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公認の知からは自由になれないのか?
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投稿者 国家の強化に奉仕して共存共栄する知 日時 2005 年 3 月 01 日 18:47:47: zcnTvBfP7c6hk

 
 
 
 
公認の知からは自由になれないのか?

国家の強化に奉仕して共存共栄する知

‥‥

知の厚みを前に、この「私」は、ややもすると物量に
圧倒されがちかもしれない。いま「そこ」(知の世界)に
あれだけの量(人、人の営み)があるのだ、と見聞し、感嘆・
感得する際に、しかし「私」は、そこには何か「特別な」意味が有るに
相違ないとの予断を、しばしば抱いてしまっているのではなかろうか。

物量それ自体の力を想うとき、知的な金字塔としての「文書の要目数」が醸す物的荘厳さは、布教活動に与する
ディスプレイ(普及・定着上の演出商品‥‥ことに“箱”や偶像や装飾)に近しいものがあるといえるかもしれない。

もとより「私」は漠然とでも“情報量と真実性が比例する”と考えているはずなのである。
たしかに生活経験としては、「多くが語る知」にこそ規格としての汎用性があるとしても、
だが、情報量と真実性の因果関係そのものには終ぞ根拠を見出しえないかもしれない。

‥‥

(公への絶対化)

(諸)国家というものが、まずは国家存立の護持を第一義にすると視うるならば「国家の正統性」および「国家の正統性の枠内での“その国家”の正統性」の
ほうへと国民意識を釘付けにしなければならないはずである。そのため、一つの方策として公文書の生産、さらには、副次的な私文書・民間出版物・史料の
2次利用たるところの転化、公文書化を進めるよう、即ち公文書の増量が「需要」されているものと思われるのである。とりもなおさずそれは、知の繁殖による
知の強化であって、「私の知」の公共化ないしは昇格であるはずなのだ。またそれは「知の発掘」という“公務そのものの生産”であるとともに動員・増員を企図する
ものであり、延いては「そうした思想の輸入」および「そうした方法の制度化」への運動、ということでもあるかもしれない。即ち「知の生産者側」からすれば「知の体系
たる国家の枠組み」持続への代謝の求めに、“付加価値”込みの「知の償却」を上申し、過剰な修繕を折衝する意味あいがあるのではなかろうか。
(国家が物的な最高権威たるからには当然、権勢を以て信用を形成し、経済的な実権を掌握して、所得・融通・信任・体裁・発言権・優越感‥‥
等々と、その齎すところの恩典に富むであろうから、学の“生長”欲求からみて、国家へは不可避の接近、固着といわねばなるまい)

この環境下、そうした「知的再編」運動の衰亡は、既に“有用な知を蓄積した者”にとっては「公的に評価される趣味」の悦びの増進と、惰性的にでも
引き続き渉猟する口実を得る恵みとを意味するはずなのである。知自身が「知の運動」という“知の着せ替えの契機”を生み出し、新しい知の狩場は、
その中心においても、ただ新しいがゆえに変化に期待する耳目を集めて有価(高価)となり、高騰するということが起きているのかもしれない。また、その圧倒的多数の知に
満ちた漁場への、進取・先取の競争機会では、「知の内部闘争」と、「知の官位再編」とによって、“関連業界”自体が刺激されるとの構図が見出せるかもしれないのである。

知の裾野の拡大が「知の職業生産者」の擁立に等しいとすれば、そういう「別なる世俗意識」の創建という
ものは、恐らく「別なる俗界」の活況・隆盛ならびに栄典・名誉(聖性)の独占、ということと一つなのである。

‥‥

ここに“好例”と思しきサンプルを得たので掲げておく。

アーカイブの役割とは/真実の保存か、偽証の創作か?(1/3)
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/141.html

アーカイブの役割とは/真実の保存か、偽証の創作か?(2/3)
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/143.html

アーカイブの役割とは/真実の保存か、偽証の創作か?(3/3)
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/144.html

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