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新春企画 地域に根づき、貢献する同胞…町内会・自治会役員 − 民団新聞
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投稿者 kaname 日時 2008 年 1 月 05 日 07:02:21: 3X28X40b0xN.U
 

 在日韓国人は住民として日本全国の津々浦々で地域社会の発展に貢献している。たとえば町内会、自治会、PTAの役員などがそれにあたる。このことは意外と知られていないようだ。選挙で選ばれて会長に就任したという例も珍しくない。在日韓国人が地域社会の信頼を得ていることは、保護司、青少年相談委員、過去には消防団員にも推されて就任していることからもわかる。永住外国人は権利だけを要望しているわけではないのだ。ここにその一部を紹介する。

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行政が地道な努力認め表彰

兵庫・朴丙圭さん

 神戸市が中央区で14階建て公営住宅を建設する際、再開発住宅建設推進協議会会長として暮らしやすい環境作りのため市との交渉にあたったのが朴丙圭さん(82)。旭地区に自治会ができるとそのまま会長に就任した。すでに20年以上もの月日が過ぎた。

 当時、神戸市内で韓国人が自治会会長に就任することは珍しかった。朴さんは地元でコツコツ40年以上焼肉店を経営するなどして居住歴が長く、面倒見のいい性格が知られていた。「信頼できる人」というのが地域のおおかたの声だった。

 自治会長になってからは住民が安心して暮らせるよう、市に要請して住宅のエレベーター内に24時間作動の防犯カメラを設置してもらい、住民からも喜ばれた。朴さんは「在日がこれから日本に住んでいくうえで、自分が少しでも地域社会との親善に役立てれば」と話している。

 昨年11月には地域の社会福祉や文化活動などの分野で長年貢献してきた人に贈られる「あじさい賞」を神戸市から授与された。84年には韓国国民勲章冬柏章を受賞した。

京都・崔洪淵さん

 崔洪淵さん(72)は京都市山科区の醍醐東一街区自治会長に就任して今年で6年目。1年任期で会長職を継続している。上部団体の自町連の会計も5年前から現職。昨年5月には長年にわたる環境美化、交通安全、福祉ボランティア活動などの功績で京都市民憲章推進者表彰を受けた。

 担当の自治会は150世帯。同区小山から00年に移転して間もなく副会長に推されたのが始まり。まじめで誠実な人柄が地域で受け入れられた。醍醐の社会福祉協議会会長と自町連の会長の就任も要請されている。


兵庫・申点粉さん

 申点粉さん(57)は13年前、兵庫県宝塚市から同じ県内の川西市に越してきた。ほがらかで面倒見がよく、おおらかな性格が受け入れられ、間もなく川西市の自治会の文化部長に抜擢された。

 現在は川西市の少年野球チームに集うこどもたちの保護者で構成する明友倶楽部の幹事だ。自治会長を兼任している倶楽部の会長が、申さんの人柄を見込んで幹事に任命した。同倶楽部会員は56人。スポーツや食事会など、年10回ほどのさまざまな行事を通して親睦を深めている。

 仲間内で申さんのキムチは好評で、2月には川西市自治会で初めてとなるキムチ教室を開催するという。申さんは「地域の会に参加することで、共生を身近に肌で感じることができる。これからも地域に貢献していきたい」と話している。兵庫同胞保護者会会長も就任から12年になる。

東京・白玉仙さん

 白玉仙さん(75)は住民選挙の結果、東京・新宿区内の都営西大久保アパート5号棟自治会長に返り咲いた。同アパートには230世帯が居住する。会長職は2期3年目に入った。これは10余年前の2期4年間の任期中に推し進めてきた「改革」がいまも多くの住民から支持されているからだ。

 例えば、私物で占拠されていた共有スペースを開放し、住民から喜ばれたのもその一つ。

 自治会は住民のため公共チラシの全戸配布、近隣のパトロール、環境保全、共益費の徴収、お祭り行事の企画と運営などさまざまな業務を担う。住民からは「白さんでなければ(自治会は)やっていけない」「責任感があり、やることは徹底的にやる」という根強い支持の声を聞いた。

 白さんがいまでも忘れられないのは、玄関前のゴミ集積場をアパート後方に移してもらったこと。予算の問題もあり都庁は渋った。だが、夏の盛り、汗だくになって毎日のごとく陳情に訪れる白さんら自治会役員についに根負けした。当時の担当課長は白さんに「白さんほど熱心な自治会長を見たことない」ともらしたという。

大阪・朴元根さん

 朴元根さん(70)は大阪の東淀川区西中島で生まれ育ち、中島小学校と十三中学でPTAの部長、自治会の子供会役員と西中島婦人会(名称は当時)部長を経て現在は西中島連合総和会の副会長を務めている。

 元根さんの父親も解放後、西中島で長くPTA役員を務めてきた。「(地域社会とは)60年以上も顔なじみ」だけに住民からの信頼も厚い。

 朴さんはお年寄りたちが集う「ふれあい喫茶」や食事会などにボランティアとして参加。夜間のパトロール、最寄りの地下鉄駅周辺での清掃奉仕など、地域住民とともにさまざまな活動に参加している。

神奈川・金泰子さん

 マンションの建設ラッシュが続く茅ヶ崎市の西部地区では、団地やマンション単位で一つの自治会を構成している。役員は輪番制で任期は2年。金泰子さん(45)は不在がちのつれあいの代理として自治会会長職を務めることが多い。

 消防署の指揮のもと、他自治会との定期的な合同防災訓練のほか、66世帯の規模にあった防災用具の購入や管理を行う。また、子どもたちの健全な育成とスポーツを通じた地域ぐるみの交流という観点から、自治会対抗の運動会が年2回開かれる。これらは会議を重ねて決定され、居住者に回覧板で周知される。

 地域での共同清掃のほかゴミ出し管理も大事な仕事だ。分別を徹底するだけでなく、アルミ缶や古紙・ダンボールなどは資源として回収し、自治会運営費に充てている。住民の日常生活の裏方役が自治会の役目と言える。このほか、一人暮らしの高齢者のケアも課題として浮上している。

岐阜・李鐘周さん

 李鐘周さん(72)は岐阜県各務原市鵜沼朝日町2丁目自治会で1989年に1年間、自治会長を務めた。朝日町は当時、1丁目から5丁目まで8つの自治会があった。会長選出方法は各自治会によって異なるが、朝日町2丁目に限っては選挙で選出した。

 地元自治会の役割は水道料や市民税の集金と納税、公民館の管理、公園の整備などだ。集金は班長の担当だが、納税は自治会長がまとめてやる。自治会長の役割は大きい。朝日町は第2次大戦後、韓半島出身者や旧満州からの引き揚げ者が多数住みついた。李さんはなかでも最古参だ。

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地域住民からの強力な推薦

石川・卞宗植さん

 石川県金沢市城南地域には昔から同胞が多く住んでいた。だが、地元の町内会からはしばらく蚊帳の外に置かれていた。しかたなく、卞宗植(富助)さん(63)は18年前、独自の町内会「城南ひまわり会」を立ち上げた。太陽に向かって花を咲かせるひまわりに「同胞がまとまって一つになろう」との思いを込めたのだ。

 その後、卞さんは地元32の町会を束ねる連合町会の副会長も務めた。卞さんが城南ひまわり会の会長として地域で「在日韓国人の存在を行動で示してきた」努力が認められたのだ。

 城南ひまわり会は現在23世帯。民団石川県本部団長。金沢市サッカー協会国際部常任理事と石川県少年サッカー連盟副理事長も兼ねる。

岐阜・崔春渕さん

 美濃焼の故郷として知られる岐阜県東南部の土岐市。崔春渕さん(57)は市内の妻木町で1期2年間、山王町町内会長を務めた。本来は1年交替だから異例といえる。地元長老から「おまえしかいない」とのお墨付きをもらった結果だった。

 ここは解放直後から同胞が多数住んでいたものの、同胞自ら望んで町内会長になるのを許す環境ではなかった。町内会長就任には地元有力者の一致した推薦を不文律としていたからだ。その後、どこからともなく「差別の壁を取り払おう」との声が上がり、ようやく風穴が空いた。現在は61世帯で構成し、同胞は6世帯。

 崔さんは「自分の生まれ育った地域を活性化させたい」と、町内会活動に積極的に関わってきた。道路掃除や野球大会には周囲の住民にも声をかけた。参加すると住民の輪の中に積極的に加わり、世話役に徹してきた。

大阪・金鐘奎さん

 金鐘奎さん(87)が和泉市府中町東之町内会役員の訪問を受け、町内会長就任を要請されたのは10年ほど前のこと。かつて和泉警察署事業所防犯協会の理事として3年間、街頭に立っての防犯PRや、交通安全のためのアピールをしてきたのが認められたようだ。

 金さんは躊躇した。「私は在日韓国人です。他の人からの反発も考えられる。抵抗ございませんか」。意外にも返事は「朴さんの人柄は会長としていい。みんな賛成しているということで決まりました」というものだった。

 町会長に就任するや、町の財政で東之町内会館を建てた。さらに、町内放送が住民に届くように会館内にマイクを設置した。大変だったのは町内会の葬儀だった。通夜・葬儀で3日間も拘束されるうえ、会葬者を出迎えるのに暑いときもモーニング姿で立礼するのが決まり。これが体に応えた。1期2年の任期を終えるにあたっては、町の有力者から寄付金を募り、200万円の繰越金を残した。

 いまは子息の毅さん(62)が副会長を務める。

大阪・呉仁徳さん

 呉仁徳さん(70)は大阪市生野区の舎利寺小学校PTA副会長を経て、現在は舎利寺連合会田島1丁目南振興町会副会長として8年。町会活動では38歳のときから防犯委員をつとめてきた。コツコツ地道に地域に貢献してきたことがわかる。

 高齢になったいまはロート製薬のロート公園で同胞の仲間とチャンギ(韓国将棋)に興じるのが唯一の楽しみという。


大阪・金正男さん

 金正男さん(63)が住む大阪市生野区田島1北町はかつて猪飼野9〜10丁目と呼ばれていた全国最大の同胞集住地区だ。

 基礎となる班は20世帯を基準に構成されているが、班に占める日本人世帯の割合は4分の1にすぎない。それでも、同胞が自治会役員になるには厚い壁が立ちはだかっていた。

 金さんはPTA役員を経て24年前、防災委員を皮切りに自治会活動に仲間入り。防犯部長などで実績を積んで認められ、現在の副会長職に就いている。PTA役員当時も会長は日本人が担い、副会長は在日と日本人で分け合ってきたのを見てきたという。

 「地域の誰かからあの人は酒癖が悪い、人間的にあかんといわれたら役員にはなれません。普段から町内会に顔を出してコツコツ奉仕し、皆さんから親しまれるようにしていくのがいちばん」と語る金さん。現在、生野南支部の支団長。

福岡・金美子さん

 高松団地は福岡市内の在日韓国人集住地区にある。居住者90世帯。この多くは同胞だ。金美子さん(63)はここで町内会長を務めて4年が経過した。ゴミ回収車が回ってくれば立ち合い、分別にも神経を使う。

 ボランティアにはもともと生き甲斐を感じていた。老人ホームにも慰問するし、地域でイベントがあれば率先して参加してきた。韓国から嫁いで27年。夫に先立たれ、息子が社会人になったのでいまは自分のやりたいように走り回っているという。県本部・支部の婦人会役員も担う。

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韓日の交流橋渡しも

京都・金教一さん

 土地問題で生まれ育った場所から移転を迫られていた京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区住民が88年に立ち上げたのがウトロ町内会。住民65世帯230人を抱える。金教一さん(68)は第3代会長だ。

 金会長の時代になって韓国政府の支援もあり、懸案は大きく解決の方向に動き出した。今後は中間法人ウトロ町づくり協議会を設立して日本国と京都府・京都市に公営住宅(密集地区改善事業)の建設を要請していく。また、「歴史資料館」の建設も課題だ。

 現在、ウトロ町づくり募金を呼びかけている。口座は郵便振替00940‐2‐106152ウトロ町づくり協議会。

北海道・朴平造さん

 札幌一の歓楽街「すすきの」の一角で地域の環境保全の一端を担う。主な仕事はロードヒーティングによる除雪・排雪作業などだ。

 表通りに面した通りは市など行政が管理している。だが、奥まった通りまでは手が回らない。それならばと、建物のオーナーたちが自発的に立ち上がった。個人でやるよりも団体で行うほうが、経費面でも効率的だからだ。「すすきの五五本通り会」もそのひとつ。

 会は5丁目5号通りに面したビル20棟ほどのオーナーで構成している。朴平造さん(64)は会長に就任してすでに5期10年を数える。民団北海道本部の前団長。

東京・金昌鎮さん

 金昌鎮さん(62)は東京・目黒区の菅刈住区で「あいさつのキムさん」と呼ばれている。子どもたちの姿を見れば、きちんとあいさつするよう呼びかけているからだ。

 目黒区内には22の小学校区があり、各校区ごとに住民会議が組織されている。住民会議は住区の子供会から発展した青少年の健全育成を最重点としている組織だ。金さんは菅刈小学校PTA副会長を経て、菅刈住区住民会議副会長と「NPO法人菅刈ネット21」副理事長を長年務めている。

 主な行事は餅つき大会、夏のキャンプ、区の秋まつり参加、焼き芋大会など。キャンプでは金さんがユンノリなど韓国の遊びを教える。子どもたちが目を輝かせている様子を見るとき、金さんは生きがいを感じるという。

 近年は国際交流にも熱心だ。自らの出身地である京畿道利川市と菅刈地区を結び、青少年の相互訪問を続けている。

 金さんは「利川を訪れた子どもたちは、ほぼ例外なく韓国を好きになって帰ってくる。韓国のこどもたちにも日本のことを正しく理解させたい」という。

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地域に根づき、貢献する同胞非常勤公務員

四日市青少年相談員 韓久さん
子どもたちの心の支えに

 韓久さん(47)=民団三重県本部事務局長=は地元四日市市で市長から青少年相談員として委嘱を受けている。青少年相談員は準公務員としての位置づけだという。青少年から相談を受けたり、健全育成啓発活動事業の一翼を担っている。

 このほか地域の青少年育成補導委員会副会長、まちづくり委員会委員、県レベルでも国際交流推進委員会委員など複数の公職を担うちょっとした名士だ。周囲からは法務省保護局管轄の保護司に推薦する動きもあったが、民団業務と両立できず、こればかりは断った。

 摂食障害や不登校の子どもからは毎日のようにメールが届く。問題のある子どもを抱えている学校を訪ねて担任にアドバイスする場面も多い。中には当事者から直接相談を受けることもある。韓さんは聞き役に徹する場面が多いが、共通しているのは孤独感だという。

 対象者は敏感に反応するだけに、いい加減な気持ちでは対応できない。韓さんには全人格が試される「真剣勝負」の場となる。韓さんは自らの生い立ちを語ることで、初めて相手と同じ土俵上に立てたことも多かったと経験を語る。

 韓さんは四日市市内の生まれ。現在も同市内、650戸ほどの新興住宅地に住む。ここでは複数の同胞家庭が暮らしているものの、周囲にその存在はなかなか見えていなかった。だが、韓さん夫妻だけは別だった。本名のためすんなり周囲に受け入れられたという。

 わが子が地元の県(あがた)小学校を経て大池中学校に進むと、夫妻ともどもPTA活動を積極的に担った。韓さんは大池中学校PTAで広報委員と文教委員を務め、最後は副会長まで登り詰め、周囲の注目を集めていった。最大の功績は自ら先頭に立ってPTAと学校間の風通しをよくしたこと。韓さん自ら「荒っぽかった」と認める手法は、逆に周囲には斬新に映ったようだ。たまたま、現職の青少年相談員が自治会長に専念することから後任として韓さんを推し、これを受けて、地区センター所長と中学校校長が推薦状を書いた。

 韓さんの活動はこの10年間で学校という狭いエリアから四日市全域に広がっている。この間に民団に対する対外的なイメージが飛躍的に向上したことも見逃せない。

独居老人宅回り世話
民生委員 丹山順子さん

 伊丹空港の真横に「中村地区」と呼ばれる在日同胞集住地区がある。ここは大阪の梅田からわずか10`余り。第2次大戦中、航空施設拡張工事に駆り出された同胞が解放後もそのまま住み着いた労働者の街だ。

 丹山順子さん(65)は日本国籍の同胞。ご主人の仕事の都合で69年1月、この地に移り住んだ。当時は瓦屋根の家は少なく、大半がトタン屋根だった。丹山さんにはなぜかこの地域だけ時間が止まっていたかのように感じられた。まして、わが子だけ、友だちのお誕生日会に誘われることがなかったことはショックだったという。

 「子どもが差別なく遊んでもらえるよう地域を良くしよう」。子どもが幼稚園に入ると母の会、小学校になればPTAの理事も務めた。いま思えば「燃えていた」。そうした献身的な姿が行政関係者の目にとまった。80年12月、厚生労働相の委嘱を受け、民生委員(児童委員兼務)に就任した。

 丹山さんは好んでひとり暮らしの同胞家庭を訪ねる。「あー、姉ちゃん来てくれたの」と歓迎されると、丹山さんは民生委員をやってよかったとつくづく思う。これも丹山さんが元韓国人であることを隠さず、誰にもオープンにしているためだ。それほど同胞の数が圧倒的に多かった。現在でも95世帯が居住し、この3分の2が同胞だ。

 10年前、民団伊丹支部の主宰する韓国語講座に5、6年間ほど通った。同じ時期から婦人会伊丹支部で役員も務めている。現在の役職は総務。一方、日本国籍ゆえに間接的に同胞から不愉快な差別的な言辞を聞くこともあった。そんなときには「韓国人のままでもよかったのに」と、2つの国籍の間で心が複雑に揺れ動いた。

 中村地区の住民は行政との間で立ち退き交渉がまとまり、近く公営住宅に移り住む。そうなれば、就任以来27年間にわたった民生委員の仕事にひと区切りつけたい考えだ。

 これまでの活動を振り返って丹山さんは、「中村地区の同胞のために精いっぱいやった。誰かがやらなければならない。私でも少しはみんなの役に立てたのでは」と控えめに語った。

 民生委員については「韓国人がやってもいいと思う。自治会の会長になれて、どうして民生委員になれないの」と問題提起した。民生委員を実際に経験した同胞の言葉だけに説得力があった。

地域の理解得て定着
更生保護施設理事長 鄭光模さん

 都心の幹線道路から脇道に入った閑静な住宅街の一角、コンクリート造りの5階建てビルが見える。ここは民間の更生保護施設「善隣厚生会」。刑務所などから仮釈放を許された成人男子最大20人が起居を共にし、本格的な社会復帰に備えて指導援護を受けている。

 同施設は解放から間もない48年9月、篤志家である在日韓国人の徐相漢氏が在日韓国人の救済補導と生活向上、韓日友好を目的として創設した「社団法人在日大韓人厚生会」が始まり。96年に更生事業経営認可を受けるまでは民間から寄付を募りながら運営してきた。

 現在の理事長は鄭光模さん(72)。鄭さんは東京・墨田区の生まれ。2代目理事長を務めた父親に感化されて69年に補導員に就任、その2年後に保護司に選任された。これは同施設の後継者として必要との国家の政治的な判断もあったようだ。経済的には恵まれないが、10年前に藍綬褒章を受章したのが誇りだ。

 保護司は非常勤の国家公務員。法相から委嘱を受けた無給の民間ボランティアだ。明文の規定はないが、保護司と公務員に関する当然の法理との関係については「慎重に検討を行う必要がある」というのが法務省保護局総務課の公式見解だ。このため全国でも外国籍の保護司は現在、4人に留まっている。

 住宅街の一角にあるだけに、地域社会からは常に特異な目で見られてきた。保護施設の必要性を頭で理解していても、生理的に受け入れがたいというのが住民の本音だった。60年代、保護施設の大改修に着手したときは町内住民の反対運動にあい、一時期は工事を中断したほど。

 鄭さんは「なぜ反対するのか。理解できなかった」。試しに近隣の住民の家を訪ねて聞いたところ「仕事しないで酒飲んでは騒いでいる」「塀を乗り越えて人の庭に入ってきた」と不安を訴えた。鄭さんは住民との対話に確かな手応えを感じた。なぜなら、いままではこうした話しあいさえなかったからだ。

 施設では対象者に遵守事項の厳守を求めた。違反すれば東京保護観察所に身柄を移すと。これは拘置所への再送を意味した。このほか、町内会の行事にも参加するなど、これまで以上に地域社会との連携に力を入れるようになった。近隣の町内会に呼びかけて毎年2月に開催する餅つき大会もその一つ。10回目を数えた昨年は初めて地元の区長自ら激励に訪れた。

 こうした努力が実り、ここ数年は苦情が皆無。それどころか、施設に向けられる目は好意的なものに変わってきたという。鄭さんは「当施設も以前とは違うと受け止めてくれているようだ」と満面の笑顔を見せた。

 鄭理事長の言葉は食事室を見て理解できた。高価な白い胡蝶蘭が一鉢置かれていた。理事長に聞くと、近隣の住民が名前も告げずに置いていったという。

市長判断で辞令交付
伊予市元消防団員 李響さん

 災害・火事があれば消防団員は夜中でも現場に駆けつけ、正規の消防署員が到着するまでの初期消火と、鎮火後の残火処理を担う。阪神大震災のような同時多発火災では消防団の存在は欠かせないとされる。

 ボランティアだが身分は地方公務員。延焼している家を壊すことが「公権力の行使に該当する」として表向き外国人の入団は認められていない。一方で国は「地方公務員の採用は首長の判断」ともしている。愛媛県在住の李響さん(47)は伊予市長の権限で消防団員に採用された。全国でも希有な事例の一つだ。

 李さんは15年前、結婚を機会に松山市から伊予市内に移り住んだ。人口3万人余りの過疎地区。同胞は4家族にしかすぎないが、「部外者でも地域に溶け込みやすかった」という。地域行事には積極的に参加し、お祭りがあれば自ら手伝いを買って出た。火事が発生したときも真っ先に消火活動を手伝った。

 こうした貢献が認められて2年後、消防団員入団の誘いがあった。李さんは即座にOKした。しかし、消防署から「住民票がない」との問い合わせ。すると、地元消防団の分団長が「税金払っているのにおかしいではないか」と抗議した。分団長自らが身元保証人を買って出たため、最終的に市長がトップダウンで辞令を出した。「辞令が出たのは全国初」と聞かされたのはしばらくしてからだった。李さんは「基本的に制約がないからできた」とみている。

 李さんの配属先は16人構成の第3分団の第3ブロックだった。李さんは当時34歳。担い手のいないなか、李さんのような若手の入団は歓迎された。ポンプの使い方を学び、車の手入れに精を出した。月1回の会合では食事を共にし、仲間意識を育んだ。在籍7年間で出動は15回ほどだった。退団してからも、一緒に苦楽を共にした当時のメンバーはいまも大事にしているという。

http://mindan.org/shinbun/news_t_view.php?category=13&page=29

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