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安倍晋三のウソとでっち上げが続々とばれて来た
http://www.asyura2.com/07/senkyo39/msg/155.html
投稿者 怪傑ゼロ 日時 2007 年 7 月 22 日 14:21:03: Wmm/PVcgalDww
 

(回答先: 「デクの坊や」の安倍晋三の驕りと断末魔の悪足掻き 投稿者 MAGIC 日時 2007 年 7 月 22 日 12:36:57)

安倍晋三は南かルフォルニア大学で単位なんか取っておらず、その大学の近くの言葉の学校に行った抱けだのに、この新聞記者はそれも知らないらしい。
彼の記事を以下に引用。

時事コラム
2006年9月23日
太田述正コラム#1417(2006.9.23)
<安倍晋三について(その2)>
3 本人

 (1)始めに
 晋三本人については、成蹊小・中・高校・大学という「地味な」学歴であること、米国の南カリフォルニア大学に「遊学」したこと、大臣の経験がないこと、が問題点として挙げられることが多いので、それぞれについて、簡単にコメントしてみましょう。

(2)学歴
 晋三が卒業した成蹊大学法学部は、代々木ゼミの最新の偏差値では56であり、政治家の家の三代目で外国に遊学したことがあるといった共通点があり、かつ晋三の自民党総裁前任者にしてメンターであるところの、小泉純一郎(1942年〜)首相の卒業した慶應大学経済学部の偏差値66に比べても入学難易度がかなり低い(
http://www.yozemi.ac.jp/rank/gakubu/index.html。9月23日アクセス)ことは事実です。
 しかし、小泉首相の場合は公立高校から大学受験をして慶應に入ったのに対し、晋三の場合は、成蹊小学校からエスカレーター式に大学まで行っており、二人の学歴の単純な比較はできません。
 一般的に言えば、成蹊高校において、成績が上位3分の1くらいの生徒は積極的に他大学を受験し、真ん中の層が成蹊大学に進学し、成績が下位の生徒は成蹊大学に進学を許されず他大学に流れる、ということのようです(「有名私立中学首都圏版」KKベストセラーズ 1996年 218頁)。
 しかし、晋三があえて他大学を目指さなかった可能性もあります。ですから、晋三は成蹊高校、従ってまた恐らく成蹊大学でも成績は真ん中以上だった、ということは言えそうです。(成蹊大学の学部ごとの偏差値に差はほとんどない。)
 では晋三は、成蹊高校や成蹊大学でできの良い方だったのか真ん中くらいだったのでしょうか?
 これは分かりません。
 晋三が小学生か中学生の時に、当時東大生であった平沢勝栄(現衆議院議員)が彼の家庭教師をしているので、平沢には彼の潜在学力のほどは分かっているはずですが・・。
 とまれ、細川護煕以来、晋三まで8代続いて首相に私学出身者が就くことになったわけで、東大卒など絶えて久しいところに、日本の政治の世襲化のひずみが現れていると言えるのかもしれません(
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060919k0000m010107000c.html
。9月18日アクセス)。

 (3)米国「遊学」
 小泉純一郎が過ごしたロンドン大学に比べれば、晋三が過ごした南カリフォルニア大学の入学難易度(どちらもundergraduate)は相当低そうですが、いずれにせよ二人とも、卒業したわけではなく、「遊学」しただけですから、そんなことは余り関係ないでしょう。
 なお、スタンフォード大学政治学科でundergraduateの科目もとってみた私の経験からすると、時間をいくらでもかけられるペーパー執筆で単位がとれるgraduate(大学院)に比べ、限られた時間で答案を作成しなければならないundergraduateの方が、語学にハンデのある日本人にとっては難しいとも言える(注5)のであって、南カリフォルニア大学の政治学科を卒業できなかった晋三が無能であったとか遊んでいたとかは必ずしも言えないと思います。

 (注5)理工系や経済・経営系の学科であれば、それほど日本語はハンデにならないので、当然のことながら、大学院の方が単位取得は難しい。なお、米国の場合、大学院は日本の大学の3〜4年並、undergraduateは日本の大学の1〜2年(つまり、教養課程)並、のレベルと考えればよい。
 
 そんなことよりも、どれだけ海外経験を肥やしにできたか、あるいはどれだけ英語力を身につけることができたか、が問題です。
早晩、そのあたりは晋三首相の言動を通じて明らかになることでしょう。
 
 (4)政治家としてのキャリア
 晋三は、大臣の経験がないとは言っても、大臣を束ねる役割である官房長官を勤めており、かつ党の幹事長まで経験しており、厚生大臣2回、郵政大臣1回だけで幹事長経験もなくて首相になった小泉純一郎と比べてキャリア的に決して遜色はありません。
 政治家は、大臣などを勤めなくても、政策を勉強する機会はいくらでもあるのですから、問題は本人がどれだけ政策を勉強したかです。
 ただ、ほとんど政策を勉強しなまま首相になった小泉純一郎(注6)が、「立派に」首相を勤め上げたことからすれば、そんなこともまた、どうでもいいのかもしれませんね。
(以上、特に断っていない限り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89
(9月22日アクセス)、
http://www.kyudan.com/opinion/abesinnzo.htm
(9月23日アクセス)による。)

 (注6)小泉が首相になる直前、小泉の「盟友」山崎拓はオフレコで新聞記者達に、「いいか、君たちびっくりするぞ。30年も国会議員やっているのに、彼は政策のことをほとんど知らん。驚くべき無知ですよ」と語ったという。なお、小泉が首相になった直後、私自身があるパーティーで、同じ山崎拓が、小泉の安全保障への無関心ぶりを語ったのを聞いた話は以前(コラム#226で)記したところだ。

(続く)


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2007-04-30
■[安倍晋三][雑記]安倍晋三の何が気に入らんのかとか、小泉純一郎への評価とか 04:30
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070429#1177797359に書き足そうとして一部アップし、論旨が散漫になるので削除したものを、文章を足して以下アップする。
1
ずっと前、ペドファイルの知り合いがたくさんいた頃、ある先達がペドファイルを合理化しようとしてこんな理屈を述べたことがある。
「(第三世界での)少女買春をいかんというが、しかしその少女が飢えて死ぬのと、少女に何がしかの金を支払うことで少女が生き延びることと、どちらがより望ましいか、こういう風に論を立てたい」
私はこの論に全く不同意だった。これは被害者に共犯意識を要求し自分を免罪しようとする論だ。私はそういう論を生理的に受け付けない。
私は変態であるから*1、悪をなすこと自体を断罪するオタメゴカシ趣味はない。全然違う視点から言うと、たとえば革命は成功しなければ犯罪として処理される。大塩平八郎の乱は江戸幕府体制下では重犯罪だ。フランス革命はブルボン王朝にとって重犯罪だ。だが人は当時の重犯罪者の側に我々は共感し、我々は通常これら重犯罪者の側を賞賛し描写する。
ペドファイル犯罪は私的犯罪であり社会的正義なんてないから、単に私的欲望を発露するだけである。それは悪の行為だ。悪をなす際に悪をなすと自覚して悪をなすべきなのだ。
私は変態であると同時に、基本価値観をマンガ家価値観に設定している。悪をなした人間の作品が優れていればその作品は評価されるべきであり賞賛されるべきだ。ヘタクソでつまらない作品だというのに宣伝の力でだけ売ったりあるいは売れたふりをしたりするのは最も軽蔑すべき唾棄すべきことがらだ。安倍晋三は後者に相当する。
安倍晋三周辺は「ソフトなムードの安倍晋三」というのを宣伝しようとしていたそうだ。私が最も憎悪するのは、こういうオタメゴカシであり、その対象に存在しない美点を並べ連呼する田舎芝居的無様さだ。悪をなしているのに悪をなしているとすら気づかないばかりか、それを悪ではないと強弁しようとする無恥ぶりだ。私はそれを最も憎む。
2
私は安倍晋三を毎日のようにこき下ろしているが、小泉純一郎を今までブログであまり批判したことがなかった。私は小泉政権への評価がわりと甘い。たしかに小泉政権の間に情報統制政策はいっそう進んだ。だが小泉はメディアを自覚的に用いた。私は悪をなす自覚をもって悪をなす人間への評価は甘い。およそ政治や国政は民衆の素朴な道徳観を超えた決断を迫られるものであり、悪をなす覚悟程度は必要だ。
小泉のライバルとされる人々はメディアを強権でもって統制しようとした。いやたしかに小泉もたぶん強権でもって統制したんだろうが、少なくとも我々にはそれまでの自民党よりはスマートなメディア利用だと見えた。小泉のライバルたちはオタメゴカシで悪を隠蔽しようとするタイプの悪だった。少なくともそういうタイプの悪だと小泉は宣伝し、それは事実だった。私はオタメゴカシで悪を隠蔽しようとする悪を最も憎む。小泉のライバルたちに対し小泉は残酷だった。だから小泉には「人気」があった。
小泉純一郎は決定的な時期に決定的な役割を果たしたという意味で日本のためになっていない人間だが、評価できる点もある。私は小泉純一郎を以下の点で評価している。
自分の考えを党の圧力・党の族議員・党の慣習に優先させたこと。別な言い方をすれば独裁的に振舞ったことだ。日本政治の最大の悪は責任が集約されない点にあった。小泉純一郎はさまざまな悪しき政策を行なったが、少なくともそれは全て小泉純一郎の意思によって行なわれた。これは重要だ。総理が総理として振舞った、戦後数少ない例だからだ。そして小泉純一郎以外の人間が総理になったとき総理として振舞える可能性を日本に残した。これが最も評価できる点だ。民主制とは交代可能な独裁制だと言える。日本では「責任中枢の不在」を「民主主義」と呼称する恐ろしい欺瞞が、主犯自民党により、主に保守言説によってなされてきた。保守を自認する人々は俺たちのほうじゃないと言うだろうが、それはともかく。責任中枢さえ責任中枢として機能すれば、有能な人間が責任中枢として振舞えば、日本は良い方向へ舵取りが可能なはずだ。そのためには責任中枢が責任中枢として機能することが必要だ。
次いで、我々オタクにとって「小泉を敵だと認定するには躊躇があった」理由として、小泉純一郎は「政治思想上の右翼(観念右翼・宗教右翼)http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-179.html」を時に排除したことが挙げられる。小泉純一郎の基盤は経済右派と「政治思想上の右翼(観念右翼・宗教右翼)」の双方だったが、経済右派を優先し、「政治思想上の右翼」をしばしば切り捨てた。私の基本的立場は「オタク規制反対」「メディア規制反対」であり、その主たる敵は「言いがかりをつけてオタク規制・メディア規制をしたがる『宗教右翼』」だ。それはたとえば「生長の家」の族議員である平沼赳夫であり、「日本会議」系列の議員だ。小泉純一郎の党内対立の「演出」は自作自演の「演劇」である側面も強くあるが、それでも経済右派と「政治思想上の右翼(観念右翼・宗教右翼)」が対立したとき前者を選び後者を切り捨てたことは、異論はあるだろうが、「オタク規制反対」「メディア規制反対」の立場からは評価に値する。経済右派は少なくとも彼らなりの経済合理性に基づいて行動している。ならばオタク産業が日本の基幹産業たり得ることを彼らに説得すればいい。「政治思想上の右翼(宗教右翼)」は経済合理性自体に対立する。そのぶんタチが悪く、説得も通じない。宗教右翼にとってオタク規制は彼らの存在証明の一部をなしており、あるいは彼らが愚民を騙すときの基本言説となっており、彼らのプロパガンダと我らとは全く相容れるところがない。そして安倍晋三の基盤は前者よりも後者にある。それ故、安倍晋三は我らオタクにとって「敵」だ。
しかしながら、小泉純一郎の最大の愚行は、安倍晋三を「売り出した」責任者の一人となったことであり、後継者に安倍晋三を選んだことだ。小泉の政治背景を考えれば彼がそうしたのはある意味納得可能だが、小泉純一郎にある程度評価できる側面を見ていた者としては、これにより小泉純一郎の評価できる点は全てチャラになった。
安倍晋三は腐れ宗教右翼のプリンスであり、経済合理性の欠片すら理解できる脳を持たず、無能ゆえ全く総理として振舞うことのできない豚だ。この豚の如き痴呆を「宣伝」の力でだけ国民に売り込もうとした売国奴どもの振る舞いはセイント・フォーを「宣伝」したのに匹敵する無様さだったhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060917#1158457101。あるいは、翌週から載る漫画の予告に「早くも大人気!」と書いてあり、いざ現物を見ると「よくこんなヘタクソが編集会議通ったなあ、10週も持たないぞ」と思わせるヘタクソな漫画が『少年ジャンプ』の巻頭を飾り、駅ポスターを飾り、車内広告を飾り、そして実際10週もたずに連載打ち切りになるのを見るような無様さだ。
そして、無能無策の安倍晋三が総理になったことで、日本政治は小泉純一郎出現以前の、責任中枢のない混沌になった。責任中枢の不在こそは日本の最大の悪徳だ。低能の安倍晋三総理は、その責任中枢の不在をシンボル化したような、具体化したような人物だ。だから安倍晋三周辺はマンガよりもマンガじみている。

変人として知られた小泉純一郎に関してはレンダイコが詳しい履歴調査を発表している。そうだとしたら、無能で二枚舌だと世界中から嘲笑された安倍晋三についても、小泉以上に詳しいペテン履歴についての調査が必要だ。
<貼り付け記事>
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小泉首相の履歴考


 (最新見直し2006.2.7日)
 (れんだいこのショートメッセージ)
 小泉首相(以下、「小ネズミ」と云う)が如何にイケナイ首相であるのか、それは履歴に疑惑があることでも判明する。一体、学歴はともかく、履歴がはっきりしないような者を一国の首相たるものの地位につけておいて良いのか、自明なことではないか。それが罷り通っているこの痴態を恥じよ。

 2005.4.23日 れんだいこ拝
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【大項目A・小泉首相の政治姿勢、政治基盤、その特質】
 小ネズミの「政治姿勢、政治基盤、その特質」を判定する前資料として、その素性をどう見るべきかにつき言及する。

 一般に大蔵族と云われているが、確かにその面もあるが実際には軍事防衛族を出自としているのでは無かろうか。その一つのヒントは、小ネズミの父・小泉純也の二度に亘る防衛庁長官歴では無かろうか。恐らく、小ネズミは、「安保男」と云われた父・小泉純也の政治姿勢の影響を色濃く受けており、陰に陽に軍事防衛パラノイア的環境の中で育ち、何らかの人脈を継承しているのでは無かろうか。この観点から小ネズミを問うことが必要なように思われるが考察されていない。

 現在小ネズミ政権はブッシュのポチ忠犬として世界から顰蹙を買っているが、その売国性は無理やりアメ帝に屈服させられているのではないように思われる。小ネズミの方からもこれを好機として擦り寄っているという両面から捉えられねばならない。アメ帝の思惑の解析は別のところでやるとして、小ネズミの主体的にじり寄りの背景事情を考察する必要がある。その為には、小ネズミの隠された利権と人脈が解析されねばならない。こういうものは容易には表に出てこないが、必ずやおぞましいカラクリがあるであろう。今のところはこれぐらいの言及に止(とど)めることにする。
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【小ネズミの履歴】
 「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」(2005.12.20日現在確認)の1972年までの略歴を転載する。
• 1942年1月8日 - 神奈川県横須賀市で、祖父、父、共に大臣経験のある政治一家の子として生まれる。
• 1960年3月 - 神奈川県立横須賀高等学校を卒業。
• 1962年4月 - 慶應義塾大学経済学部に入学。
• 1967年5月 - 同大学を卒業。
• 1967年〜 - ロンドン大学へ遊学。
• 1969年 - 父純也の死亡に伴い急遽帰国、衆議院議員選挙に立候補するも落選。福田赳夫の自宅で書生となる。
• 1972年12月 - 前回の雪辱を果たし衆議院議員に初当選、以後連続当選。厚生大臣、郵政大臣などを歴任する。
• 〜1974年11月 - 会社員(厚生年金にも加入)として勤務。


 以下、その他の資料も見比べてれんだいこ流で整理する。

 小ネズミは、岸派(安倍幹事長の祖父)の流れを汲む福田(福田官房長官の父)氏の私設秘書官から始まる。福田派は、安倍派(安倍幹事長の父)、清和会、森派へと続いており、伝統的なタカ派の最大派閥である。

 1972年、衆議院議員初当選、以来11期連続当選し現在に至る。
 1978年、エスエス製薬創始者の孫娘と結婚。
 1979年、 大平正芳内閣で大蔵政務次官に就任。
 1982年、離婚。二人の子供(長男、次男)は小泉家に残り、身重であった妻はその後三男を産み育てる。以後、独身のまま現在に至る。
 1988年、竹下内閣で厚生大臣に就任。
 1989年、宇野内閣で厚生大臣。年金の支給年齢の引き上げ法案を提出する。
 1991年、小泉(三塚派)、山崎拓(渡辺派)、加藤紘一(宮沢派)のYKKが、海部首相を退陣に追い込む。
 1992年、宮沢内閣で郵政大臣に就任。
 1995年、自民党総裁選に出馬し、橋本龍太郎に大敗する。
 1996年、第二次橋本内閣で厚生大臣に就任。
 1997年、第二次橋本改造内閣で厚生大臣。
 1998年、自民党総裁選に出馬し、小渕恵三、梶山静六に敗れる。
 2000年、森派の会長・森喜朗氏が首相に就任したことにより、清和会(森派)会長になる。
 2001.4月、自民党総裁選に出馬し、橋本龍太郎らに圧勝し、第87代首相に就任。

 以降の履歴は、「小泉政権史考」で概述する。

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【小ネズミの「履歴不詳」考、れんだいこが「空白の12年」を紐解く】
 さほど注目されていないが小ネズミの履歴に不祥な面がある。なぜこのように曖昧なのか解せないがあまりにも杜撰である。以下、経歴順に列挙してみる。「首相官邸」サイトの中の「小泉首相プロフィール」の「足跡」を最も信頼せねばならぬものとして参照する。

 それによれば、次のように記載されている。
 「1960年、神奈川県立横須賀高等学校卒業。1967年、慶応義塾大学経済学部卒業、ロンドン大学留学。1970年、衆議院議員福田赳夫氏秘書。1972年、衆議院議員初当選(30歳) 以来11期連続当選」

 判明することは、1960年から1972年までの12年間について「異常な履歴不詳」が認められることである。次の諸点が曖昧である。
1  慶応大学入学時を記すのが普通であるが略されている。それは何故略されているのか。本当はいつ入学なのか。慶応大学入学前は一浪なのか二浪なのか。
2  慶応大学留年は一留なのか二留なのか三留なのか。
3  いわゆるレイプ事件は実在したのかどうか。
 4  いわゆる精神病院で有名な都立松沢病院に入院していたのかどうか。
5  ロンドン留学は在学中なのか卒業後なのか。
6  小ネズミ小泉首相はいつ卒業したのか。「5月卒」とは何ぞ。
7  ロンドン留学の期間は何時なのか。
8  ロンドン留学の間、どこで学んでいたのか。
9  ロンドン留学の間、何を学んでいたのか。
10  1969年の衆議院議員選挙落選の際の前後の動静がはっきりしない。
11  年金疑惑問題で露呈したが、不動産会社勤務時代とはいつなのか。
12  福田代議士の秘書時代はいつなのか。
13  1972年の衆議院議員初当選の際の前後の動静がはっきりしない。
14  その後の議員活動の様子
15  エスエス製薬創始者の孫娘と結婚。1982年、離婚の経緯。
16  小ネズミの愛人小はん変死事件の真相。
17  異常性癖について。

 以下、これを逐条検証する。
________________________________________
 1、「慶応大学入学前は一浪なのか二浪なのか」について
 慶応大学入学前の一浪説に対し、二浪説もあり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。

 「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1960年3月、県立横須賀高等学校卒。1962年4月、慶応義塾大学に入学」とあり、「二浪説」を採用している。「足跡」は、卒業を主体に記しており、慶応大学入学年次が記されていない。3月卒業、4月入学の場合はどちらでも良いように思われるが、小ネズミの場合にはその後に関連する事件隠蔽の為のマジックとして不記載にされている節がある。

 これについて、2005.12.24日号「週刊現代」で、人類学者にして元自民党議員の栗本慎一郎氏の「パンツをはいた純一郎(全文)」 が貴重な指摘をしている。それによると、概要「私と小泉が慶応義塾大学経済学部に入学したのは60年安保の翌年1961年」とある。これはかなり確度の高い情報ではなかろうか。栗本証言により一浪説が正しいことが確定したことになる。

 こうなると、「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」は訂正を免れない。それにしても、一国の首相の大学入学年次が明らかでないなどとは不自然すぎることである。何の為に紛れ易くされているのかが詮索されねばならないであろう。これについては追々判明していくことになるであろう。
________________________________________
 2、「慶応大学留年は一留なのか二留なのか三留なのか」について
 慶応大学生時の一留説に対し、二留説、三留説もあり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。

 「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1967年5月、1留の後、同大学を5月に卒業」とある。通説は「2浪して慶大経済学部に入学。1年留年し5年がかりで同大を卒業」となるが、「1962年入学、1967年卒業」とあれば、在学年数は6年である。つまり、一留説は成り立たず二留説が正しいということになる。ところが、実際には三留の可能性が強い。
________________________________________
 3、「いわゆるレイプ事件は実在したのかどうか」について
 1974.4月頃、小ネズミは婦女暴行事件を起こし、神奈川県警に逮捕されていると云う。被害者は横須賀に在住の慶応女学生で、和解金500万円で示談したと云う。「被害者の女性が、存在しているにもかかわらず、マスコミにでない理由」として、その被害女性が告発しないからであると云う。この事件の実在は解明されねばならない。
________________________________________
 4、「いわゆる精神病院で有名な都立松沢病院に入院していたのかどうか」について
 小ネズミは、婦女暴行事件を1967.4月に起こした直後に精神病院で有名な都立松沢病院に入院させられたと云う。状況からして強制措置入院で、診断名は精神分裂病であったと思われる。入院病棟はD−40棟とまで調査されている。

 1967.4月から6月まで2ヶ月入院して退院。その後、7.7日に羽田を出発。ロンドンに留学という名目で日本を離れている。慶応大学には休学扱いで届出を出している。してみれば、小ネズミの首相就任は、戦後初めての精神病院入院歴のある総理大臣の誕生であったことになる。この経緯の真相が解明されねばならない。

 小ネズミが、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項になっている。知っているのは、信子、正也他の小泉家と、もう一人、小泉家でない人である。 この「小泉家でない」人物が過去につきあった女性が次のように証言している。
 概要「彼は普段は口が堅いが、酔っ払うと次のように云う。『俺は小泉の弱みを握っているから、小泉は俺を切れない』、『信子姉さんももうすぐ70になるから、早く死んでくれたらなあ。そうしたら、俺が、小泉家の金庫番になってやる』、『正也なんて絶対にあんなやつは東京には上げない』、『俺が小泉家をのっとろうとしていることが、ばれるとまずいから、俺は小泉が引退したら、俺も、郷里に帰るといって信子姉さんを信用させている』」。

 これについては、「小泉首相のレイプ事件考」で検証する。

________________________________________
 5、「ロンドン留学は在学中なのか卒業後なのか」について
 小ネズミの「ロンドン留学」の背景事情に「慶応大女学生レイプ事件」があるようである。この事件の考察はここではしない。ここで問うのは、「在学中のロンドン留学説」に対し、「卒業後のロンドン留学説」もあり、いずれか定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。

 当時の慶大教授・加藤寛氏の首相就任直後の雑誌手記「わが教え子小泉純一郎君へ」には、「小泉君は慶應在学中にロンドン大学へ留学する」とある。これに拠れば「在学中のロンドン留学説」が正しいということになる。しかし、「足跡」、「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」とも「卒業後のロンドン留学」が書かれており、してみれば加藤教授はボケ老人的に勘違いしているのだろうか。

 ちなみに、加藤寛氏は、同手記で、小ネズミの学生時分の様子を次のように寸評している。「まじめで勉強家だった」例として「ロンドン大学留学」に触れ次のように述べている。
 「政界へ進んだ卒業生の中では、橋本龍太郎君と小沢一郎君も勉強家だった。彼ら二人と比べると、小泉君は勘を働かせてスイスイといくタイプで、試験などでも、勘が当たったときはすごい力を発揮した。小泉君の人柄を喩えるなら、佐々木小次郎ではなかろうか。剣豪小説に描かれる彼は、切れ味鋭い『燕返し』によって、突如歴史の表舞台へ登場した。その颯爽とした登場のしかたや、一匹狼の印象が、私には小泉首相と二重写しに感じられる」。

 加藤教授の「ヨイショ癖」が如実に出ている貴重文であるが、「ロンドン留学の真相」について隠蔽しているのか真実知らなかったのであろうか。
 これにつき、2005.12.24日号「週刊現代」で、人類学者にして元自民党議員の栗本慎一郎氏の「パンツをはいた純一郎(全文)」 が貴重な指摘をしている。

 これによれば、栗本氏は、「正確な意味での慶応クラスメイト」で、1・私と小泉が慶応義塾大学経済学部に入学したのは60年安保の翌年1961年。2・小ネズミとはクラスも同じK組。3・クリモトとコイズミの関係上アイウエオ順では席がほとんど隣という間柄であったとある。よほど身近に小ネズミを観てきたことになる。

 その栗本氏は、次のように証言している。
 「彼とは2年間、同じクラスでした。というのも、彼は単位が足りなくて3年に上がれず、そのままロンドンに留学したからです。もっとも、私らは誰も気づきませんでした。クラス委員の私にも届けがなかったし、彼は2年の後半は大学に来ていなかったので、誰もいなくなったことに気づかなかったくらいです。一人寂しくロンドンに旅立ったわけです」。

 これによると、小ネズミはやはり、「在学中の留学」であったことになる。小ネズミは何故に、入学年次を1年ずらした挙句、「在学中の留学」を「卒業後の留学」と履歴詐称せねばならないのか。これについては追々判明していくことになるであろう。
________________________________________
 6、「小泉首相はいつ卒業したのか。『5月卒』とは何ぞ」について
 諸説あり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。「足跡」には、単に「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業」とあるが、「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1967年5月に卒業」とある。卒業年次の1967年は間違いないようだが、「5月卒」とはこれ如何に。尋常ではない卒業の仕方であることが分かる。

 木村愛二氏の引用文に「慶応大学の4年生(すでに、2浪、2留年をしていたが、1967年の3月にも卒業できなかったため、3留年が決定していた」とあり、3留確定後何らかの事情で「5月卒」となった可能性が強い。どういう事情によって「5月卒」となっているのだろうか。

 考えられることは、「1967.3月の卒業ができず3留年が決定した直後の慶応大女学生暴行事件」が関係しており、退学処分になるところを政治力で「5月卒」にした可能性である。この観点からの考察は未だ為されていない。
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 7、「ロンドン留学の期間は何時なのか」について
 諸説あり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。「足跡」には単に「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業、ロンドン大学留学」とあるのみである。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1967年〜、ロンドンにある大学へ2年間留学したとされる」とあるのみである。

 そこで、さまざまな興信録や人名録をひもとくと、奇妙なことに留学していた時期がバラバラなことに気づかされる。たとえば、東京大学出版会刊の「日本近現代人物履歴事典」では「1967(昭和42)年7月ロンドン大政治学部留学」となっているが、興信データ社刊の「人事興信録」では、「1968(昭和43)年ロンドン大政経学部に留学」とあり、1年ズレている。小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する69年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明している。

 なぜこれほど混乱しているのだろうか。A・慶大経済学部卒業はいつなのか、B・ロンドン大政治経済学部留学は卒業後なのか、在学中なのか、C・正確なロンドン留学の期間は何時なのか、等々を廻ってさっぱり要領を得ないという疑惑が発生している。推測するのに、「1967年春の異常なロンドンへの高飛び」を「通常のロンドン留学」にする為の辻褄合わせに苦労している、ということではなかろうか。

 推理するのに、「1967.3月後の婦女暴行事件」直後にロンドンへ逃亡したとすれば、「ロンドン留学」の始発は1967年春頃ということになるだろう。そこでブラブラしつつ語学スクールに通い、やがて聴講生ないしパートタイム身分の学生で「1968年、ロンドン大へ在籍」することになったのではなかろうか。

 「ロンドン大の在籍期間は、受講時間が週15時間以内のパートタイムの学生で、1年にも満たなかった」との説がある。2004.2.9日発売の週刊ポストによると、「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで」とある。これが正しいとすると、ほぼ1年間「遊学」した後の1968年にロンドン大学へ入学にしたことになる。その期間は約1年であり、してみれば「留学2年説」は、ロンドン逃亡後から語学スクールへ通っていた時期の分も合わせての「ロンドン滞在期間」の単なる総計期間ということになるようである。
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 8、「ロンドン留学の間、どこで学んでいたのか」について
 諸説あり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。この疑惑について、2004.2.27日号の週間ポスト「小泉首相の慶応大学5月卒業の怪」、3.5日号「『小泉醜聞』を報じない大新聞は腰抜けだ」が追跡している。

 それによると、小ネズミが初挑戦した69.12月の衆院選挙の際の選挙公報、初当選した72年12月の衆院選挙の選挙公報に届出されていた小ネズミの履歴は、「慶応経済大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあることを確認し、これが虚偽記載に当たることを指摘している。

 なぜなら、「ロンドン大学(UCL、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部は無い」、「ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られている。小泉首相が在籍したのはここではない」、「ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部に1年足らず聴講生のような形で遊学していただけである」。つまり、「ロンドン大学政治経済学部留学」と記すのは経歴詐称に当たるという。
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 9、「ロンドン留学の間、何を学んでいたのか」について
 上述の通りで、概要「恐るべきは単位取得が一切無い留学だった」ということのようである。ならば、小ネズミは、2002.3月にロンドン大学の学長らの表敬訪問を受け、「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身2人目の首相だ。ぜひ、名誉教授になってほしい」などと持ち上げられているが、ロンドン大学学長の見識が疑われることになる。もっとも、小ネズミは名誉教授授与を断っている。この時の小ネズミの心情はいかばかりであっただろうか。
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 10、「1969年年の衆議院議員選挙落選の際の動静がはっきりしない」について
 1969.8.10日、不肖の息子を抱えて心労がピークに達したのか元防衛庁長官であった父親純也が急死する。小ネズミはこれにより急遽帰国する。8.16日に横須賀市民葬が営まれ、これに参列しているのでこの頃の帰国は間違いない。

 12月の総選挙に出馬し落選している。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「父純也の死亡に伴い急遽帰国、衆議院議員選挙に立候補するも落選」と記されている。

 この時、地元郵便局長会が支持せず、田川誠一氏が当選している。「これが、郵政の解体を唱えるに到った本当の動機」とある(「小泉は婦女暴行第1回現行犯逮捕釈放後、1967年4−6月松沢病院入院、ロンドン逃避、日本帰国後は統一教会担当福田秘書」)。

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 11、「年金疑惑問題で露呈したが、不動産会社勤務時代とはいつなのか」について
 これも伏せられており、この経緯の概要さえはっきりしない。「年金未納問題」で突如露見した事実であり、この観点からの考察は未だ為されていない。週間ポスト5.21日号によると、概要「福田の私設秘書を務める傍ら、横浜市内の不動産会社に社員として勤務している。この間、1970.4.1日から74.11.1日までの55ヶ月間厚生年金に加入している。1972.12月に衆議院議員に初当選した後も1年半以上、議員と不動産会社社員を兼職していたことになる」ことを明らかにしている。

 れんだいこは、これを年金問題の視点から見るのではなく、小ネズミの隠された履歴問題として捉えようと思う。露呈した「小ネズミの不動産会社勤務時代」とはどのようなものであったのか。通常ならば怪しむに足りないことであるのにこれまでなぜ隠されてきたのか。そこに何らかの事情があるのか等々につき興味があるが、この観点からの考察は未だ為されていない。

 推測するところ、12月の総選挙で父・純也の地盤を引き継いで立候補したが落選し、父・純也の有力支持者であった横浜市内の不動産会社三福不動産の社長に面倒見てもらうことになったようである。1970.4.1日より同社社員として厚生年金に加入している。
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 12、「福田代議士の秘書時代はいつなのか」について
 「足跡」には、「1970年、衆議院議員福田赳夫氏秘書」とある。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1969年、父純也の死亡に伴い急遽帰国、衆議院議員選挙に立候補するも落選。福田赳夫元首相の自宅で書生となる」とあることからすれば、落選後の1969年に「住み込み書生」となり、翌1970年「秘書採用」されたということであろうか。

 しかし、上記7の「不動産会社勤務時代」のことが全く欠落していることになる。「住み込み書生時代」と「不動産会社勤務時代」の関係が曖昧である。推測するのに、「住み込み書生」は虚説であり、まず三福不動産社長付き社員として雇用され、二股で福田代議士の私設秘書として政治家の見習い稼業に入ったようである。この状態が1972年の初当選まで続くことになる。三福不動産に実質勤務していたのかどうかは不明である。小泉首相は、年金問題答弁の際に実質勤務を否定しているが、逆に勤務が為されていたことも考えられる。それをなぜ伏せたがるのかは分からない。

 三福不動産時代の給与の動きについて「週間ポスト」が次のように記している。
 概要「入社当時の月給は10万円、翌71年11月に昇給し月給は13万4000円。72年12月、総選挙で念願の初当選を果たしたが、三福不動産にはそのまま在籍し、国会議員になって1年後の73年11月に再び昇給して月給はドーンと20万円に跳ね上がった。今の物価で換算すれば70万円くらいに相当する。同社には引き続き在職し、ほぼ1年後の74年10月に退社した。と同時に、厚生年金を脱退した。社歴は4年7か月に及んだ。国会議員になってから1年11か月間は議員年金と厚生年金に二重に加入していたことになる」。

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 13、「1972年の衆議院議員初当選の際の前後の動静がはっきりしない」について
 「足跡」には、「1972年、衆議院議員初当選(30歳) 以来11期連続当選」とある。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1972年、前回の雪辱を果たし衆議院議員に初当選、以後連続当選」とある。さすがにこの時よりの履歴は確定しているようである。

 国会議員後の1年11か月間、議員と三福不動産勤務の二股であったことは間違いない。国会議員としての生活が軌道に乗ったことで三福不動産勤務を取り消したと思われる。
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(私論.私見) 三福不動産勤務履歴の隠蔽について

 この問題につき、2004.5.26日の参院本会議、5.27日の参院イラク・武力攻撃事態特別委員会で、小ネズミは、横浜市の不動産会社社員として厚生年金に加入していた70年4月から74年11月の間の勤務について次のように述べた。
 「初めての選挙で落選した後、私を応援していた社長から『これからも応援するから、私の会社の社員になれ』と言ってくれた」、「69年12月の衆院選落選後に入社した」、「当時の社長から『あんたの仕事は次の選挙に当選することだ。会社なんか来なくていい』と告げられた」、「たまに会社の旅行会とか『今日は大事な人が来るから来たらどうか』というお誘いは受けた」、「『一、二年何もしないでぶらぶら遊んでいろ』と言った会社、大した社長だと思う」、「30年以上前はそういう太っ腹な、見返りを期待しない、いい社長がたくさんいた」、「首相を辞めたら社長さんのお墓参りをしたい」。

 この答弁は、これまで「私にはサラリーマンや中小企業勤務の経験は有りませんが、国民の痛みには常に注意を払い云々」と答弁してきたことがウソであることを小泉首相自身の口から判明させていることに重要性がある。2003.9.29日の衆院本会議での管直人氏の質問に対してそのようにと答弁しているので、早速この点が質問され、2004.5.26日の参院本会議で小ネズミは次のように答弁した。
 「(三福不動産での勤務について)勤務実態がなかったということはない」、「全部、社員と同じように仕事をすればいいというものではない」、「議員秘書、後に衆院議員との兼職という立場にあり、『サラリーマン』と聞いて国民が一般的に思い浮かべるいわゆる会社員ではなかった」。

 かくて、小ネズミ自身の口から「落選後の一時期、非常勤預かり社員」の形で民間企業に名義を置いていたことが判明した。従来、「当時の福田赳夫衆議院議員の自宅で書生」とのみ記述し「サラリーマンの経験がない」としてきた履歴が訂正されることになった。

 しかし、こうなると新たな問題が発生する。斉藤勁氏(民主)は、「勤務実態がないのに厚生年金に加入するのは違法ではないか」と質問し、「本当なら法にふれる行為だ」(川端達夫・民主党国対委員長)との観点から批判した。

 社会保険庁によると、企業の厚生年金加入の前提は常用的な使用関係が基本となっており、勤務実態がない会社員が厚生年金に加入した場合、事業主が厚生年金保険法違反となる可能性がある。悪質な事例は詐欺罪に問われることもある。社会保険庁の小林和弘次長は「被保険者の資格があるかは、就労形態や職務内容などを踏まえ、個々の状況に応じて総合的な観点から判断する」と答弁し、首相のケースについて判断を避けた。

 そういう事情によってと思われるが、5.27日夜、小ネズミは、記者団に「(勤務の)実態はありましたよ。社長の指示ですもん」と述べた。厚生年金の保険料を本人分も会社側が負担していたのではないか、との指摘に対しては「忘れました。知りません」などと答えた、とある。

 小ネズミは、6.2日の衆院委員会で次のように述べ居直った。
 「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです。うち(自宅)にいてもいいよ、あるいは、海外旅行してもいいですよという会社もあるんです」。
 
 れんだいこが思うに、より重要なことは、履歴の不正確さの由来を衝くことにあろう。翻って、小ネズミは、「三福不動産勤務時代」を何故に隠蔽してきたのだろう。特段隠さねばならないことではないように思われるが。れんだいこは、履歴のこういう不透明さそのものこそを問題にしたい。

 なお、小ネズミは同特別委で、この当時の社長について、「いい人でした。総理を辞めたら社長さんのお墓参りをしたいと思っている」と述べた。ところが、小ネズミ発言当時、くだんの社長は94歳で健在であることが判明した(その後死亡)。小ネズミの諸事万事何とも軽率な性格が又も露呈した格好となった。「家族によると、小泉首相はここ10年以上も社長の元を訪れていないが、数年前に首相が『恩人』と呼んでいるのを人づてに聞いた社長は、喜んでいたという」(2004.5.28日付毎日新聞東京朝刊)とあるが、軽率の謗りは免れまい。

 ちなみに、墓参りしたいと思っていると云われたその人が生存中であることを指摘された小ネズミは5.28日次のようにコメントしている。「健在だと聞いてよかった。やっぱりいい人は長生きしてもらいたい」。

 2004.5.29日 れんだいこ拝
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【「厚生年金違法加入違反」で政治家が厳罰された事例】
 厚生年金の違法加入をめぐって政治家が厳罰された事例は数多い。いずれも「勤務実態がないにもかかわらず、厚生年金など社会保険に違法加入」していたことが問題とされ、社会保険を使っての治療、厚生年金受給が犯罪要件を構成するとして逮捕された。同一事例で暴力団員が逮捕された例も多い。その中でも、「現役の東大阪市長事件」、「民主党副代表・鹿野道彦事件」の二例が大物政治家逮捕に波及した例として注目される。
【東大阪市長事件】
 1998.5月、東大阪市の現役市長のA(64歳=当時)氏が、厚生年金を詐取した詐欺容疑に問われた。A氏は、東大阪市議と大阪府議時代の71年6月〜90年1月の約18年間、後援会企業に勤務したことにして、労使が負担する社会保険料月額3万円を全額同社に支払わせていた。市議になるまで勤めた財団法人の期間を合わせ、25年加入となって受給資格を満たし、60歳になった95年2月から総額約700万円の厚生年金を詐取していた。大阪地裁の一審判決(98年12月18日)では、懲役2年6か月(執行猶予4年)の有罪判決が下された。
【民主党副代表・鹿野道彦事件】
 2002.2月、当時の民主党副代表、鹿野道彦氏の厚生年金違法加入事件が発生した。鹿野氏は、76年から義弟が勤める建設会社の顧問に就任し、91年2月から同社の“社員”として厚生年金と健康保険に加入していた。三重社会保険事務局の聞き取り調査によって、鹿野氏はほとんど出社せず、電話でアドバイスする程度だったため、勤務実態がないと判断され、被保険者の資格が取り消された。
 鹿野氏はそれまでに同氏と家族が受けた医療費の保険給付分の返還を迫られて、年金加入歴も抹消された。また同時に鹿野氏が違法加入をもとに社会保険料控除を受けていれば、その分が脱税にあたるとも指摘された。結局、刑事事件としての立件は見送られたが、鹿野氏は民主党を離党して政治責任を取ったのである。
 2004.6.15日付毎日新聞東京朝刊は、「http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/06/15/20040615ddm041070083000c.html 」 で次のような記事を載せている。
 首相の厚生年金加入問題で、政府が「首相答弁だけで(加入の適否を)判断することは困難」という答弁書を決定した今月8日夜、千葉市内のホテルで、千葉県社会保険労務士会総会後の懇親会が開かれた。
 県北西部で開業する男性(68)が苦笑する。「最近は相談者が苦情から始める。『国会審議はひどい』『勤務実態がなくても総理なら認められるのか』とか」。周りの社労士が相づちを打つ。神奈川県社労士協会の広瀬幸一理事が言う。「厚生年金の違法加入は受給資格に数年足りない人が知人の会社に籍だけ置くケースが多い。加入者はもちろん、勧めれば我々も詐欺罪になりかねない」。

(私論.私見) 小泉首相の厚生年金不正加入について

 「厚生年金不正加入」をそれほど重要な案件として咎めるのがよいまかどうかは別にして、現に東大阪市長が逮捕され、民主党副代表の鹿野道彦氏が民主党を離党して政治責任を取った等の経緯がある。奇妙なことがここでも起きているが、しかし小ネズミに就いてはオール免責されるようである。
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【小泉首相の「学歴詐術」考】 れんだいこ 2004/02/21
 民主党の古賀潤一郎衆院議員の学歴疑惑はあちこちに飛び火し始め、安倍晋三幹事長のみならず小泉首相にまで及び始めた。これより先福田官房長官は、「ウソは泥棒の始まりなり」なるコメントで古賀議員の辞職を要請している。

 2004.2.6日付け「日刊ゲンダイ」の「どうなってるの? 小泉首相のロンドン留学にも疑惑」によれば、「学歴表記や恩師の証言がバラバラ」で、「小泉首相にも学歴疑惑がくすぶり始めてきた」とある。

 記事の内容を概略引用すると次のようになる。「小泉首相は、地元の横須賀高校を出た後、2浪して慶大経済学部に入学。1年留年し5年がかりで同大を卒業し、英・ロンドン大に2年間留学」したことになっている。だが、さまざまな興信録や人名録をひもとくと、留学していた時期がバラバラなのだ。たとえば、興信データ社刊の「人事興信録」では「昭和43年ロンドン大政経学部に留学」とあるのが、東京大学出版会刊の「日本近現代人物履歴事典」では「昭和42年7月ロンドン大政治学部留学」となっており、1年ズレている。また、小泉首相が学生時代に慕っていた加藤寛・元慶大教授は首相就任直後の雑誌手記の中で「小泉君は慶應在学中にロンドン大へ留学」と記している。小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する69年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明している。

 以上を踏まえて、「一体、どれが本当の経歴なのか。政権党の幹事長に続き、首相の留学経歴まで“闇の中”なんて国は日本だけだろう」とコメントしている。つまり、小泉首相の学歴疑惑は、@・慶大経済学部卒業はいつなのか、A・ロンドン大政治経済学部留学は卒業後なのか、在学中なのかを廻ってさっぱり要領を得ない、という疑惑を生んでおり、何やら釈然としなくなったことは確かだ。

 この疑惑について、2004.2.27日号の週間ポスト「小泉首相の慶応大学5月卒業の怪」、3.5日号「『小泉醜聞』を報じない大新聞は腰抜けだ」が追跡している。69.12月総選挙の際の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は、「慶応経済大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあることを確認し、これが虚偽記載に当たることを指摘している。なぜなら、ロンドン大学(UCL、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部は無く、小泉純一郎は1年足らず聴講生のような形で遊学していただけであり、恐るべきは単位取得も一切無い、と云う。こうなると、民主党の古賀潤一郎衆院議員の「単位不足学歴疑惑」よりも疑惑の程度が重くなる。

 しかも、慶応大学卒業が通常の3月ではなく、5月となっていることを凝視している。どういう事情によるのかにつき本人及び当時の関係者の証言無くしては明らかになりにくいが、正規の卒業の仕方ではないことだけは確かである。これをれんだいこ流に分かりやすく云えば、「慶応大学経済学部に入学するのに二浪し、在学中一留し、3月末の卒業さえしていない」愚昧さが浮き彫りになるという訳である。こうなると、「民主党の古賀潤一郎衆院議員の学歴疑惑」は、小泉首相の同様ないしはそれを上回る「学歴疑惑」を生みそうな気配である。「藪を突付いてヘビがでてきた」構図である。

 3.5日号「『小泉醜聞』を報じない大新聞は腰抜けだ」は、次のようなコメントで結んでいる。「自分自身の経歴の清廉性について、正面から答えられない総理大臣は、異常であり、そういう最高指導者をいただくこの国の政治も又正常ではない」。

 れんだいこが「小泉首相の学歴疑惑」に拘るのは、何も氏のプライバシーの詮索をしようという観点からではない。「わが国の首相の任に預かるものの資質問題」として捉えようとしており、あまりにも愚劣無能なとんでも御仁なのではないのか、ということを明らかにせんが為である。

 思えば、小泉首相は、イラク特措法の審議中であったと思うが、「神学論争には興味ない」などの言辞を弄した。これは、小泉首相の政治主義的乗り切り策ではなくて、つまり言葉通りに「神学論争に興味ない」のではなくて、我が国の防衛問題に関して過去積み上げられてきた論理を踏まえ、現段階の論争点を理解し、これに如何なる対応策を呈示していくのかという、本来の意味での政治家としての能力が資質的に欠損している人士なのではないのか、あるのは単に「強い者に巻かれろ、さすれば御身安泰式処世法」に依拠して傲慢な物言いしているだけではないのか、そういう意味での権力闘争に明け暮れているだけではないのか、ということを確認したい訳である。

 こういうレベルの首相が今の日本の首相にふさわしいという我が日本の能力的お似合いをも浮き彫りにしたい訳である。時に発するカナキリ調の絶叫も、低能人士特有の仕草とみなせられまいか。文化人的に通ぶるパフォーマンスも、政治を芸能的にしか考えられないお粗末さを示しているに過ぎないと考えられないだろうか。首相として署名した日朝共同声明の反故も、「首相署名」の重みを思慮する能力の欠損者であることを証していまいか等々。

 もう一つある。小泉首相の婦女暴行癖も囁かれているが、在任中に奇しくも慶応・早稲田に跨るレイプサークルの存在が浮き彫りになった。この時のリーダーが30年後に首相になる構図を想像してみ給え。小泉という御仁はその先例者という風には考えられまいか。

 こういう小泉ご一統の下で進行していくアーミテージ最高司令官のシナリオ通りの日本の米奴化、軍事予算の突出化、戦後初の自衛隊の公然武装出動等々は、恐らく国家百年の煩いをもたらすであろう。これ、れんだいこがご託宣しておく。

 2004.2.7日、2.21日再編集 れんだいこ拝
 ちなみに、安倍晋三幹事長は、民主党の古賀衆院議員の学歴詐称疑惑に対して次のように批判してきた経緯がある。
 「異なる事実を公にしていたのであれば、法律上の責任は問われる。経歴は有権者が投票する際に重要な事柄だ」。
 「政治的、道義的責任は極めて重い」。
 「(経歴詐称が)事実なら当然、議員辞職に相当する」。
 「経歴は有権者が投票する際に重要な事柄で、経歴を詐称したのであれば、大きな問題であり、公選法違反に当たる可能性もある」。
 「度重なる軽率極まる言動に批判が高まっており、公人としての資質を疑う」。

 ところが、当の安倍幹事長自身の学歴詐称疑惑が発生する羽目となった。安倍氏はホームページなどで、成蹊大卒業後に「南カリフォルニア大学政治学科留学」と公表しているが、2004.2.2日発売の週刊ポストは次のように批判している。
 「南カリフォルニア大学で単位を取得したのは6つの講座だけ。うち3つは外国人向けの英語講座だったという。専攻はなく、政治学は単位すら取ってなかった。政治学科留学はマユツバだったようだ。そのうえ、事務所は2年間留学としているが、実際の在籍期間は1年2カ月。とても古賀議員を批判するどころではない」。

 マスコミ各社の論説委員は、「しまらない話である」程度で批判を済ませているが、かってなら即刻辞任請求に及んだであろう。批判にも至らないこの穏健さこそ「しまらない話」であろう。
 「阿修羅」の「戦争47」情報に拠れば、2004.2.10日付け「日刊ゲンダイ」は、小ネズミの学歴履歴疑惑を続報し、「ますます怪しい小泉首相のロンドン留学−取得単位ゼロ、所属学部でもウソ」なる見出しの記事を載せ次のように批判している。
 「小泉首相が“売り”にしていた2年間のロンドン留学。本紙が「怪しい」と指摘した通り、ロクなもんじゃなかったことが分かってきた。ロンドン大の在籍期間は1年にも満たず、「取得単位はゼロ」だというのだ。小泉首相はそれでも「留学は留学じゃないか」と強弁するつもりなのだろうか。
 2.9日発売の週刊ポストは、次のようにあてこすっている。
 「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで。受講時間が州15時間以内のパートタイムの学生で、取得単位はゼロだった」(ロンドン大の記録係)というのだ。これが事実ならば留学というより“遊学”だ。小ネズミは、ブレア首相などに「英国留学の2年間は大きな資産になった」(首相官邸)と言っていた。どうやら、ロンドン大に入る前に通っていた語学スクールの分も合わせて「留学2年」と言いたいらしいが、「だったら、滞在2年」だろう。
 小泉首相のウソはまだある。首相が在籍していたのはユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部。ところが、小泉首相が初当選した72年12月の衆院選挙の選挙公報には「ロンドン大政経学部留学」と書いているのだ。ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られている。古い話で、公職選挙法うんぬんの話じゃないにせよ、ちゃっかりしている。
 ついでに言うと、小泉首相は2002年3月にロンドン大学の学長らの表敬訪問を受け、「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身2人目の首相だ。ぜひ、名誉教授になってほしい」などと持ち上げられたという。パフォーマンス大好き首相が名誉教授就任を断った理由が今、分かった」。

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小泉首相の姉の厚生年金保険法違反について れんだいこ 2004/05/31
 小泉首相の三福不動産時代の厚生年金保険法違反は、その姉の同種犯罪に飛び火した。2004.5.29日号日刊ゲンダイがスクープしている。記事概要は次の通り。後援企業から勤務実態がないのに給与をもらい、年金保険料も負担させていた小泉首相。二転三転の居直り答弁に国民はア然だが、怪しいのは小泉だけじゃなかった。実姉で政策秘書の信子氏も地元のタクシー会社の役員に収まっていたのである。しかも、その期間は40年以上とされる。小泉首相も若い頃、秘書と不動産会社社員と兼務していたが、実姉もソックリなのである。

 問題の会社は川崎市にある川崎タクシー(関進社長)。民間信用調査機関によると、03年度の年商は15億円。同社の社員によると「首相の実姉が勤務していることは知っているが、姿を見たことはない」という。「無情の宰相 小泉純一郎」の著者で政治ジャーナリストの松田賢弥氏がいう。「父の時代から永田町で仕事をしていた信子氏は政治的にも私生活でも小泉首相を支えてきた。タクシー会社の役員として働くヒマなどないはずです。信子氏が役員になったのは父・純也氏が防衛庁長官になった1964年から。中選挙区時代、川崎は小泉首相の選挙地盤で、同社は強力な後援企業だったのです」とある。

 れんだいこは更に問いたい。マスコミは、田中真紀子の「秘書給与詐取疑惑」を執拗に問い続け正義を気取ったが、会社に身元を置く秘書を雇ったとして、国から支給される給与を適正に配分していたとしたら問題は無かろう。

 要は、アクドイやり方だったかどうかであり、むしろ賢明にして進んだやり方という場合も考えられる。共産党、社民党の党ぐるみの詐取の方こそモロでありアコギであったろうに。民主党の議員で、真紀子の不正をがなり立てていた議員を調べて見れば、自民党員席の秘書を雇用していたとの記事を読んだことがあるが、それこそ問題だろうに。年金問題のようにブーメランが飛んでこなかったからよいようなものの。

 それはさておき、小泉首相の姉が政策秘書というのも変な気がするではないか。そもそも政策秘書というのは秘書の中でも最高給与職の要職である。身の回りの世話をする身内を秘書として抱えるのは咎めはないけれど、政策秘書にするなぞは政策秘書制度を馬鹿にしてやいないか。その姉が、かなり長期の厚生年金保険法違反をしているというのが、日刊ゲンダイスクープの記事の重みである。

 とにかく、小泉つうのは姉も含めてろくでもない見識の御仁たちであることが判明する。こういうお粗末組をトップに据えて、軍事費に湯水の如く金を使い、自衛隊を派兵し、外交官が死んでも調査もせず、民間人が捕まっても飲食し続け(それを太っ腹などと提灯する馬鹿もいるが)、続いて裏詮索ばかりし、人命を軽視し、あぁこんなこと書き出したらきりが無いからやめる。

 先日、文芸春秋社は「表現の自由、言論の自由のためには百年戦争辞さず論」を聞かしてくれた。文芸春秋社よ、週間文春よ、「小泉の姉問題」は「真紀子の娘問題」より現役の今現に進行中のイカガワシキことであるぜよ。一言弁明聞かせておくれよ。真紀子の娘で百年闘うなら千年闘うぐらいの事件ではあるように思われるがね。

 2004.5.31日 れんだいこ拝
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Re:、「小泉首相の履歴不詳問題」について れんだいこ 2004/06/03
 飽き足らずさん福助さん皆さんちわぁ。「年金未納問題」に食傷気味な様子ですね。れんだいこもアバウト派ですから、強制加入以前の問題をあれこれ云って咎めるのを良しとしません。しかし、この追求を通して浮かび上がってきた副産物には非常に注目しています。今やこちらの方こそ重大とみなしております。

 副産物とは、「小泉首相の履歴不詳問題」です。三福不動産勤務時代もこたびの追及過程で初めて本人の口から訂正されたものです。一体、一国の首相を務める者の履歴が不祥なぞということは、それ自体極めて不気味なものがあります。その不祥が今日の小泉政治と何らかの関係があるのならやはり問い詰めねばならないと考えます。

「小泉首相の履歴不詳問題」の最たる問題はロンドン遊学の真相にあります。やはりこれは明らかにせねばなりません。真相次第で、首相職に携わることのできる資質ではないことが判明いたします。

 例えば、先だって慶応−早稲田の学生がレイプ事件で逮捕されましたが、この連中が三十年後に日本の政府中枢に陣取っている姿を思い浮かべればよい。それはあり得てならないのです。色事秘め事一般の問題ではない。女性をレイプする資質の者は国をもレイプする可能性が(因果関係が)認められると思うからです。

 だいたい、慶応入学前が一浪だったのか二浪だったのか。慶応在学中が一留だったのか二留だったのか三留だったのか。ロンドン遊学は在学中だったのか卒業後だったのか、小泉の5月卒とは何を意味するのか。

 これらのことは隠すべきことではないのです。事実問題だからはっきりさせておけばよいのです。三福不動産勤務時代も然り。何も隠されねばならないことではないでせう。

 この種の疑惑に目を向けさせることになったのが「年金未納問題」であったことを思えば、かなり重要なことを明らかにした騒動だったと思います。「年金未納問題」に食傷した者はたらいの中の赤子まで流してはならない。今や、この問題を追及していくべきだと考えます。

 権力者は我々の生活のみならず国家百年の計に影響を及ぼします。「日本を創る」などと云ってもろくなものを創らないのは火を見るより明らかです。最悪の御仁たちを国家権力の上層部に棲みつかせていることを知るべきで、後釜がいようがいまいが即刻引き摺り下ろすべきです。

 れんだいこは、中曽根−小泉ラインの変態組の政治活動の全軌跡を明らかにすべきと考えております。とてもではないが「まとも」ではないと考えております。これが普通の感覚になるべきで、田原総一朗のように「その変態なところが魅力」なんて口舌していくのは許されることではないと考えております。

 木村愛二氏の小泉レイプ事件訴訟こそまっとうな感覚であり、我々は支援せねばなりません。それは興味本位のことではなく政治の重みを考えたときの責任追求であり、ジャーナリズムの姿勢を廻っても争われていると考えております。

 2004.6.3日 れんだいこ拝
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「人生えろえろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」 れんだいこ 2004/06/03
 2004.5.10日、民主党の菅直人代表が国民年金保険料未払いの責任を取り代表を辞任している。同日、小泉首相は、衆院議員に当選する前の国民年金保険料納付に関し、「(未納は)ありません」と明言している。

 この間マスコミは猛然と管に襲い掛かり、管は責任を取らされた。ところが、小泉首相の「(未納は)ありません」のウソが露見した際には「いつまでも年金問題に拘るのはどうか」と云いはじめ、小泉は蛙の面にションベンでやり過ごしている。こうして政治が悪い方へ悪い方へと誘導されている。

 それにしても、小泉首相の粗野さは目に余るものがある。れんだいこが思うに、年金問題での過去の未加入、未納そのものは許される。勘違いも許されるべきだ。しかし昔のことであろうともひと時たりとも明らかなウソをつくことまでは許されない。他に謝罪の方法はいくらでもあるのだから。

 小泉首相の予備校時代、慶応大学学生時代、ロンドン遊学時代、ロンドンより帰国後より三福不動産に在籍するまでの期間において、少なくとも予備校時代とロンドンより帰国後より三福不動産に在籍するまでの期間が明らかに未加入であることが判明した。このことは小泉首相の政治責任を論うほどの問題ではない。しかし、「(未納は)ありません」と明言したとなるとこれはいけない。しかし、この御仁は、この程度のウソは平気でつく癖がある。

 衆院議員当選後の対応も変調である。1970.4月から1974.11月まで三福不動産会社に勤めていたことになっており、社会保険・厚生年金に加入している。しかし、この間の1972.12月には衆議院選に初当選している。議員後約2年間にわたって三福不動産に勤務し続け、会社に社会保険を支払わせ厚生年金にも加入していたことになる。議員当選後の三福不動産勤務というのも変だが、「昔の良き時代の名残り故に許される」と嘯いている。その癖、存命中の当時の社長に対して墓参りに行きたいなどと平気で云い為す。この御仁は何かがオカシイ。

 この問題の本当の在り処は、小泉首相が従来述べてきた「落選後すぐさま福田衆議院議員の草履取り修行に入った故にサラリーマン経験が無い」なる従来流布されてきた「美談」との整合性にある。この程度の脚色は許されるということなのだろうが、三福不動産勤務時代を隠蔽せねばならない理由は無かろうに。なぜ「美談」を捏造してきたのか、という詮索に波及する。

 更に、任意加入期間の未加入も明らかになった。国会議員が国民年金の「適用除外」でだった加入できなかった期間80年3月までは別として、80年4月からは国会議員も任意加入できるようになっている。その80年4月から86年3月までの6年間を含む6年11カ月間、国民年金に未加入だったことが明らかになった。

 これに対し、小泉首相は、「加入すべき期間は全部(保険料を)払っている。未加入と未納は違う。(政治責任は)まったくない」と反論した。これによれば、任意期間はまさに任意であるから未加入だったとして責任は無いという論法を駆使していることになる。しかし、「政治責任がまったくない」とは調法な口であることよ。一連の過程で「逃げ逃れできないところまで追い込まれるまで国民にウソをつき続けていた。法的にも道義的に許されない経緯も見せている」ことに対して、通常の感性なら恥ずべきことであろうに。

 6.2日、小泉純一郎首相と岡田克也民主党代表が、衆院決算行政監視委員会で初の「直接対決」に臨んだ。「首相の厚生年金加入時の勤務実態」に話が及ぶと、小泉首相は、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と開き直った。岡田氏は「それが総理大臣の言うことか」と声を荒らげ、質問を打ち切った。初対決終了後、岡田氏は記者団に「最悪の首相だとよく分かった。あれだけ開き直っていいのかね」と感想を述べ、直後の「次の内閣」の会合でも「首相と議論するといつも後味が悪い。むなしい議論をした」と不快感を隠さなかった、とある。

 れんだいこは、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」節を聞きそこなったが、国会質疑の値打ちをあまりにも陵辱していよう。岡田もここを衝くべきなのに感性が弱いのだろう、単に不快と述べている。

 この御仁の特徴だが、まじめに議論するということが無い。はぐらかすか恫喝するか絶叫するかを得意とするこの話法は異色過ぎる。東映映画の見過ぎではないかと思う。

 しかしこういうことはもう分かりきったことなのだ。にも拘わらずこの御仁が首相として居座ることに違和感が醸成されない。しかし、政治をあんまり舐めるもんではないとゲンコツかます時期が来ているには違いない。

 2004.6.3日 れんだいこ拝
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(私論.私見) 【小泉首相の「厚生年金弁明の変遷」考】

 小ネズミの「厚生年金弁明の変遷史」を追跡して見る。当初、「年金は払っています」と断言していた。その後、「支払うべき期間は払っていた」と弁明。未納発覚後は、「未納ではない未加入だ」。追求が続くと、「40年前のことでとやかく云われる筋合いはない」。民主党・岡田代表との質疑では、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」。

 判明することは、小ネズミの学歴偽称、年金未納、不正利権蓄財、憲法違反、対米隷従ほど悪質にしてひどい御仁はいないということである。問題は、しかるにこれがアンタッチャブルで見過ごされ、小ネズミ犯罪に比すれば矮小な容疑で見せしめ的社会的糾弾が組織され、更には政敵が次から次へと懲罰されている異変にこそある。
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 14、「その後の議員活動の様子」について
 その後の議員活動の様子について、「阿修羅政治版14」で、救国の草莽の志士氏の 2005.9.24日付投稿文「小泉は婦女暴行第1回現行犯逮捕釈放後、1967年4−6月松沢病院入院、ロンドン逃避、日本帰国後は統一教会担当福田秘書」で次のように云われている。
 「落選後は、時の有力者の福田赳夫秘書として、ユダヤの代理人文鮮明の統一教会担当秘書として、資金を担当。選挙の方は、地元横須賀を牛耳る指定組織暴力団稲川会に丸投げして、その組織擁立候補としてヤクザの舎弟として当選、爾来今日に到っている」。

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 15、「エスエス製薬創始者の孫娘と結婚。1982年、離婚の経緯」について
 1978(昭和53)年、エスエス製薬創始者の孫娘と結婚。1982(昭和57)年、離婚している。その経緯は次のように伝えられている。
 昭和52年の夏、青山学院大学4年だった宮本佳代子さんに東京赤坂のレストランで、見合いをした8月25日の翌日、小泉は、プロポーズする。あってわずかの2日目である。昭和52年8月26日、早速二人でデート。日比谷映画で「わしは舞い降りた」と見た後、小泉は「あのう、僕を信頼してくれますか?」 彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ」と一言。小泉は、「それで決まりましたね」。

 その4年後、結婚は破綻。佳代子さんが、さんざん家庭内暴力を小泉から受け、出て行くと決めたあとに、小泉が佳代子に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追わず、来るものは拒まずだな」の一言だった。

 佳代子の親族は、「総理になった純一郎さんを見ていると、あの人は、表の顔と、裏の顔がかけ離れた二重人格じゃないかとおもわざるをえません」。小泉氏は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされる。佳代子さん自身も夜の営みの時に首をしめられていた。

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 この後の履歴で注目される「愛人小はん変死事件」については、「愛人小はん変死事件考」で検証する。
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 16、「異常性癖」について
 小泉純一郎の首相前時代の異常性癖が次のように伝えられている。2005.1.15日付け「きっこのさるさる日記」を転載する。
■2005/01/15 (土) 脳に酸素 3
 コイズミの書いてる経歴がホントなら、1967年の3月に慶応大学を卒業して、4月にロンドンへ留学してなくちゃ、ツジツマが合わない。だけど、実際は、新学期が始まった4月の時点でも、4年生として慶応大学に在籍してて、ニポンに住んでたのだ。婦女暴行で逮捕された事実は、親父の力でもみ消すことはできたかも知れないけど、この時点で大学の単位が足りずに留年していたと言う事実、つまり、1967年の3月には卒業できずに、4月からも4年生に在籍してたって言う事実は、改ざんできないのだ。

 そして、2年間のロンドン大学の在学中も、たった1単位も取ってなくて、連日SMクラブに通い、暴行事件まで起こしている。親父の急逝でニポンに帰って来てからは、すぐに福田赳夫の秘書になったんだから、慶応大学には戻ってない。それに、もしも、秘書をやりながら大学へ通い、不足してた単位を取ってちゃんと卒業したって言うのなら、卒業は1967年じゃなくて、1970年てことになる。だから、「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業」って言うのは、完全に学歴詐称であって、コイズミは大学を卒業していないのだ。

 話は変わって、コイズミが代議士になってから、10年近くも通いつめてた六本木のSMクラブは、今はなくなっちゃったけど、当時は東京のSMクラブの老舗で、コイズミ以外にも、何人もの政治家や財界人たちがメンバーになってた。でも、ほとんどの政治家がマゾだったのに対して、生粋のサディスト、コイズミは、SMクラブのコースメニューにある通常のプレイでは満足できずに、毎回、特別料金を払って、相手の女性が失神するまで、何時間でも責め続けたそうだ。

 当時、何度もコイズミの相手をしたことがあると言う女性は、「小泉先生のお相手をすると、(激しく痛めつけられるため)2〜3日はクラブに出勤できなくなるので、そのぶんのお手当てもいただいていました」と語っている。また、この女性によると、コイズミは、さんざん痛めつけた最後に、女性を大の字に寝かせ、両方の二の腕を両足で踏みつけ、仁王立ちして、笑いながら女性の顔面に放尿したそうだ。この女性は、その時の高笑いをするコイズミの顔は、今でも決して忘れることはできないと言っている。

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