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仰木さん死去:驚き、別れを惜しむ声、声…(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/0510/news2/msg/309.html
投稿者 デラシネ 日時 2005 年 12 月 16 日 03:07:17: uiUTTMWMO8Vq6
 

(回答先: 前オリックス監督の仰木彬さん死去 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 12 月 16 日 00:22:08)

イチロー(左)と談笑する仰木彬監督=大阪市内のホテルで、大橋公一写す

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051216k0000m040160000c.html

近鉄、オリックスの監督時代に野茂、イチローというメジャー選手を育て上げ、選手の個性を生かした「仰木マジック」で両チームを優勝に導いたオリックス・バファローズのシニア・アドバイザー、仰木彬さん(70)が15日、逝った。95年の阪神大震災の年、オリックス監督として「がんばろう神戸」を合言葉に優勝を飾り、被災者に勇気と感動を与えた名将。突然の悲報に、関係者の間には驚きと早過ぎる別れを惜しむ声が広がった。
 
◆被災した神戸ファンにも力を与えてくれた
 
仰木さんは震災直後、98店のうち93店が震災による火災で全焼した神戸市長田区の大正筋商店街に、イチロー選手を連れて励ましに訪れた。
 
同商店街振興組合の上田司郎理事長(71)は「いつも、励ましの声を掛けてくれた。今年も3月に谷佳知選手ら大勢の選手を連れてイベントに来てくれたばかり。これからも頑張ろうとおっしゃっていただいたのに……」と、突然の訃報に驚きを隠せない様子。
 
震災前からほぼ毎試合スタンドから声援を送り、96年の日本一をともに喜んだ同区の会社員、南原達志さん(27)は「ショックだ。震災後、『がんばろうKOBE』のワッペンを付けてくれて、それまで神戸のチームとしてまとまっていなかったファンとチームに一体感が生まれた。仰木監督は被災した神戸のファンにも力を与えてくれた偉大な人」と惜しんだ。
 
大阪ドーム近くにあり、商店街ぐるみで近鉄、オリックス両チームを応援してきたナインモール九条商店街(大阪市西区)で喫茶店を経営する安田和志さん(43)は「チームの合併でこの1年間、並大抵の苦労じゃなかったはずだけど、笑顔を絶やさずやってきた人だった……」と絶句。「解説者をしていた時は球場の近くで何度か見かけた。商店街の激励会で春先に商店街に来てくれたのが最後。中村監督になったので、調子が悪いのかと思っていたのですが、そこまでだったとは」と声を落とした。
 
大リーグの野茂英雄投手の父静夫さん(66)は「まだ若いのに、残念です……」と驚いた様子。「英雄の結婚式で一度、お会いしました。あいさつをしてもらい、話も温厚。笑みを絶やさない、当たりのいい人だなあと思った。ご冥福をお祈りしたい」と話した。
 
◆『男の本懐だ』と仰木さん
 
近鉄時代、長年、コーチとして仕えた仰木さんに、監督として帝王学を授けた西本幸雄さん(85)は、再びオリックスの監督を務めることになった昨シーズンのオフに触れ、「『ユニホームを着て、もしものことがあっても男の本懐だ』と言っていた。でも、いくら仰木君自身が覚悟していたといっても、一緒にやってきた者としては残念だし、ショックです。こんなこと夢にも思っていなかった」と力を落とした。ベンチに入った今季も体調面の不安はぬぐえなかったという。「テレビの中継を見ていて、時々画面に映らなくなっていた。でも、ベンチに戻ってからは、そういう気配を感じさせなかった。その辺りが彼のけなげさだろうか」と話した。
 
西鉄時代からの盟友で、仰木前監督が近鉄監督時代にはコーチとして一緒にチーム作りをした中西太さんは、仰木前監督の訃報に「彼はよく働き、よく遊んだ。よき友を失った。誰よりも兄弟みたいな関係だった」と声を落とした。最後に言葉を交わしたのは10日ほど前。仰木前監督が入院先から中西さんの自宅に電話を直接かけてきたといい「来春のオリックスのキャンプ(での技術指導)をよろしく頼む」と話したという。
 
チーム強化を考え、巨人を自由契約になった清原和博選手の獲得を望んでいたという。中西さんは「彼は死ぬまで野球のことを考えていた。球場に人を呼びたい、だから看板も欲しかったんだろう」と胸中をおもんぱかった。
 
ノンフィクション作家の後藤正治さんは「3年ほど前に仰木さんの野球人生を取材したが『遅咲きの監督』という印象だった。近鉄の監督に就任する前に18年間もコーチを務め、しかも打撃や走塁、守備、ヘッドなどあらゆる種類のコーチを歴任した苦労人の蓄積が、監督時代に生きた。抜群の戦力ではないチームを率い、毎年優勝争いに持っていく手腕があった。味わい深い監督だったと思う」と惜しんだ。
 
ファン歴40年で、阪急時代から応援団長を務める神戸市須磨区の河内毅さん(63)は「震災の年に優勝、翌年に日本一になってくれた。祝勝パーティーで同じ壇上に上がったとき、握手をして『大変やったなあ』と声をかけてくれたことは、決して忘れない。心からありがとうと伝えたいです」と話した。
 
また、三菱重工神戸野球部は、オリックスが日本一になった翌年の97年に日本選手権大会で日本一になった。大川広誉監督(34)は「震災後、野球を通じて神戸を盛り上げてくれた大先輩。野球を続ける励みになった。本拠地を神戸に置くチームとして、監督と同じ思いで野球を続けていた」と語った。

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