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「家族への侮辱は許せない」 藤岡信勝ブログ
http://www.asyura2.com/0601/senkyo21/msg/147.html
投稿者 木田貴常 日時 2006 年 4 月 21 日 16:25:03: RlhpPT16qKgB2
 

(回答先: 私はなぜ共産党をやめたか  藤岡信勝のプロパティ『回心』はマイナーチェンジかメジャーチェンジか? 投稿者 木田貴常 日時 2006 年 4 月 21 日 10:08:35)

家族への侮辱は許せない 

●003-06.4.21 家族への侮辱は許せない 

 ★4.19西尾ブログへのコメント

 西尾幹二氏は、4月19日付けの氏のブログに「怪メール事件(四)−八木秀次氏の犯罪の可能性を立証」という文章を掲載した。http://nishiokanji.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/858 事実経過の概要は私が知っていたこととおおむね合致しており、八木氏の責任は厳重に問われねばならない。

 経過のなかで、私に関わる部分について述べておきたい。2月3日、西尾氏から私あてにメールが来た。私は紙に打ち出した上で、私の立場をはっきりさせるために、行間に手書きの書き込みをして、西尾氏にファックスで送った。そのあと、ふと思いついて鈴木氏に同じファックスを送り、電話で「不愉快だろうが、読み捨ててほしい」と告げた。鈴木氏は了解した。

 私が鈴木氏に西尾氏とのやりとりを送ったのは、内容が私と鈴木氏との関係に言及されていたからである。西尾氏は、「八木氏と握手させようとしている鈴木氏があなたの最大の敵だということがわからないのですか」と書いてきた。それに対し、私は「全くのまちがいです」と返答していた。

 鈴木氏は八木氏と私を何とか手を組ませてつくる会を守ろうとしていた。私もその方向で努力していた。その鈴木氏と私との間を西尾氏が分断しようとしていること、それに私は同意していないことを一挙に説明できるので、私は鈴木氏にファックスを送った。公表されてもやましいところは何もないが、まさか、これが八木氏の手に渡り、西尾氏への脅迫に使われるとは夢想だにしなかった。

 なお、上記西尾ブログで私について書かれていることについては、今は一切コメントしない。西尾氏があのような態度を取ることは本当に残念である。つくる会を解散せよという趣旨の発言には絶対に従うことはできない。会は無数の人々の熱い思いが結集して育てられた日本国民の共有財産であって、西尾氏の私物でもなければ誰の私物でもない。個々の理事にもつくる会をつぶす権利はない。それは「法隆寺に火を放つ」のと同じ行為である。私は全力で会を守り抜くつもりである。

●家族への侮辱は許せない

 西尾氏宅に送りつけられた発信人不明の一連の脅迫文書は、個々ばらばらに存在するのではなく、緊密に関連し合った一体のものである。3月28日、八木氏が副会長に復権した理事会があった直後の3月30日に、西尾宅に送られたのが、私の妻の父を誹謗する「しんぶん赤旗」のコピーである。それは次のようなものだ。

http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_55f/fujioka-nobukatsu/3176737.jpg

 そして、4月1日には、「福地はあなたにニセ情報を流しています」から始まる10行の脅迫文書が送られた。その中に、「藤岡は『私は西尾から扇動メールを受け取ったが反論した』と証拠資料を配りました。代々木党員問題はうまく逃げましたが、妻は党員でしょう」という一節がある。

 私が理事会で証拠資料を配ったというのである。その資料こそ、4月19日付け西尾ブログが取り上げ、私が上記のコメントを書いた当の対象である。よくこんなウソがつけたものだ。理事会で私は西尾氏とのやりとりを話題にするはずもなく、まして資料を配るはずもない。出席した理事も事務局員も全員が知っていることだ。

 しかし、このような真っ赤なウソは、理事会に出席した人物でなければ思いつかないことも事実だ。西尾氏に脅迫状を送った犯人グループは、このように書けば西尾氏の怒りが藤岡に向かうだろうことを十分計算した上で、西尾氏を挑発した。そして、結果はご覧の通り犯人グループの思い通りになった。西尾氏は犯人グループの手玉に取られているのである。
 
 「代々木党員問題はうまく逃げましたが、妻は党員でしょう」というのは、先に送られた妻の父への誹謗文書の延長上にある。私個人に対する党籍のガセネタ情報のばらまきも許せないが、私の妻や、妻の父まで侮辱して、私を貶め、つくる会から追放しようという犯人たちの謀略の汚さは、絶対に許すことができない。東京支部の掲示板には、さらに妻の父の兄のことまで持ち出したものがある。

 これは恐ろしい思想だ。私を攻撃するのに、私の妻の一族の思想を問題にする。それが説得力をもつと思っている。これは、北朝鮮の金王朝が反体制分子の家族・親族を皆殺しにするのと同じ発想である。国外で活動する北朝鮮の工作員が亡命出来ないのは、家族が人質に取られているからである。

 私の家族を侮辱したファックスの犯人は許し難い。以下、私が歴史教科書問題に取り組み始めてから、私の家族がどのような苦痛を耐えてきたかを書くことにする。

 私が歴史教育について社会的に発言を始めたのは、1994年(平成6年)のことである。教育雑誌『社会科教育』(明治図書)の4月号から、「『近現代史』の授業をどう改造するか」と題する連載を開始したのだ。翌年には自由主義史観研究会を立ち上げ、明治図書から『「近現代史」の授業改革』という雑誌を創刊した。

 すでに昨日付のブログに書いたとおり、私と妻は1991年7月、渡米前に規則により離党し、帰国後復帰しないという全く同じ手続きで共産党を離れていた。妻は地域支部に属していたが、むしろ私よりも早く共産党に対する体験的な違和感や批判を持っていた。その意味で内心の共産党離れは私よりも早かったといってよいほどだ。だから、妻の離党については、私が主導したわけでも強要したわけでもなかった。

しかし、共産党の方針と真っ向から対立する私の活動は、妻と両親との間に深刻な軋轢を生まないわけにはいかなかった。 妻の父・舩山謙次は長年北海道教育大学の教授を勤め、最後は同大の学長になった。熱心な共産党の支持者だった。妻の母も「新日本婦人の会」の北海道の幹部として活躍し、両親とも北海道の教育界や左翼運動の方面では著名な存在だった。

 ついでに言うと、「妻の父の兄」は舩山信一といって、戦前の唯物論研究会の会員であり、マルクスやヘーゲル、フォイエルバッハの研究者として知られる共産党系の学者だった。父もその兄も今は故人となっている。しかし、断っておくが、妻の血筋の者が全員左翼系というわけでは決してない。郷里の山形県には、父の係累で自民党の議員もおり、つくる会にも賛同していただいているほどだ。。

 話を戻すが、私の活動が始まるとすぐに妻の両親の目にとまったのは当然である。両親にすれば、娘の夫の突然の「転向」である。かといって妻は本心を親に打ち明けることができない。それは共産党一筋で生きてきた両親を限りなく悲しませることになることが分かっていたからだ。こうして妻は私と両親の板挟みとなり、そのストレスは妻の体をむしばんだ。癌を発病したのである。命の危険を覚悟の手術を二度にわたって行わねばならなかった。

 私は妻の両親に対して、一切の弁解も説明もしなかった。当時父はすでに80歳に近く、そんなことをしても、お互いに傷つくばかりで、何の意味もないからである。父もまた私に議論を仕掛けてくることはなかった。ただ、私の書いたものは、小さな文章にいたるまですべて購入していたということを亡くなってから聞いた。父もまたどんなにか辛い思いでいたであろうと思うと、本当に胸が痛む。

 北海道大学時代の私の恩師は、毎年慣例として私が送っていた歳暮の品を丸ごと送り返してきた。「これほど立場が違ってしまっては、こんな贈り物や年賀状のやりとりは欺瞞だから、お互いやめましょう」という短い手紙が添えられていた。恩師からの絶交宣言である。ずいぶんひどいことをされると当時は思ったが、今考えると、この恩師は、父とは山形県以来の親しい友人関係にあり、私と妻を結びつける役目をしてくださったので、「とんでもない男に嫁がせる手引きをして申し訳ない」という父への詫びの気持ちがそうさせたのだろうと解釈している。

しかし、両親は妻に対して離婚を強要はしなかった。これだけは有り難いことだった。母は、妻に経済力がないから別れられないのだろうと思いこんでいた時期もあるようだった。父は4年前に亡くなったが、母は健在で、北海道から私たち夫婦が引き取る形で近くの老人介護施設に入っている。施設で早速「しんぶん赤旗」を購読し、時折拙宅に帰宅して孫やひ孫の顔を見ることと、妻に連れられて前進座の芝居を見に行くのを楽しみにしている。

 改めて言うまでもなく、共産党の考えは間違っており、日本のためにならない。しかし、それでも私は、今でも妻の両親を尊敬し、敬愛している。時代の巡り合わせで、父は文学青年から共産党の支持者になり、母は軍国少女から左翼婦人運動の活動家になった。両親には全く私心というものがないという点で際だっていた。思想は違っても、私の妻の立派な人格を育てた親である。思想が違うからといって親子でなくなることはできない。一体、思想やイデオロギーが人間の全てなのであろうか。それはあまりに偏狭な考えである。

 私は家族に恵まれている。妻のみならず、娘も息子も私の教科書改善運動を支持してくれている。ただし、誤解のないように言っておきたいのだが、娘も息子も、私と考えが全く同じということではない。それでも家族として結束している。

 私が学生時代に、左翼組織の仲間に北海道警察の幹部の娘さんがいた。そのことをもって彼女を白い目で見たり差別したりする発想は、私たちの間には全く存在しなかった。反対の陣営では、妻の両親の思想までが脅迫のネタになるのだとすれば、左翼のほうが近代市民社会をくぐっているといえるのではないか。こんなことでは、保守系の運動は左翼に勝てないのではないか。

もう一度、脅迫の文書を見ていただきたい。選挙期間中に「しんぶん赤旗」に掲載された共産党支持者のリストの中から、父の名前を見つけ出し、それを拡大コピーした上で、「平成5年7月3日付『しんぶん赤旗』」「藤岡先生の岳父、船[ママ]山謙次先生の活動のごく一部です」と大きなワープロ文字で書いてある。この脅迫文書の作者の人物像を推理してみよう。

 この文書の作成作業は簡単ではない。「しんぶん赤旗」のバックナンバーが揃っているだけではだめだ。図書館にいっても、膨大な分量の新聞の綴りの中から、目的のページを探し出すのは至難のわざだ。ちょっとでも調べ物をしたことのある人ならすぐに理解出来るはずだ。

 この文書作成に不可欠の要素とはなにか。それは詳細な記事検索システムの存在である。そういうシステムにアクセスできるポジションにいる者でなければ、この文書はおそらく作れない。作成者は、この資料を「船山謙次先生の活動のごく一部です」と書いている。この材料以外にも、犯人は沢山の材料を入手したのだ。「しんぶん赤旗」の詳細な記事検索システムは、国会図書館にもない。あるのはどこか。私が思いつく場所、それは「新聞社」である。

以上述べたことは、すべて、ガセネタ情報が私の離党した時点として指示する「平成13年」よりもはるか以前に起こったことだ。父を侮辱した脅迫文書作成者の犯人に告ぐ。あなたに少しでも良心があるなら、罪を告白し、謝罪すべきである。私たち家族は、文字通り死線を越えてきたのだから。


2006-04-21 14:03  nice!(0) コメント(1) トラックバック(0)

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