★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK13 > 888.html
 ★阿修羅♪
規制緩和 何をもたらすか(ジェーン・ケルシー、横浜市大永岑研究室編)---「市場原理」(2) ニュージーランドの悲劇
http://www.asyura2.com/0505/senkyo13/msg/888.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 9 月 10 日 02:34:42: 0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: 規制緩和 何をもたらすか(内橋克人ほか、横浜市大永岑研究室編)---「市場原理」の反動的本質(1) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 9 月 10 日 02:23:33)

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20030310MSDokUchihashiBassui.htm


(1)のつづきです。以下全文貼り付け(詠みやすいように改行と行アケしてあります---竹中)

ニュージーランドで何が行われたか ジェーン・ケルシー


 それはどのようにして始まったのか

 日本における規制緩和についての討論に参加して、お話しする場を与えていただいたことに感謝します。外国の方々にお話しするときに、ニュージーランドの経験から得たもっととも重要な教訓としてお教えしたいことがあります。それは、規制緩和のなるべく早い段階で、開かれた、活発な、しかも十分な情報に基づいた議論の場を持たねばならないということです。ニュージーランドではそれがありませんでした。今日は、そのために私たちと私たちの国にどんな結果がもたらされたかということをお話ししたいと思います。

 多くの方々は、日本とニュージーランドにいったいどんな共通点があるのかとお考えでしよう。ニュージーランドの面積は日本の三分の二で、人口はわずか三六〇万人にすぎません。これは名古屋とほぼ同じ規模だと聞きました。両国は歴史も、文化も、経済システムや政治、法律のシステムも違い、世界における役割も大きく異なつています。それでも最近は、日本から多くのグループがニュージーランドにやって来ます。経済界、政府、ジャーナリスト、労組活動家、それに女性のグループも一つ訪れました。彼らはニュージーランドは世界の模範だと聞かされてきたのです。OECD(経済協力開発機構)や世界貿易機構、APEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)などの国際組織、「エコノミスト」といった雑誌や、それからもちろん世界中にいるニュージーランド政府代表者たちがそう宣伝しています。

 彼らは、ニュージーランドの一三年にわたる規制緩和は成功だったと主張します。しかし、誰のための成功だったかは語りません。ニュージーランドの規制緩和は、資産家と、企業と、外国投資家のエリート層にとっては、間違いなく成功でした。しかしニュージーランドの一般大衆にとっての規制緩和の実態は、これとはまったく異なったものでした。規制緩和の犠牲になった人々は、大きな対価を支払わされました。とくに、マオリ族(ニュージーランドの先住民)、女性、子どもたち、高齢者は深刻でした。しかし、被害を受けたのはこれらの人々だけではなく、社会そのものが犠牲になったのです。伝統的な価値観は退けられ、共同体意識は利己的な個人主義にとって代わられました。

 聞くところによると、現在日本では規制緩和への大きな力が働いていて、多くの人々は規制緩和を良いことだと信じているようです。とくに、官僚があまりに力を持ち過ぎていると大方の人々は考えています。しかし、大切なことは規制緩和とは官僚から市民に権力を移すことではないということを理解することです。それは、社会のエリート層の集団内での権力の移動であり、個人や市民のコントロールの及ばない経済エリートと世界市場の手に権力を与えることを意味しているのです。規制緩和は市民の力を強めるのではなく、資本と市場を強化するのです。これこそがニュージーランドの経験でした。

 今日は、過去一三年間のわが国の経験と、世界でもっとも徹底しているとよくいわれる規制緩和の実情についてお話ししたいと思います。

 一九八四年から一九九〇年の、ニュージーランドにおける規制緩和の最初の六年間は、労働党の社会民主主義政権の手で実行されました。これは大変重要です。なぜなら、多くの人はそんなことを予想していなかったからです。私たちはみんな、社会問題や反核問題に目を奪われ、経済の場で何が起ころうとしているのか知らなかったし、知ろうともしなかつたのです。しかし経済の場で起きたことが、後になって社会政策や労働政策や、私たちの暮らにのしかかってくることになります。

 労働党は伝統的な哲学を捨て、伝統的な支持層を切り捨てることを決定しました。しばらくの間は労働党は新富裕層の支持を得ましたが、やがて彼らからも見捨てられました。そして一九九〇年、保守党である国民党が政権につきました。彼らは労働党が始めた規制緩和を継続し、それを新たな分野にまで拡大しました。

 ニュージーランドの規制緩和、一つの実験でした。一九八四年以降に実行された政策は、理論に基づいてなされました。その理論を裏付ける研究も、起こりうべき結果に対する調査もありませんでした。これを実行したのは、政治家と役人の少数のグループで、彼らはニュージーランドに革命を起こすことが自分たちの責任だと思い込んでいました。変革を起こすこと肝心であり、そのための政治的、社会的犠牲は意に介しませんでした。彼らは心から、それが国家と国民にとってよいことだと信じたのです。いろいろな意味で彼らは宗教信者に似ています。

 政府における推進役は大蔵省で、これは政府部内で唯一、拡大を続けた部門です。議会という民主的な討議の場を回避するために、委員会や機関がたくさん作られました。[3]彼らは民間の大企業の代弁者たちから貴重な支援を取りつけました。ニュージーランドでは経済円卓会議と呼ばれています。日本ではこれと似たもので経団連があると聞きました。

 経済は危機状態にあり、だからこそ変革が必要なのだというのが彼らの主張です。経済は危機だと聞かされるたびに、より多くの人々が本当にそうなのだと信じるようになりました。

 これは単にニュージーランドだけの現象ではありません。規制緩和に取り組む政治家や官僚を結集した国際的な研究が行われていて、政策実行のための共通の筋書きがあるのです。それによれば、議論をリードする中心的な政治家、官僚、民間人を持つことが非常に重要だとされています。また、ある種の危機感を創出し、人々に他に方法がないと信じさせることが大切だともいっています[4]。さらに、いったん規制緩和のプロセスを開始したら、できるだけ急速に[5]、できるだけ多くの政策分野で事を実行しろと述べています。国民が先週の変化について考えている間に、来週の変化を準備せよというわけです。そうなれば国民はいつも状況対応で、決して議論をリードすることはないというのです。

 また、相互に関連したさまざまな分野のすべてにおいて、政策を持たねばならないとされています。つまり、あらゆる政策変更の分野を一つの論理が支えているのです。そのため、将来、これら密接に絡み合った政策のなかの一つを修正することは、非常に困難になるのです。それから、メディアの強力な支持を得ることの重要性も指摘しています。権威者たちが変革支持の論調を張り、これへの批判が片隅に追いやられます。批判する者たちは死滅しゆく恐竜か、国家よりも自分の利益を優先する既得権層だといって退けられるのです。変化を支持する者こそが、無私の人だとされるのです。

 ニュージーランドの革命のリーダーたちは今、世界を回って、彼らがいかにして変革を実行したかを各国政府に説き、同じ道を歩むように説いて回っています。彼らはよくいいます。「国民は、何が彼らのためになるかがわからない。だから、事前に事を知らせてはいけない[6]。規制緩和の価値は、それを実行しなければ理解できないのだ」と。このような姿勢がわが国における民主主義の危機を招きました。ところが、あまりに多くの権力が民間部門に移されたため、私たちが勢力を盛り返し、民主主義的政権を作ったとしても、私たちの生活に影響を与える多くの分野で政府は力を行使できないのです。

 規制緩和の五つの側面

 それでは、どんな変革が実行されたのでしょう。

 私たちは今、ニュージーランドで行われたことを構造調整政策だと表現しています。そこには、世界銀行やIMFが第三世界に押しつけた構造調整プログラムのあらゆる要素が含まれています。

 そこでニュージーランドの構造調整策の基本的な要素についてお話ししたいと思います。

 
 主として五つの側面があるので、それぞれについて説明します。

 最初は経済の規制緩和です。これには地方の農業と産業に対する支援の廃止、援助金の撤廃、安価な輸入品からの保護策の廃止があります。その背景には、支援なしには競争力を保てない産業や農業は消滅しても仕方ないという考えがあります。そして、それらが死に絶えた後に新たな、より競争力のある産業と農業が育つだろうというのです。

 また、ニュージーランドは他国からの資本輸入なしには成長できないとして、外国投資に対する規制も撤廃しました。そのため、ニュージーランドのほとんどのインフラストラクチャー、銀行システム、通信、運輸、メディアは今や外国資本が握っています。

 経済の規制緩和はまた、企業と金融部門を自主規制にまかせることを意味します。こうすれば、長期的な経済成長が実現されるだろうといい聞かされました。しかし国内経済を顧みると、一九八五年から一九九二年にかけてニュージーラソドが経済不振ないしは不況に陥ったことがわかります。その後三年間、きわめて堅調な経済成長があり、その後また下降線をたどり始めました。九七年の第1四半期は、経済成長はマイナスを記録しました。これはとても健全な経済とはいえません。わが国経済は激しい景気の上下動を繰り返しているのです。

 二番目の側面は、国家の制限です。

 ニュージーランドはかつて、大きな福祉国家でした。官僚組織は拡大を続け、政府は経済建設できわめて広範な役割を果たしてきました。こうした政府活動の多くの部分は、民間企業に移され、そこでは利益が求められて社会的責任は捨て去られました。郵便や、電気、林業、その他多くの政府活動がそうです。この過程では大勢の人が失業しましたが、共同体もその多くが消滅し始めました。なぜなら、そうした政府の活動は単に商業的な理由だけでなく、雇用や地域開発や環境、その他それに類似した目的のために設立されていたからです。今や、これら政府活働のほとんどが民営化されています。

 政府に残った部分も、民間企業と変わらないようになりました。政府の各省庁は、民間会社のごとく仕事をするように求められています。政府職員は、民間企業流のやり方で採用され、その数は一九八七年に比べてたったの半分になりました。政府があまりに縮小されたために、必要な計画策定の多くができません。

 教育システムを例にとると、政府は一九八九年に教師の数が多すぎると断じました。そこで、一九九六年にはより多くの教師が必要になるという予測があったにもかかわらず、教師の養成数を削減したのです。九六年、教師の不足は限界に達し、三〇〇人以上の教師を海外から“輸入”しました。彼らは一週間の研修を受け、学校に配置されました。九七年は八八○人の教師を輸入しています。今後数年間に、さらに五〇〇〇人の教師が必要だと予測されています。これを埋め合わせるために政府は、国内における教師の養成期間を縮小し、研修内容を低下させました。同時に、教師の賃上げを拒否したために、毎年一〇%の人がよりましな賃金を求めて退職しているのです。九六年、教師たちがストライキに立ち上がりました。これを親や地域の人々が強力に支持して、一二%の賃上げを獲得しました。ところが政府は、教師の賃上げ分は他の教育予算を削除して埋め合わせたければならないというのです。

 三つめの重要な側面は、労働市場の規制緩和です。

 ニュージーランドでは伝統的に、同じ産業で働く労働者は全国どこでも同率の賃金を得るというシステムにたっていました。この全国協定が、一九九一年に破棄されました。代わって、すべての労働者は彼らと使用者との間で個入契約をしているものとして扱われます。集団的契約は、使用者が同意した場合にのみ締結されます。契約は、労働者と使用者との個人的なものとされ、他の労働者には仲間の賃金額を知る権利はないのです。このため、雇用契約法の影響について調査することも非常にむずかしいのです。

 この法律には労働組合という言葉は出てきません。法律上は労働組合は消減したのです。これに代わって、「交渉代理人」という言葉が出てきます。個々の労働者は、使用者と自分で契約交渉してもいいし、代理人にそれを委任してもよいとされています。代理人は弁護士でもコンサルタントでも、使用者ないしは労働組合から推薦を受けた者がなれます。しかし労働組合は、所属組合員の一人一人から委任状を受理しない限り、交渉で組合員のために活動することはできません。だから、交渉のたびごとに、労働組合は全員から委任状を集めねばならないのです。

 これは政府職員にも、民間労働者にも同じように適用されます。

 この政策の目的は労働者の脱組合化であり、その影響は現れてきました。労働組合加入率は、一九八九年に四四・七%で最高潮に達しました。雇用契約法は、深刻な失業に見まわれた一九九一年の一二月に施行されました。それ以来、労働組合に加入する労働者の数は二二%以下にまで低下したのです。このシステムのもとでは、ほとんどの組合は有効に機能することができません。

 現在、一〇人以下の職場ではほとんどの組合は活動できていません。雇用契約法の下ではまた、ストライキの権利が大幅に制限されています。

 規制緩和の四つめの側面は、人々にとってなかなか理解しにくいのですが、通貨政策、またはインフレーションのコントロールです。日本では当面はインフレの心配はないでしょうが、ニュージーランドでは、おそらくこれが経済にもっとも重要な影響を与える政策でした。ニュージーランドは非常に高い金利と為替レートによって、インフレを抑制してきました。ニュージーランドの現在の実質金利は七%で、OECD諸国の中では、もっとも高い実質金利です。

 ニュージーランドでは完全に規制が撤廃された金融市場と、自由な資本移動が保障されているため、高金利をめぐっての投機資金が出入りしています。これが為替レートを非常に高く押し上げてきました。三ヶ月の短期国債の形で日本とヨーロッパから投資された資金は、九六年の一〇月だけで一五〇〇億円でした。これは、国際的金融業者がニュージーランド経済をきわめて高度に投機の対象としていることを意味します。

 為替レートが上昇すれば、国内輸出業者は生き残れません。実質金利が非常に高いまま固定されると、産業への圧力は増大します。借金を抱えた貧困家庭への圧迫も、とても強くなります。ところが法律によって中央銀行は、雇用と生産性への影響は無視して、インフレ率ゼロを目指すこの政策を推し進めなげればならないとされているのです。

 外国投資家たちがニュージーランド経済を信用できなかった結果、九七年、突如として投機資金が引き上げられる事態になりました。経済がすでに不況局面に入っていたこの時期での突然の為替レートの下落は、先に延べた悪影響をさらに深刻化させました。わが国は、国際金融業者の利益に大きく左右されるような、非常に不安定な経済となっているのです。

 政策変更の最後の側面は、財政政策、または政府予算の問題です。これはいくつかの方法で実行されました。一つは、高額所得の個人と企業に対する減税です。ニュージーランドの最高税率は、現在三三%になっています。政府は減税の代わりとして、食料品を含む全商品に対して消費税を新たに導入しました。これにより、税負担が富裕層から貧困層に移し替えられたのです。

 さらに、政府の諸活動に対する支出が、保険・衛生などの分野への実質支出を含めて削減されました。また福祉手当や、失業者、貧困者援助のための支出もカットされました。それから、医療費を含めて政府サービスに新たな料金制度を導入しました。これらすべての政策で過去三年間、国家財政は黒字を生み出したのです。政府はその黒字を、削減した予算の復活ではなく、対外債務の支払いと富裕層へのさらなる減税のために使ってきました。


 労働の在り方はどう変わったか

 これらの政策による総合的な結果として、単にニュージーランド経済だけでなく、国家の役割と民衆の生活も根本的な変化に見舞われました。そこで今度は、労働者にとって、この変化がどのような影響をもたらしたかをお話しします。

 私たちは規制緩和によって雇用機会が増大するといわれてきました。一九八五年のニュージーランドの公式失業率は、一九九二年に一一%を超えて最高水準を記録しました。それが九六年は、五・九%まで低下しました。現在は、再び上昇を見せはじめ、今の公式失業率は六・七%です。私たちが非常に長期間にわたる経験をしていることが、おわかりになると思います。しかし、知っていただきたいのはニュージーランドの公式の定義では、失業者とは一週間に一時間未満しか働いていない人を指すということです。つまり、一週間に一時間ないしそれ以上働いていれば、その人は就業者とみなされるのです。

 失業者の苦しみは、平等に与えられているわけではありません。とくにマオリ族の人々へのインパクトは強烈でした。ニュージーランドの先住民たちの失業率は、一九八七年には一〇・八%でしたが、一九九二年には二六%近くまで上昇し、現在も一六・六%となつています。ニュージーランドが労働者不足に困っていたときに、太平洋信託統治諸島から連れてこられた移民労働者たちは、さらに高い失業率を示しており、一九九二年には二九%、現在でも一五%となっています。

 一方ヨーロッパ系のニュージーランド人の方は、その失業率ははるかに低く、最高の時で八・一%、現在では四・七%です。

 したがって、失業対策としては規制緩和は有効であったとはいえません。しかし同時に、就業の内容も問題です。なぜなら、就業者数の増加の大部分はパートタイム労働だからです。以前に比べて、現在ではパートタィムで働く労働者は一〇万人以上も増えています。そしてパートタイムの就業機会は、二〇万件以上も増加しています。ところがフルタイムで働く人は、一九八七年から一万二〇〇〇人増えているにすぎません。これらの人の多くは複数のフルタイム労働を経験しています。現在のフルタイム就業機会数は、一九八七年から増えていないのです。つまりニュージーランド経済における新たな就業機会の増加は、主としてパートタイム労働であり、そしてパートタイム労働者は女性に偏っています。このことから、全労働力中の男性と女性の比率に重要な変化があることがわかります。働く女性の数は一%近く増大しました。ところが、男性労働者の数は一九八六年より四・五%減少しているのです。

 他方では、高所得者層と低所得者層のギャップが拡大していることがわかります。全国協定システムがもはや適用されなくなったため、熟練労働者は高賃金を得る一方で、未熟練労働者やパートタイム労働者には何の保護もありません。このことは、女性労働者と男性労働者の所得格差が一貫して増大してきたことも意味します。この格差は当初からあったのですが、雇用契約法の施行以来、増大してきたのです。

 政府は規制緩和によって労働生産性が向上するといってきました。しかし一九九一年以降の平均的な労働生産性は、規制緩和が行われる以前より低下しているのです。昨年の労働生産性は、一・六%低下しました。現在ニュージーランドは、二重労働市場と称される状態にあります。一次的労働市場は、安定雇用の高熟練、高賃金労働者で構成されています。ここでは大きな問題はありません。しかし二次的労働市場には、多くは短期契約やパートタイムの低賃金・未熟練労働者がいて、さらに失業者がいます。彼らは失業と単純労働を頻繁に繰り返します。就業者数が増加したのは、まさにこの二次的労働市場でのことなのです。


 家庭の出費は増え続けた

 もちろん規制緩和を経験したのは労働者だけではありません。私たちは家族や、各世帯や地域コミュニティで何が起こっているのか、大きな観点でとらえる必要があります。これらの点について少しお話しします。

 規制緩和が実行された間、各世帯の収入は、人口の一〇%の高額所得者を除いて、著しく低下しました。民間労働老の場合、インフレ率を勘案して彼らの所得を見てみると、一九八九年以来ほとんど毎年実質賃金は低下しています。公務員労働者の場合は、収入の減少はさらに深刻です。それがあまりにひどいので、九六年には公的部門が機能停止に追い込まれました。すなわち学校や、裁判所、税務署、土地登記所、その他多くの重要な政府サービス機関でストライキが勃発したのです。政府は一定の賃上げに同意しました。ところが、景気が再び悪化したので、これ以上お金は出せないといい出しています。これ以上支出したら財政は赤字になり、したがって富裕層への減税ができないというわけです。

 賃金労働に就いていない人に対しては、福祉手当も削減されました。先に述べたように、一九九一年に諸手当は大幅に削減されています。ニュージーランドでは国庫のいろいろな分野からの援助が受けられるために、賃金は一貫して低く押さえられてきたのです。

 先にニュージーランドの現在の最低賃金についてお話ししておくべきでした。成人の一時間あたり最低賃金は五二五円です。若年者はその三分の二です。失業手当受給者の受給額は大幅に削減され、若年の失業者にいたっては二五%近くの削減です。疾病給付金の額も厳しくカットされました。母子家庭、また父子家庭への給付金も、大幅にカットです。こうして、世帯当たりの収入は低下していったのです。ところが、世帯の支出額は増えています。先に述べたとおり、実質金利が高いために貧困者、つまり借金を抱えている人はいっそう高い利子を払わねばなりません。しかも、税金まで高くなっているのです。

 政府が補助を打ち切ったために、他に重大な変化が起きました。民営化された電力部門は、補助が打ち切られて、電力価格への規制が撤廃されました。電話部門の民営化で、携帯電話や国際電話料金は値下がりしましたが、家庭の出費はこれまた増大です。交通部門の民営化と商業化で航空運賃は値下げになりましたが、公共サービスに頼らざるをえない貧困者が利用する公共交通は、料金値上げです。

 しかし、政府の補助削減でもっとも重大だったのは、住宅家賃でしょう。今までニュージーランドは、貧困者を支援するために家賃の補助金を支出してきました。家賃のための出費は、家計の二五%を超えるべきではないとされてきたのです。政府は、今や民間業者のように住宅政策を行っています。多くの貧困家庭は、収入の五〇%以上を家賃に出費しています。住宅問題はニュージーランドの貧困の最大の原因と見られているのに、政府の住宅会杜は今年(一九九七年)、一億一一〇〇万ドルもの利益をあげたのです。

 これに加えて教育部門では、義務教育において「任意負担金」制度が導入されました。富裕地区にある学校は、両親たちから高額の寄付金を得ることができます。貧困地区の学校では、子どもたちに教える前に食べさせなければなりません。貧困地区の学校には教師が来てくれません。子どもに教育を与えることができないのです。

 医療や基礎的保険サービスのための新たな保険料が、家計に課せられています。保険システムが後退したために、適確なサービスを得るためには民間保険に契約しなければなりません。実際公立病院さえも、今では民間業者と同じになっています。病院の規制緩和と民営化により、治療待ちの人数は五〇%も増加しました[7]。

 かつて国がやってくれたことを自力でできる人は、医療費や年金や教育、それに労働補償金や大学の学費[8]のために、保険をかけたり利用したりできます。ところが貧困者は、生活の質の低下を味あわねばならないのです。そのことはニュージーランドの貧困統計に見ることができます。

 貧困という言葉は、ニュージーランドでは一九八四年以前には使われませんでした。何年にもわたる規制緩和の結果、貧困状態で暮らすと見られるニュージーランド人の数は、一九八九年から一九九二年にかけて三五%増加しています。つまり、これらの人々が基本的生活水準に達していないのです。手許にある一九九三年の最新の統計では、六世帯の内一世帯が貧困状態にありますが、子どもの場合は三人に一人が貧困状態で暮らしています。ニュージーランドの若者の自殺率が、OECD諸国のなかで最高なのは驚くにあたいしません。

 政府は、貧困状態の人は自立して生きていくべきで、それができなげれば慈善事業に頼るしかないといいます。ニュージーランドでは、貧困者のために食料の包みを与える、いわゆる慈善食料銀行の数が増えました。一九九三年には、二五〇〇万ドル分の食料が分け与えられています。この問題は、経済が回復すれぼ解消するのだといわれてきました。九七年は再び不況に陥ったため、食料銀行への需要は増えていると報告されています。こうしたなかでの最大の犠牲者は、女性であり、マオリ族であり、子どもであり、高齢者なのです。すべての人が参加・所属できるような社会を作るという政府の役割を、単に生存不可能な人のための最低限の保証だけに止めようとする政策の結果として、こうした問題はあります。しかも、その政策自体も行き詰まっているのです。


 誰のための規制緩和か

 こういうわけで、ニュージーランドの規制緩和は成功だったという人に対しては、誰のための成功なのかと問いかけます。規制緩和は、私たちの社会を危機に陥れました。多くの人々と家族の生活を破壊し、約束していたはずの経済繁栄はどこにもありません。彼らは長期的な幸福のためには、短期的な痛みは仕方ないといいました。私たちは散々痛めつけられましたが、幸福がやってくるとは思えません。

 こうした経験を日本で回避することは可能です。しかし、そのためには実状をしっかりと知り、大胆に発言し、そのためのリスクを恐れない心構えを持たねばなりません。そして影響力と力を持った人々が、女性や、少数者や、力を持たない人々といっしょに声をあげる決意が必要なのです。孤立の中で闘っても勝利を得ることはできません。連帯してのみ、勝つことができるのです。そして、なるべく早い段階から闘いに立ち上がることが大切です。ニュージーランドでは、一三年の革命的変化の後で、元に戻ることは不可能です。また私たちの多くはそれを望んでもいません。旧来の官僚制と、福祉国家と、経済体制には多くの問題がありました。私たちに今必要なのは、まったく異なった、私たち自身の世界に向かって、いかに前進するかということです。

 みなさんには、私たちのような状況になる前に、違う道を行くチャンスがあります。そこで一番大切なことは、単に規制緩和に反対するだけの議論ではなく、あなたがた自身のオルタナティブな道、日本の民衆の利益に合致する、よりよい道を提案することです。それに向けてみなさんが建闘されることを祈ります。


・・・・・以下、(3)に続く。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 政治・選挙・NHK13掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。