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メビウスの帯に巻かれたる世界
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/456.html
投稿者 如往 日時 2007 年 4 月 05 日 07:18:03: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: ちょっと違うのではないでしょうか。 投稿者 張良 日時 2007 年 4 月 04 日 22:47:21)


 張良さん、レスをありがとうございます。


 >高齢化社会における医療や介護の問題を考えていく方向として、老いさらばえてもなかなか死なない老人の面倒を見る苦労を誰が引き受けるのかという発想には疑問をもっています。人間は年老いても確かな意識と気力をもち気品を漂わせた日々を送るべく努力すべきであるしそれは可能であるとの人間観を信じたく思います。少なくとも、病院や老人施設での厄介者であることは人間のあるべき姿とは言えないでしょう。そうした場所で死を迎えるまで過ごさざるを得ないという日本社会の現実こそを問題にすべきだと思います。これは高齢者だけのことではなく身体障害者であっても基本的には同じだと思います。施設の中でケアされる生活は、それも専門的介護者のサービスを受ける受益者というあり方は、人間として生きることにそぐわないように思います。

 何年か前に阿修羅に投稿したことの反復になりますが、私は生物の個体としての存在理由(或いは存在目的)は遺伝子の承継(発芽+生存環境の確保)にあると考えています。人間の場合には遺伝子の成長を含む生存環境を担保していくのが存在価値(社会的価値)と謂えるでしょう。また、存在理由には完了に至るまでの一定の期間が付帯していると想われ、例えば日本では高校もしくは大学を出てから独立した生計を立てなければならない時期を遅くとも25歳前後とすれば、35歳前後で末の子を授かった場合には60歳前後の時点で親の存在理由は終了することになります。したがって、60歳以降は存在理由が消失している状態ですので、その後も生き続けようとするならば新たに存在理由(存在目的乃至は存在意義)を創り出さねばなりません。
 ところで、社会学者の見田宗介は『現代社会の理論――情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書1996)の中で、生産の場に身を置くことがなくなっても、その人間に購買力がある限り、即ち現実に消費者である限りにおいて存在理由を有しているといったようなことを述べています。この見解を援用するならば、介護施設に入所することができ、また介護サービスを受けられる人達には消費者としての存在理由がある訳です。では、消費者としてのものではなく、それ以外の存在理由と云ったものは一体どんなものになるのでしょうか、疑問が尽きることはありません。ただし、おそらくその場合も多くの遺伝子の生存を可能にするようなより広汎な環境の確保という基本線を外すことはできないでしょう。

 >人は社会の中で生きているし、他の人々とともに生きています。要介護者といえども何の違いもありません。残念ながら、今の日本社会にはそうした環境が整ってはいません。緊急避難的な施設や介護のサービスがやっと制度化され取り敢えずのケアが何とか歩みだしているところです。しかし、こうしたあり方を当然の姿だと思うのは間違いではないでしょうか。まして、そうした制度を恒久的に存続させ得るように貧しい国の有為な人々をあてにするのは間違いであろうというのが私の考えです。

 どうやら、世界の構造は富裕層と貧困層とを応分に内包しつつ均衡を保たねばならぬようになっているようです。この問題を制度的に解決を図ろうと取り組んだのがマルクスであり、時間的解消論を拠り処にして放置をきめていたのがハイエク等の自由主義者達です。グローバリズムの進行によって国家と国家に襷をかけられたような言わばメビウスの帯が千切れぬようにするためには、富者が貧者を受けとめる他に方途がないように想います。本居宣長や小林秀雄が試みたように「漢心(からごころ)」の衣を剥がして「大和心(やまとごころ)」の鉱脈探しに腐心することよりも、今の世界の実情に真摯に向き合い問題を受けとめるのが富者に求められる“ability obliges(才ある者の責務)”であり、それが新たな器量を具えることへと導かれる順路であると考える次第です。

 >国民国家という枠組み自体を再定義してはいけないのでしょうか。枠組みにとらわれているのは、もしかしたら如往さんかも知れませんよ。また、グローバリズムを克服するに普遍性を持ち出すのはどうなのでしょう。グローバリズムこそが普遍性の権化だと思うのですが、だとすれば、反グローバリズムとは普遍に対する特殊を見出すことではないでしょうか。

 さて、【国家的秩序の再定義/東京音頭さんのレスへの再レス(アジア7版から移転)http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/451.html投稿者 張良 日時 2007 年 4 月 02 日】で示された張良さんの世界認識は、柄谷行人の“世界共和国”構想の基盤になっているものと然程違いはないのではと想ったのですが、果たしてどのくらいの部分が重なり合っているのかは定かではありません。
 「国民国家という枠組み自体を再定義」するのではなく、正確には「国民国家という枠組みの中で国家的秩序を再定義」することなのですが、インターナショナリズムに両足を踏み込んだままでそれがどうしたら可能なのか、またどうしたら両者に架橋することができるのか、そんな疑念を禁じ得ずにいたことが「今の段階から先走った物言いで申し訳ありませんが、国民国家の枠組みの中で再定義してみても、果たしてグローバリズムを克服するような普遍性を有するものになるのか」との問いを発する一因にもなっています。
 特殊を見出そうとすることがグローバリズムを等閑視もしくはグローバリズムと一定の距離を保つことや内的な克服に繋がっていくとは想います。しかし、それは時限的な措置以上のものではなく、グロ−バリズムを克服するような普遍性(包括的原理)とはならないのではないでしょうか。これは以前の遣り取りを踏まえて、また張良さんが何を対象にし、何を同心円の中心に据えようとしているのかは十分承知の上での問いかけであります。

 また、会いましょう。

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