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訃報日本共産党元中央委員会議長 宮本顕治さん死去(しんぶん赤旗)
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/716.html
投稿者 ZUMA 日時 2007 年 7 月 18 日 21:45:40: PP6A.5cDkWisE
 

(回答先: 共産党の前名誉議長・宮本氏死去 自主独立路線を確立(東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 7 月 18 日 16:10:50)

訃報
日本共産党元中央委員会議長 宮本顕治さん死去
2007年7月18日 


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 日本共産党中央委員会名誉役員で元中央委員会議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏は、十八日午後二時三十三分、老衰のため東京都渋谷区の代々木病院で死去しました。九十八歳。

 喪主は長男の太郎氏。葬儀は宮本家の密葬とし、党としての葬儀は参院選後にとりおこないます。

 一九〇八年(明治四十一年)山口県熊毛郡光井村(現在の光市)生まれ。愛媛県の松山高校を経て東京大学経済学部に入学。二九年二十歳のとき、雑誌『改造』の懸賞論文に応募した文芸評論「『敗北』の文学――芥川龍之介氏の文学について」が一等に入賞しました。

 三一年五月入党。三二年作家の中条百合子と結婚。三三年に二十四歳の若さで党の中央委員になりました。同年十二月、党に潜入していたスパイの手引きによって特高警察に検挙されます。

 特高警察は日本共産党の名誉を失墜させるため、さまざまな事件を仕立て上げ、デマ宣伝を繰り広げました。これにたいし、宮本氏は、獄中という困難な条件下で、日本共産党の名誉を将来にわたり守り抜くために全力をあげ、法廷では事実を解き明かして、デマ宣伝を打ち破りました。戦時下の暗黒裁判は、宮本氏にたいし、治安維持法違反を主とした無期懲役の判決を下しましたが、戦後、この判決は取り消されました。

 宮本氏は戦後すぐ党再建活動に参加、日本共産党をきわめて困難な状況に陥れたいわゆる「五〇年問題」では、その解決の先頭に立ちました。これはソ連のスターリンが革命直後の中国共産党の毛沢東指導部と組んで中国方式の武装闘争路線を日本共産党におしつけようとして企てた干渉作戦でした。

 この干渉のなかで党は分裂し、分裂した一方の側=徳田・野坂分派はスターリンの直接指導のもと北京に拠点をおいて、軍事方針とよばれる極左冒険主義の方針を日本に持ち込みます。徳田・野坂の分裂的行動に反対すると同時に、彼らが持ち込んだ武装闘争方針に真っ向から反対するたたかいの先頭に立ったのが宮本氏でした。

 党はこのたたかいを通して統一を回復、党綱領と自主独立の確固とした路線を確立しました。宮本氏は五八年の第七回党大会で書記長に選ばれます。六一年の第八回党大会まで継続審議となった綱領問題の討議を発展させるための小委員会責任者として、粘り強い論議を組織しました。

 第八回党大会で採択された綱領は、当面の革命について、世界の発達した資本主義国の共産党の間でいわば常識とされていた社会主義革命論をとらず、民主主義革命の立場を打ち出しました。綱領はまた、武装闘争方針や強力革命の路線をしりぞけ、日本の社会と政治のどんな変革も、「国会で安定した過半数」を得て実現することをめざす、という立場を明らかにしました。

 六〇年代には、ソ連共産党と中国共産党の毛沢東派から、それぞれ日本共産党を自分たちの支配下におこうとする覇権主義的干渉を受けました。これにたいし、日本共産党は、宮本氏を先頭に大論争をおこなって、これらの干渉をはねのけました。

 国際活動では、六六年、宮本氏を団長とする党代表団がベトナム、中国、北朝鮮三国を訪問。折からのアメリカのベトナム侵略に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために力を尽くしました。六八年には、宮本氏を団長とする北朝鮮訪問団が金日成と会談し、当時国際的に問題となっていた北朝鮮から南への武力介入計画の中止を求め、同意をかちとりました。

 米ソの核戦争の危険性が増大した八四年には、宮本氏を団長とする党代表団がソ連共産党代表団と会談し、不一致点はわきにおいて、核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶にかんする「共同声明」を発表しました。この共同声明が契機となって、八五年二月、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」が発表されるなど、核兵器全面禁止・廃絶の主張が、世界の反核平和運動の大きな流れとなりました。

 七〇年幹部会委員長、八二年中央委員会議長に選出されます。九七年の二十一回大会で議長を引退、名誉議長に。二〇〇〇年の二十二回大会から名誉役員に。宮本氏は、六十九歳のときに、参議院議員に初当選。以来、一九八九年まで二期十二年務め、国会の場でも日本の民主的改革をめざすたたかいの先頭に立ちました。

 二十一回党大会の閉会あいさつで不破哲三委員長(当時)は、次のようにその足跡をたたえています。

 「宮本前議長が党の中央委員会に参加したのは戦前の一九三三年、それいらい、六十四年間、ほぼ三分の二世紀という長期にわたって、党の指導の先頭にたって活動してきました」

 「民主主義と平和の日本をめざす戦前の不屈の闘争に始まり、日本共産党をきわめて困難な状況におとしいれたいわゆる『五〇年問題』の解決、党綱領と自主独立路線の確立、諸外国の覇権主義との断固とした闘争、核兵器廃絶をめざす国際的な活動、日本の民主的な改革をめざすたたかいなど、宮本前議長がわが党とその事業のなかで果たしてきた役割と貢献は、歴史の事業として党史に明確に記録されている」


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宮本顕治さんの死去にあたって
志位和夫委員長がコメント
 日本共産党の志位和夫委員長は十八日、中越沖地震の現地調査に訪れた新潟県柏崎市で、宮本顕治元議長の死去について記者団に問われ、次のようにのべました。

 老衰でなくなったという報を、さきほど受けました。たいへん大きな人で、大きな仕事をされた政治家だったと思います。私にとっても深い尊敬の対象でした。大きな感謝とともに、心からの哀悼の気持ちをのべたいと思います。

 とくに宮本さんは、戦前獄中にあって、十二年間、反戦平和の旗を降ろさないでがんばりぬいた、これが戦後の平和につながったと思います。

 それから、相手がソ連、中国・毛沢東派であっても大国の干渉に屈しない自主独立の立場を打ち立てたと、この業績も大きいと思っております。

 それから、いまの綱領の原型にあたる綱領路線を確定し、まず資本主義の枠内で、アメリカいいなり、大企業中心の政治から国民中心の政治に切り替えるという、いまの綱領路線の土台をつくる上でも大事な仕事をされた方だと思います。あとを引き継いでしっかりがんばっていかなければいけないと決意しています。

 (「日本の政治にとっても大きな出来事だったと」との問いに)

 私はそう思っています。日本の戦前、戦後の政治のうえで宮本さんは、本当に一貫して平和と国民の利益のために生涯をささげた政治家であり、革命家だったと思っております。私も多くのものを学びました。ぜひ、こんどの選挙で立派な成績を出してそれにこたえたいと思っております。


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不破哲三前議長が談話
 私が日本共産党の本部で仕事をはじめたのが一九六四年、宮本さんが引退したのが一九九七年でしたから、役職上の関係はいろいろでしたが、党の中央委員会で三十数年にわたって政治活動をともにしてきたことになります。

 そのなかで学んだこと、影響をうけたことは数多くありますが、まず第一にあげられるのは、どんな相手のどんな無法にも屈しない自主独立の態度とそれをつらぬく強固な意志です。ソ連崩壊をふくめどんな諸事件にもゆるがないわが党の理論と路線も、この立場があってこそ、成立し発展してきたものです。

 宮本さんの若い時代、戦前の獄中と法廷での苦難の闘争のことは、私の入党のころからよく語られていた話でしたが、あの闘争が、権力側の謀略を打ち破って日本共産党の政治的名誉と道義的権威を擁護する今日的な意義をもってきたことも、最近ひとしお強く感じ、若い人たちに語ってきたことでした。

 今日の日本共産党の基盤をきずいてきた偉大な先輩として、その業績を発展的に受け継ぎながら、私も、日本の進歩と世界の平和のための活動に可能なかぎり力をつくすつもりでいます。

http://www.jcp.or.jp/include/20070718_fuhou.html

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コメント
1. 2018年8月26日 13:22:23 : S0goRS6OJ2 : 5rVf0g0zXCU[1] 報告
いやはや98歳まで生きたとは!!絶句して呆れるばかり。
でもね、このままじゃ済まないよ。
特に、覚醒した若者世代の勢いはもう止められない。

(下方のブログから引用した正論)

>戦後のマスコミや教育界・出版界・学会を長らく支配してきた左翼系の人々が、

>天敵であった特高を悪しざまに言うのは当然のことだと思うのだ。


________________________

民族の監視者 | 国家社会主義日本労働者党

11月11日

日共リンチ殺人事件と日本共産党の真実
http://nsjap.blog.jp/archives/51536058.html(長文にてごく一部を引用しますが、ぜひ全文をお読みください)


日本共産党の宮本顕治らが昭和8年12月23日から翌24日にかけて、小畑達夫・大泉兼蔵両氏に対して行った執拗且つ凄惨を極めたリンチ拷問殺人事件について、当時の新聞及び訊問調書等を用いながらその真相を炙り出す。併せて日共が喧伝する左記リンチ殺人事件に係る宮本らの釈放及び復権についても旧刑事訴訟法等の法令その他に依りその嘘を暴く。長文であるがぜひ一読願いたい。

(略)

●事件の名称

事件の名称についてであるが、日本共産党リンチ拷問殺人事件が最も正鵠を射ているであろう。●NHK・朝日新聞・毎日新聞は、日共の主張に迎合して「スパイ査問事件」と呼称しているが、これらジャーナリズムの名を語るクズどもは、スパイであれば査問という名のリンチをしてもよいと捉えられる様に意図的に事件名を改竄しているのである。中でも悪質なのはNHK(日本放送協会)である。曲がりなりにも公共放送を自称しておきながら日共の警告及び申し入れに唯々諾々と従うその媚びへつらった姿勢は、国民の知る権利に対する重大な背徳行為であることは明白である。彼奴等ほど虚言メディア(luegenpresse)という呼称が相応しいクズは居まい。

(略)


__________________

大摩邇(おおまに)


2013年11月10日21:02

カテゴリしばやんの日々歴史&古代史

特高警察の「拷問」とはどの程度のものであったのか

しばやんの日々さんのサイトより
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/297/(●削除)

<転載開始>

前回まで3回にわたって、宮下弘氏の『特高の回想』の文章を引用しながら、ゾルゲ事件について書いてきた。

●この本を読むまでは「特高(特別高等警察)」という存在は悪いイメージしかもっていなかったのだが、その理由はおそらく、マスコミなどで「日本軍」がロクな書かれ方がされないのと同様に、「特高」も長いあいだ意図的に貶められていた点にあるのではないか。
●よくよく考えると、戦後のマスコミや教育界・出版界・学会を長らく支配してきた左翼系の人々が、天敵であった特高を悪しざまに言うのは当然のことだと思うのだ。

(略)

●このリンチを行なった中心人物は、後に日本共産党委員長となった宮本顕治である。 宮本はこのリンチ事件の2日後で捕えられたが、なぜ宮本の場合は小林多喜二のようにならなくて済んだのか。
●そもそも地下活動に入っていた小林多喜二が、仲間と待ち合わせしていた場所になぜ特高警察が待ち伏せしていたのか。いったい誰が多喜二の待ち合わせ場所を特高に洩らしたのか。特高が多喜二を拷問にかけて死に追いやったのがプロレタリア作家・江口換の記述の通りなら、仲間や家族が国を相手に訴えなかったのはなぜなのか。

●私には、この事件にはもっとドロドロとした背景があるような気がしてならない。
●ネットでは宮本顕治が怪しいと考えている人もいるようだが、なかなか興味のある視点である。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/senzennikkyoshico/hosoku_mifuneco.htm

●今まで小林多喜二が特高による拷問で死んだ話は何度も聞かされてきたのだが、その前に日本共産党員が昭和5年「川崎武装メーデー事件」で拳銃を発砲し警官やメーデー実行委員を負傷させた事件があった。昭和7年にはスパイ容疑で仲間を射殺する事件があり、10月には拳銃と実弾購入資金を得るために銀行を強盗した「赤色ギャング事件」が起こっている。
●そして昭和8年2月に小林多喜二事件があり、12月に「日本共産党スパイ査問事件」があった。

●このような事件が当時の日本共産党で相次いだことを知ったのは比較的最近のことなのだが、このような一連の事件を伝えずに小林多喜二の特高の拷問で死んだことばかりが強調されるのが公平な歴史叙述の姿勢であるとは思えないのだ。

●我々は、教科書や新聞などを読み、テレビや映画などを見ているうちに、いつの間にか「共産主義者やコミンテルンにとって都合の良い歴史」に洗脳されてしまっているのではないだろうか。

(略)


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かつて日本は美しかった

戦前は恐ろしい社会だったと教えられた戦後日本人

2010/10/25(月) 午後 4:47
https://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/26975137.html?__ysp=54m56auY6K2m5a%2Bf44Gu5oim5pmC5Lit44Gu6KiA6KuW5by%2B5Zyn44Gv44KE44KA44KS5b6X44Gq44GE


●小林よしのり著「天皇論」の中で小林氏が美容室で髪を切ってもらっているとき、美容師と世間話になり、その美容師がこんなことを述べていたと書いています。

●「北朝鮮、危ないですよね〜」「戦前の日本も同じだったんですからねえ」「天皇を神様にして戦争しちゃって」

●私自身も戦中、戦前というのは軍部独裁で庶民はないがしろになり、自由がなく、情報も思想も統制され、恐ろしい社会だったと教えられてきました。そして敗戦によってGHQが解放した、と。こういう認識を持った人がまだまだ多いのでしょう。


(略 以下に「かつてよしりんはまともだった」証拠の文章があります)


______________________________

さて、昨夜のTBS番組↓に違和感を覚えたのは私だけだろうか?
画面に出た滋野時報(?)の「ルーズベルトに学ぶべし」という投稿文タイトルを見てびっくりした。
内容の方は読めなかったが、「はぁ?奴こそ米国民を騙し、日本を陥れて第二次大戦に引きずり込んだ張本人じゃないか!グルのチャーチル、スターリンに並ぶ極悪人なのに何を言うか」と腹が立った。
特高警察を一方的に悪と決めつけてるし、危ないのは実はそっちじゃないか?と思った次第。

JCC株式会社

[特高警察による言論弾圧]

08/25 17:55 TBSテレビ 【報道特集】
https://jcc.jp/sp/jiken/15626/


(関連)

SBCスペシャル

消えた 村のしんぶん 〜滋野村青年団と特高警察〜

放送日 2018年5月2日(水)19:00〜20:00
http://sbc21.co.jp/blogwp/special/broadcast/3125


(滋野時報写真)

上田小県地域では、養蚕業の隆盛や大正デモクラシーなどの時代的潮流に後押しされて、大正時代の末から昭和の初期にかけて「時報」と呼ばれる村の新聞が相次いで創刊した。
郡内にあった33の町村では青年団が編集を担い、政治や経済、身近な話題について自由に意見を交わすなど、村の自治に大きな役割を果たした。しかし世界恐慌の波及や、アジア・太平洋戦争へと至る過程で、紙面の内容も大きく変遷し、最終的には言論統制のために一斉に廃刊を余儀なくされる。

(写真)

村の新聞はなぜ消えていったのか。メディア史が専門の大妻女子大学の里見脩(しゅう)教授は、東京大学に残されていた長野県の特高警察の資料の中に、統廃合を進めた歴史や手法が書かれていることを発見した。
番組では、戦後に旧滋野村(現在は東御市と小諸市の一部)の青年団長を務め、「滋野時報」の発行に携わった高橋隆巳さん(89)など当時を知る関係者を取材。時代を反映した「時報」の記事と貴重な特高警察の記録を突き合わせながら、民主主義社会における言論の自由の意義やメディアの役割を問い直す。

(「滋野時報」を持つ高橋隆巳さん(89)と資料の写真)


___

信州FM

東信ジャーナル[Blog版]

■◆「『時報』にみる子どもたちと戦争」を発表! 上田小県近現代史研究会の事務局長の桂木惠さん(62)が研究!長野県 上田市(12-14 20:20)
http://m.shinshu.fm/MHz/22.56/489318&p=d&c=


(写真)【発刊したブックレットと桂木さん】


 上田小県近現代史研究会(小平千文会長)が年1回発行するブックレットで、今年は研究会事務局長の桂木惠さん(62)の研究で「『時報』にみる子どもたちと戦争」を発表した。

 今回のブックレットはNo・23、11月19日発行。
 
 桂木さんは「今年は戦後70年。地域の子どもが戦時体制に巻き込まれ、意識しないうちに今のヘイトスピーチのような言葉を書いて自然と加害者になり、二重の被害者になったのか、地域の時報から読み取れた。この本が、二度と戦争の犠牲者にも加害者にもならないし、させないために役立ってほしい」としている。
 
(以下略)

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