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まんず、日本経済新聞小説大賞応募は、大変だんべ (4-2)
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 11 月 19 日 01:09:48: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: まんず、日本経済新聞小説大賞応募は、大変だんべ (4-1) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 11 月 19 日 01:06:48)

 民族言語の内部・深層・観念・思いこみが交通関係の表層としてある世界市場の再分割
と支配に挑戦したとき強暴になるのはただ神学による。イタリア・ポルトガルスペイン・
オランダ・イギリス・フランスの国々が、海洋貿易、あるいは大航海時代によるアフリカ、
南北アメリカ大陸を植民地分割し、植民地から収奪した富で、本国の産業と商業を成長発
展させていた時期、ドイツは宗教改革の火花を起こして以来、農民戦争という宗教戦争、
イデオロギ−闘争によって、荒廃と貧困のなかで観念哲学の体系の基礎工事をしていた。
ドイツ思考の徹底さは合理主義を生み、戦略的部品としての機械を現出する。ドイツの鉄
と機械はすぐれている。機械とは人間が空間に形成するもうひとつの設計思想による構築
力にちがいない。

 ドイツ思考の徹底さを継承したマルクスは、ドイツを追放されることによりパリに移住
し、そこでフランス革命運動、社会主義運動という他者との出会いによって、ドイツ言語
の内部に閉じこもっていたヘ−ゲル哲学と対決し、ドイツ観念哲学に対し戦闘を開始する。
そこでマルクスは革命運動と哲学の担い手である労働者階級を発見する。知識人とは民族
言語の内部である国家神学に閉じ込められている。その観念と思いこみのおかしさを彼ら
はしらない。

 これに対し賃金奴隷としてある労働者階級は、徹底して表層に生きている。その労働は
資本主義の歴史的空間と世界市場の数字である前衛に結合している。彼らの内部にはなに
か観念・思いこみといった深淵な神学がによって生活しているのではない。彼らは徹底し
て表層としての数字に全面的に規定され制約され、工場制度に従属し、その沈黙の労働は
金属機械と格闘し、集団的協働として生産する。独我的な思いこみの労働は機械にまきこ
まれ死を意味する。工場制度での生産は、観念哲学・神学・新約聖書が自然に動かしてい
るのではない。具体的・現実的な労働とは、社会的関係としての人間たちが数字といった
貨幣に縛られ生産しているのである。観念ではなく数字に毎秒追われ行く人間こそ労働者
である。

 私有され特権的な内部を持たぬ最後の人間として、歴史に登場してきた労働者階級にマ
ルクスは驚嘆する。
「世界事象に驚嘆する能力こそは、その事象の意味を問うことを可能とする
 前提条件である」  マックス・ウェ−バ−
 内部をもたぬ最後の人間が、もしおのれの労働を縛る工場システムと商品・貨幣が流通
する交通関係としての市民社会システム・法制度と国家システム、それらの秘密を知った
のならどうなるだろうか? 内部をもたぬ最後の人間が民族言語の神学から、思考を逆転
させおのれ自身の哲学を探求しようとしたのならどうなるだろうか?

 マルクスは内部をもたぬ最後の人間の革命性におのれの実践的思考を結合させ、商品・
貨幣それら数学が表出する資本主義システムの貌をはぎとり、かくされた秘密をあばき探
求すべく、同時代の世界市場と資本主義の前衛たるロンドンに出発する。

 世界市場を逆手にとり、マルクスは哲学・経済学の民衆的浸透を実現した。おのれが内
部をもたぬ人間として戦略的部品の労働力商品と化し、おのれの肉体的知覚をマシン化す
ることによって機械と格闘し商品を生産する世界市場の前衛の動向に直結する万国の労働
者・被抑圧民族がマルクスを受け入れ理解せんとしたのはなぜか。

 それはマルクスの言説に衝撃を受け、おのれの世界が逆転したからである。もはや昨日
の世界と今日の世界は違う。なにも思考せずなにも探求しなくてもよし、とされていた奴
隷の幸福と別れを告げ、みわたせばただ表層のむきだしの現実世界が言語としておのれの
存在をとりかこんでいる。階級はおのれの出身階級を問うとき、蒼ざめた現実原則に出会
う。眠りから覚めた朝、職場への道で、ふと考える、おれは賃金労働者という労働力を売
り物にする商品である、と。商品とは交換に向けた命がけの飛躍である。資本主義が労働
者に教えるのは幻滅の現実原則であるが、マルクスが労働者に教えたのは生涯にわたる思
想としての登山であった。こうしてイデオロギ−は存在となった。

 マルクスは徹底した思考と徹底した分析によって、同時代の表出する具体的現実原則を
再転換するジャ−ナリストの方法をもって、ドイツ観念哲学批判として、ヘ−ゲル法哲学
批判、経済哲学手稿、ドイツ・イデオロギ−、フェルバッハ・テ−ゼ。政治革命論であれ
ばパリ・コミュ−ンの動向を分析したフランス革命三部作。経済であればイギリス世界資
本主義の真っ只中で研究した資本論。マルクスの方法はつねに先行し、人間が交通関係の
表層に現実原則化させる出来事を研究し、具体的に哲学の方法でもって体系化する。具体
的な現実から抽象の旅に出て時間を下向して、再度、具体的な現実にまいもどりる。その
現実とは思考され言説となった実践的な現実である。言語によって対象化された現実とは
作業領域としてしか立ち上がらない。ありのままの人間の現実とは液体の時間帯だからで
ある。対象化の方法として弁証法はあった。思考と記述の方法である。

 重要なのはマルクスの実践的態度である。ドイツ哲学・フランス政治・イギリス経済・
おのれの前に他者として表出する前衛的出来事。こうした世界事象に驚嘆し、他者から学
び格闘することにをもって現在の表層を具体的に記述するシミュレ−ションこそ重要であ
る。前衛とは敵が表層において現出する前衛的出来事から学び研究し、再構成することを
もって現在の表象にシミュレ−ションすることが前衛の存立条件なのである。

 これをレ−ニンは一九一七年十月、ロシア革命と労働者国家の樹立として実現した。
レ−ニンは近代政党の型を資本主義政党に先駆けて形成した。内部をもたぬ労働者階級の
革命党はサ−クルの集合体であってはならぬ。サ−クルの寄せ集めがいかにして、ツア−
皇帝の政治警察に弾圧され、壊滅され、運動の流れを切断されてきたか。マルクスが内部
をもたぬ人間を発見し、最後の人間をシミュレ−ションしたように、マルクス革命的想像
力を継承したレ−ニンは、ではいかにして内部をもたぬ最後の人間を組織化し、革命党を
形成するのか? これをシミュレ−ションした。

 当時、労働者階級をもっとも組織し大きかったのは、カウツキ−を主流派とするドイツ
社会民主党であった。いわゆる帝国主義社民である。レ−ニンが他者としてドイツ社会民
主党から学んだことは、労働者存在の二重性である。労働者は近代的工場制度によって訓
練され組織されている。私有化され特権化された内部をもつ独我としての私的所有より革
命的な存在である労働者は民族言語の内部に閉じ込められ、交通関係が限定されている労
働者の意識は、労働組合運動という経済的要求としての自然発生に限界がある。自然発生
とは私的所有の欲望が不均衡衝動として発生する。ありのままの労働者はけして革命的で
はない。賃金が向上し労働条件が改善され、前時代の奴隷的工場のひどい条件の下で働く
労働者とおのれを比較し、おのれが構成員として働く近代的工場制度に自己満足すればか
れは内部をもつ帝国主義労働者として自己完結する。

 それまでの総評を解体し連合となった帝国主義労働運動はいまなお総括されていないが、
これこそは中曽根による八五年体制戦略の機軸であった。国鉄労働組合は解体され陰謀集
団が権力と蜜月な政治取引をやったのである。小沢が自民党をわって、新生党をつくった
とき、影には当時の連合会長山岸がいた。

 内部をもった人間は「国民国家」民族言語の動物的本能によって組織される。こうして
第二インタ−ナショナルは崩壊し、ドイツ社会民主党は帝国主義戦争・市場分割戦争に組
み込まれてしまう。内部をもたぬ人間がシステムの革命をめざす実践過程に登場するのは、
ただおのれがただの労働力商品として意識する階級としてである。先行意識は世界を変革
できる目的意識である。これを政治意識という。政治とは人間関係のおそろしさを社会関
係の表層において、もっともダイナミックに現出する。そこでは人間のエサ場での支配欲
望、集団場所における自己実現欲望、推論とシミュレ−ション・ゲ−ムとしての闘争、陰
謀、だましあい、暴力、それらが渦巻くエネルギ−に満ちた場である。

 さまざまな潮流が場所と空間の支配権をめぐって昼・夜、ゲ−ムの争奪戦をしている。
ゲ−ムの空間支配のための最強な職業としての暴力装置が国家警察であり国家軍隊であり、
治安維持に全体をかける、天皇の警察と天皇の軍隊はいま再起動している。

 内部の感受性を宝のように大事にする文学的人間はけして政治空間に参入してはならな
い。せいぜい声明とか署名とか選挙に出馬すればいいだろう。実は選挙とか、議会とは政
治空間ではない。儀式である。政治とは階級と階級の激突であり、ゆえに治安警察がスパ
イを送りこむ、「自国内の敵規定」となる、壮絶なイデオロギ−闘争として起動する。日
本においては明治近代から地下たるアンダ−グランドにこそ政治空間は存在し、それは現
代まで続いている。現在の国会とはやはり帝国議会として儀式を模倣している。それを報
道するメディアとは戦前をひたすら反復している。そこに本来の政治空間は皆無であろう。
階級闘争としての政治空間は文学的人間の感受性を壊滅させるであろう。

 むきだしの表層、ゲバルトとしての政治空間は幻想としての人間の内部いっさいを殺ぎ
落とす。アンダ−グランドにこそ政治空間は沸騰し、マグマとしてイデオロギ−は生成し
ている。帝国主義市民としてのわれわれは、そこへ降りていけば、自己が粉砕されること
を動物的本能として予感している。ゆえにおそろしいのである。われわれの自己遺伝子と
模倣子はすでに義務教育とメディアによって尊大な市民として培養されてきた。しかしな
がらその刷り込みの書きこみが嘘であることは、蒼ざめた資本主義の裸となった現実原則
によって自覚している。

 あたしのまわりは他人事な仮想現実でほんとうのことはかくされいる。健全な市民とし
て培養された自己遺伝子と模倣子とは国民言語であるが、その下降にもうひとつの本来の
動物としての自己遺伝子と模倣子が再起動をいまかいまかと待っているのを、ある日突然
瞬時に気づく。こうして風景はかわる。昨日の日本は今日の日本ではない。新撰組が活躍
した幕末期から本来の日本その現実原則はアンダ−グランドにもぐりこんだのである。こ
うして近代的自我としての感受性は崩壊し、帝国主義と資本主義の二十世紀を商品として
命がけの飛躍を作動させる。それがイデオロギ−の作業領域であろう。

 USAにおいてもベトナム戦争・湾岸戦争・バルカン症候群としての戦争が出来事とし
て現出するのは帝国主義と資本主義のはざまである国内からである。ある日、突然、帰還
兵は悪夢によって戦争を個人的に再起動させてしまうのだ。かれは兵士として生産をゼロ
へと壊滅させ消費させる資本主義の反復運動を組織として体現した。兵士としての商品は
完成品として仕上げられればられるほど、そのソフトはウィルスとなり、帰還兵をして、
市民が集うレストランで機関銃を発射するのである。なぜなら生産を壊滅させる商品は生
産する商品へと、なかなか転換できないからであろう。労働力商品を資本論としてあらわ
したマルクスが再登場している理由がここにある。USAはマルクス資本論の典型として
おのれを自己実現させるであろう。


 なぜ、わたしがこうした理論作業をしているのかといえば、わたしが鬼怒一族の子孫だ
からである。そしてわたしの妻、真知子は有留一族。鬼怒一族と有留一族は市民社会には
けして回収されえない特異的存在である。われわれの歴史と現在は記述化と説明されえな
いアンダ−グランドにある。世界恐慌としての経済金融クラッシュは、いずれにおいても
かくされてきたアンダーグランド昆虫情報体が飛び出すに違いない。デジタル資本主義が
丸裸にするのは基本的運動構造ではなかったか? マルクスが市場経済といわなかったの
は市場経済など、古代から存在していたからである。近代の資本主義は、最後の人間を現
出させるだろう。資本主義の運動構造とはやはり人間をめぐる問題なのだろう。

 近代の内部とは私的所有としての心理学であろう。“わたしの心こそ資本主義の私的所
有・最後の砦”であろう。ゆえに資本主義は出来事を分析するとき心理学者を動員する。
数字は精神分析でするがよい、とするのがマルクスへの破綻した対抗ではあったが、すで
に近代精神分析としての心理学も破産している。“思いの強さ”という心理も資本主義私
的所有の最後の牙城であろう。

 内部をもたぬ人間は弾圧・投獄・敗北・無力・絶望、つくっては破壊され、再建しては
破壊される連続的経験を通して、敵から動物的本能として学習するのである。

 レ−ニンはツア−皇帝に対する青年貴族の反乱・人民意志派の革命的伝統「人民のなか
へ」、こうしたロシアの政治革命運動の敗北から学び、継続は力とするためには何をすべ
きなのか? レ−ニンの兄は「人民の意志派」として皇帝の暗殺に失敗、牢獄で銃殺され
た。この執念からレ−ニンはいかに勝利する組織を形成するかのシミュレ−ションを起動
させる。帝国主義政党もふくめて、今日の政党の原基はレ−ニン組織論が現出した表層の
流れにある。自民党もレ−ニン組織論を採用していなければ露となって消滅していたであ
ろう。

 党員条件の明確化、全国政治新聞の発行、党大会、中央執行委員会(執行とは行政であ
り事務管理生産能力とコマンド指令として行動委員会)、支部に対する上級機関としての
地区・県委員会、それぞれの名称は違うが、自民党でさえ組織構造の形は中央集権として
のレ−ニン組織論である。党員の条件があいまいでサロン的なサ−クルの寄せ集まりでは、
今日の緒潮流が激突する政治空間をたたかうことはできないし、レ−ニン組織論が骨格と
ならなければ、近代政党として形成できない。二十世紀とは組織集約である。ロシア革命
は商品としてのプロレタリア−トが命がけの飛躍をした世界の場所であった。つまり資本
主義を先行したのである。それはつまりレ−ニンが資本主義と帝国主義を対象化するのに
成功したからであろう。

 ロシア革命後、レ−ニンは青年たちに訴えた。マルクス主義を主体化するためにはその
前提であるヨ−ロッパ哲学史を学ぶ必要がある。マルクス主義とは資本主義を分析する方
法であるから、ギリシア哲学からはじまるヨ−ロッパ哲学と経済学の総括の体系軸として
ある。だからその前提を学ぶことを怠ってはならぬと。

 みすぼらしくきたならしい現実に生き、貨幣がなければ路上街頭生活へと追放され死ん
でいく、内部をもたぬ貨幣という数字に徹頭徹尾規定され、内部をむたぬ数字によってお
のれの生死の条件を、生活において制約されているものこそ、プロレタリア−トである。
これが内部をもたぬ最後の人間として世界市場に接続している。この世界はいつのまにか
資本と商品によって脈管が形成されてきた。これが二十世紀であった。自然もまた商品で
あった。これが現在の世界システムであり、USAには資本の国家・多国籍企業が中央集
権としてアップロ−ドする利潤をわがものにすることのできる皇帝が幾人も住んでいる。
皇帝と労働力商品としての奴隷の関係は古代いらい変わりはない。商品とはダウンロ−ド
であるが資本とはアップロ−ドである。

 みすぼらしくきたならしく矮小であり卑屈なわれわれ市民が、マルクスの言葉に出会う
とき。もう、いやだ。もう、こりごりだ。ちくしょう。ちくしょうめ。くそったれ。あの
やろう。バカにしやがって。殺してやる。なめるなよ。いまに、みてろ。だめだ。
だめだ。もう、おれはだめだ。なんてぇ、こった。ちくしょう。これが、おれの人生か。
負け犬になってたまるか。その前にあいつを、ぶっ殺してやる。マルクスの言葉はこうい
ったむきだしの世界市場の表層から、おのれが商品であったことを自覚させ、階級と階級
のはざまの眠りから、階級形成への登山、その一歩を開始させるのである。

 世界市場とは強制収容所であり、スピ−カ−からウィルスイデオロギーの演説が流れる
と、囚人たちは感動に涙した。偽りの市場主義イデオロギ−は葬られた。強制収容所はス
トップした。市場経済自由化の失敗である。囚人にとっていま必要なのは、リスクを恐れ
ず思考錯誤を繰り返すことだ。九十年代とはクリントン政権のもとでユダヤ金融ネットワ
−クがグロ−バルの名のもと、全世界プロレタリア−トを囚人とした、強制収容所からの
大量虐殺への逆襲である。九十年代とはユダヤ自己遺伝子と模倣子が世界市場を制覇し全
面展開した十年間であった。ゆえに文明の衝突としてのユダヤ人問題。ユダヤ人がバビロ
ン帝国の奴隷からはじまり、エジプト帝国の奴隷、そしてロ−マ帝国の奴隷からヨ−ロッ
パの奴隷、商品創造と金融創造の能力があるゆえ、どこの帝国においても財政を担当させ
られ、庶民から嫉妬され、ゲット−に囲い込まれてきた。

 ゲット−とは強制収容所である。資本主義の勃興とともにユダヤ人はゲット−から国家
財政さえも左右できる存在となり、ヨ−ロッパはユダヤ人問題に頭を悩ます。その最終解
決を施行したのがナチスであった。ユダヤ人を強制収容所のガス室へおくりこんだのはヨ
−ロッパ民族資本主義の総体の意志であったことを忘れてはならない。ゆえに能力がある
ユダヤ人はUSAへ亡命した。そして第二次世界大戦から五十年をかけて世界資本主義を
製造の商品から金融商品へと転覆したのである。九十年代はその爆発であった。イスラエ
ルがイギリスとの武装闘争で独立を勝ち取ったように、ついに金融世界市場においてユダ
ヤはアングロサクソンから独立し、おのれの動物的本能である自己遺伝子にとりこみ、グ
ロ−バル金融世界市場を模倣子が全面展開する養豚所としたのである。すでに日本が誇る
庶民の貯蓄資産がかれらによって収奪されているのは自明である。いまとはユダヤ五千年
と中華五千年の文明間闘争の季節であり、これが二十一世紀ゼロ年代としての十年間であ
ろう。一方がドイツファシストによって大量虐殺された悲惨な歴史をもつなら、中国も日
本ファシストによって侵略され千万人以上が大量虐殺された悲惨な歴史を内包している。
つまり堂々と歴史を語れる子孫たちなのだ。歴史を語れるものこそがグロ−バル市場へと
命がけの飛躍ができる。

 ソ連解体後、ユダヤ人はロシアからイスラエルあるいはUSAへ転出していったが、そ
の後、ロシアは機能を停止し、世界市場から見放された事実を、もってしても、いかにユ
ダヤ人の能力がその国のシステムを担っていたかがわかる。

 すでにファシズム同盟国に勝利した第二次世界大戦のイギリス・USA二重帝国の正義
英雄物語は九十年代にすたれてしまっていた。かわりに登場したのがユダヤ人が過酷な強
制収容所で「どう生き延びた」かである。これが、労働力商品としてリストラの嵐からど
う生き延びるかをめぐる世界プロレタリア−トにとって、身近な問題として受け入れられ
た。強制収容所ではまさに人間のからだから石鹸や数々の商品を生産するという資本主義
の極限を誕生させた。市場の選民たるユダヤ人がその商品原料となったことば文明の皮肉
である。こうした修羅場での商品生成を死の恐怖が日常であった現場を通貨したユダヤ人
のグロ−バル金融戦略とネットワ−クがいかなるものかは、われわれの想像を絶するだろ
う。資本主義とは商品と消費の関係であり、つぎなる商品を消費してもらうためには、こ
れまでの世界を破壊しなくてはならない、それが戦争である。

 戦争は世界恐慌という形でもあらわれる。一度ご破算にするのだ。やがてくる世界恐慌
は、アングロサクソンの二十世紀形態をご破算にするに違いない。グロ−バル世界資本主
義とは富の一極集中であり、そこにおける金融商品の瞬時のマネ−ゲ−ムなのだ。ロシア
革命70年で蓄積してきたソ連の富は、USAの巨大資本家に回収され、九七年東アジア
金融危機においても富は、USAのある頂点へと回収されていった。高度経済成長の過酷
な労働で死亡するほど働いて形成した日本全般の富も九十年代においてUSAの富豪に回
収されてしまった。日本に残ったのは砂漠の富としての天文学的な国家財政赤字である。
今日の世界市場とは冷酷にして富がひとりに集中する一人勝ちのシステムなのである。ゆ
えに資本原理はマルクス資本論以上に原理化しているのだ。これに対抗するために、西ヨ
−ロッパはEC統合としてユ−ロを形成した。ひとりの富のために全世界プロレタリア−
トは労働する商品となる、これを帝国主義市場原理という。資本主義の極限を通過した工
場制度こそ強制収容所であり、人間はいまなお商品なのである。

 われわれ市民の日常とは、もう、いやだ、もう、いやだと思いながら毎朝、決
意をこめて肉体知覚を武装し、おそろしい人間関係の現場で、無から有を生み出す商品誕
生のために格闘する。これが表層であり現実原則である。自分の肉体におのれみずからム
チをうって自己動員しなければ、家賃も払えず、路頭に投げ出される。

 われわれ市民の壁とは世界市場であり、われわれの内部とは市場の競争と戦争
に規定され、全面的にシステム設定されている。内部とは商品を手に入れることによって
誕生し、喜怒哀楽とは交換によって規定された感情である。興奮と幻滅とは交換であり、
実はセックスも商品と商品の交換である。恋愛も商品と商品の回路である。かくしてマル
クス唯物論は商品を解明し、資本主義からどう人間が脱構築できるのかを人間的社会ある
いは社会化された人類の表層において探求する。

 それまでの哲学は現実を人間的あまりに人間的に自己解釈してきた。民族言語たる動物
的本能たる自己遺伝子と模倣子の内部たる深層の神学にとりこまれてきた。マルクスはこ
れを商品の解明において表層へと転倒したのである。自然的人間は商品へと進化した、こ
れが近代から今日の戦争と革命の世紀であった。人類とは商品である、これが資本主義文
明である。そこにおける民族主義とは世界市場に規定された商品と商品の差別化と差異を
ありあまるほどに主張しているのだ。イデオロギ−もまた、ヘ−ゲルがそうであったよう
に世界市場に対抗する商品である。ゆえに世界市場の戦争と革命は民族および部族戦争と
して現出する。今日のアフリカ現象こそがわれわれ市民の未来を先取りしている。
文明とはやはり砂塵へと帰還するのだろうか?

 ユダヤ教徒はヨ−ロッパキリスト教世界そのものを信用していない。いつまた再び自分
たちがキリスト教徒にだまされて強制収容所送りになるかもしれない恐怖をもっている。
ゆえにソビエト連邦が崩壊したとき、ドイツ全体主義の暴力としての反復が自分たちに襲
いかかるであろうことを予測して、イスラエルヘ集団移住したのである。ヨ−ロッパ・キ
リスト教世界はすべてユダヤ人迫害をドイツに罪と背負わせ、いまなお、歴史的謝罪はユ
ダヤ教徒世界にしていない。キリストを裏切ったのはユダとされ、この神話はいまなおキ
リスト教徒世界の根源的物語である。九十年代はユダヤがクリントン政権にのり、金融ネ
ットワ−クによって、資本主義をユダヤ原理主義へと誘導したのである。

 それが文明の衝突であり五千年の民族歴史が内包されている。ゆえに世界とはおそろし
いのである。ユダヤ人が金融において強いのは「ある民族が生き長らえる秘密は敗北を受
け入れるその能力にある」という一点にある。そして九十年代の金融マネ−ゲ−ムはつい
国民国家を商品として生成した。資本主義はまさに、地球規模となって、国家は商品とし
て格付けされるのである。一九七二年固定相場から変動相場に転換してから三十年が経と
うとしている。 

 ユダヤ人であったマルクスのシミュレ−ションとインスピレ−ションは、旧約聖書以来
の長いユダヤ人の旅と時間が存在していたからこそだと思われる。アインシュタインもユ
ダヤ人であったが、ユダヤ人から天才が出現するのは、古代からの悠久時間との日常的対
話であると、かれは自伝でのべている。ユダヤ教のバイブルである旧約聖書はキリスト教
とイスラム教という世界宗教の原典である。日本の天皇神学が世界宗教になれないのは、
あらかじめ人類観が喪失しているからである。古事記にしても日本書紀にしても司馬遷
『史記』の盗用にすぎない。ゆえに日本とは古代から他者のソフトを盗用し、おのれのも
のとでっちあげる能力にかけては世界一番なのである。ペテン師と詐欺師による捏造こそ
がその動物的本能としての日本イデオロギ−であることは、すでに世界で暴かれている。
ペテン師と詐欺師はおのれの歴史を総括できない。現実原則がだましだまされの自己解釈
関係だからである。日本とは他者によってしか発見されえない特殊な場所なのだ。ゆえに
現在の時間のみとなり、時間は不断に消却され、あたらしい、だましとだまされの営為と
向かう。こうして歴史は日本外部によってしか認識されない。

 マルクスは内部に深層の時間をもっていたからこそ、内部をもたぬ最後の人間を発見で
きた。さらに市民社会の特権的内部と、内部をもたぬ表層に表出する流通の貨幣と商品の
秘密をあばいた。マルクス以後の帝国主義による世界市場とは、すでに国家さえも商品と
なった。その前衛こそ為替相場である。瞬時における為替相場とは国家通貨をめぐるマネ
−ゲ−ムであるが、国家=金融商品である。売られた国家は暴落する。それが九七年にお
けるアジア金融危機であり、これを総括しマレ−シアの指導者は固定相場にしたのである。
USAが覇権を握るIMF=ガット世界体制とは、USAのただひとりの富豪のために多
様な国家を商品と変換したシステム設定であった。まさに国民国家とは商品としての資本
主義原理であり、これが現代の資本論なのであろう。敗戦後、日本はUSA主導によりサ
ンフランシスコ条約からIMF=ガットシステムに組み込まれてきた。日本は商品となっ
たのである。

 商品の価格を高くするために、国内の革命勢力と成田空港に反対する土地を強制収容で
取り上げられた農民の運動を、膨大な国家機密予算をつかい壊滅してきたのである。すべ
ては国家という商品創造のためであったが、いまや成田空港は国際空港としてもアジア国
際競争力から脱落しようとしている。空港という商品でさえも、世界市場から価格比較さ
れ、成田空港や関西空港はかれらが第一価値観とする市場主義によって敗北した。九〇年、
ブッシュ政権から突きつけられた日本の貿易黒字を解消するための構造障壁交渉、そこで
国内需要として六〇〇兆円の公共事業のUSAへの約束。九十年代はまさに海・なぎさを
破壊し、山林道路建設という、全国いたるところで大規模工事が勃発した。

 しかし、九十年代の官僚はそれが実は商品創造であることを忘れていた。世界市場から
切り離され国内で自己完結できる商品などもはや存在しない。われわれ市民とはすでに世
界市場によって規定されている。国内旅行より近くの海外旅行の方が安ければ、海外を選
択するだろう。これが世界市場である。ゆえに九十年代の大規模公共事業は廃墟となるの
である。砂漠に残ったのは天文学的な赤字国債借金地獄である。

 バブルの戦犯である宮沢大蔵卿が九十年代にやったことは印刷機経済である。九十年代
とは、まさに借金による国家バブル商品だったのである。あれほど公共事業をてがけたゼ
ネコン(大手建設会社)が大量の不良債権をかかえ、倒産寸前にあるのは不思議である。
実はかれらは本業ではなくマネ−ゲ−ムで失敗したのだ。かれらがもうけた富はすべてU
SAのプレイヤ−に収奪されてしまったのである。六〇〇兆円の公共事業をUSAが日本
に約束させた九〇年とは、すでにUSAのプレイヤ−たちは日本公共事業システム、暗闇
市場といわれていたゼネコン、暗闇システムといわれていた建設省など、デ−タ−化され
全面的に分析されていたのである。なぜか?。それらは世界金融市場にとって商品だった
からである。商品とは裸体にされ明るい間昼間のテ−ブルにあげられる。秘密は女性性器
たる“おまんこ”をペンライトで、真剣に擬視するストリップのすけべな観客のごとく、
商品とはさらされる運命にある。

 商品とはまさにストリップ劇場におけるセックス交換である。その交換もまた商品とし
て観客を楽しませ興奮させる。ストリップ嬢が「つぎはだれ?」とひさし指でウエルカム
をするとき、プレイヤ−はまっさきに手をあげるのだ。九十年代の日本とは世界金融市場
USAのプレイヤ−にとってストリップ嬢の“おまんこ”であった。

 指名されたあなたは競争に打ち勝った幸福にあり、服をぬぐ。やがて裸体のあなたはス
トリップ嬢の指示により、男根を天に向けて寝る。やがてストリップ嬢はおしりをそこに
移動させ、みごとあなたの“きんたま”をおのれのぬれた入り口にさそう。ぐっと、あな
たのきんたまは吸引されていくのだ。ストリップ嬢のしろいおしりの上下運動がはじまる。
観客は“きんたま”と“おまんこ”の結合に集中する。“おまんこ”の肉ヒダが“きんた
ま”吸い付いている、はなさないと。“おまんこ”は“きんたま”の根元まで降下すると、
またうえにあがる、でも“きんたま”ははずれることはない。この商品としてのセックス
上下運動こそ株式市場である。何億人もの視線がそのプレイヤ−たちセックスに集中して
いるのだ。商品とは交換という上下運動の熱のまさつでありヒダラである。銀行で為替相
場を仕事でやっている女性から、ある飲み屋で聞いた話だが瞬時の判断が左右する仕事に
没入しているとき、あすこが濡れてしまうそうである。あれは、どんなセックスよりも興
奮するの、と。そして幻滅がやってくるの、と。

 マルクス以後の資本論とは商品分析の基礎となり、実証主義の基礎となった。マルクス
はギリシア哲学を再発見したルネサンス以降の近代哲学を総括し、その内部とは神学と市
民社会の私的所有としてのアトミズムによる世界の解釈にすぎないことを発見した。精神
の運動・闘争としてある私的所有としての内部をもつ閉じられた円環の哲学を、実践の空
間としての存在へ、人間関係が裸体としてむきだす表層へと転倒したのである。

 近代的工場制度でのシステム化された戦略的部品としての労働。機械を操作格闘し、お
のれ自身の肉体的知覚を機械と同期させる武装せる労働。これら内部をもたぬ労働者の工
場制度は軍隊と同様だ。その労働は常に危険であり、かれの肉体的知覚と筋肉は緊張して
いる。その反復作業は軍隊の基礎である行進に相当する。また機械の操作と格闘は軍人に
とっての武器使用である。野外で仕事をする土木・建築でも近代的工場制度は貫徹されて
いる。

 第二次世界大戦においてアングロサクソンの軍隊が、ヨ−ロッパ戦線と太平洋戦線にお
いて、ファシストの軍隊をひとつひとつ徹底的に撃滅し、勝利していったのは、イギリス
産業革命以来の近代的工場制度における労働者の組織された工場訓練であった。USAに
おけるフォ−ド型大量生産の巨大化した工場制度こそが、USA労働者を日常として訓練
しガムをかみながらであっても、日本帝国の海軍・陸軍を徹底的に殲滅した。重要なのは
人の要素なのである。

 これに対し日本とドイツの軍隊は、「土と血」といった精神の国家神学によって形成さ
れていた。日本であれば神としての天皇であり、ドイツであればヒットラ−「わが闘争」
におけるロ−マ帝国を北方ゲルマン民族が再興するという第三帝国民族神学だった。内部
と深層によって骨格付けられた軍隊は、最初、世界をだまくらかす電撃作戦として、勢い
はあるが、元来その思想と価値が強力な内部である超越的神学による閉じられた円環であ
るため、実践的な戦場である戦線の現場分析を誤り、戦略的敗北をまぬがれない。神学の
主体は外部としての、むきだしの表層を排除してしまう。神学は永遠の自己解釈であるか
らおのれの都合が悪い論理は排除するのである。神がかり的超越的な力が存在すると思い
こむ担い手は、世界市場のまえに敗退する。

 ドイツも日本も近代的工場制度は形成されていた。そしてドイツの産業革命における発
明と合理的な金属機械類の体系は強力。またドイツ医学と化学は世界の先頭を走っていた。
しかしながらドイツ・日本の資本主義はアングロサクソン型の自由発生型資本主義という
市場の見えざる神の手にまかす自由性はなく、国家計画デザインの下に成長した資本主義
だったのである。

 一九二九年ニュ−ヨ−ク発「アメリカが死んだ日」株式暴落、世界恐慌同時大不況の突
入と戦乱の三十年代。イギリス・USAはケインズ社会政策をとりいれる経済政策によっ
て資本主義の循環危機を保守。スペインにおける人民戦線政府の誕生とそれをめぐる反動
勢力の転覆攻撃。ドイツ社会民主党の労働組合運動と選挙運動を帝国主義社民と批判し、
社民内分派闘争としてリ−プクネヒト・ロ−ザ・ルクセンブルクによるドイツ共産党の創
出と、その指導による労働者武装蜂起の失敗。このとき、ドイツの政治空間は選挙ではな
くドイツ共産党員三十万人と、あたらしく勃興した国家社会主義党の街頭であった。スタ
−リンに忠実であったドイツ共産党は三十万人の党員をかかえながら、ドイツ労働者の指
示を失い孤立。ナチスたる国家社会主義党は金融・銀行攻撃とユダヤ人排撃と反共突撃隊
によって、急速に支持を拡大し、やがて選挙で第一党になる。ヒットラ−は国会放火がド
イツ共産党であるとする捏造によって、ドイツ共産党を壊滅。ナチズム運動の爆発的拡張
は国民的運動となった。なぜ、ドイツ共産党が敗北したかといえば、当時のスタ−リン指
導による世界共産党たるコミンテルンが「労働者の祖国ソビエトを守れ!」が第一方針だ
からである。国家社会主義党と競り合っていたとき、ドイツ共産党の演説は、「コミンテ
ルンはこういう方針をだした!労働者の祖国たるソビエトをまもれ!」という国際主義し
か演説できなかった。ドイツ労働者の動物的本能の自己遺伝子と模倣子に接近できた演説
は国家社会主義党の側であった。ナチズム突撃隊は資本主義への憎悪を扇動したのである。
資本主義=ユダヤ人となり、商人たるユダヤ人は排斥された。これが近代市民社会の原罪
である。ドイツ革命の失敗は世界史に大きな打撃を与えた。結局、プロレタリア−トは、
ナショナル(国)からインタ−ナショナル(国際)へ転換できるのか? という命題であ
る。

 ドイツ社会民主党が中心になってつくった第二インタ−ネショナルにおいては、プロレ
タリア−トは国民国家に組織され、戦争に動員されてしまった。人類という概念ははたし
て存在するのかということである。同類どおしが殺し合いをやる人間とは、はたして類的
存在であるのか? という根底的懐疑から人間存在に絶望するニヒリズムは誕生する。二
十世紀の哲学的命題はすべて第一次世界大戦後に出現してしまっていると、いわれている。
敵対し国民国家どおしの世界戦争に愛国主義により戦争に賛同し解体した第2インタ−ナ
ショナルの反省から、ロシア革命勝利による全世界労働者の鼓舞と高揚からレ−ニン指導
によって誕生したのが、第三インタ−ナショナルである。しかし、レ−ニン死後、スタ−
リンによって、「全世界労働者は労働者の祖国ソビエトを帝国主義とファシストから防衛
せよ!」に転換させられた。この革命的批判として、スタ−リンとの党内闘争に敗北し追
放されたトロツキ−によって建設されたのが、第四インタ−ナショナルであった。ユダヤ
人であったトロツキ−は世界共産党の悪魔として固有名詞にされてしまった。いわゆる
「トロッキストの策動」という固有名詞である。こうしてトロツキ−はスタ−リンが放っ
た暗殺者によってメキシコで頭蓋骨をピッケルで割られるという思想者特有の暗殺のされ
方で殺された。日本においては一九七七年、ある党派がおのれの哲学と政治思想を批判す
る敵対党派の最高指導者を二名暗殺した。その指令の方法はスタ−リンと類似していた。
まず、頭蓋骨を叩き割るのである。永遠にその頭から思想と言語が飛び出さないように、
まず頭蓋骨から殲滅するのであろう。

 これこそがイデオロギ−戦争の現実原則が激突するアンダ−グランドの政治空間である。
「自民党の汚職には怒りの一票で」などと、はしゃいでいる近代市民社会には、本来の政
治空間などは存在していないばかりでなく、市民社会とは成人式の晴れやかな、つぎから
次へと出現する衣装の豊富な量であり、不断に自己の裸身を着飾ることが制度となってい
る。市民社会とはアトミズムなのだ。動物的本能をかくすことに最大限のエネルギ−をさ
くのである。ゆえに疎外された仮想関係として成立している。市民社会とは人間が商品で
あることを前提とする不断の商品再生産システム装置。ゆえに商品を汚し分析し批判する
イデオロギ−は嫌悪されるのである。「あなた暗いわね」と。たしかに七十年代は暗かっ
た。国家権力に反対する青年たちを、「あいつらは、連合赤軍だ、きおつけろ」こうした
言葉で、自己を正当化し、ひたすら、経済とマイホ−ム獲得に奔走してきたのである。自
分の企業がもうかれば自分の給料があがる、という高度経済成長が国民的価値観であった。
土地を取り上げられた三里塚農民の叫び声も全国農業協同組合は無視したばかりでなく、
国家官僚の指示で、農作物を市場から排除したのである。国家に反対するものには、徹底
した弾圧と排除を!アンダ−グランドにたたき落とせ! これこそが市民社会の原罪であ
る。ゆえに日本とは明治近代成立時からふたつの空間に分裂してきたのだ。アンダ−グラ
ンドにおいては何人もの政治青年たちが殺され、あるいは思想において自殺してきた。情
念のマグマと鬼怒一族・有留一族の古来からの怨霊は通底している。

 現在の日本における根底的危機とは、六十年代から七十年代の街頭世代としてのスチュ
−デント・パワ−を上部構造とシステムに迎え入れなかったことによる。フランスでは六
八年パリ五月革命世代を八十年代の社会党ミッテラン政権時において文化大臣にまでさせ
て、歴史が迎え入れることに成功した。USAにおいても、クリントン・ゴア政権として
迎え入れることに成功した。中国においても紅衛兵世代は指導的立場で活躍している。し
かし日本はこの世代を政治から徹底的に排除した。ゆえに日本の団塊の世代はある無意識
な動物的本能をもって、日本解体を促進している。全共闘世代は街頭と社会において侵略
戦争を経験した軍人世代によって敗北を強いられたのである。日本システムが受け入れた
のは、六八年世界街頭運動への傍観者であった人間か、あざやかに変節した人間のみであ
った。世界的に街頭パワ−として表出した団塊の世代とは、第二次世界大戦後すぐに誕生
した世代である。その自己遺伝子と模倣子には世界大戦が根源にある原子を内包している。
原子爆弾の世代といっても過言ではない。ゆえにおそるべき世代なのである。九五年オウ
ムによる無差別テロとして東京中枢に戦争を行使した戦略参謀としての人物はこの世代だ
った。まさにアンダ−グランドからの市民社会に対する正義なき最初の一撃であろう。

 世代圧殺の森として霞ヶ関を敵と射程したのはなぜか? 問題は有名大学出身の三十歳
代というスキル世代ではない。問題は六十年代から七十年代を街頭へと疾走した世界紅衛
兵世代である。パリニュ−ヨ−ク・ワシントン・北京・ソウル学生四月革命・そして日本
各地の都市と大学・高校その地球的連動とは、やはりこの世代が原子爆弾という、ある物
質とある物質が衝突するとき、すざましいエネルギ−が表出するという原子を、おのれの
動物的本能たる自己遺伝子と模倣子に核として作動させているからである。あいまいな態
度に終始して日本全国のお客さんを失望のどん底たる幻滅をあたえてくれた自民党・加藤
六十歳世代はよく「日本をダメにしているのは責任を回避する五十歳代である全共闘世代
だ」と、憎悪して、言う。しかしかれらの弱点は、自民党・加藤によって明らかになった。
いわゆるマス・メディアにたいする根底的懐疑が欠如しているのだ。たしかに社会人とし
て優しき大人ではあるが、おのれをめぐる情勢分析が、あまりにも自己解釈として作動す
るのである。いわゆる戦争をしらないのであり平和でなければならないという、神話にあ
る、小ブルジュアとしての典型である。

 「およそ、戦争は人間の弱点を前提とする。そしてまさにこの弱点を衝くことを本旨
  とするのである」                クラウゼヴィッツ『戦争論』

 ところが現在五十歳代としての団塊の世代は、その青春時において、同世代が党派闘争
として戦争をしてきたのである。かれらは子供の頃からエネルギッシュに同世代人口が多
いため競合してきた。まさに競争によって鍛えぬかれた世代であり、知識欲は優れている。
そしてかれらの動物的本能たる原子は戦争であるから、組織形成は軍隊として自然生成さ
せることができる。運命づけられた組織者なのである。そこに六十歳代のごとく、「あれ
も、これも」という逡巡はない。まさに農村から北京に結集し文化大革命をなしとげた紅
衛兵の世界同期世代なのだ。

 日本は再度この二十一世紀ゼロ年代に、アンダ−グランドから第二撃が、出来事として
現出することは間違いないであろう。この帝国主義市民社会とアンダ−グランドが、ふた
つの日本として分裂進行していることこそが、最大の危機なのである。これをマトリック
ス政治空間という。二重言語と複合、いまなお、われわれは寺山修司と三島由紀夫の呪縛
にある市民社会に生きている商品である。

「出口なし!」と叫べば、出口という実名の日本人がヨ−ロッパ旅行で事故にあいメディ
アに登場する。寺山修司はあの世からこの世を演劇化しているのだ。寺山修司は神となっ
た。寺山修司から脱出する方法は、徹底的に寺山修司を分析し論じ言説化することである。
対象を言説としてもちあげれば、おのれのなかで対象は自壊する。わたしは以前その意欲
があったが、いまは無理である。その逆に、どんどん寺山修司本体に回収されている。い
ま、わたしにできることは、寺山修司の言葉に近づかないことである。寺山修司がやらな
かった問題群をテキスト化するしかない。わたしは三島由紀夫よりも寺山修司のほうがお
そろしいのだ。三島由紀夫は近代主義者であったから、恐怖ない、かれがかかげた天皇主
義を自壊するために、一九七〇年十一月三島事件にショックを受けた時点から、日本とは
なにか? そして天皇とはないか? おのれのなかで三島由紀夫と天皇制を自壊させるた
めに、アンダ−グランドたるもうひとつの日本に亡命したのである。その自壊は自己完結
ではなく、他人に向けて説明しなくてはならない。ゆえにウィルスイデオロギーなのであ
る。

 日本天皇神学国家による中国侵略の開始と、国内における日本共産党の壊滅。在日中国
人・在日朝鮮人への排外政策とアジア人蔑視による大和民族血液主義の国民的統合。軍国
主義とは天皇が現人神としての真理であり、その真理の担い手が侵略軍と軍人であるとす
る絶対的価値観をもつ内部・深層が表層を固定し、融和する軍事統合社会である。朝鮮は
36年間にわたり日本帝国が侵略植民地したのだが、「立派な兵隊を出すために国語生活
を実行しよう!」が植民地朝鮮での標語であった。国語とはつまり日本語であるが、当時、
学校で朝鮮語を使用したら鞭打ちの刑が強行された。日本の残虐性は隣国から民族言語と
名前を禁止し日本語の名前へと強制したことにある。これが日本官僚の近代合理主義の典
型である血液主義であるといわれている。国語=国家である。ドイツでは、自分たちがい
かなる残虐行為をしたのかは歴史教育として義務教育の根幹とされている。日本はおのれ
の歴史教育をごまかし排除してきた。すでにそれは55年の格差がある。半世紀にわたり、
日本はおのれ自身の過去を、なきものとして、あつかってきたのである。ゆえにおのれの
過去は瞬時に忘却するシステム設定されている。なんという自己欺瞞であろうか。そこに
おいてはなにが正義でなにが不正であるのか、判断ができない人間のみが学校から送り出
されてくる。こうして正義と国民主権の担い手はマスメディアと置換される。不正を報道
するマスメディアこそが国民の固有名詞である。とにかく労働力商品としてのわれわれ帝
国主義市民は生活に追われ過酷労働で時間の戦争をやっているのだ。こうして街頭から不
正を弾劾する人間はそして誰もいなくなったのが、都市の砂漠である。

 政治活動とはマスメディアにまかせておこう。おれたちは享楽にひたる居酒屋で。天皇
の存在をうやまい、読み書きさえできればいとするのが日本教育の最低条件である。あと
は競争と競合という勉学戦争のなかで高度な労働力商品を形成するというのが近代的工場
制度としての教育制度である。まさに教育とは商品を排出する工場である。侵略戦争と植
民地収奪の歴史を教えることは、日本国家という商品をみずから傷つけることになる、そ
れは徹底的に排除されるのである。教科書もまた商品である労働力商品予備軍を洗脳する
ためのマニュアル商品である。商品の基準管理として教科書検定はされなければならない。
文部省とは異端を排除する法王庁なのである。そこでは国家の機軸である国語をウィルス
から監視する機関である。居酒屋で飲んでさわいで楽しければそれでいいとするのが九十
年代であった。

 現代の帝国主義国家とはもちろんG七という(USA/イギリス/フランス/ドイツ/イ
タリアカナダ/日本、プラス一としてロシア)である。市民たるわれわれがこの資本主義
システムに生活している以上、おのれの能力を不断に他者と比較し判断する日常から逃げ
ることはできない。かくして評価の基準は数字となる。こうして市民の動物的本能たるア
トミズムは誕生する。アトミズムとは自分のことで精一杯という明日に追われ行く分節さ
れた人間である。力学的人間関係にわたしは規定され、自己防衛が思考の骨格となる。資
本主義の原理は他人をだまくらし、物質として利用しようとするペテン師・詐欺師と消費
されるものとの関係が原基であるため、いつも心理は利用されまい、だまされまいとして
他者にたいして武装する。男と女の関係も、だまされまい、利用されまい、とする疑惑の
関係となる。自然な関係はいつのまにか歪曲されてしまう。アトミズムの労働力商品・そ
の戦士たる男は、女を慰安のセックス対象として柔らかなセックスマシンとしての肉体を
求める。この商品の男に規定された女は「常に商品から肯定され、商品に守られ、商品に
相手にしてもらわないと不安になる」といった性的武装に着手する。これが資本主義の循
環運動である。ゆえに不況であっても、この日本ではブランド愛がどうにも止まらないの
である。男の精液も女の愛液がとろりとしろいように、しろいひとたる西ヨ−ロッパから
のブランドとセックスしたくてうずうずしているのである。そのような世界イメ−ジは大
航海時代17世紀に形成されてきた博愛主義である。文化的植民地の実態がここにある。い
まなお日本の男は西洋人にコンプレックスをもち、日本の女は「日本の男はどうせ金髪が
好きなのよ」と日本の男に不信の目をむける。そして日本の女も西洋人とのセックスをひ
たすら夢にみるのである。

 植民地文化の男と女は近代的自我というおのれが独立していない。ましてその自我は天
皇制に依拠しているために、自己内面との対話に出会うことが壁となって困難である。ゆ
えに日本は人間的内容を喪失した未来社会といわれるのである。ゆえに簡単にロボットと
の共存は可能となり、ロボット最新国となるのは間違いない。内面と対話するよりロボッ
トと対話する同期社会はすでに開始されている。やがてロボットセックスマシ−ンが商品
となるであろう。近代日本の真理とは人間ではなく物質であった。人間よりも物を信用し
た社会ゆえに高度経済成長を実現した。商品と純化した男と女は不信を前提に競合してい
る資本主義社会こそ日本である。

 九十年代は実に享楽的な時代であり、その享楽がクリントン時代に日本の総理大臣は七
人もかわった。賃金労働力商品は日本など、どうでもよかったのである。なぜなら、思想
という自己との対話を経験していない完全な自己完結された商品であったから。これが地
球資本主義時代の世代商品である。心配するのはいつ自分が商品の棚から販売不能として
おろされリストラされることのみである。九十年代とは自己の労働力商品をどう高まるの
かの競争と競合であり、こうしてグロ−バル商品は、近代的主体としての個人を放棄した。
いまやどの場所でも商品は形態電話を離さない。携帯電話・PHSがないと恐怖にたたき
こまれる。いつも液体として誰かに接続されていないと生きて行かれないほどまでに変形
したあたらしい商品象である。おのれ自身が個人として世界をつくるのが、近代の人間像
であったが、こうしたあたらしい労働力商品は完全に内部をなき商品へと変貌したのであ
る。もはや生き方思想を模索し絶望し自殺する青年はいない。圧倒的に現出しているのは
いじめとか仲間との関係または試験という商品途上への不安から自殺するのである。その
孤立感とはおのれが商品へと命がけの飛躍ができないだろう、という孤独である。

 要約すればグロ−バル全体主義過度期商品の過程こそ九十年代資本主義であった。内部
などは消滅した。あるのは商品の差別と差異、そこにおける自己商品比較こそが自己をみ
つめる液体化された視点でしかない。資本主義とは液体なのだ。セックスム−ビでいえば、
若き男性が若き女性の顔面めがけて発射するしろい精液である。そして、おまんこのひだ
からとろりとながれるしろい愛液である。しろい精液と愛液こそ帝国市民としてのわれわ
れのグロ−バル地球的資本主義の表象なのだ。ねばねばしたその自己遺伝子と模倣子のし
ろさはUSAの大富豪のしろさとかわりはない。セックスメディアはアンダ−グランドた
りえるか?

 これが今日のアンダ−グランドの命題である。いまや、セックスさえも地球的資本主義
たるUSAによって規格化されようとしている。USAは映像と表層において最後の人間
を表出せんとする。最後の人間こそ内部なき規格統一化された商品であることは、すでに
これまで展開してきたとおり自明であろう。これこそがUSAのIT革命戦略なのだ。お
のれの勃起したきんたま画像を今日もUSAの市民たる商品は享楽的な趣味として世界に
向けて送信している。これこそが最後の人間たる商品の命がけの飛躍であろう。しかしそ
の商品は動物であるから、おのれの自己遺伝子と模倣子がたまごたるおまんこへの出口を
真摯に求めている。日本のチャットでも深夜会話を楽しんでいると、突然USAから、ハ
イパ−リンクとしてきんたま画像が表示されるのである。きんたま商品のプレゼンテ−シ
ョン宣伝。インタ−ネットとは国境をボ−ダレスきんたま商品とおまんこ商品が本能のま
なざしで出会うシンクロの場所となった。これこそが現代資本主義である。

 内部は完璧に消滅した。あるのは外部としての商品羅列である。資本主義とはまさにま
るはだかへと変性した。秘密の最後の牙城たる天皇制はいったいどうなるのか? これは
USAしだいであろう。しかしながら日本は国家商品の差別と差異として天皇制ブランド
を防衛するはずである。天皇制とは、現在の日本にとって世界に誇る最大商品なのだ。し
かしキリスト教徒の国家とは原則を重要視する、それは中国もおなじてある。天皇制がソ
ニ−・ホンダ・トヨタのごとく世界商品になるためには、あまりにも暗くきたない歴史を
かかえている。日本では過去の暗い罪悪の歴史はみごとに記憶装置を消却し初期化してき
たが、ところがいまでも韓国でも中国でも戦争記念館が存在し、日本帝国による残虐な行
為が展示され観客にショックを与えている。オランダからも戦争賠償金をいまなお請求さ
れている。これでは美しいブランド世界商品にはなれない。グロ−バル地球資本主義によ
って明治近代に成立した天皇制は追い詰められているのである。すでにさびしく近代は終
焉したといわれている。近代的自我が崩壊したからだ。

 日本の近代的自我が安定し、評論・批評の分野が判断停止・思考停止のまま危機感もな
く政治家を悪者にすればよしとする論理が九十年代の総体であった。大学教授も天皇であ
るから実に安定している。新機軸の哲学など誕生していない。日本回帰ばかりである。そ
れは日本の近代的自我とは天皇制に依存しているからである。天皇制が安定しているかぎ
り、おのれの近代的自我も安定している。すでに天皇制を批判する過激派は九十年代にお
いて街頭から排除することに成功した。警察庁における高度コンピュ−タ−をつかったデ
ジタル監視システムのおかげである。しかし天皇制が世界商品と命がけの飛躍はできるの
だろうか? 
 
 外務省はそのために国連常任理事国入りを画策しているのだが。おそらく今後アジアか
ら日本への戦争犯罪を弾劾する叫び声は再度表出するだろう。日本兵士によって虐待され
た人々が死をむかえているからである。人はおのれのかけられた不正と虐待はトラウマと
して一生、背にかかえながら生きる。じつは加害者の方は快楽として虐待したのだからそ
れは愉快な出来事としてすぐ忘れるのだが、人は苦しいことは一生わすれることはできな
い。ちくしょう、あのやろう、として生涯憎悪として忘れることはない。これが人間関係
における血の債権である。日本は血の負債が事実として、みえないアンダ−グランドに蓄
積しているのだ。わたしにしても自分に暴力をふるった私服と機動隊の顔は、いまでも忘
れない。ちくしょう、いまにみてろ、という憎悪として寝る前に、あの、やろう、と湧き
上がることをおさえることはできないのだ。

 日本に暴虐されたアジアの人々がおのれの死をまえにして叫ぶのはこれからである。ユ
ダヤ人が虐殺された強制収容所がまさに現場として映画化されてきたのも、五十年たって
からである。人間とは復讐する動物的本能をもっているのだ。その復讐へ和解する時間を
半世紀、日本は放棄してきたのである。USAに依存して。天皇制がグロ−バル地球資本
主義から商品失格の烙印を押されたとき、天皇に依存し安定してきた

 日本近代的自我は崩壊するだろう。ここに日本人なるものの最大危機がある。ここにお
いて最終的に内部は全的滅亡をとげるだろう。しかし天皇制は生き延びるであろう。徳川
幕藩体制への位置に後退しながら。しかしそのとき宮内庁が存続できるかどうかはわから
ない。商品としての天皇制の再度の転換が、やってきたのである。これが商品を解明する
現代の資本原理論である。世界商品への命がけの飛躍ができなかった商品は地域商品とな
るのである。

 レ−ニン死後、ソ連邦におけるスタ−リンの絶対的権力の確立。トロツキ−反対派勢力
の壊滅と古参革命党員の抹殺。「人民の敵」KGBによる密告制度。洗脳された子供が親
を「人民の敵」として売る悲惨な暗い時代。強制収容所政策による大量奴隷労働力商品の
確保と、それら奴隷労働力商品を動員しての巨大公共事業プロジュクト推進。クラ−クと
いいう自営農民撲滅と農業機械化への近代的工場制度の導入。しかし計画的農業生産たる
コルホ−ズは失敗した。農業と農民を犠牲とする重工業力への推進。農民を犠牲とする矛
盾的工業力への転換。「社会主義の祖国を守れ」に集約されるロシア・スタ−リン主義に
よる第三インタ−ナショナルの私物化と、それによる各国共産党(インタ−ナショナル支
部)への路線への押し付け。その路線とはスタ−リンの内部を忠実に反映した不断に情勢
に動揺する路線であった。帝国主義勢力、ファシズム勢力に対する受動性にあったため、
常に30年代の激突する戦乱の情勢への後追いとなり、ドイツ革命・スペイン革命はファシ
ズム運動に敗北する。労働者階級を組織したのはファシズムであった。

 第一次世界大戦後の世界システムたる自由資本主義同盟は、ナチス・ドイツ、ムッソリ
−ニ・イタリア、ヒロヒト日本のファッシズム拡張を、当初、自由きままにあそばせてお
いた。ファシズムが共産主義撲滅をかかげた政治勢力であったからである。レ−ニンによ
るロシア革命が誕生したとき、世界資本主義国家は連合として、ロシア革命をいち早く壊
滅しようと、軍事介入した、日本も侵略派兵した。当時の世界シシテムの親分はイギリス
であった。まず、アングロサクソンの基本的戦略である封じ込め作戦を展開した。当時日
本とイギリスは同盟を組んでいたからイギリスの要請にしたがって日本はシベリアへと派
兵したが、赤軍によって粉砕されてしまった。ゆえにロシアは世界を信用していない、ス
タ−リンが「革命ソビエトを防衛せよ」という第一戦略はある意味で正しかったのである。
イギリスを親分とする、世界システムは虎視眈々とソビエト壊滅を狙っていた。そこにお
けるドイツ革命である。

 ドイツ革命が成功すれば、共産主義革命はヨ−ロッパ全土に伝染する。ドイツ革命を壊
滅させるために、イギリスはドイツ国家社会主義党であるナチスに裏から資金を与えた。
そしてイタリアに誕生したファシズム党であるムッソリ−ニにも裏から資金をあたえ支援
したのである。日本におけるファシズム運動をどうイギリスが支援していたのかは、まだ
解明されていない。第一次世界大戦後の世界情勢とはロシア革命の成功によって、全世界
労働者は「未来がみえた」として絶望から希望に燃えた熱い季節だった。フランス人民戦
線政府の誕生。スペイン人民政府による政治からのスペイン王の追放。ヨ−ロッパ革命の
嵐は勢いをもって前進しようとしていた。日本においてもロシア革命に鼓舞され勇気付け
られ労働運動・農民運動は前進し革命情勢は到来していた。

 そのとき、登場したのがイタリア・ドイツ・日本におけるファシズム突撃隊であった。
日本においては大東亜共栄思想をもった右翼民族主義者と陸軍青年将校の連合である。
「共産主義を撲滅せよ!」と彼らは叫び、労働争議、地主と小作人との農民争議に武器を
もっ突撃隊として、資本主義体制を防衛したのである。世界資本主義の親分であるイギリ
スはファシズムによって助けられた。次の戦略は彼らを政権につかせることである。こう
してフランス人民戦線政府はまず、フランス・ファシストによって打倒され、ドイツにお
いてもドイツ社会民主党はヒットラ−・ナチス党に惨敗する。全ヨ−ロッパファシズム勢
力はスペイン王を全力で支援し、スペイン内戦において人民政府側は壊滅されたのである。
これを裏から支援したのがイギリスであった。ゆえにいまでもイギリス情報部はCIAに
並ぶ、世界一のスパイ情報部として君臨している。イギリスがたてた当時の世界戦略はド
イツ・イタリア・日本のファシズム帝国軍隊をソビエト侵攻に向けさせ、ソビエト赤軍を
壊滅させ、モスクワを占領することであった。ドイツ軍の主力はソビエト侵攻であり、こ
の東方戦線がもっとも激烈だったのである。ソビエトはドイツ軍との攻防で二千万人の死
者を出している。ソビエト侵攻のためにドイツ軍はまずとなりのポ−ランドからオ−スト
リアを電撃作戦として、占領したのである。

 しかしヒットラ−は、USAが育てたイラクのフセインのように、おのれの動物的本能
である自己遺伝子と模倣子が戦争の過程で再起動したのである。「敵は本能寺にある」明
智光秀のようにフランスを占領してから、親分であるイギリスに牙を向けた。

 イギリスは自国の植民地あるいは軍事基地が、電撃的にファシズム軍によって攻撃を受
けてから、イングランド王国世界連邦であるアングロサクソン連合軍を形成し反撃に転じ
たのである。明智光秀であるドイツ・イタリア・日本のファシズム機軸同盟は、なにゆえ
に、当時の親分である織田信長であるイギリスに牙を向けたのだろうか? いまでもわた
しは理解不能である。おそらく、明智光秀のように親分からいじめられていたのであろう。
ドイツにおいても第二次世界大戦敗戦による戦争賠償金の負担は過酷であった。民衆自身
がイギリス憎しに固まったのであろう。では日本はなぜ、USAの真珠湾を電撃空爆した
のであろうか? いまでもわからない。本気に当時の戦争設計者たる参謀本部はアメリカ
大陸を占領し、第二の満州国を建設しようとしていたのであろうか?わからないなにひと
つ、戦争指導者は語っていらず、第二次世界大戦の総括などされてはいないからである。
わたしの推論によれば、当時、台湾が日本の植民地であったから、日本はフィリピンを植
民地として収奪したかったのであろう。フィリピンはUSAの植民地であった。実際、日
本はマッカ−サ−将軍を追い出しフィリピンを占領した。フィリピンを占領すればUSA
海軍が反撃として攻めてくる、その前にUSA太平洋海軍の母港である真珠湾攻撃したの
であろうか? 

 とにかく日本帝国の大東亜共栄圏をめぐる戦争計画書は、当時の官僚であった宮沢喜一、
中曽根康弘たちによって、永遠に隠されてしまったのである。ファシズム同盟として第二
次世界大戦を起動し戦争計画を形成した東大法学部出身の官僚たちによって戦争は推進さ
れた。その革新官僚たちによって戦後シシテムは形成され、自民党は誕生したのである。
その官僚たちの政党である自民党が二十世紀を支配し、いまなお二十一世紀さえも自民党
独裁政権として維持しようとしている。支配者は自己の都合が悪い過去は永遠に死ぬまで
隠す、これが支配官僚の鉄則である。ゆえに当時の戦争計画は永遠に明らかにならない。
USAが情報公開するのを待つだけである。

 近代史とは中世以上に闇なのだ。このようにして歴史は消却されていくのであろうか? 
商品は軍人から官僚へ転換したに過ぎないのが日本の二十世紀であり、商品は“いま”投
資家という資本家に買われなくてはならない。そのための国民国家である。“いま”売ら
れたら富の世界システムから脱落する。この瞬時の攻防こそが資本主義である。そして政
治家の仕事は国民に貨幣とのセックス猥談を提供することである。それがなければ国民は
居酒屋でストレスが発散できない。政治家の悪口を言えば、国民の肛門からたまりにたま
ったガスが抜ける。そのおのれのガスを国民は「これがおれだ」とうっとりと嗅ぐ。自己
を確認できるのだ。そしてマスメディアは自分さがしの、ドラマを商品として国民に提供
する。これが“いま”なんですよ、と。あしたも労働力商品として近代的工場制度である
職場でがんばりましょうね、と。永遠に“明るい、いま”のみが信仰する商品、正義の味
方たるUSAが微笑んでいる。

 日本国民とは永遠に菊の紋章たる肛門と対話していくのである。肛門にきんたまを挿入
すると亀頭にくそがつく。そのくそこそ、日本国家たる商品にとっては、おのれを汚す過
去なのである。亀頭についたくそは、すぐさま肛門からきんたまを抜いて、シャワ−で流
さなければウィルスが浸入してしまう。
“過去は水に流せ”これが国民国家の最大綱領である。この神聖な立国テ−ゼを犯すもの
は、アンダ−グランドへとたたき落とされるのである。そのために天皇の警察は存在する
のだ。あなたの電話はすでに盗聴されている。いつのまにか菊の紋章たる帝国議会で盗聴
法は成立していた。

 ロ−マ帝国衰亡の時期をひたすら反復して、商品となった日本文明は全的滅亡へとむか
っているのだ。いまはただひたすら享楽にひたりましょうよ、あなた。われわれ帝国主義
市民はこうして“いま”のみの刺激に反応する原生動物へと退化した。自己を省察できな
い文明はゆっくりと滅亡してきた。やがて、あなたの部屋は盗聴から盗み撮りされるであ
ろう。すでにUSAでは、部屋で生活する他人の実態がサ−ビスとしてみられるゲ−ムが
インタ−ネットで爆発的に商品となっている。それは人を興奮させる。ついに資本主義の
液体化現象はここまできたのだ。ゆえに商品である国民国家も液体化現象液と置換される
のは間近に迫っている。これが映像と表層における最後の国家なのだ。

 おのれの富を破壊するマルクスとレ−ニンのウィルスを全世界から駆逐するために、フ
ァシズム国家の誕生とファシストを政治的に利用できると微笑んでいた世界システムにと
って、おのれが育て上げた乱暴な息子から突然殴られたことは皮肉であった。

 第一次世界大戦の波動は民族の牢獄であったロシア帝国を解体し、労働者国家を誕生さ
せた。一方、ドイツと同盟を組み敗北したトルコ帝国は世界システムによって、植民地分
割された。イギリスはとくにアラブ中東を植民地化せんと狙っていたのである。第一次世
界大戦という戦争は、マルクスによる「フォイエルバッハ・テ−ゼ」のシミュレ−ション
と「共産党宣言」「コミュ−ン論」がロシア革命として世界政治の表層に具体的現実とし
て登場させたのである。そしてオスマン・トルコの分解とイギリスによる植民地分割はイ
スラムの表層を眠らせたかにみえたが、実はロシア革命もオスマン・トルコ帝国分解によ
るイギリス支配もイスラム・パワ−を再起動させる準備だったのである。近代化を推進し
ていた現代イラン王朝が打倒され、中世から登場した黒いイスラムによるイラン革命は七
九年、キリスト教世界を驚嘆させるのである。

 文明史でいえばロシア革命とソビエト終焉の七十年間とは、イスラム・パワ−が中世か
ら再度よみがえる準備のために存在したかにみえる。内部をもたぬ最後の人間としてのわ
れわれ市民は、ただ表層空間に衝撃的に出現した出来事を信じる。一九一七年十月革命は
全世界の内部をもたぬ人間の心臓を太鼓のように打ち鼓舞させ、イギリスを機軸とする植
民地支配の帝王たちを打ち破ることが可能である希望を与え、とにかく元気にさせたので
ある。こうしてマルクスとレ−ニンのウィルスは植民地支配下の被抑圧民族として絶望に
沈んでいた内部をもたぬ人間の想像力に伝播し、実践のシミュレ−ションと希望の世界イ
メ−ジを形成させたのである。

 七世紀の砂漠から誕生したイスラムの動物的本能である自己遺伝子と模倣子は、たかが
近代の新参の共産主義ウィルスに覚醒されながら、この他者から学習し、いつかおのれ自
身がウィルスの世界事象として表層に現出すべく準備をするのである。オスマントルコが
解体され、西ヨ−ロッパ十字軍によって植民地分割され、中央アジアはスタ−リン民族政
策によってソビエトに編入されたが、彼らはモスクで、ひたすら忍耐してきたのである。
七世紀、キリスト教批判として、旧約聖書の流れからアラブに出現したコ−ランが西は地
中海を越えスペインからフランスの入り口まで浸透し、東は中央アジアからインドネシア、
そこから北上してフィリピン諸島まで浸透したイスラム自己遺伝子と模倣子のパワ−から
いえば、近代とはひとときの戦略的後退である。砂漠から誕生した、

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の原理とは生存である。一九七九年イラン革命によ
って近代は相対化されてしまったのである。それはあらたなる中世のはじまりだった。最
初の産業革命をなしとげ、世界を植民地化したイギリスはアングロサクソン連邦を形成し
たが、その本国では八百年にわたり支配してきたケルト民族によるアイルランド解放闘争
との戦争状態こそが八十年代だったのである。近代の親分であるイギリスが古代からの逆
襲をうけている表象こそ、近代とは過去から復讐をうける文明なのである。

 イスラム自己遺伝子と模倣子を再起動させウィルスへと変貌させたのは、なんといって
も、ユダヤ・シオニズム運動であろう。「ユダヤ人抹殺はヨ−ロッパの最終解決」とする
ナチス突撃隊によるユダヤ人虐殺とアウシュヴィッツ・ガス室。これらの戦慄すべき、出
来事は、ヨ−ロッパの国家権力から商業復興による国家財政蓄積のため利用され用が終え
ると東に追いやられるかゲット−に封じ込められていた、ユダヤ人の国家形成に火をつけ
た。

 西ヨ−ロッパとは異端なしにはおのれが定性できない動物的本能である自己遺伝子と模
倣子がある。十字軍遠征の中世とはペストの時代と異端狩りの時代でもあった。歴史学者
によると、国内十字軍によって三百年間に異端のアルビジュク派であるという嫌疑をかけ
られた百万人以上のフランス人が殺されたと推定している。十字軍が誕生したのはフラン
スであった。最初は国内の異端狩りから開始され、やがてエレサレム奪回へと十字軍遠征
が開始される。フランスはイスラムからフランク族と呼ばれていた。その強暴さは人肉を
食っていたと記録されている。十字軍遠征時二百年間に殺されたユダヤ人の推定数は十万
人として記録されている。これがフランク族たるフランスのおそるべき、動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子である。現代も文化の国を装いながら、最大の武器商人であり南太
平洋では核爆弾実験を植民地でくりかえし強行してきた。イギリスと先頭にたってたたか
った英雄女性も最後は異端として処刑された中世。その異端狩の十字軍を現代において継
承しているものこそ、USAの十字軍たるK・K・K(ク−・クラックス・クラン)であ
る。ヨ−ロッパとUSAのキリスト教とは悪魔とユダの存在なしには、おのれ自身が定性
できない。

 ユダヤ人によるおのれ自身の最終解決とはおのれ自身による国家創出であり、その約束
された地こそパレスチナであった。ヨ−ロッパのゲット−にいるかぎり、いつなんどき国
家矛盾のスケ−プゴ−トとして虐殺されるかもしれない。この恐怖に打ち勝つためにはパ
レスチナへ移住するしかなかった。USAのユダヤ・ネットワ−クはこれを強力に支援す
る。

 パレスチナは世界イメ−ジの発祥の地といってよい。旧約聖書から表出したユダヤ教、
キリスト教、イスラム教の聖地。パレスチナ、レバノン、シリアという地域は、宗派の党
派闘争とヨ−ロッパ十字軍遠征以来の宗教戦争により、イデオロギ−は純化され原理化さ
れる。極限的な原理主義によってしか生存できぬ宗教エネルギ−の場所。

 こうした原理の土地からパレスチナ人を追い出し、ユダヤ人の国家を創出した出来事は、
原理の導火線に火をつけ中東戦争を現出した。イスラエルの日常は非日常としての戦時体
制にある。イスラエルの原点はアウシュビッツであり、その恐怖は生存するためなら何で
もするといった動物本能の自己遺伝子と模倣子にある。外部においても内部においても戦
時体制という非日常が日常となる。イスラエルの空港で乱射しユダヤ人を殺した日本赤軍
の岡本公三はアラブの英雄となった。それを最大限利用したのが日本の商社である。かれ
らはアラブから英雄の同族として迎え入れられた。ゆえに日本の石油商人である商社は中
東で資本主義の大展開ができたのである。日本赤軍とは70年代、日本資本主義の英雄であ
りゼロ戦特攻隊であったのだ。わたしは商社マンからある飲み屋で聞いたことがある。
「日本赤軍と岡本公三には足を向けて眠れないよ」オイルショックを脱出し日本がメジャ
−の石油支配から抜け出し、アラブ地域において独自に石油採掘権を確保し安定的に石油
を供給できたことが、70年代から80年代への経済成長の源となった。日本商社は日本赤軍
のおかげでアラブと地域やイランにプラント輸出ができたのである。

 まさに日本赤軍重信房子は日本資本主義の英雄なのだ。ゆえにハイジャク・ダッカ空港
において時の自民党福田政権は捕虜交換の条件を日本資本主義の利益のため承諾したので
ある。原子爆弾の自己遺伝子と模倣子をもった、世界紅衛兵たるスチュ−デントパワ−の
音楽こそがビ−トルズでありオノヨウコであるが、その世界政治の代表選手こそ日本のク
リントンとゴアである重信房子なのだ。自民党加藤などは重信房子の下男となって再学習
しなくてはならないだろう。哲学などといっていまさら西洋哲学の自己解釈に革命的マス
タ−ベ−ションをしている男などは、重信房子のブラックホ−ルに吸収されてしまうであ
ろう。イデオロギ−とは存在なのである。重信房子は日本武士たるサムライの自己遺伝子
と模倣子を世界に証明した英雄なのである。もはや日本の未来は武装した女にしか存在し
ていない。

 モンゴルは世界帝国を形成しながらも、内部独立によって巨大帝国は崩壊し、騎馬民族
はおのれの故郷である草原へと帰り内部を閉じていった。巨大帝国を運営するということ
はすざましいエネルギ−がいるのである。北京・モスクワという都市はモンゴル軍団がつ
くりあげた都市である。ロ−マ帝国もヨ−ロッパにおいて都市を形成し、内部へと閉じて
いった。帝国の崩壊後には世界宗教がとってかわるのであるが、モンゴルには世界宗教を
生み出すことができなかった。チベット仏教がモンゴルの宗教であるが、仏教は戦争にに
は不向きなまったく個人の解脱をとく、個人的な人間宗教である。しかしキリスト教とイ
スラム教は砂漠から誕生したゆえに生存をかけた共同体戦争の宗教であろう。

 オスマン・トルコの解体により内部へと閉じたかにみえたイスラム教の動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子を、ユダヤ教自己遺伝子はアラブ世界における戦争国家の突然なる
近代的人工的現出として、イスラムを眠りから覚醒させてしまった。原理主義DNAは他
者の原理主義DNAを呼び起こす。ヨ−ロッパ・キリスト教自己遺伝子と模倣子はおのれ
自身が解決できなかったユダヤ人問題をアラブ世界に押し付け背負わせたのである。イギ
リスの二枚舌であった。中東は第二次世界大戦後のヨ−ロッパとUSAの繁栄を支えるア
ンダ−グランドとして確定されてしまったのである。北の資本主義先進国が存在するG7
たる帝国主義国家の繁栄をささえる南地球は、いまもアンダ−グランドとして確定されて
いる。これがわれわれ帝国主義市民社会の原罪となって、告発されている。市民社会とは
近代文明の一部であり、ある意味で20世紀が二つの世界大戦と地球を破滅させるかもしれ
ない

 原子爆弾を登場させた愚劣て低俗な文明こそ近代である。環境破壊は極限に達している。
この愚劣な近代文明への逆襲が中世から飛び出してきたイスラム原理主義であろう。近代
とは過去とアンダ−グランドからつねに復讐をうける資本主義システムなのである。なぜ
なら人間と国家は資本主義の商品でありながら、そこには同意できないとするのが、現代
世界の普遍的価値観だからである。しかしながら商品は不断に分析されなければならない。
その方法としてマルクス資本論は資本主義が存続するかぎり生存するのである。資本主義
のウィルスとして。永遠の運動である資本主義は地球まで商品とするであろう。商品とさ
れたものは内部が消却され砂漠となる。その砂漠から誕生したのがユダヤ教・キリスト教
・イスラム教という共同体戦争宗教だった。

 仏教を戦争宗教へと転化しようとして失敗したのがオウム真理教であった。仏教の宗派
である池田教を国家宗教へと押し上げようとしているのが、現在の権力党派まで上り詰め
た創価学会である。現代の神学はエネルギ−に満ちているのだ。おそらく宗教は商品たる
人間が商品ではないことを優しく癒してくれる麻薬なのであろう。

 ゆえに思想はいつもヘ−ゲル哲学へと呼び戻されてしまうのかもしれない。われわれ帝
国主義市民は商品の集積庫から脱出することはできない。
いまも「出口さぁ〜〜〜〜ん」と、呼びかけるほかはないのである。
「あの、出口さんが消えたんですよ」レミングは寺山修司の資本論であった。

 驚嘆すべき世界事象は、内部をもたぬきたならしくみすぼらしい人間によって表出する。
キリスト・ブッタ・ムハマンド・マホメッドは内部を捨てることによって、おのれの精神
世界をの格闘は開始され、世界同時性の現在の表層から実践的な声を聞く。それは私的所
有としてのおのれの内部を解体し、ただ世界同時性の現在の表層から実践的な声を聞く。

 それは私的所有としてのおのれの内部を解体し、ただ世界同時性という表層の空間へお
のれを投げ出す。むきだしの他者が彼の内部を占有し、外部としてあった人間的社会ある
いは社会化された類的存在が彼の内部となる。

 旧約聖書という深層と内部と歴史に規定されていたキリストとマホメッドは、このシス
テムを変革するシミュレ−ション、当時のむきだしの表層を未来に向けてシミュレ−ショ
ンする内部をもたぬ人間の革命的想像力にきこえる世界同時性としての他者の声を、あら
たなる世界事象の神の声として了解したのである。

 人間的社会あるいは社会化された類的存在としての共同社会に表出する、キリスト・マ
ホメッドの世界イメ−ジは、むきだしの表層の他者との会話と対話によって、あらたなる
世界事象の実践的な武装せる予言者として、現在の共同社会に出現する。それは私的所有
としての内部ある人間を驚嘆させ、同時に内部なきみすぼらしくきたならしい民衆を驚嘆
させる。

 マホメッドは神の声を聞くたびに恐怖にふるへ、豊穣な妻の肉体へと飛び込んだそうで
ある。だが彼はやがて武装せる予言者として、あらたなる世界イメ−ジと共同体形成に向
けてアラブ世界の表層に現出する。

 内部を徹底的に破壊し解体した人間は、むきだしの表層その実践と試練によって世界同
時性の声を聞くのである。その声こそ類的存在の自己遺伝子と模倣子の声である。自然の
畏怖と人間関係の恐ろしさの肉体的知覚は、その極限的な試練の時間におのれの自己遺伝
子の声を聞く。現在の表層に偶像・仮象の死臭をかぎとり、同時に新たなる世界事象をか
ぎとる。むきだしの動物的本能はついに、類的存在の自己遺伝子と模倣子の声を聞くにい
たる。その自己遺伝子の声を神の声として知覚した予言者は人間関係の表層たる実践的空
間に登場し、おのれの真理を共同体のものとすべくみすぼらしくきたならしい内部なき人
間、民衆の自己遺伝子と模倣子に向けて振動させる。

 重要なのは声である。やがて弟子たちはその声を記述する。彼らは表層に表出した驚嘆
すべき出来事を記述し編集する。こうして声は内部へと深層へと転化し物語が誕生する。
その場合、記述し編集するためには哲学者はいらない。詩的言語記述の物語展開能力をも
った民衆詩人がこれにあたる。哲学者は内部と深層という私的所有によって、世界を解釈
・注釈する人間であり、彼らが参入するのは物語が完成した後に、神学者としておのれの
内部に私的所有するためである。

 宗教と神話を誕生させるには弟子たちの共同作業と彼らによって形成されていく掟をも
った共同社会によってである。キリスト教はパレスチナの地に閉じられたままであったか
も知れないが、その自己遺伝子と模倣子の声をウィルスへと上昇させたのは組織者パウロ
による。ロ−マや地中海世界にキリスト教を広める基礎を形成したのはパウロであった。

 ロ−マ帝国は当初、内部なき人間である商品奴隷や下層社会に感染していったキリスト
教のウィルスを抹殺するために徹底的に弾圧する。ロ−マ市民にはギリシア・ヘレニズム
文化の流れを模倣したシミュレ−ションとしての誇り高きロ−マ神話がある。ロ−マは狼
から誕生した狼一族によって誕生するという神話である。これはモンゴル帝国の蒼き狼か
ら誕生したとする神話と類似している。しかし、みすぼらしく、きたならしい奴隷どもの
キリスト教ウィルスはこれを偶像として否定するのだ。ギリシア哲学とロ−マ文化は私的
所有としての内部なき人間の自己遺伝子と模倣子ではなかった。奴隷どものキリスト教ウ
ィルスはロ−マ帝国の広大な植民地と世界市場(地中海世界とヨ−ロッパ)を逆手にとっ
て、内部なき人間の模倣子となり、共同体の世界イメ−ジとして伝染していく。

 ヨ−ロッパの深き森と石まみれの貧困な大地から出現したヨ−ロッパ人は、体力と個人
的な闘争能力に優れていた。いわゆるインド─ヨ−ロッパ語族とは共通の個人的闘争心が
ある。とくにヨ−ロッパは蛮族としての蛮勇は世界一であった。ロ−マ帝国の雇い兵とし
て職をえた蛮族たるヨ−ロッパはロ−マ貴族から戦争術を学習していく。

 ロ−マ帝国兵士として彼らは地中海世界とヨ−ロッパ植民地での民族解放闘争鎮圧へと
派遣され、ヨ−ロッパの戦闘的自己遺伝子と模倣子は、ロ−マ帝国の軍隊から起動してい
くのである。すべての道はロ−マに通じている。ヨ−ロッパのインフラは植民地建設とし
てロ−マ帝国がなしとげた。

 やがてロ−マ帝国のアンダ−グランドに展開したキリスト教は奴隷たちによって市民へ
と伝染していく。奴隷が市民を改宗させていったのである。市民から貴族へ、貴族からと
うとう皇帝へと伝染し、ついにキリスト教はロ−マ帝国宗教と上昇した。

 商品人口統計としてのみ記述され、遺伝子のみの時間的回路のみを残し、消滅していく
非歴史的人間は出来事によって支配される。歴史的人間は出来事を支配する。人間とは人
間を奴隷にしてみたいという本能をもっている。現代市民社会では主婦が主人の奴隷とな
っている。家庭内暴力の子供は主人と主婦を奴隷とする。アテネからロ−マでも市民社会
とは、必ず奴隷を生成するのである。なぜなら人間の欲望が全面展開するのが市民社会で
ある。

 奴隷はおのれの表現されない感情に表現を与えてくれる人物を待っていた。そして、魂
を高揚させてくれる人物の出現を待っていた。市民の明るい希望に満ちて上昇志向を支え
るためには、暗い絶望世界が市民の現状生活を自己確認するために、アンダ−グランドと
して形成されていなくてはならない。そのアンダ−グランドを組織したのが、パウロであ
った。革命と同様、新興宗教も早急に制度化されなければ、自らの内部にかかえた自壊の
種子によって崩壊してしまう。キリスト教はパウロという組織者がいたから確立した世界
宗教として歴史的存在となった。アンダ−グランドとはつまり、つぎなる歴史的存在を準
備する原理と原理の闘争空間である。それは古代以来、かわっていない。五十年代・六十
年代・七十年代・八十年代・九十年代の半世紀にわたる日本のアンダ−グランドは、上部
である市民社会にはけして理解できないゲバルト戦争をやってきた。死者・自殺者という
戦死者は数多い。このアンダ−グランド空間から出来事を支配する存在は現出するのであ
る。莫大な国家財政をつぎこんだ過激派壊滅作戦は成功しなかった。現代日本アンダ−グ
ランドとは戦時空間であったパレスチナの地と通低していた。

 やがてロ−マ帝国はその巨大さゆえに内部自壊を起こし、ロ−マとビサンチンに分裂す
る。西ロ−マ帝国は蛮族であるロ−マ帝国の雇い兵士であったヨ−ロッパ軍団によって壊
滅された。ヨ−ロッパ部族社会は独立を勝ち取った。ロ−マ皇帝と貴族は東ロ−マ帝国で
ある、現在のトルコの首都であるビサンチンに逃亡していった。皇帝の座に座ったのが教
皇である。ヨ−ロッパはキリスト教皇が支配するキリスト教のソビエト連邦となった。

 こうして内部あるギリシア文明からの流れを汲む、ヘレニズム文化様式は偶像破壊とし
て地下に埋められ、イタリア・ルネサンスまで再発見されない。ギリシア文明とロ−マ文
明を継承したのはユダヤ人とイスラム世界であった。イタリア・ルネサンスはユダヤ人か
らギリシア文明の再発見を習得した。そして用がなくなったユダヤ人は消えてもらわなく
てはならなかった。一五一六年ベネチアにユダヤ人を完全隔離するヨ−ロッパ最初のゲッ
ト−ができた。こうしてキリスト教皇とそれるつながるイタリア大商人は銀行業とそのネ
ットワ−クをユダヤ人から収奪することに成功したのである。これがイタリア・ルネサン
スの動物的本能である自己遺伝子と模倣子であった。

 ヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子はキリストがロ−マ帝国にただひとりで抗拒した倫理革
命者・民族解放の英雄として、おのれの内部にとりこんだ。西ロ−マ帝国の腐りきったシ
ステムは自壊したが、キリスト教皇と法王庁のロ−マ帝国は残った。キリスト教がロ−マ
帝国の支配システムを継承したのは、スタ−リンがツア−皇帝の支配システムを継承した
ことと通低する。

 キリスト教の物語はヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子によって編集され、ロ−マを中心に
した内部と深層をもつ世界宗教として生成する。ヨ−ロッパ自己遺伝子のシンボルこそは
十字架である。クロスされた十字のシンボルこそ石の文明たるヨ−ロッパ自己遺伝子のパ
ワ−を象徴する。ヨ−ロッパ文明としてよみがえった石の構築物は近代にいたり、鋼鉄や
コンクリ−トという素材をえて、世界的な建築様式その基準化を獲得する。文明とは、き
わめて機械的な枠組みのなかで、しだいにより多くの大衆なるものを一般として標準化す
ることを目的とする。同じように考え、同じように感じ、順応主義こそが文明の条件であ
り、市民はすすんで巨大な官僚機構に隷属することこそ、文明の空間となる。ヨ−ロッパ
文明を誕生させた官僚機構は、キリスト教の根幹から生成した。

 その十字架に貼り付けられた血まみれのキリストの肉体は、ヨ−ロッパ自己遺伝子と模
倣子の戦争とわが闘争によって、過去を破壊し解体してくたものへの贖罪である。重要な
のはキリストの肉体ではなく、十字なのである。クロスした十字こそは蛮族であるヨ−ロ
ッパ部族の力のシンボルであり、それは北方神話の巨人伝説までさかのぼる。白人とは氷
河期を生き延びてきた巨人幻想の遺伝子を内包している。巨人は石を持ちあげ、石をつむ、
こうして氷河期の土地を開墾し農地をひらく、その十字とは建設の意志である。ゆえにヨ
−ロッパは開拓し建設する行動する人間に絶対真理があるのである。

 だからこそ動物的であり蛮勇をもっているのだ。エジプト文明が巨大なピラミッドを建
設し、中国文明が万里の長城を建設できたのは、官僚機構の存在にある、つまり文明遺跡
とは官僚機構の記述として、今日残っている。文明が民衆によってつくられたとするのは、
誤りである。イギリスの北、アイルランドに残る巨大な石によるケルト民族による構築物
とはなにか? ヨ−ロッパは深い森に閉ざされ、ながいあいだシンプルに、ただ氷河期の
落し物である巨大な石と対話していた。戦闘的個人主義であるがゆえに、官僚機構は誕生
せず、古代文明は生成しなかった。こうして地中海文明の植民地となったのである。

 しかしながらヨ−ロッパはギリシア文明とロ−マ文明という官僚機構の帝国による支配
によって、おのれを組織化することを学習していくのである。その機構としてキリスト教
を選択し、おのれの過去たるケルトの記憶を消却したが、おのれのパワ−の象徴である、
十字架にキリストの肉体である偶像を回収した。こうしてキリストの物語はヨ−ロッパ文
明となった。キリストを裏切ったユダは、ヨ−ロッパ・キリスト教に頑固にも改宗しない
裏切り者としてのユダヤ人であり、軽蔑の対象としてのフレ−ムアップが作為される。悪
魔とはイスラムやおのれがいまだ知らない未開の世界となった。創価学会はキリスト教は
弱わよわしい宗教であるからダメであるなどと邪教として規定しているが、ヨ−ロッパ・
キリスト教は暴力と強力に満ちた宗教。

 そのパワ−のシンボルである世界をクロスさせる十字構造により、再度、建築の意志に
より、おのれが破壊したロ−マ帝国をわが蛮族としての部族がつくりあげる目的意識こそ
ヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子である。この複合的な部族がすみわけをしている部族連合
の総称こそがヨ−ロッパという固有名詞である。ヨ−ロッパという言語はギリシア神話か
ら誕生した。いまだ動物と人間と神々が同期し競合していた倫理なき戦争世界である。
九十年代ヨ−ロッパ統合と共通貨幣ユ−ロの誕生は、部族連合がUSAと日本の世界市場
への同期と競合から危機感をもって建設された。とりわけUSAとイギリスによるアング
ロサクソン二重世界帝国の金融攻勢から防衛しなければ、ヨ−ロッパ部族は各個撃破され
てしまうだろう現状意識である。二十世紀、イギリスを盟主とするアングロサクソン主導
によるふたつの世界大戦でヨ−ロッパの大地と人心は荒野とされたことが、ヨ−ロッパ連
合部族のアングロサクソンへの距離のとり方である。ドイツもフランスもスペインもイタ
リアも基本的にイギリスとUSAを信用していない。

 十字軍の表層こそは、地中海市場とインド洋市場をイスラムから奪い取ることにあった。
また同期としてキリストの物語をヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子によって自己完結するた
めには、エレサレムを奪い、ロ−マ教皇の支配下に置くことが必要であった。しかし、ユ
−ラシア大陸の東方であるアジアから、モンゴル騎馬軍団がすべての都市と文明を草原に
戻すのだ、と、東ヨ−ロッパに襲いかかり、ロ−マ教皇に対し、挑戦状をおくりつけた、
教皇はふるえあがり恐怖のどん底にたたき落とされる。恐怖は悪魔を呼びこみ、再度一三
四七年からはじまるペスト・ウィルスはヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子を壊滅せんと襲い
かかるのである。これが絶望と暗黒のヨ−ロッパ中世であり、死の舞踏である。

 暗黒と絶望の世紀、ヨ−ロッパ自己遺伝子はペストウィルスとの死闘を通し、世界の周
辺から中心へと進化をとげる準備をするのである。皮肉にもロ−マ教皇を恐怖につき落と
したモンゴル軍団は、十字軍の敵であったイスラム軍によってアラブの地に敗北しロ−マ
の道をあきらめ東ヨ−ロッパ戦線からも撤退する。しかしロシアはモンゴルの支配化にお
かれた。

 かろうじてヨ−ロッパ・キリスト教世界は破壊されず死守できた。この暗黒と絶望と無
力に打ちのめされた個人の表層の地獄めぐりを思考する。それがダンテ「神曲」である。
共同体成員はペストウィルスによって次からつぎへと死んでいく、それでも文化を求める
「ボッカチオ」がある。哲学はギリシア哲学を発見し、おそるべき戦闘的個人による思考
の内省が誕生する。内省と退行こそは内部から外部へ出ることを発見し、省察は他者を発
見する。ペストと異端狩の中世の時代、科学者は錬金術の実験を部屋に閉じこもり繰り返
していた。哲学者は部屋に閉じこもり思考していた。詩人は部屋に閉じこもり「神曲」と
いう壮大な物語を書いていた。この閉じこもりこそが世界事象に驚嘆する能力を形成した
のである。神学者も教会の地下室にこもり、それまでの文献をひたすら自動記述していた。
複写である。この人間の手によるコピ−聖書が生産され、出回り、やがて教会から聖書を
万民のもとへ奪還せよ、たる宗教改革を準備する。

 この閉じこもりというおそるべき圧縮された思考力と忍耐力こそが、心的エネルギ−を
形成し、やがて全世界を植民地にしていく大航海時代を準備したのである。ヨ−ロッパが
世界システムの地球という円環を建設できたのは、中世というアンダ−グランドにおける
自己遺伝子が眠りから覚醒したのである。中世とは夜の四つのひとつは覚醒していよ、と
いうブッタの教えに置換すれば、覚醒した夜と夜の夜その時間帯であった。かくしてヨ−
ロッパにとって部屋とは想像力の全世界であり個人の基地となる。人間をどこまでも怜悧
にみすえる悪魔のごとき執念から美術は空間と光たる彩色を発見するリアリズムの誕生で
ある。

 ペストウィルスとモンゴル騎馬軍団によって、ヨ−ロッパ自己遺伝子と模倣子は自壊す
る、その自壊とは教皇という教条から個人が脱却したことによる、戦闘的個人の誕生であ
る。こうして内部なき人間は世界をわがものとすべく、冒険への海路へと出発した。内面
と対話できる能力こそ実践力と行動力の源となった。

 地球を発見した近代文明はヨ−ロッパの模倣子となっていく。しかしいまだヨ−ロッパ
の起源をめぐる論争は皆無である。それは世界植民地によってヨ−ロッパが富という私的
所有たる内部をもったからであろう。内部をもった人間は文明たる官僚機構によって自己
肯定され、文明の市民となるからである。こうして市民にとってアンダ−グランドは軽蔑
の対象となり、近代文明のためにアフリカと南北アメリカ大陸の基層文化は壊滅された。

 21世紀初頭の世界とは、文明とアンダ−グランドが、同期と競合として展開されるで
あろう。それゆえに、あたらしい人間像があらわれようとしている。市民へと順
応したプロレタリア−トの後に登場するのは、どのような妖怪であろうか?わたしの予測
によれば、それは非人間であることに間違いはない。人間は果して類的存在なのか? そ
れとも部族的存在なのか? それらを模索している同期と競合において、人間型ロボット
の商品化とクロ−ン人間の商品化である。まさに商品としての人間と商品としての国家が
混迷する世界市場において、近代文明の内部は自壊する。現在とは資本主義以後の資本主
義という過度期のヒューマノイド幼年期である。

 モンゴル軍団の襲来は、日本、ベトナム、インドネシアへと押し寄せたのであるが、い
ずれも死守できた。日本では若き北条時宗と鎌倉武士団による死力をつくした、戦争指導
によって、モンゴル軍団の侵略戦争を撃退する。日本文明は鎌倉政権の官僚機構によって
守られたのである。戦争とは官僚機構と官僚機構による相手を壊滅する闘争である。異説
によれば北条政権を転覆しようと戦略を練っていた天皇と藤原貴族一族が、モンゴル帝国
に通じていたとする説がある。それを実証する文献はまだ発見されていない。事実、モン
ゴル来襲の戦後、後醍醐天皇は一挙に鎌倉幕府転覆を全国指令するのである。これに同調
したのが、北条一族と長く先祖以来闘争してきた足利尊氏だった。こうして後醍醐天皇・
足利尊氏連合は鎌倉幕府を打倒し、新田義貞によって鎌倉は炎上した。やがて、モンゴル
軍団を打ち破ったのは、天皇制の神風であったとする神話へと、回収されていった。宮内
庁が私有する美術展をみたとき、わたしは驚嘆した。巨大な、フビライ・ハ−ンの絵画が
そこにあった。天皇一族の情報部隊は古代から存在していた高度な能力をもっていた、そ
れが国内ばかりでなく海外に通じていてもおかしくはない。

 平家と源氏による内戦はこの天皇情報部隊が起動させ、操作していたのである。ゆえに
源頼朝は天皇に同調した弟である源義経を打ち、京都と離れた鎌倉に幕府を開いたのであ
る。天皇制という自然生成的神話は武士が操作されるばかりで、他者を発見し外部へとで
る回路を閉ざされることを頼朝は平家との内戦で学習した。

 日本におけるむすぼらしくきたならしい内部なき人間の、民衆的出現は平家・源氏とい
う同じ天皇一族から出た武家集団の徹底した内戦からであろう。それは仏教思想にあらわ
れる。思想とは人間とはなにか? 人間はどこからきて、どこへいくのか? それらを根
源的に問う。表層における内部なき人間の実践的思考である。

 それまで日本はありあまる豊かな自然生成の四季に同化する、人間の感情と天皇制神話
に埋もれていた。それらは和歌というきらびやかな情の歌にあらわれる。歌こそは内部あ
る人間の美しき自然感情である。思想とは中国律令制度と漢語文献を、天皇制の動物的本
能である自己遺伝子と模倣子の内部へと囲った王権の国家デザインであり、仏教も王権の
デモントレ−ション、貴族のシミュレ−ションにすぎなかった。私的所有という内部ある
人間は、中国・朝鮮という他者と外部の制度をシミュレ−ションすることをもって列島に
閉じこもり他者との出会いがない自然生成の民衆をぶったたまげさせる。

 こうして民衆は王権国家官僚がつくりあげた文明である国家デザインとシミュレ−ショ
ンによってだまされる。

 みすぼらしくきたならしい内部なき人間の戦闘部族たる騎馬民族はユ−ラシア大陸の草
原から朝鮮半島の南端において国家を形成する。いわゆるカヤ文明である。その鉄の鋳造
技術はヨ−ロッパ10世紀以降の技術水準をもっていた。ここに日本が誕生した。高句麗・
新羅・百済そして南端の騎馬民族国家日本、やがて日本は海を越え九州に上陸する。革命
的な騎馬と鉄武器によって地方土俗王権あるいは共同体を次々と破壊し、九州を制覇し、
瀬戸内海を東へと侵攻を開始する、出雲王権を滅ぼし、ついに大和に西日本を制覇する部
族連合の上にたつ大王を擁立するのである。それが天皇制の起源であり天皇制の故郷は南
朝鮮加羅である。

 この話をわたしは九六年ミラノから帰る飛行機で、隣に座った韓国の若き商社マンに天
皇の系譜を図を書いて説明したら、あまりにも興奮したのか鼻血をだして、ぶったおれて
しまった。よほど衝撃だったのか日本人の戦争責任を回避し、韓国を侵略し暴虐のかぎり
をつくした最大戦争犯罪人天皇ヒロヒトの先祖が韓国南部だなどという詭弁に怒りがこみ
あげてきたのであろう。しかし実際、天皇制伝統文化は百済とか南朝鮮が起源であること
は、すでに歴史家の常識である。天武天皇も南朝鮮の武人であった。

 内部ある人間として地方土俗王権は自然生成的神話をもっていた。その神話を天孫降臨
たる騎馬民族神話に回収し、大王は交戦する者に対しては容赦せず徹底的に破壊するが、
降伏するものには部族連合の構成員として迎える騎馬民族の植民地支配方法をとった。し
かし朝鮮半島における高句麗・百済・新羅の戦争により、南端の日本は百済に回収され、
日本はこの列島の植民地を本国としたのである。

 内部なき人間が他者との激突または囲い込みによって、王権という強力な内部と日本イ
メ−ジを擁立するのは「大化の改新」からである。国家デザイナ−としての藤原一族は、
積極的に中国、朝鮮から学者・技術者・官僚を移住させ、当時の中心であった唐帝国から
制度の体系を導入する。そして国家の消滅をかけた百済・新羅・高句麗の三国戦争によっ
て追われた部族軍団がどしどしと日本に移住してきた。かれらは東国開拓たる国造部とし
て東日本へ集団移住していった。東北蝦夷征伐の根拠地づくりである。朝鮮から移住して
きた軍団部族は蝦夷たる縄文人を大量虐殺しながら東北へと侵攻する。

 殺人集団として戦闘的な関東武士団はこうして形成されていったのである。日本は人殺
し文化といわれているがその起源は先住民族であった縄文人の大量虐殺にある。現在の日
本民族とは、イギリスをアングロサクソンが先住ケルト民族を大量虐殺して奪ったように、
縄文人から日本列島を奪ったきわめて侵略性がたかい民族なのである。日本人が戦争部族
であることは戦国時代をみてもあきらかである。騎馬民族が起源だからである。

 文字としての漢字、法律としての律令、学問としての儒教、宗教としての仏教、こうし
た体系的シミュレ−ションによって、日本イメ−ジの基礎は形成され、部族連合を呪術に
おいてまとめる大王は、天皇として改名され、天皇神学の物語が土着化する戦略は、発動
する。騎馬民族はどこの地においても土着化できる適応能力が高度なのである。

 他者が長い時間空間から表層に体系化した制度を、徹底的に学習し、おのれの空間と場
所に自己実現させる。これが国家官僚である。七〇一年「大宝律令」の発布。七一〇年
「平城京」建造、七二〇年「日本書紀」編纂。これらの実現はハイ・テクノロジ−たるデ
スクワ−クとしての事務能力つまり行政能力を私的所有する国家官僚機構が存在しなけれ
ば完成しない。国家とは文明同様に官僚機構のことなのである。

 高度情報・高度技術を内部に私的所有する日本への亡命者である百済・新羅・高句麗・
中国官僚と学者、それに亡命してきた戦争部族を組織することによって、藤原不比等は世
界の中心たる中華文明を日本に翻訳し移植した。おそらく「平城京」は中国語・朝鮮語日
本語が世界同時性として進行し、土方である民衆からみれば複合としての多言語的表層に
おいて都市が建設されていった。共通語は漢語であった。

 土俗としての自然生成的民衆は人工的なデザインと労働集約によって、突然、変貌した
空間と巨大な大仏像の出現にぶったまげ土肝をぬかれたに違いない。日本の都市とは古代
以来、官僚のデザインによって、ある日突然その人工建築が姿をあらわすのである。ゆえ
に長いものにはまかれなくてはならない、順応主義へと飼育されていく。北条鎌倉幕府が
後醍醐天皇によって転覆されたのは官僚機構が末期の病に犯され、新たなる統治能力を持
った官僚新世代の育成に失敗したからである。

 平城京建設という実践的・肉体的知覚の全面的発動、他者との具体的コミュニケ−ショ
ンという共同作業の時間を、同時体験する行為によって、高度情報・高度技術をもつ内部
ある他者は日本語を学習し、日本民衆を異化し対象化する。土着語でありながら、日本語
とは騎馬民族がもちこんだ言語である。ツ−グイ−ス系である。そして日本語は朝鮮南端
において騎馬民族が建設した、馬韓たるカヤ文明に依拠している。

 平城京建設の土木作業・建設作業とは、もっとも具体的労働であり、多言語であっても
肉体言語がそれをカバ−する。わたしは八十年代後半から90年代前半、NECが外国人研
修生としてコンピュータ製造工場に受け入れた、フィリピン人、韓国人、中国人、タイ人、
バングラデッシュ人、パキスタン人、南アメリカの人といっしょに仕事をしたが、他者と
の実践的交流たる感情のコミュニケ−ションを実現するのは身体言語による共同身体労働
によることを発見した。

 たとえばレイプを別にして、男と女のセックスは、身体的知覚たるセンサ−を全面展開
する自己遺伝子と模倣子の愛情訓練である。自己遺伝子と模倣子の学習器官、コミュニケ
−ションの共同肉体労働としてある。他民族でありまったく理解できぬ言語を話す他者と
の実践的交流と学習の場は、男と女のセックスであり結婚だ。民族の交差点であるシルク
ロ−ド・中央アジアやインド洋に接するインド・パキスタン・イラン・イラク・トルコへ
のル−ト、こうしてインド=ヨ−ロッパ語の民族は他者と交流し学習し混交されていった。

 高度情報・高度技術をもつ他者はおのれの内部をそぎ落とし、日本語を話す女と結婚し
日本に土着化する決意を固める。帰るべき国家はすでに消滅したからである。平城京はみ
ごとに完成し次にとりかかるのは日本語を翻訳し、編集し、日本史記を誕生させることで
ある。各地方土俗王権はすでに国譲りとして武装解除していた。

 高度情報・高度編集技術をもつ他者は平城京から日本列島の旅に出発する。これが記紀
神話のヤマトタケルである。広大なユ−ラシア大陸の旅からすれば、日本列島の旅はそれ
ほど困難ではない。彼らは五年間を旅し、各地方・格農村共同体に伝承されている自然生
成的神話を語り部たちあるいはシャ−マンや部族の長老から聞き取り調査取材をし、それ
を翻訳し漢字に記述した。

 自然生成の四季を内部にもつ民衆的神話・民衆的想像力・民衆的物語はこうして模倣子
に回収されたのである。高度情報・高度編集技術をもつ他者は、こうして五年間をかけて
日本列島の各地方・各農村共同体から民衆的物語を収集すると、平城京に帰り部屋に閉じ
こもった。重要なのはこの時期、ユ−ラシア大陸からエジプトの神話伝承まで収集する情
報部隊も存在したということである。

 当時、唐帝国はロ−マ帝国とも交流があった超大国としての世界の中心であり、シルク
ロ−ドによって世界の文献は収集され、漢語に翻訳されていた。藤原不比等は、それらの
文献を盗用すべく唐帝国に情報収集部隊を送りこんでいたのである。

 律令制度の確立から平城京という首都の建造は、表層空間への人工的支配意志の表出で
ある。ゆえにそれは建築によって体現される。常識的な官僚機構であれば、外延的拡張を
めざす。しかし藤原不比等と高度情報・高度編集技術をもつ官僚機構がめざしたのは内延
である。天皇制八千年継続への打ち固めである。日本自己遺伝子と模倣子の建設という内
部・深層を人工的に形成する神話史記の捏造であった。これに十年間も部屋に閉じこもり
完成させたのである。驚嘆すべき閉ざされた秘密の部屋で、日本は帝王切開によって誕生
した。外部における戦争に勝利し、日本を制覇したどの戦争部族の将軍でさえ、この生き
神たる内部を亡き者にはできなかったのである。日本で勝利できる方法はただひとつ内部
建設をめぐるイデオロギ−戦争である。盲目の哲学者これを発見したのである。70年代か
らインタ−ナショナル国際組織に着手したカルト宗教である池田教の創価学会も内部建設
として、壮絶なイデオロギ−戦争をしてきた。いまやこれらの団体は陰謀組織として制度
化され、官僚機構に伝染させたウィルスとなり権力党派として上昇したのである。ク−デ
タ−を起こした現代の藤原鎌足である。

 一九八七年国鉄の民営化はそのク−デタ−としてあった。最後の労働運動の牙城であっ
た国鉄労働組合は解体され当時二十万人いた組合員は、二万人と後退させられ、陰謀者山
岸と盲目の哲学者よって「連合」が誕生する。当時、野党にいてこれを全面的にバックア
ップしたのがカルト教の党派である公明党である。この時期官僚機構は国家財政の総力を
あげて批判勢力である過激派壊滅作戦を展開させる。

 まさに八十年代とは市民社会のトレンドの裏側では、壮絶なイデオロギ−戦争の戦国時
代であったのである。しかし八十年代を勝利したかにみえた官僚機構は、その勝利によっ
て内部を九十年代において瓦解させてしまったのである。なぜか? これまでの日本を制
覇した権力機構のように、天皇制に変わる国家理念とあらたなる内部・深層たる日本史記
を建設できなかったからである。それはつまりバブルという外へ外へのそう状態であった
からだ。だれひとりとして十年間部屋に閉じこもる他者になることができなかったからで
ある。この時期、ク−デタ−を起こした官僚機構と陰謀集団のなかで八千年まで構想力の
魔手をのばす内延を建設できる能力ある人間は皆無であった。高度経済成長戦略を建設し
た官僚でさえ三年間、結核治療病棟のなかで構想を内部建設したのである。

 文明とは官僚機構が形成する。「失われた十年間としての九十年代日本文明」とは、八
十年代における官僚機構の内部建設の失敗である。八十年代とは大規模巨大工事として人
工的な日本列島改造への疾走であった。それを官僚機構は不沈空母建設と位置づけた。革
新官僚として敗戦を迎えた宮沢喜一と中曽根康弘はUSAの工作員として、将来の総理大
臣を約束され、自民党代議士になったとする異説がある。官僚機構は宮沢喜一と中曽根康
弘に、まんまとしてやられたのである。かれらが日本を防衛する意識などひとかけらもな
いことは自明となるであろう。そしていまUSAの工作員である自民党と小沢一郎は、ま
すます官僚機構を解体しようとしている。イギリス・USAのニ重帝国であるアングロサ
クソンはすでに一九八五年プラザ裏合意において日本官僚機構を全的滅亡にさせることを
決定した。そのとき、同時にソビエト連邦と東ヨ−ロッパの解体も決定されていたのであ
った。イギリス情報部主導のもとで。これを世紀末において分析した学者がいた。江藤淳
である。江藤淳は日本文明たる官僚機構が全的滅亡をとげることを予言して絶望のなか自
殺した。フランス・ポストモダンの旗手たる哲学者たちが絶望のうえに孤独に自殺したの
もこの時期であった。陰謀史観ではないが二十一世紀初頭は、アングロサクソンによって、
なにかが仕掛けられているのだ。それは文明をめぐる問題である。ゆえにいま洞察しなく
てはならないのは、民衆の文化ではなく官僚機構の文明なのである。日本で律令制度とい
う最初の官僚制度をつくったのは藤原不比等であった。

 なにゆえに、藤原不比等らは「日本書紀」の編集に向かったのか? それは騎馬民族王
権内における、すざましい血と血の権力闘争、こうした残酷な情念をもつ内部を捨てたか
ったのかもしれない。王権内・宮廷で殺し合いを続けていけば騎馬民族の王権は、いずれ
他者によって滅ばされてしまう。そしてこの地はわが故郷ユ−ラシア大陸の草原ではない。
海に囲まれた島である。

 圧倒的な豊かな森林と四季、肥えた土地を開墾し、田畑をつくる労働を美徳とするおだ
やかな農耕民族の島となり、海や山から食物を見つける採集民族の縄文人は北へと追いや
った島。こうした島を永遠に支配するためには何が必要なのか? こうして藤原不比等ら
は支配対象としての民衆を発見し、騎馬民族の内部を捨て、おのれ変貌へと自己変革をめ
ざす。すざましい島への土着化である。もはやかえるべき故郷はない。それはアメリカ大
陸を占領したヨ−ロッパ民族と同様である。そこに日本とUSAの同期性がある。

 日本とは官僚機構たる中国文明・朝鮮文明からの亡命者たちによって建設された、アジ
ア最終の人間たちによる極東の島。ゆえにシルクロ−ド最終の場所。中国・朝鮮から軍団
部族が移住し、百万人の縄文人をジェノサイドとして大量虐殺して奪った島。ゆえに日本
文化の基層は人殺し文化と呼ばれている。日本人とは殺しが好きな民族であり、殺しが動
物的本能の自己遺伝子と模倣子に起動している。戦争なき平和な時代とされていたいた戦
後五十五年間においても、新左翼諸党派においては政治空間の占有をめぐって、一九七〇
年から壮絶な戦争に投入し、それは30年戦争となった。死者・自殺者はあまりにも多い。
天下を制覇する戦国時代が反復し、再起動していたのだ。アンダ−グランドの場所におい
て。明治維新においても最終的に革命党派は長州のみとなった。薩摩は明治政権から追放
されていった。最後に残ったのが大久保利通であるがかれも暗殺されていく。制度が瓦解
したとき帝国市民たるわれわれの社会は溶解する。そのとき市民は殺し合いをやるのであ
る。これが二十一世紀初頭の現代世界に現出してきた日本市民どおうしによる人殺し文化
と呼ばれる。縄文人を虐殺した現代人の自己遺伝子と模倣子が、眠りから覚醒したにすぎ
ない。これを無感知の世紀という。

 おそらく日本はUSAのごとく武装市民社会へと進展するだろう。おのれの身はおのれ
自身が防衛しなくてはならない。それが人殺し文化への対処方法である。USAの銃・ナ
イフといった武器商人の売り込み先はすでに決定している。それは武装に自覚した日本国
民と呼ばれている。暴力団対策法によって、日本警察官僚機構はかれらの市場を奪い、警
察そのものへ暗闇の利潤があがる制度へと転化した。だがその瞬間に警察上部の腐敗が開
始されたのである。もはや人殺し自己遺伝子と模倣子が再起動した市民社会においては、
市民そのものが無差別な暴力団となるので、警察では対処できない。ゆえにUSAの武装
サ−ビス企業は日本に進出しているのである。日本はUSAにつぐ二番目の犯罪武装世界
市場となるであろう。

 そしていま、麻薬世界市場も日本を標的にしている。日本の若い主婦が麻薬の快楽を味
わったからである。麻薬はいま、あるスピ−ドをもって市民に浸透している。

 おそろしい人間関係がすざましい表層空間において衝突する政治闘争の連続を体験する
ものは、建設の意志がないかぎり、表層空間によって打倒される。ある人間がある表層空
間において敗北するのは、おのれが投企するその空間が見えざる政治空間へと変貌し、お
のれの内部にデ−モンの貌を発見できないことによる。政治とは悪魔のごとき陰謀によっ
て、敵の攻撃能力を不能にすることである。どこまでも政治分析をおのれの都合のよいよ
うに解釈するおめでたい人間は、結果のまえに、表層空間からはじき飛ばされ、立場防衛、
自己絶対化、私的所有としての内部に封鎖され、敗北するのである。

 つまり人間の政治とは沈黙のうえに進行するG線上のアリアである。沈黙に耐えられな
いお祭り人間は興奮のあとの幻滅を味わうだけである。政治とはおのれがいる場所ではな
くまったく違う場所で、おのれが怜悧に分析されている、まさに商品のように。まないた
に置かれた魚がいま料理人によって、包丁で切断される、おれの自身がその魚であること
を認識できる空間である。政治とはみえない場所とみえない場所における戦争である。

 おめでたいお祭り人間は、おのれのとりまく現状に不断に排気している金魚なのだ。ガ
ラス金魚ケ−スを擬視している、おそろしい人間の存在を忘れている。われわれ帝国主義
市民とは、つねに悪魔のごときアイによって分析されている金魚である。市民と
は、おのれの他はみんな、くたばればいい、という悪意が全面作動している。その悪意は、
けして、おのれの前にあらわれてこない。あたりまえである。どこにおいても影と裏にお
いて飲まれているからである。こうして行為はいつも影と裏において商品評価されその影
と裏に真実がある、アンダ−グランドとなる。ゆえに古代以来、日本とはアンダ−グラン
ドにおいて出来事が立ち上がる。ゆえにおのれの情報をなにひとつとして流さずすでに商
品として死んでいると思わせることができ、10年間部屋に閉じこもり未来を規定する沈黙
のイデオロギ−戦争を推進できるかどうかである。これこそ情況主義ではない本来の政治
である。アンダ−グランドにとって沈黙こそが実践の場所なのである。

 政治闘争の勝利者は、政治敗北者によって自己の位置を確認し、自己展開能力の可能性
を拡張する。建設の意志とその実現はおのれの政治存在が抹殺されるか? それとも生き
残ることができるのか? という非日常の日常、動物的本能である自己遺伝子と模倣子の
存亡をかけた危機的事態により、その一点を死守せよ、という瞬間としての場所を設定す
る。その場所を敵を壊滅し占有せねば、おのれは永遠に後退するみじめいまを幻滅として
味わなければならない、こうして戦略は瞬間においてあらわれる。

 陰謀集団である創価学会は司法権力を狙った。いまや最高裁判所にまで創価学会のウィ
ルスは浸透している。いくら池田大作教祖を裁判にかけても、「裁判を起こす権利を乱用
している」「裁判を起こすことで相手に負担を与え、池田名誉会長の社会的評価の低下を
意図したと認められる」として、棄却され、いまや誰も創価学会を相手にした裁判も起こ
せないまでに、ウィルスは司法権力までに浸透している。

 これらの陰謀集団による官僚機構への浸入のしかたは、ひとつの文明がウィルスによっ
て犯された事実を示している。創価大学から東大から次々とウィルスは官僚機構と権力機
構に送り出されていく。これが文明の終焉過程に突入した一九七〇年以後の日本であった。
ウィルス装置が起動して三十年間がたっている。いかに固定化されているかは理解できる
だろうか? あなたに?

 固定化された官僚機構と権力機構は、いまや農耕民族のものとなった。逆転したのであ
る。古代騎馬民族の戦闘精神はアンダ−グランドのものとなった。王権はそこにおいて激
しく起動している。日本とは古代以来常識的なヒュ−マニズムが通用する場所ではないの
だ。いまや、われわれひとりひとりの市民が、アンダ−グランドの過激派として変貌する。
誰もが王をめざしている。これが今日の自己中心的にして自己完結的な人間の大衆的出現
である。日本の男も女も世界一、嫉妬する動物となった。これが商品完成以後の商品堆積
である。商品はおのれの過去をしらない。現在、使用されるのか、使用されないのか、だ
けに集中する“もの”としての機能。ゆえに最大幸福を装う家庭はUSAのように自己武
装しなくてはならない、武装社会が誕生する。三十年間にわたる新左翼での党派戦争はつ
いに、こうして前衛から後衛へ伝播する原理として、大衆社会の生活様式として普遍化す
るのである。戦争から平時へと特異進化するのがウィルスの自己遺伝子と模倣子の正体で
あった。ゆえにウィルス原論なのである。21世紀初頭の大衆社会とは、ついに大衆ひとり
ひとりが武装するUSAの世界標準となるのだ。またしても。これがグロ−バリゼ−ショ
ンと呼ばれる。王こそはあなただ!まさにレミングであり寺山修司資本論が。救いは寺山
修司想像力論しかないという、場所まで、追い詰められている。

 自己遺伝子と模倣子、その動物的本能の動物的本能が弱く武装解除するおめでたい政治
者は自壊し敗退する。なぜなら彼はむきだしの激烈な表層空間を理解できなかったのであ
る。おそるべき人間関係の内部へと回収され、人間の影と裏をみる不信の部屋にどじこめ
られたた政治闘争の敗残者は、もはや肉体的精神的自己崩壊をまつしかない。

 ゆえにわれわれ市民が政治闘争のむきだしの空間にまぎれこんではならない。感受性を
もちおのれが王だと自己完結している市民は深傷を負うだろう。われわれ市民は、ひたす
ら生活のみの安定をめざすべきである。くそをして、めしをくって、セックスする、こど
もをそだて、マイホ−ムの最大幸福をめざし、貯金をして、PC文化生活と消費生活向上
のみをめざすべきである。おのれにとって、違う世界は嫌悪すべきである。市民はひたす
ら、影と裏で評論すればいいのである。

 われわれ市民とは日常としての肛門との対話で、いそがしいのだから。そしてわれわれ
市民は、こうして資本主義のおかげで、自己中心となった動物へと、おかげさまで、みご
とに進化したのだから、個人によりかかり、個人を食いつぶすば、いい狼へと変貌したの
である。われわれ市民はもはや人間ではない、奇獣へと、同期化したのである。

 だから現在、思想が考察すべきは人間ではなく、非人間である。メディア商品によって
消費するものこそ、商品誕生の秘密であり、奇獣なのである。奇獣による全体主義こそ、
現在の民主主義である。そこでは、誰でもおなじように感じ、おなじようにかんがえ、お
なじように行動し、おなじように生活し、おなじ時間をおくる同期化の完成である。ゆえ
に携帯電話は同期順応社会への形態となる。こうして奇獣人間は、もはや同類は不信にと
ってかわり、資本主義以後の資本主義世界たる溶解現象が現出する。もはや人間とは奇獣
人間に愛好玩具とされてしまい、奇獣人間はロボットしか信用しなくなってしまった。

 しかし、奇獣人間はおのれを絶対に裏切らないと思いこんでいる、ロボットがウィルス
に侵犯されていることを、認めようとしないのである。ちょうど、最後の人間たる日本人
と呼ばれた人々が、おのれがアジア民衆二千万人を第二次世界大戦で大量虐殺した、人殺
し民族の事実を過去から消却したように。またしてもあのウィルスたる奇獣が日本で誕生
したのは、一九八七年、NTTの民営分割化の時である。まさに電話回線その通信産業か
ら幾人もの奇獣人間が誕生したのである。あのときからすでに十四年が経過した。奇獣人
間の奇獣本能である自己遺伝子と模倣子は、特異的現出により、その遺伝子と模倣子は、
おそらく通信という電話回線によって、書き換えられたのであろう。

 その奇獣人間の基幹産業たるNTTと警察上部機構の謀議によって誕生したのが昨年、
国会で成立した盗聴法である。もはや、あなたの電話回線・通信回線は、NTTの奇獣人
間によって盗聴されているのである。この奇獣人間はすでに銀行に誕生した貨幣の奇獣人
間とも謀議している。つまり、あなたの銀行口座は、貨幣奇獣人間と通信奇獣人間の商品
情報となり、USAの世界企業に販売されている。一九九九年にネットワ−クで流された、
警察庁公安警察の住所録はもちろんUSAにも流れたのだが、実はNTTの奇獣人間より
の警察庁への恫喝であった。盗聴法成立を急いでいたのはNTTの側であったのである。
盗聴法の成立で、NTTは国民個人情報を特異的商品へと完成させたのである。

 現在、この個人情報は、さまざまな世界企業に販売されている。これが資本主義の動物
期である。資本主義とは、なんでも商品化することが、商品の商品への商品のための自己
運動である。その最終商品こそ、あなた! 個人はこうして商品となった。あなたの子供
が小学校に入学する時期は、すでにあなたの家庭情報は、教育産業によって買われいるの
で、さまざまな企業から教育商品の販売勧誘が攻勢されてくる。もはや家庭のプライバシ
−など存在していない、家庭といえでも商品として資本主義の社会市場となっているので
ある。それをすでにあなたは子供の七五三のお祝いのとき体験したではないか。

 子供もすでに資本主義の世界市場に存在していたのである。子供は消費の王であり女王
なのである。「あなたは、こどもの向上心を奪ってしまうのですか?」こうして親は販売
企業に日々恫喝され、いつのまにか子供を商品消費の王と女王に押し上げるのである。こ
うして親は子供の奴隷となる。現代資本主義は子供を奇獣とさせる。人間はロボットによ
って代行できるからである。高度成長以前であれば、農家においても労働者であっても、
基本は自給自足であった。資本主義は、人間が、自分で“もの”をつくるという行為その
ものを壊滅する、すべてを商品づけにして借金づけにするのが資本主義の動物的本能であ
る自己遺伝子と模倣子である。人間は「商品生成=消費」の回路であるメディアへと変貌
させるのが、資本主義の商品による商品への自己運動である。そこにおいては、もはや、
親は子供に教育できない。なぜなら、親自身が、すでにこの資本主義システム暴走の労働
力商品であるから、自分の言葉など、忘れてしまったか、職場で生きのびるため、消却し
たのである。

 こうして家庭とはつぎなる資本主義を担う兵士を養育する生産工程としての現代的工場
制度に組み込まれる。そして子供は家庭の王と王女であり、親はその奴隷となる。「商品
生成=消費」の矛盾はすべて、国民総背番号で管理情報デ−タ−化された固有の家庭が背
負い込む。こうして家庭とは修羅と地獄めぐりの資本主義神曲と変貌する。そこでは、神
と怪獣と奇獣と人間が同期し競合した、ギリシア神話の戦争現場へと転化するのである。

 恥かしい地獄生産家庭はけして、おもてにあらわれない。こうして、いつも明るい資本
主義「商品生成=消費」はいつも、安定したシステムとなる。資本主義とはきれいなマン
ション・ビルの回廊に、うんこをしながら、くそ逃げしていく自己運動である。ある朝、
マンションに住む、お父さんが、会社に出かけ、ドアをあけたら、「うんこ」が悪臭をは
なっている。「誰かのいたずらだ!」とお父さんは疑惑に満ちる。
「もしかしたら、会社の競争相手の仕業だ、ちくしょうめ!」
「おまえ、この、うんこ、かたずけておけ!」
 と奥さんに怒鳴るのである。こうして、いつも最後に資本主義の処理として掃除をやら
されるのは主婦労働と呼ばれている。

 資本主義の原理原則は「商品生成=消費」である。この原理原則が崩れると資本主義国
家そのものが自壊をとげる。ゆえに現在、日本国家は六六〇億兆円の天文学的な借金をし
ても「商品生成=消費」の原理原則を防衛しなくてはならないばかりでなく、国民である
市民ひとりひとりにも借金生活様式を、自分に似た姿で同期化する。いまや学生はひたす
らカ−ド借金をして、消費生活を謳歌している奇獣と再編された。日本発の世界大恐慌を
発動させてはならぬとする、世界資本主義市場の要請だからである。19世紀とは資本主
義の幼年期であったが、二十世紀は動物期であった。21世紀とは資本主義がいよいよギ
リシア神話の神奇獣期として拡張していくであろう。

 いまや六十年代から起動した高度経済成長以前の時間は喪失した。ゆえに、あまりに人
間的な人は「日本文明の全的滅亡の絶望」によって殺されてしまう。八十年代、大学と大
学における壮絶な権力闘争が上部機構では利権をめぐって密室の謀議として展開されてい
た。おのれの大学出身者から総理大臣を現出させることは、大学の自己展開能力が飛躍す
る。現代日本は陰謀史観によって規定されている。その陰謀こそは、上部機構を固定化し
た。もはプロレタリア−トは制度と階層を固定する階級となった。土地と家・私有財産を
もったプロレタリア−トとはすでに、革命の階級ではなく、おのれの私有財産を防衛する
反動階級となる。反動とは変革という流動を許さない保守階級。

 これが日本労働運動の最終であり最後の獲得実現であった。プロレタリア−トの私有財
産防衛のために、それまでの日本労働運動の司令塔であった総評を、売って、「連合」を
結成した。御茶ノ水にあった、巨大な総評ビルは、陰謀家が、私的所有した、まさに労働
貴族と労働官僚による陰謀による歴史の奪還こそが、一九八七年のク−デ−タ−であった。
山岸とはまさに、いまやネット・スト−カ−という奇獣人間を現出しているNTTの労働
組合の会長であった人物で、いまも謀議の中心人物として、再起動している。まさに八十
年代の日本とは上部世界と地下世界であるアンダ−グランドにおいて、生きるか死ぬかの
壮絶な戦争が展開されていた。陰謀に敗北した国鉄労働組合の労働者は多くの自
殺者をだし、ついに現在、政党の介入により屈服されてしまった。その水先案内人こそ一
九九五年の総理大臣であった、旧社会党の親分であった村山である。日本社会党は一九七
〇年において帝国主義社会党へと、すでに変貌していた。上部においても下部においても
労働界においてもNTTにおいてもウィルスは起動する。

 ウィルスは奇獣人間を現出させながら、現在、ホンダとソニ−が商品として発売したロ
ボットへと、侵攻を開始した。コンピュ−タ・ウィルスからロボット・ウィルスへと、変
貌につぐ変貌があらわれるとき人類史は、いよいよ奇獣史へと転換されるであろう。もは
や人間とは類的存在ではない。類的存在とは19世紀・啓蒙哲学とロマン主義の言葉であ
る。いまや人間とは奇獣なのである。あなたはNTTから誕生したネット・スト−カ−で
ある奇獣人間から、おのれ自身を防衛できるだろうか?一九九四年においてはパソコン通
信会社であった、ニフティとNECの会社員IDとパスワ−ドが、NTT奇獣人間によっ
て盗まれたのである。日本電気通信産業が陰謀によって誕生させた奇獣人間の世紀こそ2
1世紀初頭である。

 盗聴法と国民総背番号の成立によって、日本電気通信産業は、莫大な国家予算を、分捕
ることに成功したのであり、そのために自民党を飼育しているのである。そして、あなた
の情報は毎日更新され、電話回線から盗まれている、いまですよ。これが二十一世紀初頭
における資本主義、つまり奇獣と盗賊人が全面展開できる、世界市場へと輝かしく発展し
た、グロ−バリゼ−ションである。IT革命ではなくIT反革命としてのウィルスこそ、
考察する対象。ウィルス原論が必須として、いま、市民からもとめられている。

 「日本書紀」はこうしたわれわれ市民により、編集されたのではない。王権内のゲバル
ト的非日常というおそるべき人間関係としての政治闘争をくぐりぬけ、自己遺伝子と模倣
子の動物的本能という、おそるべき人間関係としての政治闘争をくぐりぬけた建設者によ
って「日本書紀」は誕生した。

 表層空間をわがものにするのは建築者と政治闘争者と演劇人である。彼らは自然生成的
感受性を表出するのではない。彼らはおのれの構成力によって表層空間を占有する。演劇
と政治は現在という時間と空間にエネルギ−を投入し、身体言語によって他者のイミテ−
ションを規定する行為である。

 さらに政治は人間の悪意的様相をもっとも現出するきわめて人間的な行為である。すな
わち、いかに敵と競争者を落としこめ、叩きつぶすかに、政治行為者の日常はあり、内部
は不断にゲ−ムのシミュレ−ションを展開している。空間を構成し流動的な他者の行為を
予測し推論しつつ決定する闘争である。政治とはまさに密室の謀議であり、それゆえに情
報スパイは古代から政治闘争の重要な役割を担っていた。天皇制が古代から今日まで継承
できたのは、情報戦争に勝利してきたからである。

 現代では、あなたがご存知のように、警察情報スパイ機構と自衛隊情報スパイ機構を統
合しているのは、内閣調査室である。あなたが毎日コンビニで支払っている税金から、内
閣機密費として、毎年五六億円の予算がくんである。公安警察が革命家を情報スパイへと
誘導し、やがて中央委員会に送り出し、警察の都合のよい革命方針を中央委員会指令とし
て発動させるのである。一番犠牲になるのは、いつも末端で真剣にまじめに活動する民衆
活動家であった。戦前の公安警察もほとんどスパイによって運営されていた中央委員会に
よる銀行襲撃方針により、民衆支持基盤を壊滅することにより、日本共産党を壊滅したの
である。本当は当時の公安警察としては、国家予算の獲得のために日本共産党中央委員会
を保存しておきたかったのだが、宮本顕治による死力を尽くした中央委員会スパイ摘発に
より、やむなく、壊滅としたのである。このときのスパイ査問で、スパイは恐怖におびえ、
おのれ自身による心臓発作で死亡した。スパイ摘発こそ日本革命運動の革命的伝統である。

 六十年代後半から七十年代前半、日本共産党に指導された日本民主青年同盟は全国二十
万人いたが、いまや二万人である。この減少はまさに公安警察による。関西・愛知・関東
と、県委員長クラスが公安警察スパイへと誘導されてしまったからである。まさに内閣機
密費である56億円の効用であろう。外務省機密費とこの内閣機密費の存在をリ−クした
のは、USA・CIAである。九七年橋本政権時、日本内閣と外務省の電話がCIAによ
って盗聴されていた事実は有名である。そのときすでに、CIAはこの機密費の存在をし
り、どうスキャンダル・ニュ−スにするか計画していた。二十世紀から二十一世紀初頭と
は、映画007でも有名なイギリス情報部とCIAが暗躍できるアングロサクソンの世紀
である。帝国はおのれの姿にあわせて世界を構築する、それが世界標準化である。現在、
天皇制が苦しいのは、イギリスもUSAも、もう、王朝はイギリス王朝だけ残せばいいの
ではないか、と検討していることである。世界標準化のために、天皇制は淘汰されなくて
はならい、と。二十一世紀初頭は日本による侵略戦争犯罪が世界的問題となるであろう。
中国においても72年日本に対する「戦争賠償金請求放棄」の是非をめぐって、現在紅衛
兵世代によって検討されている。あの香港をイギリスから百年かけて取り戻した中国とは
五千年以来の原理・原則の中華思想による国家なのである。

 六四五年の「大化の改新」から七二〇年「日本書紀」までの表層としての政治空間は不
均衡であり、流動化する危機的情況が連続的に動いている。王権内ゲバルト闘争と7世紀、
東アジアの衝突。古代以来、東アジアの中心はユ−ラシア大陸中華としての広大な中国の
政治闘争であり、この中華動物的本能である自己遺伝子と模倣子から独自的政治l空間を
防衛し、主体を形成せんとする周辺王権の政治闘争によって流動化してきた。

 ベトナム自己遺伝子と模倣子、朝鮮自己遺伝子と模倣子、日本自己遺伝子と模倣子は中
華に規定されながらも、これにくらいつくされるのではなく、反発し、独自的な自己遺伝
子と模倣子を建設の意志として形成してきた。ゆえに強いのである。ある学者によれば資
本主義生産様式と歴史的生産蓄積から言えば、いずれUSAと日本は時期がづれるにせよ、
戦争をしたであろうと定性されている。朝鮮戦争においてもUSAは勝利することができ
ず、中途で戦略を停止して、マッカ−サ−将軍をその責任をとる形で解任したのである。
ベトナムにおいては、USA侵略軍は完全に敗北した。その歴史的生産蓄積こそ古代以来
の中国との対峙である。ベトナム・朝鮮という場所は一時的後退があろうと、帝国が植民
地できる場所でないことを、帝国軍創設者山県有朋は甘くみた。そして伊藤博文の上昇す
る人生は朝鮮において地獄へとたたきおとされた。

 朝鮮・韓自己遺伝子と模倣子の場合は、中華自己遺伝子と模倣子、そして日本自己遺伝
子と模倣子におびやかされることにより、おのれの主体を意識せざるえない情熱的な自己
遺伝子と模倣子として形成される。たとえば現在、韓国の国旗である太極旗は、ある時間
の極が到来すると逆転するというパラムの円環である。それは他の自己遺伝子と模倣子に
よって、ある時間が支配されたとしても、その時間が極に達すると逆転し、おのれの自己
遺伝子と模倣子の道が開けるとする風の思想である。そこに草原から発声した騎馬民族の
においがする。遊牧騎馬民族のシンボルは古代ロ−マ帝国にしても、中世モンゴル帝国に
しても、近代オスマン・トルコ帝国にしてもシンボルは狼である。狼とはつまり風の思想。

 六〇〇年代という七世紀の東アジアの表層空間に激突する部族の政治闘争こそが、総体
としての韓・朝鮮自己遺伝子と模倣子、総体としての日本自己遺伝子と模倣子を誕生せし
めた。特に最大要因は、朝鮮半島南部を戦場とした、唐・新羅連合軍と百済・日本連合軍
との海上・陸上にわたる全面戦争である。そして、高句麗・新羅・百済によるどの自己遺
伝子と模倣子が未来に継承できるかをめぐる壮絶な戦争は、そのまま、日本にも、波及す
る。百済と同期化を図った曽我一族執権の転覆は百済王権内の権力闘争が日本で勃発した
「大化の改新」である。このとき現出したのがやがて藤原執権王朝の祖である、藤原鎌足
である。かれは騎馬民族のシャ−マンである神官であった。百済王権の内紛を弱点として、
攻めたのが唐帝国と同盟を結んだ新羅であった。

 六六〇年日本の王権は百済に援軍を派兵することに決定する。もともと日本とは馬韓か
ら誕生し、馬韓は百済へと統合されたのだから、この時の百済と日本は同期上に存立して
いた。翌年六六一年には、司令部もかねる政治の中心地を北九州の朝倉宮に移す。総力を
あげての戦時体制である。しかし六六三年に百済・日本連合軍は白村江戦において大敗す
る。こうして百済は消滅した。百済の全官僚機構は日本へ亡命する。

 六六七年北九州から近江へ政治の中心を移動させる。敗戦処理である。「日本書紀」に
はこの白村江戦敗走から近江遷都までの4年間、全く記録されていない。論理と物語はす
ざましい表層空間の激突、それによるおそるべき人間関係がもたらす敗北の地獄編を記述
することができず、沈黙する。内部と深層とするためには言語化されなくてはならないの
だが、表層空間の激突とは人間の想像力を不断に超越するからである。人間は対象化でき
ぬ出来事は言語水準によって記述できない。わたしが、現在、一九七〇年を記述できるの
は三十年間、表層空間の激突で鍛えられたからである。論理と物語が沈黙した表層の出来
事は、その後の時代をウィルスとして内部と深層に侵入する。出来事とはウィルスである。

 民衆存在が記述されるのは古代から決定されている。生産力と労働力としてのみ、台帳
に記述される記号である。民衆の物語と時間は民衆から詩人が誕生しないかぎり記述され
ない。現在としての表層空間に登場する人物こそが、自己遺伝子と模倣子である。「偶然
はあまりに必然だった」これが模倣子。表層空間との関係項としての模倣子の存在はいず
れあきらかになるであろう。いまは、七世紀にもどろうではないか。

 戦争とは終戦から開始されると言われている。つまり表層空間の激突は内部・深層へと
はいりこむ。そこから戦争の経験は起動するのである。それが第二次世界大戦後の五十五
年間の内容であろう。ゆえに出来事はなんらかの形態として戦争との関係項にある。神田
の古本屋で「日本戦争論」を買って読んだ。侵略戦争時に発行された本で、ほとんど、エ
ンゲルスとクラウゼヴィッツの自己解釈であった。戦争とはおのれの一点をいかに防御し、
敵の戦闘力を壊滅するかにある、この原点が思想として把握されていない。中国戦線にお
いて毛沢東持久戦によって日本陸軍はゆえに敗北したのである。七十年代新左翼の党派戦
争によってクラウゼヴィッツ「戦争論」は、実践と現場において対象化された。

 わたしは七十年代から八十年代「戦争論」は何回も読了した。あの岩波文庫は、赤線、
緑線青線、黒線とアンダ−ライインがかさなって引いてある、それほど主体化しなければ、
八十年代は生きてこれなかった。21世紀初頭とは20世紀崩壊の表土喪失が内部・深層
に入り込んだ、アンダ−グランド展開として侵攻する。アンダ−グランドこそ、明るい
「商品生成=消費」が消却した、記述されなかった時間・実践と場所である。

 表層空間と人間関係の激突は空間の不均衡をもたらす。政治者はこの激流にのまれまい
と抗する。その場合、二通りのタイプが現出する。建築の意志と強靭な精神力を政治空間
の激流によって、わが面を洗いおのれの骨格を目的意志的に形成せんとする政治者のタイ
プ。もうひとつのタイプは自然生成的タイプである。この場合、政治空間の激流は不断に
おのれの都合によって解釈され、表層はおのれの内部の延長と錯覚する。表層が均衡し安
定している場合は、この種の自然生成的タイプの政治者は生き延びることができるが、表
層が不均衡で政治空間が激流化しているときは敗北する。

 表層とはあらゆる人間の内部が行為として、表出する空間である。建築の意志を強靭な
精神力で支える政治者は、こうした動きを予測しシミュレ−ションする。推論構築力と想
像力が武器となる。囲碁・将棋とはシミュレ−ション・ゲ−ムであり、相手の戦法の動き
と精神的諸力のゆらぎがもっとも読む、重要な対象となり、読む行為とは解釈のためでは
なく、おのれが打つ次の手のためにある。

 総力をあげて戦った「白村江戦敗走」は、ときの王権基盤を動揺させたに違いない。こ
の戦争計画決定者であった天智政権は、対馬、九州北部の砦を強化しながら、内部を建設
していった。戦争とは攻撃よりも防御である。防御とは戦争を通して、戦争を遂行できる
組織建設。ゆえに野球でも守りが重要となる。いかに敵の攻撃を封じ込めるかが武装の第
一条件となる。その機構を推進したのは百済官僚機構であった。強力な「唐帝国」という
他者を、彼らは肉体・身体的知覚ににって、敗戦から学習した。

 万葉集にあらわれる、よみ人知らず防人の歌の表層空間とは、一方においてユ−ラシア
大陸をみすえる非日常としての日常があり、他方においてこの非日常から喪失した故郷の
日常を思うおのれがいる。詩人とは情を深め歌を発生させる。重要なのはおのれの感受性
を文字に表記する行為は、中華文明から漢字の移植なしには成立しなかったということで
ある。文字をわがものとすることによって、われわれは詩と物語を誕生させることが可能
となる。だがすでに私的所有としての内部になった以上、おのれの喪失した過去は、この
島では沈黙し永遠に掘り返されることがない、深層へと埋められなくてならない。

 自然生成的な音声文字は、空間に交差する人間関係の出来事、あるいは神と人間との関
係として、空間の音が内部となる。それに対し形象文字はある対象の形とイメ−ジが内部
となる。きわめて人間の人工的構成の建築的な情念がすでに歴史として漢字の内部にはあ
る。漢字には文字をつくる職人が存在していた。それゆえに形象文字なのだ。モンタ−ジ
ュ言語としての漢字は、それまでの王朝の私的所有であったが、7世紀の日本にある一定
のスピ−ドをもって浸透していったと思われる。高度情報・高度技術を持った他者の参入
によって。

 「白村江敗戦後」天智政権は、近江の遷都をはたし、日本最初の課税の台帳と、人民の
身分を確定する氏姓の台帳づくりとしての戸籍制度を導入する。人民支配の基礎を確定せ
んとしたのである。

 対外戦争の敗北から、天智政権が学習したことは、強力な内部形成としての内政であろ
う。それまでの自然生成的人民支配から、台帳記入によって人民の表層空間としての生活
を支配する革命的な方法は、もちろん高度情報・高度技術をもつ官僚の存在なしににはあ
りえない。百済からの政治亡命者と王権参入と、軍団部族による地方への国造り部として
の東部開拓によって、台帳記入人民支配方法は可能になったと思える。USAは西部開拓
であり、南北戦争であったが、それと同期としてある、日本は東部東北開拓であり、西日
本と東日本の戦争である。USAの北部と南部の風土が違うように、日本は西と東の風土
は違う。朝鮮・韓国においても、高句麗・新羅・百済の風土は今日まで差異として継承さ
れている。

 すでに前世紀から、中国・エジプト・ギリシア・ロ−マ、そして朝鮮三国はこのような
台帳記入による人民支配を確立し、国家を形成していた。国家の基礎とは課税の台帳記入
であり、支配する人民の氏姓と家族、および奴隷の数を明らかにする台帳記入である。そ
れを担う官僚は生成する。七世紀の日本は中国と二千年の落差があった。他者によっ
て、その落差を学習した天智政権は、国家政治の中心としての首都を形成し、次にその首
都から全国に命令を下す基礎としての人民台帳をつくった。律令制度への胎動。行政官僚
機構の誕生。国家宗教である仏教の各地に建設した国分寺。それらの参謀こそが藤原鎌足
であった。官僚機構による日本文明はこうして誕生した。

 推古女王・聖徳太子時代の執権であった曽我一族によって百済仏教は急激に取り入れら
れ、上からの革命を推進したの曽我入鹿であったが、天智と鎌足によるク−デ−タで、曽
我一族は抹殺されるのだが、曽我一族の政策は「大化の改新」としてより貫徹されたこと
は、明治維新が徳川幕府末期の「開国」政策を貫徹したのと同期である。

 天智大王が六七一年に死亡すると、翌年すぐさま「壬甲乱」(じんこうのらん)とよぶ、
内戦が現出した。王位継承をめぐる内戦である。王の兄弟や王の息子たちが、王位継承を
めぐって、王権内権力闘争を現出するのは、ヨ−ロッパ史をみても同期している。ある王
朝内部の権力闘争こそが、その王朝の臣下にすぎない部族長を学習させ、その王朝内部権
力の弱体をねらって、王を殺す。王を殺した部族長はその王朝の血統を切断し、まったく
異質な王として多部族におのれを認めさせおのれの王朝をひらく。これが権力政治闘争の
常識なのだ。ただしこの常識は血統が重要となる父権王朝の場合であるが、血の戦いが臨
界点に達し極度の不均衡になると女王が誕生する。それが天武大王死後の六九〇年、持統
天皇である。持統天皇女王の執権が、天武大王の魔手から、シャ−マンたちに命を守られ
た鎌足の子、藤原不比等であった。藤原とは藤が国土に広がるという意味であり、藤原一
族は平城京から平安京への支配貴族へとのし上がっていく。不比等とは不死鳥の意味。そ
の一族は昭和の近衛内閣であり、九三年の細川内閣まで、血統は継承してきた。まさに天
皇制と同期してきた。

 「壬甲乱」の内戦において、新羅の王子であった大海人王子は、天智大王の息子である
大友王子を敗北させる。大海人王子は東へ開拓団として移住した戦闘部族を組織した。勝
利した彼は六七三年「天武」として大王の地位を剥奪する。天智大王が学習したことは、
王位継承をめぐる血のすざましい内部権力闘争を続けていけば、いずれわが王朝は滅亡す
るという危機意識である。彼は朝鮮半島における、唐・新羅同盟軍と百済・日本連合軍と
の総力戦を戦争指揮し、その敗北による打撃を経験した。その敗戦から、内部たる国家建
設に尽力し、おれの息子へ継承しようとしたが、天武によって転覆されてしまった。この
七世紀は、謎の四世紀、魏志倭人伝にある記述、壮絶な倭人による内戦を反復した。まさ
に騎馬民族部族による大王をめぐる内戦であった。天智大王は、これら血の闘争の歴史で
あった「倭」(やまと)の過去を消却し、あらたな「日本」を対外的に誕生させる方向感
覚に向かった。日本とは戦国時代が周期的に反復し、そこから女王が安定させていくので
ある。徳川家康は戦国の女たちの願いから誕生した。

 ある政治共同体はおのれが参入し投企した政治闘争や戦争の、敗北・敗走の処理と総括
をめぐって分裂する。その反対に勝利した軍の政治共同体はより一層団結する。なぜなら
敵の敗北という表層空間によって、おのれの強い内部を力として確認でき、おのれの可能
としての空間が拡大するからである。しかし勝利した側のシステムが衰退期に没入してい
るのであれば、逆にその勝利によっておのれを自身を喪失してしまい、システムは固定化
していく。その結果、やがて政治共同体の内部は自壊し、現在から漂流していく。

 七世紀の日本とは、まさに朝鮮半島の高句麗・新羅・百済による国家消滅をかけた三国
戦争に規定された戦国時代であった。ここから八世紀初頭に日本は誕生したのである。そ
れが「古事記」であり「日本書紀」である。官僚機構による日本文明と日本歴史の誕生で
ある。千二百年がたち、時間は千支臨界点である。ゆえに天皇制の時間は終わろうとし
ているのである。あらたなる日本文明と歴史が誕生するのかどうか、それが、二〇〇一年
に死者たちから問われている内容である。この革命たる維新に失敗すれば、日本はもはや
国家消滅という百済・新羅・高句麗の運命をたどることは間違いない。ゆえに民衆の文化
ではなく官僚機構の文明こそが、総括される必要があり、制度疲労として官僚機構の腐敗
が元文明の衰退として現出しているのである。

 ヨ−ロッパに学ぶのは、近代の罪悪としての進歩制度ではなく、ウィルスなのである。
ウィルスとの死闘こそ学ぶ必要がある。それは近代人間を現出したルネサンスではなくル
ネサンスを準備したヨ−ロッパ中世におけるウィルスとの死闘からである。そこから人間
とは生き物であることが再度、あたらしい人間像として定性される。

 そして、アメリカ合衆国USAは、その誕生から検討されなくてはならない。その解明
による自壊によって、おのれはUSAから離脱でき、世界イメ−ジの再構築が可能的現在
となるのである。理論は制度によっておのれの内部と深層に刷り込まれ書きこまれた映像
と表層を自壊するためにある。理論はおのれを不自由に縛る奴隷の足かせを切断すること
にある。これが場所と実践である。理論とは時間の経験である。

 現在の言説とは、宇宙に飛び立った人間が宇宙船内で、デ−タ−記録として、呼び出す
ことができる内容であるか、ということである。本物の力を内在した記録は、生き残るこ
とができるだろう。わたしは、そのために昨年の十二月末からタイピングしてきた。テキ
ストは一九九二年に手書きでファクス原稿用紙にかいたものである。さすがに、遅々とし
てすすまなっかた。それは手書きテキストがエネルギ−があったからである。九二年当時
はいつか、印刷して発行しようと思って書いたのだが、こうして、八年後に鬼怒一族と有
留一族の同盟インタ−ネット秘密サイト「ディアラ・原光景」に掲載になるとは予想して
いなかった。これがテキストの力である。

 わたしは、七十年代、八十年代、九十年代、現在の上部機構システム成員による、現場
歴史たる事実の消却を、けしてうのみにはしない。そう、わたしたちはアンダーグランド
の蝦夷なのだ。鬼怒一族は古代、大和朝廷軍によって高原山を追われて以来、各地の地下
人として生存してきた。水田稲作造作の奴隷として西国に流された鬼怒一族は、北条鎌倉
幕府炎上後、勃発した後醍醐天皇と足利尊氏の内戦、朝廷が分裂した南北朝時代、流民と
なって、故郷である高原山をめざした。選び抜かれた者のみを山の民として高原山に送り、
多くの者は、箒川西側にある豊田村へ住み着き、水田稲作開墾をしていった。豊田村には
わが一族が誇る、大和朝廷蝦夷侵略軍将軍坂上田村麻呂を暗殺した所がある。わが一族は
そこを坂上田村麻呂が宿泊した将軍塚として偽装保存することに成功した。坂上田村麻呂
が創建したという木幡神社も実は鬼怒一族が建てた社だった。

                 ──ウィルス・イデオロギー・完──

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