★阿修羅♪ > 議論23 > 158.html
 ★阿修羅♪
個別性とは「我とは何か?」です
http://www.asyura2.com/0601/dispute23/msg/158.html
投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 3 月 26 日 08:00:38: egUyw5BLxswRI
 

(回答先: Re: 死後の個別性、本当に興味があるのは、そして、前進するには 投稿者 健奘 日時 2006 年 3 月 25 日 14:44:28)

健奘さん、失礼な言い方ですが、続ける気を失っていたのかと思っていました。私も少し続けたくなりましたので書き込みを入れさせていただきます。

>人々の、しかし、関心は、人の意識、認識活動が、死後、どうなるのか、どうなっているのか、ということなのでしょう。

>人の死後における、意識、認識活動を、観測したことが無いのですから、科学で論じる直接的な範囲ではないでしょうね。

>科学が、論じると言うのであれば、人が、”人の死後における、意識、認識を、どうとらえているか”を観察し、それを議論する、ということになります。

>すると、人々の、死後の考え方、見方を、標本(創価学会系の人々の見方も一つとして)のように集め、グループ化することになるでしょうね。昆虫の分類と、あまり、変わりはないです。

>こうした限界から、半歩、前に文明を進めるとすれば、意識、認識を、ロボットに行わせ、その内部構成を研究するのが、有力な候補なのでしょう。
幼児の言語獲得、その個性も含めた、現象を理解することも、かくして、進歩させることができると考えるわけです。

残念ですが上記の文章と私の考えはまるっきり違います。私の言っている個別性とは、知識以前のものであり、認識以前のものでもあります。つまり「我」という意味になります。哲学では「私とは何ぞや」「我とは何か」という意味になります。それが理解された時「人間とは何か」が理解されます。そこから観念論としての有神論に進むか唯物論に進むかという分かれ道に差し掛かります。当然現在では科学性(天文学・物理学・歴史学・人類学・文化人類学・社会科学・社会心理学・心理学・経済学・政治学等)が進んでおりますので(これらの基本にあるのは唯物論です)当然科学するということは唯物論の道をとります。そして不平等を論じようとするならば歴史観としての史的唯物論弁証法ということになります。

それはさておき「我」とは何かから考えてみてはいかがでしょうか。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > 議論23掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。