★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 219.html
 ★阿修羅♪
膝枕さんもこういう話題にはお強いようですね(笑)
http://www.asyura2.com/0601/idletalk17/msg/219.html
投稿者 heart 日時 2006 年 3 月 17 日 18:30:28: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: 愛とは・・・・→こういう話題ならデラシネさんの過去の投稿を読むべし 投稿者 膝枕 日時 2006 年 3 月 17 日 00:27:52)

膝枕さん、初めまして、レスありがとうございます。
膝枕さん、愛、と言えば確か・・・と思い出して、前の雑談板を見てみました。
思ったとおり、運命の人と人生を共にしていらっしゃるうらやましい限りのお方でした(笑)

>報われることを意識している段階の感情は「愛」とは呼べません。「愛もどき」です。
>愛とは報いを求めようとする気持ちの有無など無関係。
>「無償の愛」というのは馬から落ちて落馬したと同義で「愛はそもそも無償」なはずです。

「愛とはそもそも無償のはず」とのこと、確かにそのとおりだろうと思います。

ただ、「相手から愛されたいと思う気持ち」を持つのは愛として失格かというと、そうではないのではないかと思います。

相手から愛されることを願うのは自然なことだと思います。
相思相愛であれば、膝枕さんのおっしゃるような、相手から何も求めない愛という愛が成立しますが、相思相愛でないいわゆる片思いの段階においては、相手から愛されることを望んでしまうのはむしろ当然ではないでしょうか。
そして、私は、片思いの段階においても、真の愛というものは抱き得ると思っておりますので(相手から愛されない場合は持続しない可能性もありますが)、相手から愛されたいと思う気持ちがあっても、真の愛である可能性はあると思っています。

これ以外の点については、膝枕さんの愛(情)論は全くそのとおりだろうと思います。

ちなみに、私は膝枕さんのおっしゃる「愛もどき」でない愛を経験したことがあると思い込んでいます(笑)

以下、私が今日検索してみた、阿修羅での愛に関する投稿の一部を、掲載しておきます。
膝枕さんの愛に関する言葉集みたいな感じにもなっています(笑)

***************************************************
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/350.html
投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 13 日 13:31:47より一部抜粋
愛を知ると心が解け合うようになる。個々人は無くなり一つとして機能し始める。そう・・・この世は「個々」に見えるけれど実は個々に分かれていると見えるのは単に錯覚で本当は個々ではなく一つのものなのだ。それに気がつくためのアイテムが恋愛なのかもしれない。

故に私は皆に言おう「運命の人に出会いなさい!」そして「至福を知りなさい!」

http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/355.html
投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 14 日 12:58:47より一部抜粋
・自分の心が素直になるだけで今まで見えなかった「人の心」を感じるようになる。すると誰にも「出会い」は訪れる。目の前に現れないのではなく見えないというだけ。見えないものには出会えない。

・「相手の心の中にすーーと吸い込まれるような気持ち」・・・理屈以前に心が融合してしまう。好きとかいう話でもない。・・・「本当に好きなら理由なんて無い」、あそこがとかここが好きなんてのとはレベル次元が違う。

・「自分の心の中に愛する人が棲んでいる」こんなふうに心というものは一体化という性質がある。世に蔓延る安物の恋愛は相手は常に自分心の外にしかいない。どんなに寄り添っていても自分の横、傍というだけ。一体化をしていない二つの心は所詮別個のもの。好みが変われば距離も離れる、理解も出来ないから喧嘩にもなる。サンヨクがユジンに抱く恋愛感情は身勝手で自分にとって都合の良いもので一体化とは本質的に別物、つまりは偽の恋愛感情。
しかし同一化していない別個の心でも長い時間傍に居ると情がわく。情がわいた段階は自分の心ととても近い距離にいる存在となりかけがえの無い相手であることは間違いが無い。仲の良い夫婦、友達、ペットなど、情で結ばれた関係も素晴らしい関係は築ける。
でも「一つに心が解け合う」などという一体化とはまったく別物。そしてもうひとつ言える事は「一体化した心」の二人は離れることは無いということ。

http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/366.html
投稿者 膝枕 日時 2005 年 12 月 16 日 15:36:55より一部抜粋
・「何故か分からないけれどこの人と共に居ると幸福だ」という状態に到るには理性的判断では到達するとは限りません、大抵の場合、「程遠い」という結果に終わります。「まぁ可もなく不可もなく、こんなもんだろう」と月日を重ね情が擬似的愛情に成長するということもあるので悪いとは言えません。しかし心が融合した二人という状態とは月とスッポンで雲泥の差です。

・運命の人に出会うなどというのは極限られた人にしか起こりません、だからこそその渇望が映画になり小説になるわけです。運命の出会いはとても難しいことでしょう、しかし逆に言えばとても簡単なこととも言えます。つまり自分の心の状態がどういう状態であるか?そしてその状態が「ある状態にあるとき」に運命の人を感じることが出来る。と、こういうことだと思います。

・出会いをあとから振り返ってみると偶然以上のとても有り得ない確率を感じることも多いものです。いずれにせよ、心の曇った人というのは感受性も鈍く、同じような鈍感な人としか出会えないということは間違いないでしょう。運命の出会いが出来る人は「この人こそ出会うべき人」と心が分かるといいます。結局は出会いの機会ではなく、心が「わかる」という状態にあるかどうか?ということなんでしょう。

●魂の伴侶
http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/367.html
投稿者 デラシネ 日時 2005 年 12 月 16 日 17:43:47

http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/619.html
投稿者 猪突猛進(膝枕) 日時 2004 年 5 月 03 日 09:38:50より一部抜粋
・愛とは、「自他の境がなくなること」あるいは「自より他を大切に思うこと」

・単なる自己犠牲の愛は未熟な愛でしょう。相愛の愛が最高なわけですから、自己犠牲は相手のためにもなりません。

●愛
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/877.html
投稿者 SV問題 日時 2005 年 7 月 18 日 10:44:51スレッド全体

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > 雑談専用17掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。