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じつに三元的でも、あれば四元的でもご自由に
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投稿者 金十字架 日時 2006 年 4 月 11 日 22:45:34: mfAWtS4GF8MpY
 

(回答先: 横レス失礼いたします。 投稿者 haru 日時 2006 年 4 月 11 日 19:57:17)

いいか 悪いか 
善悪
がそもそも二元論的かどうか

悪というのは何を指すのですか?
弱いものをいたぶる者
これは善行の対にあたるものです
それを指すのだとしたら
では善というものは何でしょう?

悪が居るからそれに対抗する者
それが善?

それは違うと思います
善悪を越えたところにある「善」
というものを知って、
それにもっと関心をもって
人々は何かを感じとり考えるべきと思います

つまり悪が居るから善がある
という考えではなにも掴めないまま
あるものを「ある」と結論付けるだけに終わるでしょう

私はもっと賢い方たちには
言葉ではない、感情でもないところにあるものをフル回転させ
この世を見てどうすべきか
何が必要かを体全体で考えてほしいと思います
そうすれば答えは思わぬところに見え隠れしているものを
見つけられると信じています

さて二元論というのはつまるところ
そうした解釈の元
使われ続けて久しいのでしょうが
私はそうした使い勝手のよい言葉の大半の
意味するところを非常に胡散臭く見ています

二元的陰陽はこの自然界の中にとりまく秩序
拮抗するものを巧みに振るい分けて
それでバランスを保つと信じうたわれた
包括された世界でこそなりたつ物言いですが
それでみても今世界は多くのバランスを欠き
崩壊の危機に瀕しています

これさえも支離と分かつ今

こうした中再び秩序を取り戻すに
二元論しかないのだとした使用には
危険な思い浮かびしかなされないような感じも受けます


しかしこうした中でもゆるぎなく
人の精神性は常に一元的なものです

「善い方に進もう」
と真剣に人が考えるとき
それは前にしか進みません

そこに道と方向性がうまれます

二人居て二人とも同じ方向性を示せば同じ道を進むでしょう
ですが二人居ておのおのが真逆の方向性を示した時
そこにぶつかりや足の引っ張り合いがうまれるでしょう

単なる理屈ですが

単純にそのぶつかりは意見の衝突、武力闘争に発展すると考えられる訳ですが、
私は「ぶつかり」そのものを悪いとは思っていません
そのままにエスカレートしていくことを怖いといいたいのです

起こるべくして起きるものは自然の摂理です
それは混沌としています
しかしその摂理を知るのは人間です
そこに人の意味と人の判断力の真価が問われるのです

起こるべくして事が起きた時
何が必要かといえば 和解や 説得 譲歩しあうこと よい意味での妥協という
互いの立場を尊重しあった話し合いが常に行われるべきで
それはその行程が正しくうまくいけば 
私はそのふたつが新たに違う方向を差し示すことさえあり、
みっつめの何か、よっつめの何かと新たな分野が大いに花開くものだと考えています
ひとつある分野として宗教というものがありますが
今日の人々になにかよくない印象があるということ
誤解を招いてきたということはそこに問題があります

宗教の対立を今日まで引きずってきたことはうまく対話が出来て来れなかったこと
その原因は何でしょうか

私は物事全てお互いが同じ方向性をあわせる努力をやめなければ
必ず進んでいけるものだと想っています

そう願わないからこそ物事は極端に移り行くのですから


二元的物の見方 これは森羅万象の逃れえぬ法則としてありますが
それを越えるのが人の意思です
実のところ人の意思が世の中の万象森羅すべてに大きく働くものだと思っていますが
その意思が一元的であれ二元的、いわゆるプラス思考であれマイナス思考であれ
それが世を変革するものだと思います

その在るを知るは人 人は何故それを知るか それは何の為かといえば 
簡単には答えに出しにくいのですが
自然界の運営権というものをその摂理法則を知るもの、
人に一任しているからであるのだろうと感じています
自然的 という対にあることばに 人為的 機械的という言葉を連想させるでしょうが
それは単純に誤りだと言えます
それを習って正解と得てきた者にとってはきっと理解しがたいことでしょう

過去にはそうして自然 機械 人 が 地球をおもしろおかしく運営し成り立っていたものだとも想ってもいます

それが人の世に意味を持たせていると

二元論的活用の大半は
でっちあげのうそっぱち
と私は感じています

言葉の力を信じるものはあやふやに言葉を使用しなかったといいますが当然でしょう
現代が言葉の力を失ったというのはある意味正解ですが
今また違う意味で言葉の力の恐ろしさを学ばされています

言葉が通用しない 議論が成り立たない

そうした偽造された言葉を学び学ばされる課程においても
人はあやまった道を今日になっても尚多く造りつづけていると感じています

二元的な物言いは
秩序の安定とバランスの為に活用してほしい

きわめて遺憾なのは
二元論があるべき人の世の否定の為に多く使われていることです

陰と陽というのは正負
勝つものが居れば負けるものが居て当然だと

その法則でいつまでもものごとを考えていっては
結局破滅をも招きます

ほどほどを守り通すべきです
あいまいさを守り通すべきです

体制に反するものは反体制

政府に対抗するのはテロリストまたは武装勢力

真実を知るものはまた隠すものでもあり
真実を知らぬものは知ろうとするものである

私は真実を追い求めようとする純真な心は一元的なものだと思います
隠そうとするものがいるから追い求めようとする、
というのはやましい人の欲です

ただしかし、正しいことの為に 世の為にと信じて事を起こさんとするのは
一元的な精神性から生まれたものだと想います

その正しい心の方向性を束と収束しなくてはなりません
絆です 縄です

何を信じて進むかは自由とよくいいますが
言論の自由と謳っては人をののしり
表現の自由と謳っては人の心を食い
宗教の自由と謳っては金と戦に狂う

それはすでに魑魅魍魎の致すところ
そのような「自由」なども「二元論」に同じく、
本来のその言葉の意味の何を知るかと
その言葉の意味の何を知ったとして満足するのかと
そう改めて人々に問いたださなくてはならないところと存じ上げます

既存の理論や言葉を安易に、またはみだりに振りかざすことは
危険かつ不要な道をまた生み、作り、迷うままに迷う

ちなみに現在の自然秩序を破壊したものは機械そのものではありません
自然に準じた機械も多くあるがゆえに

機械的に動く人間が自然を殺す
人間にも機械的、また反自然的なものも数多く迷い居ることでしょう

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