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「第二の自民党」を欲する国民が本質的変化を求める日は来るのか
http://www.asyura2.com/07/idletalk24/msg/646.html
投稿者 heart 日時 2007 年 7 月 19 日 01:41:50: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: 民主党は”第二自民党的”だからこそ多くの支持が集まるのではないか? 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 7 月 18 日 01:45:52)

結局日本国民は変化を求めてはいないということになるのだろうか。
しかし、では小泉への期待は一体何だったのだろうか。
何か変えてくれそうなものには期待するが、何かがひっくり返るほどの変化は求めていないということなのか
それとも、
単に、気分転換したいがための変化への期待にすぎず、
変化の質を見る気はないということなのか

それとも、流行に乗り遅れたくないというだけのことなのか。
流されやすい国民なのか。
マスコミでもてはやされればそれに乗り遅れては目立つ、だからマスコミの流行に乗った行動をするということなのか。

しかし一方で、最近の日本人は、物珍しい、一風変わったものへの関心も強いようである。
小泉はある意味変わっていた。石原も変わっている。
よくも悪くも(いや、悪いだけか)、変わっている。
変わっているからこそマスコミの注目を集め、「時の人」にもなるのだろうが、その変わりようが他人に悪影響を及ぼすようであると問題である。
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例えば新自由主義という価値観は制約を受けざるを得ない価値観だと思っています。
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1196.html
投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 12 日 01:35:20: QS3iy8SiOaheU
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個性、個性と言われて育った今の若い世代などは、「人生イロイロ」(小泉)ではないが、
「個性いろいろ」とか思って、他人の生活を破壊する構造改革を推進するような悪い個性、価値観をも、認め、擁護し、絶叫して支持するまでになってしまっているのではないか。

変化けっこう、個性けっこう。

しかし、それが、マスコミなど他者が用意した「変化」、マスコミや周囲の人間が煽った「個性」・「異色さ」であるとしたら。

お膳立てされたレールの上で、他人が飛びつくものを他人に乗り遅れまいと飛びつくという、自分のなさ。
それは、変化ではなく気分転換を求めているだけであり、自分の内側の評価ではなく他者の評価、羨望を求める行動である。
自分のないところに個性はない。大きな量的な流れに身をまかせるだけでは質的変化は望むべくもない。

また、変化というものには、変化したと見せかけて中身は全く変わらないか、かえって損するだけというものもある。
例えば、以前どこかで聞いた話によると、
納豆は、値段が下がって安くなったと見せかけて、実は1パックあたりのグラム数が減ってグラム当たりでは高くなっているとか。

本物の変化を望むのなら、自分を持ち、質的変化はどうやったら得られるのかを自分で考えること、そして、見かけに騙されないことが必要である。
他人まかせ、流行への追随だけでは本質的変化は何も得られはしない。

そして、もし、今の国民が本物の変化を求めていないのならば・・・
Sun Shineさんや松浦さんが下記で憂えているように、国民はもっと痛い目に遭わなければ変化の必要性を感じることができないということになるのかもしれない。

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このままいっそ全部沈没してしまって、ゼロからやり直したほうが性根が座っていいかもしれない
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/540.html
投稿者 Sun Shine 日時 2007 年 7 月 16 日 11:53:30: edtzBi/ieTlqA

(回答先: [参考情報] 『中間層の確保=民主主義の根本』を自覚できない日本政治と市民意識の貧 投稿者 鷹眼乃見物 日時 2007 年 7 月 16 日 06:31:28)

下記の投稿のような、こんな能天気な若い子達とそれを飼育した馬鹿な親や学校が日本中にはびこっている訳だから、日本はもう手遅れかもしれない。

このままいっそ、全部沈没してしまって、ゼロからやり直したほうがいいかもしれない。

一方では、社会・経済システムの変化により、中産階級が下層階級に落ち込み、就職できないでワーキング・プアーの負のサイクルに陥ってしまっている男性達も多いというのに、である)


イギリスで大人気の高級ブランドのエコバッグが東京で先行発売 客が殺到し騒動に [FNN]
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/164.html
投稿者 white 日時 2007 年 7 月 14 日 23:05:51

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◆戦争が経済である様に政治も当然、経済。 投票は落選行動ではない。
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/405.html
投稿者 松浦 日時 2007 年 7 月 13 日 21:13:57: nX3mGLaD7LQUY
(回答先: [AML 14838] 埼玉県知事選での新しい共同運動がつぶされようとしています 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 7 月 13 日 15:34:36)

テクニカルな仮想の数合わせシミュレーションに明け暮れる前に、原点を理解しなければならない。

まず、第一に、投票行動は当選行動であって、落選行動ではない。記名式が採用されている事からも明らかなように、特定候補を支持し当選させるのが目的で、誰かを落選させるのが目的ではない。それは、政党支持派であろうと無党派であろうと同じで、その候補を支持できなければ、敢えて投票所に出向き、記名はできない。それは積極行動であって消極行動ではない。支持できる候補が不在なら棄権するのが標準的行動だ。

具体例を挙げる事は不要だが、分かりやすく言うなら、先の都知事選に際し、浅野氏を支持する者は何を根拠に、吉田氏に敢えて投票する者が、彼が立候補しなければ浅野氏に投票すると決め付けるのか?

私なら棄権する。経済政策上、敢えて「浅野」と記名はできない。
結果的に2候補の合計票数が更に少なくなり、投票率が低下するだけだ。
2倍、まして3倍に水増しされる累乗効果など、原理的に発生しない。
なぜなら、「石原」と記名する有権者は、彼を積極的に知事に推すために投票行動を行っているのであって、他候補を落とすために記名行動を行っているのではないからだ。
6割程度の投票率しかないのをみれば判るように、投票とは、勝れてポジティブな様式なのだ。
それは、埼玉知事とて同様で、現職を支持する有権者がいなければ当選できない。

第二に重要なのは、政治は経済倫理だということだ。経済政策の中に政治政策の本質と結果の全てが内包されている。従って、政治的判断において、経済政策を検討し批判する事は、最も実質を伴った重要な営為であって、決して中傷や単なる党派性で為せる事ではないし、その判断の後に安易に変更できるものでもない。

共産党の行っているのは、そうした行為であって、その内容の当否を検討することなく、批判そのものを分裂行為と形骸的に批判するのは、真に政策を理解する能力の無いの者の行為と判断せざるを得ない。
それこそ、暗愚の中傷と言える。

だが、悲しむべき事に、この国では、かつて9割の国民が小泉を支持して、後に一部が離反した様に、経済政策を理解することで、自らにとって有効な政治行動を採ることのできない多くの国民が存在するのも事実だ。
小泉が首相になる前の国政選挙の時点で、既に経済政策は確定しており、以後、如何なる変更も行われてはいない。その意味で、実に明瞭で一貫性のある経済政策と断言できる。その上、彼は「痛みを伴う」とまで明言して、決してその意図を隠していないのだ。それにも拘らず、1割ではなく9割の国民が支持した。
当時、私はソーシャル・ダンピングを明言して、将来確実に社会の荒みが広がる事を本業の場で警告したが、その反応は研究者、読者、編集者を含めて芳しいものではなかった。内心、この者達は経験するしかないのか。その時には取り返しが付かなくなっているのにと、暗澹たる思いを抱いた。

憲法改正の国民投票も含めて、これからも投票機会が国民に与えられる。自らが選択した積極的行動なのであるから、理解できるか否かにかかわらず、その結果は確実に国民自身に帰って来る事を覚悟しなければならない。そして、投票行動の積極性を理解できない数合わせは、虚構に過ぎない。それが、政治の現実なのだ。

こんな当たり前の事を言及しなければならないこと自体、悲しむべき事だ。
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◆現行、将来、落選行動は全体の趨勢を決めない。さらに、選挙自体、社会の趨勢を決めない。
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/416.html
投稿者 松浦 日時 2007 年 7 月 14 日 09:16:03: nX3mGLaD7LQUY
(回答先: 投票は落選行動を含みます  現行制度で仕組んでいないだけ 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 7 月 13 日 22:52:29)

物事の本質を如何に捉えるかがセンスだ。それは、無数のファクターから何を削り取る事ができるかに掛かっている。
私の論は、落選行動は現行、そして将来のこの国の政治において重要な要素では無いし、成り得ないとの判断を前提にしている。
落選行動自体が選挙に含まれていないと言う事でないのは言うまでも無い。

実際、落選行動は、積極的に小泉、石原を推す投票行動の前では殆ど対抗するファクターではない。
後は、例えば貴方にその判断ができているかだ。まだ判ってはいないのなら、これから経験して確認すればいい。

無意味な初歩論は端から眼中に無い。

さらに付言すれば、選挙は重要な要素ではない。全ての国民行動の100分の一程度の比重と見ていいはずだ。敢えて、イベントとして摘出されるから人の概念に実態以上の印象を与えるに過ぎない。

例えば考えてごらん。この国で、

なぜ、労働争議権は行使されない?企業内組合ではない社会公共セクターとしての労働組合が機能しないのはなぜか。労働市場の流動性、市場効率を高める事を平然と公言する者が、なぜ90年代初頭から社会的非難を受けないばかりか、社会的発言力さえも発揮し得る?

財政破綻による行政改革。ここでは決して軍縮、警察・公安の公金横領構造の変革は出てこない。(実は日本は、第二次大戦後、唯一軍縮を経験せず、軍拡のみを行ってきた国だ。)福祉、社会サービス部門の削減だけをなぜ問題にする?

格差社会と言われる。被雇用者の間で話題となる言葉。勝ち組、負け組。全体として企業の損益分岐点が引き下げられ、労働賃金が縮小されている中で、資本家でもない被雇用者同士が、勝ち負けを自己分類する。本来なら一致団結して労働条件の死守を求めなければならない時点で、自ら分断に参加する。なぜだ?

57年の朝日訴訟〈憲法25条による生存権と生活保護法についての行政訴訟〉から事あるごとに再現されてきた、弱者が弱者を批判して、足を引っ張り合う、社会共有的な公共意識の無い、私的利権意識のみが突出した国民性が、経済の景気浮沈に極度に左右される不安定な社会を産み出してきた弱者が強者と同じ行動原理を持つことの悲惨を日本社会は体現している。

現在の日本社会の現状を招来した原因は、選挙ではなく、長年に渡り常時構造的に作用してきた国民行動の蓄積にある。経済成長が終焉したために、築き上げてきた基底が露呈したに過ぎない。そして、これからも、この国民行動は継続する。従って、将来は見えている。

それら、全てを加味した上で、私は結論を示している。

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