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「教育基本法と愛国心のふぞろいな関係(2)」 [ビデオニュース・ドットコム]
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/387.html
投稿者 white 日時 2006 年 12 月 26 日 18:09:55: QYBiAyr6jr5Ac
 

(回答先: 「教育基本法と愛国心のふぞろいな関係(1)」 [ビデオニュース・ドットコム] 投稿者 white 日時 2006 年 12 月 26 日 18:08:59)

□「教育基本法と愛国心のふぞろいな関係(2)」 [ビデオニュース・ドットコム]

 http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061225-03-0901.html

2006年12月26日
「教育基本法と愛国心のふぞろいな関係(2)」
ゲスト:鈴木邦男氏(一水会顧問)

謙虚さ、「根」の喪失
 
神保 邦男さんは左翼全盛で周りが愛国などと言っていなかったときに、孤立して愛国を叫ばれていたのですよね。ところが、気がついたら周りがみんな愛国に変わっていて、今は愛国に警鐘を鳴らしていらっしゃいます。邦男さんから見たときに今の愛国現象の源泉とは何で、なぜあんなに少数だった愛国が今では邦男さんを通り越してしまったのでしょうか。
 
鈴木 一番大きな原因はソ連が崩壊したということです。あと連合赤軍事件もあって、やはり理想や夢を語るのは危ないと考えられるようになった。それから愛国心という論議が不自由になったと思います。僕が学生運動していた時はそれなりに凄然としていて、僕なんかいっぱい論破されていましたからね。今だったらそういう議論をする人たちもいなくなって、さらにかつてそんなこと言っていた左翼の人も愛国心はあると言うようになりました。それから教育の問題で、かつては先生がお父さんやお母さんで、その上に天皇がいるとされて権威があったものが、今は変わってきています。
 
神保 今の愛国と岩倉使節団が意図的にやった愛国とは根っこは同じなのか、根本的に違うものなのでしょうか。
 
宮台 不安を埋め合わせるための統合シンボルを人為的に操作するところは似ているわけですが、違う点は日本の現状が20年遅れのネオリベだということです。60年代から70年代前半くらいまで、ヨーロッパやアメリカではリベラルの風が吹きます。労働時間の短縮化や性の解放といった動きが出てくると同時に、社会福祉体制がうまくいかなくなり、財政が回らなくなって、働いている奴よりも裕福な暮らしをしている生活保護者などが喧伝されるようになりました。そうしたリベラルな動きの中でのある種のだらしなさや腐敗を引き締めるために、まず小さな政府を持ってくるわけです。さらに、国家を小さくする分、伝統的な地域や家族共同体が健全に機能してこなければいけないとうことで、伝統価値を推奨するということです。
 新自由主義が従来の保守とどう違うかというと、新自由主義は左翼政策に対するバックラッシュを利用して、人々の不安をナショナリズムという統合シンボルを使ってまとめてきたということです。それで、サッチャリズムやレーガニズムと言われるような動きが12年近く続きました。日本には20年ほど遅れてやってきますが、その背景にはグローバル化があります。特に戦後的な労働慣行、終身雇用、年功序列が急速に解体したり、組織が低下したりして、従来あったものから引き離された人々が不安になった。この人間たちを動員して、票や人気に結びつけるために、小さな政府で従来の談合主義的なものの腐敗を追求し、重罰化や断固決然とした外交によって不安になった人々を国家のシンボルに吸収していくと。ですから出発点が違っていて、今は都市化で不安になっているわけではなく、もっと抽象的な流動化によって不安になっているわけです。
 
鈴木 左翼の人の論理を聞いていると、一部の人が作戦を練って言っているのではなくて、各自がばらばらに言っているようです。政府は自分たちが支配しやすいようにやっているでしょうし、警察もどんなものでも捕まえて表現の自由もない。また、国民の側でも不安を抱えていて「少しくらい自由が制限されても安全ならいい」とか「子供も危ないし、警察も必要だろう」と言って、みんな考えていることは違うけれども一つの方向に向かっているのだと思います。
 
神保 明治のときは実は薩長という仕掛け人がいたのでしょうが、今回はどうでしょうか。特に首謀者がいるわけではなく、一人一人が自分のほうから愛国になびいてきたという感じもするのですが。
 
鈴木 そうですね。それからまたメディアもありますよね。右か左かを瞬時に判断して声の大きいほうに付くというような。じっくり考えようなどというのは、かったるいのではないですか。だから社民党や共産党の出る幕がなくなってしまう。
 
神保 僕たちは明治の愛国がどういう結果をもたらしたか知っていますよ。だとすると、今回の愛国の風潮が、同じことを繰り返す可能性を懸念して見ていく必要があるのでしょうか。それとも、今回のは一つのブームにしか過ぎないのだから、どうせまたすぐに左に戻るよ、くらいの目で見ていいのか。お二人はどう思われますか。
 
鈴木 明治前までの日本はかなり謙虚な国だったと思います。江戸時代、大化の改心のころでも中国の人にはたいへんお世話になっているし、むしろ自虐的で中国に引け目なども感じていたと思うんですよ。だから、かなり謙虚な人たちが日本を作ってきていた。それが明治維新後、中国、ロシアに勝ったあたりから思い上がったのではないでしょうか。今でも「北朝鮮に負けずに核武装しろ」などと、かつての体験から学んでいないようなことを言っていて、謙虚さが感じられない。これは、国家だけではなくて一人一人がそうですよ。子供たちまでも思い上がっていますよね。
 
神保 どういうところが思い上がっていると感じられますか。
 
鈴木 日本が素晴らしいと思うところはいいかもしれませんが、他の国との比較で善し悪しを決めたりするというものが、国家だけではなく子供たちの中にも出ている気がするのです。
 
宮台 まず、邦男さんがおっしゃっていることは思想史上正しいことなんです。分かりやすいところから言うと、愛には無条件性が含まれていますよね。美しい国だから日本を愛するというのは馬鹿げていて、例えば自分のお母さんが美しいから愛するのではなくて、自分のお母さんだから愛するわけで、無条件の愛とはそんなものです。愛国というのは国が美しいかどうかに関係がない、自分の帰属に関わる意識のことで伝統的な発想をおっしゃっているんですよね。
 もう一つわかりやすい例を出すと、喧嘩慣れした連中は、すぐに吹き上がる奴は三下で、本当にタフな奴は沸点が高く、全体を冷静に見極めることが出来るということを知っています。同じように、謙虚な人間というのは全体を見ることができます。それからもう一つ僕が重要だと思うのは、右と左の違いというのはもともとはどこにあるのかというと、情念や情動の連鎖のような内発性によって動くことのできるのが「右」で、不安であるが故に神様とかイデオロギーとか愛国心とかに頼る奴らが、思想的には「左」なんです。邦男さんが70年代に書かれた『腹腹時計と<狼>』でおっしゃっていることはそういうことで、ヘタレは理屈やイデオロギーを持ち出して自分を正当化したり右往左往しているけども、本当に凄い奴はただ内発性に導かれてやるということです。イデオロギーなどと関係なく、凄い奴を見たら「こいつは凄いな」と思って感心する。これこそが人のあり方であって、完全に正統的な右の思想です。
 
鈴木 それは、一般の方々と比べて私たちが新右翼と呼ばれる理由にもなっていると思います。学生運動を体験した中で、敵であるけれども凄い奴がいました。演説をしていても凄い奴がいるし、人間的にも素晴らしい奴が沢山いた。そのときは、思想的には反対だったから殴り合いをせざるを得なかったけれども、今ならそういうことが言えます。
 それからよど号事件の人たちがどんどん民族派になってきたということもありますね。民族主義に基づかなかった革命は虚構だったと。その中で一水会の人たちとも天皇抜きにしても民族主義の論題で話し合えるということですね。僕は他にも、左翼の人たちで天皇は嫌いだと、愛国心は嫌だと言っている人の中にも素晴らしい人はいっぱい知っていましたからね。逆に、「天皇は素晴らしい」「愛国心を持っている」と言う人でもろくでもないことをしている人がいっぱいいたりしました。そうすると平凡な結論ですけど、やはり人間なのではないかなと。
 
神保 手法の違いこそあれ、日本や世界を良くしたいと思って行動を起こし、なおかつあそこまで出来る人たちとは、半端に愛国者を名乗ってあまり行動してない人などより相通ずる所があるということでしょうか。
 
鈴木 そうですね。安全圏に居ながらものを言ったり、ネットで隠れて人を攻撃していたら、どんなに素晴らしいこと言っていても、僕は素晴らしいとは思わないです。今は愛国心を名乗っても危害は加えられないけども、三島由紀夫の頃は愛国心だとか天皇制だとかいったら大学なんて追放されましたからね。三島由紀夫だって何のために死んだのかというと、憲法改正を訴えるために死んでるわけです。ですから、憲法改正というのは命を懸けるほど重いテーマだったのです。しかし今は全然重いテーマではない。
 
宮台 三島由紀夫と全教闘が半分くらい意気投合した討論会がありましたよね。そこで「君たちとは反米愛国の志を共有する」わけです。しかし「なぜ君たちは天皇と言わない、天皇と言えば100%共闘出来るのに」というようなセリフを言いました。僕はこれが象徴的だと思うんですよ。当時の新左翼の人たちは、もちろん反米、反天皇だったわけですが、それでも情動の連鎖、繋がり合う輪があったのだと思います。世代的な意識もあったでしょうが、天皇など必要なかった。三島さんは僕らよりも世代がずっと上で、戦後体制をずっと見ていたから、このまま日本を放置していたらここは無色透明な場所になってしまう、今みたいになってしまうと。だから、何かシンボルが必要だと。意見は全く違うように見えるけれども、僕からみれば似ているようにも見える。
 僕の師匠の一人であった見田宗介の言葉を少しもじると、根を持つが故に翼を持てる人間を推奨していらしたということです。邦男さんが駄目だとおっしゃっていたのは、根を持たないが故に柱に縋るタイプです。柱は右翼思想だろうが左翼思想だろうが、変わりないんですよ。根を持たぬが故に不安で柱に縋っている奴は駄目な奴です。
 
神保 愛国者というくくりでいけば、国を良くしたいという気持ちは右も左も同じだということは良く分かります。しかし、天皇をもってしてそれを実現するのか、逆に天皇は邪魔なのかということが、決定的な右と左の違いではないのですか。
 
宮台 例えば、三島由紀夫は国を愛するという言葉は不遜の響きがあるので嫌いだと言っていました。しかも愛国の義務化は、さっきの「優等生病」などを生み出すだけだから駄目だと言って、天皇を持ち出した。しかし、それは天皇を強制しようという話ではなかったわけです。全共闘の連中は当時、天皇というシンボルがなくても根があった、あるいは根を共有していたので情動が連鎖しました。三島は歴史を見てきていたし、彼の実存的な理由もあって、その根がどんどん枯れてきているということに気づきます。そして、ここで根の立ち腐れを防ぐために天皇を持ち出せば、まだかろうじて響きあう根の共有の部分に訴えることができると思った。
 ところが、市ヶ谷の駐屯地で演説をしたら、自衛隊員から嘲笑と罵倒の嵐を浴びることになる。結局そのことによって、僕たちが響き合えるような根を共同していないということを明らかにした部分があるわけです。この市ヶ谷の事件が大きなエポックだったという気がします。巷では全くの想定外で三島が狂ってしまったとされている話なのですが、三島さんにとってあの行動が罵倒を浴びるということは全くの想定外だったのでしょうか。
 
鈴木 僕は想定していたと思います。その前に自衛隊の幹部と何度も会って、話し合いをしていましたからね。三島さんは同時でも世界的な文学者でしたから、自衛隊の広告塔として徹底的に利用しようと思われたのでしょうね。当時の佐藤首相は、「毎月お金を出そう」とまで言ったらしいですから。ですから、あんな事件は誰も想像していなかったと思います。
 
宮台 三島は当時の右翼の人たちから、ただの右翼ぶりっこだと批判されていました。
 
鈴木 当時は僕も誤解していて、作家の遊びだと思っていました。三島さんは色々と自衛隊の人に働きかけたのですが、相手にされなかった。冗談だろうと。三島さんは裏切られたという気持ちが大きかったのでしょうね。だから、自衛隊からの罵倒は覚悟の上だったのではないでしょうか。(PART3へ続く) 

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