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Re: れんだいこのカンテラ時評352【「ほんみち」その2、功績その3、獄中下での非転向】
http://www.asyura2.com/07/bd51/msg/317.html
投稿者 こげぱん 日時 2007 年 12 月 14 日 23:24:58: okIfuH5uFf.Lk
 

(回答先: れんだいこのカンテラ時評351【「ほんみち」と共産主義者の協働考】 投稿者 こげぱん 日時 2007 年 12 月 13 日 22:26:18)

http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain

れんだいこのカンテラ時評352 れんだいこ 2007/12/14 18:39

【「ほんみち」その2、功績その3、獄中下での非転向】

「ほんみち」その2を書きつける。れんだいこは、「ほんみち」の獄中下での非転向に注目したいと思う。戦前の日共運動の陰鬱な転向ないし非転向に比して、からりと晴れた転向、非転向ぶりが評価されるように思う。本来、左派の転向ないし非転向も、こう対応すべきではなかったかと思っている。

 れんだいこは、「ほんみち」の非転向の背景として、天皇制批判、時局批判が、当時の左派理論のそれよりも、当局の護持理論よりも理論的に勝っていた、という事由があるのではないかとみなしている。近代天皇制は、万世一系の皇統譜と記紀神話の数々で粉飾した皇国史観で正当性を強調し強制していたが、中山みき−「ほんみち」は、世の在り姿としての天皇制に根本的疑義を発し一蹴した。「天皇には天徳無し」、「唐人」批判も舌鋒鋭く、軍靴の足音高い道へ進みつつある時勢を憂慮する点でも憂国の士であった。

 こういう観点に立つ「ほんみち」派は、取締まり当局、思想検事との論争に於いて堂々と所信表明しひるむところがなかった。且つその弁は鋭かった。例えばの話し、こういう逸話が遺されている。

 「ほんみち」開祖の大西愛治郎は、昭和5.2.5日の第一次不敬事件の結審で原判決の懲役4年有罪が破棄され、無罪となった。その理由は、「昭和3年の打ち出し」事件が、大西の精神鑑定の結果、「宗教的誇大妄想、宗教的憑依妄想を主徴とする特殊の精神病者が心神喪失中に行った犯行」であると認定されたことによる。

 それは、大西を裁こうとすれば、まずはその弁である天啓者論を覆さねばならず、これを為そうとすれば、その論法がそのまま現人神として位置づけられている天皇制批判に横滑りする恐れがあったからであると思われる。次に、その弁である時局認識「近き将来に於いて、大戦起こり、日本は窮地極に達し、いかなる方法手段も通ずるを得ざるべし。その時に当たってこの道なく、この道無き時は遂に国は破滅すべし」を批判断罪する論拠が無かったからであると思われる。

 次に、天皇制の万世一系批判として指摘していた「皇統連綿と云うたとて、誰しも同じ事。続いてあればこそこの世に生を享けて居る」を批判断罪する弁が無かったからであると思われる。

 第二次不敬事件の二審で、岡林裁判長は思い余ったか、大西に次のように迫った「裁判するより自決したらどうか」。これに対して大西は、「私の考えならやめるが、月日様のご命令だから、止める訳にはいかない」。これに答えた岡林の弁は、「月日を検挙したり、取り調べる訳にはいかない」。

 予審判事・立石金五郎は、「ほんみち」幹部の小浦芳雄とのやり取りで次のように述べている。

「君達の主張と行為には君達なりの必然性があることは理解できた。だが立場が違うので認めるわけにはいかない。国家には国家の論理がある。それならば『ほんみち』の論理と国家の論理とではどちらが正しいかと議論しても、双方が各々の論理をそれで良しとしているのだから、議論のうえでは決着は付けがたい。決着をつける決め手となるのは、現在行われている戦争の勝敗である。自分達は日本の必勝を核心しているが、君達は敗北するという。いずれ歴史が判決を下すことになろう」(梅原正紀「天啓者の宗教ほんみち」209P)

れんだいこは、「ほんみち」のこのような理論展開での批判が殊のほか秀逸ではなかったか、と思っている。今日的なレベルでの、近代天皇制護持派が、当時も世界を席巻していたネオ・シオニズム派の手先であり、その政体は傀儡でしかないという本質的な観点に立っての批判にまでは至らなかったにせよ、近代制天皇の唐人性即ち異邦人性を見抜いており、これに徹底的な批判を加えていたのは、霊能的見地からのものにせよ鋭いというべきだろう。

 そういう訳で、「ほんみち」教団内には、偽装転向を別とすれば転向した者が居ない。故に教内で転向問題が発生しなかった。昭和14.10月の「特高特報」は、解散命令後の「ほんみち」信徒の実情について次のように記している。

 「信者の邪信妄執(もうしゅう)は極めて頑強にして、警察当局の懇諭説得により、一応転信転宗を誓約せる者といえども、真に国体の本義に徹して皇国臣民たるの自覚に出でたる者は殆ど皆無にして、その多くは単に当局の峻厳なる追及取締りを免れんとして表面転宗を表明せるに留まり、内心密かに盲信を続け、いわゆる甘露台世界の到来を妄想しつつある者も少なからざるやの模様なり」。

 この史実は、日本左派運動に随伴した転向問題と比較して興味深いことではなかろうか。日本左派運動の場合、転向の結果、今度は逆にいとも安易に天皇制側に鞍替えし、翼賛運動にのめり込んだり、お先棒を担ぎ出した数々の人士を輩出している。そのようには転向しなかった者も、転向自体に忸怩とした負い目を背負った者が多い。中共の場合、どちらかというと「ほんみち」的対応しており、日本式転向問題を発生させていないように思われる。それに比して、日本左派運動内には妙なしこりとして転向問題が遺されているように思われる。

 それはともかく歴史は廻る。最新の学問が近代天皇制とネオ・シオニズムの関係を明るみにしつつある。こうなると、近代天皇制の虚構性を理論的に獲得し、実践的にも身命賭して撃った天理教教祖みき−ほんみち系譜の闘いを貴重として再検証せねばならないことになるのではなかろうか。れんだいこはそう思う。

 この問題の考察はまだまだこれからである。いずれにせよ、れんだいこは、「ほんみち」の軌跡は貴重であり、不滅の輝きを放っているとみなしている。社会主義−共産主義も、「ほんみち」も、科学的云々で識別されるべきではなく、どちらも主義者と捉え、主義者の生き様として評されるべきであり、どちらが真っ当だったのか、問われるべきではなかろうか。このように座標を据えたい。

 2007.12.14日 れんだいこ拝

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れんだいこ 人生学院
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