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個人主義や人権思想は、利「他」心があって初めて成り立つと思います。
http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/213.html
投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 28 日 00:06:25: QS3iy8SiOaheU
 

下記は
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利他的な心情と云ったものは、古来から日本人に受け継がれている性格だと私は思っております。
http://www.asyura2.com/07/idletalk22/msg/103.html投稿者 haru 日時 2007 年 1 月 24 日 19:52:13: tQR1Zy22P.JHM
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へのレスですが、これは多くの人の意見を交えて議論すべきことを含んでいるのではないかと勝手ながら思いましたので、新規投稿させていただきます。

(まずは、haruさんに、レスが遅くなりましたことをお詫びいたします。)

>社会の大本は、家から始まると考えております。
>人は家の中で、人との関係を学びそして外の世界へ旅立ってゆくのだとの考えです。

haruさんのお考えは共同体主義というものなのかもしれないと思いました。
一歩間違うと全体主義につながる考えだと思ったっきり勉強していなかったのですが、勉強してみたいと思います。

>ほんの数十年前は、子沢山の家庭が沢山ありました。その中でももちろん愛情以外の利己的な争いが多々あり、兄弟、親子の間での争いもありました。私の知っている知り合いは、兄弟が多かったので親に対しての良い思い出はなかったようです。親も家族が増えれば、全ての子に同等に愛情を注ぐ事も叶わないでしょうし、そんな暇もないと云うところでしょうか。大家族になれば成る程、社会性を強いられ、また、理不尽な服従に甘んじなければならない場面も多々ある事でしょう。

確かに少し前まではそうだったかもしれませんね。
しかし、子供が少なくなってきた今はそうした家族像を前提に論じることはできないと思います。
安倍などは恐らくそうした家族像に戻したいのでしょう。しかし、子供が少なくなってきている今そうした家族像を導入するとどうなるか?
子が少ないから親が十分に子に対し愛情を注ぐことのできる状況にあるにもかかわらず、「愛よりも服従を」みたいなことになって、歪んだ家族ができあがるのではないでしょうか。

>>社会秩序に従うというのは、社会のためというような利他心ではなく、利己心に基づく判断だということになると思います。

>利己心に基づけば、家族は成り立たないでしょう。

ここは誤解があるように思います。
私は、家族は愛という利「他」心に基づくものだと主張しました。

>家族を大事にしようと思えば、進んで苦しい道を選び、耐え忍ぶという事も必要になってくるはずです。ひとえにそれは他である家族を思うが故です。昔はそのような行為を美徳と呼び、讃美する風潮があったようです。

それが利他心でしょうね。
ただ、「進んで苦しい道を選び、耐え忍ぶ」ということが、一家の「主婦」にのみ要求されるという傾向があったと思われ、それは美徳とは言えないでしょうね。
安倍などがやりたいのはこの、一人「おしん」のごとく「進んで苦しい道を選び、耐え忍ぶ」女性を作るということでしょう。
男性も家族のために「進んで苦しい道を選び、耐え忍ぶ」べきだという思想、たぶんないと思いますね、彼らには。

>>今回私が論じようとしたのは、適切でないリーダーの話です。誤解とかでない場合を問題にしています。

>適切でないリーダーの下では、組織は崩壊します。
>また、そのようなリーダーの存在に対して声を上げなければなりません。我々が許されている民主主義社会とはそう言った社会だと思っております。

民主主義とはそうあるべきですが、そうなっていないというのが今の我々の社会だと思います。

>>盲目的な服従でなく考えて服従している場合もあるということでしょうか。ここをもう少し詳しくご説明いただけたら幸いです。

>日本人は、義理と人情を重んじる国民性を持っていたのだと思います。そして、日本人が人に従うという行為は、家と云うバックボーンがあり、恩や義理が大きな意味を持っていたのだと思います。善行や美徳はその家に受け継がれるという価値観もあり、悪行があれば廃れてしまうと云う現実もあったことでしょう。現在は核家族化によって、家そのものがなくなってしまいました。その為なのか、世の中には不義理や不人情が氾濫しているようですが、まだ、義理、人情といった価値観を持ち続けている人々は多数を占めているようです。そう簡単に国民性と云ったものが変わるものでもないということなのでしょう。

「その為なのか、世の中には不義理や不人情が氾濫しているようです」
これは、教育基本法を改悪すべきとした安倍らの主張そのもののように思います。

私は、世の中に「不義理や不人情が氾濫している」原因について、下記のように考えています。
以前の拙稿からの抜粋です。
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●(全体主義一色に向かう日本。http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/990.htmlより)
戦後、「自由と民主主義」ということで、自由ということが殊更強調されるようになった。しかし、人々は、全体主義から脱したわけではなかった。
その証拠に、学校では、あのすばらしい教育基本法を掲げていながらも、旧態依然と、集団教育が続いた。校長の前で皆整然と起立させられ、前へ倣え、だとか、気をつけ!だとか、軍隊式の調教教育が続いた。運動会でも、整然と行進させられる。それも、台の上から生徒らを見下ろす体育の教師が、怒鳴りながら、「一糸乱れぬ」行進ができるようになるまで何度も何度も練習させる。「威嚇」を伴いつつ行われるこうした「調教」は、子供に「お上」に逆らってはいけないという恐怖心を植え付け、個を殺すことを求めるものである。
こうした集団行動は、他者、他の個性を尊重するという心を育まない。尊重するも何も、皆同じ行動をしているだけなのだから、尊重しようがないのだ。
ここから子供たちが学ぶのは、集団の中では、自由も権利もない、ということである。

ところが、「自由」や「権利」という言葉だけは声高に叫ばれる。
そこで、子供たちは考える。
威圧的な集団から離れたら、「自分勝手な行動をする自由」や「権利」があるのだろう、と。

そこで、傍若無人な振る舞いをする者たちが増えた。

また、こうした者たちは、基本的に他者に対し関心を持たない。
他者を尊重するということを知らないからだ。
結果、多数者という集団から逸脱した「異端者」、少数者を見つけると、犯罪者を見つけたかのように、袋叩きにする。
モグラ叩きだ。

●(不感症、非情な人間はいかにして作り出されるかhttp://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/223.htmlより)
集団教育(権威主義的教育)が行われるなど、「集団の秩序」が必要以上に強調される社会においては、秩序を乱す(=他人と違うことをする)ことが悪とされる。
結果、以下が起きる。
(略)
副産物として、下記も生じる。

a)周りと違うことをする人間や、強い者に従わない者を異端視するまでになり、排外主義に走る。
これは、自分に「自分がない」ことについてコンプレックスを持ち、強い者に従う自分を正当化しようとする気持ちの裏返しとしての行動である可能性もある。
(例)ネット右翼、反日ブログ監視所の「住人」ら

b)自分を「殺す」とストレスがたまるので、そのストレスを弱いものいじめをすることで「発散」するとか、「強者」のいない場で傍若無人な振る舞いをして「自己主張」する(これぞワガママ)といった行動に走る。

不感症で非情な人間は、無機質な環境によっても作られている。
例えば、都市整備(町の墓場化)に伴い、自然と触れ合う場が減った。
科学の発達により、友達と外で遊ぶよりテレビゲーム、という子供が増えた。
また、親の多忙、子供の受験勉強といったことから、家族での団欒の時間が減った。
つまり、生身の人間、生き物と触れ合う機会が減ってしまった。
結果、感受性が欠落し、無感動になり、機械のように無機質な人間が出来上がった。
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>欧米では、上司に対してあからさまに直言する行為が当たり前であるようですが、日本ではとても少ないようです。日本では、まず人を立て、それとなく忠言したり、耐え忍びつつ、上司の成長を願うと云った、慎ましやかな態度を取ります。義理と云う言葉が大きくまだ残っているからでしょう。

会社が「家族」のごとく、終身雇用とか年功序列とかをやっているうちは、「まず人を立て、それとなく忠言したり、耐え忍びつつ、上司の成長を願うと云った、慎ましやかな態度」なるものも、よかったのだと思います。
しかし、今は、企業が容赦なく社員の首切りをし、それが「評価」されるような時代です。
そうした中で、そのような慎ましやかな態度をとるのはまさに天性の奴隷としか言いようがないと思います。

>そんな人々の中で、ずけずけものを言う人物が登場すると、ひと際異彩を放つので重用されたという歴史もあったようです。

そういう寛容さもあったということなら、なかなかよい形で企業組織が成り立っていたということができるかもしれませんね。

>私は、愛というものの理解が不完全なので、人情と云った方が判りがいいのです。
>利他的な心情と云ったものは、古来から日本人に受け継がれている性格だと私は思っております。現在は多分に失われつつあるようですが、、。

haruさんは誤解していらっしゃるかもしれないと思うのですが、憲法で規定されている様々な「自由」とかの人権を主張する個人主義というのは、利己主義とは違います。
個人主義というのは自分主義とは違い、人がそれぞれもつ個性は大事にされるべきというものだと思います。
つまり、自分だけでなく他者の人権も尊重するというイデオロギーです。
実際問題、自分の人権を主張するだけで他者の人権を尊重しない社会においては、強者の人権が守られるだけで、弱者の人権は守られないでしょう。
そうではなく、すべての人の人権を守るべく、すべての人が他者の人権を尊重しなければならないとするのが人権思想であり、憲法12条の言っていることではないでしょうか。
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憲法12条:
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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ちなみに、「公共の福祉」という概念は、誤解を招きやすいのですが、
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すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼んだのです。けっして「個人と無関係な社会公共の利益」というようなものではありません。また「多数のために個人が犠牲になること」を意味するのでもありません。
http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/09.html伊藤真)
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です。

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