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共存に伴う困難さ
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投稿者 kanon 日時 2008 年 1 月 12 日 14:11:41: FUgy0.1v81/ao
 

(回答先: オブ-ジェクト 投稿者 kanon 日時 2008 年 1 月 10 日 20:33:42)

ワヤクチャさん。ご返信ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い申上げます。

以下は自己レスです。

>ワヤクチャさんは、形而上を想定することが「命がけの飛躍」であると理解されていると思うのですが、もし、そうであるならば、信仰者の大半は「命がけの飛躍」を体験されたことになりましょう。そのことについてはどのようにお考えなのでしょうか?

それで信仰者というのは、一般的に思考を停止したまま、信仰する思想・信条に帰依することで安心を得ようとする傾向にあります。それにより、メタの位置に吊り上げられたものを介して他者との関係を築くことになっていくのですが、なぜ、そのようなことが起こるのかといえば、やはり場の秩序なり安定が求められるということになるからでしょう。そして、そこから逆説が生ずることになります。生成変化する生が固定化することで、今度は安定・秩序を拒む方向で進もうとする働きが抑えこまれてしまう現象と申しましょうか。だから、ここで得られた安心・秩序とは、ニーチェによれば反動的な者の勝利と呼ばれることになるわけなのですが、つまり、ここで人間社会が閉じてしまうことで、間主観の場での意思疎通が図られるようになるのですが、穿った見方をすれば、人間社会のルールや掟などが環の中で循環しているだけなのです。そのような状態を表現しているのが、ドゥルーズが「ニーチェ」の中で以下のように述べたことからもわかるでしょう。

『反動的な諸力が勝利をおさめ、<力>への意志において否定が勝るのである!それが問題となるのはただ単に人間の歴史の場合だけではない。生命の歴史、大地の歴史、少なくとも人間が住まう大地の歴史などの場合もそうなのだ。至るところでわれわれは、<否>が<然り>に対して、反動が能動に対して勝利をおさめるのを見る。生そのものさえも順応的になり、また制御や調整をこととするようになる。そしてその二次的な諸形態へと還元されてしまう。』(ジル・ドゥルーズ「ニーチェ」ちくま学芸文庫、46頁)

そして、思考を廻らせる者にとって必要なことは、このような現実を忘れてはならないということです。



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