から見ていますので,評価は時間とともに変動します.明らかに
吉本の数冊の書籍がなければ,70年代の全共闘ないし新左翼運動というのはおそら
く存在しなかったか,存在したとしてもかなり異なる様相のものとして展開されることに
なったはずです.その意味で,最終的な評価は留保しつつ,現時点における私の評価
は「無責任野郎」という厳しいものにならざるを得ません.

別の言い方をすると,吉本の評価は「全共闘運動の評価」によって変化し得る関数と
言えるかもしれません.「全共闘運動はまだ総括が終わっていない」という見方からす
れば,吉本の思想家としての評価はまだ定まっていないと言うべきでしょう.もちろん,
全共闘運動の評価がプラスならプラスというほど単純なものではありませんが.

>  けれども、馬場さんも同時代を生きた人ならば何らかの形で一度は吉本隆明の思想
> の洗礼を受けたのではないかと推察しています。私は高校時代に『共同幻想論』と
> 『言語にとって美とは何か』を手にし、『異端と正系』や『固有時との対話』や『転
> 位のための十篇』は大学を卒業して後暫くして読むことになりました。結果的に解
> かったのは後掲の3作は前掲2作を著す動機の素因を構成しているものだということ
> でした。

私がもっとも衝撃を受けたのはやはり『言語美』です.むしろ『共同幻想論』などは,
そんなの当たり前じゃないかという受け止め方をしていたかもしれません.

>  『共同幻想論』は当時の読書会の仲間に活動家がいて彼の推薦で読んだもので、吉
> 本隆明が企図していたものが国家の上部構造の解体にあったことは朧気に理解できた
> のですが、戦後民主主義の起点がそこに置かれなければならない、すなわち戦前的な
> 上部構造の否定を出発点としなければならないとの主意に得心ができたのは全共闘時
> 代の風も既に通り過ぎてしまった70年代後半になってからでした。

おそらく,吉本はそのように書いていたのだと思いますが,私は日本固有の問題として
というよりは,むしろ資本論の転倒,つまり下部構造が上部構造を規定するというドグ
マの逆転と読みました.共同幻想=物語(歴史)の共有と読むのは正しいと思いますが.

>  しかし、今読み返してみても『共同幻想論』においては上部構造の解体に成功して
> はいないと、またその後に対置すべきものが何であるかも言明されてはいないと感じ
> られます。それでも、私にとって吉本隆明の思考方法の斬新さは全く色褪せることは
> ありません。それは、事象や情況を読み解く場合に或る既成のContextに依拠するの
> ではなく、自身でParameterを措定することによってCase別に試行(思考)していく
> ものです。『異端と正系』ではそうした手法で文芸批評が展開されましたが、批判さ
> れた側には全く吉本隆明の意図するものが理解できなかったようです。

『異端と正系』はあまりよく覚えていませんが,彼の挑戦的ないし一極主義的な文芸批
評は少し過剰だったような気もします.たとえば,私は花田清輝を買っています.
(とは言っても実のところそれも読んでないのですが...)

>  ところで、『共同幻想論』に立ち戻りますと、私は提示されたParameterについ
> て、[自己幻想=自己の存在の意味性⇒自己像・信念]、[対幻想=情(愛)による
> 交合⇒家族像・倫理]、[共同幻想=物語(歴史)の共有⇒国家像・宗教]と理解
> し、自己幻想が対幻想によって担保され、最終的には対幻想(自己幻想を含む)が如
> 何なる共同幻想によって担保されているか否かが重要な点であり、明治期以降から戦
> 中期までその役割を担わされたのが万世一系論の衣を纏った天皇制であったと考えて
> います。では、曲がりなりにも天皇制の衣を脱ぎ捨てた戦後はどうかと云うと、それ
> に対置すべき原理を日本人は見出して来なかったと想っています。にも拘わらず、周

象徴天皇になったことの担保ないし補完として極右テロリズムが生じたのだとすれば,
むしろねじれはひどくなっているのかもしれません.

> 囲の状況にも恵まれ目覚ましい経済発展を遂げることができた戦後の日本がありま
> す。日本は世界史を一望しても過酷な他者支配を被らなかった稀有な国であったので
> すが、それが新たな統治原理を自ら探求する必要性に迫られなかったことの遠因にも
> なっているのでしょう。兎にも角にも、結果から見れば非常に運が良かったと謂える
> かも知れません。(無論、第二次大戦での300万の犠牲者のことを忘却していいは
> ずがありません。)

確かに,日本人は工夫の才には長けていますが,原理を探求する点ではあまり熱心
ではありませんね.

>  何れにしても左派や右派の別なく我々は答えを出さずに今日に至っています。おそ
> らくは答えを自ら出そうとする試みの熱情さえも希薄化しているのでしょう。この知
> 的怠惰の環境にどっぷりと浸かっている状態では性懲りもなく安易な方法に頼るこ
> と、つまり再び天皇制を持ち出すことになるかも知れません。

天皇制イデオローグ,つまり国体主義者の考える天皇制と,天皇制そのものは区別
されるべきではないかと思っています.私の中にはおそらく天皇系の血も蝦夷系の血
も流れ込んでいます.

>  馬場さんの『共同的資本主義論』は、そうした日本人にとって自ら答えを創出して
> いくときのメルクマールとなるべき有力なAlternativesの一つになると想われるので
> すが、やはり日本人自身が当事者意識に目覚めねばダメでしょう。ただし、何らかの
> ルサンチマンあらずして変革を齎すようなPathosが生成することがあるのか、自然に
> 問題解決の当事者意識に目覚めるかは限りなく不透明です。

70年代学生運動のエネルギーと現在の経済共同体の崩壊が合体していれば,革命
はほとんど不可避だったと思います.しかし,この2つは幸か不幸か完全に時間を隔
絶した事象として起こっていますから,それらを観念的にも統合することはできません.
これが,現時点において我々に与えられた与件です.

>  私は『共同的資本主義論』を@Anarcho capitalism(協同的資本主義)[資本主
> 義社会が最終形←淘汰の原理]とAAssociate socialism(合資的社会主義)[社会
> 主義社会が最終形←叡智の信奉]に大別し、@もAも過程形は類似点が多いと見てい
> ます。しかし、Aを志向するならば、キリスト教やユダヤ教やイスラム教や天皇制等
> の宗教的理念によるのではない、共同幻想もしくは共同目標(Vision)を構築しなく
> てはならないだろうと思っています。と同時に、Driving forceにとってはそこに至
> るまでのプロセスを支えるメルクマールも必要になって来ます。そして、それは永続
> 的革命であることに変わりがなく、幾世代に引き継がれていくべきものでしょう。

(もし私が読み損なっているのでなければ)如往さんの把握は正しいと思いますが,
それは幻想ではなく,システムでなくてはならないというのが,現在の私の立場です.

私はある意味で『共同的資本主義論』の執筆を打ち切ってしまったと見て頂いてよいの
ですが,それはなぜかというと,結局において人間が変わらない限りどんなシステムを
設計しても同じだということです.逆に言えばたとえば私は現行法制の条文を一行も変
えることなく理想社会を建設することさえ可能であると思っています.厳正に法を執行す
ることさえできれば,現行法制はそれほど欠陥のあるものではありません.これはたと
えば,私がスーツを補修しながら着続けているみたいなことじゃないかなと思っています.
もちろん蝶が脱皮するように,新しいスーツを手に入れることができればベストですが.

>  私の中心のテーマはこれまでにも阿修羅の各所・各機会で述べていますが、“人間
> の行動における動機性の所在及び様態の解明”です。 そして、解明にあたって多用
> している現状のParameter はConatus (自己保存力)で、副次的にEros、Thanatos、
> Ethos、 Pathosを用いています。そこで、現時点で私は、ErosもThanatosも、Pathos
> もEthosも、Conatusを構成している諸相に過ぎないと捉えています。

私がもっとも重視しているのは「公正」と「正義」です.しかも,これは基本的に経済的
関係性における公正と正義に集約可能なのではないかと思っています.私はまだ成
案を持っているわけではありませんが,司法とは独立に経済的関係とくに国家ないし
共同体の経済行為における公正を担保する第4権力のようなものが必要なのではな
いかと思っています.つまり,3権分立ではなく,4権分立システムです.

>  さらに、解明のための基本的なThese には『Conatus は「(細胞の)自己複製を起
> 源とする慣性的エネルギー運動」を表象し、それ自体に意味はない。』 を掲げてい
> ます。先ごろの日さんへの返信では、【このConatusに「聖」性を求むることは可能
> か、あるいはConatusの「聖」性とはどんなものかと問い続けています。その根底に
> は『自己複製を起源とする慣性的エネルギーの継続運動に「聖」性はあるのか。換言
> すれば、それは「聖」なる運動と謂うべきか。』という、更なる問いが潜んでいま

【菅直人四国お遍路霊場巡りのもう一つの動機】で出エジプト記について少し書きま
した.http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/454.html その続きがあります.
モーゼは60万のイスラエルの民を導いてヨルダンの畔まで辿り着きますが,約束の地
に入ることはできません.モーゼの死後その事業を引き継ぐのはモーゼの従者ヌンの
子ヨシュアです.ヨシュアは軍事指導者です.つまり,ヨシュアは難民を軍団つまり武装
勢力として再編成し,ヨルダンを越えた約束の地に進入して異邦人の街を個別に撃破
しながら領土を拡大します.それはほぼ例外なく(神の名のもとに)敵に対するすさまじ
い殲滅戦として行われました.これはある種のクレンジング(民族浄化)に他なりません.
もし,自己保存力が唯一絶対のモメントであるとすれば,このような軍事行動を正当化
するしかないのではないでしょうか?

> す。】と私自身で語ってはいるものの、実は斯かる諦観が基底に厳然として存在して
> います。ただし、何故自己複製を惹起したのか、その根拠についての考察を含めた存
> 在論的問いから決して人は自由ではないでしょうし、宗教や神話でそれを覆い尽くそ
> うとするのは知的怠慢の謗りを免れません。しかし、少なくとも脳の反省機能の発達
> なくしては自己幻想も対幻想も共同幻想も喚起され得なかったのではないかと思って
> います。【注:スピノザはConatusを自己保存のための努力を含む“自己保存欲”と
> して概念規定しているようですが、(細胞の)自己複製の力を中核概念に据えた場合
> には“自己保存力”がより適合すると想われます。】
>
>  [Conatusの方行]=[自己複製を起源とする慣性的エネルギー運動の往きつく
> 先]は予想を重ねてみても尽きせぬものがあります。Conatusの運動の軌跡が生命誌
> で、人間が物語ろうとしたのが歴史なのかも知れません。畢竟するに、人間の歴史は
> 地球における生命誌に含まれるものでしょう。

私はむしろコミュニケーションを重視しています.万物は互いにコミュニケートしている
と見れば,人類史が生命誌に包含されるという見方に一致するのかもしれませんが.

>  私はConatusに託されているMissionは生命を繋ぐことでありそれ以上でもそれ以下
> でもないと考えています。そして、自己複製のモメントを神が与えたかどうかに腐心
> するような所謂創造論に与する考えはありません。寧ろ、複製の素地を与えたのも、
> モメントを与えたのも、それを受けとめたのも“地球というMatrix”であるのは確か
> であり、そこを認識の起点として再出発することが重要ではないかと思っています。

地球を単なる利用すべき「資源」以上のものと見る見方には賛同しますが,それ自体を
名前を持った1個の能動的生命体であると認識するのはかなり無理があると思います.

> 既にお気づきかも知れませんが、これらはErnst.Machの系譜を引く生態史観を私な
> りに敷衍したものに外なりません。

マッハの「科学的知識の役割とは経験を可能な限り経済的な順序に配列することだ」
という定義を原則として承認しますが,それだけだろうか?という気もしています.

>  以上、先ずは現在の自分の心的立ち位置について取り急ぎ纏めてみたような次第で
> す。もし、馬場さんの形而上から形而下へと円環する考察の一端を垣間見ることがで
> きましたら幸甚に存じます。

そうですね.私は基本的につねに形而下で考えていると思いますので,如往さんとは
関心の持ちようがかなり違うような気もするのですが,私の場合には「神との関係」とい
うのはそうそう一言で済ますわけには行かないようなところもあり,また誤解を招く虞す
らありますので,もう少し時間が熟するのを待ちたいと思います.まぁうまいこと釣って
頂ければ,それもまた一興とは思いますが...

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