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超巨大カルト、バチカン:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」【バルセロナより愛を込めて氏 2005 年】
http://www.asyura2.com/0601/revival1/msg/189.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 31 日 19:05:06: YdRawkln5F9XQ
 

超巨大カルト、バチカン:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/299.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 19 日 20:49:58: SO0fHq1bYvRzo

超巨大カルト、バチカン:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」


今回は、前回に引き続き、20世紀後半のバチカンの変容に決定的な役割を果たした要因として、第2バチカン公会議前後での「カトリックのユダヤ化」策謀の跡を追っていきます。

◎ただ「ユダヤ化」といっても、第2バチカン公会議以前とその後のカトリックに関する知識が無いと理解が困難です。今回の本文に入る前にこの点を取り上げておきたいと思います。以前の私の投稿から引用します。
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http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/134.html
イベリア半島「百鬼昼行図」 その7:オプス・デイはカトリック内の「ユダヤ勢力」の代理人か?
【引用開始、前略】

第二バチカン公会議(1962−65)とは、それまで独善的・閉鎖的・排他的で伝統固執の宗教だったカトリックを「社会の進歩」に合わせて「改革」しようという会議で、時の教皇はヨハネス23世であった。以前と全く違ってしまった主な点は、
@それまでラテン語が主だった典礼の言葉や聖歌を各国語にし、ミサなどでの作法を大幅に改革した。例えば、ひざまずいて祈る必要がなくなった、それまで必ず司祭の手で信者の舌の上に置かれていたホスチア(キリストの聖体を現すパン)を、信者が自分の手で取って口に入れてもよいことになった、など。
A神秘性を可能な限り薄め、教会と聖職者の超越性を否定し、教会を「平等化・人間主義化」した。
B他の宗派や宗教との対話が進められ、教会一致運動(エキュメニズム)によるプロテスタントや正教との接近、ユダヤ教やイスラム教など他の宗教との協調を進めた。特に、ユダヤ人から「キリスト殺し」のレッテルをはずした。
C労働や仕事などの「地上」の活動に重点が置かれ、各教会が幅広い社会活動に参加するようになった。

【中略:以下、オプス・デイの方針に関して】

★かつてのカトリックの特徴であった世俗を超越した厳格な教会ヒエラルキーは否定される。
★かつては「救済」の唯一の方法論であったカトリックの教義に優先して、『人々の良心の自由』が尊重され『すべての人のために場所が』あり『共通善を尊重するという条件の範囲内で正当なイニシアティブを認める』ようになっている。
★必然的に、エキュメニズム(教会一致運動)や非キリスト者の取り込みと連携が積極的に行われる。
★「この世は罪に満ち人間は罪人であって、キリストの十字架上の贖いを信じることによってのみ救われる」という伝統的な教義は、『自らを聖化する』『人間の仕事とは聖化される現実、聖化すべき現実、聖化する力をもった現実』『現世的な現実の自律を尊重し』『全員がそれぞれ固有な状況において』救われる、と書き換え・付加が施される。
★要するに、もはや、かつてカトリックの重要な「売り物」であった「原罪」「悪魔」「奇跡」、特に「天国」への関心は、見えないほど遠くに追いやられている。
そしてこの内容がほとんどそのままバチカン第二公会議の決定事項になっているのだ。

これらのオプス・デイ自身の言葉から浮かび上がることは、このカルト集団とバチカンの目指すものが実は「この世の王国」であり、キリストが3ヶ月の断食の末に悪魔によって山の上から見せられたとされる地上の栄華だ、ということであろう。(余談だが、バルセロナの北西側にティビダボという山があり、ここから全市内が展望されるが、この「ティビダボ」というのは上の場面で悪魔がキリストに言った「お前に与えよう」という意味のラテン語から来た、といわれている。私ならば・・・喜んで!)

【後略、引用終り】
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◎以前のカトリックでは(私もカトリック系の学校にいたので散々吹き込まれた)、その教義(一般信者向け)の最大のファクターは「原罪」でした。人間はその存在の初期から「原罪」を背負っており、この地上は罪悪に満ちて救いは天国にのみ存在するが、「原罪」を背負う人間にとっては不可能。そこで、神は自らの子を「罪のあがない」のために地上に遣わした、「キリストの十字架上のあがないを信じることによる霊魂の救済」のみが人類の目標とすべきことである、と、まあ非常に簡単に言えばこのようなものでした。

十字架による救済を信じて地上の国にではなく天の国に宝を積め。もちろんカトリックの総本山ローマがこの掟を守っていたとも思えませんが、とにかくその最大の「売り物」はこの「原罪」「十字架」「天国」の三本柱でした。これはプロテスタントにも共通の要素ですが、カトリックでは特にその形式化・儀式化が非常に進み、司祭はその神秘の世界への導き手であり一般信徒とは厳格な格差がありました。

必然的にカトリック教会にのみ救いがあり、そこに属さない者には天国への道は閉ざされました。本来キリスト教の「神の元での平等」は「平等に原罪を背負っている」という意味だったのです。その「原罪意識」と無関係な「良心」などは存在しなかったのです。したがって他の宗派や一般的な「良心」を受け入れることは考えられませんでした。

そしてその神秘的な権威を印象付けるための彫刻や絵画が最大限に利用され、いわゆる「偶像崇拝」的な要素が極端なまでに発達しました。旧来のカトリック教会で我々の眼を楽しませる事物が多いのはこのためです。(この点はギリシャやロシアなどの正教も同様でしょう。その意味ではプロテスタント教会には何の面白みも無い。)

そしてこのような「カトリック精神」の対極にあったのが「ユダヤ人」だったのです。彼らは何よりも「この世の王国」を愛して天国を否定し、キリストを殺害した上に十字架による魂の救済を信じない、キリスト教徒に対して常に憎しみを持ち続け、教会の神秘性に満ちたヒエラルキーを軽蔑している、これが旧来のカトリックによる「ユダヤ人観」でしょう。

要するにユダヤ教の変形として出発したキリスト教がローマ帝国の中で出身母体との差異を明確にし、自らが「この世の王国」を追及する際にその出自をごまかすために発明したものなのでしょうが、主に布教と信者管理の道具として利用されたように思われます。キリスト教国家での宮廷ユダヤ人の歴史からも分かるように、「この世の王国」の中では決して手を切ってはいなかったのです。

その意味では上記の第2バチカン公会議の決議事項やオプス・デイの方針などは、以前の熱心なカトリック信徒にとってなら「ユダヤ化」以外の何物でもなくなります。近代以降、世界的に「原罪」による脅しが通用しなくなり「十字架の救い」から意味が失われた以上、「自由」「平等」「博愛」等の近代精神を受け入れることは必然的に従来否定してきた「ユダヤ」を受け入れること、つまり「先祖帰り」とイコールになります。

◎現在「この世の王国」で「この世の富と権力の独占」を志向する人々の中に「ユダヤ系」と称せられる者が非常に多いことは否定できないでしょう。本来的に国を持たない彼らは、逆に言えば国家や地域社会の枠に縛られること無く「世界全体」を自分の関心の対象に出来ますし、事実そうしているようです。

一神教の「普遍性」に加えてこの「世界性」に関心が強いわけですから芸術や科学にも才能を発揮しやすいでしょう。一方でユダヤ人トロツキーがユダヤ人マルクスの思想で「世界革命」を目指し、さらにユダヤ人のネオコンが自分たちの「世界革命」を推し進めようとしており、ユダヤ資本は世界中にその手を張り巡らせ、その代理人が世界の国々の政府をコントロールし、世界の資源と資金の独占を図り、世界の主要マスコミと芸能活動はユダヤ資本の手の中にあり、・・・・、等々。

そしてそのような社会での「ユダヤ化」とは文字通りの意味になってこざるをえません。それは旧来のキリスト教社会から「埒外」として排除されていたユダヤ人たちが最も求めていたことでしょうから。

前置きが非常に長くなりましたが、以上の点を踏まえてお読みください。


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超巨大カルト、バチカン:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」

(私はここではカトリシズムそのもの、ユダヤ主義そのものに対する価値判断は行わない。冷徹に事実を追究していくことにする。)


●1978年10月16日、不可解な死を遂げたヨハネ・パウロ1世の後継者を決めるコンクラーベで、誰もが予想しなかった若いポーランド人が新教皇に選出された。これがヨハネ・パウロ2世、本名カロル・ヴォイテーワ(Karol Woytila)である。このときの「キング・メーカー」となった人物がいる。オーストリアの枢機卿フランツ・ケーニッヒ(Franz Koenig/König:1905〜2004)である。

このケーニッヒについて書かれた英国ガーディアン紙の記事の一部を引用してみよう。

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http://www.guardian.co.uk/religion/Story/0,2763,1170230,00.html
Hella Pick 2004年3月16日
【引用開始、前略】

オーストリアの外では、第2バチカン公会議の間、彼はヨハネス23世と密接な関係があり、近代のカトリック教会にもたらすべき改革を熱狂的に支えた。東ヨーロッパとの文化的接触によって彼は東西の壁を壊した最初の人間の一人であり、そしてポーランドでカロル・ヴォイティーワに出会った。1978年にヴォイティーワがまだ無名の僧侶であったときにケーニッヒは彼が教皇ヨハネ・パウロ2世として選出されるのに力を尽くした。彼はヴォイティーワを支援したことを後悔はしなかったが、しかしこの教皇の神学に対する保守性には失望を隠さなかった。

【後略、引用終り】
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さらにカトリック系のホームページCatholic-Page com.から、Delia Gallagher著「システィナ礼拝堂の上に立つ白い煙(White Smoke Over the Sistine)」という文章の一部を引用する。

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http://www.catholic-pages.com/pope/whitesmoke.asp
【引用開始、前略】

「おそらく非イタリア人がなるべき時だ。」オーストリア人枢機卿フランツ・ケーニッヒはポーランドの枢機卿ステファン・ウィシンスキーに語った。「私じゃないよ!」ウィシンスキー枢機卿は叫んだ。「いや、君じゃない。」ケーニッヒは答えた。「それはヴォイティーワ枢機卿だ。」

【後略、引用終り】
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●「東西冷戦」を反共側の勝利へと導くべき人材ヴォイティーワをポーランドで「発掘」したのはこのケーニッヒであった。ヴォイティーワがオプス・デイに強く支持され、また彼自身もこの教団とその創始者ホセ・マリア・エスクリバーに心酔していたことは広く知られる事実である。さらにポーランドで共産主義を敗北へ導いた主役であるレフ・ワレサがオプス・デイのメンバーである可能性は極めて高い。そしてケーニッヒはオプス・デイ会員ではなかったが、当然のことながら、この教団とは堅く結び付いていた。

2004年にケーニッヒが死亡した際に、教団機関紙Opus Deiはハビエル・エチェベリア司教の次のような題名の文章を載せた。(下記はネット英語版:2004年4月3日号)
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http://www.opusdei.org/art.php?w=32&p=7754
Bishop Echevarría: “Thank you, Cardinal König, for your help and your friendship.”
『ありがとう、ケーニッヒ枢機卿。あなたの援助、あなたの友情に対して。』
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ケーニッヒも生前にこの機関紙Opus Dei(英語版)に教団創始者のエスクリバーを称えるインタビュー記事を寄せている。(2001年12月21日号)
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http://www.opusdei.org/art.php?w=32&p=2633
Interview with Franz Cardinal König about Blessed Josemaria Escriva
『福者ホセ・マリア・エスクリバーについてのフランツ・ケーニッヒ枢機卿とのインタビュー』
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このインタビューはオプス・デイ創始者エスクリバーが列聖される以前のものでまだ「福者」となっている。しかし上の記事の中に少々引っかかる箇所がある。その部分だけを引用してみよう。
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【引用開始、前略】

【インタビュアーの言葉】
あなたは長年ウイーン司教区のトップを勤めてこられましたが、あなたは社会民主主義との和解を教会にもたらされました。あなたはバチカンの「東方政策」の先駆者であり、そして1957年にオプス・デイをウイーンに招いてくれました。

【後略、引用終り】
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「社会民主主義との和解」? そしてそれがバチカンの「東方政策」、つまり勝共政策の先駆的な働き? バチカンが接触することを通して欧州の社会民主主義を反共側に取り込むことに成功した、とも受け取れるが、もう少し詳しく見てみよう。先ほど引用したガーディアンの記事から続きの部分である。

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【引用開始】

1956年から1985年までオーストリアの大司教として、ケーニッヒはその聖職者としての才能と鋭い知性、深い学識と決断力を結び付け、ローマ・カトリック教会の影響力を使って対話を広げドアを開いた。それは他の信仰に対してばかりではなく無宗教者に対しても同様である。彼はこの国の社会民主党との緊密な接触を確立した初めての高位聖職者であり、ユダヤ人で社会主義者の首相、ブルーノ・クライスキーとの暖かい友情を築いたのである。

【後略、引用終り】
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●クライスキーは1970〜83年にオーストリアの首相を務めたユダヤ人社会主義者である。そしてケーニッヒは単に欧州の社会主義を共産主義から切り離したばかりではなく、ローマ教会とユダヤ人グループを積極的に結び付けていったのだ。

ユダヤ人とキリスト教徒の対話を進めるInternational Council of Christians and Jewsが主催するサイトJewish-Christian Relationsはケーニッヒが死亡した直後に次のような哀悼の記事を出している。(2004年3月17日)

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http://www.jcrelations.net/en/?id=2204
【引用開始、前略】

ケーニッヒ枢機卿は「クリスチャン・ユダヤ人協力のためのオーストリア共同委員会」の設立に努め、長年にわたってその活動を行った。ケーニッヒ枢機卿とユダヤ人学者Ernst Ludwig Ehrlichとの対話は1988年に Juden und Christen haben eine Zukunftという題名で出版され、そして2003年に雑誌DAVIDはケーニッヒ枢機卿とウイーンのKurt Schubert教授との間で交わされたヒトラー時代の生活と思考に関する対話を出版した。ケーニッヒ枢機卿は生涯にわたって反ユダヤ主義への反対者であり、1987年に次の主題について宣言を行った。「キリスト教の信仰はユダヤ主義の価値についてずっと深く理解するように我々に求めている。アブラハム、イサク、ヤコブの神に対する忠誠の共通の根に気付くように、またキリスト教徒とユダヤ人の間の兄弟愛に基づく関係のために全力で闘うように、求めている。」

【後略、引用終り】
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そして、最初に引用したガーディアンの記事にあったとおり、このケーニッヒが1962〜5年の第2バチカン公会議の最も積極的な推進者であったことは言うまでもあるまい。この公会議でユダヤ人から「キリスト殺し」の汚名が取り去られ、カトリックとユダヤ人との和解が進められたのだが、その最大の功労者の一人がこのウイーンの枢機卿である。

●またその動きに「ホロコースト」が決定的な役割を演じたこともまた言うまでもあるまい。次の資料はThe American Jewish Committeeのホームページから、Robert S. Wistrich の論文Austria and the Legacy of the Holocaustの一部である。

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http://www.ajc.org/InTheMedia/PubHolocaust.asp?did=137&pid=41
【引用開始、前略】

ユダヤ人とキリスト教徒の対話は、オーストリアでは1960年代の第2バチカン公会議およびフランツ・ケーニッヒ枢機卿の努力の結果として送れて始まったのだが、同時にまたユダヤ人とユダヤ教に対するカトリックの偏見を減少させる働きをしている。1987年9月26日のin St. Pöltenでのスピーチでケーニッヒ枢機卿は、キリスト教徒とオーストリアのホロコーストに対する共同の責任を無条件に認め、オーストリアの政治指導者によるより明確な謝罪への道を指し示した。それはその2、3年後に実現した。

【後略、引用終り】
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このケーニッヒがオプス・デイの盟友、前回の『超巨大カルト、バチカン:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」』の中で申し上げた『エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人』の一人であった。そのオプス・デイがCIAや米欧国際資本と手を組んで米国の干渉に反対する人々に対する拷問と大虐殺を進め、数千万人もの中南米の民衆を極貧の状態に陥れていたのだ。一説には米国がラテンアメリカで殺害した数は600万人にのぼるとされ、「米国によるホロコースト」と呼ぶ人もいる。
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【参照】
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/751.html
ラテンアメリカに敵対する米帝国とCIA[第2部](レッ・ボルテールより:英文掲載)
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どうやらこの類の人間にとっては、今このときの現実に起こっている人間の破壊と虐殺はさして気にはならないものらしい。これはパレスチナに関しても同様なのだ。面白いものである。彼らにとっては「ユダヤ人に対する迫害」だけが問題なのであろう。


●第2バチカン公会議を最も強く推進した『エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人』の中にもう一人の重要人物がいる。ドイツ人イエズス会士であるアウグスティン・ベア枢機卿(Augustine Bea:1881〜1968年)である。彼は教皇ピオ(ピウス)12世の聴罪師を務めるなどバチカンの中で大きな実権を握っていた。

ご覧いただくのは、バチカン自身の公会議資料から「第2バチカン公会議とユダヤ人」と題される文章の一部である。

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http://www.personal.psu.edu/users/a/v/avl110/secondvatican.htm
【引用開始、前略】

カトリック教徒とユダヤ人たちとの各地での対話が何年も続いた後でついに、その必要性が頂点にまで達しそしてバチカン自身の関心事へとなった。その事柄、つまり必要性が他の宗教へ水路を開いている間、教会はリフォームの最中にあった。ヨーロッパでのつい最近のホロコーストという恐怖の出来事の後、ヨハネス23世教皇聖下はアウグスティン・ベア枢機卿にユダヤ人に関する声明を作るように求めた。この後に教会に対してユダヤ人と他の宗教への見方を変えるように求める多くの声が上がった。ベア枢機卿によると『国家社会主義時代のドイツにおける反ユダヤ主義の「巨大な暴力と犯罪的行為」のために、教会があらゆる反ユダヤ主義的態度とスローガンから切り離されることが必要となった。』(Roukanen p.38)この文書の原文は決して聖座へは送られなかった。それが余りにも強烈な言葉であり、そして余りにも多くの論争を呼び起こして会議の目的から取り去られるかもしれない、と公会議が判断したからである。同時にイスラム教の国々も同様の改革を求めて圧力をかけていた。それはユダヤ教だけというのではなくすべての非キリスト教に焦点を当てる諸文書を導いた。しかしユダヤ教は、この二つの宗教【キリスト教とユダヤ教:訳者】の間の結びつきのために、決定事項の中でより支配的なものとなっていった。

【後略、引用終り】
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驚くべき話だ。ローマ教会の従来からの「反ユダヤ主義」を取り去るための文案はアウグスティン・ベアによって作成され、それが最高責任者である教皇をツンボ桟敷に置いたままで公会議の決議とされてしまっていたのだ。そしてユダヤ教は多くの宗教の中で「特別扱い」とされた。そのように導いたのがベア枢機卿である。(おそらくケーニッヒ等の同志が大勢いたものと思われる。)

彼のユダヤ人およびユダヤ教に対しての「偏り」は際立っていた。ベアが「Bejar」という名前を持つ改宗ユダヤ人であるという説は根強くある。彼が開いた「ユダヤ研究のためのベア枢機卿センター」という研究所は、「キリスト教とユダヤ教の共通の霊的な遺産を基に、聖書と神学の研究および率直な対話から来る相互の知識と尊敬を促進する」という目的を掲げている。
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http://www.unigre.it/pug/isrc/IsrcD1.htm
Cardinal Bea Centre for Judaic Studies
『ユダヤ研究のためのベア枢機卿センター』
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そして彼が基礎を作ったカトリックとユダヤ教の対話は、現在は同じドイツ出身のワルター・キャスパー神父によって続けられている。「対話」というよりは「融合」あるいは「カトリックのユダヤ教への包摂」と言ったほうが正解かもしれない。何せキリスト教とユダヤ教の「神」は同じであり、歴史でいうとユダヤ教の方が「兄貴格」なのだから。
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http://www.sidic.org/italiano/inaugurazione/Kasper.htm
Achievements and Further Challenges in the Jewish-Christian Dialogue
『ユダヤとクリスチャンの対話での達成と更なるチャレンジ』
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ベア枢機卿への賛辞は、当然のごとくユダヤ人の側からも多く寄せられる。その一例としてThe Center for Christian-Jewish Understandingのページから「ユダヤ、クリスチャン、そして人権」(ラビ・デイヴィッド・ノヴァック:2000年4月13日)の一部を引用する。

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http://www.ccju.org/events/ccju_2000_annual_lecture.html
【引用開始、前略】

私が後に尊敬した先生であるアブラハム・ヨシュア・ヘシェル・・・正義の人々の記憶に祝福あれ・・・は、ユダヤ人とのカトリックの新たな対話を導いたユダヤ神学の大家であった。私は、彼が1953年にローマでアウグスティン・ベア枢機卿と会い、ユダヤとキリスト教の思想家の間に完璧で歴史的なためらいの無い討論が始まったことを、はっきりと覚えている。

【後略、引用終り】
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●次にこの第2バチカン公会議の決議に反対する立場の声を見てみよう。最初は保守派カトリックのサイトTrue CatholicのページにあるCatechism on the Errors of Vatican II... and its "popes"と題される文章の一部である。

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http://www.truecatholic.org/v2errorcat.htm
【引用開始、前略】

ヨハネス23世以前の本物の教皇であるピウス12世は、そのときまでにすでにメーソン的なカバラ魔術師に取り囲まれていた。彼の個人的な医者でさえメーソンであり、そして彼の聴悔師は第2バチカン公会議のアウグスティン・ベア枢機卿だが、イエズス会士の非転向ユダヤ人であった。

【後略、引用終り】
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「非転向ユダヤ人(an unconverted Jew)」とは面白い表現だ。「転向ユダヤ人(converted, converso)」はよくある表現だが、「カトリックの中に居ながらユダヤ人そのもの」ということか。

次はキリスト教の反ユダヤ団体のページと思われるSMYRNAからALLEGIANCE TO BABYLON THE GREAT, HARLOT OF THE REVELATION(1994年6月)という記事である。

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http://www.iahushua.com/BeWise/june94.html
【引用開始、前略】

彼らは現在にいたるまで、その崇拝者が熱狂的にキリスト教に敵対し続けそしてイエス・キリストを利用してきた宗教として、ユダヤ主義を崇敬しているのだ。多くのカトリック信徒が相変わらずこのことを信じているが、しかし他の者たちは1965年の第2バチカン公会議の影響を受けている。その公会議は、カトリック教会から多くの特権を与えられることに成功したユダヤ人に強く影響を受けていた。その最初はアウグスティン・ベアをもたらした。彼は「転向」ユダヤ人と伝えられる。

【後略、引用終り】
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そして最後に、自ら白人主義のネオナチであることを明らかにしている団体のサイトStormfrontから、HOW THEY STOLE THE CHURCH(Professor Revilo P. Oliver:1991年8月)という文章である。

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http://www.stormfront.org/rpo/CHURCH.htm
【引用開始、前略】

ロディー氏は、米国ユダヤ人教会とブナイ・ブリスがカトリックの 教義を自分たちの好みに作り変えるように第2バチカン公会議に圧力をかけたことに言及した後で、この公会議をユダヤ主義に明け渡した張本人がフランスのユダヤ人ジュールス・イサアク(Jules Isaac)であった、と告げた。彼はこの公会議での裏切り者のマラノである「第5列」たちと協力していたのだ。その中には下劣な枢機卿ベアがいた。しかしその転覆の作業の成功は一人の「スパイ僧」によるものと思われる。そのイエズス会士はベアの要員に仕えておりそしてバチカンとニューヨークの米国ユダヤ人委員会の間を往復させられた。

【中略】

パターソン氏は、ロンカッリ【ヨハネス23世:訳者】が1958年に教皇に選出された後、この国【米国を指す:訳者】の複数の大新聞がカトリック教会に対する中立的なそして穏やかな敵意を取り下げ、いきなり「善良な教皇ヨハネス」に対する賛辞を花咲かせたのだ。米国の新聞のユダヤ人支配者は彼らの上の者から「ロンカッリは我々の手下だ」とでもアドバイスを受けたに違いない。

【後略、引用終り】
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文中のジュールス・イサアクはフランス系ユダヤ人の歴史家である。私はもちろんネオナチの論調に耳を傾ける気は無いが、彼らは逆に彼らの「敵対勢力」から意図的にかなりの事実のリークを受けている可能性がある。90%が事実で10%が決定的な誤りであった場合、90%の事実を覆い隠すことが容易だからだ。注意と慎重さが必要だが、その意味で「役に立つ情報」にはなりうる。


●どのような立場からの証言でも、第2バチカン公会議は明らかにユダヤ人のために多大な貢献を成したことが明らかにされる。そしてそれ以前のカトリックから、前回の投稿で申し上げた「自由」の問題を含めて、まさに換骨奪胎と言ってよい根本的な変化を遂げた。姿かたちをそのままにした「中身の総入れ替え」が起こったのである。そしてそれを主導したのが前回取り上げたイエズス会のスペルマン、マレー、今回のケーニッヒ、ベア、そしてオプス・デイである。

その背後には史上最大のカルト国家米国といくつかのユダヤ組織が控えるだろう。第2バチカン公会議以降のカトリックはそれ以前のものとは本質的に異なる。これはいくら強調してもしすぎることはないだろう。もはや「ユダヤ教カトリック支部」と呼んでも差し支えないものとなっているのではないか。

プロテスタントの多くも同様だろうし統一教会などは言うまでもあるまい。現在、日本に入ってきているキリスト教系宗派のかなりの部分はユダヤ教の変形、つまり「ユダヤ教○○支部」と見た方が無難であろう。(ひょっとすると「仏教系」や「神道系」の中にもそういう類が見つかるのかもしれない。例えば・・・、いやいや、これは伏せておこう。)

最後に、ニューヨークにあるオプス・デイ本部の写真をお目にかけよう。下のUrlから入っていただきたい。
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http://www.kadokawa.co.jp/sp/200405-05/photo07.html
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本部ビルの全体、正面玄関、2つの礼拝堂と説教室の写真が載っているのだが、古いカトリック教会などを見慣れた目から見るならば異様な感じを受けるだろう。壁のどこにも十字架も聖人の絵や像も見えず、「カトリックらしさ」がまるで無い。これが俗に言う「保守的カトリック」なのか?

(ついでに、私としては、カトリックには、たとえ「化石」と罵られようとも、近代社会への皮肉を込めたアンチテーゼとして旧来のままの姿で生き残ってほしかった気持ちがある。)


次回は「ユダヤ教カトリック支部?」と題して、現代カトリックとユダヤの関係、および一神教による世界支配の方向を、もう少し突っ込んでみたい。


【ワヤクチャ】トロツキストを自称する第四インター日本支部は1980年5月頃、ポーランドの連帯労組(ワレサ議長)を支持する運動をしておりました。腐敗せる労働者国家ソ連のスターリニスト官僚に対する反官僚革命として支持していたのです。ワレサがもしオプス・デイだったとしたら第四インターもそれに近い筋なのかも知れませんね。ソ連自体が国際金融資本の手先だったとしたら、手先同士を闘わせる八百長だったという事になります。

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