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ご紹介ありがとうございます
http://www.asyura2.com/07/jisin15/msg/328.html
投稿者 日 日時 2008 年 10 月 25 日 02:29:10: IR1H95zbmUf8k
 

(回答先: 生存権本位制はどうでしょうか 投稿者 オリハル 日時 2008 年 10 月 24 日 21:32:37)

通貨発行権は国民にある。故に生存権本位制。

ご紹介頂いたブログの主張を全て読了した訳ではないのですが、方向性と焦点に非常に共鳴致します。稀に見る素晴らしい提案だと思います。

ではいったいそれをどの様に現実に実現するか、そこが問題となります。

推察するに、金本位制の代わりに労働自体を国民が保証する交換券、という事になるのでしょうか?
しかしその代行者としての政府の存在を肯定するのであれば、更にそれを保証、裏付するため、詰る所、金本位制に戻るという懸念を拭えません。
何故ならば、多くの人々の意識の拠り所はやはり物としての確認をする術しか知らず、その最たる物の信用創造の象徴が金という事になりそうだからです。

社会保障を信用創造の核とするというのであれば、それは現在の通貨で先にそれをシステム化する実証なくして実現し得ず、コロンブスの卵となります。

そこから先は日の非公開部分のシステム化の話になります。

生存権本位制はどうでしょうか
http://www.asyura2.com/07/jisin15/msg/327.html
投稿者 オリハル 日時 2008 年 10 月 24 日 21:32:37: 3eVpHzO3Pti46

(回答先: インテリよ、サバイバーたれ23 大破局が近づいた(東海アマ) 投稿者 日 日時 2008 年 10 月 24 日 21:24:00)

|こうなれば、次にくるものは金本位制の復活しかない。

私は詳しい議論は認識不足で出来ませんが、「生存権本位制」はどうでしょうか。

新たな裏付けとしての生存権本位制
http://www.asyura2.com/08/senkyo54/msg/758.html
投稿者 オリハル 日時 2008 年 10 月 18 日 02:28:56: 3eVpHzO3Pti46

新たな裏付けとしての生存権本位制
[ 第二章 陰陽連鎖型経済 ]
 もともと中央銀行なるシステムそのものは、金本位制の時代から続いてきた欧米金融のもたらした産物です。その欧米流の主張は「会社経営の主は経営者に非ず、資本を提供している株主である‥」としています。それゆえ、政府の銀行として委されている中央銀行とてそのすべての権限は株主にあるとする見解です。
 この欧米流の主張の行き過ぎている点は、個人と銀行・企業と銀行・銀行と中央銀行・政府と中央銀行における融資関係のスタートであるその元締めこそが王様であると主張する私物化傾向にある点です。
 そのすべての貸付のスタートとは、スイスのバーゼルにある中央銀行の中央銀行と呼ばれる国際決済銀行に設置されている委員会こそが王様であるとする姿勢なのです。もちろん委員会の人選がどのようであるかは我々民衆の知るところではありません。一般に広く認知されていないことから言えることは、その手の銀行家たちによる秘密裏な人選であると推測されます。日銀総裁を決めるのでさえ政府が参加しないことからも、その傾向は金融資本まかせであることだけはどこの国も変わらないと思われます。
 このように‥金融資本の強いカルテルとも言える中央銀行同士の構図までもが国際的に形成されているのは、一体何のためなのでしょうか?
 不景気を防いでもらうためでしょうか?、それとも金融資本同士が上手くやってゆくためでしょうか?
すくなくとも金融危機を事前防止するには何の役にも立っていないことだけは事実です。
いつの時代でも絶対的な権利を欲するがゆえに‥謀を巡らすのは欲望に取り込まれた人間の為すところです。それがグローバル化→格差社会→拝金主義→物価高騰の連鎖と言える姿です。
 すてきな委員会で無いことだけは折り紙つきである‥とのみ申し上げておきます。

※ ちなみに、日本の中央銀行である日本銀行は、日本銀行法の定めるところにより、その株式の55%を日本国政府が所有することで知られています。

 ならば、欧米流がそのつもりならこんな見方もあるはずです。
国家の政府機関や行政にもっとも大きな投資をし続けている主こそ国民です。
税金を搾取ではなく、国民からの融資であると視点を切り替えて考えればそうなります。
これは、鶏が先か卵が先かの違いです。
資本提供の主こそが国民なのですから、国民自らにも発行権限が銀行と同じように有るべきです。
 すると、中央銀行から借りることを前提とした国庫財源不足の裏付けと見なす資金調達は辻褄が合わないことになります。
 なぜ、国債を最後の砦のように財源の裏付けとしなければならないのでしょうか?
 なぜ、そのようにわざわざ国民の権利を担保に入れるような仕組みを用いるのでしょうか?
 なぜ、国民主権の城である政府に通貨発行の権限だけが分離されてしまっているのでしょうか?
まるで天皇家と将軍家の間にあった統治権の優位性を見ているかの如しです。
 なぜ、いつまでも誰も手を挙げず、改善に向けた具体的な意見を述べないのでしょうか?
金融構造の公武(政経)合体、大政奉還が必要です。

 私は提案します。

 社会保障そのものを我が国の通貨の本位制度に取り入れると定めれば、その瞬間から社会保障予算は地域通貨の原理とその裏付けとしての創造発行が可能となり、いくらでも福祉理念を導入することが可能となるのです。
 ポイント制度のそれのように、消費による地域通貨から法定通貨への機能的な転換を取り決めることが大前提ですが、そのように定めたその瞬間から「いくら必要ですからいくら保障創造します‥」とできるのです。
それが政府系の地域通貨と目的通貨が無返済に機能する瞬間です。本位制度ですからそうなります。
 これは中央銀行が信用創造できるのと同じです。創造できる側に返済義務がないのと同じです。
政府自らが、明日の国民生活の向上を希望してその予算を保障創造するのです。
国民を政府の株主として見立てれば、国民への配当創造とも言えるでしょう。そのような解釈もあり得ます。
もちろん安全保障も社会保障の一つですから、安易な防衛費の増加は懸念されるところです。
 そこで生存権です。国民生活の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を基準とするならば、新たな裏付けとしての生存権本位制はなんらおかしくない制度であると考えます。

 ただし、いくら政府が保障創造できるようになるからと言っても、中央銀行が刷ったばかりの商品である紙幣に直接手を付けないのと同様に、政府自らがあすこにもここにもと直接的につぎ込むことは適しません。
 あくまで生存権本位制らしく国民ひとり一人に分け隔てなく配当する形での消費誘導型の社会保障であるべきです。そういう意味では間接的です。ただのバラマキでは企業の側にしか資本がゆかず、返済義務がなくとも事業として軌道に乗らなければ国民側にメリットは生じません。
 また、国民が本当に必要であると考えるための選択権を市場原理にゆだねてとりおこなうならば、それこそ目的通貨としての適応価値が認められるかどうかがその解答となるはずです。それもそのはず、もらったお金(目的通貨)でさえ利用しないのならば本当に必要がなかったと判断できるからです。
 これは、景気創出を無駄なく行うこともまた社会保障・環境対策として考えればこその視点です。持続性ある経済活動を、国民全員の生活に合わせて考えてゆく姿勢を取り入れていると理解してもらえれば十分です。

 それが21世紀以降、我が国の目指すべき人権意識・社会責任の方向性であるとして何が不都合でありましょうか?  


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