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Re: 規制緩和 何をもたらすか---「市場原理」(3) ニュージーランド以上に苛烈な日本の規制緩和
http://www.asyura2.com/0505/senkyo13/msg/890.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 9 月 10 日 02:52:45: 0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: 規制緩和 何をもたらすか(ジェーン・ケルシー、横浜市大永岑研究室編)---「市場原理」(2) ニュージーランドの悲劇 投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 9 月 10 日 02:34:42)

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20030310MSDokUchihashiBassui.htm

ニュージーランド以上に苛烈な日本の規制緩和


以下全文貼り付け

 司会 私自身が労働運動の人間ではないのにこんな言い方を許していただけるならば、多分労働運動自体が、やはり個別の利益、個別の権益を守るところからもう一段階、別の位相、普遍性に迫っていかなければならないと思います。

 そこで、どういう対案を出して行くかという方向に向けて議論をしていきたいと思います。

 内橋 ご質問にお答えする前に、遠いニュージーランドからわざわざ来日いただいたジェーン・ケルシーさんに心からお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。


 ところで、いま、お話しをうかがいながら、私はまるで遺伝子操作で生まれたクローン羊を見るように、両国の状況が全くそっくりだ、ということを、改めて痛感しました。「ニュージーランドの実験」を私たちは反面教師の先行指標として十分に学ばねばならないと思います。

 と同時に、日本とニュージーランドとの間に大きな条件の違いがあることも、ここで再確認する必要があるのではないか、と考えました。

 それはまず第一に、日本の場合、重大な「日米関係」というものがあるということです。日本の規制緩和に関しましてはアメリカからのプレッシャーがとても大きい。日本は国際的に見まして、貿易収支において大変な黒宇一国貯めこみ構造を形成してきました。ですから「日本市場を開放せよ」というアメリカの強烈な要求が規制緩和旋風の発生源のひとつになっているということです。

 規制緩和推進計画は、そもそも細川連立政権の下でスタートしました。

 余談になりますが、この連立政権が誕生いたしましたとき、政治学者はじめ多くの知識人は、これでヨーロッパ並みの連立政権時代がいよいよ日本にもやってきた、と高く評価したのに対して、私は、これは政権をバレーボールのボールのように、疑似与党と疑似野党の間で行ったり来たりさせることを真の狙いとする、疑似連立政権の誕生にすぎない、という指摘を復数のメディアで行いました。

 いま、振り返ってみて、まさにその疑似野党が以後どのような迷走ぶりを呈しているか、お分かりでしょう。その意味で私は、大脇先生にはたいへんに申し訳ないけれども旧日本社会党の、当時、果たしたマイナスの役割は、残念ながらとても大きかったと思います。

 このようにして生まれた細川連立内閣のもとで規制緩和はスタートしたわけです。

 日本の政治経済と規制緩和は、以降、どのような経緯をたどっていったでしょうか。

 細川内閣が唱えた「政治改革」が、結局、例の小選挙区制に矮小化され、いまになってさまざまな弊害が指摘されるようになっております。けれども当時、とにもかくにも「政治改革」のプログラムを一巡させた細川政権は、次の話題を作る必要に迫られておりました。そこで、どのような手順がとられたのか。何をスローガンとして目をつけたのか。

 当時、経済政策研究会、通称「平岩研究会」といわれる細川さんの私的諮問機関があり、東京電力の平岩外四さん(当時会長)が主宰しておりました。どんなメンバーだったのか。官僚OB、財界人、そして軽井沢グループと呼ばれる特定の経済学者たち、そういう人ばかりでした。まさに、この研究会において「例外なき規制緩和」というスローガンが高々といわれ始めた、というのが事の経緯です。

 
 さて、日本とニュージーランドとの事情の相違の第二点は「円高」です。

 一九九〇年から九一年を皮切りとしたバブル崩壊後の不況の中で、日本経済は資産デフレの進行に加えて「円高」という二重のパンチに見舞われました。急速かつ大幅な円高が突然襲ってきて、円は一時一ドル七〇円台にまで急上昇したわけです。

 このラジカルな円高が実はアメリカ政府の手によって誘導されたものであったことが、いまにして明らかになっておりますが、急激な円高への対応を迫られた日本の製造業は、次々と生産拠点を中国やアジアヘ、と移転させていきました。

 雪崩を打つように日本列島から離脱する産業資本は、まず資本(投下資本=工場の設備などの形態で)の移転を通じて、また他方ではアジアで生産された「日本製アジア製品」(後述)の日本列島への逆流入による「価格破壊」を通じて、日本経済に追い打ちをかけ、不況からの脱出をさらに困難なものにした、という点があげられます。

 こうして深刻さを加える経済的困難の解決こそが国民的願望になったわけです。

 規制緩和さえすれば不況から脱出でき、景気は良くなる、日米貿易摩擦は解決する、物価は安くなって内外二重価格差は解消し、日本は高コスト体質から脱して再び国際競争力を回復できる、というような「規制緩和万能論」がまことしやかに通用するようになった。


 さらに第三に、少し問題は複雑になりますが、大企業をも含む日本企業の、先進国にもまれな低収益構造をあげなければならないでしょう。

 残されたフロンティア(未開拓の産業領域)が少なく、悪くすると量産効果を追及するためのコストの方が肝心の量産効果を上回ってしまうような構造に、日本企業は陥っており、そうした中では企業は、これまで手つかずだった「公共」、たとえば自然や景観、安全、また美しい海岸線など、本来、誰のものでもない、国民全体の共有資産というべき領域にまで分け入り、利潤追求の対象に組み入れる[9]ことで期待収益を向上させる、という手法に、次の活路を求めざるをえなくなっている。こうした事情の重要性をとくにここで指摘しておきたいと思います。

 こうして「社会的規制」も含む「例外なき規制緩和」がどうしても必要だ、ということになり、世論づくりが強烈に盛り上げられていった、ということです。

 併せて中小零細企業の領域もゲートレス(垣根をはずす)な状態での開放が迫られた。そのためには「調整の思想」(中小企業の事業領域に大企業が資本力にものをいわせて殴り込みをかけたりしない、という考え方)もまた御破算にする必要があった。新たな利益チャンスの源泉を求めて、ということになります。


 第四に、すでに触れてきましたように行政独裁ともいえるこの国の政治の現状に対する市民の強い反発があり、それも強い追い風となった。すでに指摘したところです。

 国民の間に高まる、このような空気を追い風として「官僚征伐」の装いも凝らした規制緩和が、急速に社会的正義へ、と昇華されていく。むろんその実態は、官僚製規制緩和が進行しているにすぎなかったのですが・・・。

 ところで、以上に挙げたなかでも、とりわけ円高不況のもとで進行したアジアヘの「生産拠点の移転」との関係に注目することが重要です。

 いま、日本の資本、とりわけ巨大メーカーは多く生産拠点を中国、アジアに移しています。

 日本の資本と技術、日本のマネジメントをアジアに持ち出し、そして現地の安価な経営資源、なかでもとくに安い労働力と組み合わせて製品をつくる。私はこれを「日本製アジア製品」と呼んでいるのですが、その本質は、要するにアジア製品と見えて実は形を変えた日本製品であるということ。日本に逆流入させ、ちょっと手を加えれば日本市場でそのまま通用する、あるいは日本製品として輸出できる製品のことです。

 いうまでもなく、この「日本製アジア製品」のコスト競争力は抜群に強い。

 では、このように価格競争力の強い日本製アジア製品に対して、日本列島から離脱できず日本の中でしかモノづくりを続けるほかにない「日本製日本製品」(日本列島のなかで日本の賃金水準によって製造される商品)はどう対抗していくのでしょうか。

 実は、ここにも「雇用・労働の規制緩和」というテーマが企業にとっての必然として急速に浮上してこざるをえなかった大きな理由があるのです。

 アッセンブラー(大手の組立産業)のケースを例に話しますと、その一つの方法が“アジア(アジア的なるもの)”を自分の足元に呼び寄せる、というやり方でした。アジアに出ていく代わりに、できるだけ同じような低賃金水準で活用できる外国人労働力を下請け協力工場などに招き入れ、コスト切り下げをはかるという方法です。

 アジア的なるもの、つまりはアジアで生産するのとあまり変わらない安い賃金コストで、ということですが、それでもって日本外島のなかでモノづくりを続けていこう、ということです。

 外国人労働力も派遣会社からの派遺労働として受け入れ、日本人従業員とは異なった体系の低い賃金で使う。また日本人従業員については、できるだけ常傭雇用を減らし、パートや派遣労働など総労働コストの安い非常傭の雇用に置き換えていく、というやり方が一般化していくようになったわけです。

 要するに「雇用・労働版のカンバン方式」といえるでしょう。

 このように「日本製日本製品」のコストを、「日本製アジア製品」に合わせて引き下げるためにも「雇用・労働の規制緩和」が資本の側にとっては避けられない課題として浮上してきているわけで、どの国であれ、資本というものは、結局、このような道筋で進んでいく、ということを、私たちはよく見極めてかかる必要があるのではないでしょうか。

 だからこそ、冒頭でも話しましたように、たとえば雇用・労働の規制緩和は反対だ、しかし、その他の規制緩和はどうでもよい、モノが安く買えるようになるのなら、むしろ賛成だ、というようなタコ壷型の運動では、大店法廃止の荒波にもまれる中小零細な小売店なども含む多くの人々の支援を獲得することはむずかしく、まして現在の流れに待ったをかけることなど、大変にむずかしい、そういうふうに重ねて強調せざるをえない、ということになるわけです。

グローバリゼーションにいかに対抗していくか

 司会 ケルシーさんには、とくに規制緩和とならんでナショナリズムの動きが出ているということに関してはどうなのか。それから労働組合が、ニュージーランドの場合、日本より強かったと思われるのに、なぜ抵抗できなかったか。また、規制緩和に対する総体としてのオルタナティブをどう考えるのか、という三点についてお答えをいただければ、と思います。


 ケルシー ニュージーランドでの経過は、世界的に行われている構造調整策に典型的に見られるものです。そして構造調整策問題がしばしば「ワシントン合意」と称されるのは、根拠のないことではありません。この表現は、新自由主義理論が復活した場所を示すとともに、その理論がもっとも強く推進された場所、とくに世界銀行とIMFのことを指しているのです。

 ニュージーランドの経験が示すのは、構造調整策はその実行を強制された国だけで行われるのではなく、ニュージーランドのような国も自主的にそれを行いうるということです。ニュージーランドにはアメリカからの直接的な意味での圧力はなかったにもかかわらず、構造調整理論の重要な実験場となったのです。

 こうなった理由のある部分は、ニュージーランドに特有のものです。しかし、ある部分は、資本と企業と増大した金融資本のグローバリゼーションの一環であり、また技術革新と、さらには国際機関と巨大な経済権力の役割の変化に原因があります。

 ニュージーランドは、ヨーロッパの保護市場の上に構築された福祉国家でした。そのなかで私たちは経済学を理解していませんでした。左翼陣営のほとんどの人は、社会問題や環境、平和と反核問題に目を向けていて、経済は無視してきました。一八九〇年以来、ニュージーランドでは労使関係は政府と、使用者と、労働組合が合同で調整してきました。労働組合の強力な争議行為はほとんどありませんでした。行動を起こしても、すぐに鎮圧されました。ニュージーランドの政治は、根本的な変革に対抗するには、あまりにも態勢が整っていなかったのです。

 この変革が労働党政権によって始められたために、人々が立ち上がるのがさらにむずかしくなりました。労働組合は、自分たちの政党に表立って刃向かうことをためらい、政党内部で方針を変えさせようと試みました。しかし規制緩和を推進する勢力の力は強く、党をガッチリと握っていました。こうして労働組合は、失業による組合員数の減少と、政治的討議の場から排除されることにより、まったく弱体化してしまったのです。

 一九九〇年に労働党が敗北し、保守党政権ができると、彼らはただちに雇用契約法を導入しましたが、これに対して主要な労働組合は闘うことを放棄しました。全国的な反対運動を組織するだけの力がないといったのです。今では、それが間違いだったことを認めています。たとえ負けたとしても、ただ黙って死ぬよりは闘うべきだったと考えています。しかし、当時はそうしなかった。このことから人々は、労働組合と労働党に、まったく幻滅してしまいました。

 労働党は、自分たちが規制緩和を始めたために、それが失敗だったと認めたくありません。彼らは規制緩和は続けるとしつつも、それに人間的側面を与えるのだといっています。私たちにはどうしてそれが可能なのか、理解できません。

 かつて存在した多くの労働組合が、今はありません。拡大している労働組合もありますが、それは、労働組合をビジネスととらえているような組合です。彼らは組合員を、バランスシートの勘定科目の一つと考えています。他の労働組合を乗っ取る彼らのやり方は、もっとも悪辣な使用者のそれと同じです。

 規制緩和の一三年がすぎた今、ニュージーランドにおけるこの実験は明らかに失敗だったと多くの人々は考えています。流れが変わり始めているのです。経済界やメディアの中にさえ、こうした計画を選択したことが賢明だったのかと疑問の声が上がっています。

 しかし、一般の人々にとっては、彼らの生活に何が起きたのかいまだに正しく理解できず、その反応はきわめて感情的なものになっています。ナショナリズムが高まっているのは、それをもっとも鮮明に示しています。外国からの投資反対、民営化反対、移民反対と叫ぶ人々は、自分たちの生活が部外者にかき回されることに反対しているのです。しかし彼らは、「国の扉をもう一度、閉じろ!」と主張する以外、どうすればそれを実行できるのかがわかりません。もちろん、今となっては国の扉を閉じることなど、できません。外国資本はしっかりと食い込んでいるし、ニュージーランドはGATT(貿易関税一般協定)合意など多くの国際協定に調印していて、その中で現在の姿勢を継続することを約束しているからです。

 したがって、私たちに今問われているのは、「規制緩和は間違いだった」と人々がいうときに、いかにして現状に代わる道、人々の苦しみに応えられるような方策についての、建設的な議論を提起できるかということです。

 民営化の問題をめぐって、よい例があります。

 いまだ完全に民営化されていない分野として、政府所有の林業があります。国民は九六年まで、林業のこれ以上の民営化に強く反対してきました。森林は国内の大企業だけでなく、外国企業に対しても売却されようとしていたからです。森林売却に反対する運動には、労働組合や、自分たちの土地の上に植林されたマオリ族、地域のコミュニテイ、環境保護活動家などが結集しましたが、譲渡をやめさせることはできませんでした。そこで、みんな新しい政権を作れば問題は解決すると確信したのです。そして前回の選挙の結果、選挙公約で民営化反対、外国投資反対を主張した政党が議席を増大させました。ところが、選挙が終わると彼らは前政権与党と連立を組み、一夜にして「民営化オーケー、外国投資オーケー」と変身してしまったのです。

 現在、私たちは再び民営化、とりわけ林業の民営化の問題に取り組んでいます。

 今ニュージーランドでは、日本企業にかかわる論争が起きています。ある日本企業が森林と製材工場を買ったのですが、そこは地元のマオリ族が買いたいといっていた所です。工場で働いているほとんどの労働者はマオリ族の人々です。ところがこの企業は、工場の一部を閉鎖するといって、多くの労働者をレイオフにしました。この問題が起きて、再び労働者、地域コミユニテイ、マオリ族、環境活動家が結集したのですが、今回はこれにニュージーランドと日本の市民が連帯して、会社に圧力をかけたのです。

 この問題で私たちが人々に訴えようとしているのは、規制緩和を止めるのに政党や政府に頼っていてはだめだということです。政治的力を持ち、国の内外に連携を作り出すような新たな道を探らなければなりません。そして規制緩和によって権力を得ているもの、つまり政府ではなくて国際的な資本に対して圧力を加えなければならないということです。

 最後に、重要な点を述べて終わりにします。私たちがグローバリゼーションについて語るとき、しばしばそれがまるで世界を征服する全能の力を持っているかのようにいいます。世界銀行やWTO(世界貿易機関)について語るときも、それが無敵の力を持っていて、私たちの生活や国を乗っ取るのを阻止できないかのよに思ってしまうのです。これはとても危険なことです。

 たしかに、事態の進展の中でわれわれのできることは狭められた。しかし、私たちが政府を押さえつけて、協定交渉の場で好き勝手にさせないようにすることは可能です。さらに、こうした国際フォーラムでの彼らの行動に異議を申し立てることはできる。また国際的な場面で政府を困らせることもできる。私が海外に行く目的の一つは、ニュージーランド政府に外から圧力をかけることにあり、これは国内でやるよりも効果がある場合が多いのです。

 そのためには、低抗し、暴露するだけでは不十分です。私たちに今強く問われているのは、オルタナティブな道を作り出すことです。

 グローバリゼーションは現実に起きています。それが何を意味するか、深く観察する必要があります。しかし私たちは、私たちの抵抗をもグローバライズすることができるのです。進行している事態に対して、連帯して効果的に反撃することが可能です。その一方で、各国の違いも理解しなければなりません。世界経済政策に対するオルタナティブはあっても、その内容は、それぞれのコミュニティの価値観と優先順位に基づいたものでなければならず、政府にそうした価値観と優先順位を反映させ、尊重させなければなりません。

 規制緩和の推進者たちが、人間的価値を取り戻し、社会の現実とそれに対する責任を問題にしていくことが私たちに課せられた任務です。それは可能だと私は信じているし、その確信を持たなけれれば目的は実現されないのです。

内橋 いま、進みつつある規制緩和の政策プログラムの背景に市場競争原理至上主義の経済学がある、ということを話してまいりました。その核心をなすものは古典的な「商品交換の自由」であり、いわばその“お化粧直し”が季節はずれの花盛りを呈しているのが現状ではないかと思います。

 いうまでもなくこの「商品」なるものの概念のなかに労働が含まれているわけです。

 産業革命以降、資本主義勃興期において、新興ブルジョアジーは絶対主義へのアンチテーゼとしてこの「商品交換の自由」を押し立て、最高の基本的権利に昇華させてきました。

 いわば近代資本主義におけるもっとも古典的で原初的な「自由」であったということです。

 歴史をひもといてみれば誰でもお分かりのように、自由の概念はその後、集会や結社の自由、あるいは労働者の団結権や生活権などを含む市民的な自由へ、と進化してきました。

 それはたとえば「児童労働」の禁止のように「商品交換の自由を拒否する自由」として確立されてきたものです。労働や環境、自然、文化などの分野での「商品交換の自由を拒否する自由」つまり幅広い市民的自由を無視して、すべてを狭い「商品交換の自由」にひき戻してしまおう、というのが現在猛々しく叫ばれる規制緩和論の本質なのではないでしようか。

 「児童労働」について、ここで少し触れておきたいと思います。

 産業革命以降、イギリスにおいて「土地囲い込み(エンクロージャームーブメント)」がショウケツを極めました。資本が土地を囲い込んでいったために多くの農業従事者が経済的基礎を失って崩壊し、貧困家庭がぞくぞくと輩出したわけです。破綻した農民の多くは都市に流れ込んでいきましたが、当初、貧困家庭の児童、孤児たちの面倒をみたのはキリスト教の教区であったわけです。が、その教区に属する人々の経済的負担が重くなってきた。

 そこで貧困家庭の児童、あるいは孤児たちは、労働力として、当時、勃興期にあった繊維工場へと送られた。今日、語尾にシャーのつく地方、たとえばヨークシャーなどが、その典型例ですが、それらは繊維工場の集積地であったわけです。劣悪な環境の工場に児童を送り込んで、疲れて倒れるまで働かせ、倒れればベッドに寝かせるわけですが、代わりに、そのベッドで寝ていた児童はたたき起こして連れ出し、工場で働かせる、というような過酷な労働が待っていた。ベッドの数は児童の数の三分の一しかなかった、という記録も残っているほどです。

 このように悲惨な児童労働に対して、これは禁止すべきだ、という運動が勃然と起こるわけです。たとえば工場法の制定を呼びかける運動もその一つでした。が、この時、そのような工場法の制定に対して「それは商品交換の自由に反する」といって反対したのが、当時の有力な経済学者たちであったことはよく知られた事実です。

 遅れて、日本においても工場法をつくろうとしたとき、真っ先に反対したのが、いまでは偉人扱いの、先駆的な学者たちだった。歴史は繰り返す、とはよくいったものですが、この時も「商品交換の自由に反する」というのが彼らの主張でした。また国際競争力からみて時期尚早だと猛反対した人がいまは“偉人”として畏怖されています。

 しかし、時代の流れのなかで、その後、工場法は成立し、同じ「自由」でも「商品交換の自由を拒絶する自由」というものがあることを人々は確認するようになりました。

 このように営々として、真の自由とは何か、真の人間の尊厳を守るための権利とは何か、その確立に向けて人々は努力してきた。これがすなわち自由の歴史であるわけです。

 戦後日本においても、同様の苦労と引き換えに、さまざまな労働に関する基本権を獲ち取り、長い時間をかけて労働に関する基本的な権利が確立されてきました。それがいま、これまで述べてきたような経緯から、見事にご破算になろうとしている。まさにいま進もうとしていることの真の意味がここにある、と思います。

 こう見てきますと、マスコミの責任というものがいかに重いか、よく分かります。このような規制緩和万能論の旗振り役を、もっとも熱心に、かつ積極的に果たしてきたのが巨大ジャーナリズム、なかでも中央の大新聞各紙であったことは明らかだからです。

ところが、もろ手を挙げて例外なき規制緩和をはやしてきたそのマスコミが、ひとたび自分の足元に再販制度廃止という、規制緩和の波が押し寄せてきますと、自分たちだけは別だ、例外だ、と叫んでいます。

 私は、少数派の発言権を保護するのはまさに民主主義の基本であり、そこに、新聞、出版ジャーナリズムの使命があると思いますから、その故に、再販制度廃止論に対しては強い反対意見を主張してきました。これをもし市場原理に任せてしまうならば、まず発言者そのものが限られてくる。多数派の意見を代表する人や議論しかマスメディアには登場しなくなってしまう恐れがあるからですが、それにしてもこのような日本のジャーナリズムの勝手な理屈のこねように対して異論を呈している人が如何に多いことでしようか。付け加えるまでもないところです。

 このまま再販制度が廃止されれば、新聞、出版界においても寡占化、独占化が進むに違いありません。文化、環境、さらに資源問題、都市問題などは、まさに市場原理のラチ外に立つべき、より上位の概念だと思いますが、民主主義の根幹をなす少数者の発言権の擁護も同じように市場原理に優越するもっとも基礎的な原理、原則とみなすべきです。

 これと正反対に規制緩和を進めるべきはまさに「情報」についてでしょう。

 現在の日本では、官僚がハンコ一つ押せば、それでただちに国家機密になる。国民を代表する国会議員ですらその情報に接近できない。こういう裁量的秘密主義が、圧倒的な行政優位の状況、そして政官業の癒着を生んできたわけです。

 ですから、規制緩和論者の説くように「官から民へ」というのであれば、何をおいてもまず情報公開から進めねばなりませんが、官僚の情報囲い込みに対して、実質的に「知る権利」を保障すべきジャーナリズムが、残念なことに、なかなか事の本質を見抜くことができていない。まことに残念きわまりない限りと私は思います。官僚の裁量的秘密主義を打ち砕くに足る調査報道、それを支える使命感は、「新聞もまた売ればいいのだ」というような経済的競争の勝敗とは、全く異なる次元の問題であることをあえて最後に強調して、私の話を終わりたいと思います。


ケルシー もう一度、一つのことを強調して、終わりたいと思います。

 つまり、規制緩和と人権および社会的責任は両立しないということです。政府は今、規制緩和に関連して、人権と社会的正義の分野でみずからの果たす役割はないといっています。自由市場がすべてを提供するのであり、その中では個人が自分の生活に責任を持つのだというのです。

 しかし、振り返って見れば、一九世紀の自由市場と今世紀の資本主義が、基本的人権と社会正義を実現できなかったからこそ、その責任を各国政府が担うようになったのです。

 九六年にニュージーランド政府は、民間労働者に適用される年齢、障害の有無、性別による差別を禁じた人権法を、二〇〇〇年までに政府部門に適用するといいました。ところが早くも今は、それを見直す法律が提案されています。政府職員には、民間部門と同じ基準を当てはめなくてもよいというわけです。次には、民間労働者に適用されている法律を改悪してくるでしよう。

 これに対して私たちは、国際的フォーラムの中で政府に対抗してきました。雇用契約法はILOの場で攻撃されました。貧困と社会正義に関しては、コベンハーゲンの社会開発サミットで批判されました。九七年、ジュネーブで開かれた子どもの人権に関する国連委員会に、政府が基本的国際法に違反しているとの報告が提出されて、彼らはおおいにまごつきました。しかし彼らはそれを無視しています。

 私たちが共同で活動してきたいくつかの国、たとえば南アフリカでは、政府が一定のバランスをとろうとしています。経済政策に社会的監査を導入する、あるいは市民的権利に関する指標を設けて、それを経済政策の価値を検討する際の基礎にしなければならないといった要件を制定することを検討しているのです。また、特定の年までに達成すべき社会的目標を、政府が教育、保険、福祉などについて宣言し、それがどこまで達成できたか報告を義務づけられるような指標システムを作ろうとの提案もあります。

 ニュージーランドの政府は、そうした取り組みをする意思を持っていません。私たちはその代わりに、市民社会として私たち自身そうした指標を設け、社会的責任と社会的正義という中心的指標に照らして、政府と民間の権力者を判定することを考えています。そしてもし政府が、人権と社会的正義に関する責任を放棄したら、政策の優先順位を正すために行動を開始するのです。

 私は、日本のみなさんが同じような方法で闘いに立ち上がっているのを聞いて勇気づけられました。そして社会正義と人権のための闘いの中で、再びみなさんの多くとともに活動できる日を楽しみにしています。

司会 有り難うございました。

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[1] お送りいただいたファイルには、この部分は見当たらなかった。

 私自身が入手した文献からするかぎり、中田市長など松下政経塾の人々は、内橋克人氏やケーシーさんとは正反対の立場である。

たとえば、「松下政経塾出身代議士15人会」による『永田町からの政治論―日本の課題を理解するために―』(PHP研究所、1996年)では、「ニュージーランドの大改革」が高く評価されている。「ニュージーランドでは、1990年、労働党にかわり、国民党政権になったが、見事に改革のリレーが行なわれている」といった表現に、それが端的に現われているといえよう。

「郵政民営化」は小泉純一郎氏の独自の主張ではなく、この本の「民営化で歳出削減を」と言う節では、「郵政三事業、国立大学、国立病院の民営化」が主張されている。

[2] 最近の、桶川女子大生刺殺事件で、両親が訴えたところ、両親の主要な主張は退けられ、両親が警察の怠慢・責任を訴えて、控訴した。

 まさに、そのとき、警察は、女子大生側の非を何とか暴き出そうとした。悪いのは、殺害された女子大生になりかねない、雰囲気だった。

[3] 新市長になって、横浜市は、市立大学に関するあり方懇談会ほか3つの懇談会を立ち上げた。それらが、民営化を声高に主張することになる。

[4] 「1140億もの赤字」、「借金漬け」などショッキングな言葉が乱舞しているではないか。

 危機感を市民のな化にあおっているではないか。

 民営化や廃校しな会のではないかと思いこませようとしているではないか。

[5] この間の大学への「改革」攻勢はものすごい急ピッチではないか。

 「教授会がぐちゃぐちゃ言わなければなんでもできる」、「評議会などなんだ」と言う態度が横行しているではないか。

[6] 「部外秘資料」は、まさにこの精神ではないか?

[7] 横浜市も、市大病院や港湾病院を民営化しようとしていないか?

[8] 「あり方懇談会」答申は、学費値上げを公然と主張していないか?

[9] 国公立大学の「民営化」にはこの側面があろう。

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